競馬雑記

2006-2007
6/19
◎ 趣味の力 ◎



 昨年暮れからネット上のつまらん問題に関わっている。つまらん問題ではあるがタイ好きとしては看過できなかった。マイナスも大きかったが知己も増えた。関わったこと自体に悔いはない。
 すべての元兇である「問題児の彼」には敵が多く、実に300人もの人から情報が寄せられた。
 そんな中のひとりにOさんがいた。

 バンコク在住だというOさんは最初からきちんと身分を名乗られ、ご自分の経営している会社のサイトもメイルに記していた。正規の「ネット署名」である。さらには最初のメイルで携帯電話の番号まで教えてくれた。100%信頼すべきメイルになる。
 しかし最初のメイルの内容は、お話したいことがあるので連絡を乞うというものであり、この件に関し、数多くの情報への対応に振り回されている私にはさして魅力的なものではなかった。
 一応礼儀として形式的な返事を書く。

 すぐに返事を頂いた。そうして何度かの往復書簡が続く。もしかしたらOさんも、私がOさんの存在に一抹の疑問を抱いていることを感知していたのかも知れない。これでもかというぐらいOさん以外知りようのない稀少な事実を教えてくださった。貴重な情報だった。しかし私はそれを私のファイルに反映することは一切しなかった。

「問題児の彼」、ここではとりあえずT氏としよう、そのT氏の十八番が、味方のふりをして相手方に進入し、ガセネタを流し、その流れぶりによって情況を判断することだったからである。そういう裏技が得意な人だった。
 Oさんの会社のサイト名、携帯電話の番号、T氏に関する情報、それはT氏がその気なれば、長らくOさんの通訳兼秘書をアルバイトでやっていたのだから、簡単になりすませることであった。なにしろ内容は自分のことなのだから(笑)。
 もちろんそれは私が直接Oさんに電話をして、「私にこのようなメイルを下さったでしょうか?」と確認すれば一発でバレることである。でも「そこまではすまい」と読んだなら、なかなか腹の据わった撹乱戦法になる。

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 これは今現在の後日談になるのだが、最近T氏がOさんに書いた私信には、「Oさんが私の情報を彼(私のこと)に流しているのは、彼の文を読んでとっくのむかしに気付いていた」と書いているのが興味深い。いや笑える。「そうなることを読んでいて、わざとOさんには嘘の情報を流していた」のだとか(笑)。なんだろう、これ。負け惜しみにしても無惨である。

 私はOさんからもらった貴重な情報を、真贋を確かめるまではと完全に封印していた。よって私のサイトにOさんから教えてもらった情報はただのひとつも書かれていない。なのにT氏は前々からそう思っていたという。私が推測で書いたものが偶然にもいくつかヒットしてしまったのだろうか(笑)。

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 この「問題児の彼」と闘う私の相棒は、バンコク在住のR君だった。R君はネット世界に通じている。通信技術の裏技にも長けている。裏社会も知っている(これはあんまり関係ないか)。
 とにかく苦労人である。単純に人を信じることによってだまされ、多くの傷を負ってきた。今もアブナイ風貌とは正反対で、根っこは純粋まっすぐ君である。純な人だ。その分、人を信じるまでには時間が掛かる。

 彼は何度も私に注意を送ってきた。「Oさんの話はあまりにうますぎる。どうにも怪しい」と。
 たしかにOさんの話は「問題児T氏」の中枢にぐいと踏み込んでいる。踏み込みすぎている。本物だったらすごい話だ。しかしニセモノだったら、これはT氏以外なりすましは出来ないから、T氏の仕掛けに決まっているのである。へたに乗ってこちらの情報を流したら致命的だ。

 何度も長文のメイルをやりとりし、私はOさんのことを100%信用していた。それは物書きとしての本能である。これでOさんがニセモノだったらそれは私の鑑定能力がそこまでということになる。自責で筆を折ればいい。
 ただ、前記したように、すでに私自身はOさんを100%信用していたが、それでもOさんからもらった情報は一切公開しなかった。私自身が笑いものになるのはいいが、公開することによってそれを前提として話を組んだ友人達までもが「バーカ、バーカ、だまされやがって」になるのだけは避けたかった。人を見る目がないと笑いものになるとしても、私ひとりで充分である。
 Oさんを100%信じているはずなのに、R君の忠告により、私の中のOさん信頼度目盛りは、時に95まで目減りしたりした。

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 さて本題。
 そんなある日、決定的なことが起きた。といっても「嬉しい決定的なこと」である。

 私に興味を持ってくれたOさんが、それまでは「T氏関係」の文章しか読んでいなかったのに、ここ、つまり「競馬File」にたどりついたのだ。Oさんは長年の競馬ファンだった。でも「問題児の彼」のことでメイルをやりとりしている私が競馬物書きだとは知らなかった。私もOさんが高名な馬主とも親しいヴェテラン競馬ファンだとは知らなかった。
 Oさんが偶然クリックしてここを開くことにより、Oさんと私の関係は新たな局面に踏み出す。

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【例──1】
御多忙中にも拘らず御返信頂きまして御礼申し上げます

