1/31  手紙文学に関する素朴な疑問──宮本輝&真保裕一

 真保裕一「追伸」を読んだ。手紙だけで構成された小説である。

 この形式で真っ先に思い出すのは宮本輝の「錦繍」だ。



内容(「BOOK」データベースより)
「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」運命的な事件ゆえ愛し合いながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る―。往復書簡が、それぞれの孤獨を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。


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◎作家の変換期

 私は初期の宮本作品の大ファンである。「泥の川」「蛍川」「幻の光」等。
 作家には大きな転換期がある。読者がその作家の読者であり続けられるかどうかは、その「大変換期」についてゆけるかどうか、による。なんとも稚拙な言い回しだがとりあえずニュアンスは伝わると思う。
 転換期とは有名作家になるまでに溜めてきたものを吐き出し、あらたな活動期にはいるときのことだ。そのとき「何を選ぶか!?」が読者にとっては分かれ目になる。そして選んだそれを「支持できるか!?」で好き嫌いが決まる。

 宮本さんの場合で言うと、三十歳で芥川賞をとるまで、とってしばらくは、それまで自分が生きてきた世界がテーマだった。大阪の貧しい庶民の世界である。
 それはやがてつきる油田だから、それで食いつないでいるあいだにあらたなエネルギー資源を探さねばならない。彼はそれをヨーロッパ、それも東欧に求めた。
 私はこの時期の作品も、ここを通り過ぎたあとの美食や性をテーマにした作品も読んでいるが、どうにもそこに作家の「テーマの補給」というものを感じてしまい好きになれない。
 宮本さんは若いときからヨーロッパを放浪したわけでもないし、裕福な家庭で美食三昧をしてきた分けてもない。まして青春時代、乱れに乱れた性の世界を生きてきたわけでもない。むしろ早婚だったから家庭と母を守るためにかなり堅実な人生を歩んできた人だ。体験至上主義ではないが作家として名を成してから文学のために宮本さんが身につけ、作品のテーマとしたものよりも、それ以前のものに惹かれてしまうのはいかんともしがたい。
 
 一般に芥川賞作家はそんなものである。世に認められた自分の特質を守る。守ると言うよりそれしかないのか。車谷長吉などその典型的なタイプだ。だが彼が直木賞作家で宮本さんは芥川賞作家なのだった(笑)。
 宮本輝さんは芥川賞作家という範疇にとどまらず多種多様な小説に挑んだ偉大な作家なのだろうが、新境地を切り開く努力の課程が私のようなのにも見えてしまうところは問題であろう。

 と、宮本輝論はさておき、書簡形式の傑作「錦繍」は、初期宮本の「大阪下町」と、「東欧」の真ん中に位置する、「ちょっと高級な関西」になるだろうか。いいかげんに書いていると熱心な宮本ファンからお叱りを受けそうだが、それほど的はずれでもあるまい。大阪の下層階級を書いたあと、すこし上品な神戸の家庭などを書いたりする時期がある。「錦繍」は年譜的にはそのあたりに位置するものだろう。脱線してしまった。やっと本題。


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◎書簡形式小説に対する素朴な疑問

「錦繍」は






手法としては手紙のやり取りで古典的だそうですが、最近の小説の中では逆に新鮮な感じで、すらすら読めました。当然手紙のやり取りですから、普通の小説よりも、情景を描くのが難しい中で自分がこんな手紙を書けるだろうか?書いてみたいと読者を思わせながら、小説を見ることができました。意外な結末はありませんが、常識的な内容は納得できると思います。


出版社 / 著者からの内容紹介
50年前、殺人の容疑で逮捕された祖母と無実を信じる祖父の間で交わされた手紙には、誰も知ることのない真実が語られていた──








祖父と祖母の手紙も、お互いに思いやりにあふれ、胸が熱く なった。
だが実際に、こういう内容の手紙を書けるものなのだろうかと いう疑問も残る。平凡な生活を送る平凡な人が書いたとは思えない。 「普通の人はこんなふうに書かないのでは?」と不自然に感じるところが あり、完全には感情移入ができなかった。






3/3

book
 図書館の西原人気

 図書館での西原理恵子人気はすごい。いつ行ってもみな貸し出し中だ。そんな中、唯一あるのが伊集院静とのコンビ本。これはもうどこにいっても必ずある。西原関係の本はみな貸し出し中なのに、唯一残っている。だから借りる。でもこれ伊集院の本だ(笑)。せっかく借りてきたのだからと読む。つまらない。後悔する。返す。その繰り返し。そう、せっかく借りに行ったのだからと、なんどか同じ事をやっている。ばか。
 
  そんなに好きなら買えば? と言われそう。買っている。けっこうもっている。あのアマゾンに出かけたのなんて、引っ越しの際の何度もの大量焚書をくぐり抜けて残っている。「恨ミシュラン」はあったか? 前回の焚書で焼いたような。あれはコータリの本だし、なにより出版がアサヒだった。カモちゃんの本はまだ何冊かもっているが次の焚書で焼かれそうだ。

  最近の母親シリーズに、買うほどの興味はない。かといって読みたくはある。なので図書館、という流れ。しかしいつ行ってもどこでもみな貸し出し中なのである。
  私は「予約」というものをやったことがないし、する気もない。そこまでして借りるなら買えよ、と思う。なのに買わないから堂々巡り。いつまで経っても近年のサイバラを読めずにいる。
 
  立ち読み、という手がある。だが私の住んでいる地域でサイバラの本をそろえている店はない。いったいどんなところに住んでいるのかと笑われそうだが現実である。
 
  今朝は、カフェラテを作って飲んでいたらサイバラが読みたくなった。がまんするとすぐに忘れる。しばらく後、また思うことになる。同じ事を書かないようにメモ。

3/4  池波正太郎の絶筆「梅安冬時雨」──「梅安」の品川目黒

「藤枝梅安 冬時雨」を読む。今まで読まないよう避けてきた一冊である。
 というのは、これが池波正太郎最後の作品であり、物語が中途のまま、巻末に「絶筆」とあるのを知っていたからだ。そんなかなしいものには触れたくない。
 今回、もう全作品読んでいるのだから、いつまでもこだわっていてもしょうがないと、思い切って読んだ。それでもやはり巻末にある「絶筆」はこたえた。体調のことがあって、すこし筆が乱れているように感じた。雑だと。単なる思い過ごしだろうか。
 
 私が今回読んだのは、図書館で借りてきた初版の単行本だ。だから手元にあるこの文庫本は不適切なのだが、それでも掲載するのは、ほとんど同じだからである。一般に単行本と文庫本はがらっと感じが変る。それは担当者の好みでもあろうし、変えたくなる気持ちもわかる。
 
 ところがこの文庫本はほとんど変っていない。単行本に使われていた挿絵が表紙になっている。これが池波師が描いていた梅安のイメージである。文章ともあっている。こういう顔の大男が梅安だ。


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「梅安」には「鬼平」とも「剣客」ともまたちがった思い入れがある。地である。私は東京に三十年以上住んでいるがそれは品川と目黒のごく一部だけだ。というかそれしか知らない。それが私の「東京」のすべてになる。一昨年、江東区に半年ほど関わったが、まったくの別世界だった。異国とすら感じた。

