2015-2016
8/22
 「将棋タイトル戦30年史」に落胆──単なる好みであろうが……


 発売を知ってからぜひ購入しようと思いつつまだ買ってなかった「将棋タイトル戦30年史」を、ひさしぶりに出かけた図書館で見かけた。珍しくなかなかいいチョイスではないかと心中で頬笑む。ここの図書館の将棋関係書籍はセンスがわるい。「なんでこんなのが!?」と思うような戦術書が置いてあったりする。おそらく係員に将棋ファンがいないのだろう。



 図書館の係員によって本の選択はかなりちがってくる。国立市というサヨク市にいたとき、いやはやそっち方面の本が充実していて嗤った。一流二流という言いかたは好きではないが便宜上使用すると、一流作家の本が数冊なのに三流サヨク作家の本が全巻揃っていたりした。歪んでいる。

 ところでいま「図書館の係員」と書いた。「司書」という言葉は知っている。でもこれは資格のいるものであり、図書館の係員全員が司書ではないだろう。ということで係員としたのだが……。



 ぜったいに買い、座右の書として保持しようと思っている本だから、ここはぐっと我慢かとも思ったが、ちょっとだけ覗こう、必ず買うからと言いきかせて借りてしまった。上下巻揃っていたが上巻だけ借りてきた。この辺にも購入意慾満々が見えている。いまはすこし悔いている。どうせなら上下巻借りて読んでしまえばよかった。買わないことになる本だから……。

 帰宅し、わくわくしつつページをめくった。巻頭の中原名人インタビュー(当時のものではなく、今回この本のための特別インタビュー)がいい。中原さんが〝棋界の若き太陽〟と呼ばれた時代に将棋に夢中になったものとして、この種のものはいつ読んでもたのしい。あのころ中原さん、メガネのテレビCMにも出ていた。長年の将棋界をふりかえって、他者の戦術、創造に関し、最も印象的なものとして「藤井システム」を絶讃していた。革命的であったと。中原さんに褒められて我が事のようにうれしくなる。また御自分の指し手としては、あの「歩越しの5六飛」をあげていた。指した当初は評価されなかったがやがて認められたと。あれも印象深い。私もなんちゅうださい手だと思った。中原矢倉や横歩取りの中原囲い等いくつもあろうが、最初から絶讃されたものより、最初否定されやがて認められたものが心に残るのだろう。
 ところでいま「ふごし」と打ったらさすがのATOKも「歩越し」とは変換できなかった。ま、将棋専門用語だものね、しかたないか。Google日本語入力も無理。利用者の使用することばが反映されるGoogle日本語入力なら「歩越し銀」とか出ると思ったが無理だった。将棋ファンはもっともっとネットに文章を書かないといけないな。

 私にとっての中原さんは無敵の大山名人から次々とタイトルを奪い、輝いていた中原時代なのだが、中原さんの真の偉大さは、谷川時代になったとだれもが思ったのに、そこからまた名人位を二度も取りもどしたあの時期にあるのだろう。この中原さんのインタビュー記事はすばらしい。永久保存版だ。これのためだけに購入してもいいとすら思えた。



 ところが当時の記事をそのまま再録したらしい文章を読み進むにつれ、私にはなんとも言えない不快が澱のように溜っていった。ぷすぷすとくすぶるような、いやな臭いを嗅ぐような、不快な感覚である。それは次第に脹れて行き、一応読破したのだが、最後のほうはもう結果の見出しだけを見るような飛ばし読みにちかかった。文章がどうであれ、その「時代」と「棋譜」の価値は変るものではない。だが……。

 もしもこの本が大好きで、この本の讃歌を期待してここに来られたかたがいたら、申しわけないがここでお帰り願いたい。また、近いうちに購入しようと思っているかたも、その意慾が萎えるかも知れないので読まないほうがいいと思う。以下はこの本への私なりの批判批難である。それは『週刊将棋』やこの本を好きなひとには不愉快なものと思われる。よけいな軋轢は起こしたくない。よろしくご理解ください。

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 不満の理由はただひとことで言える。それは「この本文を書いている(メインの)ひとの言語センスが私にはあわない」である。もっとストレートに言ったほうがいいか。「本文担当者の文章が嫌いだ」。

 『週刊将棋』は創刊のときから知っている。初の将棋週刊紙の発刊を寿いだ。私はあたらしいもの好きであるから、月刊誌の『将棋世界』や『近代将棋』と一緒にしばらく買っていた。
 私は週刊誌が好きだった。月刊誌よりも話題が早くおもしろい。日刊紙にはない深さがある。このころいちばんたのしみにしていた週刊紙はプロレスの『ファイト』だった。大阪から届いてキオスクに並ぶ木曜日の午後が待ち遠しかった。マニア向けのものである。体裁は質素だった。週刊将棋と同じく「週刊」ではなく「週刊」である。だが井上編集長の熱い想いが紙面からあふれていた。プロレスに負けず劣らず将棋も好きだったのに『週刊将棋』に耽溺しなかったのは、今回感じたのと同じものをその当時から感じていたのだろう。レイアウトを変えたり多少の推敲がされているにせよここにあるのは当時の担当者が書いた当時と同じ文章のはずだ。好きになれない。いや、はっきり嫌いだ。

 数ヵ月前、将棋好きの知人と一緒の仕事があった。高校を出てから機械系の会社に勤めあげた彼は、将棋部に属し職団戦にも出ていたという。将棋会館で行われたそれにも出たことがあるというから本格派だ。彼は月刊誌の『将棋世界』は買わない。そのぶん毎週『週刊将棋』を買っている。いつしか将棋話となり、食事休憩の時にバッグの中の最新の『週刊将棋』を貸してくれた。昼休みに将棋記事を読めてうれしかったと書きたいところだが、すこし流し読みしただけで、どうにも燃えるものがなくすぐに返してしまった。あらためて私は『週刊将棋』のスタイルが合わないらしい。30年前もあわなかったがいまもあわない。



 つまらないものを、嫌いなものを、「いかにつまらないか、どれほど嫌いか」と書く作業はむなしい。やりたくない。急いで、ポイントのみ書いて終りにしたい。

 1985年、米長は大山、中原に続く史上三人目の四冠王になる。がそのあと立て続けに二冠を失冠して二冠王に後退する。このことをこの本ではこう書く。
《まさに栄枯盛衰という言葉がぴったりする、今年前半の米長十段だった。》