遅まきながら「日々の雑記帳」から「競馬File」に辿り着き結城様のエッセイの数々を読ませて頂き感動致しております

結城さんの書かれたオグリのこの二冊の写真集手に入るでしょうか
可能であるならば是非とも購入させて頂きたいと切に願います

実は私も大ファンだったので。。。
最後の「有馬 奇跡の復活」は今でも実況が頭をよぎります。。。
増沢が乗ってドカ負けした天皇賞、JCの後、初めてのまばらな印、、、
民放の放送だったのですが実況も(確か大川アナ?)感動的でした!
「オグリ一着!」の連呼に「スーパーホースです!オグリキャップです!」
故大川慶次郎さんの「ライアン!ライアン!」はいただけませんが。。。
あの実況の方はVTRで自身の実況の声が裏返っていたので
自信喪失してその後引退されたと伺っていますが。。。

ブライアン。。。お好きだったのですね。。。。。
パネルや蹄鉄、テレホンカードの数々、残しておけばよかったですね
すべてこちらに来る前に処分してしまいました、、、残念です
(註・Oさんはブライアンの馬主と親交がありその種のグッズをたくさんもっていた。)
いつの日か競馬談義が出来る日を夢見てプログを拝見させて頂きます


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【例──2】
「俺は待ってるぜ」に関する情報、有難う御座いました
ノアの箱舟ですか、、、懐かしい限りですね
確か同年にレース中の突然疾病で予後不良、惜しまれますね
音無調教師は騎手時代も騎乗回数の少ない人でしたね
確か翌年のオークス、ラモーヌの二着ユウミロク(?)も音無では?


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 全部の再録は出来ないが、馬主との交友や馬券勝負の想い出、好きな馬のことが、それからのメイルには連綿と綴られることになる。私もそれに応えて、ふたりのメイルは競馬話が主になった。
 私のOさんへの信頼度は一気に100を通り越して200になった。T氏というのがどんなにネット裏技となりすましに長けていたとしても、これらのことは絶対に書けないのである。
 競馬という趣味が薄雲のように張り付いていた不安を完全に払拭してくれた。

 それからはいまだ同じようなことを言うR君に、「絶対だ、まちがいない、俺を信じろ」と力づくで説得する形になった。
 今はR君も全面的に理解し、来週早々にもふたりは会うことになる。終ってみればすべて笑い話。しかし確信させてくれたのは競馬という趣味だった。

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 この話には同時進行で同じようなことがもう一件あった。
 やはりバンコク在住のSさんである。多くのことで疑心暗鬼になっているR君は、このSさんも怪しいと睨んでいた。Sさんもまた「おいしい話」をいくつか持っている。だからこそまた「なりすまし」の可能性があった。この場合はT氏方面とはまたちがったもうひとつの疑いも存在した(笑)。

 Sさんを「絶対大丈夫」と言い切らせ、R君を折伏(笑)させたのも競馬の力だった。
 Sさんも大の競馬ファンだったのである。私の競馬ファイルを見つけハーディビジョンのことを書いてきた。昭和58年、19年ぶりの三冠馬・ミスターシービーで湧いた年に、朝日杯3歳ステークスを勝ったマンオブビィジョンの仔である。翌年我が国史上初、無敗の三冠馬になる同期のシンボリルドルフはこのとき3戦3勝。まだ重賞勝ちもなく表舞台には出ていない。私はもちろんハーディビジョンの勝つ中山競馬場にいた。Sさんもいた。昭和58年12月11日。顔すら知らない二人が一気に距離を縮める。勝ち馬ハーディビジョン、2着ハツノアモイ。枠連しかない時代。7-8は1630円だった。

 Sさんは的場騎手の大ファンだったらしい。
 そこからトウカイテイオーとライスシャワーの惨敗した有馬記念(メジロパーマーの勝った有馬記念と言うべきか)で盛り上がる。私はトウカイテイオーで、Sさんはライスシャワーで大勝負をしていたのだった。メジロパーマーとレガシーワールドで決まる大波乱。有り金全部100万勝負して外れた私は中山競馬場でへたり込んでいた。あのとき、ライスシャワーで大勝負したSさんも近くでへたりこんでいたらしい(笑)。
 そんなふうにして趣味は人を近づける。

 このときもR君に「Sさんは絶対大丈夫」と太鼓判を押した。どんな頭のいい人でもなりすまし出来ないものがある。もしも知識でなったとしても、それぐらいは一瞬で見抜ける。
 このあとR君とSさんはバンコクで盃を交わしている。楽しかったとふたりからメイルをもらった。

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 そもそもOさんやSさんを疑ったこれらの勘違いは、「あちらにも味方が居るはず」が前提になっていた。それまでに私はアンチT氏の300人以上からメイルをもらっていた。すさまじい不人気である。当然アチラにもそれに匹敵するT氏支持者がいるのだろうと思っていた。非難メイルの殺到も覚悟していた。むちゃくちゃなことを書いているT氏だが、何十人かの味方はいると思っていた。R君もそうだったろう。
 しかし事態が進んで明白になったことは、T氏にはそんな味方はひとりもいないということだった。かなしいほどに孤立した人だった。そこを理解していれば、OさんやSさんへの無意味な警戒心を抱く必要もなかったのだが。
 それは今だから言える話。当時は私もR君もOさんやSさんに疑心暗鬼になっていた。