 目黒品川といってもまた広くなるのだが、私の住んでいたのは池波師の描くそれにもろに当たる。
 師のお住まいがあったのが戸越銀座である。私は武蔵小山と旗の台に住んでいたから戸越銀座もまた手のうちだ。武蔵小山商店街を抜けると戸越銀座に繋がる。そこを抜けると旗の台だ。
 住まいから戸越側ではなく目黒側に行くと、すぐに碑文谷、目黒不動尊だった。

 その辺の5キロほどが私にとって東京のすべてになる。そこしか知らない。三度ほど引っ越したがみなその地域だった。東京に十年しかいなくても、何度も引っ越し、ほぼ全域を知っている人もいる。私は三十年以上いるのにほんの狭い地域しか知らない。しかしそれは井の中の蛙が大会を知らなくても空の深さを知るように、それだからこそいとしい東京になっている。それが目黒品川である。

※  ※  ※
 
  池波師は、昭和四十三年から始めた「鬼平」の連載で一気に名を挙げ、昭和四十六年から「剣客」「梅安」シリーズも始めた。
「鬼平」は実在の人物であるから役宅の場所等は決まっている。これは江戸下町の本家である江東区や台東区、墨田区の住人のほうが親しめる。

 純粋なフィクションである後二作は舞台設定を自由に出来る。「梅安」の住居が「品川台町」になったのは、師が戸越銀座に住んでいたことと無関係ではあるまい。品川と目黒不動尊、碑文谷神社、それらが頻繁に登場するだけで、土地勘のある私はうれしくなる。五反田から大崎のあたりもよく舞台になる。雉の宮もよく登場する。なにしろ私は東京の他を知らない。知っているのはそこだけだ。それが舞台なのだからうれしくてたまらない。「梅安」が他のどんな時代小説よりも特別なのはそのことによる。

 江戸っ子である池波師は、変貌してゆく東京に絶望し、自分の中に江戸を創ったと言われている。自分の中に理想的な江戸を創造し、そこの住人となった。そのことで満足を得た。それによって現実の東京への失望を断ち切ったと。
 それはすばらしいことであるが、同時に脳内世界のむなしさでもある。どんなに充実していてもそれは現実世界ではない。

  現実ではどうしたか。
  師はパリを愛した。
  わかる。パリは変らない。変らない美徳にパリっ子がこだわっている。あのフランスの頑固さはかっこいい。江戸は東京となり、東京は軽薄に尻軽に醜く変貌していったが、パリは百年前、二百年前と変らないまま存在している。
  時代小説家の池波師は、しばしばパリに出かけ、JAZZを聴いた。そして帰国して、一見それらとは正反対のようでいて、実は同質である「鬼平」を「剣客」を「梅安」を書いた。
 
  先生のお宅に歩いて十分ほどのところに私は長年住んでいた。もしかして商店街では散歩中の先生と何度かすれ違ったかもしれない。だが当時の私は時代小説に興味がなかった。読んでいない。もし先生とすれちがっても気づかなかった。
 パリを知るのも、JAZZに魅せられるのも、ずっとあとである。
  しかたのないことだ。池波師が東京に絶望してパリに惹かれていったように、私にも時代小説やJAZZに興味を持ってゆく順を追った流れがある。
 
  いまこうして、氏の作品を楽しめる自分に満足すべきなのだろう。
「梅安」の彦さんが大好きな湯豆腐を作り、「剣客」を楽しみつつ……。

3/24
 「剣客商売」通読記



出版社/著者からの内容紹介
勝ち残り生き残るたびに、人の恨みを背負わねばならぬ。それが剣客の宿命なのだ。
剣術ひとすじに生きる白髪頭の粋な小男・秋山小兵衛と浅黒く巌のように逞しい息子・大治郎の名コンビが、剣に命を賭けて、江戸の悪事を叩き斬る。
田沼意次の権勢はなやかなりし江戸中期を舞台に剣客父子の縦横の活躍を描く、吉川英治文学賞受賞の好評シリーズ



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 今日は半日かかってPCとプリンタの接続をやっていた。
 Vistaの調子が悪くなり去年7月のバックアップにもどしたのはいつだったろう。ブログに書いた。調べる。3月7日か。いまのPCがプリンタを認識していないと気づいたのは今日だから、二十日近く私はプリンタを使っていなかったことになる。
 南関東4場のネット馬券<SPAT4>に加入して、連日馬柱をプリントしていた記憶があるが、あれは3月7日以前だったことになる。

 プリンタドライバ、スキャナドライバをDownloadして挿れれば、簡単にゆくはずだった。いままでなんどやったことか。手慣れた作業である。
 ところがなぜかインストールが終り、最終の仕上げ、「プリンタを自動認識しています。お待ちください」が、「自動認識できませんでした」になってしまう。インストール失敗である。これをもうUSBケーブルを差したり外したり、違うのに換えたり、再起動したり、ドライバDownloadをやり直したりと、やれることをぜんぶやった。何回やったことか。どうにもうまく行かない。
 結局、OSを一週間前の状態に復元することによって、やっと解決したときには半日経っていた。

※  ※  ※

 いまプリンタなどほとんど使わないし、修理はあとでもよかった。いかに使わないかはプリンタを認識できないOSで二十日近くを過ごしてきたことでもわかる。不便はなかった。

 なのになぜそんなにむきになって修理したかというと、もうすぐ返却せねばならないこの本、図書館から借りてきた新潮社の「剣客商売 全集 1992年刊」の表紙をスキャンして入れたかったからである。いま世に出回っているのは上揚の文庫本だ。ぜんぜん雰囲気が違う。

 それが左の画である。

「剣客商売」の通読を終え、ホームページに感想を書くとき、私はどうしてもこの全集の画が欲しかった。スキャナーを動かすためにはプリンタとの接続が必要だ。まあどうしてもだめだったらデジカメという手もあったが、そんなわけでひたすら半日、なんとか接続しようと苦労していた。やはりこの画があるのはうれしい。

 写真は第七巻。 これは薄紫だが、このカラーの部分が萌葱色だったり、浅黄色だったり、巻により色違いになっている。こういう凝った全集もそうはない。

 全集は全八巻。それと登場人物について解説した薄手の別巻がついている。古本屋でまとめ買いしたらかなりの値段だろう。16年前のものだ。

 文庫本は全部で16冊。これは単行本と同じ。全集は一巻に二冊収めていることになる。




 この表表紙の真ん中部分のアップが左。字体も金と紫の色合いも、なかなかに雰囲気があっていい。
 これは篆刻。坂野雄一氏の作。

 文庫本の表紙もわるくはない。あれは作中に使われた挿絵であり、この全集の中にも同じく使われている。
 この種の挿絵の「塗り絵ごっこ」もいま流行っている。「鬼平」の本としてアサヒのカルチャースクールから出ていた。
 挿絵は一貫して中一弥氏の作。


※  ※  ※

 背表紙にはこの題字がある。坂野雄一氏の筆による。文庫本の活字とはいかに雰囲気が違うことか。この辺は高価な全集の味わいである。でもこういうのって坂野氏から許可をもらって文庫本にも使って欲しいと思うのだが、どうなのだろう。あくまでも全集用の書だからだめなのか。まあ「全集」とあるけれど。
 時代物の本にはゴチック体よりこんな書体を望みたい。



