秋



●インターネットの至福

ムンラーは景洪とは比べものにならない田舎町である。孟連よりもちいさなぐらいだ。孟連ではまだインターネット屋は見つけていない。たぶんまだない。景洪では今年の正月に郵便局内のインターネットを見つけてやったことがある。。市内にもいくつか民営のものがあるらしい。観光地だから外人もたまにいるし利用客がいるのだろう。

 ともあれ西双版納の中心である景洪ですらその状態なのだから、それより小さい田舎町のムンラーに期待はしていなかった。

 インターネットに飢えていなかったこともある。日本にいるときも使うのは調べものだけだ。旅先だし、ここには仕事はもちこんでいないから調べものの必要もない。よってインターネットは無関係となる。やる気もなければやりたいとも思わなかった。景洪に帰ってから、前回経験した郵便局のインターネットで、社会的事件と格闘技の結果を調べようとだけ思っていた。

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ある夜、小腹が空き、夜の散歩としゃれ込んだ。どこか開いているところで飯を食おうと思った。薄暗い町なのに、裸電球の明かりでけっこう賑わっている。若者の夜更かしはどこでも同じようだ。開いている飯屋に寄った。結果としてここはまずくて高いひどいところだった。異国人と見てぼったのか、それとも深夜営業で高い店なのか、いずれにせよよくないところだった。だって目の前の酒屋から2.5元のビールを買ってきて5元で売るなんてのは、日本ならともかくタイや中国ではふだんやらないことである。高いとかボラれたとか言っても日本円に換算すればたいした金額ではない。でもここで「日本的」と置き換えることのほうが間違いだろう。

 そうして深夜の一時半、泊まっている山菜酒店に帰ってくるとき、すぐ近くの小さな店にパソコンのディスプレイが見えた。しばし立ち止まる。狭い店の中にディスプレイが十台以上あり、若者がそれに接している。ゲームのようだ。どう考えてもインターネット屋だろう。昼間気づかなかったのは、日中はカーテンで外から見えないようにしている(陽射しを遮っている)からだった。
 ここは町の中の高台で、決して便のいい場所ではない。ほんとにそうなのかと疑問に思う。だって周囲は真っ暗なのだ。この町にインターネット屋があるのはうれしいが、最もあり得ない場所にあるものだから、キツネにつままれたような気分だ。明日、たしかめにくることにして、その日は部屋に帰った。

翌日、午後十時、早めに寝てうとうとしていたら、昨夜見かけたあの幻のようなインターネット屋のことを思い出した。遠いと出不精になるが、ほんのすぐ近くなのだ。歩いて二分か。嘘か誠か行ってみようと思った。
 店内に入る。間違いなくネットカフェだ。普通こういう場所は白人客がHot mailをやっているものなのだが、ここでは誰もやっていない。だって白人がいない。地元の青少年がみな対戦型のロールプレイングゲームをやっている。あの韓国で異常加熱と話題になった殺しあいのヤツだ。でも対戦型なのだから通信施設はあるのだろう。まさかソフトウェアによるゲーム屋ってことはないだろうし。

 画面を見てもIEがない。こういうとき、パソコンの知識のない妻は通訳として頼りにならない。私は係のおばちゃんにインターネットエクスプローラーとホットメイルを使いたいのだとバカの一つ覚えのごとく繰り返した。中国語でなんて言うのか知らん。おばちゃんは意味がわからず責任者らしい若者を呼びに行く。覗くと隣の部屋にも十数台のパソコンとディスプレイがセットされていた。思ったよりも規模はずっと大きい。

 やってきた若者は──こんな言いかたは差別につながるのでよくないが──サムローの運転手等と比べると明らかに知的な容貌をしていた。知性ってのは顔に出るんだなあと今更ながら思う。
 すぐに彼はIEを起動すると暗証を打ち込み接続してくれた。