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 話の展開上、なんだかR君がやたら疑い深く、私が人を見る目があるようなかっこいい存在になってしまったが、それは展開の綾。たまたま「競馬が助けてくれた」というだけである。
 人を見る目はR君のほうがよほどある。私はR君のように修羅場もくぐっていない。いい人達に恵まれて、しあわせな人生を歩んできた苦労知らずの単細胞である。だからこそ「趣味は身を助く」となったこの出来事は心に残ることになった。それまでもギターや将棋には助けてもらっていたが、まさかこんな形で競馬が助けてくれるとは予想だにしなかった。

 バンコクでOさんやSさんと競馬談義をする日が楽しみである。
9/24
 Kは福の神

 金沢のKがやってきた。昨年の秋以来になる。残念ながら今回の上京は昨年とは違って特殊だ。H子さんの脳腫瘍の手術が近づき、しかもそれがたいへん危険率の高いものだとわかったので、わざわざ会いに来てくれたのだ。
 御徒町での飲み会は旧友のMも呼び、ポンジョ(こんな俗的な言いかたは好きではないが)を出たばかりのF代さんも参加してくれたのでたいそう楽しいものになった。KやMは私との縁でH子さんと知り合った。というか赤坂の企劃会社で一緒だったH子さんの引っ越しを私が手伝わせたというのがただしい。それ以来になるから彼らがH子さんに会うのはじつに27年ぶり。F代さんはまだ生まれていない。当時十九歳の美青年だったMも今は都バスの運転手とかで四十半ばのおっさんになっていた。私が彼と会うのも十数年ぶりになる。それが土曜日。

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 御徒町でしこたま飲み、タクシーで帰宅した後もまたKと飲んで、寝たのは午前3時。そのときは元気だったが朝が辛い。7時半から「報道2001」を観る予定だったがパス。結局10時過ぎまでダウンしていた。気持ちのいい酒だから宿酔いではないがさすがにグラグラしている。

 競馬の予想をする。昨秋は東京開催だった。Kと一緒に出掛けた。今年は中山開催である。遠い。行くべきかどうか。本来競馬場派でありパドック派であるふたりだから行くのが本筋だが、年に一度しか会えないような情況で往復に取られる時間が痛い。府中で場外馬券をやることにした。非開催時の競馬場でこれをするのは私には初体験である。
 いやはや開催日並のたいへんな混雑だった。今までの倍の大きさになった世界一のターフビジョンはまだ試験映像で本来の凄みは出ていない。しかしその大きさは圧倒的で、あれが天皇賞・秋やジャパンカップをおおきく盛り上げることだろう。

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 近くのウインズではなく東京競馬場に行ってみようと思いついたとき、もうひとつ縁起のいいことに気づいた。ここのところKと競馬場に行くと負け知らずなのである。私は。Kは全然当たらないらしい。Kは私にとって福の神。私はKにとって貧乏神ということになる。がすこしだけ口幅ったいことを言うなら、金沢の地でカタギ?に生きているKは、かつて武蔵小山に住み私と一緒に毎週競馬場に通っていたころとは違っている。たまにPATでGⅠを遊ぶぐらいである。馬券感覚が鈍っているのだ。戦術も相変わらず馬連中心である。
 その点、私は……って自慢にならないからやめるが、毎週欠かさず関わっている。そうして私の3連単は微妙なところで的中不適中が別れるのだが、Kと一緒のときはいつもいい目に出るのである。昨秋の府中で18万馬券を取ったのがその一例になる。



 というわけで今回も中山のオールカマーこそエアシェイディとスイフトカレントの2頭軸で行って完敗(軸馬が4着、5着)したが、神戸新聞杯と中山の最終の3連単を本線的中して大幅プラスになった。神戸新聞杯は勝つのはドリームパスポートと決め、メイショウサムソンを2着固定、3着固定で行ったから快勝になる。ただ先日の中山でいい思いをしたものだからついつい「ドリームパスポートの1着固定で相手5頭=20点」という万が一メイショウサムソンが4着になったときのスケベ馬券を買い足したので「快勝」はすこし言い過ぎか。でもミスターシービーが京都新聞杯で4着に敗れたように充分にあり得ることだったから無茶とは思わない。あのアドマイヤメインへの進路妨害でメイショウサムソンが降着になっていたらドリームパスポート、ソングオブウインド、フサイチリシャールになっていた。いやフサイチも戒告を受けているから降着になってとトップオブサンデーが繰り上がってくるか。武が石橋と仲がいいからそうはなるまいと思っていたが、パトロールフィルムを観ると、どうにもチグハグな石橋の騎乗だった。三カ所で問題になり過怠金を取られている。

 Kはオールカマーで、コスモバルクから行き5点で取ったつもりでいたら、なぜか4点しか買ってなく、その買い漏らした相手がバランスオブゲームだった。そんなこともあったから喜びも中ぐらいなのだが、なにしろ負けたらバイト先でも昼飯抜きぐらいの毎度せっぱ詰まった情況でやっている競馬だから、この「福の神」の神通力はありがたかった。