 私の「剣客商売」体験は、外国に行くときに思いつきで買った何冊か。16冊の半分もないだろう。それも飛び飛び。それとさいとうプロの「劇画 剣客商売」。これも半分ぐらいか。第一話から最終話まで順追って全作読んだのは今回が初めてだった。要するに「剣客商売」に関して意見を言えるような通ではない。が、同時にまた、「剣客商売」はそういう堅苦しいものではないことが最大の魅力だろう。順を追って読むに越したことはないが、どこから読んでも楽しめる。

 餘談ながら、外国で読む時代小説はいい。上記「梅安」の項に書いたように、池波師は、変らない古き良きパリに江戸を偲んだ。
 ヨーロッパの古い町で読む時代小説は違和感なくとけ込んでくる。作品に没頭し、江戸の町中を走り回っていて、ふと目を上げるとそこがフランスだったりベルギーだったりすると、なんともいえない気分になる。

 藤沢周平師も随筆の中で同じ事を言っている。藤沢師は池波師のように頻繁に外国に行ったわけではない。外国の作品と時代小説の共通点だ。ヨーロッパの某小説(失念。すみません)を、「あれは私の書いているのと同じ時代小説だと思う」と書いている。良いワインと日本酒の共通点のようなものであろう。

※  ※  ※

 さて感想だが、順を追って全巻通読し、なんともせつない気分になってしまった、まいった、というのが本音である。
 それは今まで文庫本の解説でさんざん読んでいたので想像できたことでもあった。

「鬼平」と「梅安」が未完のままの絶筆となっているのに対し、「剣客」は最終章「浮沈」で完結している。
 実在の人物をモデルにした「鬼平」は別物になる。物語はほとんど池波師の創作なのだが、やはり実在したというだけで架空の人物とは、こちらの思いこみのおもむきが違ってくる。長谷川平蔵は火盗改め長官を退職したあと、まもなく四十九歳で亡くなっているが、その模様がもし描かれていたとしても、さほどの感慨はなかったと思う。歴史上の人物だから。

 池波師が創り出したふたりの人物で言うと、「梅安」は物語の緊迫の中で絶筆となった。人を殺めてきた自分がまともに死ねるはずがない、そろそろその時期が来たようだ、のような台詞が作中で何度も語られている。梅安の最後は決してハッピーエンドではなかったろう。
 池波師は「梅安」を書くことのつらさ、むずかしさをよく語っている。いくら悪い奴しか殺さないとはいえ、金をもらっての殺人業だから、どうしてもそれがつきまとったらしい。もっともっととせっつかれても、そうは書けない、と記している。「梅安」も書き続けられたなら、池波師の人生観からして、かなしい結末を迎えたろう。だが緊迫の中で絶筆となった。

 唯一「剣客」だけが完結している。まだ小兵衛は生きているが二十数年後に九十三で死ぬこと、四十下の女房のおはるや親の代から親しかった弥七のほうが先に死ぬことが書かれている。なんともその辺の筆致がわびしくさせる。つまりそれは「完結したゆえのせつなさ」である。



 多くの解説や感想文で指摘されていることだが、通読すると誰にも、池波師の心境の変化が読みとれる。書き始めたときの池波師は四十代である。六十になる小兵衛を老境として書き始めたが、ご自身が元気いっぱいだっただけに、作品もまた若々しかった。ところがシリーズものとして書き続けているうちに、のんびり進む小兵衛の年齢を池波師の実年齢が追いつき、追い越してしまう。池波師の体力も六十代になってガクっと落ちる。
 その辺の変化が、相変わらず小兵衛は「二十人斬り」をやってのけるほど鬼神のように強いのだが、存在の輪廓が薄くなってくるようで、ものがなしい。

 そうして池波師は、小兵衛を九十三まで生きるよう設定しつつ、ご自身は六十七歳であっさりと逝ってしまう。急性白血病だった。書きかけのままの絶筆があるように、それは突然の体調不良であり、死だった。だが死の数年前ほどの作品には、すでに獨特の無常観が漂っている。

「梅安」は、物語途中の絶筆でよかったのかもしれない。無事完了した「剣客商売」を読んでそう感じた。



 藤沢師の随筆を読んでいると池波師が出てくる。
 藤沢師は、山本周五郎からの影響がないこと、司馬遼太郎の作品とも縁遠かったことを、随筆の中で、波風の立たないよう、周囲に気を遣いつつ遠慮がちに書いている。それは、そんなことは自明と思う私からすると、もどかしいほど奥ゆかしい。お人柄なのだろう。
 一方、池波師と気が合うこと、バーで偶然に会って言葉を交わしたことなどが生き生きと描かれている。藤沢師と池波師を慕うものとしては、おふたりが気の合うことは我が事のようにうれしい。そのはずなのだ。私は藤沢師を山本の後釜としてしか位置づけられないひとを嫌う。なんという貧しい解釈なのだと。両者はまったくの別物である。

 藤沢師の項目に池波師とのことを書こう。
 ともあれ「剣客商売」通読完了である。

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 別巻があった──別巻「黒白」


 これが別巻の装丁。全巻色違いになっている。本編全集は淡色で統一されていたが別巻なので濃色。こんなおしゃれな装丁の全集見たことがない。



 今日図書館で読破したはずの「剣客全集」の棚に、ひときわ分厚い「別巻」があるのを発見した。知らなかった。どなたかが長期間借りていて返却が遅れたのだろう。

 秋山小兵衛と対決する剣士、波切八郎側から描いた長篇である。三十二歳というまだ獨身の小兵衛は脇役として登場するのみ。しかしこれ、早速読み始めたが、本編以上におもしろい。傑作である。(と、ここではまだ三分の一ほど。読了してからまた書こう。)



 読了した。小兵衛は三十二歳。まだお貞と結婚もしていない。作中でする。もちろん大治郎はまだ生まれていない。
「剣客商売」物語の中心は秋山小兵衛の五十八から六十四ぐらいである。これはちょうどその三十年ちかく前に舞台を設定しての物語になる。
 なかなかに厚い単行本二段組み一冊なので、文庫本だと二冊組だろう。調べてみると、文庫本は上下巻、タイトルは「番外篇」となっている。
 本編の中にいくつかある長篇でも文庫本一冊分だったから、「剣客商売」全作の中で、最長篇になる。

 本編の中では思い出話として登場するだけのお貞が、生身の女として生き生きと動いていたりして、「剣客」ファンにはたまらない一冊となっている。この設定で別冊を書いたことは、池波師の作家のアイディアとしても、大ヒットであろう。全八巻の中の隙間に、この物語の時代が、しみじみと染みこんでくる。

「これだけを読んでも十分に楽しい」との書評もある。たしかにこれだけでも楽しめるけど、これはやはりすべてを読んだあとの一冊がいいように思う。

「本編以上におもしろい」は私の本音だけれど、それもまた「本編を読んでいるから言えること」であり、これだけを読んでも、受ける感動は十分の一だろう。
 こういうカギカッコのつけかたも池波師の影響である(笑)。氏の作品にはやたらこういう書きかたが登場するので、読んだあとは「しばらく誰もが」こんな影響を受ける。のである(笑)。



