────

2007
3/3(土)  IPAT初体験

 ジャパンネット銀行からキャッシュカードと振り込み等に必要な小物トークンなる機械が送られてきた。何故か別々である。郵便と宅配便。キャッシュカードは数日前に届いていたがトークンは昨日着いた。前回の申し込みのとき身分証明書やらなんやらで揉め、うまく行かなかったので今回ももっと時間が掛かるかと思っていたが案外すんなりと出来た。
 トークンが着いたのが金曜の夕方だったので、土日のためにジャパンネット銀行に都市銀行からお金を振り込んでも月曜扱いになってしまい、今週の土日の競馬は出来ないと思っていた。インターネット銀行に詳しくないので本気でそう考えていた。

 しかしあらためて説明書を読んでみると、セブンイレブンのATMから簡単に入金できるとある。やってみた。金曜日の午後5時である。すんなりと入金でき、翌日からすぐに馬券購入できることになった。いやはや便利である。そういえばこのシステムは土日にも入金が出来ることが売りのひとつなのだった。かつての電話投票の煩雑さを知っている身にはまさに新時代の到来である。知らない世代のために書いておくと、以前は保証金として30万円とかたいへんだったのである。ジャパンネット銀行を利用するIPATは千円入金して千円勝負できる。いやはや便利になった。
 ということで、3月2日、PCから馬券が買えるIPAT(アイパット)の投票態勢が整った。3月3日はその第一歩である。34年馬券を買い続けてきて初めての体験だ。武者震いする(笑)。当てるぞお。

---------------

 金曜の夜、意気込んでJRAにIPATの申し込みをしようとした。IPATで馬券を買うことは出来るようになったが、それとはまたべつにJRAに登録せねばならない。が、何度やってもうまく行かない。どうやら「馬券購入可能時間」でないとダメらしい。土曜朝の7時からだ。鼻息荒くその時間を待つ。いま私が考えていることは土日で当たりまくる3連単大穴をIPAT操作が不慣れなためにうまく買うことが出来ず外してしまうことである。それだけは避けたい。と、まさにトラヌタヌキ。

 寝ないまま(笑)朝の7時になるのを待って入会する。その間、受験生気分で数Ⅲの勉強をしていた。うまく入会届が出来た。これで今日から本当にPCで馬券が買える。安心して8時に寝る。
 12時に目覚ましを掛けたが11時には起床。あたらしいおもちゃにやる気満々。PCの前にすわりIPATにログインする。

 が出来ない。何度やっても反応がない。
 で、慌てず騒がずFirefoxを起動してやってみる。するとすんなりログインできた。
 このInternetExplorer(=を利用するタブブラウザ)では出来ないが、Firefoxならすぐに出来るというのは数多い。これは経験で覚えた。IEエンジンとGekkoエンジンとの違いなのだろう。もしもInternetExplorerしか知らなかったら焦っていたところだ。ゾッとする。ともあれ無事ログインできて買うことが出来るようになった。

 買う予定のない早いレースを予想してみたりする。なんともオッズ表示が便利だ。競馬場でオッズ版を見たりオッズペーパーを印刷したりするのと比べると格段に楽で便利である。これはすなおに感激した。
 むかしの電話投票というモノに加入していたとしても、それは競馬場まで行かなくても自宅から投票できるという便利さでしかなかった。今回PCが発達した形の時点で参加したことはいちばん良い時期だったのかもと思ったりする。

---------------

 レース実況がないことに気づく。結果はJRAサイトですぐにわかるものの、いくらなんでも実況がないのはさびしい。私が買うのは後半4レース、3連単発売レースだけなので、テレビ東京の中継で9,10,11レースは見られる。でもせっかくPCの前で予想したり、買ったつもりになっているのだから、せめてラジオの実況ぐらいは聞きたい。それに毎週私の最も力のはいるのは最終レースなのだ。

 なんとかならんかと海外に持っていった※SONYの世界ラジオやラジカセを引っ張り出してきて競馬中継を聞こうとする。でもこれが悪あがきなのは自分でもわかっている。茨城の田舎でもダメだった。受信しなかった。しても音が悪くて使い物にならない。ここも田舎である。田舎で受信できたのはカーラジオだけ。なんでカーラジオはあんなに感度が良いのだろう。ラジオの競馬中継を聞いたのはいつもクルマの中だった。そのクルマは廃車にしてもうない。あったとしても部屋のPCと駐車場のクルマを往復するわけには行かない。

 インターネットで競馬中継をしているのではないかと気づく。調べる。あった。しかし有料だった。予想をしたり解説をしたりする内容豊富なラジオ中継がただで聞けるのに実況だけのラジオが有料というのがわからない。CMか。
 こういうとき私は「だったら(田舎でも競馬中継が聞ける)ラジオを買った方がいいや」と考えてしまう。これはハードを重視するアナログ的な発想だ。ストリームに対する有料感覚がわかっていない。でもそう考えてしまうし、そこからまだ抜け出せていない。

---------------

※SONYの世界ラジオは外国旅行の際、日本の放送(=相撲中継)を聞こうと5万円の多機能高級品を買ったのに未だに使いこなせていない。機械は大好きなので買った以上一応何でも使いこなしてきた。唯一のものになる。多機能が裏目に出た。
 これを使いこなせれば何の問題もないはずなのだが、面倒なことが厭になってきた頭に、あまりに多機能すぎてチューニングしているうちにうんざりして放り投げる。自作PCを組み上げてネット接続をしたり、OSをチューンナップするよりは簡単だと思うのだが、どうにも使いこなせない。

---------------

 残念ながらIPAT初体験の土曜日はラジオもテレビもなかった。それでもIPATというのは信じがたいほど便利で、早いレースを予想して購入した気分になり、レースが終わったころJRAサイトに行き、予想と結果を見比べたりして楽しんだ。ま、当たったり外れたりだが、5千円程度の馬単や3連複が当たっても何も感じなくなってしまっているので冷静だった。

 いよいよ本番。初めてのIPATでの購入だ。
 中山メインのオーシャンステークスを、おっかなびっくりで少額買う。いま思うとこの辺の感覚がおかしい。IPATで買おうが現場で買おうが馬券は一緒なのだ。なのに馬券を買い始めて34年、初めて経験する電話投票(のようなもの)に対して、怖じ気づいているのである。初めて行ったときの競艇場やオートで、「おれは競艇もオートも知らないんだから、いい加減に買いまくって無駄金は捨てないように」とブレーキを掛けたように、いつもとまったく同じ馬券なのに、おっかなびっくり、おそるおそる少額を、点数すくなく買ったのである。我ながらバカだ。これこそが勝負レースだったのに。

 大好きなアイルラヴァアゲインが勝ち、2着3着に人気薄のサチノスイーティー、ずっと追いかけているシルバーゼットが来て3連単は19万馬券。いつもの私なら簡単に取れていた。アイルラヴァアゲインが本命、サチノスイーティーもシルバーゼットもしっかり相手に選んでいた。中山に行っていたら……。
 だが初めてのIPATでの購入だからと慎重になり、1番人気のアンバージャック(最終的には2番人気)と2番人気アイルラヴァアゲイン(最終的に1番人気)を1、2着固定、3着に流す10点買いで様子見をしてしまった。アンバージャックはごつごつしたひどい返し馬でどうしようもないとテレ東でも解説。しかしもう買ってしまっている。買い足しは間に合わない。たしか最下位かブービーに敗れた。

 馬券の外れは自分の選んだ馬が来なかったならなんてことはない。アイルラヴァアゲインが勝ち、2着3着に自分の選んだ馬が来て19万馬券なのだ。アイルラヴァアゲイン1着固定で相手5頭の20点買いで簡単に当たった馬券だった。激しく落ち込む。こんなことは滅多にない。こんな形になったら必ず当てる。そしてまた3連単がこんな形になることも滅多にない。2着は選んでいて馬単なら当たったが、あの3着はいくらなんでも無印だったなんてことが多い。これは後を引かない。すぐに切り替えて次のレースに向かう。
 しかしこれには参った。選んでいるのだ。必勝パターンだった。こういう形でかすって19万というのは、最近3連単のオッズが変ってきているからなかなか出ない馬券なのだ。何故ここで勝負に行けなかったのだろう。悔やまれる。今年的中した3連単配当は金杯の12万どまりだ。せっかく更新のチャンスだったのに……。

---------------

 熱くなっての最終は手広く行こうかと思ったが、いや明日の日曜があるのだからと意気込みを抑える。それがまた失敗。メインと同じく1番人気パートゥーアワーズと2番人気シャドウストリームの2頭を軸にしておとなしいフォーメーションを組んだ。これまたメインと同じくパートゥーアワーズが勝ち、シャドウストリームが沈んで外れ。でも2着3着が軽視していた馬なので外れて当然と思う。そして1番人気が勝ち、6番人気8番人気が2着3着なのに3連単はたった4万円でしかない。これは未練なし。

 1番人気のアイルラヴァアゲインが勝ち、10番人気、11番人気が2着3着に来ての19万馬券がいかに貴重なことか。何度もこういう馬券を取っているが、滅多に出ないから、だからこそ出るときには逃してはならない。
 今はみんなが3連単上手になってきているので、19万馬券なんてのは、「8番人気、10番人気、12番人気」とかでないと出ない。これはもうボックスでなければ取れない馬券だ。勝つべき1番人気馬が勝ち、連下に人気薄が来ての10万超は滅多に出ない宝の山なのだ。またもチャンスの前髪を掴み損ねた。

 初めてのIPAT体験は、初めて故に慎重になりすぎ、「いつものように買っていれば19万馬券が取れたのに」というほろ苦いモノになった。
 いつもだと晩酌をやってさっさと寝てしまう、になるのだが、今は酒をやめているのでそんなことも出来ず、渋茶をすすりつつ、反省に勤しむ夜になった。


============================================


 日曜。
 実況が聴けない。これではつまらない。しかたないのでラジオNIKKEiの実況を月525円で聴くniftyのコースに入った。入ったもののなんとも釈然としない。レース実況のみである。前記したようにただで聴けるラジオNIKKEIより情報がすくなくてなんで有料なんだ。
 ネットのテレビ番組欄を見ていたらUHFが12時半から始めて最終レースも放映していると知る。いやそんなことはむかしから知っていたけど。
 UHFアンテナを買ってきてそれを見るようにすればすべて解決だ。グリーンチャンネルなんてものを入れる気もない。なにしろ未だに一度も見たことがない。そこまで「在宅競馬」に凝る気もない。よし、UHFのアンテナを買ってこよう。安い卓上型でいいように思うが、田舎だからヴェランダにおくちょっと値の張るヤツでないとだめだろうか。とにかくUHF放送を見ることにしよう。

---------------

「競馬場競馬」と「在宅競馬」
 もしかしたらこの文を読んで、「この人は三十年以上馬券をやっているのに、ラジオやテレビの競馬中継や電話投票のことをなにも知らない。おかしい」と思う人がいるかもしれないので、念のために書いておこう。ごくごく個人的な知り合い向けにやっているホームページなので、ここを読んでいる人にそんな人がいるはずもないのだけれど一応念のために。

 まあたしかにおかしい。馬券歴が三十年以上、競馬物書きになってからでも二十年以上になるのに、グリーンチャンネルを見たことがないとかUHFのアンテナを、とか言っているのは異常である。それこそ競馬歴数年でも、グリーンチャンネルを契約し、毎週IPATで購入している人もおおぜいいることだろう。

 私にとって競馬とは競馬場に行くことだった。中央の府中、中山、南関東四場に欠かさず通っていた。今も通っている。夏場の福島新潟は休んだ。その分南関東に通った。私の馬券とは目の前で生きている馬を見て判断し、買うものだった。
 それは競馬を仕事にするようになってからも変ることはなかった。二十数年前、競馬会の仕事をするようになったとき、電話投票加入権はまだレアなアイテムだった。なかなか当選しない抽選方式だった。欲しくても加入出来ない人が一杯いた。私は競馬会の仕事をすることになったとき、そういう方面の担当の人から特別に入れてあげるよと言ってもらった。即座に遠慮した。彼は怪訝な顔をした。今までそんな人はいなかったそうだ。私は電話で馬券を買うことに興味がなかった。後に茨城の田舎で、とんでもない大雨大嵐で競馬場に行くのがつらいとき(片道三時間)、電話投票を持っていれば……と思ったことは何度かある。でも大雨、大嵐、大雪の中を出かけるのもまた楽しいのだった。外国に行っていて馬券が買えないときは、友人に頼んで買ってもらった。これで当たった外れたも楽しい。電話投票の必要がなかった。

 だから私はラジオの競馬を知らない。ほんのすこし知っているそれは、父の看護で田舎に戻っていた時代、競馬場に向かう日、家からJR駅までの40分のあいだにクルマの中で聞くものだった。それでもだいたい第1レースが始まる前に家を出たから、聞くことは滅多になかった。
 ラジオで聞いた競馬というと、シンボリルドルフがアメリカで走ったときの夜明けの実況と、エルコンドルパサーが凱旋門賞を走ったときの深夜に聞いたことを思い出す。ともにカーラジオだった。ディープインパクトの場合はNHKとBSで生中継があった。時代を感じる。

 テレビの競馬中継は競馬場に出かける前、テレ東やフジを留守番録画してゆくものだった。フジの競馬中継は昭和39年から見ている。レースの録画ヴィデオは昭和56年から持っている。テレビを見ながら競馬をやっていた時代となると、昭和50年の阪神3歳ステークス、杉本アナの「見てくれ、この脚、これが関西期待のテンポイントだ!」ぐらいまで遡る。

 UHFは私の学生時代にぞくぞくと開局した。当時のテレビは何もしなくてもUHFが見られるようになっていて、開局したばかりでろくな番組はなかったけれど、あたらしいもの好きとして、よく見ていた。当時から馬券はやっていたけど、典型的な重賞のみの参加者だったからUHFの競馬中継とは無縁だった。フジで充分だった。土曜に重賞はなかったからテレ東(当時は東京12チャンネル)すらめったに見なかった。

 以上のような経緯で私は競馬に関するラジオやテレビの中継に関して疎い。グリーンチャンネルなんて未だに見たことがない。しかしそれは恥ではなく常に競馬場に通い詰めてきたという誇り高い無知のつもりでいる。
 先日某競馬雑誌で競馬番組のキャスター等を茶化す原稿を立ち読みした。たいそうおもしろおかしく書いてあったが、笑ったり感心したりする前に、私はその茶化されている人を知らないのだった。それでは楽しみようがない。その女キャスターはもうかなり長いあいだ競馬番組に関わっているらしい。もとよりそういう他人様を茶化すような競馬ライターの文は好きではない。そういうことをやっている競馬ライターはみな「語るべき競馬を持っていない人」だ。競馬のことを知らず、好きでもなく、馬券も買わず、それでいて競馬にたかって文を書いているハエのような競馬ライターがいくらでもいる。そのうち名指しで書く。

 「競馬場競馬」と「在宅競馬」があるとしたら、上記のような文は書く人も読んで笑う人も「在宅競馬」の世界であろう。私はテレ東やフジの留守録ヴィデオも、レースシーン以外は早送りしてしまうので出演者やゲストに興味がない。とはいえもちろんスズキヨシコさんやイサキシューゴロウさん、ハラリョウマさんとかは知っている。それはテレビで知ったのではなく現実に仕事先で関わったからだ。
 この項、終り。脱線してしまった。でも常に「競馬場競馬」だったので「在宅競馬」に関する知識がないことは、劣等感どころかむしろ私の誇りであると明記しておきたい。

============================================

 今日は9レースと10レースをやった。
 9レースで全額勝負してしまおうかと思った。当たる自信はあった。
 しかし自重する。それが出来ない男だったからこの辺は進歩したとも言えるのだが……。
 ナチュラルメイクとナイトアットオペラを1、2着に固定して、相手5頭にする。これで10点。
 もうひとつ、よくやる2頭を1、3着を固定して、真ん中に人気薄を入れる、も買った。これが10点。合計20点である。
 これは2頭軸マルチ相手5頭30点買いから、軸馬2頭が2、3着に敗れたときの10点を省いた買いかたになる。軸馬が2、3着に敗れた場合の馬券を買うより、必ず1、2着に来ると確信しての馬券の方が男らしい?のは言うまでもない。

 ナイトアットオペラが勝ち、2着に人気薄のトーセンフレンド、3着にナチュラルメイクが来た。見事に嵌った。トーセンフレンドを選んであった。大正解である。860倍的中だ。これはすぐに入金され、次のレースに賭けられるのだろうか? と考えていたら審議になって揉めている。レースを見ていないので何が起きたのかわからない。

 やがて1着のナイトアットオペラが3着に降着と発表になる。2着のトーセンフレンド、ナチュラルメイクがそれぞれ繰り上がった。私の省いた10点である。3連単は11万馬券。860倍がするりと抜けた。
 2頭軸マルチにして残額を全部勝負だと千円的中で110万になっていた。臍を噬む。
 今日の私の競馬はここで終わっていた。