 Hot mailの画面を呼び出し、Viewに日本語を表示させるためのダウンロードをする。愕くほど速い。いったいどれぐらいの通信速度なのだろう。まさかこんな場所でADSLでもあるまい。あっと言う間にダウンロードは済み、日本語環境は整った。ただし読むほうだけ。Hot mailをチェックする。重要な連絡はない。

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いやはやショートカットだらけの汚い画面である。左端に数個だけにきれいに整理している私からするとゴミ箱に叩き込まれた気分だ。いやいや文句は言っていられない。あるだけでありがたい。

 さあてここからどうするか。まずはMSのJAPANを呼び出す。検索窓が現れたが日本語は打ち込めない。それでそこからYahoo! Japanを呼び出した。

 そういうふうにうまく関連づけをしていってスポーツ新聞のサイトに繋ぐ。すっかり忘れていたが昨日はK1グランプリの開幕戦だったのだ。録画予約をしてきている。

 日本を出てくる頃のニュースとしては、ボブ・サップの対戦相手としてアーネスト・ホースト(あれは英語的にも本人の発音からもどうみてもフーストなんだけど今後もホーストで行くのだろうか)が渋っているところまでだった。
 開く。どっひゃあ、サップ1ラウンドでホーストにKO勝ちだ。いやはやなんとも凄いな。ホーストも80キロ台の体から、何年もかけて107キロまで増やしてきた。身長が195あるから無理な増量にはなっていないにせよ、大きくて重いってのはそれだけ価値があるのだろう。そのホーストも相手にならなかった。すごいぞサップ。
 これで暮れのグランプリが益々楽しみになってきた。サップ、最有力候補か。サップがへんにプロレスに関わり、負けてやる快感になれてしまわないことを祈る。ここまで来たらプロレスに関わらず一直線に高見を極めて欲しいと願う。

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産經新聞、讀賣新聞を読み、十日分のバックナンバーで社会的な事件を知る。田嶋陽子が社民党を辞めると記者会見したとかが最新のニュースだった。土井は辞職を迫っているという。そりゃあ辞職させれば田英夫が繰り上がり当選になり、議員手当が党に入るからそう迫るだろう。社民党の比例区で当選した田嶋が無所属でやって行くってのもすごいな。クソオンナ共の確執に嗤った。いよいよ社民党絶滅の危機だ。頼りは辻元のカムバックか(笑)。

 二時間で6元。90円だ。安い。日本的には10倍で900円だからすこしも安くないか。
 満足して眠りについた。しかしまあ、まさかムンラーでこんなに快適にインターネットが出来るとは思わなかった。
 不満は、喫煙率100パーセントの中国だから、誰もがタバコを喫っていて、しかも床下に投げ捨てるから、汚くて煙かったこと。タバコの煙と灰にまみれているパソコンが気の毒になってしまった。私なら店内禁煙にするけどなあ。この場合、自分が煙くてイヤだったことよりも、「ひどい環境でパソコンがかわいそうだった」と感じたことのほうが大きい。この感覚は中国人には絶対通じないだろう。





●誇大広告の不思議

ぼくは初めてそれを目にしたとき、「ほんまかいな」とちょっと信じられない気分になった。テレビでは、「毎日一錠飲むと見る見るおっぱいが大きくなる」薬の宣伝をしていた。しかもコンピュータ・グラフィックまで使って、口から飲んだ薬が、すぐにおっぱいの下の腺まで行き着いて刺激し、そのことによってホルモンの分泌を促して、ぺったんこの胸もほんの一ヶ月も経たない内に豊胸となるというもので、最後はもちろん顔もスタイルも抜群の美女が、「あなたもわたしみたいになれるわよん」てな笑顔で締めくくられていた。
 会社の名と共に、今すぐここにどうぞと電話番号も出る。インチキもいいところである。ぼくの感じた「ほんまかいな」は、内容に対する疑問ではない。共産党獨裁社会主義国家でこんなインチキCMが白昼堂々と国営放送で流されていいものなのだろうか、自分が今見ているのは本当のことなのか、そんな意味合いの「ほんまかいな」であった。その後も同じようなとんでもないものを連続して見て、それが「ほんま」であることを確認する。いやはやわからない国である。

