2006
3/13
 インターネットトラブル

 金曜日(3/10)の夕方からインターネットが出来なくなった。モデムを見ると反応していない。何かトラブルが起きたようだ。そのうち直るだろうとほっておいた。週末は競馬が忙しいので関わっている暇もない。

 土曜の夜、24時間ぶりにパソコンに触った。まだ直っていない。
 接続できなくてもたいしたことはないと思っていたが、3時間ほど仕事をしていると、いつものようネットで調べものをしようとしてしまう。そのたびに「ああ、繋がってないんだった」と思い出す。iTunesで音楽を聴いていると、気分転換にインターネットラジオのSmooth Jazzに接続しようと思ったりする。しかしそれは適わない。苛つくことが何度かあった。極力便利な世界に浸りきらないようにと牽制しつつ、私もいつしか常時接続とネット検索の魔力に囚われていたようだ。

 BGMもiTunesで自分の音楽を聴くよりインターネットラジオでジャズやクラシックを聞くことの方が多くなっていた。まあこれはHDD内に1万曲も収録してあるのだからなんとかなる。調べ物だって何冊も入れてある辞書や百科事典でなんとでもなる。つまりこれは「いつものようではない違和感」でしかないのだ。気分を切り替えた。ダイヤルアップ接続であり、今は繋がっていない状態なのだと思うことにした。

 すると今度は丸一日以上メイルチェックをしていないのが気になり始める。それに原因がわからないのも不安だ。
 これらも感覚的なものだ。いま緊急のメイル連絡などないし、急ぎの仕事がひとつあるが、それもケイタイで連絡すれば済むことだ。いかんいかんすっかり常時接続に慣れ親しんでいる。

 欧米や豪州、タイや中国の旅先でもインターネットに接続してきた。欧米や豪州ではホテル、タイや中国では街のネットカフェが多かった。と書いて、欧米や豪州に頻繁に行っていたのはまだホテルからしか出来ない時代、タイや中国はネットカフェがどこにでもある近年のことだと思いつく。しばらくヨーロッパも行っていない。

 いつもそうしていたなら今回ももっと不安だったろうが、年末から一月にかけての雲南があった。あの山奥で「丸々一ヶ月インターネットなしの生活」をしてきたのだ。電話は通じており、ローミングの方法すら調べてなかったが、いざとなったら国際電話で繋いでしまえばやることは出来た。なのに飢えることもなく一ヶ月を過ごせた。ついでに言えばテレビも新聞も雑誌もなかった。それでいて平気だった。その実績があるから今回も甘く見ていた。

 だがいつもと同じ環境にあり、モデムに電源も入っているのに通信できないというのは思った以上に気になると知る。そういうものらしい。たぶんプロバイダ契約を解除してしまったなら(今時それはもうあり得ないが)それはそれでスッキリするのだろう。そうではないから、点滅しなくなっているモデムを頻繁に見る自分がいる。パソコン作業をしていても30分おきぐらいにモデムのランプを振り返ってしまう。

 ここのところ永井龍男を読み返している。ベッドに寝ころんで読んでいても、ふと気になってモデムのランプを見に出かけたりする。読書に打ち込めない。こりゃだめだと覚悟を決めた。自然に直るまで待っていられない。

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 日曜の午前中、Yahooに電話をした。私はいま普通電話を取り外している。IP電話だけだ。ネット不通なのだからそれが使えない。ケイタイからは0120は使用できない。近くのコンビニまで行き公衆電話から掛けた。ケイタイの普及により急速に公衆電話が減っているが、こういうときにありがたさを痛感する。やはりこれはこれで一定数あってくれないと困る。

 午前9時に掛けたら人間が応答するのは10時からと機械に言われる。この辺、インターネットなどなくても平気だと言いつつけっこう焦っていたのか。10時からとわかっていたのに早い時間に掛けてしまった。まあ日曜は朝の5時から動いているので9時も10時も大差ない。たった一日半インターネットが出来ないだけでうろたえている自分を恥じて落ち着く。

 あらためて夕方に掛ける。すぐに通じた。Yahooへは以前2度ほど掛けたことがあるが同じくすぐに通じている。いろいろと評判の悪いYahooだがこの点は評価できる。相当数の回線が用意されているようだ。パソコンソフトウェアの相談電話には、不具合が生じたので掛けると、一日中いつ掛けても話し中なんてのが多い。さして大きくない会社だから一本だけなのだろう。いまはインターネット時代だからメイルで問い合わせると翌日までに返事をくれる。便利になったものである。
 Yahooの方からケイタイに掛けてくれるというので急いで部屋にもどる。

 どうやらこの地域で障碍が発生しているらしい。多くの人から抗議が寄せられているのかと問うと「20人ほど」との応え。ずいぶんすくないと思ったがこの地域では契約者が22人しかいないのだという。とすると全員同じ目に遭っているようだ。全プロバイダの中で最大契約者数を誇るYahooだがこの辺の契約者はそんなものであるらしい。ともあれその抗議からも地域的トラブルであるのは間違いないようだ。
 万が一のモデムトラブルも考えて最新型モデムに交換してくれることになった。モデムの故障とは考えていない。いやモデム故障であり、交換したらすぐに通じた、が望ましい。
 インターネットのない日々は数日ほど続きそうだ。これからもっと苛立つのだろうか。それとも雲南の日々のように、なけりゃないで落ち着くのか。初めてのプロバイダ契約は1999年だったか。こんなトラブルは初めての経験である。

 とりあえず問題が起きないよう急ぎの仕事関係に10件ほど電話をした。緊急の用事はメイルでなくケイタイで頼むと。
 それでなんとかなるはずである。(日本における)インターネットのない日々を自分がどう感じるのか、興味津々である。(3/13 am10:00)

