チェンマイ日記2k秋





プリンスホテルの室内。
二人用キングサイズベッドできちんとひとり寝しく寝ているのがわかっていただけますね(笑)。










 朝七時。後藤さんからのファクスが届いていた。

「ニフティの推薦ホームページなので、『日記』と『小説 チェンマイのさくら』は削除せず残したい」と書いてある。
 そういえば昨年の九月、「日記」の連載を始めた頃、ニフティのそういう係の人が私の文章を気に入ってくれて、後藤さんのホームページは、アジア関連のニフティ推薦ホームページになったのだった。自薦してもなかなかなれないものらしく、それが向こうから来たと後藤さんは喜んでいた。私も役に立ったようで嬉しかったものだ。


 階下に降りて後藤さんにファクスを送る。「目次からだけでも、すべて削除して欲しい」と再度書いた。本格的にどうするかは帰国してから考えよう。


 今、午前十時。風呂に入りたいが、湯冷めするから入らない方がいいのかな。景洪でも入れるから無理する必要はない。今のところ心配事は、景洪での両替のみだ。人民元が30元しかない。

 チェック・アウトを告げ階下に下りたのは11時だった。ドアの外でメイバーンが声を掛けてくる。ナンの姉さんだった。この姉さんは妹よりもずっと美人だ。そのせいかどうか、しあわせな結婚生活を続けている。
 部屋代を払う。二度で530Bという高すぎるFAX代を、抗議してもしょうがあるまいとそのままに払う。

 タクシーを捕まえようとすると一昨日の運転手が来ていた。トンだ。未だに私をカラオケに連れて行って儲けたいらしくやけに熱心である。
 乗ると何度も何度もメーターを押すのだが反応しない。メーターが壊れているから300Bでいいかというので面倒だからいいことにする。本当に壊れたのかいつもの芸なのかは不明。

 いろいろあったが、自力で「雑記帳」が公開になってしまっているミスを発見したのだし、そのことでプリンターのインク切れにも気づいたのだから、悪いことばかりではない。そう思うことにした。



 トンに300B払って降りる。中国から帰ってきたら必ず連絡をくれ、カラオケに案内するとまだ言っている(笑)。

 航空会社の欄にYUNNANがないと焦ったが、よく調べてみると、CHINA YUNNANとあった。
 カウンターに行く。客はいなかった。チケットをもらう。ゲートナンバーが書いてない。こんなことは初めてだった。不安になり、もどって質問する。係のタイ航空の男が「アイドンノー」と笑いながら言う。なんちゅうこったろう。ほんとにまだ決まっていないらしい。


 後は飛行機に乗り景洪に飛ぶだけである。財布を確かめる。現金が今、八万円、昨日キャッシングしたタイバーツが15000バーツほど。米ドルの小銭が60ドル、中国元が30元、これは景洪空港から街中へのタクシー代として役立つだろう。着いたらすぐ中国銀行に行き一万元(約13万円)をキャッシングして、と財布を見て蒼ざめる。

 ダイナースカードがない。えっ? えっ? そんなことはないよな。おれって、そんなミスをするタイプじゃないもの。カードを落とした事なんてないものな。焦る。何度も調べる。といって調べる場所もそうはない。財布に入れ、肌身離さずウェストバッグに入れていた。財布にないということは落としたのだ。目の前が真っ暗になった。昨日キャッシングしている。昨日の昼まではあった。いつなくしたのだろう。パンティッププラザでカードで買おうとした。でも現金で買った。あの時はあった。ならいつだろう。
 そんな失敗をしたことがなかったからパニック状態である。何度も確かめたがないものはない。落としたのだろう。盗まれるような機会はなかった。しかし、いつ、どこで。


 プリンスホテルに電話をして、部屋を探してもらう。ないという。
 失くしたのだ、今回はもうカードは使えないのだと覚悟を決めて、日本の姉に電話をする。これは勇気が要った。使用中止にしたら後でどこかから出てきてももう使えないのだ。私の旅行はクレジットカードなしではありえない。かといってほっておくわけにも行かない。出発までもう一時間を切っている。

 日本の姉には非常の際の連絡先などを書いたメモを渡してある。こんなせっぱ詰まった状況でダイナースに電話をし、私が国際電話であれこれとやるよりも、日本の姉からやってもらった方が手際がいいだろう。
 日本に電話をする。運良く姉がいてくれた。カード会社に電話してストップしてもらうよう頼む。
 まいった。どうしよう。搭乗時間が迫っている。



