酒話2006 
2/17(金)
カットでわかる経済状況(泣笑)

 2006年初の酒の話を書こうと思い、今まで慣れ親しんできたのテーマカットにも飽きてきたのであたらしいのを作ろうと思った。書く内容もおおきなペットボトル入りの安焼酎のことなので、このワインやうまい日本酒を利用したカットは不似合いである。

 ということでそれにふさわしいというのを作った。この水色の「酒話」の向こうには黒い太字で「大五郎」と商品名がある。4ℓ入りで2千円ほど。いまホームページを見たら正価は2900円だからだいぶ安く売られている。これとキッコーマンの万上焼酎というのが同じ量、同じ値段で金欠病の私がもしものために買い置きしておく安焼酎の代表である。うまく商品名を消して「大型ペットボトル入り安焼酎」の雰囲気が出たと喜んだ。これから書こうとしている酒の話はこのカットでないと雰囲気が出ない。

 アップの前に古い酒話をチェックしたらいくつかの誤字脱字が見つかったので直す。一昨年の最高級バーボン・ブラントンの欄が日本酒のマークだったので、これは不似合いで申し訳ないと(酒に対してね、お酒は友人だから)、ブラントンの商品写真を利用してのマークを作った。ブラントンてこうして瓶だけ見ると、なんかインチキブランデーみたいにも見える(笑)。

 そこで冷静になった。
 なんと生活とは雄弁なのだろう。年度毎に思うままに作ってきたカットである。見事に経済状況を映しているではないか。
 と比して、正直な今であるのなんと貧相なことか(笑)。

 でもしょうがない。ほんとうだから。昨年夏から今年にかけて、酒話のカットはが中心になるだろう。まあウイスキー類はもう飲まないだろうし、安焼酎を飲んでいるのは非常事態である。早くワインのや、日本酒ので始まる酒話を書けるようになるようがんばろう。

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 そういえば、夏はもちろん冬でもビールだったのに、けっこう書いている発泡酒、雑酒のカットがないので作っておくか。作るとしたらいちばん飲んだドラフトワンだ。
 これも晴れてもともとのエビスビールにもどれたらそれで作り直そう。「ドラフトワンを飲んでいたころ」が早く思い出になるといい。

 それにしても、と雑酒増税のことに腹立てたら長くなったので次項にする。
2/17(金)
雑酒増税に思う

 昨年、前々から懸念していた「第三のビール」であるこの雑酒の増税が決定したのだった。腹が立つ。といって私はなんでも増税に反対している社民党みたいなのとは違う。消費税が二桁になるのはしかたない、のような割り切りと見識は人一倍持っているつもりだ。
 サッポロビール社長が「こんなことをされては商品開発の意慾が鈍る」と憤慨していたがまったくその通りだ。こういう形で「売れた物は増税」のいたちごっこをやっていたら、一所懸命税法の隙間を見いだして新商品を開発している企業がやる気を無くすだろう。ひどい政策だ。

 私だって安い雑酒よりエビスを飲みたいのである。確実に味は落ちるのだ。ただ、自分の現況を鑑みて、罰するはすこし大げさにせよ、うまくて高い酒を飲む時期ではないと、耐えるつもりでそれにしているのである。多くの庶民もそうだろう。発泡酒や雑酒を安くてうまいと思っている人はいないはずである。一部いるのだろうがその人は味音痴だ。ビールの方がうまい。だが不況の今、家計のすこしでも役に立てようと世のおとうさんはみな我慢しているのだ。好景気になれば高くてうまいビールを飲むようになる。なのに景気回復のないままこれらの税を上げるのはなんと情のない政治だろう。

 さらには、いまネットで知ったのだが、政府税調委員の一橋大学教授は「あのようなビールの味を忘れさせるような酒を出すこと自体が問題なので、税金を高くして(製造自体を否定していることを思い知らせて)やるというような発言」をしたらしい。人の気持ちのわからんこういうヤツが税調の委員をやっていることがまず不快だが、学生を指導する大学教授であることにも腹が立つ。


5/17(水)

アル中はむずかしい!?

 相変わらずの馬券下手。次のギャラの振り込みまで金はないし急ぎの仕事もないしで、だったら酒浸りをやってみようかと考えた。オーハラショウスケさんは朝寝朝酒朝湯で身上を潰した。残念ながら潰すほどの身上はないが、そのみっつがそうなるほど魅力的なものであることはわかる。朝寝と朝湯は経験している。あとはそれに朝酒を足すだけだ。

 最近の生活は午前3時起きの朝型だが、この生活のまま、パソコン作業に一息ついた朝の7時ぐらいから飲み始め、テレビを見たり、ゲームをしたり、本を読んだり漫画を読んだりしつつ、眠くなるまで飲む。眠くなったらそのまま寝る。目覚めたら夕方。そこからまた飲み始める。そうしてまた酔っぱらい、眠くなったら寝る、という自堕落の極地をやってみようと思った。出来るはずである。自堕落なら自信がある。
 買い置きの安焼酎がたっぷりとある。これをもう朝から飲みまくり、四六時中酩酊状態。朝から晩まで酒浸り。二十四時間酔っぱらっていたら、あっという間にギャラ振り込み日。いやあ一週間が早かったなあ。
 となるだろうと思った。

 ならない。失敗した。うまくゆかんものである。
 朝湯、朝酒をやる。テレビ、ゲーム、本、漫画で朝寝をする。ここまでは出来た。
 午後に起き出す。ここからがちがった。
 酒なんか飲みたくない。飲みたくないものを無理に飲むってのもなあ……と思いつつ、酒浸りの日々を過ごすと決断したのではないかと自分に言い聞かせ、飲みたくもないのに飲んでみる。うまくない。もういいやと思いつつ、それでも飲めば酔ってくるからいい気持ちになる。腹もくちてうとうとする。目覚める。そしてまた飲む。
 予定だったがもううんざり。飲みたくない。飲まずに寝る。翌朝、起きる。朝から飲む。いやいや酒なんて気分ではない。さっぱりしていて、牛乳でも飲んでジョギングしたい気分。健康的。ぜんぜん酒など飲みたくない。
 だめだ。酒浸りを諦めた。私はアル中にはなれないようだ。