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 3月15日。
 宅配便で新しいモデムが届いたので交換する。古いモデムを引き取るとかで手間取った。
 もしかしたらモデムの故障が原因であり、一発で直るかもと、開封もあわただしくいそいそと繋ぎ変えた。
 なんの反応もない。となると本格的なインターネットトラブルであり、Yahooから係員に来てもらってマンションを調べてもらわねばならないのか。しかしそろそろ仕事にも差し障りがあるし猶予はない。困ったなと思ったら、モデムが反応を始めLinkランプが灯った。
 ノートパソコンを起動してみる。しばらくの間があり、無事通じた。なんだかジーンとしてしまった(笑)。どうやらモデムの故障だったらしい。

 東京の自宅で丸々四日半、インターネットのない生活をした。あまりに依存している自分に気づきぞっとした。
 そういう意味で言うなら、辞書類もHDD内の電子辞書を使うようになって長い。つまり、パソコンがないとなにも出来なくなっている。ここからの脱出をあらたなテーマにしよう。
 紙とペンさえあればいつでもどこでも書ける、という原点にもどらないと。

追記
 私は愛用の機械に恵まれていてほとんど故障を経験していない。それは世界に冠たる日本製品の優秀さの証明である。すぐに壊れる中国製品の中で育ってきた妻など、モノは壊れて当然、初期不良当たり前ぐらいに思っているから肝が据わっている。私の感覚は日本人的脆弱と言えそうだ。
 今回ひさしぶりにこんなことを体験したものだから、「もしもまた故障したらどうしよう」という不安が芽生えてしまった。「ネットで調べものをしつつ書く二、三日後が締め切りの原稿」があるときにまたこんなことが起きたらお手上げである。気弱になった。

追記2
 4日半ぶりのメイルチェックを、つい気楽に「迷惑メイル除去機能」のないメイルソフトでしてしまった。ずらずらと現れた200通。そのうちの150通はジャンクメイル。しかもそのほとんどが「性に飢えた人妻」の「援助交際」に「特別会員として認められた」「入会無料」の話。除去しているだけで情けなくなってくる。



 便利さに感激する

 いま「インターネットトラブル」を送信して、確認のためにブログを見たら、11日の昼にボクシングの亀田のことが投稿されていて感激した。それはたしかに私の書いた文だが、私には投稿した記憶がなかった。

 これはたしか──いまカレンダーを見つつ確認──8日夜の試合をテレビで見て、9日木曜日に感想を書いたものである。

 そのときに左のボクシングのgifも作った。K1やPRIDE、プロレス、相撲は作ってあったがボクシングはなかった。

 10日の金曜日に投稿しようとして、ブログには「予約投稿」という機能があると知る。やってみたい。それで敢えてすぐに投稿せず「土曜の昼」に予約してみたのだった。

 そのあと金曜夜から通信が出来なくなった。なのに土曜の昼に予約通り投稿されている。タイムスタンプはそうなっている。
 これは予約した金曜日の時点ですぐにライブドアに送られていたのだろう。ライブドアのサーバーが「公開」するのを土曜日まで待ったのだ。だから私のパソコンが通信出来なくても問題なく土曜日に公開された。送った私は今日まで見られなかったが土曜からずっと公開されていたことになる。

 これって「死者の遺言」みたいで興味深い。
「もしも私が月曜の夜に死んだときは、それは決して自殺ではなく、××に殺されたのだ」と書いて金曜の夜に予約投稿をしておく。
 月曜に死ぬ。どこからどうみても自殺だ。葬式も終る。完全犯罪はなったかに見えた。そして金曜の夜、書き手が死んで閉鎖しようとしていたブログにその文か掲載される。
 自殺に見せかけた完全犯罪が、死後のブログ投稿によって再検証となる……。


 以前のこのパターンは、「死後に恋人宛に届いた手紙」が主だった。それで名探偵が動き始める。今は不特定多数にネットで出来る。
 こんなことに無縁だったので、ネットの予約投稿の便利さに妙に感激している。

 ということは、私がブログの出来ない外国に一ヶ月行くとして、30篇の文章を予約してゆくと、その間でも毎日1篇ずつUPされてブログ更新が出来るのか!? 
 やれるなら喜んでやる。そんなことで読者に喜んで貰えるならお安いご用だ。でも無料ブログはそこまで便利ではないのかな?


 今度何篇かを書いて予約し、毎日定時にUPされるか試してみよう。嘘か誠か「予約機能」には年度が入っている。
 能力通りなら、来年の予約も10年後の予約も出来ることになる。しかしコンピュータ世界の10年後はとんでもない未来だ。ライブドア無料ブログが形を変えずにそのときまで続くとは思えない。
 未だ勉強中。奥が深い。

  
4/11

フリー百科事典「ウイキペディアWikipedia」考


「フリー百科事典 ウイキペディア」について
 前々からウイキペディアWikipediaについて書こうと思っていた。ちょうど落語のことを書いていたら、印象的な部分にぶつかったので、まとめておくことにした。半端だし、一例なので、またいくつかの例を引いて書き足すことになろう。「インターネット考」の中核として大部になるかも知れない。

 古今亭志ん生の志ん生という名跡を継ぐ話である。常識的には名人であり長男の馬生が継ぐべきものだが、わがままな父親志ん生は年を取ってから出来た可愛い末息子の志ん朝の方に継がせたい。しかしさすがに長男にそれを切り出せなかった。それで気を利かせた馬生の方が、父親にそれを告げる。すると父がうれし泣きしたという話である。
 それを書いたのは落語話。「落語──古今亭志ん生」
 以下、そこからの引用。わかりづらい部分があったら本文を読んで下さい。