---------------

 10レース。ブラッドストーンステークス。
 メインの弥生賞は見送るつもりでいる。これはもう武豊のアドマイヤオーラが勝ち、3連単は30倍程度だろう。もっと低いか。こんなのを20点30点買って当ててもしょうがない。かといって3点、5点で当てる自信もない。見(ケン)がベストだ。フジテレビの中継を楽しもう。ディープインパクトのラストラン有馬記念を現場にいて見(ケン)できる私には、いまこの程度のレースを見(ケン)することは簡単だ。
 勝負はこの10レースか最終。最終も荒れないだろう。3連単上位では20倍から100倍以下がいっぱいある。堅いだろう。まあこんなレースこそ人気馬総崩れでとんでもない配当になったりするが、私好みのレースではない。

 その点10レースは荒れる。3連単の1番人気でも170倍である。1番人気が20倍と170倍じゃやる気が違う。抑えに人気馬を絡めておいてもみな170倍以上なのだ。このレースに残金を全額入れて勝負と決めた。
 ここで負けると残金ゼロのオケラ状態で弥生賞を見ることになる。これはわびしい。でも所詮勝負事とはそんなもの。10レースを見(ケン)して弥生賞を楽しくテレビ観戦し、最終で勝負したとしても最終が当たるわけでもない。それが外れ、だったら10レースで勝負すべきだったとの悔いの方が尾を引く。

 ということで10レース、ブラッドストーンステークスに残金を全部入れる。ダート1200は私の最も得意とするレースだ。フォーメーション30点買い。
 外れ。外れて悔いなし、の大外れ。
 未練としては、1番モエレアドミラルをしばらく追いかけていた、逃げ残りとして。しかし太の息子は下手でどうしようもない。さんざん煮え湯を飲まされてきた。今回幸四郎に乗り変っている。鞍上強化だ。狙い目である。
 そのモエレが差す競馬で2着に来た。担当厩務員の太の息子(騎手とは腹違い)が「うまく流れに乗って前で勝負すればなんとかなる」とコメントしていたのが笑える。幸四郎は違う競馬をした。
 狙いはドンピシャである。3着の11番人気ウォーターオーレもしっかり持っていた。でも肝腎の軸であるワキノカイザー(1番人気7着)と武のヒカルバローロ(4番人気4着)がこけたのではしょうがない。これは完敗だ。
 勝ったのは5番人気のダブルアップ。モエレとの馬単は12000円。これが……って、3連単に絞って勝負しているのだからこんな未練を残してもしょうがない。3連単24万馬券。これは1着候補にダブルアップを入れてなかったのでまったく悔しくない。
 今週の競馬は、土曜のメイン19万と、日曜の9レースでの降着がすべてだ。

---------------

 予定通り弥生賞はオケラになってテレビ観戦した。パドックを見ている内、一瞬今から近所のセブンイレブンに走ってお金を入れて最終をやるか、と考えたが、それじゃバカじゃんとあきらめる。
 初めてやるIPATへの興奮?と睡眠不足、スパゲッティを食って腹が満ちていたこともあり眠くなりかけていた。9レースの降着がすべてだ。今更12レースをやっても運は逃げている。
 アドマイヤムーンは強かった。1戦1勝であそこまでやったココナッツパンチもなかなかだ。1着がアグネスタキオンの仔、2着がマンハッタンカフェの仔、3着がステイゴールドの仔。みんなサンデーの孫。すごいなあサンデーは。

 最終は予想だけして、ネットで結果を見た。3連単は23000円。フォーメーションだと外れだが2頭軸マルチなら当たっていた。最終決断はどっちだったろう。買えないと解ったときから考えるのをやめてしまった。不思議にというか当たり前なのだが、10レースで勝負と決めたから、こっちにすればよかったという気持ちはまったく起きなかった。よかったと思う。そうでないと困る。これでもしも「しまった、こっちにしてれば当たった」と悔いていたら、そりゃただの未練たらたら馬券乞食である。

---------------

 馬券を買い始めて34年、初めて体験した(電話投票の発展型)IPATは、二日で4レース勝負して外れという結果に終った。
 なんとも便利だと感心したのはオッズ系の充実だった。さすが電脳世界である。どんなオッズもたちどころに親切に教えてくれる。
 競馬場にいて私は、まずオッズペーパーの「基本」を印刷する。それから自分の軸馬からの「流し」を印刷する。軸馬が2頭だったらこの時点で3枚刷らねばならない。3連単の上位人気は「基本」で解るが馬複、馬単、3連複の人気順はわからない。単複も自分で一々順番をつける。
 それがIPATだとすべて一瞬で表示してくれる。人気順をそのまま購入することも出来る。
 3連単上位人気50点の横のマスをクリックすれば、「3連単オッズ上位50点買い」なんて邪道な買いかたも簡単に出来る。これを手作業でやるのは不可能だ。これはこれで「さほど荒れないで決まるだろう」と読んだらあり得る買いかたである。

 私はこの奥地から中山開催は通えない。時間も電車賃も惜しい。往復電車賃でひとつのレースが買える。
 今日こういうものを初体験して思ったのは、「IPAT競馬は時間がたっぷりある」ということだった。競馬場にいるとあっという間に締め切り時間が来ておろおろすることが多い。これだけ長いあいだ、これだけ競馬場に通っていて、それでもまだそんなことをしている。それはパドックや返し馬のような私にとってメインのアナログ情報と、パドックの時点では5番人気だった馬が急激に票を伸ばし2番人気にまであがってきたというようなデジタル情報を両方得ようとするからだ。忙しい。慌ただしい。時間が足りない。混乱する。そのうえ自分のデスクはないから、その辺にうずくまってマークカードに記入している。
 
 IPAT競馬だとそれはない。パドックの馬も返し馬も、自分の目でいつもの地点から見ないと意味はない。カメラが思いつきでとらえたような映像ならむしろ見ない方がいい。だからバッサリアナログ情報はあきらめて、数字的なものからの机上予想とオッズのデジタル情報にだけ絞れる。すると意外なほどゆったりと競馬が楽しめた。

 自らの弱気(土曜11レース)と降着の不運(日曜9レース)で穴馬券を外したが、パドックで馬を見ていないのに10万超の馬券にかすっていたのは望外の成果だった。机上の推理でも穴馬券をとれるかも、とすこしばかり希望的になった。
 しばらくはIPAT生活が続く。さてどうなることやら。

3/6
 資料整理、手抜きのつけ 


 競馬原稿を書いていて古いビデオテープ(以下VT)を見る必要に駆られた。1993年の桜花賞が見たいのだ。いや見ねばならないのだ。
 だがそれは「VT」と書かれたいくつもの段ボール箱の中に散っている。大雑把には「プロレス」「バラエティ」「ドキュメント」「将棋」「競馬」「音楽」のように分類されているが、それほどきちんとはしていない。探すのには相当の時間が掛かるだろう。

 茨城にいるときにはそれはもう他人様に自慢できるぐらい完璧に分類し、年度毎にきれいに並んでいた。高さ2メートル、縦三段のドア附き大型収納ボックスふたつに整理していた。
 茨城から以前の住まい、国立市に引っ越すとき、慌ただしかったのでVTをいい加減に荷造りした。国立でも適当に並べたままだった。しかしいい加減とはいえ元々の整理がきちんとしていたから、それなりには分類されていた。

---------------

 国立に引っ越した一昨年の夏から秋、VTからHDDに入れ、そこで編集してDVDに焼くという作業をかなり熱心にした。初めての体験であり物珍しかったからである。将棋とお笑い関係が主だった。DVDを200枚ほど焼き、その倍の数のVTを捨てた。DVDよりVTの方が数が多いのは作品を選んで焼いたからである。DVDで保存する必要のないものも多かった。今はそれはない。なぜならHDDレコーダは再生したときいらないと思えばすぐに消せるからである。VTはそうは行かない。巻き戻して上書き録画しない限り残る。いらないものもだいぶ残っていた。それはDVDに焼かなかったので枚数が節約できた。

 DVDに関していま思い出しても恥じるのは、秋葉原で買ってきた安いメディアを使用し焼きエラーが続出したことである。当時は安ければ安いほど経済性が高いと勘違いしていた。焼きミスが連続しだいぶ時間を無駄にした。それが最も非能率的なのだと悟る。いまは日本製DVDしか使わずまったくのノーエラーでやっている。台湾製の安物を買ってきて何時間もかかって焼いたのに再生できないというミスを何度も何度も繰り返したあの当時のことは忘れてしまいたい過去になる。

 やがてその作業にも厭きて、以降は移植作業はほったらかしになっている。今となっては30年近く前のものでもまったく画質に乱れがなくきれいに再生できるVTをなんであんなに焦って捨てたのか理解に苦しむ。なんだかこんな後悔ばかり。

---------------

 今回の引っ越しでもVTを段ボール箱に適当に詰めた。茨城ではきちんと整理されていたものが国立への引っ越しで雑になり、今回の引っ越しでさらに雑になったわけである。
 そうして今、必要になったとき、そういう手抜きのつけがやってきた。
 こうして振り返ってみると私の人生は、やはり父が死んで茨城を出ることになったときから狂い始めていることがわかる。もちろんそれはいずれ来る父の死に対して適切な準備をしていなかった私の責任であるが。

---------------

 昨夜は徹夜した。今は水曜の昼を過ぎたがまだ寝ていない。先ほどまでVTの入った段ボール箱整理をやっていた。だいぶ捨てたのだがまだ6箱ほどあった。
 6箱ほどあるVTと書かれた段ボール箱を全部点検した。1箱に100本入っている内、80本ぐらいは同一傾向でもあとの20本はいくつもの分野がごちゃ混ぜだ。4箱目、5箱目と進むほどその度合いが進んでいる。それらの中から競馬のVTだけを選んで抜き出す。1981年から2002年までだった。

 最後が2002年というのが印象的だ。私はそのあたりからフジテレビの番組を録画して保存することをやめてしまったらしい。ん? チェンマイに行かなくなった時期と一致している。外国放浪をやめた時期ってことか。
 今も競馬場に行くときHDDレコーダに録画予約するが、帰宅して一度見ると消してしまう。大外れのときは見ないで消すことも多い。元来見たいのはレースシーンだけだった。その他は早送りしていた。こういう時代になり映像が手軽に入手できるようになった。送られてくる『優駿』の附録DVDに毎月の重賞が入っているのだからあえて自分で録る必要もない。ましてフジテレビのアオシマなんてのの実況だったりしたら最悪だ。あいつの実況のときは音を消して見るだけにしてきた。聞きたくない。不快になる。『優駿』はラジオたんぱ(今はNIKKEIか)の実況だからこっちのほうがずっといい。

 VTの中にはそのフジの中継を集めたポニーキャニオンのテープがあった。ルドルフのころ、昭和59年から60年頃はこれを買っていた。一年を前期後期に分けてある。それぞれ1万4800円。ひどい時代だった。700円の『優駿』にレースを録画したDVDが着いてくるのが今である。むかしという通り過ぎた季節はいとしいものだが、こういうひどい時代には腹が立つだけである。100円ショップが普及する前、まったく同質のものを千円以上で買わされていたのと同じ不快感だ。

---------------

 汗を掻きつつ、腰を痛めないよう気をつけながら作業した。今も茨城に住んでいたならやらなくてもいい作業だった。きれいに整理されていた日々が懐かしい。あの収納ボックスも隣の田圃で燃やしたのだった。せつなかった。茨城を去るとしても、納得できる形で引っ越したなら、本もVTも整理されたまま運ばれていたろう。そうではなかった。当時のごたごたから私は未だに抜け出せていない。

 VTの分類をきちんとしなかった手抜きのつけで一汗掻いた。段ボール箱6箱から競馬ビデオテープをすべて抽出した。その中から今回は使わない秋競馬のVTは、整理スペースの都合から段ボール箱に入れ押し入れにしまう。今回はしっかり「秋競馬VT」とメモする。春競馬だけを抜き出した。
 それを本箱に年度順に並べる。下手な字のきたない見出しはあまり見たくないが、それでも81年から02年まで年度毎にずらりとVTが並んだのを見るとなんとなくうれしくなってくる。いかにも資料っぽい。ただの競馬オタクの部屋だとしてもこれはなかなかのものだろう。苦労はしただけ報われる。(いや真のオタクはきっと分類もきちんとしているからこんなものじゃないか。オタク的な几帳面さが無いのでわからない。)

 とはいえまだ解決はしていない。きちんと収録レースをラベルに書いたのは初期のころだけなのだ。90年に入るともう手抜きで「90 春競馬」「91 秋競馬」のように雑になっている。全部を几帳面に録画したわけでもない。府中中山のGⅠは現場に出かけている。「しまった、録画を忘れた」をしばしばやっている。ならほとんど行っていない関西のGⅠはきちんと録画されているかというとそれも心許ない。私には関西のGⅠより目の前で行われる関東の平場のレースの方が重要なので、というか要するに毎週競馬場に通っているので、桜花賞や菊花賞だからといって確実に録画したかは定かでないのだ。

 今回必要なのは春競馬なのだが果たして毎年桜花賞がちゃんと入っているか自信がない。VTRはHDDRとちがって簡単に消せないから、桜花賞の馬券が外れたので頭に来てオークスを上書きしたなんてことはしていないはずだ。(と書くのはHDDレコーダになってからよくそれをやっているからである。)
 VTは早送りしつつレースを探すのも面倒だ。
 まだ締め切りまで時間はあるので何とか間に合うと思うが……。

---------------

 ネットで見たらYahooが月1700円ぐらい払うとレースヴィデオが見られるサーヴィスをやっているようだ。う~む、それを利用すると手っ取り早いんだけど、10年ぐらい前のレースからだから資料としてはビミョーである。見たいのはもっと前になる。といっても、金を払ってそんなのと契約してもまずめったに古いレースなんて見ないもんなあ。ああいうものは心の中にあるものであって、ヴィデオを何度も見ることには興味がない。でもいざというときの必要経費として契約すべきか。しかしあのネットからDownloadする映像は画面が小さくて各馬の位置取りを確認したりするのには不向きだ。それは毎週のJRAサイトで身にしみている。やりたいことはそれなのに。
 やはり自分のヴィデオ資料を利用しよう。当時を思い出しつつ見る大型画面以上のものはない。

 新橋のJRA図書館で調べものをしたいのだが往復したら一日仕事になる。こんなとき田舎暮らしはつらい。
 田舎暮らしだからこそ自前の資料をきちんと整理して、インターネットで調べものをしなくても原稿が書ける状態を作らねばならない。私は基本的にフィクションライターだからそういうのが苦手なのだ。でもやらないと。
 課題は山積みだ。

4/23

 行かねばなるまい!