 タイではバーツをキャッシングして暮らす。中国では元をキャッシングして暮らす。いつもそうしてきた。財布にある日本円はあくまでも非常用であり、帰国するまで手つかずのはずだった。それがカードを落としキャッシングが出来なくなった。手持ちの金を中国での生活費に回せば持ちこたえられる。問題はバンコクにもどってきたときお金がないことだ。

 チェンマイの有山パパに電話をする。昼過ぎだがアパートにいてくれた。事情を告げ、タイにもどってきてから一万バーツほど貸して欲しいと御願いする。お金を借りるのはパパとの付き合いも十年を越えたが初めてだ。パパは快く引き受けてくれた。

 中国での二十日間は、手持ちの八万円と15000バーツを両替して乗り切る。ホテルのランクを落とせばいい。最悪の場合、彼女の実家にこもって過ごせばお金はかからない。

 バンコクにもどってからオランダに二週間ほど行こうと思っていたが、カードがないのではすべて白紙にもどさざるを得ない。今のままではチケットすら買えない。当初の予定通り11月8日に帰国しよう。
 そうなるとタイにもどってから帰国日までは一週間ほどだ。パパから借りた一万バーツで乗り切ろう。お金の目星がついたら急に気が楽になった。それにしても十数枚もカードを持っているときは一度も落とさなかったのに、あれこれと整理して一枚だけにしたら落とすのだから、なんとついていないのだろう。

 インフォメーションに行きゲート番号を聞く。やっと決まったらしく31番だという。行くと、見慣れた雲南航空の小さなジェット機が停まっていた。緑の漢字「中国雲南航空」が懐かしい。


(中国雲南航空機、ただし場所はバンコクではなく西双版納)

 ジャンボ機が居並ぶ世界的ハブ空港のドンムアンで、その小さな機体はすこし心細げに見えた。でも中国人パイロットの操縦技術は世界一巧いと言われている。そう思って安心しよう。

 十二時五十分から始まるはずの搭乗は一時半になっても始まらなかった。客も少ない。待合室にいる間、もう一度お金の計算をする。八万円は何元になる、15000バーツの内、バンコクからチェンマイに飛ぶためのチケット代2000バーツ、その他を含めて5000バーツは残しておかねばならない。いつも予算枠というものを考えず、必要なだけ現地キャッシングで旅行をしてきたので、いきなり予算が、それも乏しい金額と限定されたので不安でいられない。カードの存在とはこんなにも大きなものだったのか。

 そうこうしている内に、ふいに日本から送金してもらえばいいのだと気づく。誰がいいだろう。すぐにアサ芸の坂井さんに甘えようと思いつく。彼に彼女宛に送金してもらえばいい。そうすればチェンマイまで借りに行かなくても済む。そうだそうだ、その手があった。カードを失くすという大失敗はしたけれど、実質的な被害が出ているわけではないのだ。もっと前向きに考えよう。

 初めて彼女に送金したとき、それは郵送だった。するととんでもないことに昆明まで取りに来いと連絡があったという。外国から青森の山奥の人に送金したら、東京赤坂まで取りに来いというようなものだ。ひどい国である。彼女の家から昆明までは二昼夜かかる。費用もたいへんだ。5万円の金を3万円交通費をかけて取りに来いというようなものである。

 それから中国銀行を知る。これは彼女の住む近くの町の中国銀行に日本から送金すると、彼女が身分証明書を掲示してお金を受け取れるというものだった。送信費が6千円ほどかかるが、この方法を知ってぐんと楽になった。問題はより早くするためには、赤坂と、あとなぜか岡山県にあるらしいが、日本に二つしかない中国銀行から送らねばならないことだった。

 出版社に甘えることにしよう。それがいちばんいい。きょうが土曜、明日が日曜か。景洪から月曜の朝一で坂井さんにファクスを送り、送金を頼む。着くまでに一週間。それでなんとかなる。坂井さんなら私の我が儘を聞いてくれるだろう。

 搭乗が始まった。ざっと見て、客は五十人程度か。空いている方が客としては快適だが、あまりすくないと便利なこの便がなくなってしまうからそれも困る。

 タラップを昇る。笑顔を忘れた能面のような中国人スチュワーデスと出会ったら、これからまた大嫌いな中国に行くのだという実感が湧いてきた。




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