 この「黒白」の前半はまるでミステリィだ。抜群におもしろい。ある程度謎が解けてしまった後半はすこしだれる。それでも最後に小兵衛が活躍を始め、巻末で「今」になり、関わった人たちへの回顧が清々しい。高松小三郎との関係はうるわしい。
 時間通りに進んだ第八巻を読了し、おはるも弥七もみな死んでしまい、小兵衛のみが九十三まで生きる結末を示唆されて、私はわびしさを感じていた。
 この別巻がそれをぬぐってくれた。これはありがたい効果だった。

 いまネットの感想文を読んだら、「文庫本16冊の内、半分ぐらいを読んだところで、番外篇のこれを読むとちょうどいいのではないか」との意見があった。その感覚をそのひとは「いわば箸休めに」と書いていた。
 私はこの意見に反対する。これは正篇をすべて読み終ったあとに読むべきものである。「箸休め」に対抗して言うなら「食後のデザート」だ。八巻を読んで苦いものを感じた心を、あまく癒してくれるフルーツである。

 マニアは何度も読むらしいが、私はしばらく秋山小兵衛から離れていたい。名作のパンチはヘヴィだ。効く。通読しての感想は、楽しかった、おもしろかった、また読みたい、とは程遠い。むしろかなしくせつなくなった。
 また読みたくなるのはどれぐらい先だろう。
4/29  池波正太郎「梅雨の湯豆腐」──彦さんが死んじゃった!

 以下述べることは、大の池波ファンからすると初歩的な智識であり、失笑ものでしょうが、半端ファンとしては新鮮な衝撃でした。そのへんを御容認してお読み下さい。

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「池波正太郎短篇全集─中巻」を読んでいたら、「梅雨の湯豆腐」という短篇に、「梅安」の相棒、彦さんこと楊枝作りの彦次郎が登場した。

 彼にかぎらず短篇集には「鬼平」「剣客」「梅安」の三大シリーズの脇役陣が主人公となって登場するものが多い。そのこと自体は上巻から読みすすんで慣れていたのだが、結末であっさりと殺されていたのでおどろいた。「ひ、彦さんが死んじゃった!」のである。

 いくつかの設定が似ている「後々の原形」であるならまだしも、仕掛け人に到る背景、職業の楊枝作り、湯豆腐好きのような食の好み、細部に到るまで「梅安の彦次郎そのもの」なのである。完成されたキャラだ。それが死んじゃった……。

 物語途中のまま絶筆となった「梅安シリーズ」の方を先に通読し、仕掛け人という殺人稼業の梅安と彦次郎の悲惨な最後をたびたび暗示する内容に、「知りたくない、読みたくない。死ぬところまで書いてくれなくてよかった」と未完であることにむしろ感謝していた身としては、大好きな彦さんの死ぬ場面に予期せぬところで遭遇し衝撃を受けた。



 この短篇全集の発行元は立風書房。二段組のぶ厚い三册セット。現在は立風から文庫本10冊になっているらしい。立風としてはじつにおいしいところを抑えていたことになろう。

 現在、三巻セットのちょうど真ん中だから、全短篇の半分を読んだことになる。
 池波師の時代小説で絶讃されるのは、「獨自に構築された池波流江戸世界」だ。長年かかってあちらこちらに書いたこれらの短篇集をまとめ読みすると、その絶讃される「江戸世界」が次第に構築されてゆく現場を見ているようで楽しい。だんだんと完成されてゆく一軒家の大工仕事を見ているようだ。



 これらを基礎として「三大シリーズ」が始まる。池波師、四十代後半から亡くなるまでのライフワークである。それはそれまでに単発で創りあげてきた池波キャラの「全員集合」になる。舞台の上に勢揃いである。

 しかしことばを変えると三大シリーズのそれは、全員集合「でしかない」。
 日本全国の商店街の名物だった店が、東京の物産展に集合し、テナントとしてテレビで紹介されるようなものだ。一気に全国区となる華やかな場だが、味わいとしては、田舎の商店街で、地元の有名店としての姿のほうが魅力に溢れている。
 三大シリーズで見掛けたことのあるキャラが、短篇集で初登場のシーンに接すると、「ああ、最初はこうだったんだ」と、テナントで派手なはっぴを着ていた商店主の地味な素顔を知ったような気分になれて楽しい。



 しかしまたことばを変えると、三大シリーズへの再登場は、ごく一部のひとしか知らなかった田舎の商店主を全国区にする価値あるイベントでもある。そのことによって田舎の一商店主で終るはずのひとがテレビで活躍する人気者になったりもする。
 短篇で描かれた「江戸市井の、よくあるちょいとした話」が、衣裳を替えて「鬼平」の佳作として甦るのを見ると、拍手を送りたくなる。池波ワールドの真骨頂だ。

 中でもこの「楊枝作りの彦次郎」は、一短篇の主人公としてすでに死んでいながら、「梅安」の貴重な相棒として生き返り、仕掛け人として活躍する稀有な人である。
 死なせてしまってから数年後、仕掛け人シリーズを思いつき、主人公の梅安のキャラを設定する、話の展開上どうしても相棒が必要となり、そのとき池波師は、かつて登場させ、すでに殺していた彦次郎を思いついたのだろう。黄泉の世界からのカムバックである。いや、梅安というキャラも、彦次郎からの逆算?で生まれたものなのかも知れない。それだけ池波師にとっても彦さんはかわゆい(←池波流)キャラなのだ。
 駿河の地名藤枝も短篇のあちこちに登場する。「梅安」という名を思いつくまでには苦労したらしいが、苗字にあてる「藤枝」はすんなり決まっていたようだ。



 一度死んでしまったのに生き返って活躍したキャラというと、「男はつらいよ」の寅次郎がいる。テレビ時代、最終回で彼はハブに咬まれて死ぬ。それをリアルタイムで見ていたものとしては、そこから生き返り、映画になっての大活躍になんとも不可解なものを感じた。子ども心に「死んじゃうなんてあんまりだ」と思ったから、生き返ったのは嬉しいのだけど、「でも死んだんだよな」は引きずる。あのころの寅次郎って凶暴だった。もろにチンピラである。

 さて、私にとって大切な「順序」であるが、これはこれでよかったと思う。70年代、80年代から時代小説を読み漁り、この短篇を知っていて、それから「梅安」を読み、「梅安の彦次郎って以前死んでるんだよ」というウンチクをもっていなくてよかった。私にとってそれはいらざる智識だった。いま知って、ちょうどよかった、は本音である。

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 池波マニアにとっては常識なのであろうこのことを、恥ずかしげもなく今ごろ書いたのは、意外にそれがとりあげられていなかったからだ。さすがWikipediaの「池波作品の登場人物」には、しっかりと梅安の相棒である彦次郎は最初短篇で登場し、そこで死んだ人物であることが記されていた。それはいま調べて知ったばかり。よかった、これも前もって知らなくて。
 Wikipediaで「へえ、そうなの」と豆知識として知るのと、「梅雨の湯豆腐」を読みすすんで、「えっ!」とおどろくのでは味わいがちがう。

 しかしネットで感想文を探してみると、短篇「梅雨の湯豆腐」は、あの彦さんが死ぬということよりも、圧倒的に「湯豆腐のうまさに触れた文章」として取りあげられているのだった(笑)。
 私の大好きな彦さんは、あんまり人気がないのか? 「梅安」を通読し、さいとうプロの「劇画版 梅安」も読み、彦さんのキャラが大好きな私には、あの彦さんが殺されてしまう衝撃の短篇なのだが、そういう思い込みとは無関係に「梅雨の湯豆腐」を読んだなら、食が印象的な読み切り短篇なのかも知れない。