発走時間が4時40分頃とアバウトなのがいいな(笑)。JRAサイトより。

---------------

 明日は最終レースのあとにこんなアトラクションがある。行かねばなるまい。
 誰が1着するのだろう。馬は騎手学校の使用馬だという。馬次第なのだが。
 的場はライスシャワーの勝負服のほうがよかった。でもダービー、オークスを勝った騎手って条件だからこうなるのか。

 アイネスフウジンとイソノルーブルが逃げて、メリーナイス、シンボリルドルフが追い込んでくる。その外からトウカイテイオー。ゴール前は親子の一騎討ち。現実には絶対にありえないシーン。私はそれを望む。

 何事にもきまじめな岡部は自分が乗ることになった騎手学校の馬を坂路でトレーニング出来ないかと申し込んだらしい。いかにも彼らしい。本気なのだ。一方根本は担架を九つ用意したほうがいいとかお笑い路線のようだ。
 岡部は根本を嫌っている。あの騎乗法も発言も。根本の現役時からそうだった。根本もまた「岡部さんて、レース中にテイク・イット・イージーなんて馬に語りかけてるんだ。たまんないよなあ」と(ルドルフの時の実話)岡部を茶化した発言を公の場でしている。根本嫌いは以前インタヴュウしたとき岡部の口からハッキリ聞いている。しかし毎度驚くが馬に乗っているときって、あれだけの速さで馬群の中にいるのにことばが聞こえるし会話も出来るらしい。不思議な気がする。
 中央競馬最多勝ジョッキーとして、岡部はこんなアトラクションであれ根本ごときに負けたくないだろう。まして来年の2回目のときは最多勝ジョッキーではなくなっているのだから。

 スポーツ紙の片隅に、記者席では間違いなくトトカルチョが開かれると書いてあった。やるだろうな、POGなんかより遙かにおもしろい。本気度合いからいって勝つのは岡部と見た。記者席に行ってトトカルチョに参加させてもらおうか。でも断然岡部人気だと思うから金にはならないだろう。大波乱はあるのか。でも万が一根本が勝ちそうになったらかみついてでも岡部が阻止すると思う(笑)。だからどんなに大穴でも根本は買わない。
 岡部から、ついこのあいだまで現役だった本田と松永に馬単2点勝負。いや引退間際で馬に乗れる人は遠慮するからそれはないのか。じゃ岡部の単勝。
 楽しみだ。(22日記)


---------------


 大盛り上がりのジョッキーマスターズ──4/22

 最終レースのこのレースを見るため誰も帰らなかった。と書いている人がいたらウソ(笑)。メインが終ったらさっさと帰る人の群れを最終のパドックを見下ろす五階から何千人も見ている。入場者数と残っていた人の数からすると2万人ぐらいは帰っているのか。もったいない。(後日の記事によると入場者が6万5千ぐらい。このレースのために4万6千残っていたとか。)
 でも最終のあとのこれがもうたいへんな盛り上がりだったのは事実。最終レースが終るとすぐにパドックに岡部たちが並び始めた。みんな走ってパドックに行く。私も走った(笑)。報道陣用の特別席があるがそこに行くまでが一苦労。すごい混雑。まるでGⅠレース前のパドックである。
 いやGⅠ以上であったろう。もう何年も顔を見ていないカメラマンを何人も見かけた。牧場に住み込んで写真を撮っている人や、レース写真が主なのでよりよい写真を撮るためにいつもコースにすわりこんでいる人(=パドックには来ない。来ている暇がない)もみな顔をそろえていた。パドックは超満員。
 井崎脩五郎さんのような普段はパドックに来ない(放送があるので来られない)人もみな顔を見せていた。そして笑顔笑顔。どこもかしこも浮き浮きした笑顔である。笑いが絶えない。

---------------

 パドック中央。レースに出走しないダービージョッキーとして柴田政人と郷原が顔を出していた。スーツ姿。よれよれのおじいさんがひとりいるので誰かと思ったら保田隆芳氏だった。日本の名騎手といえば真っ先に名の上がる人である。
 柴田、郷原以外にこのレースに出走資格のある人は何人いるだろう。嶋田と増沢がすぐ浮かぶ。嶋田は引退後のボクサーのようにブクブクに太ってしまったから顔を出さないのはわかる。増沢はパドックに並んでもよかったのではないか。七十で来年調教師引退だから今年しかない。ダービー2勝ジョッキーだし。
 大崎は競馬界から離れたからダメなのか。田原がダメなのはわかるが。
 引退したばかりの大西はレースに出てもよかったろう。顔を出す人、出さない人には何があるのだろう。もしも大西がつい先頃引退したばかりであり、こういう現役を離れて長い人の遊びには顔を出さないのだとしたら、すなおに顔を出した誰からも「いい人」と称えられる松永の存在がまた際だつ。

 オークスは記憶がいい加減だがダービーは覚えている。自分が馬券を買い始めたときから記憶をたぐれば騎手の名も出てくる。
 昭和48年から。タケホープの嶋田、コーネルランサーの中島(故人)、カブラヤオーの菅原。なんで菅原は顔を出さないのだ? クライムカイザーの加賀、おお、加賀もなんで顔を出さないのだ。みな現役調教師ではないか。ラッキールーラの伊藤正徳、おお同期の中で福永よりも岡部よりも柴田よりも早く一番先にダービージョッキーになった伊藤はなぜ出てこない。愛弟子の後藤が自厩のローエングリンで勝ったりしてるし、顔を出すべきではないのか。同期の岡部、柴田もいることだし。この辺、不可解。

 サクラショウリ、サクラチヨノオーの小島はなんでいないのだろう。ここまで書いてきて思う。この大成功した企劃に反対した人もいるのか? 「くだらねえ。おれは行かないよ」と断った人がいるのか。なんだかそんな気がしてきた。でも小島は現役時はともかく岡部の現役最後のころは調教師として騎乗を頼んでいたし、仲がよかった。岡部が言い出しっぺのこの企劃に反対のハズはあるまい。まあ昨日仲良くても今日は不仲の可能性もある社会ではあるが。

 カツラノハイセイコの松本、オペックホースの郷原、カツトップエースの大崎、バンブーアトラスの岩本。おお、岩本のイッチャン、マムシの岩本も来るべきではないのか。関西だから来ない? でも安田は来ているぞ。確執で言うなら岡部にトウカイテイオーをとられた安田の方が岡部企劃に不快だったのではないか。ただの一度もトウカイテイオーで負けていない安田なのに。でも安田師も大の人格者で知られている。6戦6勝で二冠を制したトウカイテイオーを降ろされても文句ひとつ言わなかった。
 ミスターシービーの吉永(故人)、ルドルフの岡部、シリウスの加藤、ダイナガリバーの増沢、メリーナイスの根本、チヨノオーの小島、ウィナーズサークルの郷原、アイネスフウジンの中野、トウカイテイオーの安田、とこの辺は顔を出している。
 ミホノブルボンの小島貞、タヤスツヨシでダービー2勝ジョッキーの小島貞も顔を見せていない。
 ウイニングチケットの柴田、ナリタブライアンの南井。おお、南井が来ていないのは不自然だ。というか乗っていないのはよくない。乗るべきだ。
 ここからあとは藤田や武、安藤、石橋と現役か。中にアグネスフライトの河内。ジャングルポケットの角田、角田ってダービージョッキーだったんだな。強運の人だ。

 これにイソノルーブルの松永、カワカミプリンセスの本田。エリモエクセルの的場がオークス優勝騎手として参加。シリウスの加藤はシャダイアイバーのオークス優勝騎手として参加ってことか。加藤は有馬も勝っている。ダービーオークスの両方を勝っていることを忘れがちだ。ホクトベガに関して「降ろされた馬だからあまりしゃべりたくない」と言っていたのが印象的だ。

 こうして振り返ってみると、乗って欲しいのは、南井、大西か。岡部が58。小島貞はまだ55だから乗って欲しい。小島太は60。いやがるか。
 乗らなくてもいいから顔を出して欲しいのが菅原、伊藤、増沢、岩本、中野、小島太。関西から武邦にも来て欲しい。引退して厩舎を愛弟子の松永に譲ったキーストンの山本師にも顔を見せてもらいたい。
 と、もっともっと多くのダービージョッキー、オークスジョッキーに来てもらいたいと思った。
 しかしまたこうして名をあげるとギリギリの企劃であることもわかる。だからこそみんなニコニコなのだろう。

---------------

 今日、競馬ブログやホームページをやっている人はどこもかしこもこの話題で持ちきりだろうから細かい状況を書かない。そこいら中この話ばかりだろう。話がダブる。それにこのあと発刊されるすべて(そう、すべてと言い切れる)の競馬雑誌はこのことを取り上げるはずである。とにかくとんでもない熱気だった。

 たぶんふつうのファンのブログにも競馬雑誌にも書かれないと思われるサイドレポートをひとつ。
 9人の元ジョッキーと保田氏、柴田、郷原らはパドックの真ん中に集合した。それは正しい位置である。足下の芝生にもTOKYOと白くペイントしてある。周囲を埋め尽くしたファンから見ても真ん中だ。楕円形のパドックの真ん中の位置に、周囲を取り巻く柵と平行するように並んだ。パドック正面のファンとは真正面に向かい、オッズ板側のファンは背中を見ることになる。まっとうな整列位置である。
 ところがこのことに不満を唱える連中が多々いた。カメラマンである。パドックを撮影するカメラマンの専用位置はオッズ板を見るのを正面とするとかなり左寄りである。正面を向いて整列した彼らを斜め45度から見る角度になる。
 元騎手が集合し、スズキヨシコさんがインタビュウを始めたときから声が飛んだ。「そっちじゃないよ、もっとこっちこっち」
 カメラマンたちはすこし驕っていたように思う。報道する自分たちは整列した彼らの姿を真正面から撮る責任と義務、権利がある。そのことに競馬会は応えてくれるだろうと。
 ところが第1回という不慣れもあるのか彼らの主張に気づかないのかそのままの位置でインタヴュウは進んでゆく。自分たちの要求が受け入れられないはずはないと思っているカメラマンは次々と声を出す。最初は明るいかけ声のようだったそれは、やがて怒声のようになった。しかしそれでもまったく相手にされない。

 同じような要求をオッズ板側のファンもした。「こっちむいてえ~」と。そのままでは彼らは元騎手の背中しか撮れない。これはすんなり聞き入れられ、元騎手たちは180度回転し、オッズ板の側にも顔を向けて整列した。背中ばかりを写していたファンから拍手が沸く。
 思うようにならないカメラマンは「こっちを向け」「カメラマンはこっちにいるんだよ」「こっちだよ、こっち!」と怒鳴っていた。しかし無視される。

 そんなわけで、すべての競馬雑誌で取り上げられるだろうこのネタだが、どの競馬雑誌の写真も、9人の姿は正面からではなくかなり斜めからになっているだろう。なにしろプロカメラマンはパドック内に入れず、規定の隔離された位置から斜め45度で撮ったのだから。ファンのほうがいい写真をもっているだろう。真正面から撮れず憤ったカメラマンも多かったろう。中にはJRAに抗議した人もいるかもしれない。
 そういう意地悪な視点で競馬雑誌を見るのが楽しみである。


 これがその代表的な例。ネットのサンスポから借用。これは、正面、180度回ってオッズ板側のファン側に向き、そこから90度曲がって馬主たちのいる方向に向いたときのモノ。報道カメラマンのブロックからは、これが正面写真としては精一杯の角度になる。なにしろどこを向いたときでも斜め45度なのである。そういう位置なのだ。それでもこれがいちばんましか。多くの雑誌でこの角度が使われるだろう。

---------------

 パドック内でのインタヴュウも終り、馬場に出てゆく段になる。誘導馬が入ってくる。引退した3頭の葦毛馬。周囲がざわざわしたのでどうしたのかと見上げると、誘導馬にモーニングを着たヨコテンと後藤が乗っているのだった。横山がシルクハットを脱いでうやうやしく礼をする。会場が沸く。真似て後藤も始めた。コーナー毎にやっている。そのたびに沸く。とにかく和やかだ。こんなパドック見たことない。

 このとき、だったらもう1頭の誘導馬の女も、競馬番組に出ているきれいどこのタレントでも使って派手にすればいいのにと思った。不細工な女が乗っていて興ざめも甚だしい。係員か? でもいつも誘導馬に乗るのは男だった。地方競馬場では女も多いが。
 後に杉本アナの解説でそれがホソエジュンコという元騎手であり、一応演出はされていたのだと知る。華がないので気づかなかった。すまんすまん。どうせなら牧原にしてくれ。

 この誘導馬と出走馬のパドック巡回は通常は一周だが、今回は特別に二周した。声が飛ぶと的場がそちらに手を振る。現役の時と同じく的場が馬上で口笛を吹きそうになり、やめるのがほほえましかった。
 的場に次いで「岡部さーん」とも飛んでいたが、とにかく的場が人気者であることがよくわかった。関西の騎手に声が飛ばないのはさすがに関東である。関東に負けじと熱烈な関西ファンが大挙上京し、河内、安田、本田、松永らに熱烈な声援を送って欲しかった。
 声を掛けられたファンに挨拶するのは外国ではよく見かける。それどころか私語を交わしたりしている。おとなだと思う。日本でそれをやったらすぐに馬券オヤジから「的場、ニヤついてんじゃねーよ」などと野次が飛ぶ。何万人かにほんの数人だが、必ずそれをやるのがいる。でも総じて競馬ファンというのは穏和だけれど。
 昨秋、あまりに汚い野次に馬上からヨコテンが「つまらんことを言うな」と発言し、騒然となったことがあった。

 ファンファーレは東京競馬場のGⅠ用。手拍子もおきてとんでもない盛り上がりである。
 司会は杉本清アナ。解説は田中勝春。まあこれは迷実況、迷解説になる。それでも杉本さんの「あなたの、私の夢が走っています。私の夢は岡部です」には沸いた。
 最先着した河内の騎乗は内側をまっすぐに伸びて見事だった。
 翌日の記事、サンスポは長年親しくしている岡部を絶賛していたが、直線ではよれて隣の馬とぶつかりそうになっていた。よく考えたら岡部が最年長なのだった。でもそれは鞭を入れて追ったからであり、やはりいつでも熱い岡部は最高だった。

 かつてこれほど成功した競馬会の催し物を知らない。楽しい時間だった。

---------------

『牝馬の河内』は健在!第1回ジョッキーマスターズ優勝

現役時代と変わらないフォームで、“河内洋”がインから鮮やかに抜け出した。調教師と騎手、二足のワラジは叶わないものか…

 注目のイベント、往年のダービー、オークスジョッキー9人による『ジョッキーマスターズ』は22日、東京競馬場で芝1600メートルを舞台に行われ、河内洋調教師が優勝した。最終レース後にもかかわらず、大勢のファンが残って大声援、拍手を送り、盛況のうちに終わった。

 このビッグイベントを心待ちにしていた4万6000人の大観衆を見事に虜にした。仕事人、河内洋は勝負強さと輝きを決して失ってはいなかった。ロスなく内々の3番手を進み、ラスト1ハロンからは押して叩いて目一杯のパフォーマンス。ゴール前で外から追い込む本田優、安田隆行を抑えて第1回ジョッキーマスターズのチャンピオンに輝いた。

 「位置取りは全然気にしてなかったね。うまく折り合えたし、直線の坂下から仕掛けた。外からビュッと差してくる馬もおらんやろと思っていたよ(笑)。最後は本気になってたし、レース感覚は失ってなかった。ただ、足腰にはくるね」と河内調教師は汗を拭いながら笑顔を見せた。「最後もある程度のスピードは出ていたし、いい競馬になったと思う。これだけのファンの皆さんの声援も嬉しかった。オレもまだまだ行けるやろ」とジョークも飛び出し、周囲を和ませていた。

(片岡良典)

★レースを終えてひと言

 ◆本田優調教師2着 「勝てなくて残念だったが、周りの空気も読んで抑えました(笑)。僕より若い騎手が引退してこのレースをやれば、全力で行きますけどね。10年ぐらいしてまた乗りたい」

 ◆安田隆行調教師3着 「疲れましたけど、4コーナーでは勝てるかと思いました。本当は勝ちたかったな。でもこういう企画はこれからも続けて行ってもらいたいし、また参加したいですね」

 ◆加藤和宏調教師4着 「岡部さんにハナ差勝てたのが嬉しかったね。でも緊張したし、調教と違って足がつりそうになったのには参りました」

 ◆的場均調教師6着 「こんなに大勢のファンが残ってくれた中で初めての企画が大成功に終わったのは嬉しい限りです。競馬を身近に感じてくれて感謝です。クラシックレースが続くので、新しい東京競馬場に足を運んでもらいたいです」

 ◆松永幹夫調教師7着 「本当は中野さんが前に行ってくれたらよかったんでしょうが、僕が行くことになってしまって。でも向こう正面でスタンドを見ると声援が聞こえて鳥肌が立ちましたね」

 ◆中野栄治調教師8着 「岡部さんが続ける限り僕も参加しますよ。今秋にも騎手試験を受けようと思っていますよ(笑)」

 ◆根本康広調教師9着 「引っ掛かって持っていかれたが、風車ムチで追えてよかった(笑)。とにかく思い出の勝負服を再び着れて嬉しかった」(サンスポより)

5/21


新創刊『Gallop』に落胆

 まあ正直に言えば競馬週刊誌の熱心な読者ではないのでさほど期待していたわけではない。そしてまた激しく落胆したわけでもない。しかしよくなるのではなくわるくなったのだから書かずにはいられない。さほど落胆の幅は広くないが奥は深い。
 大々的に宣伝していた2007年ダービー週の新創刊『Gallop』とは、『Gallop』が『競馬ブック』になることだった。扉が左から開けるようになり、文章も横書きになった。これはひどい。横書きのブックが嫌いで『Gallop』を買っていた身には意味がわからない。いやわかる。全面的降伏だ。両誌の実売数がどの程度でありどういう推移なのかは知らない。しかし頭を下げた方が負けだということぐらいはわかる。まちがいなく『Gallop』がブックに頭を下げ躙り寄った。報知や「馬」の廃刊に続き、これで縦書き文章の読める競馬週刊誌はなくなってしまった。

 ただ、むかし「競馬通信」を読んでいたときに思ったことだが(青木さんに贈呈してもらっていたのだけれど)、競馬文章は横書きが向いている。血統名でアルファベットの使用が多いし、横書きになるのは必然だったともいえる。
 競馬の予想記事はいい。しかし吉川良さんのような人情話までがみな横書きというのはしっくりこない。

 こういうのも時が過ぎ、競馬新聞の馬柱がみな横組みの時代になったら、なつかしい昔話になるのだろうか。未来のことはどうでもいいが、なんとか私が競馬を楽しんでいる期間は縦組みの馬柱であって欲しい。