 この話、一部では「臨終間際の枕元で」と伝えられている。その方が劇的でおもしろい。
 いまネットで調べたら「百科事典Wikipedia」もそう書いていた。
《父志ん生の臨終の枕元で、馬生が「志ん生は弟志ん朝に継がせる」と約束した話は有名》
 しかし前述したように志ん生に「臨終間際」はない。前日までいつものよう酒を飲み、次の日の朝、美津子さんが声を掛けたら返事がなく、おかしいなとかけよったらもう冷たくなっていたのだ。一見ほんとのような「父志ん生の臨終の枕元で」が、いかにいいかげんな作り話かわかる。

 このネット愛用者全てが書き手となって作る、いわば「みんなで作る百科事典」は、とても便利であり、ネット文化の結晶として最たるものだが、常に進行形であるから間違いも多い。
 この馬生の項目を書き込んだ人も落語好きの素人なのだろう。かなりの落語好きではあろうが、いかにも素人らしく裏を取らない雑な文である。いわば「聞きかじりの伝説」と「覚えている知識だけ」で書いている。それは私的な文ならともかく、こういう場ではやってはならない。ほんのすこし、何冊かの志ん生、馬生に関する本を読むだけで気づくことなのだ。



 ウイキペディアは便利だが間違いが多い。私の得意なプロレスで言うと、昭和三十年代、四十年代に関してとんでもない間違いが多く見受けられる。
 推測するに、時代を知らない若い人が書いているようだ。たとえばミルマスカラスブームを知らない人が、マスカラスや仕掛け人のゴング(=竹内宏介さん)のことを知ったかぶりで書くから、こっけいな間違いが連発することになる。

 それはいわば、「日本はずっと社会党が政権を取ってきたが、野党の自民党もがんばって政権についたことがある」というぐらいのとんでもない間違いなのだが、たかがプロレスの昔のことなどどうでもいいからか、誰も手を出さずほったらかしにされている。おそらくそのことに関して間違いを指摘でき、腹を立てる人は日本に百人ぐらいしかいず、その人たちのほとんどはインターネットなどやっていないのだろう。またそのうちの何人かはネットをやっていても、Wikipediaのその項目は知らないと思われる。たまたま百人のうちのひとりである私が、ふと疑問に思って検索してみて、運悪く見かけてしまったことになる。知らない方がよかったか。

 ここで肝腎なのは、「時代を知っているプロレス知識に関しては、一笑に付すような間違いが多い」と気づくが、「知らない分野では、識者からすると苦笑するような間違い知識を事実と思いこんで覚えて行く」ということである。恐いことだ。寒気がする。
 私が、「おいおい、そりゃ逆だよ」「ひどいまちがいだなあ」と思うことも、知らない人は、特に若い人は、砂地に水の感覚で、知識として吸収してゆくのだ。怖いことである。そしてまた私も、知らない分野に関しては、一片の疑いを抱くこともなく、「ネットって便利だなあ」と感謝しつつ同じ事をしてゆく。
 まことにネット世界のいいかげんな知識流布は怖い。

 しかしネット世界の優れている点は、それを修正できることだ。前記のまちがっている箇所も、私が「書き直したい。ライターとして参加したい」と名乗り出れば、書き直せるのである。それを「希望」と解釈すべきなのだろう。

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 恥話。恥を正直に書いておく。
 過日、競馬の仕事で、手元の資料を調べることに手抜きをし、ネット世界で得られる知識を利用させてもらった。すると間違いが連発し赤面する事態が連続した。さいわい注文先が本家のJRAだったから、編輯者があちらの本物の資料と照らし合わせ細かく修正してくれ事なきを得たが。

 手抜きとは、勝ち馬のタイムや、1着と2着の着差をJRA発行の正規の記録と対照することなくネット情報を写したことである。すると優勝タイムの間違いや、1馬身半と書いたものが実は2馬身3/4だったというようなミスが連続した。位置取りも「道中4番手で進み」と書いたものが、実は「中団からあと、10番手ぐらいで進み」が正しかったりした。恥ずかしい話である。当時のレースヴィデオは全部持っているが、位置取りの一行のために探しだして見るのが面倒と物書きにあるまじき手抜きをしたらこのざまである。赤面。猛省。

 この話、皮肉な落ちがつく。私の書いたその原稿はネットに掲載されるのである。しかも、「私が引用して間違った会社」がスポンサであり、その会社のサイトに掲載されるのだ。
 前記の「ウイキペディアWikipedia」に例えるなら、ウイキペディアWikipediaから引用して恥を掻いた文が、正しく修正されてウイキペディアWikipediaに載るようなものである。
 今後、私の文が掲載されたサイトから、次に引用する人は、今度は私の書いた正しく直った数字を引くことになる。その人はまちがったと恥を掻くことはない。すなわちこれネットの自浄作用であろう。
 
 そう考えてみると、ウイキペディアWikipediaの未来は洋々としたものに思えてくる。
 そのために必要なのは、利用者ひとりひとりがものぐさにならないことだ。
 かくいう私は、この落語の件に関して口を挟むべきなのだろうか。悩む。
 プロレスに関しては、大好きな竹内さんが誤解されているのは不快なので、思い切って口を挟もうかと思っているのだが……。

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インターネット世界の悪意

 ネット世界は怖い。数年前、いたずら心で自分の名を検索してみた。するとあまりにひどい書き込み(もちろん2ちゃんねる)をいくつか見つけ慄然とした。大げさじゃなく吐き気をもよおした。
 そこにはいくつかの砕片からまったく逆の結果を捏造した悪意の文があった。たとえば私が面倒を見てあげ、今も感謝されている人に、私がひどいことをして、今も憎まれている、というようなことを見知らぬ人間が知ったかぶりで書いているのである。いったいどういう人間が、なにをどうねじくると、正反対のこんなことが書けるのだろうと、人の奥底に潜むどす黒い悪意を直視したようで悪寒を覚えた。それは、現実にその人に質問すれば、その人は今も私に対する感謝の言葉を口にしているのだから、まったくなんの問題もない。それ以前に書いていることが噴飯ものの間違いだらけだ。相手をするほどのものではない。しかしそういう真実よりも、私にはまったく逆の捏造が一人歩きするというネット社会の現実の方が怖かった。たしかに2ちゃんねるは「便所の落書き」である。

