云南移住計画

テレビ恋しやホーヤレホ
 私はほとんどテレビを見ない。外国に出ているときも、丸二ヶ月まったく見なくてもぜんぜん平気だ。タイや中国にいてもテレビを見ない。欧米に通っている頃は、「ことばを覚えるのはテレビがいちばん」と言われているので意識的にあちらの番組を見るようにした。いまじゃあちらでも見なくなった。だから中国に移住してもテレビに関してはだいじょうぶだ。と思おうとしたのだが……。

         

     Thai

 問題は「ほとんど見ていない」の「ほとんど」にある。見ていないわけではない。見ているのだ。高島俊男さんのように部屋からテレビを追い出してしまったのではない。真ん真ん中にある。29インチフラット画面のSONY-VEGA。こんなものを置いておくだけで「かなり好きなんじゃないの?」と問われたら赤面してうなづくしかない。しかも、たしかにNHKの朝の連ドラや大河ドラマ、民放の高視聴率連ドラマのような話題のものは一切見ていず知識もなく、一見世捨て人のようだが、その実は「時計代わりにテレビをつける田舎の老人」そのものの生活をしているのである。

 まずは朝、テレビをつける。六時の時もあれば八時の時もある。ワイドショーだ。政治や北朝鮮の話題だったら見る。殺人事件や芸能話題だったら消してパソコンに向かう。
 午後は日テレのザ・ワイドを同じような感じでつける。朝と同じく政治的な話題だったら見る。違ったら消す。昼にテレ朝のワイドショーがあるがあれは精神衛生上非常に悪いので見ない。

 ここで問題なのは、小泉政権になってから、主婦向けのワイドショーでも政治的な話題が視聴率を取れると判断され、朝も午後も、かなり硬派の話題をいまはやることなのである。硬派とは言えまいが、あの北朝鮮のテレビ番組を見せるものなど、ついつい見てしまう。
 小泉政権を「ワイドショー内閣」と言ったのは、その寄せ集め具合を揶揄した蔑視の表現だが、テレビのワイドショーの底上げをしたのはたしかである。主婦だってだれもが芸能人のくっついた別れた話だけが好きなわけではあるまい。主婦に政治に興味をもたせた意味で小泉政権の価値は大きい。ワイドショーをこんな形で見るようになったのは、私の場合は小泉政権以降である。

 夜はおもしろそうなヴァラエティがあったらヴィデオに録っておく。時間が出来た夜更けに三日分ぐらいまとめて見る。めったに当たりものはない。だから三時間の特番でも三十分で見られるからこの方法は効率がいい。
 零時前後の日テレやフジのニュースを見る。これも興味のない話題だったらさっさと消す。

 どうも私は殺人事件のようなものに興味がないらしい。世間を震撼させている連続殺人事件の詳報等つまらなくてすぐに消してしまう。「チェンマイ日記」にも書いたが、私が民主党党首選に興味津々の時、誰もそれには興味を示さず、みんなが盛り上がっていたのは「毒入りカレー事件のハヤシマスミ」なのだった。世の中そういうものであるらしい。
 深夜。ひといきついたときも手慰みにいつしかテレビのリモコンを握っている。午前二時ぐらいから始まる深夜映画をたま〜に夢中になってみてしまうときがある。

 私の中には、月曜九時からの話題のドラマを楽しみにするOLを軽視する気持ちがあった。くだらないテレビなんてえものを、おれはぜんぜん見てないぞ、おまえらとは違うぞ、と思いこんでいた。しかしながら在宅仕事の私は、スイッチの点け消しの回数はもちろん、短い時間であれ足していったなら、9 to 5で働き、零時にはもう寝る人より、よほど多くの時間、テレビを見ているのではないか。どうもすみません。いやはや頭が痛くなってきた。





 China



 とはいえ丸二ヶ月外国に出ていても日本のテレビを見たいとはいちども思わないのである。その辺の切り替えは出来る。現にいままでやってきた。毎日そんな感じでテレビを見ていても、飛行機に乗り異国に着いたら、まったく違う生活になじんできた。日本のテレビを恋しいとおもったことなどいちどもない。

 それは事実なのだが、ここには大きな前提がある。「長くても二ヶ月でもどる」という条件だ。どうでもいいようなことだが、実はこれこそが支えなのではないか。さらにいえば、二ヶ月は拘束ではない。その気なら数日で帰国してもなんの問題もないのである。いつでももどれる、そう思えるからこそ平気だったのではないか。

