チェンマイ日記2k秋






プリンスホテルのデスク。私の仕事場。

 ここから何話分か、「外伝」ではなくリアルタイムで書かれた「本文」を手直しして引用する。「本文」とは、ぼくが私的につけていた日記だ。今回の分だと毎日綴ったものが四百字詰め原稿用紙に換算して400枚程ある。メモ的なものなので文章が雑になることをご容赦願いたい。出来るだけ削ったが生活的な数字が入ってきたりもする。何故そちらに切り替えるかというと、あの時のショックを新たに書くだけの元気がないからだ。それほど〃ぼくには〃衝撃的な出来事だった。




 日本語でインターネットが出来る場所をカトゥーンという愛称の旅行会社の娘に訊いた。すぐ近くだというので行ったがやってない。日本語で出来ると看板を出している店があったので入ってみる。インド人経営の洋服屋だ。間違えたか。出ようとしたらターバンを巻いたシーク教徒が店の前にいた少年に案内しろと指示している。インターネットとゲストハウスはその店の裏側なのだった。経営者はこのインド人のようである。ここで私はとんでもない経験をすることになる。

 検索で「タイ チェンマイ さくら」と入れる。私はURLをメモしていない。いつもこんな方法で後藤さんのホームページを探して繋いで行く。

 すぐに検索結果が出た。上位に「小説 チェンマイのさくら」と出ている。検索エンジンはgooだった。へえと思う。異国で見ると自分の文章がなんとなく懐かしい。カーソルを当てると、内容表示に「ここまで来た人はパスワードはいらないですね」と出ている。おいおい、それは「雑記帳」のメンバーページの前書きだよと思う。イヤな予感がした。

 前々から「チェンマイ雑記帳」のファイルネイムが「小説 チェンマイのさくら」となっていることには気づいていた。直して欲しいと思っていた。(まさか……)と思う。まさか、もしかして……。おそるおそるクリックする。すると、なんと、見事にメンバー用の「雑記帳」が出てきたのだった。目次をクリックすれば全部読める。

 錯乱した。頬が熱くなった。限定メンバーのためだけに書いていたつもりの雑記帳は、後藤さんのファイル設定のミスにより全世界に配信されていたのだ。誰もが自由に読んでいたのだ。あの2ちゃんねるの連中までもがだ。やつらの高笑いが聞こえるような気がした。奴らを嗤っていたつもりだったが、嗤っていたのは奴らだったのだ。一般公開されている「小説 チェンマイのさくら」と「チェンマイ雑記帳」のファイルネイムを同じにしていたために外部から繋がってしまったのだろう。

 後藤さんに連絡せねばと思う。ホテルに帰りファクスを送ろうかと思った。いや目の前にインターネットがあるのだ。まずは震える指でHot mailのサイトを呼び出してみる。メイルアドレスなどメモしていないが、私のHot mailのサイトには先日の後藤さんからのメイルがある。うまく暗証が通じれば返信で送れるはずだ。

 私とhotmailは相性が悪い。正しい暗証を入れても何度もやり直しになることがあり(それはなんらかの入力ミスなのだろうけど)短気な私は投げ出してしまうことが多かった。
 祈るような気持ちで暗証を入れる。一発で通じた。後藤さんにメイルを書く。タイ語キイボードは使いにくく、ひらがな入力では無いキーもあって、まともな文章が書けない。混乱している上に苛立ってくる。
 それでもなんとか、とんでもないことを発見したので、すぐに「雑記帳」の原稿をサーバーから削除して欲しいと要請した。


 部屋に帰り、VAIOで文章を書き改めてファクスせねばと思う。
 タクシーに乗りプリンスホテルを指示する。
 話好きの運転手で、私を遊びに連れて行きバックマージンを得ようと、あれこれと話しかけてくる。頭がパニック状態で頬が燃えるように熱い私はそれどころではない。興味がないと断る。それでもまだ話しかけてくる。名刺まで寄越す。トンという名らしい。しつこい。

 そうこうしている内に、これはもう起きてしまったことなのだから、今更ここで焦りまくるより、むしろ気分転換した方がいいと気づく。バンコク初心者のふりをして(実際その通りだが)、カラオケがどうのマッサーパーラーがどうのという話をして気を紛らわす。
 その内やっと彼が「初心者なのになんでそんなにタイ語が話せるんだ」と気づく。大学でタイ語を専攻していたなどと大嘘をつく。くだらないことを言い合っているうちに、いくらか気が晴れてきた。