 「私」「ある人」「世話」「面倒」「感謝」、それらを悪意あるその人が並べ替えると、「私」「ある人」「屈辱」「憎悪」のようになる。聞きかじりうろ覚えの捏造であるから、話を構成する100のピースのほとんどはまちがいである。時間的にも10年前と去年をくっつけたりしてむちゃくちゃなのだが、100のピースのうち、「私」「ある人」「出来事」のように三つぐらいは事実だから、全体になんとなくもしかしたらほんとかも知れないぐらいの雰囲気が漂っている。そうして私の文を何度か読んだことがあり名前ぐらいは知っている人に、私に関する知識として蓄えられてゆく。これが怖い。私をよく知っている人は一笑に付すだろうし、知らない人はなんの興味もない。ここは安心である。だが私を知っている大多数とは前記した「私の文を何度か読んだことがあり名前ぐらいは知っている」人であろう。そういう人たちに正反対の誤解が植えつけられてゆく。まことに怖い世界である。
 それ以後、自分の名で検索するなどという愚かなことは二度としていない。触らぬ神に祟りなしである。それでも今もあの悪意に満ちた間違いだらけの文が見知らぬネット世界で一人歩きし、増幅しているのかと思うとたまらない気持ちになる。

 おそろしいと思うのは、そこにある「悪意」である。私となんらかの接触があり、個人的な恨みでもあるのならまだわかる。そうではない。そういう人が書き込んだならこちらもわかる。その場合、さすがに100の細片のうち本当の割合がもっと増える。
 そうではない。なんの関係もない人が他者を貶めるという愉快犯だけでやっているのである。それが人間の本質なのだろう。そうとしか思えない。

 人の本性とはなんなのだろう。幼子が、野に咲く花や夕焼けの美しさを見て感動するのも本性、同時にそばにいた虫等の生き物を意味もなく踏みつぶそうとするのも本性である。インターネットというのは、対象を絞って「2ちゃんねるに代表される匿名掲示板」とは、人の心の底にある悪意を「匿名」という隠れ蓑で増幅する麻薬なのだろう。

 ただしそれは触れなければ平気だ。しかしそれでもその見えない世界にそういうものが存在するという「2ちゃんねる的悪意」は気味が悪い。何が怖いと言って、その人と私に接点がないのが異常である。見知らぬ他者に対する見えない悪意なのだ。

 無名人の私には、そうしてネットに書かれた見当違いの悪意に対して対処の方法がない。ひたすらじっとうずくまり、それが風化してゆくのを待つだけである。なにしろまったく事実無根のことを、見知らぬ匿名の人間にやられているのだから手のだしようがない。あるとしたら例の「削除依頼」ぐらいだろう。しかしそれをやったら「火に油」である。なにしろそういう悪意の発露を楽しむという根拠のない遊びなのだから。こんなものを見ると、とてもじゃないが性善説など信じられない。

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 それと比すとウイキペディアWikipediaの間違いは誰もが意見を言い直せるのだから、やはりこれは希望的だ。
 それは無名人の世界ではなく、百科事典に載るぐらいの有名人の話だからだろう。
 前記の馬生の話も、書いた人は半可通だ。ほんとの馬生ファンならあんなことは書かない。すぐに気づく。そういう本物はまだウイキペディアWikipediaに関わっていない。見ていない。落語ファンにはネット好きも多いようだから、しばし待てば修正されるかも知れない。時による「洗練」を待つべきなのだろう。

 プロレスに関しては、これは「卒業するもの」と昔から言われるように、圧倒的に若者が多い。そしてみな去ってゆく。竹内さんに関する記述の間違いに気づくほどファン歴が長く、しかもウイキペディアWikipediaを利用している今風(?)の人として私は珍品なのだろう。ここは出しゃばるべきなのか。
 この項に関しては、きっとまた附記する気がする。
4/16


 ブログは不便だ!?──ブログのみの文章をコピー

 ブログがいかに便利なものであるかを享受し、楽しんでいるのは、自分のサイト作成をブログから始めた「ブログ世代」だけであるように思う。ブログ世代とはすなわち「常時接続ADSL世代」とも言える。


 私のようにホームページ作成ソフトを使って文章や画像を交えたファイルを作り、それを一括してUPすることに馴れてきた身には、ブログの画像UP方法や文と絡ませるやりかたはかなり面倒に思える。
 これはブログ最高という世代でも、ひとつのホームページ作成ソフトになれたなら、こっちのほうが楽しいと言うものと確信している。自由度が違う。
たとえるなら、キイボードを使ってタッチタイピングに馴れたものがケイタイでメイルを打つのを苦手にするのと似ている。しかしメイルとはケイタイという世代には、何を言っているのだろうとなるだろう。

 私の場合、ブログを始めたのは、「やってみたかったから」に過ぎない。ブログの価値は不特定多数とのやりとりにあるだろう。私は最初からその最大の特典を拒んでいるのだから意味がない。ホームページがないのならともかく、五年以上やっていて文章を書きためたそれがあるのだから、これもまた無意味となる。

 しかし外国に行った場合を想定すると、自分のパソコンがなくても、もちろん使い慣れたホームページ作成ソフトなんてものがなくても、ネットカフェからUPできるのだから、その便利さは格別だ。いまのところそんな予定もないのだが、そんなことを考えつつ続けたりしている。さてどうするべきなのか。

 思えばこの文章はまったくのブログ専用文だが、こんなことをしたのはこれが初めてである。今まで私のブログはホームページの補助的な存在だった。読者はみな、ホームページから来ていた。しかしそこに目新しいものはない。失望させたことと思う。逆に偶然ブログを知り、ホームページに来てくれたという人はひとりもいない。存在意義に悩む。

