2017
 7/25
●あおうめ市のこと──4kディスプレイ話の補足


「4kディスプレイ話」の冒頭で、思い出したくもない大嫌いな国立市について説明している。敢えて書いたのには理由がある。



 今年三月からインターネットプロバイダをniftyからBIGLOBEに替えた。しかし以下のオペレーターの話はniftyでもBIGLOBEでもない。niftyをやめると決めてからBIGLOBEに落ちつくまで、ネットで調べたいくつかの会社とのやり取りがあった。そこでのひと幕である。GMOとかSo-netとかそのあたりだったか。

 その女オペレーターは、こう言ったのだ。
「それではお客さまのお住まいの地域が、WiMAX2に対応しているかどうかお調べします。ご住所を確認します。東京都あおうめ市
「あ、おーめです」
「は? 東京都あおうめ市」
「いえ、あおうめと書いておーめと読みます」
「はい、東京都おーめ市」



 なんとも不思議な体験だった。その女オペレーターは滑舌さわやかに「ア・オ・ウ・メ市」と言ったのだ。初めて聞いた。感動した。おどろいた。私自身、こっちのほうに来るまで青梅のことなどなにも知らなかった。興味もなかった。十八で東京に出てきていながら五十五になるまで一度も来たことがなかった。隣の羽村市なんて、この世に存在することすら知らなかった。その隣の福生市は知っている。「限りなく透明に近いブルー」の舞台となったところだし、当時から基地とドラッグ関係で有名だった。また脱線してしまうけど、この「福生=ふっさ」なんてのも難読地名なのだろう。知らなければ読めるはずがない。
 ま、私の場合、極端な出無精で、目黒品川を中心に生活し、東は秋葉原から帰郷するときの上野、西は新宿までが行動範囲だった。新宿から先に行くことすらめったになく、中野や高円寺、吉祥寺すら行ったのは数回のみ、という異常さだった。東京に「学生時代、4年間だけ住んでました」なんてひとのほうが私よりも東京に詳しかったりする。さらにはその後、外国巡りを始めたものだから、私にとって西東京は日本の中で特別に縁遠い場所になっていた。札幌や福岡のほうが詳しい。

 ただ「青梅マラソン」は有名だったので学生時代から「青梅=おーめ」は読めていた。新聞やスポーツ紙で見かけることが多かった。石原都知事が「東京マラソン」を始めるまで青梅マラソンは東京で、いや関東で、いやいや日本でも有数の有名な市民マラソン大会だった。いまも15000人が参加するというからまだまだ著名ではあろう。だが本来の青梅マラソンの時期に新設の東京マラソンをぶつけられ、そっちのほうがメジャーな雰囲気だったものだから、先輩の本家が開催日を一週ずらすという屈辱も味わった。そしてメインも30キロマラソンなので(ということすら私は先日まで知らなかったのだが)オリンピック参考レースではないそうだ。東京マラソンの始まりでずいぶんと価値を下げてしまった感もあるが、今も「おーめマラソン」が有名であることに変りはない。と思っていたところにこの女オペレーターの「あおうめ市」である。



「青梅」を「おーめ」と読めていた学生時代、友人に誘われ大阪までアルバイトにでかけた。飯場の住みこみである。土方だ。その場所が「枚方市」。私はそこに行くまでそれを「まいかた」だと思っていた。未知の地だし知らないのだからしょうがない。その程度の人間であるからして青梅を「あおうめ」と読んだひとを嗤えない。

 それにそもそも「青梅」は「あおうめ」であったろう。「あおうめ」が人々の日々の発音でこなれてゆき「あおーめ」「おーめ」になっただけの話だ。



 たとえば「なぎらけんいち」の苗字は「柳楽=なぎら」と書き、この五文字から縁起の悪い「疫=やく」の二文字を除いて「なぎら」と読むのだそうな。こんなものは読めない。読めなくていい。同様に「青梅」を「おーめ」と読めるかどうかもどうでもいい。

 いま中央線の青梅行きには「ŌME」と書いてある。青梅市もその表記なのだろう。カナでは「おうめ」。こう書いて「おーめ」と発音するのは日本語の決まりだ。「ぞうさん」と書いて「ぞーさん」、「せいくらべ」と書いて「せーくらべ」。それでもいまいちこのŌME表記にはなじめない。



