オオかダイか!?


 「おおと読むか、ダイと読むか!?」である。
 私が初めてこのことを意識したのは二十年ほど前の競馬中継だった。
中山大障害」というレースがある。昭和三十一年に有馬記念(当時の名は中山グランプリ)が出来るまで暮れの中山競馬場を飾る最大のレースだった。その後も国際化をにらんだ大きな番組改編が行われる昭和五十年代末までは八大競走に次ぐ地位にあった。
 学生時代に競馬を覚えた私は、これを「ダイ障害」と呼んでいた。競馬を始めた昭和四十年代末に、テレビ中継のアナウンサがどう呼んでいたかは記憶にない。それが残念だ。そういう興味も生まれていないし、当時から私は障害競走が好きではなかったから注目していなかった。ただ当時の学生として「大障害」は「だいしょうがい」と読むのが自然だった。

 二十年前、競馬番組の中である競馬アナが言った。中山大障害の日だった。
「最近ではダイ障害と呼ぶようです。私が実況を始めた頃はオオ障害と呼ぶように教えられたものでしたが」と。それはなかなかに新鮮な指摘だった。長年ダイ障害と言ってきた。すこし考えれば、名詞に附く場合はオオのほうが正しいんだろうなとは思う。とはいえいつもの自分のコトバをそれで考え直すほどでもなかった。とりあえずこのときから固有名詞であるから、「中山大障害」は「なかやまおおしょうがい」と呼ぶように心がけた。
 しかし世の中は逆の流れが加速して行く。今では「おお障害」と言っては通じないほど「ダイ障害」が一般的になってしまった。
 あまり興味のないレースでもあり、こういうことにこだわるのは当時から好きだったが、競馬文章の中でも触れないままで来た。

 というのは、以前「皐月賞」に関して意見を書き、後に赤面した思い出があったからである。
 私が競馬文章を書き始めた昭和六十年頃、新聞の活字制限がより進んだ(退化した?)。朝日新聞を先頭に獨自の制限を推し進めたものだから、紙上にはひらがなと漢字が混在した奇妙な文字が並ぶことになる。「ら致」が代表だ。今は「拉致」がまた使われているようだから、当時が最もひどい時代だったのだろう。

「拉致の拉」

 ちょうどそのころ、朝日系のニッカンスポーツが、皐月賞をさつき賞と表記し始めたのだ。「皐」の字が範疇外になったからだろう。それにしてもひどい話だ。特殊な漢字で字がないのならともかく、ついこの間まで「皐月賞」と表示していたのに、すべてに規則を当てはめて固有名詞まで変えてしまうとはあんまりである。このことは文章にもし、読者から賛同の意見をもらったものだった。

 が、後にダービー史、競馬会史を書くような仕事があったとき、意識して調べると、昭和三十年代初頭に「さつき賞」と使っている時期があったのである。しかも競馬会の機関誌である『優駿』誌上でだ。これまた当用漢字の制定により、なるべく無意味な漢字を使うのはやめましょうという進歩的路線のつもりだったのだろう。本家がそんなことをしているのだから外野がこだわってもしょうがないと以後こういう意見は封印した。競馬会は「如月賞」のようなレース名も「きさらぎ賞」とひらがなにしたりして行く。これは漢字うんぬんより難読だからであろう。
 時代の流れである。あえて棹さす必要もない(←棹さすの誤用。わざとね。)

 そんなこともあり、オオ障害の読みを意見として口にすることはなかった。それでも競馬物書きの飲み会でダイ障害と言っている人がいると「あれはオオ障害が正しいんじゃないですか」なんて口を挟んだりした。よく出来ているもので、私がいい文章を書くなと認める競馬物書きはみな「オオ障害」で、無能なのに業界にしがみついてと侮蔑しているのは、みな「ダイ障害」であった。ほんとよくできているものである。

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 それ以来、「ダイかオオ」かが気になるようになった。本来は「オオ」である。これは間違いない。古くから生き残ったコトバにはオオ、あたらしいコトバにはダイとなっている。
 高島さんは関東と関西のコトバに関して、「関東のコトバは濁音で始まるものが多く、それが強い口調に感じられるのではないか」と言い、その例として「バカとアホ」を挙げている。関西人がアホと言われても平気だがバカと言われるとむっとするとはよく言われてきた。口調が強いからだろうと高島さんは分析している。関東人は逆なのだが。