 かといってこんなことを書いていてもしょうがないしねェ……。
さてさてどうしよう。昨年の7月から始めたから、いつの間にか8ヶ月経っている。早いものである。


4/24

 意外なところから困った問題


 自分なりに学び、そうしようと思った言葉は、置き換えることにしている。たとえば「言い方」と書いていたものを、「方」の字は「方向」や「方角」の「ほう」の読みだけに使うことにして、それまで「言い方」「やり方」と書いていたものを、「言いかた」「やりかた」と表記することにする。ホームページ内のそれを置き換える。
 コンピュータであるからGrepソフトを使えば、何百カ所でも何千カ所でも一瞬にして置換してくれる。今までいくつかの言葉をそういう手法で置き換えてきた。ところが今回予想もしなかったことを経験することになった。

 私のホームページであるから文章はすべて私が書いたものである。どのように置き換えても私の責任だから気楽だ。
 ところが昨秋から「バンコク留学生」なるものに関わったものだから、「2ちゃんねる過去スレ集」「K2論破集」、K1の書いた「タイ沈没ウンヌン」の参考資料等、多量の他者の文章をこのホームページに収めることになってしまった。

 そのことで何が起きるかというと、上記「やり方」を「やりかた」に置換する場合、それらまで一気に置換してしまうということである。他者の文章だからと別扱いにすることが難しいのだ。2ちゃんねるの多くの投稿は、ほとんど全部「言い方」「やり方」である。世の中のふつうがそうなのだから当然であろう。それを私流にかってに「言いかた」「やりかた」に変換することは望まない。

 が、ここで問題が発生する。私の利用しているGrepソフトは、一括置換に例外を認めないのだ。ホームページ内の文章全部を一気にやってしまう。あるいはひとつひとつのファイルでやるかだ。
 假に500のファイルに3000個の「やり方」があり、それを「やりかた」に置換するとする。そのうち450が私の書いたファイル、残り50ファイルが過去スレとかK2論破集、あるいは主に私の書いたものだが他者の引用文が混在しているものである。これの置換方法が、ひとつひとつのファイルでやって行くか、500ファイル一気にやるかの二者択一しかないのである。
 いくつかのGrepソフトをDownloadして試したがやはり機能は同じようなものである。ひとつひとつのファイルを開いて置換してゆくか全部一気にやるかだ。ひとつひとつのファイルと言っても、ひとつのファイルに何カ所もあったりするから、そう簡単ではない。それをするだけの時間も根気もない。なにしろ一気に出来るのが魅力だからやるのだ。かといって500全部を一気にやり、他者の書いたえ0ファイルも自分流に直してしらんふりも出来ない。どっちも問題ありだ。さあどうする。

 たとえば上記、私は「仮」という略字を使わないので「假」にしている。これなんかも一発置換でやってきた。同じようなことで今も替えたい漢字があるのだが、出来ない。多くの他者の書いた文章を抱え込んでしまったからだ。まさかこんな問題が生じるとは想定していなかった。

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 ない智慧絞って考えた。
 まず過去スレやK2文の他人の文章のある50ファイルを別フォルダを作って避難させる。このファイルはこの時点でそれぞれの人が書き込んだ「言い方」「やり方」のままである。
 次にそれらを含めたホームページフォルダにある500ファイルを一気に「言いかた」「やりかた」に変換置換する。ここでは他者の書いた文も置換されてしまう。
 それから避難させておいた50ファイルを上書きでホームページフォルダにもどす。するとその50ファイルは元の「言い方」「やり方」のままとなる。この方法にした。
 なんとも面倒なことだが、他者の書いた文を自分流の漢字使いにすることはやめたかったのでしかたない。たいそうわずらわしかった。

 私はプロバイダーをふたつ使っているので、最初にこの「K1スペシャル」というのを作るとき、そちらに獨立させ別個のコーナーにしようかと思った。それ以外にも広告入りではあるが今の時代、無料スペースもいくらでもある。しかしなんとなくそれは継子いじめのようであり、本気度が伝わらないような気がして、本来のホームページに収めた。
 しかしいまこういう言葉遣いの問題が出てくると、やはり別にしておけばよかったかとすこしばかり悔いが生じている。


『お言葉ですが…』──「ほう」と「かた」


5/15
○ほどよい不調×

(『作業日誌』より)


●5/9
 ほどよい不調?
 デスクトップパソコンのADSLの調子が悪い。接続してすぐはまともなのだが、すこし立つとダイヤルアップみたいな速さになる。2k/sではブラウザも見られない。実質的に繋がっていないのと同じだ。
 ということから、アップしたり調べものをしたりするときは、一度接続を切って(=無効状態にして)、また繋ぎ直す。そこから3分ぐらいはまともなADSLだ。3分後にはまた使い物にならない状態になる。

 そのことが不快で不快でたまらなかったのだが、しばらく経つと閉じこめられた穴蔵で居直る大山椒魚みたいに、これはこれでいいのではないかと思えてきた。
 インターネット中毒がいかに醜いものであるかは誰かさんを見てよくわかった。ああなってはならない。なのにいつしかADSLを日常としている自分がいる。いや、いた。

 いま私は接続不調からそれが出来ない。しかし一度無効にして、もういちど有効にしたとき3分間だけは使える。それはADSLらしい速さである。
 これは、「ADSL速度のダイヤル回線をもっているようなもの」と言える。

 友人のTさんが常時接続インターネットから撤退したのに影響を受けて、私も距離を置こうと思っていたのだが、今の状態は自然にそれになっている。あえてダイヤル接続にもどさなくても、自然にそんな状態なのだ。(考えようによっては充分にトホホである。)
 そんなわけで、常時接続なのに仕事を怠けてネットサーフィンをしたりは出来ない。不便で不愉快でなんのためのADSLだと腹を立てているのだが、結果的には怠惰になりがちな心を律してくれている。常時接続だとすぐにスポーツ紙を読みに行ったりするからちょうどいい。感謝すべきなのか?