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 横山やすしは最後は酒で死んだ。あれは不思議だ。あの人、酒なんて強くない。好きでもない。私の方が遙かに彼より酒は強いだろうし真から好きなはずである。だが彼は死を招くほどの酒浸りが出来た。ビールのような弱い酒で死ぬほど自分を追い込めたのだから酒に弱い人だ。心も内臓も。
 私は彼のように酒浸りになれない。かといってべつに彼のように酒で死にたいと思っているわけではない。なれるかなれないかだ。
 私は酒を友として尊敬している。やけ酒なんて失礼なことは出来ない。それは畏友とのつきあいなのだから。
 彼は酒を友とは思っていなかったろう。自分の気晴らしに利用する道具だ。単なる毒薬ぐらいにしか見ていない。だからあんなつきあいが出来た。
 酒が好きではなく酒に弱いからこそ酒に溺れられた。

 酒浸りになるのはむずかしい。
 暑い日の冷たいビール、うまい魚と日本酒、肉料理に赤ワイン、ストレートで飲むバーボン……思うだけでよだれが出る酒への想い。なのに欲しくないときは、なくていい。体調が悪く飲みたくないのに無理に飲むことは出来ない。

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 というわけで、「酒でもかっくらって寝ちまうか」という心境なのに、妙にスッキリ爽やかで困っている。

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 「今夜、すべてのバーで」(中島らも著)より──5/26


 中島らもの「今夜、すべてのバーで」を読んでいたら、アル中である彼のアル中分析に、私と同じ考えが書かれていた。私の考えは無知の直感だが、中島のは入院中に文献を研究した高尚な意見である。それがまったく同じなのだから無知の直感も捨てたものではない。横山やすしについて書いた「道具」という言葉も共通だった。

 一般的なアル中は、それぞれに日常生活の中に不吉な予兆を示している。現役のアル中であるおれにいわせれば、アル中になる、ならないには次の大前提がある。
 つまり、アルコールが「必要か」「不必要か」ということだ。よく、「酒の好きな人がアル中になる」といった見方をする人がいるが、これは当を得ていない。アル中の問題は、基本的には「好き嫌い」の問題ではない。
 酒の味を食事とともに楽しみ、精神のほどよいほぐれ気合いを良しとする人にアル中は少い。そういう人たちは酒を「好き」ではあるけれど、アル中にはめったにならない。

 アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。おれもまさにそうだった。この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。

 肉体と精神の鎮痛、麻痺、酪酎を渇望する者、そしてそれらの帰結として「死後の不感無覚」を夢見る者、彼等がアル中になる。これはすべてのアディクト(中毒、依存症)に共通して言えることだ。
 たとえば「ナイトキャップ」的な飲み方は、量の多少にかかわらず、行動原因そのものがすでにアル中的要素に支えられている。アルコールが眠るための「薬」として初手から登場するからだ。薬に対して人間の体はどんどん耐性を増していくから、量は増えていく。そのうちに、飲まないと眠れないようになる。この時点で「手段」は「目的」にすりかわっている。
 夜中に亭主が起き出して、台所で冷や酒をやっているのを見たら、妻は一応の用心をしておくべきだろう。


 筋の通った話をこういうふうにスッキリ書いて貰えると心強い。
「ナイトキャップ的な飲みかたが危ない」も我が意を得たりである。酒で狂う人はそういう人が多かった。悩みから逃れようとする「クスリ」として頼っているのだ。彼らは「酒が好きなわけじゃないんだけど」「ほんのすこしでぐっすり眠れるんだけど、このごろ強くなっちゃってね」と言ったりする。好きでもないのに飲まずにいられないのだからすでに精神を病んでいる。体はクスリに対する耐性が出来るから強くなるのも当然だ。病んでいる人の言葉として道理なのに、彼らはそれを不自然なことと思っている。

 私の酒はまったく逆だ。眠いときでも酒を飲むと目がさえて元気になる。それは友とのつきあいなのだから当然だろう。疲れているときでも親友に会えば元気になり、あれこれと話したくなる。だから疲れていて、眠って体を休ませねば、という時には酒は飲まなかった。睡眠薬にする人と発想が全く逆である。
 私がアル中になれないことをあらためて確認した。

 そしてまた思った。タイで出会った多くのアディクト(中毒、依存症)についてである。
 私は彼らが正面から自分の弱さを認めてしまうとなにも言わなかった。しかし多くの連中は自分のその弱さを認めず、むしろ「こんないい世界に入ってこないアンタはかわいそう」のような自己弁護をした。
 これはドラッグに限らず喫煙者でも同じだろう。あれは確実に薬物中毒である。なのに決してそれを認めず自己正当化を始める。

 この本が高い評価を受けたのは、アル中体験記のような体裁をとりながらも、豊富な資料を引用した緻密な構成が成されているからであろう。私から見た魅力は、アル中が自己弁護や陶酔に走らず、上記のように突き放した視点をもっているからである。

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 もうひとつ目が覚める表現があった。

 アル中の要因は、あり余る「時間」だ。国の保証が行き届いていることがかえって皮肉な結果をもたらしていることになる。日本でもコンピューターの導入などによって労働時間は大きく短縮されてくる。平均寿命の伸びと定年の落差も厖大な「空白の時間」を生む。
「教養」のない人間には酒を飲むことぐらいしか残されていない。「教養」とは学歴ではなく、「一人で時間をつぶせる技術のこと」でもある。


 はあ……「教養」か。長年チェンマイの『サクラ』で不思議に思っていたことに意外な方向から言葉の矢が飛んできた。
 日本を飛び出し、地元でなんでも屋のようなことをやっている青年から、退職金を手に老後を悠々と過ごしている年配のかたまで、みな決まって「暇だなあ」と言う。「なんかおもしろいことないですかね、暇で暇で」と。
 テニスに凝ってみたり釣りに凝ってみたりする。一時は彼らのあいだでブームになるがすぐに沈静化する。そしてまた「暇で暇で、なんかおもしろいことないか」とぼやいている彼らがいる。

 私は最初それを目にしたとき、ふざけているのかと思った。そうではないらしい。それで今度は、「自慢しているのか」と思った。あり餘る時間を保った自分を人生の勝者として誇示しているのかと。
 そうでもないらしい。純粋に退屈をもてあましているようだ。