 そんな「どーでもいい主義」の私がなぜ女オペレーターの「あおうめ市」に驚いたかというと、それまで一度も聞いたことがなかったからだ。そしてそれを言ったのが、東京に出て来たばかりの関西や九州出身の若者でもあるならともかく、大手プロバイダのオペレーターだったからである。私はプロを尊敬している。どんな職種でもプロはきちんと訓練を受けて職場に臨むのだろうと思っている。彼女にはこういう仕事を始めるに当たり、そういう地名の勉強のような機会はなかったのだろうか。プロに一目置く私にはそれが不思議だった。その女オペレーターがいくつなのかはわからない。二十代半ばぐらいかと思ったが三十代かも知れない。彼女はどこ出身なのだろう。すくなくとも東京出身で「あおうめ市」と言うひとはいないだろう。プロを尊敬すると書いたが、彼女はプロでも何でもなく、安い時給で働くただの派遣社員だったのだろうか。そうかもしれない。訓練を受けていないのなら「あおうめ市」はしかたない。大学生の私が大阪に行き、そういう仕事をしたなら、私は「まいかた市」と言って恥を掻いていたのだから、私に彼女を責める資格はない。ただ、とてもとても珍しい体験だったので心に残った。

 ここで前記の「福生市」のことを思う。難読地名だ。假りにあの女オペレーターが関西出身であり、東京の地名に疎かったとする。この仕事に就くに当たり、自分なりに東京の地名を勉強した。なんと読むのかわからない「福生市」が出てきた。「ふくしょう」「ふくせい」「ふくなま」「ふくき」。わからない。調べるなり上司に尋くなりして確かめたろう。「へえ、これでふっさしって読むんだ。読めないよねえ」。「青梅市──あ、これはあおうめしね。私だって読める(笑)」、調べずにクリアだ。そういうことではなかったか。

 そこでまた思うのは、私は会社勤めをしてこなかった。そういう若者と接した経験がすくない。こんなことは世の中にあふれていて、中堅の勤め人なら毎年毎日のように、こんな経験をしているのだろうか。単に私がそういうことに接した回数がすくないだけで。



 先日、同年輩のかたが「じゅうにんじゅっしょく」と口にしていた。こういうのって指摘もできないし、戸惑う。しかしこれも最初が「じゅうにん」なのだから後半が「じゅっしょく」になるのは理に適っている。そこでいきなり「といろ」になるなんてのは意地の悪い引っ掛け問題のようだ。だったら「とにんといろ」にしろ。

 「脆弱=ぜいじゃく」を旁(つくり)が危険の危である推測から「きじゃく」と百姓読み誤読をするひとは多い。私は、それをしたり顔で嗤う人に対して、「そんものどうでもいいじゃないか。もうキドクと読むと決めてしまえ」と書いたほどだから、誤読などどうでもいい。「心神耗弱=しんしんこうじゃく」で「耗の読みはコウ」と決まっているのに、その「毛」という旁から、だれもが「いやあ消耗(しょうもう)したよ」と百姓読み誤読をしている。「憧憬=しょうけい」も旁誤読から「どうけい」のほうが世の主だ。そういうひとに限って「きじゃくじゃないよ、ぜいじゃくだよ、まったく(笑)」と言ったりする。
 私は、元々漢字と日本語は無理遣りの合併であり、和語の漢字はみな当て字なのだし、細かいことなどどうでもいいと思っている。ぜんぶ百姓読みでいいのではないか。脆弱をぜいじゃく、憧憬をしょうけいの読みにこだわるのは、ラジオをレイディオと言うようなモノなのだ。ラジオがラジオでいいように、もうぜいじゃくもきじゃくでかまわないように思う。



 そう思いつつも、「あおうめ市」におどろいた自分がいる。いまも愧じるのは、なぜあのとき私は「おーめ市です」と反射的に言ってしまったのだろう。それが口惜しい。上の「じゅうにんじゅっしょく」とか、「そのへんはジジュー(=自重)してるんですけどね」という誤読を、他人様に恥を掻かせることなく上手に対応できているのに、「あおうめ市」には条件反射してしまった。あおうめ市で意味は通じているのだからそれでよかったのだ。なんとも恥ずかしい。



 よって、「国立市」なんてのも、こちらに住んでいると当たり前だが、学生時代の私が「まいかた市」であったように、離れた地域の人は「こくりつ市?」と不思議がるのかも知れないと、「4kディスプレイ話」に国立市の基本を書いた。
 国立市の図書館は「国立図書館」では勘違いされるであろうと、「くにたち図書館」とカナにしているそうだ。ま、これで最後、今後二度と国立のことを書くことはないだろう。いやなところだった。こくりつ市と比べると、あおうめ市はとてもいいところだ。
 
   
   
   


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