 これでいいのだろう。

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 のように書くと結果オーライの随筆になるが現実はもっと深刻だ。無効にして、有効にしたとき、まともに使えるとは限らないのである。問題はここだ。送信、受信、まったく数字が動かないことも多い。4回も5回も無効有効を繰り返して、やっと動き始めたりする。動き出したら、「いまだ!」と急いでアップする自分がなさけない。なんのための常時接続だ。
 上記のように、切り替えたとき確実に3分間動いてくれるなら、ほんとにもうそれでいいのだが。

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5/10
 相変わらずADSLの調子が悪くgooの相撲サイトから安馬の経歴をもらってくるのに苦労した。
 好きな安馬のことを熱く語る。安馬は3連敗。千代大海は3連勝だがひとことも触れず。これがファン気質(笑)。

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5/12
 相変わらずくだらん苦労。
 夕方、らいぶさんから「チェンマイ便り 第三便」が届く。
 ノートで受けたので、それの原文をファイルに写し、アップする。文章と写真、まだ整形もしていない原型だ。
 夜、デスクトップで、サイトからそれをDownloadし、整形しようと思う。れいによって絶不調。Downloadできない。こんなことなら最初からフラッシュメモリを使ってコピーすればよかった。
 ADSL絶不調である。しかしノートはまともに受信することがわかっているので、こちらの問題なのだろう。怒るに怒れん。

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5/13
「チェンマイ便り 最終便」
相撲──把瑠都、吊る!」
政治──福田人気、急上昇?
文芸──「永田町無頼伝」

 またも、というかいつものよう、ADSLの調子が悪く、たかがこの程度のアップに悪戦苦闘。

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5/17

 とうとうADSLが動かなくなってしまった。べつにインターネットなどなくてもかまわないが、急ぎのメイルが入っているかも知れないので、何人かにはこちらから電話してみよう。

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 と、とうとう「ほどよい不調」どころではなくなったしまった。最悪である。さてどうするか。
6/14
○メイルの満足、時折不安×

 高島俊男さんが「まるで手紙を書くために生きているようだ」と嘆かれていたことがあった。
 もともとご自身が手紙好きであるうえに、読者からの問い合わせにも叮嚀な返事を書く。ましてそれは旧かな遣いの(これはあんまり関係ないか)手書きだから(これはおおきい)、数通書くだけで半日が潰れてしまう。あれこれいくつかの日常仕事を片づけたらすぐに夜。翌日も同じような繰り返し。まるで手紙を書くことが仕事のよう……と。

 そう思う感覚がよくわかる。自分にもそんな時期があった。長文の手紙を書きあげることには達成感があるのだが、どうにも「こんなに時間を食ってしまった。これでいいのか」という悔いがついて回るのがよくない。
 もっとも今の高島先生は目が悪く、大好きな本も友人にテープに吹き込んでもらって聴いているらしいから、手紙に忙殺されることとは縁遠くなったろう。

 高島さんは手紙の数にも触れ、ある書評家が某文豪に関して「生涯二千通もの手紙を書いた」と驚きの「も」を入れて記したことに対し、「それは確認されているものの数。実際は一万通以上だろう」と言い、中世の文豪のやはり万を超す例を挙げ、手紙を書かない電話世代の自分を基準にして過去を語ってはいけないと諭していた。なぜそんなに手紙を書いたかというと、当時はそれが「最速の通信手段」であったからだとか。最速はいつでもかっこいいのだ。今のケイタイメイル流行りと基本は同じだ。

 手紙が最新の通信手段、かっこいいもの、であるのだから、当然の如く「書簡による小説」が誕生する。
 近年の日本作品では宮本輝がそれをやっていた。(いや不勉強な私はそれしか読んでないと言った方が正確。お恥ずかしい。)
 やりたくなる気持ちもわかる。物書きとしてやってみたくなる。しかし宮本の作品を読んだら、とてもおもしろかったけれど、やはり無理があると感じた。普通の男と女がとんでもなく長文の文芸的手紙をやりとりしている(笑)。おまえらなんでこんな長文の手紙書くの? なんでこんなに文章がうまいの? と思ってしまう(笑)。いくらなんでもこれは不自然だ。やはり手紙は推理小説のトリックとか証拠程度にすべきなのだろう。

 高島先生は今まで自分が書いた手紙は二万通としていた。
 某文豪は漱石だったと思うが、この辺のことや数字はまた読み直したときに修正しよう。先を急ぐ。

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 私も今、毎日闕かさず20通以上のメイルを書くメイルバブル?のさなかにいる。
 と書くと、「なにいってんのよ、あたしなんか毎日100通以上書いてるよ」と、その辺のオネーチャンに反論されそうだが、いやそんなネーチャンはこんなとこ読んでないから反論はされないけど、そういう人の書くケイタイでのメイルと私の書いているのは違うので……。

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 ネット世界の拡がりと奥の深さは誠に感に堪えない。次々と連鎖して行き、博識の専門家との交友が増える。交友とはいえ一度も会っていないのだから、むかしふうに言うなら「ペンパル」だ(笑)。不思議な気がする。今風の「メル友」ではないように思う。「文通仲間」である。ありがたい時代になった。便利すぎて怖くもあるが。

 貴重な知己を得て、毎朝起き出すやいなや多方面の友人に返事を書くことは、しわの少なくなった脳を刺激して、気持ちの良い汗を流した気分にさせてくれる。
 いま一日メイル書きに何時間費やしているだろう。なにしろ貴顕碩学の大兄相手であるから、常に真剣勝負であり、終った後はくたくたになる。60分フルタイムドロー。死にものぐるいでやっと引き分けに持ち込めたか、という感じ。