2007

07/1/27
豪華騎手の日

 今日と明日の東京開催は関東の騎手好き競馬ファンにとってはたまらない日になった。あまり騎手に興味のない私ですらそう思うぐらい豪華だ。

 馬券をしばらくやっていると誰でも「騎手との闘い」に踏み込む。そうならざるを得ない。
 関東だと古くは増沢、岡部である。関西なら福永と武か。そして十数年前からはその息子だ。
 なのに30年以上馬券をやっていながら騎手との闘いを意識することなく今まで来てしまった私は極めて異常な馬券ファンということになる。関西の競馬ファンなら馬券を初めてすぐに「ユタカとの闘い」を経験していることだろう。

 そういう競馬ファンの常識である「騎手との闘い童貞」であった私も、何年か前からひとりの騎手を意識することによりその味を知ることになった。
 ペリエである。ロンシャンで見て感激したすごい騎手が日本に数ヶ月滞在して騎乗するというだけで興奮したが、彼の活躍は名前以上だった。『日刊競馬』が府中中山の芝レース連対率上位を2000m,1600mと距離別に分け、データとして掲載するときがある。もちろん一定以上のレース数を走っていなければならない。関東主戦のときはもちろん関西に移籍してからもいつも上位はペリエと武だった。それも4割近いずばぬけた連対率だった。これだけでもいかにふたりが特別な騎手かがわかる。

 人気のペリエを買うか消すか、人気薄のペリエを買うか消すか、私にとってペリエとの闘いは大きな楽しみになった。ゼンノエルシド、シンボリクリスエス、ゼンノロブロイ、厳密に言えば彼が最初に活躍したのは関西だが、これらGⅠ馬の名からも華々しい活躍をしたのは関東が主だった。有馬記念4勝騎手である(笑)。長年騎乗していて一度も勝っていない日本人騎手が大勢いるのに。

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 数年前、身元引受人の藤沢調教師との確執で彼の活躍の場は再び関西になってしまう。彼ひとりが抜けただけで関東の競馬はずいぶんと味気なくなった。さらには跡を継ぐべく登場し、ダンスインザムード、ダイワメジャー、コスモバルクで活躍したルメール騎手も関西に行ってしまう。あちらには武もアンカツも藤田もいる。岩田も入ってきた。なんであちらばかり充実するのだと僻んだものだった。

 彼らと出会えるのはGⅠの日ぐらいになった。
 しかしそこで出会う彼らと「騎手との闘い」になるかというとこれはすこし違う。競馬は連続ドラマである。条件戦において、前回ペリエや武が乗り、1番人気になって負けた馬が、さて今回はどうなるかというのが楽しいのであって、いきなり関東にゲストとしてやってきて、関東の二流騎手から乗り変ったからといって、そこにドラマはない。関東の騎手で勝てなかった馬を見事に勝たせる場合もあれば、彼らが乗ることによって過剰人気となり、消えて穴馬券の立役者となることもあった。それはそれで「騎手との闘い」なのだが、単発であるからやはり常駐しているのとは味わいの深さが違う。

 ペリエが関西に行ってしまったあと、関東における騎手に関する実りは南関東の内田博幸騎手の活躍ぐらいだろう。あとはなにもなかった。ヨコテンが100勝したり中舘が100勝したりしたが(ただし中舘の活躍は地方が主。今も小倉である)。

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 彼ら関西主戦の騎手の騎乗にはGⅠの日ぐらいしか会えない。しかしGⅠというのは華やかな祭りであって私のようなのにはむしろ敬遠したい日である。私はGⅠの日だけはテレビ観戦にしようかと思っているほどだ。(今よりハードに競馬場に通っていたむかしは実践していた。)だから楽しみは空いている土曜なのだが、なかなか一流騎手はGⅠ当日に来ることがあっても当日上京で土曜は関西だったりする。

 今回、なにがどうなったのか季節外れの冬場でありGⅠでもないのに、大挙して彼ら関西の一流騎手が土日の府中にやってきた。
 今日土曜は、ペリエ、武に加えてアンカツ、ルメールまで来て、府中は超豪華なラインナップとなった。残念なのはほとんどのレースに騎乗予定だった大井の内田が病気ということで(腹痛、嘔吐、下痢とか)すべて乗り代わりになってしまったことである。これで内田がいたらオールスター勢揃いだった。

 同じくヨシトミも落馬によるケガで乗り変った。しかしその乗り変る騎手が武やペリエ、アンカツ、ルメールなのだからたまらない。彼らも午前中に落馬したのだがケガがなくて良かった。関東もヨコテンやカツハルががんばって、なんとも豪華な騎手勢揃いの一日となった。
 メインの東京新聞杯は悲願のタイトル制覇を目指す内をついたアンカツエアシェイディを武豊スズカフェニックスが大外から差して勝ち、内に3着ルメールのイースターである。まるでGⅠだ。人気薄ペリエの5着グレートジャーニーも直線では見せ場を作りアナを絶叫させた。豪華騎手による豪華で見事な東京新聞杯だった。

 畢竟関西は手薄になる。藤田が騎乗停止のところに名だたる連中がみな関東に行ってしまったので、岩田や小牧、福永が主だった。ちと小粒である。豪華すぎる関東で、なんだか申し訳ない気分だった。