 そのことをテーマに書こうとずっと前から思っていたのだけど、なんとなく、あまりの中国のすごさに圧倒されて書かないままでいた。日本にもそういうインチキ広告はある。たとえば「人が透けて見えるX線メガネ」とかね(笑)。でもそれらはみな実話系週刊誌の裏側辺りでひっそりとやっていた。だまされる人はいただろうが、こっそりといかがわしくやっていたのも確かだ。ちなみにぼくは人一倍そういうものが好きな田舎の子供であり、みんなが三色ポールペンのころ12色ボールペンを通販で買って得意がっていたりした。さすがにX線メガネを買うほど愚かではなかった。(近年大ブームの通販はまだやったことがない。)
 なのに中国は、堂々とテレビCMなのである。しかもCGを使った金をかけたものだ。12億の民の中の小金持ちがこれを購入し、ちっともおっぱいは大きくならないぞと抗議する頃には、こんな会社は雲散霧消し、だまされたヤツがバカの世界になっているのだろうか。

 繰り返すが、共産党獨裁政権の社会主義国家での出来事なのである。いわば世界でも最も堅苦しく規制されている世界下での事象なのだ。そのことからも、そうでなかった時代の支那が、いかにいい加減であったかが想像できる。だからイギリスに世界史に残る汚点である「阿片戦争」なんてのをやられたのだろうし、時代を今にもどせば、日本に基準以上の農薬が含まれた野菜を輸出するとか、わけのわからん漢方薬を輸出してそれを飲んだ日本人が死亡するなんてことをするのは、ごくあたりまえのことなのだ。こちら側の考える「日本に輸出するものだから農薬の量を守るはず」とか「漢方薬で死人が出たら国名に傷がつくからきちんとした商品を輸出するはず」なんて感覚を支那人はは元々持っていないのである。だまされるヤツがバカなのだ。なにしろ同国人を思いっきりサギでだまそうとしているのだから、見知らぬ外国のヤツなどどうなろうとしったこっちゃない。ここにも島国日本人には永遠に理解できない大陸中国人のアイデンティティがある。



上の写真は今回テレビで見て、またもしみじみ呆れたもの。わかりづらいが、まあ内容は上記と同じだ。

 小瓶に入った薬である。これが凄い。たとえば怪我で出来たひきつれ、傷跡、ケロイドなど、すべてこれを一塗りすれば、あ~ら不思議、翌朝にはきれいに消えてしまうのである。「この傷跡で悩んでいるんですよ」なんて人が出てきて、醜く盛り上がった傷跡に一塗りする。すると翌朝には消えてきれいになっているのである。
「あなたの体にあるどんな醜い傷も、これさえあればあっと言う間に消えます」のようなことを言っている。そして電話番号。ぼくの体にも子供の頃の怪我や、バイク事故などで作った醜いひきつれのようなものが何カ所かある。思わず電話番号をメモしようかと思ってしまった(笑)

 しかし言うまでもないことだが、そんな魔法の薬などあるはずもない。もしもあったとしたら世界的発明で大きな話題になっているだろう。だいたいが、なにをどうすればそんなことが可能なのだ。肉を溶かすのか? 日本では、体のシミひとつとるのにレーザー照射でどうのこうので30万円などと美容整形外科がやっている。小瓶の薬を一塗りしてどんな醜い傷跡もあっと言う間に消えるなんてことがあるはずがない。
 だけどそれを堂々とテレビでやっている。宣伝している。こんな国には適わないよなと、あらためて思ったものだった。金儲けのためならなんでもやるのだ。とても儒教の生まれた国とは思えない。

 ぼくの親は、中国産の野菜など信じられないと、倍の値段がする国産品しか食べない。明らかに味の違いがあるものならともかく、そこまでのこだわりをぼくは愚かと思っていたのだが、今回のようにとんでもない量の農薬が含まれていることが判明すると親の用心深さのほうが正しかったことになる。現実に中国に接していて、信じられない国民性を見聞していながら信じようとしてしまうぼくのようなのが、いちばん愚かなのだろう。