 栄枯盛衰ってこんなときに使うことばだろうか。

えいこせいすい[1]【栄枯盛衰】
人・家・国家などの勢いにも盛んな時と衰える時のあること。「―は世の常」
[類語]浮き沈み、栄枯… 大辞林


 四冠から無冠ならまだしも、まだ二冠を保持している。中原さんに王将位を取られたので、この時期、一番冠を保っているのは中原三冠だが、二番目の米長二冠なのだ。十分に栄であり盛だろう。枯や衰は不適切だ。

 しかしそれよりも私がより違和を感じたのは「栄枯盛衰って、こんなときに使うのか?」である。王朝の浮沈を表したことばであるように、本来もっと大きなスパンに対して使うべきものであろう。「今年前半の栄枯盛衰」ってのは奇妙に思える。このひとはよほどこの比喩が好きらしく、このあとにも米長の失冠に対して「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。盛者必衰の理をあらはすというが、米長もこれとは無縁ではなかったようだ」のような書きかたをしている。たしかに当時の米長は四冠王になり、あのひとらしく「世界一将棋が強い」と発言して話題になったかと思うと二年後には無冠になったりしてファンを一喜一憂させたが、それに栄枯盛衰や平家物語を当てはめるワンパターンがうまい文とは思えない。前に週刊紙のよさを「日刊紙より深く、月刊誌より早い」と書いたが、ここには逆にこの週刊紙の「日刊紙のように浅く、月刊誌のような深みがない」悪い部分のみが顕れている。
 それがこの本ではあちこちにあり、咽に刺さる小骨は増える一方なのである。相性といえばそれだけだが、なんとも読んでいてつらい。



 1987年。B2在籍者が四つのタイトルを保持した。高橋王位・棋王、福崎十段、中村王将である。このことを『週刊将棋』はこう書く。
《この現実はもはや下克上などという生易しい言葉で片付けることはできない。そう、これは革命なのだ。将棋界における〝一般市民〟の高橋が〝特権階級〟の谷川を打ち破ったのだから。》

 まず「下剋上って生易しいことばなのか?」という疑問が湧く。

げ‐こく‐じょう【下克上(下▼剋上)】━ジャウ
〘名〙地位・身分の下の者が上の者を押しのけて権力をにぎること。下層階級が台頭した室町・戦国時代の社会風潮をいう。
◇下が上に剋かつの意。
[表記]もと専ら「下剋上」と書いた。

明鏡国語辞典 第二版 (C) Taishukan, 2011


 私は、B2在籍者がタイトルホルダーになったことに関し、下剋上は十分にふさわしい言葉だと思う。が、この筆者は「そんな生易しい言葉で片付けることはできない」とし、「これは革命なのだ」と言う。そうかなあ。なにが、「生易しい」んだ、どこが「革命」なんだ?

「一般市民」「特権階級」という使いかたも、なんだかいやな感じだ。その切り口が、私にはかっこいいと思えない。いや不細工にしか思えない。しかも本人はかっこいいと、どんなもんだと思って書いているのが伝わってきてやりきれない。でも繰り返すが、きっとこれを「おお、言い得て妙!」と感嘆するひともいるのだろう。だから好みではある……。

 将棋界において「革命」ということばを使うなら、「年に一回しか昇級できない仕組み。A級八段にならないと名人位に挑戦できない」順位戦システムが王制という旧体制であり、最高級タイトルでありながら強ければ6組からでも挑戦者になり最高位の竜王に就けるという「竜王戦」という新システムを作ったようなことに対してであろう。

 王位戦、棋王戦、十段戦、王将戦、王座戦、棋聖戦は、みな四段からのプロ棋士に解放されている。リーグ戦やトーナンメント戦を勝ち続けていけば、四段でもC2在籍者でもタイトル挑戦者になれる。勝てばタイトル保持者になれる。そういうシステムなのだから、強い若手棋士がタイトルを取ったのは自然の流れである。下剋上という言葉すら激しすぎるように感じる。それを「下剋上などという生易しい言葉で片付けることはできない」とし、「B2なのに、一般市民なのに」とし、「革命だ!」と騒ぐ筆者こそが、旧体制の象徴である順位戦の権威に毒されたままのズレたひとなのではないか。

 かつてA級は「特権階級」だった。順位戦が棋士の給料からすべてを決める基準となり、連盟を牛耳るA級棋士はA級の「特権」を護ろうとした。A級以下を差別した。どうにもこの文を書いたひとは将棋観がそのあたりで止まっているひとのようだ。



 1988年。十段戦が竜王戦と名を変え、新システムの最高棋戦となる。初代竜王には、米長に四連勝して島朗六段が就いた。その島のことを『週刊将棋』はこう書く。

《実力は元から折り紙付きだったが、なぜか一抹の勝負弱さがあった。それを克服するため島は努力した。人生をエンジョイするための手段として将棋を位置付け、発言や執筆で自己暗示を掛ける。それによって盤上への集中力が増すのだ。これから先、年を取るにつれ、ライフスタイルは変わっていく。しかし、島はそんなことは心配しない。旧人類からは刹那的快楽主義者と見られるかも知れないが、しっかりと自分を見つめている。》

 なんだこれ? 思わずわらっちゃった。このころ島がアルマーニのスーツを着たりして自己主張をしていたのは事実だ。この竜王戦も四局ともスーツで通した。竜王位に就き、「和服も作らないと」と語っている。「新人類」が流行言葉になった時期でもある。だけどこの切り口はお粗末だ。「旧人類からは刹那的快楽主義者として見られるかも知れないが」って、誰もそんな見方はしなかったろう(笑)。このひとはしたのか?

 島はこのころ序盤の重要さに気づいていた。伝説の「島研」を羽生、森内、佐藤とやっていた時期である。今回敗れた米長も序盤の重要さに気づき、四段の森下との研究会で学んだことから「史上最年長初名人49歳」を達成する。
 それはこれより後だから、この時期、筆者がそれに気づかなかったのはしかたない。しかしそれでもこれはあまりに表層的にしか島を見ていない。そもそも「新人類」なんて流行りことばは、「わからないものをわかったことにして片付ける都合のいいことば」だった。新橋ガード下で飲む年輩サラリーマンがちかごろの若者を評して使うならいいが、『週刊将棋』の本文担当者が最高棋戦の竜王を評じる文としてはあまりにお粗末だ。

 これ、「島朗論」としても、おそろしく程度が低い。このひとはこんなことを悦に入って書いているのだろうか。信じがたい。今だから否定するのではない。当時読んでもアホかいなと思った。それはまちがいない。
 と書いていて、こういう文章が好きな知人のライターを思い出した。そのひとの文もみなこんな切り口である。これでないと書けないのだろう。