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 明日日曜も彼らが皆いてくれて楽しめる。
 そうなると早くも来週は? と思ってしまう。武はディープの弟ニュービギニングで共同通信杯に来るらしい。まったくあの有馬記念の日、同じ勝負服の弟が兄そっくりのレースぶりで勝ったときの歓声は格別だった。
 武が来るのかと思うと、すぐにペリエは、アンカツはルメールは、と考えてしまう。フサイチホウオーが出るならアンカツは来るが、そうはうまくも行かないだろうし、なにより本来関西所属の騎手なのだから、他人の恋人の来訪を待つようで気分的に惨めだ。かといって目の前で馬を見て馬券を買うのが基本の私は、いくら秀でた騎手が揃っているからといって遠い関西のレースをデータ馬券で買う気にはならない。

 関西の競馬ファンは贅沢だ。恵まれている。武、アンカツ、岩田、藤田、これが日本の勝ち鞍ベスト4。それに福永、ペリエ、ルメールまでいる。うらやましい。
 藤沢調教師とペリエのあいだに何があったか知らないが、彼だけでもこっちにいてくれたらと痛切に思う。

 そういえば関東の調教師と親しく、関西では折り合いが悪いらしい藤田に「関東定住」の噂が流れたことがあった。実現しないものか。それだけでも風景はだいぶ違ってくる。今回の問題でそうなればいい。


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 写真が古い!
 近頃競馬場にカメラを持って行っていない。適当に府中の風景を載せるかと思ったら、写真が古い。あの世界一のターフビジョンをまだ撮ってない。
 これが古い写真。今はこの3倍のターフビジョンがある。でも考えようによってはあたらしいものはいつでも撮れるが古いものはもう撮れない。これはこれで貴重か。

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 アンカツ、ルメール帰阪
 ということで楽しみにしていたら、アンカツとルメールは土曜のみの騎乗で日曜は京都だった。移動が大変である。京都牝馬ステークスがあるのでカツハルも京都に行った。代わりに福永がこちらに来たので、武、ペリエ、福永とゲストが揃ったが、昨日のおもしろさを知っているのでアンカツとルメールがいなくて物足りなかった。
 土曜は暖冬を通り越して春のような日だった。たまたま実現した豪華騎手勢揃いの特別な日だったのだろう。

 1頭軸マルチか……
 シーキングザベストとタイキエニグマの2頭軸マルチで行った。武タイキが沈没し馬券は外れ。ビッググラス、シーキングザベスト、ニホンピロサートの3連単は41万馬券。悔しいのは波乱の主役となった2頭を選んでいたこと。特に勝ち馬のビッググラスは事前検討ではまったく無視していたがパドックでの気配が抜群なので現場で付け加えた。シーキングザベスト1頭軸マルチなら当たっていた。でもタイキエニグマは前々から大好きな馬なので悔いはなしとしよう。鞍上武で重賞に挑むことももうないだろうし、いい記念だ。

 点数が絞れるのでどうしても2頭軸マルチにしがちだ。それでけっこうかなりの配当を当てたりもしている。それでも1頭軸マルチなら当たっていた50万馬券、100万馬券は多い。かといって100倍、200倍を1頭軸マルチでは採算が立たない。そこの判断が難しい。それが勝負勘なのだろうが。

 京都の牝馬ステークスを実蹟がありカツハルがわざわざ遠征したのだからと断然人気ディラデアノビアの相手にウイングレットを選んだ。2頭軸マルチで簡単に当てた。当たるときはこんなもの。でも140倍。ディアが2着、3着になっての好配当をねらったが圧勝。あんなに格が違うのか。これはまたディラディラ1着固定、ウイン2着固定で厚く取る馬券か。でもディラディラはGⅠでもGⅢでも3着の馬だ。
2/5
 フサイチホウオーのこと

 私がフサイチホウオーを初めて見たのは東京スポーツ杯のときだった。2006年11月18日である。2戦目になる。
 関西所属馬だがデビュ戦も東京だった。10月8日。稽古から話題になっていた。単勝は1番人気で230円。芝1800を遊びながら勝ったというのでたいへんな話題になった。この日も府中には行ったが私はこの6レースの新馬戦は見ていない。着いたのは8レースだった。
 この日、初めて生で見る勇姿を楽しみにしていた。断然の1番人気、新聞には上から下まで◎がついていた。

 しかしパドックに出てきたフサイチホウオーを見て私は首をかしげた。私なりにかっこいい馬の姿、というのがある。シンボリルドルフからディープインパクトまで歴史に残る名馬はみなかっこいいと思った。ミホノブルボンのようにボディビルダーのような体つきで私の好きなしなやかなかっこよさとは違った馬もいたが、それでも惹きつけられるものはあった。
 フサイチホウオーはぽっちゃりとした丸まっこい馬だった。精悍な体つきの馬ではない。なんでサンデー肌にジャングルポケットでこんな体型の馬が出るのかわからなかった。

 報道陣用パドックの隣に馬券師の梶山さんがいたのでそう言ってみる。梶山さんも現場で馬を見て馬券を買う人である。彼も「たしかにこの血統からこの形はヘンだよね」と言った。