 そのくたくたを癒すために、気の置けない仲間にメイルを書く。メイル疲れを癒すのもメイル書き。
 気がゆるむのか、ここでミスが出る。先日もNさんに「二十歳の頃のぼくは、挑発でアサヒシンブンを読んでいた」と書いてしまった。送った後に気づいたが訂正のメイルを送るのも恥ずかしい。もちろん挑発は長い髪。
 若い人の文を審査する高島さんがこういう誤字に激しく憤っていたのを思い出し、なんともたまらん気持ちになる。ワープロを使わない高島さんからしたらこんなミスは絶対に許せない。手書きなら絶対にあり得ない誤字になる。もっとも今回の私の誤字は妙に意味が通ってしまうからよけいにたちがわるい(笑)。アサヒを長髪する気など毛頭ない。って漢字遊びか(笑)。

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 真剣勝負のメイルを書き、ぐったりし、心地よい疲労感で求刑する。これ笑えるな。おれは裁判官か。疲労感で求刑したらいかんな。休憩ね。
 しかしこのごろ不安になることがある。
 というのは、真剣勝負メイルをやりとりしている皆さんは、みな堅気の仕事を持っているのだ。堅気の仕事ってのもあれだけど。
 彼らは(残念ながら彼女はいない)みな、私とのメイルのやりとりを「本業をおえたあとのリラックスタイム」としている。朝方のメイルには「さあ、これから仕事です」と、夜のメイルには「明日は重要な会議があるので今夜はこの辺で」とあったりする。社会の第一線で活躍するかたがたの息抜きの趣味メイルなのだ。だが私の方は彼らとのメイルのやりとりに全力投球状態である。私にはメイルを書き終えた後の「さて、仕事」も「明日の重要会議」もない。全身全霊を尽くしたその応答が「本業」になりつつある。しかしそれでは無収入の本業になってしまう。

 こうなってしまう理窟は簡単だ。私には二十人もの貴顕碩学と日々長文のメイルを餘裕でやりとりするだけの能力も知性もないのである。1対20だ。本来はどなたか碩学のかたに対し、私が20分の1であるべきなのだ。それが何かのまちがいによってこんなことになってしまった。
 見方を変ると、授業料を払わねばならない各分野のオーソリティに、毎日無料で集中授業を受けているようなものだから、これほどの至福はないことになる。拝謝すべきなのだ。謝恩である。だけど……。

 毎日の真剣メイル勝負20本で、精も根も尽き果て、気持ちよくノックアウトされて眠るのはいいが、金になる仕事は一切しなかった……という日も多い。
 楽しい。最高に充実している。これで働く必要のない富豪だったなら、知的な刺激に満ちたこれほどのしあわせな日々はない。しかし現実は日銭を稼がないと生きて行けない貧乏人だ。

 この矛盾をどう解決すべきなのか。
 そう思いつつ、今日もまた勝てるはずのない黒帯にへっぴり腰で食らいついて行く。
11/1
× まとわりつく狂人CNX ×


 先日競馬場でY君と会ったとき、「ホームページのいちばん下にある"狂人に絡まれ"って何ですか」と訊かれた。つい最近私の名から検索してホームページにたどりつき競馬の欄だけ読んでいるらしい。Y君は今、むかしの私を真似て毎日南関東競馬場に通い詰めているという。やめたほうがいい(笑)。
 競馬の欄しか読まないがTopPageは見る。いつしかそこに目が行き気になりだらしい。

 TopPageの最下欄にホームページ履歴としてこうある。灰色地に黒文字で目立たないけれど。

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00年8月よりteacup掲示板でホームページもどき

01年6月より模擬開始 プロヴァイダーはOCN

01年11月11日正規開始 プロヴァイダーはzero

03年夏から04年秋まで狂人に絡まれ会員制

05年4月1日リニューアルオープン

05年7月6日よりYahooに移転

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 こういう赤文字の部分はそれが実話であれ書かない方がいい。書く必要もない。相手は狂人なのだから関わるほどにひどくなる。よいことなどひとつもない。距離をおくのがいちばんだ。それでも私は自分の経験した最悪のネット経験として記録しておくことを選んだ。不快なことは早く忘れた方がいいが忘れないようにすることによって警戒することも出来る。
 そう思って一行だけ記録はしたがそんなことは忘れていた。忘れてしまうことだから敢えて書いておいたという面もある。
 だが奇しくもY君にそのことを言われ、そういう厭なこともあったなと思いつつ帰宅した夜、いつもネット情報を教えてくれるおせっかいKK君がそれに関する情報を送ってくれていた。私はいまほとんどインターネットをやらないのでKK君が送ってくれる情報にも即座に反応しない。なにを聞いても「ああ、そう」程度である。彼もそれでは物足りないのかいつしか縁遠くなっていた。しかし今回の情報はさすがに無視できなかった。なにしろKK君が「こんなの見つけました」とおどろいていた。
 上記の赤字の狂人とはとうのむかしに縁が切れていたと思っていたが彼は今も私に対する攻撃を続行中だったのである。いやはやすさまじい妄念である。あらためて恐怖を感じた。KK君が送ってくれた以下の文がそれになる。



 この文のいくつかの異様な点を指摘してゆきたい。
 まずここに引用された私の文は「らいぶさんのチェンマイ頼り」に書いたものである。cnlib038とあるように「2003年8月」のらいぶさんのチェンマイ頼りだ。引用された文の日附を調べてみたら8月3日だった。
 しかし上記の文が「Yahoo掲示板──チェンマイに行こうよ」というのに掲載された(投稿された)のは「2006/ 2/ 3 9:50」とある。今年の2月なのだ。つまり3年前の文をつい今のことのように投稿している。そして最後にある「木に登った」はつい最近のことであるから時空間を錯綜している。ボケ老人によくある「何十年前と昨日が混在する症状」が出ている。だからこそ狂人なのだがなんとも薄ら寒いものを感じる。
 以下、この文のウソを論証する。以前はひたすらこういうものは無視した。今の私はこういうバカから逃げる気はない。