●ムンラーの食生活

朝、カオニオ(餅米)を食いたくなって妻に注文する。街を探して歩く。開店している店は多いが、どこもクイッテオ(米粉麺うどん)しかやっていない。まあ常識的に朝ご飯だから、そんなものか。
 やっと天秤棒で売りに来ているおばさんを見つけた。おひつに入ったほかほかのカオニオをバナナの皮に包んでくれる。
 ひとり分2元、二人分で4元。あとで思ったが、これ、ちょっと高いわ。ぼられた。

部屋に帰り、バナナの皮を開いたところ。
 まだ熱々の湯気の立つカオニオだ。これを手づかみで食べる。
 味が足りないときのために「ふりかけ」を持ってきているのだが、まだ使う必要には迫られていない。
 パナナのハッパがいい感じだ。

こちらはおかず。
 緑のがつけもの。酸っぱい。食が進む。
 この赤いソーセージのようなものはよくわからない。見た目でソーセージかと思って買ってきたのだがそんなものがあるはずもない。やたら甘かった。
 下の白っぽいのは和え物。あまりうまくなかった。餅米は腹持ちがいいので、私のような食いしん坊でもなく、部屋で本を読んでいるのがいちばん楽しい出不精には助かる。
 この後の緑茶がうまい。

昼はラーメン。
 写真は妻の好きなタイのインスタントラーメン。タイ語と同じくママー(商品名)と言っていた。タイ語なのだが輸入品なのか? 調べてみるとそうだった。
 私は日本から「明星チャルメラみそ味」を五個持ってきたのだが、まだもったいないので食べない。
 卵は普通の生卵。この日は生で入れたがゆで卵を作ったりもした。
 ピータンを売っていたので、大好きな私は酒のつまみにしようとスキップしつつ買ってきたが、残念ながらうまくなかった。ピータンは作るのが難しいのだろうか、景洪の食堂で食べても当たりはずれが大きい。

ラーメンを作ったり、ゆで卵を作ったり出来るのはこの電気鍋のおかげ。たった50元。とても便利で、こんなのは安いなあと思う。
 上の写真のどんぶりもこちらで買った。生活用品が揃い、出て歩かなくてもいので助かるが、これらを持っての移動は大荷物。ほぼ夜逃げ状態(笑)。
 でも私の場合はまだいい。これを小さな体で山奥の家まで持って買える妻はたいへんだ。まだなんでも竈(かまど)でやっている家だから、こんなものが役立つこともないだろう。妻が日本に来てしまったら埃を被って眠ることになる。

「中国はまずい!」というのは私の真面目な持論で、そのうちキチンとまとめねばと思っているのだが、これなどは典型的な例。
 町の食堂でオネーサンが作ってくれたチャーハン。一目見ただけでご飯が固まっていて、とてもまともなチャーハンではないことがわかるだろう。ひどい味である。これが中国の庶民レベルにおける実態だ。
 卵は別料金で買ったゆで卵。
 その国の料理がうまいか否かは、高給飯店の料理長の料理ではなく、ごくありふれた庶民の味で語るべきと私は思う。タイは、街角の20バーツ程度の食事がうまい。中国はまずい。これは事実である。

土鍋を直接火にかけて作ってくれる麺。野菜や、写真に見えるが魚肉ソーセージなども入っていて、見た目はおいしさ感バツグン。
 が、残念ながらおいしくない。麺が、腰のないふにゃふにゃ米粉麺なのだ。冷や麦の温麺版とでもいうのか。その他、昆明などでも何度も食べているが、この種の鍋をおいしいと思ったことはない。
 ただしこれは私の好みとも言え、日本円50円程度でこれだけのものが食べられるのは賞賛すべきなのかも知れない。この店はおばさんは、メニューこれ一品で勝負していた。こういうのは応援したい気分になる。

