北京路の歩道橋より昆明飯店を望む。この一部にタイ領事館がある

△昆明以前

 昆明(くんみん)にタイの領事館が出来た。タイ航空のバンコク・昆明便がほぼ毎日、チェンマイ・昆明便が週二便、就航した。それが正規に何年のことなのか知らない。調べる気もない。どうでもいい。とにかく、それをきっかけとして、当時の『サクラ』常連の間に時ならぬ「昆明ブーム」が起きたのだった。書きたいのはそのことだ。

 当時、旅行者がタイにヴィザなしでいられるのは二週間だった。私の場合は、ヴィザなしでチェンマイまで来て、イミグレで500バーツ払って延長していた。延長は二回出来た。一回が一週間だったから二回で二週間、それで合計一ヶ月いられた。この延長期間というのもいい加減で、係員の気分で十日にしてくれるときもあった。だから手帳を見ると、二週間プラス一回延長の十日で24日滞在というときが何度かある。

 チェンマイに住んでいる人たちはもっとたいへんだった。ダブルと呼ばれる二ヶ月ヴィザと、それの延長だけである。三ヶ月に一度は国外に出ねばならなかった。現在のような一年ヴィザなんてない。シルバーなんとかなんて特例もない。メーサイやチェンコンから日帰りで国外に出て、ちょちょいのちょいと延長するなんて方法もない。今では、ツアー会社にパスポートを預け、出たことにしてもらって延長する方法まであるそうだが。

 『サクラ』の有山パパ、『宇宙堂』のナベちゃん、カラオケ・オリビア経営の神谷さん、ゲストハウス・Jame House経営の浦野さん、豪邸建築中のイワサキさん、長期滞在組のイサオちゃん、その他××さんやら△△さんやら、誰もがみな三ヶ月に一度は国外に出てヴィザを更新せねばならなかった。
 ムーンムアン通りのソイ2に『サクラ』があり、隣が大家の洗濯屋、『宇宙堂』、おかまの床屋、スターとラーのラッキーツアー、Jame Houseと並んでいた黄金時代である。矢野さんのKobori Restaurantも向かいにあったか。斜め前のマーサージ屋も日本人の三好さんが経営していた頃だ。

 当時ヴィザ取りのために頻繁に利用されていたのはマレーシアのペナンだった。あちらもそういう日本人に慣れているらしく、便宜を図ってくれたらしい。みな色んな所に行っていたが、評判はペナンがいちばんよかった。
 私はまだペナンに行ったことがなかったし、三ヶ月に一度、タイを出てペナンに行くのも、陸路であれ空路であれ気分転換になって楽しいだろうと想像したが、そういうのは行ったことのない奴のリクツらしく同意する人はいなかった。みんな本当にタイが好きなのだろう、そしてタイはそれだけいいところなのだろう、皆三ヶ月に一度の国外退去が煩わしくてしょうがないようだった。これはバンコクのジュライホテルにいた連中も口を揃えて同じ事を言っていた。倹約家の彼らは空路ではなくみな陸路だったが、本当にそれを煩わしそうにしていた。それだけタイは居心地がいいのだろうなと一ヶ月以上いたことのない私はうらやましく想像したものだった。

 若くして世界一周を成し遂げていた旅行好きのイワサキさんは、ペナンに飽きてしまい、目先を変えてミャンマーに行ったりラオスに行ったりしていた。浦野さんもノーンカイからラオスに行ってみたりしていた。みな三ヶ月に一度の煩わしいそれを、なんとか楽しいものにしようと努力していた。まだカンボジアブームは起きていない。でもどこに行こうとタイ以上に楽しいところはなく、誰にとってもそれは、三ヶ月に一度の憂鬱な掟のようだった。

 そこに、昆明という新しい道が開けたのである。航空運賃も安い。距離も近い。時間も短い。物価も安いようだ。あれこれと評判の悪い中国だが、少数民族の地である雲南省は別天地と言われている。一年中気候が穏やかな昆明には「春城」という、なんとも旅心を誘う別名もある。まるで古女房連の前に現れた新顔の美少女だった。みんなが飛びついたのは当然であろう。誰もがヴィザ切り替えに昆明に旅立った。あの頃、『サクラ』の丸テーブルは、いつも昆明の話題で溢れていた。