5/17
武、アドマイヤを下ろされる

 武がアドマイヤオーラを下ろされた。岩田に乗り代わるそうだ。昨年のアドマイヤムーン、アドマイヤキッスでのクラシック惜敗、今年の皐月賞のアドマイヤオーラと続いたから普通の騎手なら当然かもしれない。それが武でありアドマイヤベガでダービーをあのオーナーにプレゼントしている関係だから驚いた。今年の武が不調でありついにリーディングの座を降りるのかとは別項に書いている。

 競馬的に大事件のこのニュース、私には朗報である。いやまだ朗報ではない、これをきっかけに朗報になって欲しいと願っている。

---------------

 私は武豊騎手の大ファンである。
 私はアドマイヤのオーナーが嫌いである。
 このふたつが基本。それがぶつかるのでたいへんだった。
 ここに「馬券はどんな形でも当てたい」が加わり、結果として「しかたなくアドマイヤの馬券を買ってきた」が現実だった。といってアドマイヤコジーン以外ではアドマイヤの馬でいい思いをしたことはない。むしろ武の乗る名血馬なので切れないことはストレスを生んできた。
 
 私には、今回のことをきっかけとして武陣営がアドマイヤと完全に縁を切るのが望ましい。
 すると私も割り切れる。「アドマイヤの馬は買わない」と。そのことによって外れる馬券も多々出てくるだろうが、こうして今机上から想像しても悔いはまったく浮かばない。どうやら「どんな形でも馬券を当てたい」より、嫌いなオーナーの馬は買いたくない、のほうが優先するようである。やはり今まで買っていたのは好きな武が乗っていたからなのだと確認する。今後乗らなくなったらこれほどうれしいことはない。
 アドマイヤコジーンやグレースアドマイヤのようにパドックで惚れた馬もいるが、ほとんどのことには目をつぶれる。幼稚な感情である。恥ずかしい。みっともないと思う。だが、競馬は感情でやらなければつまらない。感情でやるからおもしろい。感情的になるべきなのだ。

---------------

 しかしあちらも大オーナーである。名血馬が粒ぞろいである。大レースを勝ちたい慾張りな武が社台の名血馬を多数抱えているのあのオーナーと完全に縁を切ることはないのだろう。あちらも手放しはしまい。また縁のある名血馬がデビュウするときは武が乗り元通りなのか。

 思いっきり感情的になり、「もうアドマイヤの馬には乗りません」「あいつはウチの馬には乗せん」となると理想的な展開なのだが、それはないのだろう。あって欲しいが。

 ともあれこれでダービーはアドマイヤの馬を買わなくて済む。ありがたい。それで外れても迷いはない。元々アグネスタキオンの仔をダービーで応援するつもりはなかった。うれしいニュースになる。
5/27
 ダービー覚え書き──ウォッカ優勝


●フサイチオーナーと亀田一家
 パドックの中に真っ赤なスーツを着たフサイチのオーナーがいる。1番人気馬のオーナーらしく、真ん真ん中に立ち、いちばん目立っている。というか、周囲の人たちがみな黒を主にしたスーツ姿なので真っ赤の服は目立つ。女も白のスーツが何人かいるぐらいで赤はいない。でっぷりと腹の出た体型にポニーテール、真っ赤っかの服だからそりゃあ目立つ。でもだいぶ慣れた(笑)。違和感はない。

---------------

 ボクシングの亀田親子を連れてきている。
 生の亀田親子というのを初めて間近に見たが、いやあ貧相でおどろいた。あれだけ知性のかけらも感じさせず貧相な人間も珍しい。呆れた。その感情は同情に近い。気の毒だ。色の真っ黒な頭の悪そうな父親を見ていたら、田舎の中学によくいた教科書もろくに読めない劣等生を思い出した。ガラス玉みたいな目をしている。それにむらがる三人の息子は、長男はあのモヒカンをアレンジした髪型、次男は金髪、中学にろくに行かず字が書けないと言われる三男(ただしこどものときから練習してきた自分の名のサインだけはうまいとか)はドレッド・ヘアだ。父を含めてみな小柄である。黒い父犬に寄り添う三人の黒い子犬、という街角の野良犬の風情。あまりの品のなさにちょっと感動した。同時に親子の絆の強さも感じた。あれは肩を寄せ合って通りかかる人にうなる野良犬一家である。ボクシングをやってよかった。それでなければぜったいに世に出ない人たちだ。
 長男の隣によりそうように娘さんがいて頻繁に話しかけている。たぶん中学時代からつきあっていて、今も一緒に住み主婦代わりをしているという恋人だろう。あるいは妹か。この人も失礼ながら貧弱な体つきの薄倖そうな女性だった。みんなそろってしあわせになることを心から祈る。彼らを見てそう思わずにいられなかった。

---------------

 私はアンチ亀田一家ではない。むしろ今まで書いてきたことは亀田寄りである。TBSの「大家族 青木家」と同じ作りの、あまりにクサい芝居仕立て報道には辟易しているが、ボクシングのことなどなんの興味もないタカハシゲンイチローが競馬コラムで、長男の試合を「プロレスだと思えば腹も立たない」と書いたりすると不快になる。ふだんボクシングなど見ないくせに、それだけ見てわかったふりをするな、と。まして「プロレスだと思えば」とはなんちゅう言いぐさだ。
 すくなくとも私は真ん中よりも亀田寄りである。
 そういう私が本物の一家を生で見ての感想が上記になる。失礼にならないよう気を遣って書いてあんなだった。それほど彼らのマイナスのオーラはすごかった。日本の馬主関係に上品な人はすくないが、その中でも彼らの品のなさは群を抜いていた。それはいわゆる品がない、下品だというのともちょっとちがう。普段長屋で縮こまっている人間が豪華宮殿に来て浮き上がっている、というような場違いの存在感だった。そうして親子は四人の力を結集し、バカにされてたまるかと全身でメンチを切っていた。人間の品格というのは出るものだなと、驚き、呆れ、しまいに感激した。
 同じ小柄でも騎手には知性的な目をした青年が多い。彼らを見て私は騎手に誇りを持った。

 それで気づいた。彼らのヤクザファッションについてである。あれは自分たちの品性を出した下品なファッションなのではなく、下品な品性を隠すための迷彩服なのだと。
 世界チャンピオンになり少年から尊敬される立場なのだからと彼らが上品なファッション、言葉遣いを心がけたとする。するとそれはたまらなく惨めなものになるだろう。品のよい服を着れば着るほど、真っ当なことをしゃべればしゃべるほど、顔と中身の品のなさが目立ってしまうのだ。だからこそ彼らはあえてキンキラキンのどこから見ても下品なチンピラファッションと、そういう言葉遣いを選んだ。あれはベストの選択だった。
 もしもこれから長男が年を重ね、チャンピオンにふさわしい顔つきになれたなら、それから品のいいファッションを試みたらいい。今の時点では、思いっきりヤクザファッションをして内面の品性を隠すのが最良である。賢い手段だ。色黒だと指摘されたくない人間が日焼けしまくって黒人のように黒くなり、地黒を隠すような手法である。(とはいえ異様なシャネラーのイズミピンコの醜態を見ればわかるように、人は金持ちになったり世界チャンピオンになったからといって内面の品性を隠せるものではないようだ。)

 フサイチホウオーが勝ったら表彰台に並ぶつもりなのだろう、亀田長男は白っぽいスーツを着ている。次男三男もネクタイを締めていた。
 フサイチのオーナーになんの意趣もないが、フサイチホウオーが勝って、あの親子が表彰台近辺でガッツポーズをしたりするのはいやだなと思った。

 もうすぐ「フサイチコーキ」という馬がデビュウするそうだ。GⅠを勝たないことを祈る。勝ったらあの親子がまた競馬場にやってくる。ボクシングではがんばってほしいがパドック内では見たくない。

---------------

 競馬ファンは真っ当でいいなと思ったのは、パドック内でこれみよがしに自己主張している彼らに、誰一人声をかけなかったことだ。おそらく本人も「亀田、がんばれよ!」とか「亀田さーん」「こーきくーん」のような声援のひとつふたつは予想していたろう。手を挙げて応えるつもりでいたはずだ。なにしろ会場では父親にまで「おとうさんコール」が起きる人気者一家(笑)である。あるいは「亀田、何しに来た!」のような罵声を予想して身構えていたかもしれない。
 だけどひとりもいなかった。なにひとつなかった。競馬ファンはパドックに現れた異物を完全に無視した。同じ競馬ファンとして、それをうれしく思う。(もちろん私の後ろのほうに「あれ、ボクシングの亀田じゃない?」と会話しているおばさんはいた。でもほんと、男の競馬ファンは誰ひとり口にせず、無視していた。)

 翌日のスポーツ紙を見ると、どこでも「亀田親子が来場」と写真入りで報じていた。これまた当然だ。それだけ目立っていたから。
 それを無視できないスポーツ紙。すんなり無視した競馬ファン。いいことである。
(以上、「ダービーの亀田親子」終了)

============================================


○武への声援
 パドックで声がかかったのは武豊。「アドマイヤだけには負けるなよ」と三カ所ぐらいから声がかかった。そして、そういうふうに声がかかると、競馬では珍しく、関係ないところからも「そうだそうだ」と同調の声が飛んだ。私は桑島のロッキータイガーへの声援以降パドックで声を出したことはないが、今回は私もそれを言いたい気分だった。
 武のタスカータソルテがアドマイヤオーラに先着して欲しい。しかしそういう感情とはべつに初めて見たタスカータってのは貧弱な馬で好きにはなれなかった。それでも万が一来たら悔いるので最後の最後に迷った末3着候補に加えた。

---------------

○理想的な勝ち馬
 私は馬券生活者の梶山さんとテレビプロデューサーのタカハシさんと、報道カメラマンの席でパドックを見ていた。
 フサイチオーナーを見て、「あんなのにダービーオーナーになられたくないよな」とカジさんが言った。彼は真っ赤っかのスーツに反感を抱いているようだ。私はそれに対してはあまりない。なんでもかんでも黒系のスーツってのもつまらない。フサイチさんの派手派手はそれはそれで盛り上がるからいいのではと思っている。
 ただ、フサイチホウオーという馬に世間ほど魅力を感じていなかったので、これですでにアメリカと日本のダービーオーナーになっている世界で唯一の関口さんが、またも日本ダービー制覇というのはちょっと出来すぎのように思った。

フサイチホウオーのこと

「どうせならウォッカが勝って64年ぶりの牝馬優勝にでもなったほうがいいな」
「谷水さんなら皇太子殿下観覧のダービーオーナーにふさわしいもんな」
 それが私たちの結論だった。先代がタニノハローモア、タニノムーティエで二回、今のオーナーもタニノギムレットで制している。静内のカントリー牧場を生産拠点とする古い馬主だ。
 でも三人ともしっかりフサイチホウオー1着固定の馬券をくんでいるのだった。ボロクソに言いながらもカジさんはフサイチホウオーの強さを絶賛していた。私はフサイチホウオー1着固定としながらもそれでもこの馬を絶賛する気にはなれなかった。

 ウォッカを初めて生で見た。阪神JFのときからの大ファンである。
 すばらしい馬体の馬だった。タスカータやアドマイヤとは見た目からして違う。「シーザリオは強い女馬、ウォッカは男」とは角居調教師のことばだ。まさに480キロの牡馬を圧倒する偉丈夫だった。

 ウォッカ以外で私がいいなと思ったのはヴィクトリー。これは母親のグレースアドマイヤからして好きな馬体だったがいい馬である。もうひとつぐらいは大仕事をするだろう。
 アドマイヤムーンはすばらしい馬体の馬だが(これはだれもがそう絶賛する)アドマイヤオーラはたいした馬体ではない。それでもあれだけの成績なのだから血統なのだろう。アドマイヤジャパンの馬体はどうだったか。記憶にない。たしか兄の方が見た目は上だったような。
 すでに府中の2400を勝っているので期待していたヒラボクロイヤルってのも好きになれる体型ではなかった。ウォッカと同じタニノギムレットなのだがいろいろである。ヒラボクのあの体型はステイヤーか。
 ウォッカはすばらしい馬体の馬だったがマイラーかな、とも思った。母父はルションである。2400はどうなのだろう。だけどこの馬、デビュウ前からデルタブルースやポップロックと五分に稽古するとんでもない怪物だった。64年ぶりの偉業があるのではと期待はふくらむ。3連単は「1着フサイチ、2着ウォッカ、3着ヴィクトリー」が主だ。

---------------

◎新スタンドの広さ
 人との待ち合わせがあったので出かけたが実はあまり行きたくなかった。GⅠの日の競馬場は人が多くて最悪である。だからGⅠだから競馬場に行こうではなく、毎週行っているのだから「GⅠぐらいは自宅観戦」にしようと思っていた。
 GⅠの中でも特にダービーだ。府中で見たダービーで「走っている馬が見えなかった」という何のために競馬場まで行ったのかわからない経験を何度もしている。5階6階の特別席なのだが人混みが壁になってしまいターフが見えないのだ。必死に背伸びして人と人の合間からターフを盗み見る。家でテレビ観戦した方がよほど楽しい。もちろんそんなのは観戦をダービーだけに絞り前々から場所取りをしていれば回避できる。しかし私のように前後のレースも買い、ダービーもぎりぎりまで迷って買い足したりしていると、なにしろ売店のおばちゃんやガードマンまでが見に来るから人の壁に遮られてしまうのだ。端っこに行けばまた違うのだろうが私はゴール前で見たい。とにかくゴール前は毎年そんな状態だった。

 ところが今回5階にいると、締め切りぎりぎりの時間になっても全体がスカスカなのである。私は人が競馬場に来なかったのかと思っていた。
 最高の場所でウォッカが王者のレースをし、好タイム(カメハメハとディープのレコードに次ぐ3番目の勝ち時計)で勝つ瞬間を堪能できた。

 月曜日。新宿の飲み会で13万人以上来ていたと聞かされる。おどろいた。10万も来なかったと思っていた。いやたしかにパドック周りは込んでいたが……。
 13万人以上来てあのスカスカだ。どうやら今度のスタンド、すごいキャパのようだ。13万人来てあれだけの餘裕なら、アイネスフウジンのときのレコード、19万人来ても楽々だろう。というか、もうそんなことはないのかな。
 ともあれこれで府中のGⅠに行く楽しみが増えた。まともに見られるのなら現場で見るにこしたことはない。
 込んでいる1階で馬券を買った友人は、馬券売り場が増えて焦らなくて済んだと言っていた。新スタンド万歳である。


---------------


 競馬は枠連(笑)

 ここのところずっと3連単しか買わなくなっていた。いつからだろう。ざっと振り返っても丸二年はもうそればかりである。たまに馬連や馬単を買うとすくない点数で当たり、その魅力を見直すこともある。だが3連単をバラバラと30点、40点と買うと、的中しても1万円の時もあるが10万円を超すときもある。この配当の魅力には逆らいがたい。実際100円で50点買い、5千円勝って100倍を当てても2倍でしかない。そんなの複勝で簡単に手に入る的中馬券だ。だけどその50点の中には1000倍も2000倍も含まれている。その楽しみは大きい。

 3連単は10回に1回当たれば9回負けていても一気に浮きになる。しかし手元不如意の私はここのところもうその「9回の負け」に堪えられなくなっていた。

 1レースに100円単位の3連単を50点買うとする。5千円。9レース連続で負けて4万5千円失なう。3連単発売のレースは一日4レースしかない(私は他場のレースは買わない)。それをぜんぶ買うわけではないから、この4万5千円を失うのには土日とも参加しても2週間はかかる。それでも1回当たれば5万にはなるから一気に負けを取り戻す。時にはそれは10万だったり15万だったりするから簡単に浮く。
 しかしいまの私はその「5千円連続9回負け=二週間ひとつも当たらない」に堪える体力がない。毎回勝ちたいのである。勝たねばならない。5千円が8千円になる程度でもいい。とにかく確実に勝ちたい。

 そう思ったらどうなるか。そう、まずは複勝である。連複馬券は枠連だ。3連単しか買わない反動からここのところの私はそうなっていた。
 iPatの5千円の資金から複勝を3千円買う。それが2.5倍に当たって7千円になる。残金全部で9千円。その中から元金の5千円を引いた4千円でまた勝負する。これなら外れても元金は残って負けにはならない。今度は軸馬から千円ずつ枠連で4点勝負。それがうまく8倍に当たって……。一日の儲けが1万2千円。いいアルバイトをしたと満足する。ここのところiPatでそんな競馬をしていた。

 我ながらセコくていやになるが崖っぷちなのだからしかたない。3連単夢馬券をバラバラと買い、外れてもそのうちデカいのが当たると笑っている餘裕がない。
 この戦法でいいのは買い目が少ないことだ。複勝は一点、枠連は3点程度にする。缺点は配当が少ないことだ(笑)。いや最大の特徴は、配当は少ないけれど「的中率が高い」ことだろう。当たる快感に飢えている私にはいい馬券になる。5千円買って1.8倍の複勝的中。9千円の払い戻し。4千円の浮き。倍にすらならない。でも真剣に検討すればこんな馬を見つけることぐらいは出来る。もちろんダービーでフサイチホウオーの複勝を買うようなことはしない。そういうのとは馬券検討の立場がちがう。ここの説明はむずかしい。