「池波作品の湯豆腐」は、多くの読者に「湯豆腐は冬だけのものではない」と知らしめたようだ。私も今度「梅雨冷え」のとき、湯豆腐をやってみよう。



 存在は知っているが、まだ読んでいない一冊に下記のものがある。

内容(「BOOK」データベースより)
白魚鍋、兎汁、鰹飯、鮑の酢貝、白玉、秋茄子の塩もみ、豆腐の葛餡かけ、おかか雑炊、掻鯛、浅蜊と大根の小鍋だて。池波正太郎が描き出した、梅安と仲間たちの、おいしい食事の極めつきを、梅安好き、料理好きの専門家2人が解説して、作り方と共に供する好読物。巻頭に「池波正太郎梅安を語る」付き。


 池波師が書いたのではなく、池波作品に出て来る「食」を料理好きが解説したものらしい。でもこの装丁はちょっと問題ありだ。これじゃ誰だって池波正太郎が書いた本だと思う。

 池波作品の食の豊かさと、読者にあたえる影響はいまさら言うまでもない。私も梅安を読んでいたら、彦さんの湯豆腐好きに刺激を受け、湯豆腐を作って日本酒を飲んだことがある。友人と居酒屋で食したことは何度もあるが、自分の部屋で作って食べたのは初めてだった。

 この本を読むと、いくつもの「池波料理」を作りたくなるのだろうか。そのようにも思うし、「あれは作品の中にひょいと出て来るからこそそそられるのだ」とも思う。

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●江戸時代に冷えたビールはない!

 池波作品の食については、そのうち私なりの感想を書くとして、いまのところ読むたびに毎度強く思うことがある。
 それは「江戸時代には日本酒しかない」ということだ。

 私はなにしろ「酒なしで刺身を食ったことがない」ぐらい酒と肴の結びつきが強い。もちろん成人してからの話である。とにかく私にとっての「食」は、まず「肴」が前提にある。そのへんの感覚が通じるから「酒と肴の小説」である池波師の作品が楽しくてたまらない。
「食」として注目されているが、池波作品の「食」は、みな酒と通じている。触れるたびに酒を飲みたくなる。だって作品中でもみな飲んでいるのだから。これ、逆に言うと、池波作品の「食」って下戸でも愉しめるのだろうか。「おれは酒は一滴も飲めないが、池波作品の食い物の部分を読むとよだれが出る」というひとは大勢いよう。でも池波作品の「食」は基本的に「飯」ではなく「肴」だ。登場人物達も、あれこれ理由をつけては昼日中から酒ばかり飲んでいる。

 作品に登場するうまい「食」は、舞台が江戸であるから、和食であり、「日本酒の肴」が多い。当然だ。日本酒しかない。うまい魚の話が出て来ると日本酒で食す瞬間を想像して咽が鳴る。でもそれらを読んでいるとき、「ここはまず冷えたビールで」と思うことも多い。私は大の日本酒好きだが、熱々の焼き物、揚げ物が出て来ると冷えたビールを飲みたくなる。(私は和食にウイスキーは飲まないので、池波作品から、ウイスキーを飲みたいと感じることはない。)

 江戸時代にビールはない。電気冷蔵庫もない。ないけれど、そんなものの存在を知らないから不満もない。
 だけど今を生きる私達はそれを知ってしまっている。
 やはりいまがいいのだろう。

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暮らしてみたい時代──平安時代?

 先日、どこかがアンケートを採った「現代女性がいちばん暮らしてみたいのは平安時代」という記事を読んだ。光源氏のような恋文のやりとりをしたいのだとか。
 あんな風呂の習慣も確立していず、お香を焚いて体臭を消していたような時代で今の女が暮らせるものか。十二単など垢じみている。夏は暑く、冬は寒く、蚊や蝿に悩まされ、便所は汚く、まちがっても行きたくない時代だ。どこをどう考えるとそんな発想が出て来るのだろう。小野小町なんて今風に言ったらおたふく顔のブスだ。「世界三大美人」て発想もわらえる。そんなの無理だって。クレオパトラも私にはちっとも美人じゃない。
「三丁目の夕日」の昭和30年代も、人情豊かな本当の日本人らしさがまだ残っていたいい時代ではあるけれど、あの時代にもどって暮らせと言われたら私はことわる。なつかしむからこそいい。でも人情はあったな。思い出すだけで心があたたまるほど。

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 みなさん知ってるみたいでお恥ずかしい(照)

 というところにmomoさんが電話をくれた。話は先日来利用しているファイルバンクのこと。
 そこから池波ファンのmomoさんに、この「梅雨の湯豆腐──彦さんが死んじゃった」の話をしたら、見事に知っていた。どうも池波ファンはかなりの確率で知っているようだ。あらためて、いまごろこんなことを書いて恥ずかしい。でもま、ほんとのことだから。

 池波正太郎短篇小説全集──感想雑感


 全三巻を読了したので思ったことをメモしておこう。

 あらためて「三大シリーズ」との関係の深さを確認した。史実のひと「鬼平」に、最初はこういう形の短篇で触れ、そこから興味を持ってライフワークとなったのは有名だが、当然それらもこの短篇全集に顔を出している。
 上記、「梅安」の彦次郎が初登場であっさり死んでいるのでおどろいたのだが、「鬼平」の渋い脇役「佐嶋与力」も、事件の中で死んでいるのを知った。彦次郎と同じく、「鬼平」の片腕なので、もうすこし生きていてもらうことにしたのだろう。



 ぶ厚いこの三巻を私は全部読んでいない。というのは、「幕末もの」を飛ばしてしまったのだ。
 前々から自分がそれを好きでないのは自覚していた。

 私の好きな時代小説というのはだいぶ時代が限られる。すなわち「安定した江戸期」である。だから戦国武将ものも幕末の動乱ものもまったく興味がない。その理由は、私は時代小説その物が好きなのではなく、時代小説という形を借りた小説が好きだからなのだろう。
 あまたいる時代小説作家の中で、そういう形で作品を作りだしている藤沢周平氏がいちばん好きなのは合点が行く。藤沢氏はふだんは外国の推理小説を好んで読んでいたそうだ。氏もむかしの時代にあこがれ、それを描きたいと思って時代小説を書いていたのではない。書きたいと思う小説を、最もよい形で展開できる「場」として、選んだのがあのような時代であり、結果としてそれは時代小説になったのだ。


駕篭の多用?