 もしも中国に移住したら、帰国するのは年に一度だろう。ヴィザの関係でどうなるかわからないが、ちょっとした切り替えならチェンマイに出るような気がする。帰国するのは、ヴィザやなんらかの書類関係で帰国が必須のときだけだ。

 私の中国移住とは、親があっちの世界に行ってしまい、日本に未練がなくなったら云南で暮らすというものである。親がいなくなるということは、日本に帰るべき家がなくなることだ。兄が継いだ家に泊まることは可能だろうが肩身の狭い思いをしてまで泊まりたくない。となると、假に帰国したとしても、田舎で墓参りを済ませたらすぐに東京にもどり、秋葉原辺りでパソコン部品の買い物をして、ビジネスホテル泊まりとなるだろう。多量の日本食を買い込み船で送る手続きをしたりするだろうが、それは別項で考察するとして。



 年に一度しか帰国できない環境になったら、私にも日本のテレビ番組はいとしいものになるのだろうか。それともいままでの旅の本格的延長として、一切見なくても平気になり、日本の流行りすたりをまったく知らない、それこそ本物の今浦島となってゆくのだろうか。真剣にそれを假定してみる。

 すくなくとも最長二ヶ月の異国暮らしにおいて、私は今のところ日本的なものが恋しくなったことはない。いちばん切実なのは活字であり、酒であり、肴なのだが、それは限られた時間だから我慢できている。本気で考えるべきテーマはそれらである。だからわざと先送りにしている。どうでもいいことからまずはさっさと結論を出して行こうと、こういうテレビのようなテーマを選んだ。

 私は云南において日本のテレビを見たくなるのだろうか。前提としてインターネットは絶対にやるつもりでいる。それが完備できる状況になるまでは行く気がないし、とんでもない速さで中国は変貌しているから、すぐにそれは可能になるだろう。私の移住先と同じ程度の田舎町であるムンラーでインターネットが出来たように。
 毎日インターネットをやり、日本の新聞、スポーツ紙を読む予定だから、情報に関しては今浦島にはならない。問題は、話題の番組等のニュースを読んだら、見たくてたまらなくなるかどうかだ。


 云南でじかめ日記-インターネットの至福






 外国にいる友人に頻繁にヴィデオテープを送った経験がある。昭和60年から3年間ぐらい続いた。学生時代の後輩のOである。しかしまあ先日会ったときも平然と呼び捨てにしていたけど、考えてみると彼って白髪に貫禄充分のりっぱな企業の部長さんなのである。こちらとしては十九の時に知り合ったひとつ年下の後輩意識でいるからいくつになっても感覚はかわらない。当時55キロ、いま90キロだった。

 そのOがロンドン、ブリュッセルと赴任しているとき、だいたい月に二回、6時間テープ三本の割合で送り続けた。いや、ばたばたしていて二ヶ月ぐらい送らない時もあったことも認めねばならない。
 Oのために努力したというより自分の好きな番組を録画して溜めて送ったようなものである。それが喜ばれるだろうという自信はあった。「なるほど・ざ・ワールド」「クイズ 世界はShow by ショーバイ」のような番組を見ながら録画した。定番の「水戸黄門」なんかも入れたが、これは私は見ないので留守録だった。

 中でもいちばんよろこんでもらえたのが「志村けんのだいじょうぶだあ」だった。子供たちも喜んでくれたし、Oからも、テープが着いた日の深夜、会社から帰ってきて、一杯飲みつつ見るのが極上の楽しみだと聞いた。
 この感覚はわかる。以前テレビでニューヨークに録音に向かう久保田トシノブにバッグの中を見せてもらうという企画があった。出てきたのは同じく「だいじょうぶだあ」を録画して溜めたテープ数本だった。スタジオの参加者は久保田と志村けんのミスマッチに首をかしげていた。失笑さえ起きていた。私は我が意を得たりと「膝をたたいた」ものだった。あ、もちろんこれって表現だけ。本当はたたいてはいない。本当に「ギャフン」と言わせた人も言った人もいないように。
 外国にいて心寂しくなったとき力になってくれるのはああいうものである。「だいじょうぶだあ」をもってゆくことで、身も心も真っ黒になってしまった久保田だけどまだまだ黄色いんだなあと思ったものだ。

