氷なのである。ウイスキーをオンザロックで飲むときの、角張ったパキパキの氷、これがチェンマイにはないのだ。なんとかならんのでしょうか。

 氷はもちろん売っている。竹輪を輪切りにしたような、真ん中が空洞の奴だ。スーパーやコンビニだと、日本のようなビニール袋入りが5バーツで買える。もっと物価の安い市場に行って「氷10バーツ分」と言ったなら、同じものを大きなビニール袋に一抱えもあるほど詰めてくれる。竹輪型は、接触面積が大きく早く溶けるから、冷水を作ったり、ジュースに入れたりするのには適している。でも、オンザロックの場合、その長所が缺点となる。

 タイは暑い。よって冷たいことを最上の美徳(?)とし、他人様へのサービスとしてきた。お客様が来たとき、まず出すのは冷たい水だ。昔は日陰に置いた素焼きの壺で、空冷というのか、上手に冷やしていたらしい。今でもビルマの田舎に行くと見かける方式だ。

 今は冷蔵庫になった。田舎に行くと、かつての日本のテレビのように、床の間のような家の真ん中に、堂々と冷蔵庫が鎮座している。中を覗くと瓶に詰めた水が入っている。客人に冷たい水を出すのは、今も変わらぬタイの接客方である。

 床屋で髭を剃るときにも、冷やしたタオルを顔に乗せる。冷たくて気持ちがいいが、髭を剃るための理屈としては不適切だ。暖かなタオルで髭を柔らかくするという智慧よりも、冷たいことの快感を大切にするのだろう。もっともこれは、タイ人にあまり髭の濃い人がいないことも理由のように思う。冷やされると、たいして髭の濃くない私でさえ痛いのだから、濃い人にはとても耐えられないだろう。

 エイズ騒動以降、タイの床屋での剃刀は、客一人一人で替える使い捨てカミソリになった。でもこの薄刃のカミソリは本来の剃刀と比べ、力がない。冷たいタオルで冷やされた上に、この力のない剃刀では、よけいに痛いのである。私はタイで髪を切るとき、ひげ剃りはパスするようにしている。自分の部屋のバスタブで温まり、そのとき剃った方がずっと快適だ。



 冷たいことが美徳の国。氷はそのために発達し改良された。それがあの、竹輪を輪切りにしたような氷である。水にも入れる。ビールにも入れる。冷蔵庫が普及していない時代、あの氷はもてはやされたに違いない。より早く溶け、少しでも早く生ぬるい物を冷たくする氷として、あの形状が有効だったのだ。

 タイ人の生活の中で、それは基本的に今も変わらない。だが異国から来た私のような者が、クーラーを利かせた部屋で、本を読みつつ、ゆっくりとオンザロックを楽しもうとするとき、あの氷はよくない。早く溶けすぎるのだ。オンザロックがすぐに水割りになってしまう。私は水割りが大嫌いなのである。

 よってタイの部屋で飲むときには、ストレートウイスキーとチェイサーとしての氷水という組み合わせになる。まあ、腹の中では同じ水割りになるわけだが。

 ウイスキーはジェイムソンを飲むことが多い。この抜群に美味いアイリッシュ・ウイスキーが、なぜかチェンマイでは、480バーツぐらいで買えるのである。ジョニーウォーカーのレッド(ブラックと比べるとやはりすこし辛い)より安いのだから不思議でならない。(写真は免税店で買った本物のジェイムソン。チェンマイのはこれとは違う。)

 異国の果てで、何もかも満点とは行かないことは承知している。ストレートと氷水で我慢しているけど、固くてなかなか溶けない氷があったらなあと、ウイスキーを飲むたびに思ってしまう。

 まだチェンマイで氷屋というものに行ったことはないのだが、そこに行けば氷柱はあると思う。業務用のでっかい氷柱の搬入は何度も見かけたことがある。だけどあれを買ってくるわけにはいかないし、なんかいい方法はないだろうか。

 何故オンザロック用の適当な氷がないのかと考える。用途がないからだろう。

 私は実は、タイ人の味覚というものをあまり信用していない。タイ料理というのは世界的にも評価が高く、アジアの料理としてかなり上級に位置するのは認めるけれど、すくなくとも酒に関しては、一般的タイ人は味音痴であると思っている。

