支那文字伝来


(島民が冬眠する。同名で同盟ってか)


高島さんの意見でぼくがいちばん驚いたのは「日本語が漢字を取り入れたのは間違いだった」というものだった。多くの日本人がそうであるように、ぼくもまた「偉大な先人の智慧である支那文字。その輸入。恩恵。支那への感謝の心。それがあってこそひらがなとカタカナも生まれた。漢字がなければ日本の文化は存在しなかった。ありがとうありがとう中国」という感覚だった。

 いや違うな、若いときはともかく、今の気持ちをもっと正直に言うと、「漢字なんてものさえ教わらなければ、こんなに中国に対して教えてもらったという劣等感をもたなくてすんだのに」という気持ちだ。大嫌いな兄貴で兄弟の縁を切りたいのだが、子供のころ世話になった恩を忘れるわけには行かないという感覚である。
 もちろんそれは高島さんの意見を聞いたからといって変ることはない。ただぼくは「日本語が漢字を取り入れたのは間違いだった」と言い切る人に初めて出会ったのだった。これは新鮮な衝撃だった。

 高島さんは「漢字を取り入れなければ、日本語はより日本語にあった日本文字を自然に作り上げた。同音異義語のような、現在の日本語がかかえている多くの矛盾は、日本語にあっていない支那文字をあせって取り入れたことにある」というのである。なるほどなあ。こういうことを言える賢者というのはかっこいい。
 
 ぼくはこのコーナーを、これらの件に関してぼくよりも物知りな人が読むものと解釈して書いている。つまり「うんうん、わかるわかる、おれもそうだったよ」と同調してくれる人が対象のつもりだ。でもぼくよりも物知りだったら今更こんなものは読まないから、この推測は間違っているのだろうか。かといってぜんぜんこういうことに興味のない人が楽しめるとも思えないし、ここの割り切りが難しい。

 しかし先日、ぼくよりもすべての面で知的な先輩が、これらの話をぼくから聞いて素直におどろいていたから、だれもが知っている常識でもないようだ。もしかして勉強になったと感謝してくれる人もいるからもしれないと思い、念のために書いておこう。

 それは「日本語にたくさんある同音異義語は日本語獨自のもので、中国語にはほとんどない」ということだ(厳密にはほんのすこしあるがそれは重箱の隅の隅になる)。複雑な声音をもっている中国語はみな発音が違うから、上記の例のような「島民」と「冬眠」「同盟」と「同名」のようなものも同じ発音にはならない。同じ発音になってしまい、字を見ないとわからないということは、日本語だけが抱えている問題なのである。この話をすると意外におどろく人が多い。そしてその理由は、声音のすくない日本語に声音の多様な言語に使う漢字を焦って取りいれてしまったからなのだ。

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 明治の文明開化の頃、フリーダムの「自由」、デモクラシーの「民主」に代表されるように、西洋に追いつき追い越せとばかり、欧米のことばを漢字に当てはめて、どんどんどんどん新語を造っていった。その結果、発音が同じで意味が違う同音異義語が日本中にあふれていったわけである。

 間違いやすい同音異義語があふれていることを、ぼくは日本語の特徴であり宿命だと思っていた。これまた多くの日本人がそうであるように、「ぼくの出たのはシリツ大学、あ、ワタクシじゃなくてイチリツのほうね」なんて会話を、多少煩わしいとは思いつつ、仕方のないことと解釈していた。「あいつはチホウ出身者というよりチホウ出身者だよ」「えっ!? どういう意味?」「いや、だからヤマイダレのほう」なんてのは、日本語の遊びとしておもしろいと思っていたのだ。
 それは今も変らない。後に中国語の勉強を始め、それが日本語獨自のものと知っても、べつに不満はなかった。

 高島さんの本を読み、「間違いだった」と言い切る人に初めて出会った。新鮮だった。それはぼくが学問的なことに関して無知なだけで、たぶん学会ではよくある意見だったのかもしれない。だとしても、ぼくのような一般人にまでその意見が届いてきたのは、間違いなく高島さんの功績である。ぼくレベルというのが世の多数派のはずだから。

 高島さんは漢字の効用を否定しているのではない。それどころか漢字数を制限し、無意味な簡略字を作ることに激しく怒っている。
 「文字をもたない日本語がそんなに急いで他言語の文字を取り入れる必要はなかった。早すぎた」と、当時のことに関して意見を言っているのである。「漢字を取り入れなかったら、日本語により適した日本文字がやがて自然に作られたろう。そのほうがあらゆる面でよかった」という歴史観だ。