 切りがないのでもうやめる。繰り返すが、あくまでも好みの問題である。
 熱心な『週刊将棋』の読者には、この本を読んで、当時購入した『週刊将棋』を思いだし、当時と同じ文章に胸を熱くしたひともいるかもしれない。上記の例で私は「栄枯盛衰」「下剋上」「革命」「刹那的快楽主義者」等の使用法を否定しているが、熱心な読者からすると、こういう表現こそが『週刊将棋』のいちばんの魅力なのかも知れない。「なつかしいな、あの名文に酔いしれたものだ」なんてひともいるのだろう。

 こういう形で批判すると、「おまえみたいなのは他人様のつくったものは満足できないんだろ。なんにでもケチをつけるんだろう」と誤解されそうなので、そのへんに触れておく。

 いまの『将棋世界』の充実ぶりはすばらしい。
 むかしは『将棋世界』も『近代将棋』も有名人が大好きだった。観戦記には新聞の名物記者がよく登場した。つまらなかった。彼らには自分が大新聞の将棋欄担当記者であり、長年それをやっているという強烈な自負がある。棋士とも個人的に親しいという特権意識がある。それが臭味となって、すんなり棋譜を味わいたいこちらのじゃまをした。

 いま『将棋世界』は、それらを廃し、編集部の若手記者の文を中心に誌面を構成している。大川さん、渡辺さん、みなすばらしい文を書く。新聞のベテラン記者といちばん異なる点は透明度だ。上記の臭味がない。だから棋譜の中にすなおに溶けこんで愉しむことが出来る。

 もしもこの「タイトル戦30年史」が、『週刊将棋』版ではなく『将棋世界』版であったなら、私はもっと愉しめたように思う。いや、つい先日「風呂の中で読書」で23年前の『近代将棋』を読んだが、あまり褒められたものではなかった。だから『将棋世界版タイトル30年史』が出たとしても、同じような不満を感じるのか。わからん。でも『週刊将棋』版よりははるかにはまともだろう。

 長年『週刊将棋』の本文を担当してきたのであろうかたの言語センスが、私には受けいれがたいものであるのは確かだ。よって私はこの上下巻の購入をあきらめた。貴重な記録として手元に置きたい気持ちはいまもあるが、しょうがない、読むたびに咽に小骨を刺しているわけには行かない。世の中ひろいから、中には私と同じ感覚のひともいると思いたい。

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【追記】──下巻は問題なし

 上巻を借りてきてから二週間後、返却の際に下巻も借りてきた。「30年史」を語るのだから上巻だけで結論づけては片手落ちになる。
 するとなんの問題もなかった。結論として、「上巻の時代にメインライターだったひとの感覚が私とは合わない」ということらしい。下巻の文章で上記のような引っ掛かる箇所はひとつもなかった。

 じゃあ下巻だけでも買うか、となるが、それはない。私が時代的に興味をもっているのは上巻のほうだ。それを買わず下巻だけ、という気にはならない。棋書もたくさん出ていて、どれを買おうか財布の中身と相談する毎日だ。この下巻を買ったら、生涯「上巻は文章が気に入らず買わなかったのだった」を引きずる。もう思いきって「将棋タイトル戦30年史」という本はなかったのだと記憶から消し去ろう。



 私は上巻の時代に本文を書いていたひとが誰かは知らない。だがちょっと思い出すことがある。同じような形で『将棋世界』で感じた文があるのだ。もしかしてあのひとなのではないか。わざとらしい臭味がまったく同じだ。それはまた別項とする。

 この文章とタイトルだと、「将棋タイトル戦30年史がつまらない」になるが、そうではなく、「上巻の一部になんとも納得出来ないへたな表現がある」に修正する。
2016
7/28
●竜王戦挑戦者決定三番勝負に三浦!

 2016年の竜王戦(第29期)の挑戦者決定勝負三番勝負に三浦が進出した。ベスト4の4人は、1組の上位4人である。今期は前記の永瀬に続き青嶋未来の快進撃が話題となったが、結果的には1組の4人となった。





 久保対三浦の勝負は、62手目、三浦が6七歩成りで一気に決戦へ。これはすごいなあ、5六角(王手飛車、と金取り)が見えている。王手飛車を敢えて受けて、そのまま5八と金、6五角でいきなり「詰むや詰まざるや!?」の世界。超急戦の見たことのない将棋。まったくこのゲームは奥が深い。ソフトと遊んでいても、同じ戦法で何十局も対戦しているのに毎回初めての局面になる。すごいゲームだ。





 この準決勝は久保でも三浦でもどっちでもよかった。ふたりとも竜王戦の挑戦者にはなったことがない。両方応援して観戦した。ちなみに1組のランキング戦初戦で羽生を破ったのが久保。初戦敗退の羽生は1組降級のピンチだったが、なんとかそのあと橋本を破って残留を決めた。そこから1組5位での決勝トーナメント出場を目指したが、それを阻んだのが豊島。そういう流れからも久保と豊島には期待していた。

 もうひとつの準決勝は深浦応援で決まっている。深浦も叶ったなら竜王戦初挑戦。今期青嶋未来が大活躍し、昨年の永瀬と同じく一気に挑決出場かと思われたが、しっかり深浦が阻んだ。
 丸山にはわるいが、丸山では渡辺に勝てないというイメージが強い。二度挑戦し、二回とも完敗している。しかしまた丸山は異常に竜王戦に強く、今回も1組優勝という有利な立場で待ち構えている。
 深浦と三浦の挑決三番勝負になれば、これはまたどっちがなってもいいから両方応援で観戦できる。そうなってほしいが、さてどうなるか。丸山が挑戦者になって「三度目の正直」を願うのか。



 それにしても、森内から竜王位を奪い、あの歴史に残る羽生との「勝ったほうが永世竜王戦」の「3連敗後の4連勝」を経て9連覇、森内が糸谷に奪取されると、すぐに挑戦者に成り、奪回して通算10期、と渡辺の竜王位での強さは際立っている。