 およそ生まれてこのかた退屈などしたことがない私には彼らが不思議でしょうがない。かといって私が忙しがりなのではない。何もせず空を見ながら物思いにふけるのが楽しい。その時間を手に入れるためにあれこれやらねばならないことがあって煩わしい。忙しい。なかなかその時間を手に入れられない。なのにそういうことをいくらでも出来る人が、それを退屈だと言って嘆いている感覚がわからなかった。
 また「なにもすることがない」と言っている彼らだが、私からするとすべきことは山とある。たとえば毎日指している大好きな将棋だって、百年一日のごとく同じ事をして負けているより、なにか得意戦法を持とうとでも思ったら、やるべきことが見えてくる。なんでなにもせず「暇だ」と言っているのかが理解できなかった。
 個人的に大事なことは、そんな人に好きな人はいなかったことである。『サクラ』の丸テーブルで暇だ暇だと嘆いている人は、老いも若きも私の好きな人たちではなかった。気が合わなかった。これまたよくできている。

 そうか、「教養」だったのか。なるほど、たしかに彼らに教養はなかった。みょうに知ったかぶりの人は多かったが、それは無教養を隠すための強がりだったろう。だってその知ったかぶりはみな間違い知識だったから(笑)。教養のない人は一人で時間をつぶせる技術がないから、あんなに暇だ暇だと嘆くのか。勉強になった。
 私は自分の無知を恥じ、すこしでも賢者になりたいと努力しているつもりだが、教養なんてことばは自分とは縁遠く、好きな言葉でもないので使ったことはなかった。それがそうなら私にもすこしはあったことになる。こんな言葉ひとつで長年の霧が晴れることもあると知った。
6/1(木)

○刺身とウイスキー×

船戸与一の「龍神町龍神一三番地」を読んでいる。
 この「一三番地(じゅうさんばんち)」という表記、下のWikipediaからもらってきた作品リストでも「十三番地」とまちがえているが、この本の正しい題は「一三番地」であるらしい。
 この表記が大嫌いなので激しく白けた。私淑する高島俊男先生も数字の表記に関して「十と百がないがしろにされている」と、最近増えているこういう表記に対する批判を一章書かれたことがあった。まちがえたWikipediaが正しい感覚だ。日本の番地がいまそういうふうに表記される規定なのかどうか知らないが、ぜひとも船戸にここは「十三番地」と書いて欲しかった。この表紙写真も「いちさんばんち」と読めて白ける。見た目も。
 美空ひばりの「港町十三番地」は「十三番地」だったよね、たしか。調べる。そのようだ。

 でもWikiの「満州国演義」はまちがい。満は満が正しく、これは船戸も「満洲」としているはずだ。


 以下は、《云南でじかめ日記》の読書話からコピー。私の読んだ船戸作品のこと。

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未読既読リスト
 タイの台北旅社で船戸のおもしろさを知り、帰国してから買い漁り読みふけった。二十代の頃、西村寿行にハマった時に似ている。
 いま「Wikipedia」で船戸作品のリストを調べたら(このフリーの百科事典はインターネット社会が産んだ大きな功績だろう)以下のようになっている。私個人の既読未読に分けてみた。

既読作品
蝦夷地別件(新潮社、1995年)
海燕ホテル・ブルー(角川書店、1998年;徳間文庫、2005年)
かくも短き眠り(毎日新聞社、1996年)
蟹喰い猿フーガ(徳間書店、1996年)
カルナヴァル戦記(講談社、1986年)
黄色い蜃気楼(双葉社、1992年
金門島流離譚(毎日新聞社、2004年)
降臨の群れ(集英社、2004年)
午後の行商人(講談社、1997年)
群狼の島(双葉社、1981年;角川文庫、1985年)
銃撃の宴(徳間文庫、1984年)
新宿・夏の死(文藝春秋、2001年)
神話の果て(双葉社、1985年;講談社、1988年)
砂のクロニクル(毎日新聞社、1991年)
祖国よ友よ(双葉社、1980年;角川書店、1986年)
猛き箱舟(集英社、1987年)
伝説なき地(講談社、1988年)
血と夢(双葉社、1982年;徳間書店、1988年)
蝶舞う館(講談社、2005年)
虹の谷の五月(集英社、2000年)
蛮賊ども(角川書店、1987年)
緋色の時代(小学館、2002年)
非合法員(講談社、1979年;徳間書店、1984年)
炎流れる彼方(集英社、1990年)
緑の底の底(中央公論社、1989年)
蝕みの果実(講談社、1996年)
山猫の夏(講談社、1984年)
夢は荒れ地を(文芸春秋、2003年)
夜のオデッセイア(徳間書店、1981年、1985年)
流沙の塔(朝日新聞社、1998年)
メビウスの時の刻(中央公論社、1989年)

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未読作品
龍神町龍神十三番地(徳間文庫、2002年)
満州国演義・霊南坂の人びと(週刊新潮にて連載中 2005年~)
河畔に標なく (集英社、2006年刊行予定)
国家と犯罪(小学館、1997年)
三都物語(新潮社、2003年)

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今回この未読作品の「龍神町龍神一三番地」と、ここには網羅されていないが、対談集の「諸氏乱想」を読んだ。「諸氏乱想」はKKベストセラーズ刊。「ザ・ベストマガジン」誌上での対談だったとか。雑誌好きなのでベストマガジンも立ち読みはしていたはずだが記憶にない。そういえばあったような……。
 それよりもWikiのリストに入ってないのが気の毒だ。まあたいしたものではなかったが。

「龍神町龍神一三番地」の舞台は長崎県五島列島。豊富な海の幸を肴に、元刑事の主人公が酒を飲む。ハードボイルドだからウイスキーである。
 しかし私はうまそうな海の幸がずらりと並ぶと、「ここは日本酒だな」と思ってしまう。
 というだけの話なんですけどね(笑)。ほんと、書きたいことはただそれだけ。