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類は友を呼ぶか。「気が狂れたように」他者を攻撃して潰そうとする。敵の敵は何でも味方で、ヨイショしてメイル下さいと鍋奉行を気取る。
論理回路が火病の北朝鮮そのもの。冷静な判断能力がない。ケンチャナヨ。
小生もyamaachianは好きくはないが、こんな香具師はな。

須田鷹男を罵倒し、t-Thaiを潰し、流浪人をさらし、・・・
今も2ちゃん危ない板で、ケイイチという小僧を叩き続けている。


これは メッセージ 5068 ktl8233 さんに対する返信です

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 同時期にこんなこともしている。171のようなものを鵜の目鷹の目で探し出し、176のようにレスする。こんなことをやっている暇人はこの世でただひとりだ(笑)。
 これが2月1日。このことから浦野さんに反感を持っている人の場に「そいつと親しいヤツがいますよ」と書き込めば私も憎まれるだろうと書き込んだのが上記のヤフー掲示板。2月3日。そう思いつくまで丸二日かかったようだ。血の巡りが悪いので(笑)。



 見当外れの削除依頼も出している。


7/6


◎ホームページ考①──消費時間と文章能力

 友人に紹介されて読んだブログの主が興味深いことを書いていた。
 彼もいぜんはホームページ作成ソフトを使って自分のサイトを作っていたらしい。今はブログのみである。
 そのことを「ちょうどいい」とし、「もうあれをやるほどの時間はない」と書いていた。

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 これは示唆に富んだ文である。
 ホームページを作り、やがて閉鎖して行くケースは、欲張りすぎて収集がつかなくなってしまう場合が多い。あれやこれやと総合商社のように手を広げて行くのだが、それをぜんぶ運営して行くだけの時間もなければ能力もなかったりして、どれもが中途半端になり、やがて力尽きてしまうのである。

●消費時間
 まず時間だが、ホームページ作りに吸い取られる時間はもうたいへんなものである。一日中家にいて机にかじりついているSOHOである私が言うのだからまちがいない。多分野に手を伸ばしたホームページを忙しいサラリーマンが余暇に更新することによって完璧に進行して行くことは不可能である。何年か前なら「不可能なのではないか」と含みを持たせるところだが、今はもう言い切ってしまう。不可能である。それが出来るのは悠々自適の引退者だけだ。ただの引退者では無理。高い能力を持った働く必要のない時間に餘裕のある引退者である。

 文を書くのが専業で、家に閉じこもっていて、一日中パソコンに向かっているような私のやっているホームページですら、多方面に手を伸ばしたためにあちこちのいくつものテーマが虫食い状態になっている。お恥ずかしい。
 同じ事を勤め人がやるとしたら、それこそ帰宅後の時間、休日、仕事以外のすべてを注ぎ込まなければならないだろう。まるでホームページを更新するために生きているような状態になる。
 そんな人はまずいないだろうが、假にいたとしたら、その人は家族もいなければ恋人も友人もいないということになり、今度は内容が伴わないことになる。とにかく、多岐に渡る項目をもったホームページを、きちんとした仕事をもった人が着実に運営して行くことは不可能である。それは一時の「ホームページ作成ブーム」を経て、ここ何年かの「ブログブーム」によって、結論が出たように思う。

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●書き続ける能力
 時間とともに能力も継続の大きな要素になる。
 たとえば自分の経験した海外旅行の思い出話、海外旅行に関する本の書評のようにテーマを絞ったとする。あとは掲示板。こういう形で始めた人は多い。しかしそれも息切れし、やがて閉鎖して行くことになる。

 そういう人は、たぶん始めるときに、今までの旅の思い出話だけでも書ききれないほどあるし、これからも旅に出てあたらしい体験が加わるのだから、それこそ永遠に書き続けられると思ったろう。そうではない。

 書くことは自分を消耗することである。中身を吐き出すことなのだ。無尽蔵と思っていた旅の想い出も、文章にして吐き出してしまうと思ったほどの量はなく、すぐに書くことがなくなってくる。自転車操業のように旅に出て補充しようと思っても、思うようにはゆかない。十年分の旅の想い出を吐き出してしまったら、あとは空っぽの胃袋だ。いくら吐こうとしても胃液しか出てこない。

 これは、あれほど書きたかった旅に関する文とは、十年分の積み重ねだったからである。十年分まとまって丸い玉っころひとつだったのだ。それを吐き出したらがらんどうである。たとえるなら十年間漬けた梅酒である。どんな梅でもどんな酒でも十年という時間が飲めるモノにしている。それを空けてしまった後、急いで梅を補充し酒を注いでも、以前の味にはならない。そのことを見落としている。
 すこし意味合いは違うが、「娘十八、番茶も出端」だ。たいして器量のよくない娘も十八なら見られる。安物の茶も出端なら飲める。それと同じである。

 もしもこの発想にあるように、経験した旅の想い出をホームページに書くことで「旅文章デビュウ」し、その後も旅に出かけることによって書き続けられるなら、誰もが旅行作家になることが出来る。世の中そんなに甘くない。なぜ沢木耕太郎が「深夜特急」を十年間寝かせたかである。

「自分の人生をテーマにすれば、誰もが一篇の小説が書ける」とはよく言われる。これは逆に解釈すれば「誰もが書ける小説は、一生に一篇だけ」となる。次々と書けるのは選ばれた人だけなのだ。
 旅に関する文章もそうであろう。誰もが一篇は書ける。そのことによっていくらでも書けると勘違いしがちだ。だが一篇だけなのだ。
 多くの旅に関するホームページが息切れするように閉鎖されていったのは自然だった。(続く)



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