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●劇画版の中に見た矛盾──鬼平の中のおでん屋

  さいとうぷろの劇画版「鬼平」(左写真)、や「梅安」「剣客商売」を読んでいると、いつも「当時のことを描くのはたいへんだなあ」と思ってしまう。
 私がこれらの作品を好きなのは、当時のことを好き放題に描いているからである。映像だと予算の関係でセットが限られてくる。またロケする場所も、京都を中心に、電線が映らないようにするから、遠景はかなり限られたものになる。中でもお城は存在しないから、苦労しているようだ。
 藤沢周平の原作をぶち壊しにしたヤマダヨウジの「隠し剣 鬼の爪」で印象的だったのは、石垣を背景にした武士の会話だった。城はないが石垣なら、苔むした本物がまだあるわけである。石垣が本物であるからこそ、そこでの会話ばかりで、そのあとの城が出て来ないのが、映画時代劇の限界を見せていてかなしかった。

 その点、劇画は、資料さえあれば当時のお城であろうと町中であろうと自由自在である。予算が無尽蔵だ。だから好いている。
 なのに「たいへんだなあ」と思うのは、何から何まで資料があるわけでもないと思うからだ。江戸町中の様子ぐらいはあるにせよ、下町の田園風景や、さらには街道筋の細かな描写になると、作者が
5/30  時代小説の優位性──藤沢周平の短篇から

 藤沢周平氏の某短篇のあらすじ。
 二十代の男女の夫婦。男は職人。女は主婦。男は新たに職場にやってきた同僚の誘いで博奕の味を覚える。丁半博奕。稼ぎを賭場に注ぎこむようになる。日々の諍い。別居する。男は女房への未練より、むしろこれで好きなだけ博奕が出来るとほっとした気分。
 女から連絡が来る。会いに行く。女は酒場で働いている。給仕係り。酒と飯を出す店だが、柄の悪いのが女の尻を触ったりするような店。博奕が原因で別れた女房をそういう店で働かせている自分に男は惨めになる。
 午後八時の閉店後、店の外で会う。何の用だと問う男に、女は結婚を申しこまれていると言う。男は相手を訊ねる。女は相手は大店の番頭だと言う。男はよかったじゃねえか、と応える。女は、あんたはあたしがほんとに他の男と一緒になってもいいのかと迫る。

 ある日、男は賭場でその番頭らしき男を見掛ける。名前を確認する。まちがいない。だいぶ前から出入りしているという。立ち居振る舞いから場馴れしているようだ。ゾッとするような冷たい視線から、堅気ではないと確信する。店の金を使いこんでいる可能性もある。
 男は女の店に行き、あの男はよくないから別れろと言う。女から、あのひとの周囲を嗅ぎ回ったのかと詰られる。番頭を庇う女に、男は、おめえはもうあいつと寝たのかと問う。
女はあたしはそんな女じゃないと反論する。

 賭場の帰り、男は番頭を待ちぶせて話す。あの女とは別れろと。知りあいのものと名乗ったが、番頭に、別れた亭主だと見抜かれる。言い争い。意見して帰ろうと思った男に、いきなり番頭が匕首で突っ掛かってくる。乱闘。運よく、なんとか男は番頭を叩きのめし、二度と女に近づくなと威す。
 しばらくして、番頭は店の金を二百両も使いこんでいたことが発覚し、消える。

 ある日、男は賭場の元締めに呼ばれる。その賭場が大店の店主を鴨にした。いかさまである。その店主は御上に訴えようとしている。金を返して穏便に治めようとしたが聞きいれない。賭場の元締めは、男に罪を被れと命じる。店主を陥れたと名乗って出ろと言うのだ。おまえもここに出入りするようになって数年、いい目も見せてやった、女も抱かせてやった、おれのために一肌脱げと。自首する岡っ引きとは話が通じている。極刑はない。江戸所払いで住む。数年、地方の空気を吸ってこい、その間の面倒は見てやるからと。
 男は江戸を離れるのはいやだと断る。元締めは近ごろの若い奴はこうだと激怒する。今後この賭場には出入りするな、手下にすこし痛めつけてやれと命じる。

 袋叩きにされて抛りだされる。暗い町。腫れあがった顔。身体中、激痛で動けない。顔に小雪が舞いおりてくる。
「あんた、どうしたの!」と女の声。女房だった女。肩を借りて歩きはじめる。おれはもう博奕はやめたと男は言う。もう午後十時を過ぎている。
「帰らなくていいのか」と男。
「あたしの家は横網町(ふたりが世帯をもっていた場所)しかないもの」と応える女。
 雪の舞う中を、ゆっくりと歩いてゆくふたり。

 ※

 このほろりとさせる佳編、もし現代物だったらどうだろう。

 男はサラリーマン。女は専業主婦。住まいは賃貸しマンション。男がギャンブルに狂う。競馬競輪競艇あたり。夫婦喧嘩。別居。
女から連絡が来る。ケイタイメール? 女が働いている場所、居酒屋? ファミレス?
 この場面は、自分が博奕に狂ったために、好きあって一緒になった女房と別居することになり、女の働く姿を見ながら、「こんな店で働かせている」と、男が惨めさを感じる場面だ。健康的な店ではならない。どこだろう。あらゆる職種が揃っている現代だが、適当な職場が思いつかない。

 その職場で女を見初め、結婚を申しこむ大店の番頭。有名会社の役職者? 大店の金を使いこんでいるは、サラ金に借金? バクチ狂?
 匕首をもってのケンカ。う~ん、むずかしい。立派な会社の役職者がジャックナイフを携帯していることはない。素手の殴りあいじゃ迫力がないし。
 賭場の元締めからの鉄砲玉指令。これも難しい。これをするとなると男は組の構成員でなければならない。すると最初の「堅気のサラリーマン」の設定が揺らぐ。これを活かすためには、男と女をヤンキー出身にして、男をヤクザが経営している店(なにがいいだろう)の社員にでもするしかない。 

 ということから、この設定でほろりとさせる現代物短篇を書くのはかなりむずかしいことになる。
逆に言うと、この作品は、時代小説という、堅気の職人とやくざのあやふやな線引き、兇器を持ち歩けた時代、女の働ける職場が限られていた時代を、うまく活用して出来上がっていることがわかる。
 また、現代版を、男と女の生いたち、ヤクザとの絡みを、矛盾なく巧みに設定したとしても、最も重要なことである「ほろりと泣かせる作品」になるかどうかは疑問だ(笑)。

 この作品のテーマは、「別居状態の若い夫婦が、また元の鞘に収まる話」である。ヤンキー夫婦が元の鞘に収まっても、あまりほろりとする話にはなるまい。それにこの場合、女房の身持ちのよさもポイントになっている。現代劇ヤンキー話だとその辺も難しい。
 むろん、こういう形で別れた夫婦がまた復円する話をほろりとする現代劇で作ることは出来る。だがそのためには設定が複雑になってくる。いろんなものがありすぎるからだ。法的にがんじがらめである。

 時代小説でいいなと思うのは、まず他国に逃げればなんとかなるという面。他国、すなわち隣県である。指紋とか血液型とか、今のような捜査が出来ないのもいい。テレビも電話もないから、全国指名手配のような心配がない。されても「人相書き」のレベル。
 今だと読者や専門家からの指摘を避けるため、細かく設定しなければならない部分を、かなり省略できる。

 若いころ、時代小説を書くひと、好むひとの感覚がわからなかった。いまはわかる。時代小説は垣根がなく万能なのだ。一見相反するようなSFと共通部分が多い。
 ふだんは外国のミステリィばかり読んでいるという藤沢氏と時代小説は矛盾しているようでしていない。藤沢氏がなぜ御自分の創作の場として時代小説という分野を撰んだのかがわかる。すぐれたストーリィテラーである藤沢氏にとって、やりたいことの第一は自分の考えたストーリィを縦横に活躍させることだった。そのための制限はすくないほうがいい。これは時代小説を書きたくて時代小説を書いている作家とはあきらかに違う視点である。時代小説は、現代文明の利器がそれが私の藤沢周平論の基点になる。

