毒字感想文


──「薔薇盗人」浅田次郎



■ 先週、ぼくの住む二階に置いてあった大きな和箪笥を兄が千葉のマンションに持っていった。兄嫁の嫁入り時からずっと置かれたままのもったいない箪笥だった。それがなくなることによってぼくの使用できる空間が増えた。物置から本を入れたコンテナ四個を二階に運んできた。整理したらその中から出てきたのがこれ。浅田さんの単行本「薔薇盗人」。この「盗人」は「ぬすっと」ではなく「ぬすびと」と読むようである。
 ハードカヴァーで1500円。新潮社。発刊は2000年。ひさしぶりに読み返した。後でネットで調べたら2003年3月に文庫本になっているようだ。これ、浅田さんには珍しい駄作である。その理由を推測する。

 直木賞受賞作「鉄道員」は集英社刊だった。集英社発刊本だから直木賞はとれないと言われていた前例を力でひっくりかえした。本来はその前の「蒼穹の昴」でとれていた。これは講談社だった。この書き下ろし長篇の出版は『週刊現代』に連載していた「勇気凛々ルリの色」からの縁だろう。あの時期に浅田さんを起用した『週刊現代』のタイミングは見事だった。言い出しっぺは浅田さんの出世とエッセイ人気の成功に鼻高々だったろう。
 長年極道小説、ピカレスクロマンのような、まあ悪く言えばヤクザ物書き扱いされていた浅田さんは、そういう本がメインの徳間書店との縁は早い。傑作「プリズンホテル」も最初はアサ芸に連載されたものだ。「きんぴか」以来、光文社も縁があった。集英社もそう。
 メジャな出版社で浅田ニワトリに金の卵を産ませる競争に出遅れていたのが文春と新潮社だった。それでも文春は直木賞の主催者だから、そのことでがっちりつかまえ、『週刊文春』に「壬生義士伝」を連載させる。

■ 「平成の泣かせ屋」として最高の金の卵を産み手となった浅田さんに関して最も出遅れていた名門が新潮社だった。このままで面目丸つぶれだ。執筆予約がぎっしりで身動きできない浅田さんに必死にしがみつき、なんとか短篇を書いてもらう。今いちばんの話題の作家が自分のところの小説雑誌にだけ書いてなかったら恥をかく。読者になじられる。頼み込んで「小説新潮」に書いてもらう。いくつかたまったところでこの本にまとめた。新潮社初の浅田次郎本だ。豪華な想定で大々的に売り出した。しかしこれ、同じ短篇集でも集英社の「鉄道員」、文春の「月のしずく」よりも遙かに落ちる。それは浅田さんの最も忙しい時期に面目を保つために無理矢理頼み込んで書いてもらった作品の寄せ集めだからだろう。いわば出がらしである。

 浅田本はおもしろい。一気に読む。長篇でも一気に読んでしまうから、こういう短篇集だともったいないので一日ひとつと限定して読んだりする。チェンマイや云南で読む「プリズンホテル」「天切り松 闇語」なんてたまらなかったものだ。
 ところがところが、大の浅田ファンであるのにこの本だけはなんとつまらんのだろうと途中で放り投げたのだ。まさかそんなことが起こるとは信じられない気持ちだった。せっかく買ったハードカヴァー単行本だし、気を取り直し読破はしたが、なんともつまらん本だった。浅田さんの単行本の中で最悪なのではないか。それから四年が経ち、今回読み直したがやはりつまらない。それでもそのつまらなさをこういう形で分析出来るぐらいには落ち着いた。

■ 浅田さんは小説のストーリィを思いついた時を「天使が舞い降りてきた」と表現する。いくつかの状況、人物設定、始まりと終り、盛り上げのポイント、そういう部品がかっちり頭の中で組みあがったとき、それが「天使の舞い降りてくる時」である。「よおし、でけた!」ってやつだ。
 良質のそれになると読者を心地よく酔わせるから構成の意図は見えない。ところが出来の悪いものは見えてしまう。私はこの短篇作品集を読んでいて、浅田さんがどういう状況で、どうなって作品の構成を決めたかが手に取るように見えた。それが見えてしまうものはすなわち駄作なのである。
 これらを書いたのは直木賞を受賞して大ブレイクし、週刊誌連載を複数抱え、前々からの約束である書き下ろしも抱え、とんでもなく忙しい時期だったろう。浅田さんの魅力と底力は売れるまでにこつこつと書き続けてきた未発表の作品が下地にあるからだ。たとえば「壬生義士伝」はだいぶ前に出版の当てもなく完成させてあったものだ。それがあったから週刊誌連載というあわただしい形なのにあれだけ質の高いものが書けた。映画も高評価だったのはご同慶の至りである。