?昆明の評判


         (昆明飯店敷地内にあるタイ国領事館)

 しかし、現実に行ってきた人から昆明賛歌が聞かれることはなかった。それはチェンマイがすばらしすぎるのだ。食も宿も女も、あらゆるものがそうだろう。チェンマイ以上の所があるとは私も思っていないから、それはそれでいい。後はどれほどの附加価値があるかだ。たとえば美人度はどうだ。私は女性というものに対し、ああしたいこうしたいという欲求はすくない。ただ、美しいものをみたい(=醜いものを見たくない)という意識は人一倍強い。昆明の美人度はどうなのだ。

 すでに行ってきた親しい二人から感想を聞いた。
 イワサキさんは「えっ、こんな美人が、と思うような凄い美人がいるよ。なんてったってあれだけの人数がいるんだから、そりゃ美人も多いよ」と言った。一理ある。あれだけの数がいるのである。そりゃあ凄い美人もいるはずだ。
 イサオちゃんは逆のことを言った。「ブスばっか。だいたい漢民族ってのは元々美人がすくないじゃない。タイのほうがずっといいよ」と。これまた一理ある。私はどうも中国人の美人というのをあまり見たことがない。香港なんて(香港の美人女優は大好きだけれど)街中でただのひとりも美人を見かけなかった。大好きな台湾も、美人はいなかった。腹立ったほどだ。この両極端な意見、どっちが正しいのか。
 まだ行っていない私は、正反対の二人の意見に揺れる。

 次回、訪タイしたとき、ついに昆明未体験の最後の大物、有山パパが行って帰ってきたところだった。カラー写真もたっぷりある。昆明の美しい景色を見ながらパパの解説を聞いた。パパは、タクシーを一日契約して、昆明観光を楽しんできたらしい。そのタクシー運転手は二十代後半の女性運転手だった。れいによって、ちょっと表情がキツい感じだが、なかなかの美人である。いや、これ、いきなり「れいによって」と言われてもわからないか。中国人女性は、男女同権社会であり、男同様に働く女が多いから、全般的にキツい感じの人が多い。どうしてもそうなるのだろう。実際、ハリウッド映画で見るように、男と鼻面付き合わせて、一歩も引かず罵倒しあったりする。私は中国人女を見るとアメリカを思い出した。と、これは中国に詳しくなってからの話だが。
 パパを一日ガイドしてくれた女性タクシードライバーは、人並み以上にきれいでスタイルもよかった。またパパの、自分は誘わなかったけれど、もしもお願いしたら、可能だったのではないか、という意見も、むくむくとよからぬ夢を膨らませたものだった。

 パパの名誉のために言っておけば、これは決してパパの妄想ではない。後に私は、昼のタクシー乗務や、大型バス運転の仕事が終った後、外国人の宿泊している高級ホテルにアルバイト売春に来ている中国人女性を複数取材している。残念ながら彼女らとの実体験はない。ロビーや喫茶店で話を聞き、酒やタバコ代(みんな外国タバコを喫いたがった)でお引き取り願った。それでもけっこうな値段になったけど。
 きれいごとを言う気はない。私には、彼女らの請求する金額と、彼女らの容姿が釣り合わなかったからご遠慮申し上げただけである。といって、請求する金額もたいしたものではなかった。彼女らに魅力を感じなかったのだ。
 一言で言うなら、要するに不潔なのである。爪の中が黒い女を抱きたいとは、普通の日本人なら思わないだろう。中国人は一週間に一度しか風呂に入らないというが、昼間のバス運転やらトラック運転やらの延長で来ているからか、世界でも有数のきれい好き国民である日本人としては(フランス貴族がベルサイユ宮殿で野糞、野小便をしているころ、江戸庶民は銭湯に入っていた)、なんともその気になれないのである。日本人がタイを好きな理由として、タイ人がこれまた世界有数のきれい好き国民(英国大百科にも載っているそうな)であることは大きいだろう。一日に何度も水浴びするタイ女だと、野良仕事から帰ってきたところでもセクシーだと思う。対して中国女が真っ赤なルージュを塗り、香水の匂いをさせていても、引いてしまうのである。典型的日本人である私の場合。