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 やはりこういう作品の主人公はウイスキーを飲まねばならないのか。鍛えた体の元刑事が、陰謀を探る際に飲むのは日本酒ではまずいのか。でもふんだんに盛られた海の幸を前にウイスキーの水割りになると私は白けてしまう。日本酒という最高の酒があるではないかと。日本酒もピンキリではあるが。
 イメージとして、日本酒を飲みまくる=肉体労働者、百姓、漁師、泥酔、というのが強すぎるのか。
 だったら主人公は肴など食わず、ひたすら酒だけ飲む人に設定して欲しかった。
 私には、新鮮な魚介類を肴に水割りウイスキーを飲む日本人は味音痴としか思えない。すくなくとも日本には、それよりも魚に適したうまい酒がある。


それが偏見であり暴論であることはわかっている。
 すでに昭和40年代にサントリーが寿司屋へオールドを商品展開し、大きな成果を上げている。通称だるまと呼ばれたサントリーオールドの大ヒットは、ボトルとして預けておくとき、黒い瓶なので中身の量が見えないこと(=他の安酒と入れ替えてもわからない)と、それまでは場違いな寿司屋方面(どっち方面だ?)への進出が大きかったと言われている。
 寿司や刺身を食いつつ、ウイスキーの水割りを飲むという習慣は昭和40年代からもう根付いていたのだ。
 それにイギリス北部ではうまい魚や貝類が採れる。あちらでは魚とスコッチなのだろう。
 刺身にウイスキーはおかしいというのは、偏見に相違ない。

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 しかしそれを認めつつも、やっぱり私はヘンだと思う。うまい刺身と、ウイスキーの水割りなんて味も素っ気もないものが合うはずがない。よしんば合ったとしても、日本酒はその何倍もより合うはずである。そして舞台は海産物が豊富な五島列島なのだ。
 以下、偏見のオンパレードなので、刺身で水割りが好きな人は確実に気分を害しますからここで撤退してください。


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水割りという邪道な飲みかたは何故生まれたか。
 酒を飲む場が仕事の延長という日本の特殊な環境からである。酒に弱い営業マンや酔ってはならない立場の人が、接待先をもちあげる際の酒として、自由に濃淡を調節できる「水割り」はまことに便利な酒であった。それが発案された下地である。酒を飲んでも酔わないことが前提に生まれたのだから邪道の飲みかたであるのはまちがいない。
 日本で発案されたこの飲みかたは、健康ブームに乗って、いま欧米にも拡がっている。

 だけどうまいか? 水割りなんて。
 私はスコッチもバーボンもストレートで飲む。残念ながらJazzの名曲「Straight No Chaser」とまでは行かず、チェイサーは要る。でないと喉が焼ける。その場合のウイスキーは上の写真のようなひどいものではだめ。良質のスコッチかバーボンになる。
 私は学生のころ、日本の安ウイスキーをウイスキーと思いこんでしまったため、ウイスキーがうまいものと知るまで大きな回り道をしてしまった。他の項で書いているが、初めてロイヤルサリュートを飲んだとき、ウイスキーとはこんなにうまいものだったのかと目を見張る思いだった。

 学生の酒としてはサントリーホワイトが主の時代である。よくて角、当時このうまくもないオールドは高嶺の花だった。ウイスキーをうまいと思わない自分に疑問を持ち、金が入ったとき、背伸びして高級品だったこのオールドを買ってみたりした。仕送りの平均が3万円の時代に1800円していたから、今に換算すると安く見積もっても8千円のウイスキーなる。ジョニ黒とかオールトパーなんて飲めるはずもない。それを日常的に飲んでいたら私がウイスキー嫌いになることはなかった。
 無理して買ったオールドを飲んでもやっぱりまずい。ウイスキーは自分には合わない、と結論した。
 それから幾星霜。ロイヤルサリュートを飲んだとき、「おれはだまされていた」と思ったものだ。

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 水割りとは、酒の飲めない人が飲む酒だと思う。40度のうまいウイスキーを5度のビールぐらいにしてちびちび飲んでいる。理解できない。なぜわざとまずくする必要がある。あるいは酒の味のわからない人だ。
 もちろんウイスキーのフレーバーを確かめるには水と1対1にするのが一番よく、酒造でテイスティングするときにはそうする、ぐらいの知識はもっている。しかしそれとオールドの水割りはまた話が違う。

 なら寿司屋で何故オールドは受け入れられたか。サントリーのイメージ戦略にだまされた勘違いだろう。それが「おしゃれ」だと思われたのだ。まだまだ貧しい時代の西洋コンプレックスである。日本酒ださい、ウイスキーかっこいい、である。その証拠に、今時寿司屋にウイスキーのボトルを入れているようなのはめったにいない。一時は、壁にズラリと並んでいたものだ。ステイタスだった(笑)。

 マンガ『美味しんぼ』に、西洋コンプレックスから日本酒を下卑た酒とし、ワインワインと叫ぶ成金が登場する。彼はいつでもどこでも赤ワインである。魚を食うときもそれだ。それを主人公がたしなめるという筋だった。
 生魚と赤ワインなんて飲めたものではない。うまい魚が生臭くてまずくなる。成分が悪い方に反応してしまう。なんのために白ワインが作られているかを考えれば答は明白だ。

 ウイスキーと刺身にはそこまでの相反するものはない。
 だからこれは暴論だ。単に私の好みとしてしっくりこないと言っているに過ぎない。

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 この件に関して、もうひとつ思うことがある。
 船戸はチェーンスモーカーだ。自分がそうだから作品中の登場人物もやたらタバコばかり吸っていて煙くてしょうがない。どの作品も主人公はヤニ中ばかり。まずこの時点で微妙な食の味がわかる人ではない。ヤニ中の味蕾はボロボロである。味などわかるはずがない。そして船戸は早稲田の探検部出身である。秘境旅行のようなハードな旅をしてきた人だ。今も彼の出かける取材地は辺境の地が多い。そういう小説を書く人だからそうなる。

 イギリス人はなぜ七つの海を制覇できたか。味音痴だったから、というのは有力な説だ。食い物にうるさくないから異国への進出が苦痛にならなかった。あれほど先進国で食の貧しい国はない。
 これは私のバックパッカーへの意見にも繋がる。あれは味にうるさい人には出来ない。味に鈍感であるから次から次へと移動できる。鈍いことは強いことになる。