---------------

 そういう複勝と枠連で「負けない競馬」を心がけているところに、100万馬券の大嵐が連続した。そのことによって弱気なそれは意外なほどの効力を発揮した。
 900万馬券となったNHKマイルカップをもちろん私は外した。だけどあのとき私の勝負馬券はエクスキューズとマイネルシーガルという好きな馬が同居した3枠からの枠連馬券だった。(岡田さんとマイネルという同一馬主枠になる。)
 3連単900万馬券という結果を見ても欲張った感覚はまったく芽生えなかった。思ったのはひたすら「やはりローレルゲレイロの5枠を軸にすべきだったか」であり、配当への未練は枠連5-7の1440円を取り逃がしたことだった。そういう自分が不思議だった(笑)。
 枠連は1-3、3-5、3-7勝負であり、最後まで3枠5枠のどっちを軸にするか迷っていた。5枠軸だと5-7が当たっている。3連単900万馬券という大嵐は昔風に枠連しかなかったら1440円の平凡な配当のレースでもあるのだ。
 馬連馬単が導入され3連単が桁違いに売れているのに、なんでいまだに枠連なんて前世紀の遺物を売っているのだとついこのあいだまで立腹していたのに、変れば変るものだ。おはずかしい。しかしこれ、今の時代うまく使えばかなり有効な赤字対策になる。

 私はダービーをフサイチホウオー1着固定の3連単で勝負したから当然外れた。でも枠連の2-7-8 を三角買いしていたのでほとんど負けなかったのである。いや小銭が浮いた。
 対象とした馬はウォッカ、フサイチホウオー、ヴィクトリーだ。フサイチホウオー絶対なのだから、枠連とはいえ本当は2-7.7-7.7-8でなければならない。だが武をおろしたアドマイヤオーラは無視なので7-7を買うつもりはなかった。問題はいい出来に見えたサンツェッペリンだ。騎手は好きな松岡。枠連の5-7を買うべきか。迷った末に「100万円のテンビー産駒」を消し、いわゆる縦目の2-8にした。それが19.9倍の的中馬券となった。
 狙った3頭のうち2頭が消えているのにそれでも当たる馬券て不思議だ(笑)。世界中で日本でしか売っていない。

---------------

 安倍首相夫妻が来ていたらしい。見ていないので知らない。なぜって、11レースのパドックを見るからダービーの表彰式など見ていられない。四位の皇太子殿下へのお辞儀は見た。両陛下への松永の美しいお辞儀には感激したが、同じ事も二度目になる感動もとだいぶ目減りすると知った。

 帰宅してから見た留守録のテレビで、井崎脩五郎さんが「今日アッキー(首相夫人)が来ていたから、サクサングス(略してアッキー)は買えた」と言っているのに笑った。

---------------

 最終12レース目黒記念。武のポップロックと吉田のココナッツパンチで勝負しようと思っていた。目黒記念に3歳馬が出るのだから不思議だ。両方とも出来は文句なし。パドックで確認した。問題は3歳馬が古馬に通じるかどうかだけ。そう思うと無難にポップロックとトウカイトリックかと揺れもする……。トウカイトリックもいい出来に見えた。枠で1-6-8を買えばかなり確実だ。でも一点買いせねばならない。

 するとココナッツと同枠のチャクラの出来がいい。オッズを見ると馬連のポップロックとココナッツパンチが12.5倍、枠連の1-6も同じく12.5倍である。チャクラに保険をかけても同じ配当なのだからやはり枠連はすぐれている、かな?
 枠連1-6の1点勝負。とはいえなんとしても負けて帰りたくなかったのでダービーでほんのすこし浮いていた小銭のみ。それでもひさしぶりの一点勝負はけっこうどきどきした。締め切り間際、あと2点買い足したくなる未練を必死に抑えた。
 見事的中。ココナッツパンチが交わしたかに見えたが武が残っていた。でも枠連だからどっちでもいい。アドマイヤが3頭出しをしていた。絶対に負けるなよ武、と祈っていた。粉砕してくれた。

 もしも3連単を買っていたら、ポップロックとココナッツパンチの1、2着固定(裏も返す)に、アドマイヤの3頭を3着候補に入れようと思っていた。これでも当たっていた。当たるときとはこういうものだ。

 さすがにこの的中には欲が出た。1点買い的中である。もうすこし買ってもよかったのではないか。野口英世ではなく樋口一葉1枚ぐらい行くべきだった。
 でも私は3連単215万円の大荒れダービーの日に、1円でもいいからプラスで帰りたかったのだ。この目黒記念が外れても100円プラスぐらいで帰れた。なんとしてもそれを達成したかった。それがこれの的中で気持ちよく帰れることになった。野口数枚で12倍的中だからプラスはしれている。でも私は大勝の気分だった。
 この大荒れダービーの日にプラスで帰った人もそうはいまい。枠連に感謝したダービーとなった。

---------------

◎果たして思惑ははたらいたのか……
 月曜、新宿で親しい人たちと飲んだ。これは楽しい時間。電車が人身事故で遅れ遅刻しそうになって焦った。

「皇太子殿下と首相夫妻が来ているのに、それであんなの(真っ赤っかのフサイチオーナー)が表彰台ではまずいだろう。なにかフサイチホウオーを勝たせない力がはたらいたのではないか」と話題になった。「誰かがフサイチホウオーに注射でも打ったのではないか」なんてトンデモ意見まで出た。
 果たしてどうだったのだろう。でもそれは単勝や馬単を買う人の話。枠連馬券師の私には関係ない(笑)。

5/30  サトシのヴィクリアマイル

 

 宝塚のサトシと馬券話をメール交換していたら、ヴィクリアマイルが的中したと教えてくれた。それが左のコピー。資金がなくてすこししか買えなかったこと。3連単を買えば当たっていたが、その悔しさよりも、3連複を当ててホッとした気分の方が強かったことが書かれていた。わかる心境である。

 すぐに返事を書いた。これ、見事な馬券である。刮目すべきは上部の単勝と馬連だ。コイウタの単勝は6千円、馬連は3万円で払い戻し27万のほとんどは23万の3連複が占めているのだが、この単勝と馬連の的中は見事だ。
 資金さえあれば絶対に3連単200万馬券が的中した完璧な買い目である。

 この3連単、『夕刊フジ』で予想しているフサイチオーナーが的中しているのだが、彼の場合7頭の名をあげ、それのボックスだった。本命対抗単穴もきちんと予想して名をあげているから、的中しているとはいえ、上位3頭は△△△である。ボックス買いの恩恵だ。サトシのこの予想とは雲泥の差だ。

 いやあこれはほんとに見事な予想である。なにしろ単勝予想3点の3頭が3着までを占めているのだから、あと単勝を買った3頭をボックスで6点、3連単600円を買い足したら200万馬券が当たっていた。

---------------

 そんなものいつかとれるさと気楽に考えている。しかしそこに美醜の差は出る。馬券の的中にも美醜はあるのだ。当てたら私もこういう形で報告したい。でもここまで美しい報告を出来る自信はない。

 初めて3連単馬券を買ったのはフランスのロンシャンだった。次いで香港のシャティン。当時、買いかたがよくわからない私はボックスで買っていた。そのときロンシャンにはもうフォーメーションのマークカードはあった。ラムタラの凱旋門賞のころだ。
 やがて日本でも売られるようになり方法に習熟する。

 いまフォーメーションも軸マルチもやるが、唯一ボックス買いだけは否定している。何頭かの馬を選び、どれがどんな順序で来てもいいや、というのだけは、不慣れなころやってきたからこそやりたくない。一方でフサイチさんの例にもあるように、3連単高配当を的中するにはボックス買いを続けること、というのも必勝法のひとつとして言われ続けている。わかる。その通りなのだ。私も選んだ馬をボックスにしていれば当たっていた3連単高配当は十指に餘る。

 それでもそれだけは当面否定するつもりでいる。ここで100万馬券的中を報告するときは上記のサトシのような美しい形でしたい。
 いい励みになった。

 ローブデコルテ馬名考

 ローブデコルテが桜花賞に出てきたとき、「この馬名、むかしあったよなあ……」と思った。重賞を勝っていない馬の名は一定の時間が経てばまたつけていいことになっている。

 私の場合、このことで真っ先に思い出すのは「スマートボーイ」だ。ルドルフの時代に中山のなぎつき賞を逃げ切って勝った大好きな馬だった。ところが数年前、関西にスマートボーイが現れたのでとまどった。競馬を長年やっていると誰もが出会うものなのだろう。私的な体験としては初めてだった。

 いちばん有名なのは「ミスターシービー」か。千明牧場が冠のシービーにミスターとつけた名を復活させた。初代は戦前の馬。期待馬だったがダービーを大敗している。二代目は昭和58年に三冠馬となる。もめ事はなにもなく「いい話」として話題になった。

 問題を起こしたのは「ヒシマサル」だろう。ヒシのオーナーが最初の活躍馬であり愛着のある馬名「ヒシマサル」を期待の外国産馬に再びつけた。しかし初代のヒシマサルはオーナーの愛情から種馬になっていた。大活躍馬は出ていないが、繁殖牝馬の父としてヒシマサルの名は残っている。混乱の元になるから、こういう命名は許可するべきではないとの意見が出た。正当である。しかし競馬界の内規には違反していない。
 初代ヒシマサルが古い馬であること、二代目のヒシマサルが種牡馬として活躍しなかったことから、いつしか消えた話題となった。

---------------

 土曜競馬にダイワテキサスの仔が出走していた。懐かしいなと思った。種牡馬になったことは知っていたが中央に産駒を送るほどの活躍とは知らなかった。よかったなと、と思う。
 帰宅してから血統を調べた。ダイワテキサスの父の名が競馬場では思い出せなかった。調べてトロメオと知る。そう、父はリイフォーの仔のトロメオだった。そして牝系、ここにローブデコルテがいた。母はカイムラサキ、ミスオーハヤブサ、ワールドハヤブサと続く千代田牧場の牝系(その前は本桐牧場になる)である。




 しかしこれってヒシマサル以上の問題なのではないか。ローブデコルテは重賞を買っていないからつけてもいい馬名なのだろうが種牡馬の母なのである。ダイワテキサスの仔が活躍したら、牝系のローブデコルテが重複し混乱することになる。ダイワテキサスから種牡馬になるほどの牡馬が出るとは思わないが、繁殖牝馬としてそこそこの活躍馬を出す可能性は大いにある。まだ14歳だし。

 また、ミスターシービーもヒシマサルも同じオーナーだったが、ここは千代田牧場とマエコウファームだからまったく無関係である。

 初代ローブデコルテは千代田牧場の誇るワールドハヤブサ系である。今後も千代田の牝系としては主流だ。オークス馬ローブデコルテは父コジーンの外国産馬。オーナーはマエコウファーム。マエコウさんのところでもオークス馬となったこの馬を、貴重な血統として繁殖の祖と大事にしてゆくだろう。これって混乱を巻き起こさないのだろうか。なんでこんなことが起きるのか解釈に苦しむ。

---------------

 あえて「責任」を問うなら、マエコウさんにあろう。ローブデコルテという馬名をつけたいと考えたとき、すこし調べれば「種牡馬ダイワテキサスの母」として発見できたはずだ。良識として現役種牡馬の母の名はつけまい。だからマエコウさん側としては単なるケアレスミスなのだと思う。
 
 言うまでもなく真の責任は、こんなことが出来てしまう中央競馬会のシステムにある。馬名の受け付け時に、「現役種牡馬の母馬の名」として、受け付けられないと拒んでいれば起きない問題だった。
 いろいろと不備はあるものだ。

6/3
 安田記念──運命の分かれ道(ってほどのことでもないが)

 3連単勝負。馬券はフォーメーション。
 ②ダイワメジャー、⑧スズカフェニックス、⑬エアシェイディを1,2,3着欄にまず書く。
 次に3着候補として、⑤コンゴウリキシオー⑨ジョイフルウイナー、⑩エイシンドーバー、⑱ジョリーダンスを加える。

②⑧⑬ 
②⑧⑬
②⑧⑬ ⑤⑨⑩⑱

 この3連単30点勝負が前日書き入れたカードの目だった。

---------------

 4頭の香港馬が人気を集めている。中でもビッグババは本命にしている予想家を何人か見た。私は軽視することにした。香港馬を全馬完全無視したかったがジョイフルウイナーだけは、昨年パドックで見ていい馬だと思い買い足したので、今年も3着候補に入れておいた。

 この馬、今年も昨年とまったく同じローテーションなのである。香港の2レースを1、2着して安田記念で3着。そのあとは絶不調で惨敗続き。今年になって、去年とまったく同じレースを1、2着しての安田記念である。ここでまた3着に来て大金を稼ぎ、そのあとはまた絶不調になるのではないか。

 私の予想は、好きなダイワメジャーとスズカフェニックスのどちらかが勝つだろうというもの。先に先頭に立ったダイワをスズカが差すのではないか。でもいちばん期待しているのはじつはGⅠ初挑戦のエアシェイディだった。府中の成績は7戦して4勝2着3回、連対率100%。スズカフェニックスの2着だった東京新聞杯のタイム1分32秒8で走れば優勝できる。サンデー産駒。血統からも品格からもいきなりのGⅠ優勝になんの問題もない。前回マイラーズカップで1番人気11着と大敗して人気を落としているのもよい。前哨戦としての右回りで大敗、本番は得意の左回りだ。横山も前走の大敗のままでは赤っ恥だ。
 すこしでもいい配当が欲しいこちらとしても、エアシェイディ1着が望ましい。

---------------

 パドックで馬を見る。その前にオッズ横に表示されたエアシェイディの22キロ増が気になった。もとより馬体重など気にしない。30キロ増でも減でもまったく気にしない。勝つ馬は勝つ。これはマイネルダビテの共同通信杯からもう割り切っている。勝つ馬は体重など関係なく勝つ。すこしばかりの増減で大騒ぎする連中を軽んじてもいる。
 だが覇気がない。なんだろう、これ。しょんぼりしたような歩き方。稽古もよくなかったがそれはそういう馬と割り切っていた。だけどいくらなんでもこれは……。本調子ではないのだろう。思い切って消すことにした。いきなり1着候補から無印である。もしも来たらと不安もすこしよぎったが、これは買えないと決断した。

 いちばんよかったのはダイワメジャー。まあいつも好みの馬体なのだが絶好調に見えた。大好きな馬だがスズカフェニックスは東京新聞杯のときのほうがよく見えた。高松宮記念のときはテレビだったが今日よりも覇気があった。私の中でダイワメジャーが▲から◎にUPした。スズカフェニックスは◎から○に落ちる。エアシェイディは○から無印。
 

 次に⑨番のジョイフルウイナーである。香港馬には興味がなく基本的に消している。だってレースを見ていないのだから、そんな馬にまで手を出したらやっていられない。香港馬上位独占のレースはことごとく外れているが悔いはない。基本はレースを見ている日本馬で組む。昨年も香港馬は全馬無視していたがこの馬の気配だけは目について買い足した。
 そのときの記憶がある。あきらかに去年の方がいい。これも消すことにした。
 もしも前日検討で無視してきた他馬が同様によくなかったら、エアシェイディもジョイフルウイナーも消さずにそのままだった。そうではなく抜群によく見える馬が何頭もいる。机上で選んだ馬を無理に押し通すのではなく、せっかく馬場に来たのだから、机上の予想と現場の予想を足すべきと考えた。
 2頭を消したので私の予想はこうなった。

②⑧● 
②⑧●
②⑧● ⑤▲⑩⑱

 ●と▲に空きが出来た。2頭を足すことになる。

 ジョイフルウイナーの代わりに挿れる3着候補の▲はすぐに決まった。パドックで気配抜群だった⑪マイネルスケルツィである。
 問題はエアシェイディの代わりの●だ。ダイワメジャーが最高の気配なので1位の欄はこのままでもいいが2着欄にはもう1頭欲しい。3着候補の⑤コンゴウリキシオー、⑩エイシンドーバーから選ぶか。⑱ジョリーダンスはあくまでも3着候補なので対象外。連続して絡んでいる8枠だがあくまでも3着候補。⑯シンボリエスケープも気になる。3着ならありうる。