 話が前後したが、というわけで、パパに続いて私も昆明に旅立った。私の場合、タイのヴィザ取得は関係ないので、タイ人の金持ちと行く豪華ツアーだった。考えてみるとこれは、私にとって唯一の「ツアー体験」になる。まあ、あれこれと面白い事件が続出した。いや、かなり気分の悪い出来事もあったのだが、今となれば貴重な経験になる。これはまた別の機会に書こう。
●昆明結論



 さて、『サクラ』常連の間で一時大ブームとなった「昆明でのヴィザ書き換え」は、その後どうなったろうか。チェンマイ在住の日本人にとって昆明は魅力的なところであったろうか。それはその後の事実が如実に示している。

 その後、昆明及び雲南省に惚れ込んで通い詰めたという親しい日本人を、ただのひとりも知らない。あっと言う間に消え去ったブームだった。
 唯一バックパッカーの元祖のような旅行好きのイワサキさん(イワサキさんは社会主義国家になる前のラオスを旅している。すごいねえ)が、二三ヶ月かけて雲南省を歩き回ってきた話を聞いただけだ。私の文章に登場する思芽(すーまお)とか孟連(むんりえん)を知っていたのはイワサキさんだけだった。同じく、マダラメさんも一時、大理とかルイリに凝っていたが、今じゃ行かなくなってしまった。まさかこの私がイワサキさんよりも雲南省に詳しくなってしまうとは……。こういうのをトホホというのだろう。

 この辺の感覚については「中国口論-大陸的島国的」にまとめるつもりでいる。(というか、それを書くために、関連項目として急いでこの項を書いたのだが。)
 誤解及び齟齬が生じるのを覚悟で言うと、「まともな日本人なら中国は合わないだろう」と私は思っている。
 中国が大好きだという人を何人か知っている。昆明の語学学校に二年間留学していたなんて人も男女ともに知っている。話してみて、やはりこちらからするとヘンな人である。丸く治めるために「大陸的な人」と言っておくが、「こういう人でないと中国に何年もはいられないんだろうなあ」と思った。

 『サクラ』での友人、知人、親しい人たちが、みな中国好きにならなかったことは、私にとって自分のリクツが認められたようでうれしいことだった。その誰にも負けないぐらい中国嫌いの私が(行く前にはどの国よりも尊敬していたのだが……)、今じゃいちばん詳しい立場にいるというのも、なんとも皮肉なものである。
(02/10/18 景洪 永盛賓館にて)



 そんなわけで『サクラ』常連の間にわき起こった昆明ブームはまたたく間に終息していった。
 時は流れ、新『サクラ』の時代になる。私はそこで親しくなったチェンマイ在住のWさんが長年昆明に通い詰めていることを知った。丸テーブルで話しているうちに、私が云南帰りということから始まった話だった。Wさんは一年ヴィザを申請することもなく、二、三ヶ月に一度出かける国外退去の昆明をすなおに楽しみにしていた。今じゃ丸テーブルの酒席で話題になることすらなくなった昆明だから貴重な人ということになる。
 Wさんの昆明での定宿は私と同じ茶花賓館で、そのことでも話は弾んだのだが、しかもなんとドミトリー(共同部屋)だというのだからおどろく。私よりもずっと年配のかたなのである。見知らぬ若者と知り合って話すのが楽しいと語っていた。旅の資質あり、である。
 もうひとつ思ったのは、Wさんは、近頃『サクラ』でも減りつつあるヘビースモーカーであった。そのことも中国と仲良くできる要素なのだろう。(03/2/10)
inserted by FC2 system