 将棋界の二大イベントは「春の名人戦、秋の竜王戦」だ。順位戦至上主義はいまだに強いが、私は断然竜王戦支持である。旧態の弊害を引きずった順位戦偏重による矛盾をいくつも解決してきた竜王戦だから、その点からも私の支持は当然なのだが、なんといっても讀賣はアサヒマイニチとはちがってファンの気持ちをわかってくれている。それはそこに到る過程の「名人戦後、翌春の名人戦に到るまでの夏から冬のA級順位戦」と、「竜王戦後、来秋の竜王戦に到るまでの春から秋の決勝トーナメント」の報道姿勢を見ればわかる。この「三浦対久保戦」のリアルタイム中継のように、竜王戦のファンサービスはすばらしい。こちらが恐縮してしまうほどサービス満点だ。他棋戦も追従している。唯一名人戦だけが順位戦中継は有料とし、「見せないことで価値を高める戦法」を採っている。



 三浦対深浦という「どっちが勝っても竜王戦初挑戦」の三番勝負になってほしいが、「やっぱり丸山」なのかも知れない。なにがどうなろうと楽しみだ。

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●丸山、決勝進出! 決勝は丸山対三浦

 7月29日金曜日、もうひとつの準決勝「丸山対深浦」の対局があった。
 横歩取りから始まったすさまじい捻りあい。

 23時10分、169手で深浦投了。もうひとりの決勝進出は丸山となった。





 92手目、丸山の4一飛車打ちの王手に角合した局面。先手玉に詰めろをかけておくため金合いはできない。しかしここで6三銀と打たれ、深浦はもう風前の灯と思った。が、ここから169手まで深浦は闘うのである。
 すごい将棋だった。ありがとう。



●挑戦者に三浦!
 丸山との挑戦者決定戦を2勝1敗で制し、三浦が初の挑戦者になった。がんばってくれ!






8/19
●藤井聡太くん、史上最年少四段、成るか!?


NIKKEより拝借──http://style.nikkei.com/article/DGXMZO85937710R20C15A4000000



 今期の奨励会三段リーグ(半年間、4月から9月)はいつにもまして注目されていた。女性初の三段となった里見香奈は、体調不良で三期ほど休場していたが前期の第58回リーグ戦から参戦した。今期は二回目となる。三段リーグの雰囲気にも慣れて前記以上の活躍が期待される。そして里見よりも年下の西山朋佳が史上二人目の女性三段として初参加である。女性ふたりが三段リーグに参加する現実は古いファンには信じがたい世界になる。あの奨励会初の女性であった蛸島彰子女流五段が女性初の奨励会初段になっているが、それは女流専念記念=奨励会退会のプレゼントだった。

 里見はすでに女流タイトルを寡占する女帝として君臨していた。女流棋士としての地位は磐石だった。なのに敢えて奨励会一級試験を受け、女性初のプロ棋士の道に挑んだ。正直私は三段すらもむずかしいと思っていた。過去の女性奨励会員もみな級位で諦め女流に専念して行った。なのに里見は見事に女性初の奨励会三段になった。上記のように、奨励会に於けるそれまでの女性最高段位は蛸島さんの初段だが、それはご褒美によるものだった。実際の最高位は一級である。なのに三段になった。プロへの最終関門三段リーグ戦へ参戦だ。これだけでとんでもない快挙である。

「でもまあ里見は特別だものな」と思っていたら、するすると、競馬で例えると、「内を突いていつのまにか」、なんと里見よりも年下の「女性二人目の三段」が誕生した。西山である。この衝撃はある意味、里見よりも大きかった。里見と女流タイトルを二分している加藤桃子も初段から上がれず苦闘している。なのに西山はすんなりと三段になった。蛸島、林葉、中井、清水(は奨励会に行っていないが)らでも叶えられなかった「女性棋士」誕生の日が急に現実味を帯びてきた。



 そしてそれに加え今期は、噂の天才少年、13歳2ヵ月で史上最年少三段となった藤井聡太くんが初出場だ。もしも一期抜けをすると、14歳2ヵ月で四段(=プロ棋士)となり、あの加藤一二三九段が1954年に作った14歳7ヵ月の「最年少プロ棋士」記録を、え~と何年ぶりだ、2016-1954=62年ぶりに塗りかえることになる。

 なお最年少記録は、加藤一二三・14歳7ヵ月、谷川浩司・14歳8ヵ月、羽生善治・15歳2ヵ月、渡辺明・15歳11ヵ月の順になる。三人は「中学生四段」、渡辺は「中学卒業時四段」になる。



 聡太くんの前に「史上最年少三段」の記録をもっていたのは佐々木勇気五段である。13歳8ヵ月。現在21歳の俊英だ。小学校四年生で小学生名人になっている。これは渡辺明竜王とならぶ二人だけの記録である。小学生名人戦はやはり上級生が強く、だいたいが優勝は六年生になる。羽生もそうだった。四年生の優勝はすごい。(なお聡太くんは三年生のときに出場して愛知県予選で落ちている。四年生から奨励会なのでその後の出場はない。)
 その前の最年少三段記録が豊島将之七段の13歳11ヵ月。豊島、佐々木、ともに「史上最年少プロ棋士」記録更新の期待がかけられた。

 が、どんな天才もこの〝魔の三段リーグ〟で停滞を餘儀なくされる。ここを勝ちあがって四段になるまでに、佐々木は四期、豊島は五期かかり、プロ棋士となったのは16歳だった。(とはいえそれは前記4人に次ぐとんでもなく早い出世である。ともあれ新記録の期待を掛けられた天才もみなここでは足踏みさせられる。熱心な将棋ファンには三段リーグの在り方に疑問を呈するひとも多い。半年で二人だけの昇段というシステムが伸び盛りの才能を摘んでいるのではないかと。)



 過日、この聡太くんと佐々木五段が、愛知県岡崎市の「岡崎将棋まつり」で対戦した。史上最年少三段の記録保持者、1位と2位の初対局である。主催者が佐々木五段にこの企劃を持ち掛け、彼が快諾することによって実現したとか。もしも負けたらプロ五段の佐々木は話題の聡太くんの引き立て役、過去の人になってしまう。受けてたった21歳の佐々木の意気や良しである。対局日は2016年5月1日、詳しくは『将棋世界』7月号にある。これがまた20秒早指しなのに、すさまじい熱戦となった。棋譜にはふたりの棋才があますところなく記録されている。プロの貫禄を示して佐々木の勝ち。聡太くんはこの敗戦でまたひとつ強くなったろう。



 佐々木五段以来ひさしぶりに現れた最年少記録更新の可能性を秘めた藤井くんは、級位のころから期待と注目を浴びていたが、さらなる話題となったのが2015年の詰将棋解答選手権での優勝だった。12歳、小学六年生、奨励会二段。並みいるプロ棋士、アマ最強棋士、詰将棋作家らを抑えての、しかも唯一の全問正解の優勝である。これは突出した「史上最年少記録」であろう。すでにもう「更新不可能な記録」であるかもしれない。A級棋士の広瀬章人八段は6位、行方尚史八段は11位だった。A級棋士を凌駕して小学生が優勝するなんてことはもうあり得ないだろう。さらには2016年も優勝して連覇を成し遂げた。とんでもない少年である。