 マイラーズカップをレコード勝ちして来た1600メートル全勝のコンゴウリキシオーか、京王杯SCをレコード勝ちしたエイシンドーバーか。鞍上は藤田と福永。
 まず思ったのは前日のこと。私は藤田が好きである。あちらでいろいろあるのだから関東の騎手になればいいのにと思っている。土曜は武と藤田が関東にそろい踏みした。
 土曜9レース鎌倉特別。パドックで最高だったのはビッグポパイ。2番人気。鞍上は藤田。迷わず本命にした。武の馬はよくない。2着連続で1番人気。そろそろこけるころだ。締め切り間際にはビッグポパイが逆転して1番人気になった。
 武、圧勝。藤田14着。まったく逆の目が出た。その後も武は9,10,11とぶっこ抜いた。武ファンにはこたえられない日だったろう。私もメインのロングプライドの差し切りにはしびれた。武、ガッツポーズ。武もアドマイヤと縁を切って関東に来ればいいのに。それはないか(笑)。

 藤田は安田記念で二年連続連対しているが、今はどうなのか。惨敗が気になる。
 対して福永は今年春のGⅠで連続して波乱の主役になっている。ここで福永>藤田
 
 その藤田が二年連続して連対した馬はアサクサデンエン。一昨年は京王杯SC勝ちから本番も制した。それ以前の活躍馬もこのレースからが多い。対してマイラーズカップは安田記念とは縁がない。ここで京王杯SC>マイラーズカップ

 ふたつの理由から、私はぎりぎりの時間にエアシェイディの代わりの軸馬に⑩エイシンドーバーを格上げした。
 それによって出来た3着候補には、やはりパドックで最高に見えたキストゥヘヴンを抜擢した。よって最終形は、

②⑧⑩ 
②⑧⑩
②⑧⑩ ⑤⑪⑫⑱

 エアシェイディの代わりにエイシンドーバーではなくコンゴウリキシオーを選んでいると、

⑤⑧ 

②⑤⑧ ⑩⑪⑫

 で630倍が的中だった。う~む、惜しい。え? ぜんぜん惜しくない? うん、そう考える人もいる。上記「サトシのヴィクトリアマイル」のような美しい買いかたをする人からみたら、こんなもののどこが惜しいのか、となろう。でも私の場合はいつもこういう買いかたをして、ぎりぎりの入れ替えで、大きいのを当てたり外したりしてることが多い。だからこれはわたし的には「ヒッジョーに惜しい!」になる。

 負けたのにそれほど悔しくなかったのは、思い切って全馬切った香港馬が来なかったこと。好きな馬だからエアシェイディの惨敗は残念だが、これも切って正解だった。同じ外れでも後味にはいろいろある。これで香港馬の完全制覇だったりしたらやけ酒だった。

---------------

 パドックから馬が地下馬道に入るとき、つい周囲の何人かと一緒に入ってしまった。私はあまりこの関係者専用の場所には出入りしない。そこでひさしぶりに吉川良さんにお会いして話が弾んだため、あっという間に締め切り時間になってしまったことも影響した。コンゴウリキシオーは柏木集保さんが本命にしていたこともあり気にしていた馬だった。もうすこし考えるとコンゴウリキシオーにした可能性も高いのである。

---------------

 ダービーのときも思ったが、「グランドオープン」した東京競馬場は広くて快適だ。今回も報道陣用のパドックに入るときを除けば混雑とは無縁だった。
 いよいよ来週で春競馬はオシマイ。最終週のエプソムカップは毎年いとしい。今度府中にくるのは十月か。

 そして私にとって初めてのiPatでの福島新潟が始まる。どうなることやら。
 たしかなのは大やけどはしないということ。たぶんチビチビ負け続けるがたまに大きいのを当てて一気に挽回、終ってみたらトントン、ぐらいになるような気がする。

6/25
●だけどやっぱり3連単が……


 反省の記。
 そういう予定で、開催六日間、三週間がすぎた。現実は予定とはだいぶ違っている。一言で言うと「複勝やワイドで稼いだ金をぜんぶ3連単で捨てている」になる。

 真剣に考えて撰ぶ。複勝一点勝負、ワイド一点勝負。かなりの確率で当たる。そこでやめれば一日肉体労働をしたぐらいの浮きになる。だけど上記のように「きょうは1万2千円プラス、これでよし」とはゆかない。どうしてもその金で3連単勝負をしてしまう。そして惜しいところで外れる。先日は思い切った勝負が大本線で8万馬券を当てたと驚喜したら1着降着というひどい目にあった。あれが降着にならなかったらここ数年の負けを一気に取り戻していた。サラリーマン部長職の年収ぐらい会った。しかしどんなに惜しい負けであれ失格降着であれ、外れは外れである。

 複勝とワイド、枠連だけやっていれば当たったり外れたりで、結果月に10万程度浮いている。しかしそんな地味な馬券には耐えられず当たった分を3連単にぶちこみ、逆に10万のマイナスになっている。この差はとてつもなく大きい。まあ書いていて「きょうは1万2千円浮いたと満足する」ってのが大嘘なのは自分でもわかっていた。電車賃まで賭けて外れて歩いて帰るような缺陥人間がいくらiPatだからといってそんな常識人になれるはずがない。なれるならもともとこんな破滅した人生は歩んでいない。

 でもまあこれでいいのか。複勝、ワイド、枠連で小銭を何倍かに増やす。それで3連単を買う。外れる。マイナスは悔しいが以前とは違いそれは小銭だ。穏当な額である。居酒屋で飲んだ程度の金だから、そう思えば割り切れる。
 それにそのうち当たるだろう。先日の久々の大本線大的中が1着降着で外れになったってのはあまりにかなしいが、でもああいうのを一発手にすれば何年ものマイナスが一気にプラスに転じる。3連単にはそういう夢がある。
 それを希望とするなら、地道に増やして3連単、もわるくはないかもしれない。

7/20

FさんのQuoカード

「あなたはダービー馬を何頭言えますか?」




 長年JRA側の『優駿』編集長を務めてきたFさんが定年退職された。大学を出てから三十七年だそうである。お疲れ様でした。

 上掲はその記念に作られ、関係者に配られたカード。500円のQuoカードに、Fさんが仕事として初めて関わった昭和四十五年(1970年)のタニノムーティエから、平成十九年(2007年)のウォッカまで、三十七年間のダービー馬のイニシャルが綴られている。70年の前に三頭いるのは競馬に興味を持ったFさんが学生時代に見たダービー馬である。つまり日大出身のFさんは十九歳から馬券を買っていたのだ(笑)。その三年は趣味、その後の三十七年が仕事になる。
 あなたはこの中の何頭を知っているだろうか。いや現実の体験は問わない。イニシャルから「何頭の名を言えますか?」と訊いてみたい。

 私のダービー歴は今年で三十五年。FさんのQuoカードイニシャルで言うと昭和四十八年のTHからである。
 私はもちろんこのイニシャルから全頭の名を言える。それどころかこのずっと前も言える。これは自慢ではない。昭和六十年から趣味の競馬を仕事の一分野として、『優駿』に「日本ダービー史」なんてのまで書いているのだから書けて当然なのである。むしろそのことに複雑な思いがする。もしも素人のままだったらと……。

 というのはすこしウソ混じり。実はすぐに思い出せない2頭がいた。悔しいので思い出した馬の前後に皐月賞馬と菊花賞馬を書き込んで行き、クロスワードパズルのようにして攻めて?解決した。そういうふうにやってゆくと、翌年の天皇賞馬を思い出し、それが前年のダービー2着だったりすることから該当馬を思い出したりした。けっこう楽しい(笑)。

 その2頭は近年のものだった。競馬は覚え立ての頃の記憶がいちばん鮮明だ。だから昭和四十年代、五十年代の馬で苦労することはなかった。それどころか2着馬3着馬、配当まで覚えていた。ところが平成になるといきなり苦しくなる。記憶とは思いこみなのだ。三千円しか買えなかったダービーを鮮明に覚えていて、三十万円買ったダービーを忘れかけていたりする。思い出と馬券の金額はあまり関係ないようである。

 もっとも三十万が三百万にでもなっていれば覚えているだろう。私の場合は少額で買うと当たり大勝負するとハズレると決まっている。出来るなら五十万円勝負したミホノブルボンのダービーを思い出のレースとしたいが、馬連が初めて発売になったあのダービー、10万、5万単位で勝負した馬連はハズレ、なぜか枠連の7-7を2千円持っていて、それが的中したのだった。「あたらしいこと(=馬連馬券新発売)が始まる年にはゾロ目が出る」という競馬格言?を思い出し、締め切り直前に2千円ずつ5点ゾロ目を買い足したのだった。史上初の馬連配当は人気薄のライスシャワーが粘って29580円。枠連は1370円。51万円勝負して払い戻しが27400円という、思い出したくもないがたしかに記憶には残るダービーだった。よってMBはすぐに思い出した。

---------------

 酒場で仕事仲間と競馬談義をする。初めて競馬をやったときの馬。初めて馬券を当てたレース。あれやこれやと。ポッカリと抜けた記憶。なんとか思い出そうとみんなで努力する。思い出せない。なんだっけ、あの馬は、あの騎手は……。
 それが長年競馬を楽しんできたファンの醍醐味だろう。私もそれをしたいけれど今はもう出来ない。周囲にいるのは競馬を仕事としている人ばかりだ。そういう人たちと話していると本来の競馬談義よりも競馬界のありかたについての討論になってしまったりする。まことにもって何かを得ることは何かを失うことである。
 学生の頃はM先輩と一緒に渋谷の場外で八大競走を買ったりした。後輩のKと後楽園場外で勝負したりした。いつしかみな卒業していった。当時からの友人で今もやっているのはひょんなことからプロになった私ぐらいである。寂しいけれど当然という気もする。それが時の流れだ。
 競馬関係者と酒飲み競馬談義をしていて彼らが熱くなるのは、やはりプロになる以前の話である。業界人が競馬ファンに戻り目を輝かせて熱く昔を語ったりするそれは、学生時代の思い出の馬だったりする。
 FさんがQuoカードにタニノムーティエ以前の三頭を入れた気持ちがわかる。ある意味その三頭は、その後の三十七頭以上の重みを持っているのだ。

---------------

 昨年の暮れ、有馬記念の前日、私は一回り以上年下のK君と中山競馬場近くの焼鳥屋で飲んだ。ディープのラストランというお祭りを明日に控えてたいへんな混雑だった。相席になった。そこにいた四人組のおじさんたちがとても楽しい人で話が弾んだ。みなさんは日本酒を飲んでいたのだが、「おねーさん、こちらにビール、勘定はこっちにつけといてね」という形でご馳走にもなった。

 中でいちばん詳しいひとりが、昭和四十八年の有馬記念の話を始める。ストロングエイト、ニットウチドリの行った行った馬券だ。人気で負けたのはハイセイコーと秋の天皇賞馬のタニノチカラ。私は私よりも年上で五年以上も競馬歴の長いヴェテラン競馬ファンのおじさんに、彼以上に細かく当時の断片を覚えていて話を合わせた。競馬を始めた齢であり頭が柔らかだったのだから記憶は鮮やかである。ットウチドリが2枠にいたこともストロングが8枠にいたことも覚えていた。

 さらにそれ以前のまだ馬券を買っていない時代のことも、素人として読み物で覚えた部分もあるが、仕事として書いたこともあって、我ながらじつによく覚えているのだった。すでに酔っていた四人は明日は当ててまた一緒に乾杯しようと気分良く帰っていったが、素面だったらみょうに詳しすぎる私に鼻白んだかもしれない。あんたいったいなんなの? と。
 素人の感覚を忘れない競馬物書きでいようというのが私の心がけだったが、いつの間にかそうではなくなっていたことに気づいた。素人のままでは玄人の文章は書けないから当然でもある。

 とはいえ私は競馬オタクではない。さすがにGⅠ馬ぐらいは言えるが、ちまたのモノホン競馬オタクってのはこんなものじゃない。血統から重賞勝ち馬までとんでもない知識を誇る。それでいて若い。年令の三倍ぐらいのダービー馬を知っていたりする。でも同時代体験てのはそういうもんじゃない。机上で覚えた競馬知識に意味はない。競馬オタクが本物の競馬ファンになるのはよけいな知識を捨てたときだろう。

 私にはFさんのようにこういうものを作る人生の区切りはないけれど、今回のカードで、こういうものを作る楽しさを教えてもらった気がする。

7/22
「降級」を辞書登録

 きょう「降級」をATOKに辞書登録した。サ変名詞である。
 それまで辞書にあった「こうきゅう」は、高級、高給、公休、硬球、購求、考究、講究、攻究、恒久、好球、後宮、降給、鋼球である。「降級」はなかった。一般には使わない言葉である。

 このATOK辞書は『一太郎』を使い始めてからずっと育ててきている。どれぐらいだろう、もう十数年にはなる。いま『一太郎』は一切使わなくなったがATOKはないとなにもできないほどの必需品である。PCが故障してOSを再インストールしたときもまっ先にいれる。これがないとなにもできない。育て上げたATOK辞書は私にとって戦友であり宝物だ。なくさないように何重にもコピーをとって大切にしている。
 その長年使っているATOK辞書に今まで「降級」がなかった。このATOKでかなりの量の競馬文章を書いてきている。競馬記者なら多用するそれがないことは、競馬物書きとしてありえないようでもあるのだが。

---------------

 その理由。まず仕事として、いやその前に「降級」について触れよう。ここを読んでいる人なら誰でも知っているだろうけど、私は今まで曖昧だった。今年はしっかり覚えた。復習をかねて。
 降級とは賞金獲得額、勝ち星によっていくつかのランクに分けられている競走馬が、年に一度、夏のクラス再編成の際にランクが落ちることである。むかしの200万条件は300万になり400万になり500万になった。これからも金額は変るからそれをここに書くことに意味はない。アルファベットにしておこう。日本の中央競馬の競走馬ランクには、A,B,Cランクと未勝利がある。未勝利馬は決められた期日までに1勝をあげないと引退せねばならない。地方競馬に転出したり肉になったりする。中央競馬は勝ち抜け制なので、未勝利からC、CからB、BからAへと勝つことによってランクを上げて行く。Aランク、Bランクにあがってもそのクラスで勝ち星がないまま平成替えの夏を迎えると、AからB、BからCへとランクが落ちる馬が出てくる。これが「降級」である。

---------------

 降級には疎いが昇級に関してはむかしからよく考えていた。上記のように勝ったら上のランクにあがる。強い馬達の世界に移動するわけだ。すると勝てない。厳しくなる。だったらどうすればいいか。勝たなければいいのである。2着3着を何度繰り返して賞金を稼ごうとも、1着にさえならなければ昇級はない。むかしはそんなズルい馬がかなりいた。いや正確には馬はズルくない。馬主調教師が相談し、騎手に勝たなくてもいいから、となる。ズルいのは馬ではなく人間だ。

 このごろむかしほどは見かけない。それでもたまに2着が二回、三回と続き、「ここでは力が違う。前回は不利があった。今回は首位確実」と、単勝1倍台の人気になる馬がいると、「どうかなあ、アブナいぞ」と思う。どの程度の確率か知らないが、私の感覚だと、実際に力が違ってあっさりと勝つのが半分、なんだかまたわけのわからない競馬をやって追い込んだが届かずの4着になり、3連単は50万円以上、が半分のような気がする。
 意図的かどうかは知らないけれど、こういう馬が出てくると燃える(笑)。1着固定の3連単で行くか、思い切って消すか、である。
 恥を書くと、「消しだ」と判断し、パドックで選んだ気配のいい人気薄馬同士で大穴を狙おうと思いつつ、ぎりぎり直前になって、「だけどこの馬が3着を外すことがあるだろうか? ありえない。ここは無茶せずこの馬の1頭軸マルチにして手堅く当てに行こう」と変更したら、見事にそれは4着、1,2,3着は私の選んだ馬同士。フォーメーションでも2頭軸マルチでも当たっていた。3連単配当は60万円。のようなことを何度もやっている。いま書いていても悔しくて熱くなる。それで次の同じような場面では、絶対人気馬を消し、自分の選んだ馬同士で行くと、人気馬が格の違うような圧勝をしたりする。まあそれが私の馬券だ……。

---------------

 昇級は勝ち抜け制だから勝たなければいいわけである。すると着賞金を稼ぐそういうズルい馬が出てくる。この矛盾にはだいぶむかしから気付き、腹立っていた。
 だから三十年ほど前、初めて地方競馬(大井)に行ったときは感激した。規模が小さいからでもあるが、地方競馬はそういうズルを許さなかった。着賞金が加担され、総合賞金でランクが上がって行くのである。中央のABCランクがさらに細かくそれぞれ1,2,3と分かれていた。C3級で勝たなくても着賞金でC2にあがる。だからB1という上の方のランクなのに15戦未勝利なんて馬がいたりする。もちろんそこまであがってくるのだから成績は2着3着ばかりである。でもC3でもB1でも一度も勝っていないのだ。このシステムを知ったとき、「てことは、未勝利馬がいきなりGⅠレース(当時はまだグレード制はなかったが)を勝つことも可能性としてはあるのか」と、まさかの疑問を持ったものだった。それが実現する。大井の未勝利馬が東京王冠(当時は中央の菊花賞に相当)を勝ったのだ。馬名はドラールなんとか、ど忘れした。ドラールオウカンだっけ? 未勝利馬がクラシックに出られるだけでも信じられないのに、まさかの可能性が実現した。
 地方競馬のこのシステムは規模が小さいので勝ち抜け制はやっていられないからであるが、中央よりもずっとシビアで正しいと感じたものだった。それは今も変らない。
 とまあ昇級に関しては前々から意見をもっていたのだが、逆の降級に関しては縁がなく考えたことがなかった。以下、本来のテーマ、降級に戻る。