 このことをぼく的に下世話なたとえで言うなら、「十五歳でだれでもいいからと男を体験した娘に対し、『そんな年齢でむりして体験する必要はなかった。本当に好きな人が現れるまで待って、二十歳過ぎに体験したほうがよりよかった』と言っているようなもの」である。当時の日本人は、十五歳にもなってまだ未体験だとあせっていたのだろうし、それに対するぼくの意見は、みんながそうなんだからそういうものに違いないとしか言えないレヴェルだったことになる。

 漢字を取り入れた日本人は、それがもともとの日本語に合っていなかったから、ひらがなカタカナを作り出し、漢文をあの返り点だのなんだのでむりやり読みこなし、と、いかにも日本人らしい智慧を駆使して、今に至る。結果として日本語の漢字かな交じり文は、本家の中国をしのぐ表語文字の漢字の効用を最大に発揮しつつ、簡便で使いやすい、世界に誇れるものとなっている。

 同音異義語が日本語の最大の特徴であり、日本人がそれを楽しんでいるのもまた確かだろう。ぼくの大嫌いなあのダジャレというのも、基本要素は同音異義である。
 体質にあっていなかった支那文字をあせって取り入れることにより、日本語は「音(オン)だけでは意味がわからない。字を見て初めてわかる」という、世界にも例のない特殊なことばとなってしまった。ただしそれは缺点も併せ持つが、アルファベットだけの英語などよりは、遙かに質の高い表記でもある。
「もしも」と考える。「もしも日本が漢字を取り入れず、獨自の〃日字〃というものが生まれていたら……」と想像してみる。

 だが漢字の輸入は時代的に不可避だった。中国という当時の先進国で生まれた文化が、朝鮮半島を経由して日本に伝わり、今も昔も変らないすぐれたものを迷うことなく取り入れようとする日本人気質が、それを取り込み、自己流のものにしてしまうことは、歴史的必然だった。
 それは日本が「朝鮮併合」というのをせざるを得なかったのと同じく、地理的歴史的必然である。

「間違いだった」とスッパリ言い切ってくれた高島さんの意見は、ぼくにとって目から鱗の衝撃だった。最大の恩恵はこのこと自体よりも他にある。
 時あたかもクリスマスイブ。このテーマを書くのには、まったくグッドタイミングでうれしくなってしまう。が、これを書き出すと長くなるから、これはべつの項目にしよう。なにしろそれを書くために作ったコーナーなのだから焦る必要はない。

 今年(01)の夏、チェンマイの『サクラ』丸テーブルで、日本語と漢字に関するちょいとした談義があった。
 いま『サクラ』丸テーブル常連でナンバーワンインテリであるTさんと、ここに書いたようなことをすこし話した。(しかしまあすべての登場人物をイニシャル1文字で書くというのは自分で決めたルールだが、どうにも不便だなあ。やめようかなあ。同じイニシャルの人が多すぎる。このTさんは今まで登場していない。ここを読んでいる人でもぼく以外は知らない人だ。数字をつけるならT-6ぐらいになる。)

 インテリTさんは、朝日新聞的な人である。心にしっかりと「偉大な中国よ、ありがとう。日本は悪いことをしてごめんなさい」と刻み込まれている(笑)。しょうがないよねえ、そういう教育で育ったんだから。あ、ついでにいうと、Tさんはぼくと同い年。関西のワタクシリツ大学出身だった。

 日本語の話をみんなであれこれ論じていたとき(茶飲み話だから論じるはおおげさだが)、ぼくは「日本語が漢字を取り入れたのは失敗だったという説もあるんですよね」と高島さんの本で学んだ意見を言った。
 するとTさんがすかさず「いや、漢字がなかったら、ひらがなもカタカナも生まれなかったんだからね」と言下に否定してきた。顔に「そんなことも知らんのか」と書いてあった。みんなが頷いている。ぼくはそれ以上なにも言わなかったが、心の中では「いや、そんなことじゃなくてさ」と、餘裕を持って、ひとりごちていた。

(01/12/24 ラジオもテレビも街中も薄気味悪いクリスマス一色の日本で)


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