 濁音の強い響きは強調に役立つ。関東の「真ん真ん中」が関西の「ど真ん中」に取って代わられてしまったのがそうだろう。真ん中を強調したいのだから、アクセントとして間抜けな「まん」よりも「ど」のほうが適している。今の若い人で真ん真ん中を使う人はほとんどいまい。

 同様に「ダイ」は「オオ」を駆逐していった。大地震は「おおじしん」が正しい。だが悲惨な災害が頻発した情況と恐怖をアピールするなら「ダイジシン」のほうが効果がある。大災害大事故大洪水大干ばつ、のようなマイナスなものはそうなる。
 映画のタイトルは強調のみが役目だから総じてダイ路線である。「踊る大捜査線」なんてのも「おおそうさせん」では迫力がない。もともと捜査に大も小もない。まして「捜査線」にはあるはずもない。こういう新語の場合は「ダイ」と決まっている。ほとんど「チョー」と同じ扱いである。
 そんな中で歴史のあるものは「おお」が生き残っている。「大火事」は木と紙で出来た家に住む日本ではむかしからなじみがあるから定着している。大風大雨大時化も同じ。この辺、気づいたらあとで足して行こう。

 近年、テレビで聞いて感心したものに石原慎太郎さんの「大規模」がある。「おおきぼ」と聞いて新鮮だった。私自身、「ダイキボ」と言っていたような気がする。ATOKも「ダイキボは大規模」と変換し、「おおきぼは大木簿」になってしまう。ATOKの制作規定ではこの読みは「ダイキボ」らしい。でもやはり「大規模な工事」は「おおきぼなこうじ」が正しいのだろう。石原さんがごく普通に使っていたことから、以前は「おおきぼ」が常識だったことがわかる。そういう世代から見たら「ダイキボ」は奇妙に聞こえるはずだ。

 この項目を書こうと思ったのは、二十年前の「ダイ障害」と、石原さんの「おおきぼ」がきっかけとなっている。
 つい先日、フジテレビの若いアナが「おおきぼ」と言ったのが印象的だった。やはりそれが正しく一般常識なのかと我が身の不明を恥じた。ところがその後すぐにNHKの年配のアナが「ダイキボ」と言ったのである。これは「放送業界共通の規定」ではなく「局毎の規定」に従っているからであろうか。こんがらがった。ぜひとも内実を知りたいものだ。両局とも質問コーナーにメイルを出せばすぐに教えてくれるだろう。そのうちやってみよう(やらないと思うけど)。
 客観的に見て、おおきぼが正しいが、世の流れで、これから益々ダイキボになってしまいそうな気がする。私はこれに限らず、意図的に「おお」の味方をして行くつもりでいる。

 冒頭の写真は、机の前のホームページ専用メモボード。気になることがあるとここにメモしておく。「おおきぼ」と書いてからずいぶんと経った。きょうやっとこのメモを消せる。
 その上に「大ぶたい」とある。これも誰かが言った「おおぶたい」をこのテーマに書き足すネタとしてメモしたのだろう。
 あこがれの舞台、長年夢見てきた花の舞台、そういう大舞台に立つとき、「ダイブタイ」と若い芸能人はみな言う。力が入れば入るほどそうなる。ダイと舞台のタイが韻を踏んで強調語になる。これも昔からあるコトバだから「おおぶたい」が正しいだろう。大舞台にあがるのは人生の「大勝負」である。これも「ダイショウブ」になってゆくのだろうか。だいじょうぶかな。
(03/10/13)

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 「おお」と「だい」の基本

 基本は「おおは和語に。だいは漢語に」であるようだ。なるほど、わかりやすい。「大風」「大雨」は「おお」である。
 なら「舞台」や「地震」は「だい」が正しい。なのに「おおぶたい」「おおじしん」なのは、漢語として入ってきたが、日本語に馴染み和語扱いとなったからのようだ。

 古い書物には「大地震」を「だいじしん」と読んだものがあるらしい。その当時は地震は和語では地揺れとでも言っていたのだろう。地震は漢語だったのだ。古語として地震の意味の「なゐ」と言うことばがあるそうだが。
「地震」ということばが日本語として普及するにつれ「おおじしん」になり、さらにまた強調の意の「ダイ」の普及と共に「だいじしん」になった。それでいいだろう。

 正式に「だいしょうがい」

 中央競馬会は正式に中山大障害レースを、「だいしょうがい」と読むことを発表した。これも時の流れか。でもいわばこれは固有名詞だからどうでもいいことである。まず生活の中で使うことばではない。





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