 この詰将棋選手権連覇の事実は聡太くんへの夢を広げる。渡辺が羽生に続く中学生棋士となり、『対局日誌』で河口俊彦七段(死去後贈八段)が「将来、羽生を負かすのはこの少年」と断言し、「ふうん、そうなの、むふふ」と中原十六世名人が頬笑んだ有名な逸話のように、果てしない夢を見させてくれる。(河口さんの功績は多々あるが、あの逸話は──河口さんがそう言い、中原さんが「そうかあ、羽生さんも彼に負けてしまうのかあ」と微笑した──渡辺伝説に輝きをあたえた白眉のエピソードであろう。)

 聡太くんは解くだけでなく詰将棋を創る才にも長けているという。尊敬する棋士として名を揚げている谷川浩司九段(第十七世名人-将棋連盟会長)は、「いまは創ることよりも解くほうに重点を置いたほうがいい」と師匠(杉本昌隆七段)を通じてアドバイスしたとか。ごもっともである。こんな逸材が詰将棋創作に走ってしまうのは惜しい。あれはあれで蠱惑的な芸術的底無し沼であり 、嵌まってしまうと抜けだせない。そしてまた棋力を吸いとってしまうおそろしい魔物だ。後のたのしみとしてここは我慢してほしい。



 第59回奨励会三段リーグ開幕戦は2016年4月23日だった。一日に午前と午後、二局指す。次いで5月7日、5月15日(関西は29日)、この序盤の6戦を、里見、西山、藤井と話題の三人が5勝1敗で乗りきった。昇段は上位の成績2名のみだ。その中に史上初の女性が、史上最年少記録更新の聡太くんが入るのではないかと将棋ファンは刮目する。27位、28位は今期から初参加の最低順位になる。28人参加、上位2名が四段昇段(=プロ棋士)となる。



 2ちゃんねるの将棋板に「三段リーグスレ」がある。コアなファンだけが集うマニアックなスレだ。対局日の夜は「結果はまだか、誰か早く結果をUPしろ!」と盛りあがる。私もそのひとりである。
 すると、いったいどなたがやってくれるのか──関係者であろうか、そうとしか思えない──その日の夜に、午前と午後の結果がUPされるのである。しかし事実かどうか解らないから、「聡太くん連勝!」と出ても「ガセだろ」と否定されたりもする。実際裏の取りようがないからアラシの活躍場でもある。「聡太連敗、終った」なんて書きこみもあったりする。そこにまた「それはガセ。連勝したよ」とまた書きこまれ、やがて連勝したのが事実らしいと落ちついて行く。数日後将棋連盟のサイトに結果が出ると、それとピタリと合っている。やはり将棋連盟内部のひとが知りたくてたまらない熱心なファンのために書きこんでくれているのだろう。あるいは現場にいた奨励会会員か。



 そしていま、大詰め、9月3日の最終日を残すのみとなった。残念ながら女性二人はその後黒星が続き脱落したが、聡太くんは唯一の4敗の成績、トップで最終戦を迎えている。これまたとんでもなくすごいことである。こういう期待を浴びた天才を早々と黒星の渦に呑みこんでしまうのが〝魔の三段リーグ〟なのだ。それはスタートダッシュを決めた女性ふたりを見ても解る。佐々木、豊島の例でもわかる。これほど注目を集め、それにすんなり応えた新人を知らない。

 だがまだ試煉は残っている。今期初参加の聡太くんは順位が28人中27番目なのである。昇段者は2名のみ。9月3日に連勝すれば唯一の4敗で文句なく昇段だが、1勝1敗で5敗となると、アタマ撥ねがある。上位に三人の5敗がいるのだ。同成績の上位者が昇段となり、下位の聡太くんは次点となる……。果たしてどうなるか。答は9月3日に出る。




 この文章は本来4月に書くつもりだった。遅くとも第一弾を、注目の三人が5勝1敗で乗りきった前半戦を5月末に書き、8月に書くこれが最終局直前の第二弾の予定でいた。ここのところ目の調子がわるく、サイトもブログも更新が滞ったまま抛りだしてある。だがなんとしてもこれは「今のうちに」書かねばならなかった。あいかわらず目の調子がわるく文章を書くのがつらいがなんとかがんばった。その間なんどかATOKが「入力時間が長くなっています、すこし休みませんか」と声を掛けてくれた。この程度のものでもあっと言う間に一時間二時間と経過する。

「今のうち」とは「9月3日より前」ということだ。9月3日に、もしも聡太くんが四段昇段したなら、将棋マスコミはもちろん、それ以外をも巻きこんで大フィーバーになる。おそらくNHKニュースでも取りあげるだろう。棋戦を主催している翌日の新聞もこぞって書くはずだ。『週刊文春』『週刊新潮』はもちろん写真週刊誌にも載ると思う。なにしろ62年ぶりの記録更新なのだ。

 そうなってから、「いやあ実は私も注目していたんですよ」と書くのはかっこわるい。いかにも話題のニュースに便乗したかのようだ。私の知りあいにもいるが、ニワカ将棋ファンが知ったかぶりでブログに書いたりするのはみっともない。『将棋世界』で聡太くんの昇級昇段を追い掛け、三段リーグの対局日の夜は、連盟のサイトで発表される前に2ちゃんねるにUPされる結果を心待ちにしていた身としては、そういうヤカラと一緒にされたくない。長年の将棋ファンとして、「ずっと前から注目していた」「今期の三段リーグは毎回ハラハラしながら結果を待っていた」ぐらいは主張したい。そのためにはなんとしても「今のうち」が必要だった。
 というわけでなんとか仕上げた。目が疲れた。チカチカする。さて9月3日はどうなるか。聡太くんのファンにとっては深夜にUPされる結果をやきもきしながら待つ一日となる。



 本来なら私は「藤井三段」と書くべきであろう。いくら相手が少年であり、私が彼の祖父にちかい年齢であるとはいえ、「聡太くん」は失礼である。だがもうすぐ「藤井四段」と書くようになる。なら最初で最後だから今回は「聡太くん」でいかせてもらおうと思った。聡太くんが四段になったら藤井猛九段がいるから、これからは「藤井(猛)」「藤井(聡)」という表記を屡々目にすることになる。

 聡太くんが「史上五人目の中学生棋士」となり、歴史に残る名棋士になるのは確実なのだが、ここで「史上最年少プロ棋士」の記録を更新して昇段するか、昇段は来期となり最年少記録は二番目となるか、というふたつにひとつは、ちいさなことだが大きな問題でもある。真の天才は運も味方にせねばならない。成るか!?
9/3(土)
●注目の9月3日、初戦を敗れる! だめなのか!?