 ヨーロッパの駐在員同士でテープ交換が行われるときも、私が録画して送った志村けんテープの人気は絶大だったらしい。
 そんなこともあって、Oを訪ねてロンドンやブリュッセルに遊びに行った。ホテルを泊まり歩くのと比べて友人の家にいさせてもらう異国体験はなんと気楽だったことだろう。
 帰国が迫った頃、ちょうど遊びに行ったら、私の送ったヴィデオがかなりの量になっていて、さてどうしようかと彼は悩んでいた。たしか船便で全部日本に送ったはずである。あれがあるなら欲しいものだ。十数年前の「なるほどザ・ワールド」や「ショーバイショーバイ」はいま見ても面白いだろう。云南に行くときもって行こうか。

 ん? ヴィデオデッキはどうなるのだろう。ヴィデオデッキが核ミサイルの弾頭に使われるぐらい高性能ICチップを使っていることは有名だ。共産圏への輸出禁止品目だったし、逆にロシアや北朝鮮のスパイはせっせと秋葉原でヴィデオデッキを買いこんだものだった。高性能で作るのが難しいから中国では普及しなかった。代わりに普及したのが構造の簡単な光学系のVCDである。マルチヴィデオデッキはどうするんだ。あちらで買えるのか。まさかこっちからしょってゆくのもつらい。でも日本製が好きだけど。





 もう十年以上前になる。チェンマイで「日本のヴィデオレンタル」という商売があった。上記のような日本のテレビ番組を録画したものをレンタルヴィデオとして貸し出すのだ。いまじゃ世界中の大きな町にあることだろう。

 当時『サクラ』の有山パパも熱心に借りていたので感想を聞いたことがある。すると楽しみに借りたけど、画質が悪くてほとんど見られないとのことだった。Oに送っていたのと同時期だから、ひとりに送るのもふたりに送るのも同じとばかり、私はパパ用にテープを送ると宣言してせっせと録画し始めた。しかしこれはパパのほうの都合で実現に至らなかった。日本で録ったテープをタイで見るのにはマルチヴィデオデッキが必要になる。当時日本ではPanasonicしか出してなくて最安のものでも15万円ぐらいしたのだが、タイではかなり普及していて5万円ぐらいで買えた。その辺を説明しパパに購入をお願いしたのだが、結局パパは逡巡のあげくそれを買わなかった。そのことによってテープを送る案はボツになった。パパはいまはもっている。だったらなぜあのとき、と思わないでもない。
 先日、そろそろ東京の住まいを引き払うかと荷物整理をしていたら、送ることなく録りためられた「有山パパ用」と書かれたヴィデオテープが十数本も出てきた。パパのリクエストである演歌番組や時代劇が収録されている。役立つことのなかった存在がもの悲しかった。

 ほどなくしてチェンマイのその商売はつぶれたはずである。いまはどういう状況かわからない。あいさんが日本のご両親から送ってもらった時代劇や「おしん」等をパパに回してあげたり、Tさんが毎回裏ヴィデオをもっていっては同好の士にプレゼントしているのは知っているが。

 そういえば友人のトモキが、「チェンマイで日本人用レンタルヴィデオの商売をやりたいと友人がいっているのですが」と相談してきたことがあった。同じく日本の番組を録画したテープのレンタルである。もちろんすぐに「すでにやった人がいて、失敗している」と返事をした。トモキの友人はそれであきらめたようだ。やめて正解だろう。儲かる商売ではない。

 思うにチェンマイにおけるその種の渇望は、24時間NHK衛星テレビが見られるようになってだいぶ軽減されたのではないか。『サクラ』なんていつもNHKが流れっぱなしで、異国情緒を味わいたい身にはじゃまなほどである。

 個性豊かなチェンマイの日本人の中に、私がヘンな人だなあと思った「8時間テープを3本連続録画して、1日24時間毎日NHKを録画している」という人がいる。部屋にいるときはその8時間テープの視聴に追われるから、ほとんどもう毎日がNHK漬けのようなものである。異国でそんなことをして楽しいのだろうか。