 時代小説の博奕万能──藤沢周平の世界から

 藤沢周平の描く市井の男と女の世界。しあわせな家庭の崩潰、そこからの再生。あるいは崩れた人生からの立ちなおり。
 この場合の「崩潰」に必ず使われるのが博奕だ。堅気の働き者が、ある日覚えたそれで家庭が崩潰してゆく。
 それは真実だろう。いまもむかしも。
 だが真実であるからこそ、博奕好きのこちらは読んでいて辛くなることが多い。



 藤沢氏は博奕をしない。博奕を描こうとも考えていない。描きたいのは男と女の世界だ。転落する男の人生だ。その道具として博奕を使う。当時の博奕は丁半博奕だけだ。単純だ。
「仲間に誘われてやってみる」「最初は勝ったがやがて負ける」「最初は小遣い銭だったがやがて生活費まで賭けるようになる」「借金して賭ける」「夫婦仲が冷える」「別れる」「悪の道に染まる」。この手の設定を一体藤沢作品だけで何作読んだことだろう。

 その通りなのだ。堅気の職人で仲の良い夫婦がいる。この夫婦仲を壊すには、博奕か女しかない。しかし女に狂ったのでは、復縁がない。ほんとうはまだ好きあっているのだが、どこかで歯車が狂い、別れてしまった男と女を描くのだ。ある出来事があり、お互いの心を知り、また復縁するふたり。そのための別れには女はいらない。となると博奕になる。

 わかるのだ。それしかない。時代小説ではそれしかない。いやいまでもそれがいちばん便利な手法だろうけど。
 だけどたまらない。真面目な働き者が博奕の味を覚えて狂い、恋女房に暴力をふるうような男になっていく様を見るのが、小心者のエセギャンブラーとして、なんとも読むのが辛い。

 ギャンブルなんてぜんぜんやらないひとは、なんのこだわりもなく、藤沢作品を楽しむためのお馴染みの設定として、すいと溶けこめるのだろうけど。

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【附記】──データベースから確率をさぐると

 藤沢作品を網羅し、克明に記録しているすばらしいサイトがある。

http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/index.html

 私は一応藤沢作品をぜんぶ読んでいるはずなのだが、覚えている作品となると心もとない。そういういいかげんな読者だ。
 ここにある内容ダイジェストを読みつつ、ストーリィを忘れている作品もずいぶんと多いなと、あらためて自分のいいかげんさに呆れた。中には「おもしろそうだ、ぜひ読みたい」と思うものもある。読んでいるはずなのに。まあこれからの楽しみと思えばわるくもない。

 そしてまたあらためて確認する。いかに藤沢作品において、「しあわせな男と女の破綻」があり、その原因として「丁半博奕」が多いことかと。
 上記したように藤沢氏が描きたいのは男と女の機微である。発端はどうでもいい。好きあっていた男と女に破綻が訪れる。別れてそして、復縁か? あらたな男女の登場か? 復縁したがやっぱり……だったり、あらたな男女とあたらしい生活を始めたり、展開は様々だが、とにかく「破たんの原因」としては、「堅気の生真面目な働き者の職人が、ある日博奕を覚えたばっかりに」が圧倒的に多い。というかそればかりだ。

 藤沢氏と同じくギャンブルをやらないひとは、「それから」に興味があるから、破滅の原因などどうでもいいのだろうが、やっぱり、真面目な堅気の職人だったのに、博奕で身を持ちくずした身としては、頻出するそれを読むのは辛い。

 私は心から敬愛する藤沢周平先生に、批判がましいことを言ったことはただの一度もない。今回初めて書くのだが、もしも藤沢氏が博奕を経験し、その痛みを知っていたなら、あのワンパターンの「堅気が博奕を知って転落」という流れも、すこしは変ったのではないかと思えてならない。
 でもそれはもうほんとにどうでもいいことで、博奕なんてやらないことがいちばんだ。知らない方がいい。

6/12  藤沢周平論──解説本のつまらなさ

 図書館で借りてきた。「藤沢周平という生き方」。PHP新書。著者は高橋敏夫さん。藤沢周平や山本周五郎に関する文藝評論を若いときから多数書いているひとのようである。

 つまらなかった。ただしそれは私の方の問題。この本に責任はない。(と想う……。)
 私はもともとこういう文藝評論がきらいなのだ。読んだことがない。それがどういうわけか、藤沢文学ももうみんな読んでしまったし、また読み返すついでに、なにか関連本はないかと、ついつい口寂しい感じで、柄にもないものを借りてきてしまった。そしたらやっぱりあわなかった。それだけである。



 感想はひとそれぞれでいい。自分だけのものだ。でも中には「他者はどう受け止めているのか」を知りたくなるひともいよう。あるいは「ただしい感想とはなにか」と考えるひとも。
 私は自分の好きなものは自分流の感想があれば他者がどう思おうと関係ない、という感覚で生きてきた。それでもたまには「この作品を他のひとはどう考えているのか」と想うこともある。ネット時代になり、「レヴュウ」とかいうもので、本や映画、音楽に関して、見知らぬひとの感想を読むことが容易になった。

 私とはまったく感覚の違う意見に出逢っても(当然出逢う)べつに反感は抱かなかったし、この「ネットレヴュウ」に関しては、むしろ私が不快に思ったものに対して、私以上に激しく怒っているひとの文章に数多く出逢い、おおいに溜飲を下げることが多かった。冷静になれてうれしかった。
 ケンカや酔っぱらいでもそうだが、友人が先に出来上がってしまうと、出遅れたこちらはみょうに冷静になれるものである(笑)。感想もまたそうなのだと知った。
「大ヒット」と喧伝され、興行成績はいいようだが、とんでもなく出来のわるい映画と感じたものに対して、私以上に激しい言葉でボロクソに言っているレヴュウを読むと、さっきまで腹立っていた自分のことも忘れ、なにもそこまで言わなくても……と、やさしい心になれる。ありがたいものである。

 というわけで、他者の意見にあまり興味のない私だが、ネット時代の今は、比較的その種のものを読んでいる。そして不快になったことはほとんどない。

※ ※

 なのに今回この本に関しては、最初から激しく反発を感じ、途中で投げ出してしまった。
 理由はわかっている。このひとはプロの評論家だから、ネットレヴュウのようにすなおな感想は書いていない。いわゆるプロとしての「切り口」を用意して、「藤沢周平論」を展開している。その「切り口」が私には受け入れがたい。そういうことだ。
 と、結論は出ているのだが、一応私なりの感想というか反発の理由を書いておくことにする。

 目次をみれば解る。第一章「苦しみと悲しみの交感──藤沢周平という生き方」。第二章「鬱屈から始まった──書くことと鬱屈の関係」。その他の小項目から、「八年の歳月の、さらなる鬱屈がそうさせた」「鬱屈が柔術の激しい稽古に」「叔父の鬱屈への共鳴」「追う者の鬱屈、追われる者の鬱屈」「鬱屈の交感さえ許されない」「暗さが暗さを呼ぶ」「鬱屈がひそかにひびきあう」「鬱屈が輝く瞬間」etc……。

