やさしいことはむずかしい


 人は誰に認められたいのだろう。誰に賞賛されたいと願い努力するのだろう。一般には「世間」であろうか。出世したいと願うことも金持ちになろうとすることも有名芸能人になりたいことも、すべては世間の多くの人から賞賛されたいのが発端になる。
「愛する人にだけ認められたい」なんてのもある。愛し合う二人だけで互いに賞賛しあえればそれでいいという発想だが、なかなかそうもいかない。愛する人に認めてもらうために世間で認められるように努力したりもする。愛する人にはその人の基準で判断して欲しいのだが、意外に世間の評判を気にしたりする場合も多い。

 ぼくは完全に自分の中で解決してしまうタイプなので他者の評価は興味がない。質疑応答をひとりでやっているのだ。それでもやはり好きな友人には能力のあるヤツだと一目置いて(碁から来た用語)欲しいとは願っている。これは互いに一目を置いていない相手とはつきあわないということでもある。
 割合スッキリとその辺は整理され悩みのない人生を送っているのだか唯一矛盾を感じている人がいる。つまり、あちらがぼくをまったく評価していないのに、親しくつきあわねばならない関係がひとつだけあるのだ。ぼくの能力を認めるどころか人間として軽んじている。なんとかこちらを認めさせようと思うのだが、あちらにもこちらを理解できる能力がないようだ。そんな人とはつきあいたくないし、つきあわねばいいのだが、人間関係上つきあわねばならない環境にある。それは現在も進行形なので、日々ストレスがたまる一方である。いますぐにでも縁を切りたいのだがそう出来ない事情がある。なぜならそれは自分の親だからだ。

 それでも父とは政治の話をすることが多いし、パソコンで父のやりたいことをやってあげたりすることもあるから、ぼくが雑多な知識を持っているとはそれなりに認めてくれているだろう。まったく話の通じない母だが、その雑多な部分ではわかっていることもあると思う。しかし父母がぼくを人として軽んじているのは確かなのだ。といっても、う〜むこのへん話しかたがむずかしい、ぼくは近所のご老人にも礼儀正しく接するし、必ずことばをかけるようにしていて、それは父母も認めている。「心優しい男」としてはだ。
 なんというか、ストレートに言うと、父母はぼくを無能だと思っているようなのだ。ぼくが有能であるか無能であるかの判断はべつとして、やはり親からは能力のある息子と思われたい。が、思われていない。それはぼくが無名であり、テレビに出るような有名人でないからなのだ。父母の評価する判断基準は、公務員のような安定した職業(これは義兄や甥、姪等)や一般企業での役職(兄)につくことであるらしい。ぼくはそれから外れてしまっている。それは覚悟の上で歩んだ人生だからどうでもいい。

 問題はオツムの中身に対する評価である。ぼくは父母から知識人として認められたいのだ。物知り先生として一目置かれたいのだ。事実そう思われるだけのものをぼくは持っているのである。しかし母からすると、ぼくは自分(母)よりもものをしらない男ぐらいに思われているらしい。それが悔しくてならない。なぜこうなかったのかと原因を探したら、それはぼくにあった。ぼくの思いやり(と本人は思っている)が父母(のような人)には裏目に出るのだ。
 『お言葉ですが…』を読んでいて、「そうなんだよなあ……」とひとりでうなづきつつ、うれしいようなわびしいような気持ちになった。以下は引用である。
 高島さんに「先生のお名前は存じ上げておりますが、難しい内容の本なのでまだ読んだことはありません」と言った女がいたとか。その女は「むずかしい」を褒め言葉のつもりで使っている。それに反発した高島さんの意見だ。


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 それで思い出した。以前、瀬戸内海のある島で、そこの教育委員会につとめている人から話を聞いたことがある。
 この島にも文化会館があって、定期的に作家や学老をまねいて講演会をもよおすのだそうである。
 その際、講演者の留意すべきことがある。やさしく話すのは禁物である。専門用語や英語をどしどし使って講演するのがよいのだそうである。
 そのお役人の話によればこうだ。
 むずかしい話をすると聴衆は、
「いやあ、きょうの先生はえらい先生なんじゃなあ。わしらにはなんのことやらわからん。あんなえらい先生がようこの島に来てくれたもんじゃ」
 と満足し、先生は尊敬され、先生をまねいた教育委員会は面目をほどこす。
 わかりやすい話だと、
「きょうの人は、ありゃあ大した人じゃないなあ。あんな人しか来てくれんかったんか」
 と落胆し、先生はばかにされ、教育委員会は人物招致能力をうたがわれる。
「島の人たちは、えらい先生がたの顔を見にくるんですから」
 とその人は言う。はっきり言って、講演の主題や内容はどうでもいい。どっちにしても島の人たちにかかわりのあることではない。だいじなのは、自分たちの手のとどかないものが目の前にあるという「高級感」なのだ、と。
 誇張はあるのかもしれないがこのお役人の話はいなかもの根性をよく言いあてている。

 本を書く人や講演をする人にも、むずかしいのが高級だと思っている人種は多い。
 むかし日本の哲学者がドィツヘ行って、こどもが哲学用語をしゃべっているとびっくりし、敬服したそうな。こどもが哲学用語をしゃべるわけではない。ふつうのことばで哲学の本が書かれているのである。
 日本ではそうはゆかぬ。哲学はむずかしいことばを使ってむずかしく書いてないと世人の尊敬をかち得られない。
 日本人がいなかものなのである。かつては支那に対して。明治以後はヨーロッパに対して。
 先方が日本をいなかあつかいするわけではない。先方は目本の存在すら知らない。
 日本人が勝手に、漢字や英語をあがめ、それを多少解してわけのわからぬこと言う日本人を尊敬し、自分たちにもわかることを言う者を「あの人は程度が低い」と軽視してきたのである。

(『お言葉ですが…』D──キライな言葉勢揃い「去年の一番」より


 ぼくは父母や父母の友人の年寄りと話すとき、極力言葉を選ぶ。彼らが知らないと思われるカタカナ言葉は日本語に直し、理解できないであろうと思われる先端用語は、わかりやすい比喩に置き換えて話す。親しみやすさを出すため地元の方言も使う。そのことによってぼくは気取らない親しみやすい人、という評価を得ているようだ(父母から聞く)。
 一方でぼくは、その親しみやすさと気安さから「いったいあの人は慶應大学まで行ってなにを学んできたのだろう」と軽んじられてもいるらしい。上記引用にあるように「会話の中にわしらの知らないむずかしいことばなんて全然出てこない。慶應卒もたいしたことないな」と。
 人と話すとき、相手の目線に合わせて話すのは大事である。だがそのことによって軽んじられることもあると知った。やさしいことはむずかしい。






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