 「チェンマイ日記99-チェンライに走る」に、「プラオの山奥で大きなパラボナアンテナでNHKを受信しているHさん」の話を書いた。


 チェンライに走る──プラオ義太夫


 あの当時はまだ24時間放送は始まっていなかった。かなり限定された放送時間であり、番組内容だったが、Hさんは大相撲を見られるのが楽しみだと言っていた。ああ、そうか。相撲があるな。NHKなんて見たくないけど相撲を見たい気がする。二ヶ月に一度、大相撲を見ながら晩酌(といっても時差があるから昼酒か)をやるのも楽しいだろう。だけどそれはもういない父を思い出してせつなくて見られない気もする。父と共通の趣味だから相撲を見てきたのは確かだ。むしろ父を思い出して切なくなるから封印してしまうか。

 Hさんの住んでいたのはチェンマイから比べたらとんでもない田舎である。日々の便利グッズをそろえるのもたいへんだったろう。プラオの山奥に住み、蘭の栽培を趣味とするHさんの暮らしを、当時の私は仙人の暮らしのようにとらえたのだが、私がいま始めようとしている云南での暮らしはそれどころではない。
 考えてみればHさんの暮らしなんて、二時間もかからずにチェンマイのロータス等に行けるのだ。チェンマイ飛行場は国際線も飛んでいる。十分に便利だ。比較したら、いや比較できるレヴェルじゃない。いちばん近い国内線の飛行場に行くのにすらこちらは丸一日がかりなのだから。
 Hさんの住んでいた場所を田舎なんて呼べる情況にはないのだと、また頭が痛くなってくる。



       


 私の住むことになる雲南の田舎ではNHKは映らないだろう。いまの時代だから映す方法はあるのかもしれない。移住する頃には解決するだろう。それは追々勉強するとして。

 云南を旅していていつも不思議に思うことに、「山中のパラボナアンテナ」がある。羊腸した山道が続くひどいところなのだ。どうやら電気だけは来ているらしく、山間にけっ飛ばしたらひっくり返りそうな電信柱がかい間見え、そのあいだを電線が、山を畑を越えてやってきている。
 谷間に立てられた電柱をつないでいる電線を見ると、電気命の私には文明の命綱のように思える。妻の住む地域では、いまでも大雨が降ったりするとすぐに電気も電話も一週間ぐらい不通になる。私はノートパソコンの充電が出来なくなるからこわくてたまらない。パソコンさえあれば文章も書けるしホームページを作ったり、将棋や麻雀をしたり、「新潮文庫の100冊」を読んだり出来るから退屈はしない。

 そういう妻の地域と比べてもさらにひどい上写真のような山間をバスが走っていると、なぜかひどい掘っ立て小屋のような家に、直径2メートルぐらいのでっかいパラボナアンテナがあるのを見かけるのだ。一度や二度ではない。これが場に不似合いな豪華な邸宅なら、それこそ田舎住まいの好きな香港の金持ちでも建てたのだろうと納得できるのだが。あれはなんなのだろう。気になってならない。どこでも自由に下車できる旅なら、降りて聞いてみたいのだが、一度降りたら何時間もバスの通らないひどい山中だから、そんな思い切ったことも出来ない。







 云南の山奥に家を建てたなら、私はパラボナアンテナを設置するのだろうか。たぶんあれで受信できるのは香港のスターテレビの類だろう。NHKは受信できるのか。NHKを見たいのか、私は。

 NHKには関係なく、もしも私が恋しいと思うとしたら、それはOに送ったような日本のバラエティ番組だろう。なるべく能天気な無内容なものがいい。
 順序からするとOに送ってもらうという手がある。Oは相変わらず午前様みたいな生活だから無理だとしても奥さんに頼めばいい。奥さんも若いときから知っているし仲良しだからそれぐらいは頼める。子供はいま大学生と高校生だから、数年後にはかなり時間は自由になっているはずである。お返しなんて言いかたはいやらしいが、以前こちらがやったことを今度はしてもらうのだ。これは可能なような気がする。
 郵送してもらうと、云南の山奥までいまのところ三週間はかかる。こういうのはなければないで平気だが、「きょう送りました」なんて電話をもらったらまさに一日千秋の思いで待つのだろう。楽しみだろうなあ。だからそういうことはやらないほうがいいのか……。

 でもOの奥さんと私じゃ男と女だし、感覚も違うし、深夜番組なんて無理だろうし、それほどの期待は出来ないような気がする。まあこういうものは、へんに送られてくるとあとをひいて、待ちかねるようになってしまう。すっぱりあきらめたほうがいいのかもしれない。
 日本食なんかだと姉に頼んで郵送してもらうことも可能だけど、テレビ番組はむずかしい。さてどうなるか。

                      

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