 一日に100本もタバコを吸って、辺境の地を旅行する船戸自身が味音痴なのではないか。登場人物がみな船戸と同じようにチェーンスモーカーであるように、同じく登場人物はみな食い物の細かい組み合わせなど、どうでもいいのだろう。
 それがこの「刺身とウイスキー」で思うもうひとつのこと。そんなことは最初から考慮されていないのだ。そんなことにグズグズ言うようなヤツは俺の小説は読むな、であろう。

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 この旅好きと味音痴は、つい先日も競馬の後の飲み会で思った。二十代で日本を飛び出し、長年外国を放浪してきた競馬評論家がいる。主に滞在したのはイギリスだ。その人といつも飲んで思う。彼の行く店のつまみがまずいのだ。
 なのに彼は「この店のつまみはなんでもうまいからね」と言う。うれしそうに何品も注文する。私はその店のまずいつまみが嫌いでそこに行きたくない。
 この人も味音痴である。だからこそ世界を放浪できたし、あのイギリスになんの不満もなく長年いられたのだろう。(イギリスは外国人用の中華やインド料理はそこそこと言われるが、彼などは激貧の今で言うバックパッカー生活だからそんなものとは無縁になる。餘談ながらタイに沈没する日本人が多いのは、タイ飯が安くてうまいからだろう。)

 私が味にうるさいわけではない。「白木屋」や「笑笑」で文句を言わない私が、我慢できないと言うのだから、その店は明らかにまずいのである。その競馬評論家が味音痴なのだ。
 先日もその店で「ホタテの串焼き」を頼んだが醤油の固まりのようにしょっぱく、一口口をつけただけで串をおいた。蛸の刺身は、真っ赤な酢蛸だった。これも酸っぱくて食えない。それ以前に、私は蛸の刺身を頼んだのであり酢蛸を頼んだ覚えはない。ひどい店である。ここを「なにを頼んでもうまい」と言う人とは飲めない。

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今度は自分の反省。
 だけど自分だって刺身にビールをやるじゃないかと思う。ビールといちばん合う肴は、肉類や揚げ物である。ホカホカのジャガバタなんかも最高だ。酒もまた出自を隠せない。食と密接に絡み合っている。
 それらが最高の組み合わせだが、人とのつきあいでは、私もビールで刺身を食っている。これじゃ「刺身とウイスキー」を貶せない。同じようなものだ。だから慣れたら「刺身とウイスキー」もいけるのかも知れない。

 コント55号のコントに、「刺身には牛乳だよねえ」というのがあった。「似合わない気味悪い組み合わせ」を言って笑いをとるネタだった。もっともだと笑った。まだ酒を飲めない年齢の時だったが、刺身と牛乳のまずそうな組み合わせはわかった。
 なのに、健康ブームのロスから流行り始めたらしいが、いつしか私もウイスキーや焼酎の牛乳割りを飲むようになっている。ウイスキーと牛乳なんて絶対に合わないと思っていた。でも肉類をつまむときはけっこううまい。さすがにまだ魚類を食べながら飲んだことはないが。

 こういう感覚なのだから「刺身とウイスキー」を批判できない。人間、いつどこで変るかわからない。知らないものには慎重な方がいい。もしかして刺身とウイスキーはとてもうまいものなのかも知れない。
 新鮮なカツオには生姜醤油という定番を、それに倦きたカツオ漁師達が、マヨネーズを持ち込んで革命を起こしたように、むかしからの組み合わせに拘泥するのは愚かなのかとも思う。

 それでも読めば読むほど(まだ読了していない)、毎晩のように五島列島のうまい魚とウイスキーの組み合わせが出てくるシーンに、いまだにしっくりこないものを感じている。
 後日註・物語の後半にはわざとらしく一升瓶も出てきたりした(笑)。

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『龍神町龍神町一三番地』[感想]文


さて読み終っての[感想]だが、残念ながら賞賛する気にはなれない。絶賛している感想文も読んでいたのでかなり期待していたのだが……。
 いま、いくつかのネット感想文を読んでみた。批判的なものもある。その場合も「主人公の背景の書き込みが稀薄」のようなのが多い。
 私にはそういう小説的なことより、「そもそもの舞台設定に無理があったのではないか」と思えた。評論は嫌いなので簡単な[感想]を書く。

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「課長 島耕作──弘兼憲史作」の感想文に書いたことなのだが。
 当時、ニューヨーク篇が絶賛された。多くの人から「あれほどのニューヨーク情報をいったいどれほど取材して?」と問われ、弘兼さんはほんの一週間なのだと明かす。みんなが驚く。それがちょっと得意気だった。私もニューヨーク篇を楽しんだひとりである。その後のフィリピン篇も楽しんだ。

 ところがタイ篇だけは楽しめなかった。むしろ取材の過程すら見えてしまって白けた。街を疾走するトゥクトゥクの写真、乗車体験等。バンコクを取材して、次はパタヤ、オカマショーと、ガイドと一緒に動く弘兼さんの姿が見えるようだった。

 そこで気づいた。私は唯一タイだけは弘兼さんよりも詳しかった。いや「弘兼さんがやった一週間の徹底取材よりも深く知っていた」と言うべきか。よってタイを知らない人には楽しめたであろうその章がちっともおもしろくなかった。
 その他の国は楽しめた。みな行ったことはあるが、私はそこまで知らなかった。弘兼さんの取材力はたいしたものだ。
 私が弘兼さんより詳しく知っていた国は「タイ」だったが、他のかたには「ニューヨーク」であったり「フィリピン」だったりしたろう。私にとってのタイ篇も、タイにはまっていなかったら楽しめたに違いない。今は「取締役 島耕作」となって、中国、インドを舞台に動いている。これに関しても楽しめる人、楽しめない人は出ていることだろう。

 創作品の舞台を楽しめるか否かはそんなものである。これってごくふつうの常識かも知れない。でも旅行嫌いの私には大きな発見だった。

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そういうことと、今回のこれから、私が今まで船戸作品を楽しんでこられたのは、「舞台となる地を知らなかったから」と知った。いや今までもそれはわかっていた。だけどこんなにも自分の中での昂奮度合い、感激度合いが「舞台によって」目減りするとは思わなかった。その意味ではこの作品は絶大な価値があった。