 9月3日、お昼、2ちゃんねるの将棋板で1番人気。これだけでも異常。





 三段リーグ最終日、9月3日の午後、待望の午前中の結果がUPされた。



 順位1位の大橋三段が1勝をあげ、午後を待たずに昇段=プロ棋士を決めた。
 聡太くんは坂井三段に負けて5敗となる。午後の対局で勝てば昇段、負けると順位の差で池永、黒田三段が二人とも負けた場合のみの昇段となる。

 午後の相手は女子、西山朋佳三段。西山は初参加の三段リーグで10勝8敗と勝ち越している。順位の上がる来期が楽しみだ。
 さてどうなるか。坂井三段に勝ってすんなり昇段して欲しかったが、さすがに固くなったのか。
9/3(土)
●史上最年少記録、更新! NHKが速報!

 午後5時過ぎ、2ちゃんねるに最初の情報が流れた。最初の報道は現場にいた毎日新聞記者のTwitterだったらしい。早速それが2ちゃんねるのスレに載る。



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 午後6時過ぎ、NHKが報じる。

愛知の中学2年 藤井三段が史 上最年少でプロ棋士に──NHK

9月3日 18時26分

 将棋のプロ棋士を目指していた愛知県の中学2年生、藤井聡太三段が、3日、プロとなる四段昇段を決め、将棋界では史上最年少となる14歳2か月でプロ入りを果たすことになりました。藤井聡太さん(14)は、愛知県瀬戸市に住む中学2年生です。

 3日、東京・渋谷区の東京将棋会館で、三段の会員29人が争う「三段リーグ」の最終日の対局が行われ、藤井さんは通算成績を13勝5敗で終え、リーグ戦1位となりました。 三段リーグは、上位の2人がプロとなる四段に昇段でき、藤井さんはこのリーグを1期で抜けて将棋界で史上最年少のプロ棋士となることが決まりました。
 四段昇段のこれまでの最年少記録は、加藤一二三九段が昭和29年に昇段したときの14歳7か月で、来月1日に14歳2か月で昇段する藤井さんは、62年ぶりに記録を塗り替えることになります。

 将棋界で中学生でプロ入りを決めたのは、記録の残っている戦後ではこれまでわずか4人にすぎません。その4人が、藤井さんの最年少記録達成に、そろって祝福のコメントを寄せました。

 昭和29年に14歳7か月でプロとなり、これまで62年にわたって最年少記録を保持してきた加藤一二三九段は、「心より祝福致しますとともに将棋界全体にとっても明るいニュースに喜びを覚えます。現役最年長の私が、21世紀生まれで最年少の藤井四段と対局できると考えるとワクワク致します」とコメントしています。

  昭和51年に14歳8か月でプロとなり、最年少名人の記録も保持する日本将棋連盟会長の谷川浩司九段は、「厳しい三段リーグを1期で、最年少の記録をつくったことは、大変素晴らしいことです。高い志を持って精進することを期待しています。棋士個人の立場としては最年少名人の記録が破られるかも注目しています」とコメントしています。

  昭和60年に15歳2か月でプロとなった羽生善治三冠は、「これから棋士として注目を集めることになると思いますが、それを乗り越えて歴史に名を残すような棋士になることを期待しています」とコメントしています。

 平成12年に15歳11か月でプロとなった渡辺明竜王は、「藤井君は以前から詰将棋の早さなどで話題になっていましたが、三段リーグを1期で抜けたのには驚きました。対戦を楽しみにしています」とコメントしています。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160903/k10010667781000.html

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●ほっとした
 5月から書かねばと思いつつ、やっとの思いでブログ【木屑鈔】に書きこんだのは8月30日だった。まにあってよかった。これから多くのひとがブログやサイトに書きこむだろうけど、9月3日前に書けたことに、とにかくほっとしている。聡太くん、いや藤井四段、おめでとうございます。益々の活躍を期待しています。
12/12  
●叡王戦優勝は佐藤名人──来春、PONANZAと対戦決定!



▼佐藤名人、叡王に!
 12月11日に行われた叡王戦決勝三番勝負、佐藤天彦名人対千田翔太五段の第二局は、佐藤天彦名人が第一局に続いて連勝し、二連勝で第二期叡王の座に着いた。

 これにより来春の電王戦で、2016年世界コンピュータ将棋選手権(今年の五月に開催)優勝ソフトPONANZAと二番勝負を行うのが佐藤名人と決定した。これは大事件である。

 そう、この「叡王戦」は、「誰が叡王になるか!?」という棋戦としての魅力よりも、「最強ソフトと対戦するのは誰か!?」という電王戦への前相撲としての興味のほうが強いのである。いや、「そうなってしまっている」と嘆くべきなのか。すでにもうプロ棋士より将棋ソフトのほうが強いのは常識であり、興味は「最強ソフトに挑戦するのは誰か!?」になる。もっとかなしいことをより正確に言えば、「最強ソフトに負けて、コンピュータのほうが強いということを世間に知らしめる晒し者は誰か!?」となる。それが棋界最高峰の座に君臨する名人となったのだ。やはりこれは大事件である。



 叡王戦の出場は申しこみ制である。出たくない棋士は出なくてもいい。昨年の第一期は、名人の羽生四冠、棋王の渡辺は出場しなかった。しかし竜王の糸谷、王将の郷田が出場し大きな注目を集めた。ふたりとも優勝はできなかったが、もしも糸谷が優勝し第一期叡王になっていたなら、去年の時点で棋界最高峰の竜王と将棋ソフトの対決が実現していたことになる。



 ▼名人位と竜王位
 と、「棋界最高峰」に名人と竜王をふたつ挙げているのは矛盾のようだが、このふたつは同列ということになっている。以前は名人位が最高だったが讀賣が十段戦をグレードアップした最高賞金の竜王位を創設し、「一番高い金を出しているのだから序列を1位にしろ」と迫った。将棋連盟もそれを認め、左のように七大タイトルの一番上に竜王戦をあげている。