 フサイチホウオーの父ジャングルポケットにはクラシック前の取材で会っている。栗東の厩舎で鼻面を撫でた思い出深い馬だ。無敗の皐月賞馬アグネスタキオンのリタイアは残念だった。私はあの馬には距離の限界があると思っていた。今も思っている。だから彼が断然人気でダービーに出てきてもジャングルポケットを本命にする気でいた。あの突然の引退はそういう意味でも残念だった。
 角田の騎乗ミスによる菊花賞4着敗退、ペリエに乗り代わってのジャパンカップ制覇。そのときインタヴュウでペリエが連発した「タケさんのお蔭」(武の乗っているステイゴールドのあとを着いて行くレースだった)。翌年おろされた角田が見事に人気薄ヒシミラクルで菊花賞を勝つ物語もいい。ジャングルポケットは思い出深い馬である。
 しかしフサイチホウオーから父の面影を感じることは出来なかった。

 この日、私が気に入ったのは4番人気のフライングアップルだった。外国産馬で父はラーイである。この馬は私好みの体型だった。本命にする。
 2番人気のドリームジャーニーは父ステイゴールドに似た小柄な馬だった。気が強そうでチャカチャカしている。こういう馬も嫌いではない。
 話題のフサイチホウオーに、私はすらりとした若武者を想像していた。なのにみょうに丸い感じのする馬であり、どうにも思惑と違うのだった。

 レースは私と同じく馬体には否定的な梶山さんが「いやあ強いわ、あの馬。遊びながら走って勝っている」とおどろくほどの圧勝だった。1着フサイチホウオー、2着フライングアップル、3着ドリームジャーニー。3連単5410円。
 好みの馬体ではないのに私は馬券を当てていた。気に入ったフライングアップル中心にフサイチホウオーを消した3連単を主に組んだが、抑えにフサイチホウオー1着固定も買っていたのである。自分の好みではなくても強い馬がいるのは知っている。世間がそこまで評価しているのだからすなおに乗ってみようとも思ったのだ。低配当だったがフライングアップルがあまり人気がなく5千円ついたのでトリガミにはならなかった。

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 その後フサイチホウオーは今では2歳時のレースとしてクラシックに直結する最重要レース、ラジオNIKKEI杯(GⅡにすべきである)を勝ち3戦全勝で年を越した。ただしあのレースは失格だと思う。
 東京スポーツ杯で破ったドリームジャーニーがGⅠの朝日杯2歳ステークスを勝つことによりフサイチホウオーの「2歳最強」の名は不動のものになった。

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 そのフサイチホウオーが今回共同通信杯に出走してきた。ディープインパクトの弟ニュービギニングが2戦2勝で挑む。ダーレーの刺客・船橋のフリオーソに内田博幸が騎乗して登場する。GⅠ並だと話題になった。
 フサイチホウオーはなぜ弥生賞を使って中山を経験しようとしないのだろう。狙いは東京のダービーだからか。これで4戦の戦歴の内3戦が東京である。

 私は府中にいたがメインレースのこれを買わなかった。フサイチホウオーが勝つだろうと思っていた。心情的に応援するのは大好きなフライングアップルである。ディープインパクトの弟にも注目している。フライングアップルとニュービギニングでフサイチホウオー消しのスケベ馬券を考えたりもしたが、見るだけにした。きっとフサイチが勝つ。ニュービギニングが2着に来ると思うが、多少順番が違ったとしてもいずれにせよ3連単は20倍程度の配当だ。それは穴狙いの私には興味のない馬券だった。
 結果、2番人気のニュービギニングが消えたが、それでも配当は30倍に過ぎなかった。買わなくて正解である。フサイチホウオーは4戦4勝でクラシック最有力候補となった。

 それにしても馬の値段は皮肉だ。昨年関口オーナーは4億円のフサイチギガダイヤ、3億円のフサイチジャンクでクラシック制覇に挑んだ。両方ともこけた。それと比べたらフサイチホウオーは安馬であろう。それがこういうふうになる。

 これでますます3歳最強はフサイチホウオーとなり、そのままクラシックレースに突入するようである。フライングアップルは外国産馬だし、假に狭い枠を通り抜けて出走してきたとしても応援したい血統背景の馬ではない。
 これから弥生賞、スプリングステークス、毎日杯で、私好みの応援したい馬は出てくるのだろうか。出てきてくれないと困る。なんとも心配な春である。牝馬はウォッカがいるけれど。

 馬券を当てたいので強い馬には逆らわない。フサイチホウオーが勝つと思ったら素直に乗る。でもやはり気に入った馬を応援したい。当たったときの快感が違う。どこかにいないものか。
 もしかしたらフサイチホウオーはこれからGⅠを勝ちまくり、歴史に名を残す馬になるのかもしれない。たとえそうなろうとも、私はこの馬を見てこう感じたということをここに記しておきたい。
 たとえるなら、腹筋が割れている連中の中に、ぽってりとおなかの出ている体型の人が出てきたような感じなのである。だが最強のヒョードルが腹筋の割れたタイプではないように、あれこそが最強なのだとなるとフサイチホウオーはそれにふさわしい。また純粋な相馬眼からはトモの筋肉がすごいとか、いろいろ褒める要素はある。ただ、私がかっこいい馬とは思わなかったのだけは事実なのである。(ほんとは共同通信杯の前に書きたかった。)

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【附記】
3/3
 あたらしいスターをとも願う気持ちは誰も同じようで、その後、1戦1勝のオーシャンエイプスが異常な注目を浴びたが(サンスポは一面扱い)敗れる。サンデー肌に父ジャングルポケットというフサイチホウオーと同じ血統のトーセンキャプテンは、3戦3勝の成績で期待されたが脚部不安でリタイアした。けっきょくはフサイチホウオー最有力のままクラシック戦線突入となる。