「雲南でじかめ日記-02冬」




●雲南インスタントコーヒー事情

雲南にいるとホットコーヒーが飲みたくなる。不思議でならない。日本では今ほとんど飲むことはない。緑茶かミルクティである。喫茶店でもまずコーヒーは飲まない。
 しかもかなり甘ったるいものが好みだ。コーヒー牛乳に近いようなものだ。ブラックなど飲みたくはない。日本人に不興の「タイの甘すぎるカンコーヒー」だが、私は最近お気に入りである。好みってこんなに変るものか。

 なぜ雲南で甘ったるいコーヒーが飲みたくなるのだろう。甘いものに飢えるのは疲れた時と言われている。肉体的にだ。私の今の感覚では、「精神が疲れたとき」も甘いものが欲しくなるのではないか。そんな気がする。そういう理論が成り立つなら、私が中国で甘いものが欲しくなるのは私好みの筋が通っていることになる。とにかくなぜか中国にいると甘いものが欲しくてたまらなくなる。日本からチョコレート等を持参し大切に分配して食べるのは習慣となった。

 そしてなぜか甘ったるいコーヒーである。紅茶でもいい。砂糖たっぷりの甘い飲み物が欲しくてたまらなくなるのだ。食事の後は日本から持参した緑茶を飲むが、パソコンで仕事をしていると、甘ったるいコーヒーが欲しくてたまらなくなる。それは中国にはないものだ。タイには日本の甘い物好きも辟易するような甘い甘いカンコーヒーや、屋台、食堂でのアイスコーヒーが溢れているが、中国にはない。あれば買って飲食する。ここにこんなことを書くこともない。

 餘談ながら、中国には「甘くてどうしようもないワイン」がある(笑)。むかし日本にもあった「赤玉ポートワイン」と同じだ。うまいのかと思って買ったら砂糖水なのでやめた。甘いものに飢えると言ってもこういうものは好まない。サントリーレッドやハイニッカでウイスキーがまずいものだと思いこみ、三十過ぎでロイヤルサルートを飲むまでウイスキーのうまさを知らなかった。同じく赤玉ポートワインでワインとはまずいものと思いこんでしまった恨み辛みがある。
 それにしても中国の酒はまずい。なんとかならんものか。中国に免税店で買ったバーボンを持ち込むなんてピント外れなことをするのは、かなり精神的に苦痛である。

『週刊ファイト』(大阪発刊のプロレス週刊紙)の井上元編集長が、「白の三悪」として「牛乳、白砂糖、××」を挙げて大論陣を張っていたことを思い出す。もうひとつの××はなんだったか。忘れた。知っている人がいたら教えてください。奇矯な人である井上さんはそれら「白の三悪」が人間を、特に日本をダメにしたのだと力説していた。ほんとか嘘かは知らない。でもこういう珍奇なことを言う人は好きだ。おもしろい。本能のままに生きている私は、環境によっていかに白砂糖が恋しいものか、牛乳がうまいものか知っているので、賛成は出来かねる。

 佐藤ハチローの詩にこんなのがある。《お砂糖は甘くて白くておいしくて 牛乳なんぞに入れて飲む》。ええねえ。たったこれだけで私の経験した昭和三十年代の貧しさを思い出す。(佐藤さんの意図したのは戦前戦後のより貧しい時代であろうが)。ただし機械文明的には今現在より貧しかったが、希望と夢に満ちた日本人がまだ日本人の心を失っていない美しい時代であった。
 そうだねえ、炭火こたつで温めた牛乳に、白砂糖(当時の贅沢品)を入れて飲むなんてのは、たしかに贅沢だった。『Surviver』という外国から放映権を買って日本版を作っているテレビ番組があるが(ああいう契約に関してもずいぶんと良心的になったよね。ならざるを得ないのか。巨泉なんか外国番組のパクリばっかりで巨万の富を得たものだった。オリジナルはなにひとつない)、あの中でも生き残りのゲエムに勝って配給された砂糖を砂糖水にして飲み、ほんの二週間程度でしかないのに、「うめえ!」「生き返る」と大騒ぎするシーンがある。甘いものって、きっとそうなんだろう。