 以前は名人と連盟会長の署名だけだったアマチュア段位免状も、竜王と名人の名が署名されるようになった。名人と竜王を並べる場合は棋士の格で決める。棋士番号(四段になった時点で決まる数字)に拠る。羽生名人と糸谷竜王だと羽生名人が上、渡辺竜王と佐藤名人だと渡辺が上、となる。免状の並びもそれにしたがう。

 七大タイトルではあるが、最高のふたつとその他ではだいぶ差がある。七大タイトルではあるが「二大タイトル」と言える。今までに竜王名人を同時に保持したのは、羽生、谷川、森内の三人のみ。

 この七つの棋戦の並び順はそのまま賞金額の順序である。以前は上のほうにいた棋聖戦がいまは一番下になっている。産經不振で大きく賞金額を減らしたのだ。スポニチ主催の王将戦よりも下なのだからかなり安い。

▼王将戦と名人戦──と、金の話
 王将戦は、名人戦を朝日に奪われた毎日が「名人戦を超えるもの」として創設したものだった。しかし朝日から名人戦を奪いかえすと、今度は王将戦が御荷物になってしまった。大型棋戦をふたつ開催はできない。廃止の話もあったが、系列のスポニチ主催の賞金の安い棋戦として存続した。いま名人戦は毎日主催から朝日との共同主催という奇妙な形になっている。

 この名人戦の、「毎日から朝日、朝日から毎日、再び毎日から朝日になろうとしたがもめにもめて共同主催」という流れは、なんのことはない金の話である。金で移ったのを金で奪いかえし、とそれをやっているだけだ。竜王戦が序列1位になったのも金。金は大事であり金がないと喰っていけないのだが、一連の流れを知っている身には、なんともわびしく映るのも事実である。

 私は「棋士は棋譜を紡ぐ藝術家であり、金で転ぶ芸者」と解釈している。「高い金を出してくれる新聞社と契約する」というのは生活がかかっているのだから当然であろうが、「高い金を出してくれるほうと寝る」という芸者でもある。



 第一期叡王の座に着いたのは山崎八段。電王戦二番勝負ではPONANZAに連敗した。完敗だった。山崎将棋が大好きな私には残念な結果だったが、それが現実である。あらためて山崎の将棋はパソコンとの対戦には不向きと感じた。

 それまでの電王戦シリーズ(プロ棋士対将棋ソフト)にはタイトル保持者は出場しなかった。将棋連盟の判断である。過去の出場者で最も格上なのは、元棋聖の屋敷と三浦になる。
 あらたに叡王戦が創設され、電王戦が「叡王とコンピュータ将棋選手権優勝ソフトの戦い」に形を変えてから、エントリー制ではあるがタイトル保持者が名乗りを挙げるようになった。それが去年の糸谷と郷田である。特に最高位である竜王糸谷の逃げない姿勢は称賛に値する。もっとも讀賣側としては、最高位の糸谷がコンピュータソフトに負けたらたいへん、とやきもきしたかもしれない。



▼羽生、参戦!
 第二期の今年、なんといっても話題になったのは「将棋の顔」である羽生がエントリーしたことだった(竜王渡辺は今年も参戦しなかった)。一般的にも話題になった。私はふだんテレビを見ないし、ましてワイドショーのようなものはまったく見ないのだが、この報道を見てみたくて、ネットであとから探した。便利な時代である。ワイドショーのようなものもいくらでも探せる。残念ながらワイドショーの報道はひどいものだった。将棋というものがまったくわかっていない。見ていてなさけなくなった。いや、しかし、そういう一般的には将棋のことも将棋ソフトのこともほとんど知られていないのに、羽生が参戦するということで、将棋のことなど無関心の主婦向けワイドショーが取りあげたのだから、いかに羽生の存在が大きいかとよろこぶべきなのか。

 すでにソフトのほうが強いことが明確とはいえ(たとえばあの永瀬六段は、電王戦ではソフトのバグを突いて勝ってはいるが、部屋での練習将棋では、対ソフトの勝率は一割と述べている)、羽生が叡王となり、電王戦で将棋ソフトに負けたなら、それは「特別な日」として記録されることになるだろう。チェスにおいて、あのディープブルーがカスパロフを破った1997年5月11日のように。

 そして、じつにかなしいことだが、「羽生でも勝てない」は確実なのだ。それは自宅での研究にソフトを使用していると明言している羽生(ソフトの名は伏せている)自身が解っていることである。もしも羽生が叡王戦に優勝し、来春優勝ソフトと対戦することが決まったなら、それは将棋ファンにとって、わくわくどきどきしつつ待つ決戦の日ではなく、時代が変ったことを俯いて確認する処刑の日になる。いや、もちろん、「ついにあの羽生がPONANZAと対戦!」とわくわくどきどきしつつ待つのだが、結果がどうなるかはわかっている。レーティングで羽生渡辺クラスで2400、PONANZAは3000を超えていると言われる。



 私は、今年羽生がエントリーしたのは、「もういいじゃないか」と決断したのだと解釈している。ソフトのほうが強いことは羽生もわかっている。第一人者である自分が叡王戦にエントリーし、優勝し、電王戦でソフトに負けて、「人間対ソフトの対決」に結論を出そう、世間に示そう、時代に区切りをつけよう、そう思ったのだと。



 段位別予選があり、本戦出場者が決まり、本戦トーナメントが始まる。羽生は、段位別予選から順当に勝ちあがっていった。このまま優勝、そしてついに「羽生対コンピュータ」が実現かと思われた。だが羽生は本戦準決勝で敗れた。相手は今春名人位を奪われた佐藤天彦名人。なお叡王戦は「段位出場」なのでタイトル保持者でもそれは明記されない。一番上の画像にもあるが、電王戦でPONANZAと戦うのは佐藤天彦「名人」ではない。佐藤天彦「九段」である。

 トーナメント表にあるように、決勝三番勝負は、佐藤名人と千田五段で行われることになった。広瀬、豊島を破って優勝戦に進んだ千田の成績は見事である。叡王戦は「段位戦」で本戦出場者を決める。その枠は、段位が上になるほど拡がっている。つまり四段五段という段位の低い棋士が本戦に出場するのは九段よりも遥かに難しい。その点でも千田はすばらしい。



▼千田優勝説
 ここで一部の将棋ファンのあいだには「千田優勝説」が流れた。
 佐藤は名人である。将棋の象徴は(私はいま、そのシステムから竜王位のほうが好きだけれど)なんといっても「名人」だ。すべてのプロ棋士が、「なにか称号をひとつもらえるとしたら」と問われたら「名人」と応えると言っても過言ではない。(橋本八段はなんと応えるのだろう。興味があるな)