 この文藝評論家はこの新書での藤沢周平論の基幹を「鬱屈との交感」とやらにしたらしい。だからもうそこいら中「鬱屈」「暗い」「苦しみ」だらけ。
 学生時代、後輩のIJが言った名言、「憂鬱の鬱という字は、見ためからして鬱だ」に倣うなら、ご本人は得意満面なのかもしれないが、こんなに立て続けに「鬱屈」を押しつけられたのではたまらない。読んでいるこちらまで憂鬱になる。

 藤沢の心象を「鬱屈」と言い、そこから産まれた作品を「鬱屈、暗い」と評し、「そしてそこから」「だからこそ」と展開してゆくのだが、最初にこんなに決めつけられてしまっては、うんざりして読み進む気にすらなれない。
 だいたいがこちらはこのひとが決めつけるほど藤沢作品を「鬱屈」とも「暗い」とも思っていない。たしかに禄高のすくない下級武士の次男、三男などは、剣術で身を立てるとか、どこかいいところに婿に入るとか、それぐらいしか生きる道のない時代であり、彼らを主人公にした作品は多いから、希望に満ちた人生とは言えない。彼ら自身も悶々としている。かといって私はそれらの藤沢作品を「鬱屈」というキイワードで解釈しようとは思わない。

 それに、肺結核を病んでの入院生活があり、仕事のあいまに小説を書きため、デビュウが遅かった作家を「鬱屈」という切り口で語るってあまりに凡庸なのではないか。だれだってわかるそんな単純な解釈より、文藝評論家が語るべきは、時代小説家の藤沢師の、ヨーロッパ文学からの影響によるおしゃれなミステリィのような感覚、暗いようでいて時折見せるカラッとしたユーモア、おんなを描く際のエロティック、それらではないのか。

※ ※ ※

 と、感覚の合わない文藝評論家の著書に不満を漏らしていてもしょうがないのでやめる。
 昨日借りたがきょう返す。こんなものが部屋にあったら私まで「鬱屈」になってしまう。

 私は藤沢周平のそこはかとないユーモア感覚が好きだ。そして意外なようだがエロ。さらっと書き流してあるが、藤沢師の書く濡れ場はたまらなく煽情的だ。濡れ場というと池波正太郎が有名であり、藤沢作品でそんなことを言っているひとを見たことがない。でも藤沢作品に登場するおんなには、自分なりに姿を描き、空想を拡げるほどの「いいおんな」が数多くいる。「私家版藤沢作品登場人物いいおんなベストテン」が出来るぐらいに。
 それは「鬱屈」とは遠い世界だ。

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【附記】 向井敏さんの解説

 私は文藝評論家がみなきらいなのではない。たとえば「藤沢周平全集」の全解説を書いている向井敏さんの文章はすばらしく、何度読んでも感激する。読むたびにうなってしまう。解説がひとつの文学になっている。これがあるだけであの全集が欲しくなる。
 だからきっと今回のこれは、たんに著者の高橋さんというかたと私の感覚があわないだけなのだろうと思う。
 藤沢周平論では向井さんの文が図抜けてすばらしい。
7/2  宮本輝 全短篇」を読む


「宮本輝 全短篇 上下二巻」が発売になるというお知らせを見掛けた記憶がある。いつごろだったろう。この本の奥付を見ると初版の発売が「2007年11月30日」とあるから、2007年、去年の春ぐらいか。

 珍しく「買いたいなあ」と思った。まずまちがいなく全短篇を読んでいる。まちがって捨ててしまったものもあるかも知れないが、ほとんどは持っているはずだ。文庫本が多いだろうが。なのに欲しくなった。

 郷愁である。宮本輝の初期作品には腑の底に眠っている未確認生物が蠢き始めるような感動を受けた。
 関西が舞台の貧乏人の世界。小説がこんなにもあざやかに絵を描いてくれるとは思わなかった。鉛筆画の色合いなのに、時折原色が光る。強烈だった。それを成す決め手である大阪弁のこまやかな表現力に嫉妬した。



内容紹介
「泥の河」で太宰治文学賞、続いて「螢川」で芥川賞を受賞して以来、人間の生きるという命題を鮮やかな人物造形と細やかな情景描写で多くの読者を魅了し続ける小説の名手宮本輝。
幼年期と思春期の二つの視線で、二筋の川面に映る人の世の哀歓を詩情豊かに描き出す名作「泥の河」「螢川」のほか、「幻の光」「星々の悲しみ」「五千回の生死」「真夏の犬」「胸の香り」を収録。
さらに、本作発売時点で単行本未収録の最新作「スワートの男」までの全短篇39編を上下巻にまとめました。
また、早逝の画家・有元利夫の版画を装画として使用。
接ぎ表紙の美装愛蔵本で、決定版宮本輝の世界。




 私は、いちおう宮本輝の読者にはいるのだろうか。熱心なファンから見たら端っこの端っこになろうが、とりあえずほぼ全部読んでいる。

「宮本輝はぜったい読まない」という知人がいる。理由は「創価学会臭くて読めたものではない」のだそうな。かくいう彼は都立大の民青出身の共産党員だ。公明党と共産党の仲の悪さが、こんなことからもわかる。

 宮本輝の学会への傾倒ぶりは半端ではない。文士としては長年最強の広告塔だろう。熱心に講演会による普及活動も行っている。昨日今日のヒサモトマサミあたりとは格が違う。

 たしかに一種獨特のそれはあるが、私の彼の好き嫌いには無関係なので、以下この話はつつしむ。



 さんざん何度も書いてきたことなので手短にまとめる。
 誰もが自分の人生をテーマにして一篇の小説は書ける、と言われる。もちろん大嘘だけれど、それを前提に話を進める、と。
 たぐいまれな能力を持った職業作家として、あたらしい話をいくらでも紡ぎだせる宮本輝だけれど、成人してから体験したことや学んだこと、小説のテーマとして身に着けたこと等を剥ぎ取って行き、「誰でも一篇は書ける人生の原点」にもどったら、それは大阪下町になる。作家として成功し、活躍の舞台を日本全国、東欧へとひろげてゆくが、ここよりも密度の濃い世界は創りあげていない。
 と、書いていったらまたぐだぐたと際限なくなるのでもう結論。



 宮本輝の凄味のすべては初期の短篇に凝縮されている。
 近年の長篇を読んでも、つまんねえなと溜め息しか出なかった。
 これら初期短篇を読んで、しみじみ納得した。単行本でも文庫本でももっている大好きな「幻の光」は、ここで読みかえしてもすばらしかった。
 「泥の河」をひさしぶりに読みかえしたあとは、なんとも言えない気持ちでしばらくぼーっとしていた。
 だから郷愁。



 映画「泥の河」は見ていないが、いま調べたら、キャストが、
  • 田村高廣
  • 藤田弓子
  • 朝原靖貴
  • 加賀まりこ

 となっていた。なるほどな、加賀まりこがあの役をやるのか。



 数多くの長篇を出している作家にデビュウ作を超えていないと言ったら失礼だろうが、私にとっての宮本輝は「泥の河」「螢川」「幻の光」なのだなとあらためて確認した気がした。
 まあ、クギで打ちつけたままのトカゲにもけっこう影響受けてますけど(笑)。

 どうしよう、上下巻買うべきなのか。それとも単行本や文庫本等、バラバラでこそ読書の歴史なのか。


 「越境者 松田優作」──松田美智子







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