最近私は、左の写真のようなスティックタイプのインスタントコーヒーを持参するようになった。コーヒー、砂糖、ミルクとすべて入っているワンパッケージ品である。このアストリアがちょうど私の好みにあったのでここのところこれにしていた。今回は6本入りパックを2セット、12本持っていった。滞在予定は3週間、22日であったから一日一杯は飲めない。それは最初からわかっている。それでも十分と思っていた。
 失敗だった。日本では飲みたくならないから、まさか雲南でそんなに飲むとは思わなかったのだ。衣類をもう一枚削ってもあと12本ぐらいもって行くのだった。


 私的な「日記」にはその辺の悩みが克明に書いてあって笑える。「毎日一杯ずつ飲むことが不可能なのはわかっていた。だがきょうまで毎日飲んできてしまった。一日二杯飲んだ日もある。残りは後3本、どうすべきか」なんて書いてある。「このまま二日に一杯にして耐えるのか、それとも好きなだけ飲んで、なくなってから考えるかだ」などとたいそう大仰に悩んでいる。
 結局我慢できずにそのまま毎日一杯を飲み、なくなり、三日後に現地でインスタントコーヒーを買うことになる。そのときに買ったのが下の写真。

これ、見づらいけどよく見るとタイ語で表示がある。タイからの輸入物らしい。西双版納には「ママー」と呼ばれる辛いインスタントラーメンを始めてとして、タイからの輸入物がかなりあり、さすがタイ族の州だと感じる。とにかく今の中国には物が溢れている。まだまだ安かろう悪かろうの世界で、それを単純に礼賛する気にはなれないが、品物が溢れ活気に満ちているのは確かだ。そういう中国にタイから輸入させるのだからたいしたものである。私の妻も中国製のインスタントラーメンよりもタイ製を好む。おいしいと言う。タイ民族だけに通じる味の感覚があるのだろう。ちなみに私は日本製のインスタントラーメンがいちばんいい。わざわざもって行くほどだ。味とはそんなものか。

 妻の家の近くでコーヒー畑を見た。雲南でもコーヒー豆の生産をしているのだ。なのに輸入なのが不思議だ。今のところ中国では、まだこういうものを日常的に庶民が飲むようにはなっていず、製品化されていないのか。かつての日本もそうだった。私がインスタントコーヒーを毎日飲むようになったのは大学生になってからだった。

 このインスタントコーヒーは12元。200円弱。諸物価との比較では高いのか。ネスカフェの下のランクの製品である。果たしてフリーズドライ製法がどの程度のものであるかどうかはともかく、インスタントコーヒーを長年飲み続けてきた身として、あれがいわゆるレギュラーと呼ばれるものよりもうまいとは言い切れる。違いのわかる男かどうかは別にして。カフェインを抜いた赤ラベルってのはまずい。タバコがニコチンタールであるように、コーヒーにはカフェインが必要であるのだろう。

 ビニール袋に入った白砂糖を買う。砂糖はこれで良い。困ったのはミルクだ。以前、チューブ型のコンデンスミルクを持っていったことがある。緊急用としてはわるくはないが、最高とも言い難かった。今回はもっていっていない。クリープのような製品があるはずもない。(このクリープのようなものを何と呼ぶのか考えたが解らず、帰国してから調べたら「クリーミィパウダー」なそうな。)
 雲南でもチェンマイでもうまい牛乳がないことが不満なのだが、文句ばかりも言っていられない。なんとか入手してきた。味は、日本の加工乳に似ている。あの「低脂肪、鉄分強化」みたいなローファット牛乳のような味である。1リットルパックを買ってきた。ひとつだけ見直したのは、この牛乳、開封しておいたら翌日、きちんと腐り、いきなりヨーグルトになっていたことである。中国であるからして一ヶ月ぐらい腐らない防腐剤が入っているのではないかと疑っていた。見直しました。うまくはないけどね。翌日から小さな三角パックに入っているのをコーヒー専用に毎日買うようにした。