 第一回電王戦で、米長(将棋連盟会長、引退棋士、永世棋聖)を破ったソフト・ボンクラーズの開発者は、「すでに将棋ソフトは名人よりも強い」と豪語し、心ある将棋関係者?の顰蹙を買った。
 私もこの時点でもうソフトのほうがすべてのプロ棋士より強いと思っていたが、彼のこの発言を将棋テーマとして取りあげることはなかった。それはこの開発者が好きではなかったからである。だいたいにおいて人柄というのは顔を見れば判る。直感で嫌いだったが後々あれこれ彼の意見に接して自分の勘のただしさを確認した。それはともかく、ここで触れたいのは彼の発言でも「名人」ということだ。「名人」は「強い棋士」の象徴なのである。

 その名人が電王戦に出場してソフトに敗れるという事態が現出するだろうか!? 裏読みの好きな将棋ファンが「千田優勝説」をしかつめらしく主張したのはもっともだった。

 そしてまた千田五段もまた名人を破って第二期叡王になるのにふさわしいひとだった。千田五段は、「ソフトのお蔭で強くなった」と明言する、「全プロ棋士の中で最も将棋ソフトに詳しい」と言われている棋士である。
 今期の活躍ぶりは群を抜いており、棋王戦でも決定戦に進出している。破った相手が豊島、久保、森内とすべて一線級の強豪だ。決勝戦は敗者復活から勝ちあがってきた佐々木勇気五段。ここにもあたらしい波が押しよせている。敗者復活からの佐々木は挑戦者決定戦三番勝負で二連勝しなければならない。断然千田有利である。挑戦者になったら挑む棋王は渡辺である。





▼スマホカンニング事件
 千田五段は、叡王戦本戦トーナメント、棋王戦トーナメントでの活躍とは別に、今秋もうひとつのことでも目立った。あの「スマホカンニング事件」である。
 竜王戦直前に、挑戦者三浦九段のカンニング疑惑を指摘し、緊急会議を要請したのは渡辺竜王だった。第一人者である三冠の羽生や棋士会長の佐藤康光、島理事、谷川将棋連盟会長が集って会議する。渡辺に請われ、「最もソフトに詳しい千田五段」も関わった。この問題に関して渡辺は、ブログで「何の得にもならないのに協力してくれた千田五段」へ特別の感謝を綴っている。そしてこの問題により渡辺ブログはいま休載中だ。

 ソフトが人間よりも強くなり、将棋連盟の存在自体が「ソフトの指し手カンニング疑惑」で揺れる時期に、「最も将棋ソフトに詳しい棋士」である千田が、「最強ソフトと対戦する電王戦──の前哨戦である叡王戦」で、上位棋士を破って決勝進出するというのは、まことにタイムリーな出来事だった。
 千田五段は二十二歳。大勢力の森信雄門下。通算成績は136勝50敗(0.731)、今年度成績は34勝8敗(0.810)。
「名人がソフトに負けてはまずいだろう」という裏読みとは別に、千田五段は最も叡王位にふさわしい棋士でもあった。上掲のように棋王戦でも大活躍している。



▼名人の強さ
 が、負けた。名人の強さ。すんなりと連勝して第二期叡王の座に、佐藤天彦名人が着いた。
「将棋の顔」である羽生は準決勝で敗れたが、春に羽生から名人位を奪い、準決勝で羽生を破った、もうひとつの将棋の顔である「若き名人」、二十八歳の佐藤が優勝したのである。これによって、すくなくとも近年にはありえないと思われていた「名人対ソフト」が実現することになった。泉下の米長もおどろいていることだろう。彼は引退棋士の自分が出たり女流の清水を戦わせたりして、一見コンピュータとの対戦に熱心なようでありながら、タイトル保持者は対戦させず、人間を護っていた。それどころか羽生との対戦を望むソフト側に対し、「もしも羽生と対戦するのなら対局料に7億は必要」と述べている。7億とは、「羽生がソフトと対戦するなら、すべての棋戦を一年間休み、ソフトとの対戦のための研究に没頭する。その間の保証としてそれぐらいは必要だ」という米長の計算に拠る。しかしこれは7億を出せというのではなく、「よって羽生との対戦は不可能である」という牽制だ。なのに、ついに、とうとう、「名人」との対決がじつげんする。

「たいへんなことになった」というのが実感である。
 今年の電王戦は、4月9日と10日に関山中尊寺で、5月21日、22日に比叡山延暦寺で行われた。前記したように山崎叡王の連敗だった。
 この日附は、羽生対佐藤の名人戦第一局と第四局の合間になる。

 来春、佐藤は名人防衛戦の最中に、電王戦を行うことになる。
 来春の名人挑戦者は、稲葉が有力だ。ここもまた「名人位、挑戦者、ともに羽生世代が独占」から時代が動こうとしている。羽生世代の関わらない名人戦だ。私は羽生が挑戦者になって奪還して慾しいのだが、すでに二敗している。どうにも全勝の稲葉の逃げ切りが濃厚だ。名人戦の挟間に行われる電王戦の結果は名人戦にも影響するだろう。

 30年続いた羽生の「年間勝率6割以上」という記録も今年で途絶えそうだ。今年は変革の年になった。

 たいへんな事態が出現した。しかし裏読みを嘲笑うかの如き清々しい結果である。結果を怖れずエントリーした佐藤名人、羽生三冠の姿勢がうつくしい。参加しなかった竜王棋王の渡辺二冠はかっこわるい。



 私は、2ちゃんねるの将棋スレで、「どうせ千田が勝つんだろwwww」と書きこんでいた将棋ファンを嗤わない。読んだとき、むしろせつなくなった。彼は将棋ファンなのだ。ソフトに勝てないプロ棋士を嘲笑っているのではない。人間に勝って欲しいのだ。名人が叡王になり、電王戦でソフトに負けるのを見たくないのだ。だから「千田が優勝してくれ、電王戦でソフトに負けるのはせめて千田五段になってくれ、千田が負けるならまだおれは傷つかない、まだおれは耐えられる」と願っているのである。
 そう書きこんだ彼はいま、佐藤名人優勝を知って、どう思っているだろう。彼の怖れる名人が将棋ソフトに負ける日が刻刻と近づきつつある。

 来春がたのしみだ。いまはすなおにそう思う。将棋史に大きな刻みの時が訪れる。




この壁紙は
http://www.geocities.jp/shogi_e/haikei/backtop.html
より拝借しました。

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