---------------

「降級」はむかしから馬券の宝庫といわれていた。これのある夏競馬を狙い打ちする馬券好きを数多く知っている。実際それで稼いでいる人もいた。が、私はまったく無縁だった。

 長年使い込んだ私の最も重要な相棒であるATOK辞書に「降級」がなかった理由。
 まず仕事でいうと、多量の競馬文章をこのATOKで書いてきたが、私の書く馬は古今東西のA級馬、しかも超A級の馬についてばかりだった。B級馬ですら書いたことがないのにBからCに降級する馬など書くはずがない。だから仕事用として私には「降級」ということばは必要がなかった。超A級馬については日本競馬の黎明期のころから書いているがB級以下については書いたことがない。そういう方面の競馬仕事をしてきた。
 といって競馬ライターの誰もがそうだというわけではない。中にはBからCに降級して、さらにそこでも行き詰まり地方へ転出していった馬の現在をレポートするような文を書いている人もいる。その人にとって「降級」は必要だったろう。
 競馬記者は日常だ。必須である。夏競馬の予想で「降級」は缺かせない。競馬記者のワープロには全員「降級」が辞書登録されているだろう。これだけ長く競馬の文章を書いているのに今回初めて「降級」を辞書登録した私は極めて珍しいことになる。

 今までATOK辞書に「降級」がなかった私的な理由。それは私が夏競馬をやらなかったからである。これは典型的な夏競馬用語だ。夏競馬にのみ出現する季節用語である。私は馬を目の前で観て馬券を楽しむのが趣味なので、春秋冬の東京、中山に通い、中央競馬開催が福島、新潟に行ってしまう夏場は南関東四場に通った。福島、新潟、小倉、札幌、函館の場外馬券は、馬券歴三十五年になるがほとんど買ったことがない。
 
 というわけで、長年の馬券好きであり競馬ライターでもあるが、私は仕事的にも私的にも「降級」という言葉を使う必要と機会がなかったのである。

---------------

 今年春から「進化した電話投票システム」=「PCを使ったiPat」を始めた。これが最も便利なのはこの福島、新潟、小倉、函館、札幌等のローカル開催時であろう。WINSまで通わずにすむ。府中、中山の開催時は競馬場まで通うから使うことはない。
 私は馬券を買い始めて三十五年目にして、初めて真正面から「降級」と、いや「『降級』という推理要素を考慮した競馬」と、取り組むことになったのである。

「降級」でよくいわれのは「勝ち得」と、「力が違う」である。
「勝ち得」とは、ついこのあいだまでB級で戦っていた。それがC級に落ちた。ここでC級で勝っても元のB級に戻るだけ。すなわち「勝ち得」なのである。これは「クラスの壁」という感覚を理解していないとわかりづらい。
 私はクラスの壁を軽々と突破してA級に来た馬ばかりと接してきた。A級の馬ばかりが競うのがGⅠである。GⅢやGⅡは勝つが、どうしてもGⅠは勝てない馬がいる。だから「GⅠの壁」はわかる。

 だけど「A級の壁」{B級の壁」はわからない。現実にそういうものがあるらしい。万年B級馬だ。どうしてもそこを勝ち上がってA級になれない。いつもB級戦でよくて3着、負けて着外を繰り返している。ところがそれがC級に落ちると「格上」となるらしい。それが「力が違う」になる。
 C級には未勝利戦は突破してきたが「B級の壁」にぶつかり、どうしてもB級にあがれない馬がいる。そこに「B級の壁」を突破してあがった馬が降級してくると、断然の格上になるらしいのである。「勝ち得」と言うほどにだ。たしかに筋が通っているようにも思うが、果たしてそんなにC級とB級に差があるものなのか、夏競馬に疎い私には半信半疑なのだった。

 今年初めて真剣にそれらに接してそれが事実であることを確認した。なんだか人生の縮図を観るようで切なかった。
 B級で13着、14着、10着なんて成績の馬が降級してくる。迎え撃つC級馬の代表は、ここのところ連続して2着、3着、2着と安定した成績の馬である。だが予想欄には「降級」と印がつき、「ここでは力が違う」と、その大敗続きの馬に◎が並んでいる。記者の予想コメントも調教師のコメントも「ここは降級戦。勝ち得だし、このクラスでは力が違う」と強気だ。1番人気になる。そしてほとんどの場合、あっさりと勝つのである。C級で2着、3着が連続している安定した馬を、B級で二桁着順ばかりだった馬があっさりと負かすのだ。「そういうものなのか!?」としみじみ思い知った。
 とはいえ時には降級馬が複数いることもある。どれがそうであるかを見極めるのは難しい。だが総じて惨敗続きの「降級馬」が力の違いを見せつけて楽勝する例は多い。B級とC級には力の差があると知った。
 夏にB級からC級に降級してきた馬は、かつて卒業したC級で軽々と勝ち、秋からはまたB級に戻って大敗を繰り返す。たまに3着になったりもするが、C級であれほど強い勝ちかたをしたのに、B級ではどうしても勝てない。そして翌年の夏、また降級してきて……となる。事実、一年前とまったく同じ事になった馬を知る。ここが一年で一番の勝負の場なのだ。とすると、それを見抜いている記者やマニアにとっては、まさしくこれは宝の山である。ディープインパクトと同じぐらい堅い本命馬がいるレースになるのだから

 これは充分に勝負馬券の核となる。降級馬は「勝ち得」であり、「力が違う」からここに全力勝負してくる。未勝利から1勝してC級、C級で勝って2勝馬になってB級である。そのB級では参加するだけで勝てない。日本競馬は8着まで賞金がもらえ、しかも出るだけで出走手当というのがもらえるからそれだけで喰ってゆける。しかし入着賞金と1着賞金では額が違う。勝てるなら勝つのが最高だ。そのB級から落ちてきた生涯勝ち星2勝の馬にとって、この降級戦は、3勝目をあげる年に一度の絶好のチャンスなのである。最高に仕上げて全力勝負する。デビュウ以来3勝目をあげる。そしてまたB級に復帰。しかしそこでは勝てない。だったらしばらく休んでもいい。とにかくこの勝てる降級戦は全力勝負だ。

 というわけで、今頃やっと馬券予想のファクターとしての「降級」を知った私は、そのおもしろさにハマっている。残念ながらそれは常識なので大人気になってしまうことが多く、馬券的妙味に関しては微妙だ。だが今は3連単がある。確固たる軸馬になってくれるのだからありがたい。あとはこちらの馬券センスである。
 それにしても、1000万条件で二桁大敗を続けてきた馬が、500万条件に降級してきて、最近成績充実の500万条件馬をあっさり負かしてしまうのを見ると、そんなにも「格」があるのだろうかと不思議な気がする。数字的には、たしかに持ち時計がちがうのだが……。

---------------

 餘談ながら、夏競馬には若駒と古馬の初対戦がある。それまで別路線だったのがこの時期から混合となる。これは降級と並んで夏競馬の最重要要素だろう。
 最下級条件、500万条件だと未勝利を勝っただけのみな1勝馬だ。古馬は15戦1勝ぐらいのが多い。まあすでに生涯1勝馬の烙印を押されたようなものだ。とはいえここ3戦、2着が連続し、待望の2勝目、待望のB級への道が見えていたりする。そこに3歳馬が挑んでくる。こちらも1勝馬だが、まだ3戦しかしていない。新馬勝ちしたが、そのあと強気で挑んでオープンで2戦大敗している。そんなのが出てくると同じ1勝馬でも3歳馬の方に人気が集まる。そして人気通り、3歳馬は下級条件の牢名主みたいな古馬を軽々と負かして昇級して行くのである。

 夏競馬の「降級」と「初の混合戦」は大きな楽しみだ。ただしそれはそういう状況がそろったときである。
 先日、大敗続きの馬ばかりがそろった未勝利戦をチェックしていたら、「勝ち馬がいない」という結論になった。ひどい成績の馬ばかりなのである。買いたい馬がいないのでさすがにそのレースは見送った。馬券の検討要素がないのだからどうしようもない。結果がどうなったかも知らない。でもひどい成績の馬ばかりが走っても勝ち馬はいる。全馬二桁着順の馬ばかりの中で、一度だけ2着のある馬やすこしだけ時計のいい馬が人気になるから、それらが消えると簡単に大穴が出る。といってもそれを当てるのはサイコロを転がすようなものだ。それは私にとってもう競馬ではない。バクチではあろうが……。

 やはり競馬は勝ち抜け戦を正当に勝ち上がり、出走権を懸けた東西のトライアルを勝って勢揃いする駿馬が最強の座を競うGⅠを応援するのが本道のようだ。


7/21 馬体重話

 むかしから馬体重の増減に気を遣う人を軽侮してきた。よく言われることだが500キロの馬にとって10キロの増減は50キロの人間の1キロである。馬の4キロ、6キロは人になるともうグラムの世界だ。階級を守るためにグラム単位の体重にこだわるボクサーならともかく、競走馬は大相撲と同じく体重はフリーである。力士のようなものだ。いや走るのだから力士はおかしいか。百メートル競走のアスリートのようなものだ。グラム単位で気にする必要はあるまい。なにより本場であり発祥地であるイギリスや世界一の規模を誇るアメリカでは馬体重を計るという習慣すらない。

 かといって馬体重を発表する感覚は否定しない。日本競馬がそれを取り入れた感覚はわかる。
 ウォークマンの開発は、ひとつひとつの部品を0.1グラム単位で小型軽量化することから始まった。自動車の自動開閉窓のような洒落た発明もみな日本だ。競走馬の管理に体重を持ち込んだのは極めて自然な日本人根性だったろう。それはそれで馬券検討要素としてもおもしろい。だけど本気でそればかり考えているひとは異常だ。もっと重視すべき検討要素がある。

---------------

 馬体重にこだわる競馬人でまともな人にあったことがない。でも確実にいる。報道陣用のパドックにいると、4キロの増加、6 キロの減量に、「太い」「細い」と本気で嘆いたり怒ったりしている人がいる。20キロも増えていたら仕上がっていないと言い、逆に減っていたら病気であるかのように評する。ばかだなあと思う。こんなのが競馬評論家として食っていける世界だ。

 生き物の世界である。20キロ増えていようと苛酷なトレーニングをこなして万全に仕上がり、細めに見える場合もあろう。20キロ減っていようと体がゆるみ太く見える場合もあろう。信ずるべきは己の感性だ。こういう人たちが口にしているのは数字というマジックに振り回された愚かさである。

---------------

 そんな人たちとは接しなければいい。そうすればストレスもたまらない。事実接しないようにしている。
 しかしこの春からIPATを始めた。テレビは地上波しかないのでその他はラジオNIKKEIを聞いている。テレビの場合はレース中継以外は音を消しているので無難だが、ラジオはついつい聞いてしまう。聞かなきゃラジオじゃない。するとほんとうにくだらないことを言っている。

 評論家が、「2キロぐらい増えてきてくれると万全だったんですが、逆に4キロ減ってますね。すこし心配です」なんて言っている。正気か、と思う。
 まあ商売として、それが語りの手段だとはわかる。「抜群に気配がいいです」はわかりづらい。その点「2キロぐらい増えてきてくれると万全だったんですが、逆に4キロ減ってますね。すこし心配です」はわかりやすい。ここまでくるともう「数字遊び」である。この評論家を支持している人もいるのだろう(笑)。そういうひとはこの話を聞き、「そうか、そうだよなあ、4キロ減は気になる」なんて唸っているのか。

 私は馬体重は気にしない。しかし馬から発せられるものは気にする。本命にしようと思っていた好きな馬が、どうにも元気がないように思えるとき、馬体重を見る。20キロ増加している。健康な馬体重増には見えない。脚もとに不安があって強い稽古が出来なかったんじゃないかと判断する。増えているのはいいがしっかりと筋肉がついたという感じがしない。こういう時は消す。馬体重に拘るのはそれぐらいである。

 馬体重の増加にうるさい人に競馬センスのいい人はいない。


---------------


 アドマイヤジュピタ楽勝!

 7月29日、新潟最終レースにアドマイヤジュピタが出走した。1年5ヶ月の休養明け。ここではものがちがうから楽勝との下馬評だったが、体重が40キロ増。ここで評価が分かれた。ラジオの解説を聞いていたら、中心はこの40キロをどう解釈するかだった。そればかり(笑)。まあわからないでもない。

 人間にするなら4キロ増。馬の競走寿命等を考慮して喩えると、中学3年で県大会で優勝したランナーが、高校三年間を全休して、大学生になって出てきたようなもの。そのとき体重が中三のときより4キロ増えていても問題にはならないだろう。
 もちろん人と比して一概には言えない。アドマイヤジュピタの休養前の体重は470キロ。これはほぼ馬の理想体重である。それが510キロになってきた。これだと大型馬になる。
 それは適切な成長分だろう。トレーニングをして、時計を出して、それで増えたのだから、そういう馬だったのだろう。再び人間に喩えるなら、中三の時60キロだった少年が、大学生になって80キロで現れたが、上背も170から180に伸びているし、堅太りだし、決して贅肉がついたわけではない、というようなものだ。

 楽勝した。
 私がチェックしたときは3番人気だったが最終的には2番人気だったようだ。たぶん返し馬がよいとの情報から票が延びたのだろう。勝つときはこんなものである。あらためて2キロ、4キロに大騒ぎする連中を嗤う。


 アドマイヤムーンの移籍


あるぞ!! 「ドバイのムーン」盾で初陣

 宝塚記念を制したアドマイヤムーンを所有する近藤利一オーナー(64)が24日、東京・港区のJRA六本木事務所で会見を行い、世界最大の馬主グループ「ゴドルフィン」に同馬を40億円で転売することで基本合意に達したと発表した。正式な契約はまだ先だが同オーナーは天皇賞・秋(10月28日、東京)への出走を熱望しており、移籍したとしても、外国馬として天皇賞に出走することになる。

 ゴドルフィンから近藤氏に正式なオファーが届いたのは11日だが、ドバイデューティフリー優勝後、モハメド殿下は自身のレーシングマネジャーを介して「ムーンの雄姿が忘れられない。いつでもいいのでドバイに来てほしい。友好を温めたい」との親書を送っていた。10日に専属の獣医師が宮城・山元トレセンで放牧中の同馬の馬体を検査。翌日に40億円を提示した。

 近藤氏は「正直悩んだ」というが、21日の函館8R・松前特別で1番人気の所有馬アドマイヤカイトが競走を中止(右寛ハ行)するのを見て「ムーンに置き換えたらどうだったのか。最もいい時に旅立たせるのもオーナーの務めではないか」と売却を決断。ゴドルフィン側にその意向を伝えた。「今年いっぱいで引退と考えていた。そこに殿下からオファーが。ドバイに招待してもらい、しかも勝たせてもらった。これが米国なら50億でも60億でも乗らなかった」と意気に感じての決断だった
。『スポニチ』より

 アドマイヤムーンはゴドルフィンの勝負服でJCを勝ち、種牡馬入りした。よい仔を出すことを祈る。
7/29
 梶山さんのエッセイ最終回

 某所から競馬のメールマガジンが届いた。梶山さんのエッセイが最終回とあったので読んだ。

---------------

華麗なる鉄火場人生(最終回)

博打人生、これ三升の米、一束の薪



「生涯 身を立つるに懶(ものう)く 謄謄(とうとう) 天真に任(まか)す 嚢中(のうちゅう) 三升の米 炉辺(ろへん) 一束(いっそく)の薪」 
すっかり「土日きっぷ」の顧客となり、その利点をフル活用、新潟日帰り二往復の出稼ぎが続いている。おかげで車窓の風景を倍楽しめるのだが、今は何と いっても豊穣な穀倉地、越後の田園の緑が目に力強い。1か月後、新潟競馬が終わる頃には、すっかり黄金色の世界に変わるのだから、時のうつろいはなんとも 早い。

 県境のトンネルを抜け、長岡に近づくと嫌が応にも地震の被災地を思い浮かべる。山古志村の名がやっとマスコミから薄らいだと思ったら、先日の柏崎だ。車 窓からはそうした被災の跡は見られないが、日曜(22日)の「とき303」には某TV局の取材クルーが乗り合わせていたりと、確かに世間では競馬どころで はないのである。

