プリンターの不具合を知ったのは僥倖だった。カオサンでインターネットをやり「雑記帳」のミスを知る。後藤さんに手紙を書きプリントアウトしてファクスしようと思った。プリンターのインク切れ(たぶん)に気づく。もしも今回のことがなかったら、プリンターのチェックをしないまま中国へ行ってしまったろう。景洪でインク切れと気づいても、CANONのインクカセットは買えない。またあの手書きの苦労と、高いファクス代で、なんのためにプリンターをもってきたか解らなくなったのだ。これは怪我の功名と喜ぶことにしよう。
フロントで場所を問い、〃バンコクの秋葉原〃パンティッププラザに出かける。タクシーで60バーツほどの距離だった。初めての場所だ。行ってよかった。チェンマイのコンピュータプラザなどとは比べものにならない。次に来たときは何時間もここを歩き回ってみたい。
CANONのインクはすぐに見つかった。これはチェンマイのコンピュータプラザでも、いま日本のバブルジェットプリンターが花盛りだから絶対にあると確信していた。最初140バーツのBJ-10カセットを買おうと思ったが、カセットはあるのだからと補充用インク二本入り490Bを買うことにした。しかし中国に行くということを考えれば、この場合はわずかな金を惜しまず両方買うべきだったと思う。後々も役に立つのだし。
「ノートンシステムワークス2001」が出ていないかと探す。長年愛用しているユーティリティ・ソフトだが、現在のものはWIN2000に対応していない。しかしなあ「ノートンシステムワークス2000」というタイトルなのだから誰だってWIN2000に対応していると思うだろう。これは単に2000年に発売されたという意味らしい。
WIN2000対応2001の日本での発売日は、たしか10月14日とパソコン雑誌に載っていた。きょうは10月12日だ。何軒か探す。ない。まだ早すぎるかと思ったら、次の店で、さすがにタイ、しっかりともう違法コピーが売られていた。英語版だが、もしもうまく動いてくれるなら、秋葉原で12800円の品がたったの150B(450円)なのだ。
私も一応クリエイターであり、日本著作権協会の会員でもあるから、違法コピー製品には関わらないで来た。でもそれは美しい表向きの理由である。実態はこの種のものには英語版が多く、英語嫌いの私には魅力がなかったからだ。ファトショップを始めとする高額ソフトがいくら500円でも、英語版というだけで欲しくなくなる。でも日本で5万円もするソフトが、日本語版500円で売っていたら、元々がソフトオタクなのだから、その誘惑にはあらがいきれないように思う。
この「英語版ノートンシステムワークス2001」を買うのにも多少の罪悪感はあったが、ほんとにもうノートンさんの製品はPC98時代から愛用していていっぱいお金を払っているから、これはバージョンアップの値段だと思いこむことにして買い求める。
しかしこれ、今部屋で見たらシリアルナンバーがないんだよなあ。だいじょうぶだろうか。タイで買ったいくつかの違法コピーソフトでは、シリアルナンバーがなくてインストール出来ないということを何度か経験している。まあいずれにせよ、この商品は日本で発売されたら正規品を購入することになるから450円の遊びだと思えばなんてことはない。
ということで、今は午後九時十五分。食事に行こう。いつもの屋台に、冷藏庫に入れておいた昨日買ったカンのビアチャンを持って出かける。カオパット・ガイ・サイ・カイダーオ(目玉焼き附き鶏肉炒飯)にバーミーナーム(ラーメン)を二杯。75B。美味い。プリンスに泊まるときは必ずここに来る。セブンイレブンで缶コーヒーを二つ買って帰る。24B。
さて、明日の予定だ。
1.AIのオフィスでウェイティングリストの確認。
2.朝八時過ぎに出て中国大使館へ。たぶん1900B。
3.シーロム通りに行き、ダイナースでキャッシング。
4.カオサンに行きチケットを受け取る。残金4800Bを払う。
持参した『DOS/V SPECIAL 自作PC特集』を読みながら寝る。