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【附記・2】5/28
 フサイチホウオーは皐月賞を3着、ダービーは断然の1番人気で7着に敗れた。
 これからテイエムオペラオーのように大変身があるかもしれない。でもとりあえず今の時点では無敗でダービーを制するような器でないことは証明された。
 前記したように私はあの馬からスターとしてのオーラを感じなかった。今回見事にウォッカからは感じた。
 いまの時点では私の予測したようにたいした馬ではない。
 果たしてこれからGⅠを勝つ日は来るのか。楽しみである。

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引退発表──08/4/25

フサイチホウオーが重度の屈腱炎のため引退

 デビューから4連勝を飾り、昨年の皐月賞で3着となったフサイチホウオー(栗・松田国、牡4、父ジャングルポケット、母アドマイヤサンデー)が屈腱炎のため引退することが25日、分かった。同馬は京都記念15着の後、京都の宇治田原優駿ステーブルに放牧に出て、23日に栗東トレセンに帰厩。24日に右前脚に違和感があったためエコー検査を行った結果、重度の屈腱炎が判明したことから、引退が決まった。

 JRA通算11戦4勝、重賞は06年GIII東京スポーツ杯2歳S、GIIIラジオNIKKEI杯2歳S、07年GIII共同通信杯の3勝。獲得賞金は1億4331万5000円。引退後については未定となっている。サンスポより

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 結局、4連勝のあと7連敗しての引退となった。私の相馬眼は正しかったことになる。とはいえ、後味はよくない。こちらがすみませんと謝るぐらい強い復活をして欲しかった。残念な想い出の1頭になる。


3/2(金)
桜花賞馬を選ぶ

 桜花賞の原稿依頼が来た。昭和59年以降の中から6頭を選んで書けと言う。それは私が選んでいい。題して「伝説の桜花賞」。つい最近のレースばかりなので伝説はちと大げさと思うが。
 さてこの選択が難しい。

第44回 1984年4月8日 ダイアナソロン 牝3 1:36.1 田原成貴 中村好夫 大島秀元
第45回 1985年4月7日 エルプス 牝3 1:36.9 木藤隆行 久恒久夫 小畑安雄
第46回 1986年4月6日 メジロラモーヌ 牝3 1:35.8 河内洋 奥平真治 (有)メジロ牧場
第47回 1987年4月12日 マックスビューティ 牝3 1:35.1 田原成貴 伊藤雄二 田所祐
第48回 1988年4月10日 アラホウトク 牝3 1:34.8 河内洋 庄野穂積 (有)アラキファーム
第49回 1989年4月9日 シャダイカグラ 牝3 1:37.5 武豊 伊藤雄二 米田茂
第50回 1990年4月8日 アグネスフローラ 牝3 1:37.1 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第51回 1991年4月7日 シスタートウショウ 牝3 1:33.8 角田晃一 鶴留明雄 トウショウ産業(株)
第52回 1992年4月12日 ニシノフラワー 牝3 1:37.5 河内洋 松田正弘 西山正行
第53回 1993年4月11日 ベガ 牝3 1:37.2 武豊 松田博資 吉田和子
第54回 1994年4月10日 オグリローマン 牝3 1:36.4 武豊 瀬戸口勉 小栗孝一
第55回 1995年4月9日 ワンダーパヒューム 牝3 1:34.4 田原成貴 領家政蔵 山本信行
第56回 1996年4月7日 ファイトガリバー 牝3 1:34.4 田原成貴 中尾謙太郎 品川昇
第57回 1997年4月6日 キョウエイマーチ 牝3 1:36.9 松永幹夫 野村彰彦 松岡留枝
第58回 1998年4月12日 ファレノプシス 牝3 1:34.0 武豊 浜田光正 (有)ノースヒルズマネジメント
第59回 1999年4月11日 プリモディーネ 牝3 1:35.5 福永祐一 西橋豊治 伊達秀和
第60回 2000年4月9日 チアズグレイス 牝3 1:34.9 松永幹夫 山内研二 北村キヨ子
第61回 2001年4月8日 テイエムオーシャン 牝3 1:34.4 本田優 西浦勝一 竹園正繼
第62回 2002年4月7日 アローキャリー 牝3 1:34.3 池添謙一 山内研二 矢野秀春
第63回 2003年4月13日 スティルインラブ 牝3 1:33.9 幸英明 松元省一 (有)ノースヒルズマネジメント
第64回 2004年4月11日 ダンスインザムード 牝3 1:33.6 武豊 藤沢和雄 (有)社台レースホース
第65回 2005年4月10日 ラインクラフト 牝3 1:33.5 福永祐一 瀬戸口勉 大澤繁昌
第66回 2006年4月9日 キストゥヘヴン 牝3 1:34.6 安藤勝己 戸田博文 吉田和子

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 まず赤字の三冠馬メジロラモーヌとスティルインラブは常識的に入れねばなるまい。入れなかったらきっとクレームがくる。

 次に桜花賞・オークスの二冠馬、ピンクのマックスビューティ、ベガも必須だ。クラシックレースは同世代の争いだからあまり二冠にはこだわりたくない。一冠でも二冠以上の価値のある年もある。だがマックスビューティはメジロラモーヌやスティルインラブより強かったし、ベガは牝馬二冠以上に日本競馬史に遺る名繁殖牝馬である。この4頭は決まりだ。