 その心情を反映してか、競馬場も人が少ない。夏競馬を楽しみにしていた近在のファンには気の毒な事態だ。騎手による義援活動も行なわれ、ローカル新潟は、本来の灼熱を一日も早く取り戻したい様子であった。

 そんな柏崎辺りのことを思いやり、このところの旅の友、文庫本に目を落とす。「清貧の思想」(中野孝次)。1992年に出版され、我が書棚には単行本も鎮座している。

 「ナカノ コウジ」って人の本だけどさ、ホント、名著だよ、と話す度に云うのだが、「ああ、あの競輪のね」という反応しかない。博打屋としては喜ぶべき 連想なのかもしれないが、「華麗なる鉄火場人生」ってのは、何も金を稼ぎまくるだけが華麗なのではないのだ。博打屋は喰う為に賭けを方便とするが、生きる 為には金を方便とはしない。

 「自分は立身だの出世だの、金儲けだの栄達だの、そういうことに心を労するのがいやで、すべて天のなすままに任せて来た。いま自分には、この草庵のずだ袋の中には乞食で貰って来た米が三升あるだけ、炉辺には一束の薪があるだけ」

 冒頭の引用は、良寛の代表作の一部だ。越後国出雲崎生まれの良寛は、22歳の時から岡山は玉島の円通寺の国仙和尚に12年間師事している。博打屋は倉敷 での高校時代、幾度かこの寺を訪れている。新潟と岡山。この良寛の修行の路程と博打屋の旅打ちを同化するにはおこがましいが、縁を感じることは許されるで あろう。

 さて、競馬場到着。清貧とは対極の世界ではないか。

 「ゆるい馬場だが前が止まらない。スパッと切れるタイプには難しい」と云う某騎手の言葉は、今週もおそらく生きよう。3週目の芝にしては、内ラチ沿いは悪い。

 小倉記念はニルヴァーナ、サンレイジャスパー、ニホンピロキース三つ巴。北陸Sはトウショウギアからタイキジリオン、エイシンボーダンヘ。

※今回の原稿をもちまして、ギャンブルエッセイ「華麗なる鉄火場人生」の連載は終了となります。短命のコラムとなりましたが、いままでご愛読頂き、ありがとうございました。こんな馬鹿馬鹿しい人生を送っている男がいることも、心の片隅に留めておいて頂ければ幸いです。梶山徹夫


梶山徹夫(かじやまてつお)

1949年広島県生まれ。中央大学文学部国文学科卒。コピーライターを皮切りに、広告制作、音楽事務所経営。ルポライター、競馬雑誌編集長を経てギャンブル暮らし20年。徹底した現場主義で全国を流浪する。著書に「馬券で喰ってどこが悪い」等。


---------------

最終回ということにおどろいたのですぐに電話した。金曜日。土日の新潟出張を前に検討の時間だったのか、梶山さんは部屋にいた。
「最終回とあったのでおどきました」と伝えると、「あなたは、ほんとによく読んでるなあ」と呆れたように、だけどすこしうれしそうに、梶山さんは言った。
 梶山さんの文は上掲からもわかるように渋い。ギャンブル雑誌の無内容な文の中で異彩を放っている。が、あまり好評とは言えない。らしい。いかにして馬券を当てるかというだけの本に、こういう情緒のある文を好む人はいないのだろう。それはご本人も自覚していたようだ。かといって梶山さんはスタイルを変えなかった。
 以前、「馬券ブレイク」とかいう本にも同様の随筆を書いていて、ある回がとてもよかったので、パドックで会ったときそれを言った。そのときも「あれを読んでくれたの!?」とおどろいていた。自分でも気に入っているテーマで書き、納得できるものが書けた。でも誰からも反応がない。そんなとき、いきなり私がそのことを話しかけてきたのでほんとに驚いたようだった。

 私は馬券雑誌を隅から隅まで読んでいるわけではない。いやじつはまったく買っていない。読んでいない。たまに立ち読みするだけだ。いま住んでいる田舎ではビニールをかけらていることが多く立ち読みにも苦労する。それと、読むほどのものもない。一応一通りの雑誌にざっと目を通すが、まず読まない。書き手の名を見れば中身がわかる。
 でもなぜか梶山さんに関しては、競馬業界の人間関係から「こういう本に書いているだろう」という勘が働いて、マイナーな雑誌を探してみたりする。「馬券ブレイク」なんて本来は手にしない雑誌だ。「もしかして梶山さんが」と思って覗いてみた。山好きとかいろいろ趣味も知っているから、「この時期だと、八甲田山の紅葉が書いてあるかな」と閃いたりする。それが当たる。

 いま馬券エッセイで梶山さんほど渋い随筆を書く人はいない。またこの業界、そういう文章力は必要とされていない。受けるために今風の馬券的即物的な文章ばかりだ。それを書けるのに決して妥協しない梶山さんの姿勢はうつくしい。
 なのに今回もまた最終回だったので落胆し、電話したのだった。

---------------

 どうやら週に三回発行されているメルマガが経費節減のため週一になるらしく、残念ながら梶山さんの随筆はリストラ対象になってしまったようだ。
 冒頭、私はこのメルマガ発行所を「某所」としている。それは以下のことで波風を立てたくなかったからだ。

《県境のトンネルを抜け、長岡に近づくと嫌が応にも地震の被災地を思い浮かべる》

 この部分、元原稿では「国境」だったという。新潟のここを通るなら誰でも「雪国」を思い出し、そう書いてみたくなる。それが洒落である。
 ところがそれを知らない編輯者が「日本のあそこは国境ではないから」と「県境」に替えたのだそうだ。あきれた。私は梶山さんに言った。「やめてよかったですよ。そんな編輯者と梶山さんが仕事をする必要はないです」と。
 世の中おそろしいほどバカ化が進んでいるが、こんなのがとにかく編輯者であるのだからどうしようもない。

 とはいえ私の担当編輯者も、長年担当してくれたYさんがえらくなり、部下の若いのになった。掲載メディアの都合で極力無色透明没個性の原稿が求められているから、毎回波風が立たないよう細かなところまで指摘してくる。いまのところとんでもない問題は起きていないが、そのうちこれと同じような問題が起きる可能性は高い。
 川端康成の小説「雪国」を知らない人が、「国境ではないので県境に直します」と言うのは自然だ。教養の問題である。これはいまだに「コッキョウ」か「くにざかい」かでもめている。いずれにせよ基礎教養があれば「国境」と「トンネル」を楽しむ。それがないひとは「日本には地続きの国境はないのに、まちがっている」となる。
 そしてまたこういう連中は意外に頑固でもある。「いやこれはね、『雪国』という小説があって」などと言おうものなら、「読者の中にはそれを知らない人の方が多いと思います。『国境はおかしい』と抗議が来る可能性があるので県境でお願いします」と譲らなかったりする。そういう形で抗議の来ないようにと気を遣っていったらまともな文章など書けなくなる。言葉遣いもとにかく波風を立てないための政治家のあの「させていただき」連発になってしまう。
 やだなあ。いやな時代だ。「ふざけるな!」と原稿を引き上げたいが食うためには我慢せねばならないのだろうか。明日は我が身である。

 梶山さんの憂鬱がわかった。
 私に話して、すこしは楽になったはずである。役だったなら、それはそれでうれしい。
 でも憂鬱が少し伝染してきた。

12/1
大荒れ競馬──3連単馬券考

 今日は関東ではステイヤーズステークス。関西では世界の名騎手を集めて競う大好きなワールドジョッキーシリーズが始まった。馬券参加したかったが我慢して観戦。
 すると大荒れ。もしも今日買ったなら、ステイヤーズステークスで単勝1.4倍のトウカイトリックが複勝圏内から外れるという発想は出来なかった。しかし4着。一瞬100万馬券かと思ったが50万。離れた2番人気のネヴェブションが2着に来ている。「ああ、そうなんだ、これって50万馬券のパターンだ」と思い出す。

---------------

 私は昨年暮れの中山で99%手にしていた大穴万馬券を逃し臍を噬んだ。いま思い出しても熱くなる。パドックで馬を見て、買いたいと思った3連単フォーメーションを組む。それをA馬券とする。しかしそれではちょっと大胆すぎるかと硬軟取り混ぜたフォーメーションを組んでみる。それがB馬券。最後のギリギリで、AもBもそんな大穴が来るはずないじゃないか、ここは確実に当てに行こうと堅いC馬券を組み、結局それを買った。
 それが3連単64万馬券。Aの買いかたでもBの買いかたでも当たっていた。最後の最後に弱気が出て唯一当たらないCに走ってしまった。そのとき、なんとしても近日中に作らねばならないと焦っていた金額が嘘のような話だがぴったり配当と同じ64万円だった。運のない男を画に描いたような物語。でもしっかり小説にするつもりでいる。勝ったのはシャドウゲイト。断然人気で飛んだのはアサクサゼットキ。





 馬場が悪かったこともあり、自信を持って軸にしたのがシャドウゲイト。2番人気でもある。先に行く。まず連絡みは堅い。そして消したかったのが単勝1.7倍のアサクサゼットキ。府中で連続2着を続けて来て断然人気だが左回りが得意で右はそうでもない。それに重馬場だ。調子がいいようにも見えない。もっとも2着に来ているときもそう感じていた。私好みではないのだろう。これが消えたら大穴になる。パドックで発見した穴馬がミヤビキララとヤマニンスプラウト。あとはマイネルキッツとジェイウォークを絡ませる。

 A馬券はシャドウゲイトと超人気薄ヤマニンスプラウトの1、2着固定馬券、10点勝負。これなら百万超えがある。一気に一千万円以上をゲットだ。B馬券はシャドウゲイトと6番人気ミヤビキララの2頭軸マルチ、相手5頭。これもわくわくするような穴馬券だ。
 どちらにしようかと迷っているうち、「アサクサゼットキが3着を外すはずがない」という悪魔の囁き。締め切り間際、A馬券とB馬券を書き込んだカードを破り、シャドウゲイトとアサクサゼットキの2頭軸マルチ、相手5頭の30点勝負に切り替える。それでもヤマニンスプラウトが絡んだりすれば800倍はある。堅いのが来たら当たっても10万円にしかならない。それでもとにかく当てたい。それじゃ尻に火がついている60万に届かないが、薄目が来れば80万になる。まずは3万を10万に増やしてからでもいい。
 そうして、外した……。冬の中山で、茫然と立ちつくした日が目に浮かぶ。もうすぐ一年か。

 このことがあったから年が明けた金杯(雨の日、寒かったなあ)でシャドウゲイト1着固定の12万馬券をとれたのだが、というか、その12万馬券が結局今年の最高配当となったのだが……。
 あの時あの64万馬券を千円取っていたら、だいぶ人生変っていた。たぶん今の住まいにはいない。

------------------------------

 という逃がした魚の大きさを語りたいのではない。そのとき私は思った。大きな魚を逃して悔しいけれど、今の時代、これぐらいはこれからいくらでも出るし、すぐにまた引っかけるだろうと。
 ところが出ない。誰もが3連単馬券で勝負する時代になり、以前とは馬券戦法が変ってしまった。以前は3連単の配当を、1万円台、5万円台、10万円台前半、あるいはこれは30万いったな、と正確に読めた。当たった。いまは読めない。3万はいったと思うものが1万円前半だったり、30万か、と思ったものが13万だったりする。みんなが3連単馬券にうまくなったのだ。概して私の読みよりも配当が低い。

 以前私は単勝1、2番人気を軸にして、よく10万馬券を当てていた。1着2番人気、2着15番人気、3着1番人気で15万なんて馬券を取っていた。その15番人気の馬にデータ的な買い目はなく、それはパドックでのみ発見できる穴馬だった。それがパドック派である私の競馬の醍醐味だった。
 ところがいまこういう結果になっても3万がせいぜいだ。それはこういう馬券を組み立てる人たちが、「2頭は絶対堅い」と読んだ場合、「もう1頭はわからない=何が来てもおかしくない」と読み、総流しを掛けるからだろう。以前とは明らかに配当が違っている。ただ、そういうふうに「散らばる」から、2番人気、4番人気、1番人気で決まっても1万円ついておいしい場合もある。

 そしてそういう「みんなの読み」が外れたとき、大荒れが連続した今年春のクラシックが典型だが、楽々と百万超えになる。一気にそっちまで行ってしまう。これは私の予想スタンスでは買えない馬券だ。

------------------------------

 もうひとつ私には無理と思われる馬券が出現しつつある。たとえば8番人気、7番人気、4番人気で決まったりする馬券だ。上位人気3頭が飛んだ。大穴か、と思う。ところがこれで5万程度だったりする。もちろんこの場合、単勝人気の偏り具合にもよるから一概には言えないのだが、私の中には「単勝1、2番人気の複勝圏内率は80%」という長年かかって身に付いた固定観念があるから、「上位人気3頭が消えたら、とんでもない大穴」と思いこんでいる。ところが今の3連単では、上記のような結果でもたった5万なのである。これは単勝1、2番人気の重要性とは馬連、馬単までであり、3連単になるともう関係ないということであろう。元々単勝はそれほど売れている馬券ではない。3連単とは桁がふたつも違う。もう3連単馬券は単勝人気とは無関係に組み立てるものになったのだ。これは私にとって馬券組み立ての基本を根柢から覆す大事件になる。
 根柢から覆えるほどの大事件なのだが今更覆してはいられない。私は今まで築いてきた方法で今後もやってゆく。行かざるを得ない。ここまで身についた馬券フォームの改造は無理だ。すると的中する場合の配当が下がる。これがつらい。しかしそれを受け入れざるを得ない。その覚悟がいる。
 
 人気馬をぜんぶ蹴っ飛ばしての百万馬券は私にはとれない。
 そのかわり人気馬と超人気薄の絡みである15万馬券は得意だ、と思っていた。
 ところが得意のその15万馬券はみんながうまくなり、5万馬券に値下がりしてしまった。
 そして一番おいしい15万馬券は私の最も苦手な中位人気馬同士の絡み馬券となった。これもとれない。たぶんこれを得意とする人は5頭ボックス、6頭ボックスだろう。それはちょっといま、やる気がしない。
 
 基本としてフォーメーションで30点買う。その中には、人気馬が軸であるから100倍以下も多い。最高が500倍程度。ここがつらい。3連単の楽しみは「もしもこれが来たら」という高配当だ。それが今、「軸から総流し」が増えたのか、配当の中にそれが見あたらない。30点買って120倍を当てても4倍である。これじゃワイドや複勝と同じだ。そしてあたる確立はそれよりも遙かに低い。だったらそっちで一点勝負かとなる。しかしこれはこれでキツい。ワイドや複勝の3倍一点勝負をけっこうやるが、配当が3倍と決まっているから楽しみがない。見事に当たったのに3連単配当を聞いて羨んだりしている。だが冷静に振り返ると、ここのところずっと、秋、いや夏からも、儲けたのはワイドや複勝勝負であり、そうして増やした金を3連単で失くしてきたことに気づく。

 競輪が枠連しかなく、低配当が連続したころ、「120円つけば御の字」と百万円一本勝負をしていた博奕打ちを何人か知っている。真のギャンブラー、本物の博奕打ちだ。私はそんなにリッパではない。あちこち食い散らかして大穴が当たったら大喜びする程度の男だ。複勝を3万円一点勝負で10万にし、その10万をもう一回2.8倍にかけたりすると心臓は早鐘を打つ。やりたくない。50万程度を賭ける馬券は何百回と買っているがみな食い散らかしている。トリガミの名人だ。博奕打ちじゃないのである。「やめたら?」と問われたら、「それがいちばんいいと思います」と自分でも答える。

---------------

 3連単で外れることはいい。よくないけど、いい。しかたない。だけどそれは3連単らしく、当たれば千倍、が欲しい。最低だと50倍、最高配当でも250倍なんて3連単30点勝負はちっとも燃えない。だけど真剣に長時間検討してそうなるのだから変えようがない。変えるとしたらそういう3連単を買うという馬券購入姿勢だ。

 戦法を変るとしたら「軸1頭マルチ」か。軸1頭マルチ、相手5頭。60点勝負。これだとまだまだ穴馬券を引っかけられる。しかしなあ、60点は多いし、マルチは潔くない。やっぱり1着指名、相手6頭で30点のほうがずっと清々しい。でも私は1着固定であの秋天のヘヴンリーロマンス、ゼンノロブロイ、ダンスインザムードの100万馬券を外している。ゼンノロブロイ1着固定で行ったからだ。相手にはしっかりヘヴンリーロマンスもダンスインザムードもいた。軸1頭マルチならすでにあの時点で100万馬券を奪取していたはずだった。だからこれからは軸1頭マルチにすればいいのだが。でもなあ……とブラマヨ吉田風に悩む。でもおれには相談するいつも行っている皮膚科の先生はいないし。そうだ、整骨院の先生なら神戸にいるから相談してみよう。




この壁紙は07年のJCです

inserted by FC2 system