 自分の知らないベネズエラ、コロンビア、メキシコ、フィリピン、クルド族、アフガニスタン、カンボジア、そんな地が舞台になっているから昂奮できた。「知らないからとけ込めた」。私にとっての真実はそういうことだった。

 前記した「刺身とウイスキー」も結局はそれになる。五島列島の海産物と刺身、日本酒を知っているから、それとウイスキーはおかしいんじゃないかと思ってしまう。
 ということから考えると、今までにもさんざん「主人公が現地の食い物で現地の酒をあおるシーン」は出てきた。私はそのことになんの疑問も持たず、物語の展開を楽しんだ。知らないからである。もしも私が南米の田舎暮らしに詳しかったなら、もっともっと早い時点で、「おいおい、その食い物とその酒は合わないぞ。そんな飲みかたはしないぞ」と気づき、白けていた可能性はある。それだけのことなのだ。

肝腎の物語の展開も、見知らぬ異国の地が舞台だから、狭い村社会で起きる連続殺人劇を納得して読み進められたのだと知る。
 たとえばつい先頃読んだ「降臨の群れ」は、インドネシアのちいさな島が舞台だ。そこで憎しみあうイスラム教徒とキリスト教徒が次々と殺しあう。だいたいにおいて船戸作品は、カタカナの名前の人間(私はこれを覚えるのが苦手でねえ)が20人ぐらい登場して、その内15人は死んで行く。それが見知らぬ異国で展開されると小説世界として楽しめる。しかし長崎県五島列島の架空の村で、時代が今現在で行われると、ちっともおもしろくない。不自然さばかり感じてしまう。「なぜそうなったか!?」の復讐原因は、一応説明されてあるのだが、どうにも納得できない。異国が舞台だと納得出来る。私にはそれだけの話だった。

 熱心な船戸ファンのあいだでも、この作品を否定する人はいるらしく、その理由として「主人公の背後の描きかたが甘い」となっていたが、私からするとそれ以前の「舞台設定」のように思える。
 同じような登場人物、同じようなストーリィでも、これが「長崎県五島列島」ではなく、どこか発展途上国の村なら、充分に楽しめたように思う。船戸作品の基本はそうなのだろう。ボロクソに貶した福田和也の言っていたのも基本的にはそういうことだった。もっともそれによって船戸は直木賞をもらったのだが(笑)。
 これと比べるとやはり受賞作「虹の谷の五月」はいい作品だった。
 私にはそういう[感想]になる。
 まだ読んでいない幻の一作として期待過剰だっただけに、すこしばかり残念である。

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 タイトルの「一三」が「十三」に!

 写真は徳間文庫。元本の「一三番地」が「十三番地」になっている。船戸は「一三番地」のような表記をする。前々から気になっていた。
 読者からの抗議? とかいろいろあって文庫化の際に変えたようだ。珍しい例であろう。でも断然こちらのほうがいい。

6/5

 ひさしぶりに菊水

 昼、生寿司を買ってきて「菊水──ふなぐち」を飲む。
 去年後藤さんにプレゼントしてもらってから味を覚え、しばらくはこればかり飲んでいた。キンキンに冷やすぐらいがおいしい。酒屋でもそんな置き方をしている。
 飲みまくったのは去年の夏か。
 涼しくなってからはすっかり飲まなくなった。いつしか酒の主はグレープフルーツジュース割りの焼酎になっていた。

 前回こんな形で日本酒を飲んだのはいつだろう。記憶では、去年の12月、雲南に出かける前に大好きな金沢の酒「天狗舞」を見かけ、飲みたくて我慢ならず、やはり寿司と一緒に買ってきた覚えがある。おそらくあのとき以来だ。日記を検索してみたらやはりそうだった。半年ぶりか。その間、友人と飲むとき、何度か日本酒に手を出したことはあるが。
 いや正しくは12月ではなく1月末だった。出発前ではなく帰国してすぐである。この時期に冷や酒を飲んでいるのだから気温は関係ない。突如として飲みたくなるらしい。これは、普段は肉を食べないようにしているのに、猛烈に食いたくなるときがあるのと同じだから、体が魚を食べたいと言っていたのだろう。でもこのときは一ヶ月以上の雲南暮らしのあとだから特別か。

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 私の場合、どっちがメインなのか考えてみる。寿司か酒か。
 寿司を酒なしでと言われたら、べつにそこまで寿司を食いたかったわけじゃない、となる。食べたくてたまらなかった寿司への欲求がスっと目減りする。妻と廻転寿司に行ったときも、運転するのでビールが飲めず、つまらなかった。そういえばたかがラーメンと餃子で千円以上になるのに、廻転寿司は同じ値段でいろんなものが食べられて安いと妻が褒めてたっけ。また一緒に行ける日はいつになるのか。

 逆にまた菊水をつまみなしで飲めと言われても困る。和の肴があってこその日本酒だ。ほんとの日本酒好きは塩をなめながら飲むと言うが、そこまでの酒好きでもない。
 そういえば二十代のときに知り合った友人にひとり、そんなヤツがいた。つまみは一切取らず日本酒だけを飲んだ。彼と屋台のおでん屋に行くと奇妙だった。なにしろおでんなんかなにひとつ食べない。
 私の父もつまみを食べない日本酒党だった。毎晩泥酔するまで飲んで肝臓を壊さなかったのだから強かったのだろう。

 離せないのだと知る。酒と食がくっついている。
 うまそうな蛤やホタテを見ても、すぐに日本酒かビールかと考える。それだけを食べる感覚はない。
 そういううまいものやうまい酒がなくても、我慢することは出来る。禁寿司も禁日本酒も簡単だ。なのにどっちかひとつと言われたら、両方でなきゃいやだとなるのだから、因果な性格である。


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【附記】スーパーの生寿司
 この地に来てから、田舎時代と比べてスーパーの生寿司を食う機会がめっきり減ったと思ったら、それもそのはず近所のスーパーでは売っていないのだと、この文を書いていて気づいた。売っているのはだいぶ離れた西友だけだ。だから「生寿司と菊水」というのは、西友に出かけたときに限られている。そこで見かけて食べたくなったり飲みたくなったりするのだ。毎日覗くスーパーでは売っていない。だったら食べたいと思うはずもない。食は見た目でもある。見かけなければ食慾も控えめになる。
 これは「競馬でスッテンテンになった日は西友に行くなよ」ということでもある。よく覚えておこう。金もないのに「寿司と日本酒~」となったら哀れだ。