中国の旅社のすばらしい点は、常に熱い湯のポットと緑茶が用意されていることである。タイは水だ。西双版納はタイ族の中国だが、やはりお茶のようである。旅先には常にステンレス製のマグカップを持参しているが、旅社備えつけのカップで飲む。このほうがコーヒーの色が見えておいしい。緑茶もコーヒーもカップは白の陶磁器に限る。
 いくらポットの湯が熱くても熱湯ではない。簡易湯沸かし機は欠かせない。これも旅の必需品である。

 そういうわけで、とりあえずインスタントコーヒーは、コーヒー、砂糖、ミルクを確保でき、慣れない妻もなんとか私好みのものが作れるようになって(味のいい加減なインスタントコーヒーであるからこそ、コーヒー、砂糖の量ミルクとけっこうそのさじ加減が難しいのである)、一件落着した。それでも不満を言うなら、やはりミルクになる。牛乳では薄まってしまうのだ。これも牛乳を温めて、そこにコーヒーを溶かすとかまだ改良の余地はあるのだが、アストリアコーヒーで満足できるレヴェルの人間だからして、それほど難しく考えることもあるまい。で、クリープを思いついたのだった。

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帰国してからその辺に放り投げてあった贈答品のインスタントコーヒーセットをひもとき、毎日飲んでいる。なんだか景洪での習慣を引きずっているみたいだ。いや、中途に滞在したチェンマイでは一切飲まなかったのだから、これはヘンだ。どうしたのだろう。そのうち飽きると思うが。
 その贈答品セットに「マリーム」という商品名のクリーミィパウダーがあった。これがなかなかのものである。見直した。

 インスタントコーヒーを飲んでいたの二十代半ばまでか。それからサイフォンだのドリップ式だのに凝った。その頃はスジャータとかああいう生クリーム製品を愛用していた。砂糖はガムシロップである。記憶にある限り二十年前からは間違いなくそうしている。やがて飽きて飲まなくなった。私の場合、コーヒーに凝ったのはどうにもファッション的な意味合いが濃く、何度か凝ったが、そのたびに半年とか一年で飽きてしまったから、真のコーヒー好きではないようである。ああいうのは簡単に飽きるものではないのだ。リクツもある。これは世間的真理だが、コーヒーマニアには酒を飲めない人が多いのだ。私の場合も、酒を飲む楽しさと比べたら、丁寧にドリップコーヒーを淹れて、というのはかったるいことであった。

 今回、それこそ三十年ぶりぐらいでマリームを使ってみて、新たなことに気づいた。つまり「チープなインスタントコーヒーらしさ」である。インスタントコーヒーにはこのクリーミィパウダーを入れるのが、いかにもインスタントコーヒーらしくていいのだ。相性である。砂糖もガムシロップより白砂糖が良い。そう気づいた。私の中では完全な死商品であったクリープのようなものが、喫茶店と同じ生クリームが容易に手に入るようになった今の時代でもなぜ生き残ってきたか、その意味がわかった。世の中には今でもきっと、「クリープでなきゃイヤ」という人がけっこういるのだ。「インスタントコーヒーがいちばん好き!」な人が。
 なるほどねえ、そうだったのか。勉強になります。
 写真はほぼ三十年ぶりで購入したクリープである。まさかこんな形でまだ買うことになるとは思わなかった。

そんなわけで私は今、インスタントコーヒーにクリープと白砂糖を入れたものを毎日何杯も飲んでいる。次回雲南に行くときには、コーヒーと砂糖は現地調達にして、日本からこれだけをもって行くことになるだろう。
 飽きやすい性格なので間違いなく間もなく飽きると思われるが、なぜいまこんなに楽しい気分でインスタントコーヒーとクリープを楽しんでいるのだろうと考えたら、これは「懐かしい味」なのであった。学生気分にひたっているらしい。そろそろ飽きると思われる(笑)。
(02/11/17 日本)


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