 ホテルにもどる。後藤さんへ手紙を書く。プリントアウトしようと思った。メイルでのたどたどしい文章ではなく、まともな日本語で後藤さんに事情を伝えておく必要がある。

 しかしなんてことだ。プリンターが反応しない。プリンター一覧からCANONが消えている。蒼ざめつつ火照っている頭はさらに錯乱する。
 もしも持参したこのプリンターが使えなかったら、また昨年の夏と同じく自筆で文章を書いて送らねばならない。指は痛くなる。下手な字を見て落ち込む。あのカタツムリみたいに遅い中国のファクスにいくら通信料を取られるだろう。
 出発直前まで仕事をし、徹夜のまま荷造りをして飛び出してきた。携行品やら連絡先など、自分なりに何度も確かめミスはないつもりでいたが、慌ただしい出発だとやはりこういうことになる。出発前に試し刷りをすべきだった。

 なんとか冷静になり、もう一度、過日ダウンロードしたばかりのWIN2000用ドライバーをインストール(マイドキュメントにおいてあって助かった)しようと思う。が今度はインストールミスと出てしまう。何度かやってみる。普段はすぐに投げてしまうのだが、今は祈るように同じ作業を繰り返す。

 オーケーが出た。やってみるもんだ。USB接続も上手く行き、CANONのプリンターは獨自のあの操作音を鳴らした。
 希望のランプが小さく灯る。だが今度は字がかすれて印刷されない。インク切れか? 色々やってみるが、それ以外に考えられない。
 まだ十分あると読んでいた。夏に補充した後、最近の仕事はメイルでの原稿送りがほとんどだから使っていない。インクは減っていないはずだ。
 何度も確かめる。字がかすれて読めない。やはりインク切れらしい。そういえばチェンマイの友人に同じ型のプリンターを預けてあり、自由に使っていいと言ってあるが、ある日、彼が使おうとしたらインクが切れていて使えなかったと言っていた。一度も使っていないのにだ。未使用でも何ヶ月かの内にインクは蒸発してしまうのだろうか。携帯用プリンターだから容量の小さなインクカセットであるのはたしかだ。

 だがこのことの解決には自信があった。出発前、手つかずの新品インクカセットをバッグに放り込んできたのだ。こういう場合の予備とばかりバッグから取り出すと、なんとこれがカラー用インクカセットだった。まさかこんな凡ミスをするとは……。これだから睡眠不足は怖い。


 手書きで「メイルは届きましたか、事態は理解できましたか、とりあえず後藤さんのホームページからぼくの文章を全部消してください、至急ホテルまでファクスをください」と書く。

 出発前、中国での最悪の場合を想定し、後藤さんにメイルで原稿を送り、そこから出版社にファクスしてもらうという方法で助けてもらうことがあるかもしれないと御願いしてあったので、財布に後藤さんの名刺を入れてきた。これは今回の失敗だらけの中で唯一まともだったことになる。


 今まで八年間、これといって文句もなかったプリンスホテルだが、こういうことを始めたら、どうしようもないバカホテルなのだと知る。




 まず部屋から国際電話が掛けられない。昨日、出版社に居場所を連絡せねばならなかった。それで日本に掛けようと思ったら国際電話が出来ない。それはまあいい。よくあることだ。オペレーターへの番号を回す。普通はここから繋がる。しかしなんとそこでまた一旦切り、フロア係のニーチャンが紙とペンを持って番号を聞きに来た。それに書き込んで、しばらく待たされる。そうしてやっとベルが鳴る。いったいいつの時代のシステムなんだ。大都会バンコクの真ん真ん中のホテルだろうが。チェンマイの中級ホテルだって今は部屋から直電出来るぞ。

 ファクスは一階のフロントで頼むようだ。送れた。あとは後藤さんからの連絡待ちである。
 しかしファクス一枚280バーツは高すぎる。A4にボールペンで数行書いただけのものだ。レシートには送信時間も50秒と記録されている。昨日の国際電話は150Bだった。一分も話していない。それは一分60バーツを2.5倍ぐらいにしたのだろうと納得するが、いくらなんでもこのFAX代は高すぎないか。たぶん「FAX機器使用量100バーツ」のようなものが上乗せされているのだろう(後にこの推測は正しかったと知る)。

 いつもこのホテルを利用するのは仕事のない時だった。どうやらジョイナーズ・フィーがいらない連れ込み宿という利点を除いたら、ここはとてもまともなホテルとは呼べないのだと今頃になって気づいた。腹を立てていてもしょうがない。パンティッププラザへインクを買いに行こう。



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