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 田舎のスーパーではどの店も大きな寿司コーナーが儲けられ毎日大盛況だった。500円程度の質素なものから舟盛りになった5千円クラスまで、ずらりと勢揃いしていた。売れ残ると閉店間際に半額になる。私がスーパーに行くのはそういう遅い時間なのだが、まずめったにこの半額品を見かけなかった。きれいに売り切れていた。それほどの人気商品である。テイクアウトの生寿司店も多かった。私も毎日のようにそれで晩酌をしていた。
 田舎者はそういうものが好きだとも言える。海に近い地でもある。

 自分の田舎に関して思い出深い話がある。
 学生時代からのつきあいであるM先輩が、ご家族四人で初めて遊びに来たときのことだ。
 まず先輩は海が荒れていると言った。それは大平洋を見て育った私からするとごくふつうの穏やかな波だったのだが、瀬戸内育ちの先輩からすると充分に荒れているように見えたらしい。
 それと刺身がカツオやマグロの赤身ばかりであることにも驚いていた。先輩にとって刺身とはタイやヒラメの白身であった。先輩は上京して初めて「鉄火丼」を見たときたまげたという。そりゃ真っ赤っかだからなあ(笑)。
 一方私は関西系の上品な「白身魚」なんてほとんど食った記憶がない。
 狭い日本だが充分に広くもある。長年親しくおつきあい願ってきたM先輩の素朴な言葉だけに重みがあった。
 大平洋を見て育った人と瀬戸内を見て育った人では気性に差も出よう。景山民夫が悪口を書いていたが、四方を山に囲まれた盆地で育った人には獨特の気風も出よう。

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 いま私の住む地は東京では奥まったところである。埼玉に近い。海に遠い。しかしむかしと違うんだから「海から遠いので新鮮な魚がない」はありえないだろう(笑)。この辺の人は生寿司や刺身は食わないのか? 
 刺身はさすがにどこのスーパーにもあるが貧相な盛りつけで信じられないほど値段が高い。どうしても田舎と比べてしまう。とても買う気になれない。これはやはり茨城の大洗近くだった田舎のほうが充実していた地の利はあるだろう。果たして流通コストによりどの程度の差が出るのかわからないが。
 しかし品川と比べても格段に落ちる。品川のスーパーの刺身は、どこに行ってもなかなかのものだった。

 どうもこの辺の街は、身なりはきちんとする、教育費、文化費は惜しまない、のような教育文化都市である代わりに、食費は極力抑える、のような傾向があるように思う。スーパーにある酒の品揃えも貧弱だ。私からすると無意味に気取った街に見える。
 私は、見た目は清潔でありさえすればいい、であり、浮いた被服費で食は贅沢に、という方だから、こういう街と合わないのは当然とも言える。

 私はいまだにこの街が好きになれずなじめない。それを単なる感覚的なもの、品川への未練と思い、克服せねばと意図していたのだが、こんな視点から見ると、なじめなくて当然という確たる理由もあると気づいた。

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 廻転寿司から持ち帰り(06/11/30)
 私の住んでいる気取った文教都市(笑)とやらには下品な回転寿司なんてものはない。乗り換える大きな街にはある。
 ある日いつものように日本酒と寿司が食いたくなった。買って帰りたい。しかし売っているスーパーまで歩くのも面倒だし、なにより午後9時のスーパーにある生寿司がどの程度のものであるかはわかっている。あのしなびたような寿司は食いたくなかった。
 そこで先日金沢のKと寄った、その乗換駅の廻転寿司が持ち帰りできるのではないかと思いついた。行ってみるといくつかの商品例が並べてあった。そのうちのふたつを作ってもらう。ガリをたっぷり入れてもらい、スーパーで「菊水ふなぐち」を買って帰宅した。

 ところで、スーパーなんぞの寿司を買って帰宅し、ひとり晩酌で食うというのは見ようによってはものすごく貧乏くさく寂しい風景かもしれない。しかし私はそれが好きなのである。自分の部屋で好きな本、雑誌、新聞、マンガ、テレビ、ヴィデオ、あるいはゲームなどと一緒に食するのがたまらない楽しみなのである。
 男の寿司の基本(?)は寿司屋のカウンターだろう。カウンターに座って店主と会話しつつ目の前で握ってもらう。時価なんてのにもびびらず挑む(笑)。それが本筋だ。
 そういうことをやってみたこともある。でも私には合わない。『東スポ』を読みつつ食いたくなってしまう。それは店主に失礼である。
 今の私は時価をおそれずに注文できる立場にないので寿司屋のカウンターには行けないのだが、仮に行ける立場にいたとしても行かない。私には合わないのだ。もちろん友人と一緒なら話は違う。あくまでもひとり酒の話である。

 廻転寿司の持ち帰りは大成功だった。なにしろ流行っている店だから目の前で握ってくれる。パートのおばさんが作って何時間も陳列していたものよりも遙かに新鮮でうまい。そして値段も同程度だ。なぜもっと早くこのことに気づかなかったのかと悔やまれる。
7/26(水)
 強いのも問題あり……

 日本酒が飲みたくなった。というかキンキンに冷えた「菊水 ふなぐち」を飲みたい、と銘柄まで決まっている。冷や酒だ。肴は当然刺身になる。
 帰宅してすぐ自転車で走った。うまい刺身のあるスーパーがある。すこし遠い。酒のためなら厭やせぬ。
 刺身を買い、「菊水 ふなぐち」を買う。アルミ缶に入った200cc。290円。これは全国的にはそんなに見かけないのだが、なぜかこの辺のスーパーにはよく置いてある。なぜだろう。それを3缶買った。1缶はまたの日のためにとっておく。予備である。2缶でごちそうさまでした、の予定だった。
 うまいのなんのって。あっという間に3缶を開ける。
 気づいたら自転車に乗っていた。買い足しである。もういちど閉店間際のそのスーパーまで行き、刺身と寿司を買ってきた。