 次に桜花賞とスプリンターズステークスを制しているニシノフラワー。GⅠ二勝であり牡馬を破っての勝利だから価値は大きい。「穴の西山牧場」はなかなかGⅠを勝てなかった。外国産馬であるがこのニシノフラワーの桜花賞制覇こそ西山牧場に新時代を告げたものであったろう。後にセイウンスカイが出る。

 同じくGⅠの数で言うなら桜花賞と新設の古牝馬限定GⅠ・ヴィクトリアマイルを勝ったダンスインザムードも入れねばならない。アメリカ遠征でも勝利している。

 というところで、あっという間に6頭が決まってしまった。
 今までは「平成の菊花賞」のように平成全部を書いてきた。最初6頭と聞いたときはほどよい加減かと思ったが、こうして選んでみると、その他の馬に申し訳なくなってくる。

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 たとえばダイアナソロンはパーソロンの仔・シンボリルドルフが無敗の三冠馬に成る年に同じくパーソロンの娘として桜花賞を勝った馬だ。種牡馬パーソロンはオークス4連覇という偉大な記録があるように牝馬に活躍馬が多かった。その視点からも是非とも語りたい1頭である。

 マグニチュードの娘・逃げ馬エルプスも忘れられない1頭だ。後にミホノブルボンが出るが父マグニチュードは典型的な一発屋の種牡馬だった。この当時は杉本アナが実況していた。東高西低の中、大の関西贔屓である杉本さんは関西馬ロイヤルコスマーを応援する。エルプスは誰にも抜かれることなく逃げ切ったが、ロイヤルコスマー先頭と叫んでいた杉本さんは、ゴール前で「内からもういちどエルプス」という迷放送を残した。まだ東高西低だった時代。懐かしい……。

 トウショウボーイの娘・アラホウトク。「桜花賞馬の故郷」としてアラキファームに取材にいったものだった。
 武豊初の桜花賞制覇、シャダイカグラ。阪神で見ていた。私の見ていた位置からはホクトビーナスが勝ったかに一瞬見えたのだが……。
 5戦全勝で桜花賞を制し、オークス2着で引退したアグネスフローラ。ダービー馬アグネスフライト、皐月賞馬アグネスタキオンの母である。
 またも無敗の桜花賞馬、トウショウボーイの娘・シスタートウショウ。トウショウボーイの生まれ故郷トウショウ牧場からは、トウショウボーイの仔のクラシックホースが出ていなかった。やっとここで出た。しかも人気薄だったために大万馬券の波乱。イソノルーブル落鉄事件があった。
 武豊がまたも奇跡を見せてくれたオグリーローマン。その後は惨敗続きのまま引退している。まるで兄の出られなかったクラシックレースに出るためだけに笠松からやってきた馬だった。笠松時代、7戦6勝2着1回の騎乗はもちろん安藤勝己である。
 ワンダーパフュームの勝った年、2着はダンスパートナー。1番人気で4着に敗れたのはアンカツのライデンリーダー。
 時は流れ、あのライデンリーダーのアンカツが中央の騎手となって桜花賞を勝つ。キストゥヘヴン。
 桜花賞レコードホルダーであり、牡馬とのNHKマイルを制したラインクラフト。夭折したからこそぜひ書きたい1頭だ。
 その祐一に初めてクラシックをプレゼントしたのがプリモディーネ。父との絡みからも書きたい。
 田原のファイトガリバーは私には会心の桜花賞だった。イブキパーシブとの馬連は万馬券。これは馬券小説にしたからいいか(笑)。
 松永が華麗に逃げ切るキョウエイマーチ。このとき抑えたライバル・メジロドーベルには後に大きく差をつけられる。
 胡蝶蘭ファレノプシス。2着はロンドンブリッジ。3着にエアデジャブー。ロンドンブリッジは後にオークス馬・ダイワエルシエーロの母になる。エアデジャブーは秋華賞馬・エアメサイアの母になる。
 テイエムオーシャンの時も阪神にいた。2着はムーンライトタンゴ。桜花賞そのものは当てているのだが、その後がわるく新幹線の中で飲むビール代も無くなって帰郷した。その前にYさんと一緒に佐賀競馬を取材している。

 私にとって熱い思い出のないのはチアズグレイス、アローキャリーの2頭になる。チアズグレイスの時はチェンマイだった。アサヒ芸能に競馬コラムを書いていたので馬券そのものは力が入っていた。友人に頼んで大勝負している。大外れ。私にはチアズグレイスを熱く語る視点がない。

 アローキャリーの時は中山にいた。前走8着に敗れている道営出身の地味な馬の優勝。2着はブルーリッジリバー。かすりもしない。
 一緒にいた石川ワタルさんが押さえで2千円もっていた。私は10万すった。石川さんも10万勝負していて、たった2千円当たったのにすぎないのだが配当が3万4千円。68万の払い戻し。十分にプラスになった。気分の悪くなった桜花賞だった(笑)。

 とすべての対象馬を振り返ってみると、もっともっと書きたいと思う6頭ぐらいがいいのかもと思えてくる。10頭は書きたい気がするが。


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