■ 一方この短篇集に収められた作品は、頼まれ泣きつかれてしかたなく引き受けはしたもののまったくなんのアイディアもない状態から乾いた布を引き絞って水を出すようにして作られたものである。連載をこなしているうちに締め切りが迫ってくる。なにもない。なにかないか。なにか短篇のストーリィになるネタはないかと模索する。せめて旅にでも出ればあたらしいアイディアのヒントも浮かぶだろうに(それが「あじさい心中」だ)それすらも出来ない。毎日書斎にこもりっきりで二十時間も仕事をするような状況だったろう。そういう中から無理矢理ひりだすようにしてストーリィを作る。天使が舞い降りてくるのではなく休んでいる天使を引きずりおろす感覚だ。
 たとえばここに収められている駄作の一篇に「佳人」というのがある。容姿端麗、最高の学歴、仕事能力抜群、高貴な家柄、すべてに満点の中年男。でもなぜか獨身。その彼がじつはマザコンならぬババコンで、七十過ぎの主人公の母親と恋仲になってしまうという話だ。これなどネタにつまってどうしようもなくなった浅田さんが、同居している妻の母と、知り合いのハンサムで獨身の編集者をくっつけて一丁上がりとしたのが手に取るようにわかる。どうにもここに舞い降りてきたのは上質の天使ではない。
 すべて「月刊 小説新潮」に収められたものである。唯一いつもの浅田さんの水準を保っているのが「あじさい心中」だが、これも手口がかなり見えていて、この単行本の中では唯一まともだが、「鉄道員」や「月のしずく」に収められていたなら凡作になるだろう。

 この本が駄作であることは編集者も気づいていた節がある。というのは今が旬の浅田さんの本だからたっぷり売ろうと装丁にも力が入っていて、帯には「魂を揺さぶる6つの感動」と大仰なコピーがついているのだが、裏には「あじさい心中」の簡単なストーリィを書いて持ち上げた後、その他の作品を「技巧が光る」と簡単にまとめているのだ。そうとしか言いようがない苦しさがよく出ている。まったくもって忙しくて身動きできない中、小手先の技巧だけで作ってしまった作品である。タイトルになった「薔薇盗人」は手紙形式だ。これも「船乗りの父に幼い息子が手紙形式で語りかける」という技巧作だが、同じ手法を使っても、精神的時間的餘裕のある浅田さんなら遙かに水準の高いものを書いただろう。どうにもせっぱ詰まった中でのやっつけ仕事の状況が見え見えで痛々しい。それに、これらの作品の中から本のタイトルにするなら「あじさい心中」だったろう。なぜ「薔薇盗人」なのかもわからない。

 いまAmazon.comで調べてみたら、新潮社が出している浅田さんの本はこれ一冊である。これの単行本と文庫本だけだ。もしかして何冊かあるのかもしれないが、すくなくともめぼしい50冊ほどの中にはなかった。これは新潮社の地位と売れっ子直木賞作家の関係としてはあきらかに異常である。浅田さんもこの単行本およびここに書いた作品がレヴェルの低いものであることは自覚しているだろうし、担当の編集者ともうまくいっていないのだろう。それはまあ何事も、よいものを作ってさらによいものを作ろうと盛り上がって行くのだから、こんなものを作ってしまったら、作家も編集者も盛り上がるどころかしらけ鳥が飛ぶ。そう思えば逸品揃いの中でこれはこれで珍しく貴重な一冊とも言える。かといってつまらないことに代わりはない。

【附記】
 ひさしぶりに読み返してやっぱりつまらないなと確認したことと、最近yutakaが浅田さんの本を熱心に読んでいるというのでこんなことを書いてみた。傑作揃いの浅田さんの作品群だがこの短篇集はペケ。読む必要はない。いいものを全部読んだ後に、そういえばぼくがけなしていたなと、そんな感覚で読むのはいいかもしれない。でもその前に浅田作品には読むべき傑作が山とある。(04/2/25)


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