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(27日)
 目覚めたのは朝の7時。すこし頭が重い。けだるい。軽い宿酔い。昨夜は零時ぐらいまで飲んだのか。なにもせずそのまま眠り、7時という遅い時間に起きたのに、まだ寝たりない感じだ。
 今の仕事に関わったのが7月10日。初めて「休もうかな」と思った。ズル休み。急ぎの仕事もないし休むことは可能だ。誰にも迷惑は掛けない。でも理由が宿酔いではなさけない。どうせなら頭の中に創作意欲が渦巻き、書きたくてたまらないときに休みたい。午前3時から机に向かい、とてもじゃないが中断できないというときが望ましい。

 7時40分になんとか起きだし8時5分の電車に乗った。飯も食わん。朝風呂も入らない。洗顔と歯磨きがやっと。
 部屋を出る前、テーブルの上の空き缶を見ると10缶あった。200cc×10本で2㍑飲んだのか。そりゃそれだけ飲めば多少は残る、もう齢だし。「菊水 ふなぐち」は普通の日本酒より度数も高い。

 電車の中でも読書をする気になれず、つり革にぶら下がり、ぼけーっと通り過ぎる風景を見ていた。深酒はよくない。反省した。これじゃただの酒好きサラリーマンである。めったにないことだけれど。

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 私は酒を飲まなくても平気である。だが飲み出すと、気持ちよく酔うまで飲みたくなる。体質的に強いから、気持ちよく酔うまでの量は、弱い人から見たら大量になる。

 むかしのことだが、さして親しくない人、たとえば母の友人に頼まれものを届けたりすると、ビールを出されたりする。ご主人が一緒に飲む。ふたりでビール二本も飲むと向こうは真っ赤になり、酔った酔った、いやあ今日は愉快だと出来上がる。奥さんは「あなた、もういいかげんになさい。ほんとにもうお酒には目がないんだから」と言い、その家としては大酒を飲んだことになるらしい。もうそれでお終いだ。こちらはやっとエンジンに火が点いた状態、蛇の生殺し、こんなことなら出さないでくれが本音になる。

 奇妙なのはこういう人に限って、「いやあぼくは酒が好きでね、毎晩晩酌をやらないと眠れないんですよ」と言い、女房も「ほんとにもう肝臓を壊すからやめなさいって言ってるんですけど、誰に似てこんなにお酒が好きなのか」なんて言っていたりすることである。おめでたいこっちゃ。
 もっともこういう人に限って肝臓を壊し、その原因がこの少量の酒だったりする。人それぞれだ。

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 会社で隣の人は「ビール1缶でもう充分です」と言っていた。うらやましい。
 またある人は、「お酒は大好きですよ。毎晩晩酌をやらないと眠れません」と言っていた。でもこの人もビール2缶だった。そういうのは私の場合、酒には入らない。それに酒が睡眠薬ってのはおかしい。

 私は父からもらった体質で、上京して初めて飲んだときから強かった。しかし人生は、仕事上で酒を飲まねばならない環境とは無縁である。酒とは友達と飲む楽しいものだった。三十代後半から獨酌の楽しみを知った。
 母からもらった体質で飲めない兄は、営業マンになり、仕事上必要なので、吐きながら強くなろうと努力したという。酒は努力して強くなるものではない。この人も実態は「ビール1缶で充分」の人だ。でも兄嫁は、「お酒って努力で強くなるんですねえ。毎晩ビールを飲むんですよ」と驚いている。これまた平和な世界。兄嫁の前で私が本気で酒を飲んだら腰を抜かすだろう(笑)。

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 先日友人から聞いた話。世の中には、実際はあまり強くないのに大酒飲みだと自分を演出する人もいるそうだ。わかるようなわからんような。

 でもそれってチンチンに真珠を入れるのと同種なんじゃないかな。女に最高の快楽を与えるのに真珠は関係ないように、豪傑であることと飲酒量は関係ないだろう。自滅派の詩人やロックミュージシャンにドラッグはつきものだが、それらと無縁の芸術家がいてもいいだろう。
 ただ、そういうふうに自分を演出し鼓舞して行く方法はありかとも思う。芸能人がよくやる。「どんなに貧乏してもクルマだけは常に外車に乗っていた」とか、「必ずチップをわたす。ある日タクシー代しかなかった。でもそれをチップでわたし、5時間歩いて帰った」とか。いわゆるやせ我慢の美学である。それを励みにして自分を盛り上げて行くなら酒豪を気取るのもありだろう。むしろ「まったくの下戸でして、ぜんぜん飲めないんです」と嘘をつきたい私にはわからない感覚だ。

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 思い出した。どうでもいい話。
 チェンマイで知り合ったある人。そういうふうに酒豪だと豪語していた。みんなが昼からビールを飲んでいる『サクラ』では、ほとんど飲まない。どうしようもない酒飲みなのでチェンマイではセーブしているのだという。止まらなくなってしまうからと。それに、ビールは酒じゃないよね、なんて……。
 私は純で単細胞なのですなおに信じた。

 日本に帰国しているとき、赤坂で会った。
 今日はおもいっきりいけるのだろうと飲んだ。かといって暴飲ではない。私はそんなことはしない。酒に失礼だから。いつものよう、うまい肴を注文しつつ、自分のペースで飲んだ。なのに途中で酒豪のはずのその人がぶっ倒れてしまったのである。それからがたいへんだった。
 今までの大言壮語もあり、その人も無理をしたのだろう。日本酒に関するうんちくをぶっていたこともあり、その人が日本酒を注文したのだが、じつは一合をちびちび嘗めるように飲むぐらいだったようだ。それじゃ私のペースだとぶっ倒れる。
 私はほらを吹いたことがないので、こういう人の感覚は理解できない。ほらもそれはそれでおもしろいだろうけど、すぐにバレるのは吹かないほうがいいだろう。

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 そうして27日の朝、「もうしばらくは酒をやめよう。朝の気分がこんなにわるいのでは仕事に差し支える。なにより昨夜はなにもせずにただ寝ただけではないか」と反省した。
 なのに昼になると酒はきれいに消え、夕方には猛烈にまた飲みたくなってきたのだった。こまったもんだ。

 と書いているこれがじつはカンビール1缶で真っ赤になるヤツのホラだったらおもしろいね(笑)。



 19度あるのか。どうりでうまいはずである。それを2㍑飲めば宿酔いにもなるな(笑)。

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