七時に起き出す。ドアの下に後藤さんからのファクスがすべりこませてあった。プリンスもこれぐらいのサービスは出来るらしい(笑)。
送信時刻は今朝の六時になっている。「連絡をもらって驚きました。でも『小説 チェンマイのさくら』は一般公開されていますよ。本当に『雑記帳』が読めたのですか。すこし混乱しているので、時間をおき、明日削除したいと思います」と書いてあった。
後藤さんは、私が『小説 チェンマイのさくら』を一般公開しているのを知らず、そのことで驚いたのではないかと思っているようだ。そうではない。メンバー用に書いていた『雑記帳』が、『小説 チェンマイのさくら』とファイルネイムが同じだったため、読めてしまっているのである。検索エンジンからたどってみれば解る。そうすれば後藤さんも事態の重大さに気づくだろう。
「全部削除してください」と改めて書く。「今回のことをきっかけとして、ネットに関して冷静に見つめ直したいと思います。とりあえず私の旅行期間の間だけでも、後藤さんのホームページから完全にka**zoの名を消してください」と。
後藤さんは「雑記帳」がメンバー以外にも読めるようになっていたことをそれほどの重大事とは思っていないようだ。私は違う。とんでもないことだった。でもそれは私だけの問題でもある。
後藤さんから、訪問者に刺激を与えるため『ししまる君への返答』を公開したいのだがという要請も来ていた。私もある程度の時間が経てば公開してもかまわないと思っていた。その場合、いくつかの項目は削除する。公開するものも細かに手直しせねばならなかった。そういう削除や手直しに対するこだわりは、私だけのものであり、外部的にはどこをどう直したかさえ気づかない程度のものだ。
私は今まで実話を書いて商売をしたことがない。本業としてだ。物書きとして、かなりピュアなフィクションライターになる。それはインターネットという世界でも基本線として変っていない。
「日記」に関して、「実在の人を特定して非難している」のような批判があったが、そんな人は実在していない。実在しない人だから非難できるのであり、非難ということをやるために、それ用の人物を作り出して遊んでいるのだ。虚構世界の構築ほどおもしろいものはない。私の文章は現実の体験を綴った旅行記とは違う。
「小説 チェンマイのさくら」の回遊魚という項に関して、「ぼくもその人にはあったことがあります」なんてメイルをいっぱいもらった。そんな人はいない。文体はノンフィクションの形式を取っているが内容は嘘話である。だから小説形式でもないのにあえて小説とタイトルに断り書きを入れた。素人衆はその辺が解らない。困ったものである。
もっとも嘘話とは、本当のような嘘を創ることであり、嘘は時に本物よりも本物っぽくなる。嘘を本当と勘違いしてくれる人がいることは嘘つきとしては一番嬉しいことでもある。
私の創作姿勢を女性の化粧に喩えるなら「スッピンで外出したことは一度もない」に通じる。ところが今回の場合、ごく限定されたメンバーしか読んでいないという安心感があったからか、私は「雑記帳」の中で何度か素顔をさらしてしまった。そのことが私の頬を熱くさせ錯乱状態にまでさせた。
後藤さんにはそのことが解らない。それは後藤さんが、インターネットという百鬼夜行の世界でも、堂々と実名でホームページを運営してしまうほど実話の世界を生きる人だからだ。あまりに堂々としているものだから、後藤茂というのは假名に違いないと信じ込んでいる奴がいたりする(笑)。
対して私は嘘だらけの虚構人間である。「雑記帳」が知らない間に公開されていて、私は身もだえするほどの羞恥と悔いと憤りを感じたのだが、それは虚構人間がちらりと見せてしまった素顔に対する羞恥という極めて私的なもので、いつもスッピンの人には理解できない感覚だろう。ともあれ私はインターネットの世界からしばらく身を隠したいと感じていた。
また連載するかどうかは日本に帰ってから考えよう。今はネットのことを忘れたかった。この頬のほてりが治まるまでは。
|