 ジョニー・ウォーカーのブラックというのは、タイ人が最も好む洋酒である。彼らは「ブラッ(タイ人が発音するとこうなる)ほど美味い酒はない」と言う。
 ジュライホテル近辺の娼婦からチェンマイのヤングエグゼクティブまで、不思議なほど意見が一致している。でも彼彼女らが飲んでいるところを見ると、とても酒の味がしないようなうす〜い水割りにしたり、どぼどぼとコーラを注いだりしているのである。そしてまたつまみに、とんでもなく辛いトムヤムクンなんかを食べたりしている。どう考えても酒の味が解っているとは思えないのだ。
 ありゃただのブランド信仰であろう。セメダイン臭いメコンやセンチップより悪酔いしないのは確かだろうが。

 下川祐治さんの本を読んでも、タイ人は酒の飲み方を知らない、酒に弱いというようなことがよく書かれている。
 彼らの飲むウイスキーは、うす〜い水割りが主流だから、オンザロックという飲み方も普及していないのだろうし、たとえ屋外でそれをやっても、あの竹輪輪切り型の氷では、あっという間に水割りになってしまうだろう。

 バンコクの高級ホテルのバーでは、もちろん気分良くオンザロックが飲めた。チェンマイでもそれなりのホテルのバーに行けば問題はない。だが私のしたいのは、自分の部屋のベッドに寝転がり、文庫本片手に飲むOn the Rocksなのだ。



 タイから帰ってきた時、一番飢えているのは雑誌である。まさしくむさぼるという感じでパソコン雑誌やスポーツ紙を買いまくり読みまくる。それと比べるとあっさりしたものではあるが、ぶっかきのパキパキ氷も、飢えるもののひとつとなっている。

 渋谷にある私の行きつけの店は、バーテンが氷を削り、ウイスキーグラスとほぼ同じぐらいの大きさのものを入れてくれる。ウイスキーは、大きな氷にまとわりつくような形になる。これを転がしながら飲むウイスキーは、うまい。澄んだ氷と絡み合い、琥珀色のウイスキーがたゆたう様も美しい。

 この店では何故かバーボン、それもワイルドターキーの十二年物を飲むことが多い。なぜだろうなあ、私はむしろテネシーウイスキーのほうがすきだったりするのだが。
 一度テレビで見たのだが、名物バーテンが、アイスピックで、ほぼ完璧なボール状の氷を削りだし、グラスに入れてくれる店を紹介していた。あの店で飲んでみたいと憧れている。

 もっとも酒飲みの私は、そういうグラスに入った大きめの氷が、ほとんど溶けない内にお代わりしているから、溶けた氷はほんの少し、ウイスキーを冷やした程度でしかない。オンザロックスという形式に対するこだわりは、味はもちろんだが、見かけや様式に対するものもおおきい。

 最近日本では、コンビニでも板状の氷を売るようになってきた。ちょいとデカ目の弁当箱のような氷だ。これはすばらしい。これだったら上述のバーのように、自分で氷を削って楽しめる。さすがにそういうことにこだわる日本である。

 日本という国は、私が「こんな製品があったらいいな」と思うと、確実に製品化されてくる。それは私が典型的な「日本人的日本人」であることの証明ともいえる。
 
 この弁当箱氷が、どのような使用を前提した製品なのかはしらない。砕いていない氷柱を売るのだから、一種の原点回帰、採りようによっては手抜きとも言えるわけだが、なんともうれしい製品である。家庭用の冷蔵庫ではここまでのものは作れない。アイスピックで形を整えるところまではしないにしても、氷の大きさを加減できるのはありがたい。尖った氷に、琥珀色のウイスキーがまとわりついて行く様は、酒飲みの心をくすぐる。それはやはりあの竹輪型では出せない味だ。

 チェンマイに着くとまず、ティッシュペーパーのような日用品をあれこれと買い揃える。ナイトキャップ用の(たまにモーニングの時もあるが)ジェイムソンも、エアポートプラザ地下のトップス(スーパーマーケット)で必ず買う一品だ。その時いつも、あの竹輪状の氷を買いながら、「氷がなあ……」と思う。果たして私のこの悩みが解決される日は来るのであろうか。(00/6/25)
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