チェンマイに於ける生活のポイントを假に千個だとする。食堂や映画館、銀行にホテル、オープンバー、寺社名所旧跡など全てを含んだ場である。千個という数が適当であるかどうかはともかく、話を進める展開上、そう設定してみた。

 その千の内、さして好奇心が強いわけでもなく、あまり熱心にうろつき回らない私が知っているのは、十年掛けて関わった二百ぐらいだろう。その内、八十ぐらいは時と共に消滅してしまった。が、同じ数だけ同様のものが復活しているから、千という全体数は変わらない。関わった二百の内、八十を失って、私が今チェンマイで知っているポイントは百二十ぐらいということになろうか。


 私のチェンマイに於ける快適な生活とは、その百二十の中から、気に入っている場所や、気分を害することなく過ごせる場所を、三十ぐらい厳選し、それらを巡回しながら毎日楽しく過ごすことである。
 たとえば洗濯屋なら、間違いのない店(=靴下の片方がなくなったりしない店)であり、ガソリンスタンドなら、タイではもうてきぱきとした応対は諦めているから、せめてバイクを停めたらすぐに店員が駆け寄ってくる店とか、今までの体験で学んだ比較的無難な店ということになる。かなりシンプルで画一的な行動の繰り返しとなるのだろう。

 さらに近年の場合は、仕事を引きずって来ているから、より慎重になっている。ホテルにしろ食堂にしろ値段は関係ない。多少高くても不便でも気分を害さない店であることが、私にとって一番大切なことになっている。



 良い例として、旧『サクラ』近くの洗濯屋がある。私があそこを利用したのは、『サクラ』の近くにあり、先輩方が皆利用しているというそれだけの理由だった。そのとき、先輩のひとりに何故この洗濯屋がいいのかと訊くと、「間違いがすくないから」と教えてくれた。それは私もその後、いくつかの店を利用することによって確認している。サクラを出入り禁止になった人が、常連のみんなと顔を合わせないようにしつつ、気まずそうな顔をしながらも、それでもあの洗濯屋にだけは来ていたのを見かけたこともある。それだけの価値があったのだろう。

 長年利用していると、そういう馴染みの店の便利さを痛感する。向こうがこちらの名前と顔を覚えているから、受け取りの時など、バイクで店の正面に行くだけで、すぐに洗い終った洗濯物がビニール袋に入れられて出てくる。何十もの袋が重ねられてあるのに、迷うことなく自分の洗濯物がサッと出てくるのは、なかなかの快感である。バイクを降りる必要さえない。もう十年も関わっているポイントということになる。


 チェンマイに半端に慣れてきた人ほど、「あの洗濯屋は高い。こちらの店の方が何キロいくらだからずっと安くて」などと言ったりするが、この快適さは数バーツの違いなどでは計り知れない。
 まあ、誰もが試行錯誤しつつ自分だけの店を見つけて行くのであり、先輩があの店がいいというのに対し、後輩がもっと良い店を見つけようとするのも、旅の楽しみではある。私の場合、その洗濯屋から動く気はない。

 もっとも、あの洗濯屋のおばばこそが、旧『サクラ』のあった棟割り長屋のオーナーであり、宇宙堂を追い出し(ナンシーとケンカ)、サクラを追い出した(シーちゃんとケンカ)張本人であるのだから、かつてのサクラと宇宙堂を懐かしむ私のようなものにとっては、不倶戴天の敵ということになる。

 ナンシーもシーちゃんもパパも、あの洗濯屋のおばばのことは良く思っていないから、私が今もあそこに通っていると知ったら気分を害するかもしれない。さくらを追い出すときなど、日本語のテレビ放送の音がうるさくて眠れない、日本語を聞いていると気分が悪くなるなどとだいぶ悪質なイヤミ攻勢だったらしい。
 私はシーちゃんに相談され、一緒に引っ越し先の物件を見て歩いたりしたので、その辺の愚痴もシーちゃんから聞いているし、この件に関しては詳しい。今のさくらの引っ越し先は、最初の候補だったが、いちど消滅し、最後にまた復活した物件である。このことはまた「さくらの終焉」とでも題した文章で書こう。ともあれ、私の中でのさくらは、引っ越しと共に終った。

 だが私は最近思うのだ。やはりサクラと宇宙堂の蜜月時代は、時の中の一瞬であり、こうなることは洗濯屋のおばばとは関係なく、必然であったのだと。





 全然快適じゃない悪い例としてモントリーホテルについて書く。白人の女をナンパする日本人は、そこの一階にあるカフェ「JJ」で待ち受ける。私はそれを趣味としている日本人と共にここにたむろし、なんともいいがたいナンパの現場を観たことがある。この辺のおもしろおかしい話も数限りなくあるのだが、それはまた別の機会にして。

 このホテルのロビーでは国際電話のサーヴィスをしている。フロントで申し込み、三つほどあるブースに入って待つ仕組みだ。数年前まではよく利用していたが、何度か値段をごまかされることが続き、今は行かなくなったポイントということになる。

 ごまかしの手口とは、係の女性が、明らかに三分以内なのに「五分です」と言い、こちらに見せずストップウォッチの針をもどしてしまったりするのだ。その頃、1分60バーツだったから、180バーツのところを300バーツだと言ってくることになる。 

 こういう場合、その理不尽さに対して旅行者は闘うべきなのだろう。私が真っ当に抗議したなら(こんな時は、タイ語よりも英語でまくし立てた方が効果的だ)、すぐにマネージャーがとんでくるだろうし、なにしろ機械であるからごまかしようがない。電信の記録を調べれば私が正しいことはすぐに証明される。なにしろごまかした係の女自身がおどおどしているのだから、どちらが正しいかは言うまでもないのだ。 

 でも私はしない。怒りよりも先に、もの悲しくなってしまうのだ。そういうことをして差額の120バーツを取りもどしたところで、私の心に残るのはセコいごまかしに対し、時間を掛け煩わしいやりとりをしたという不愉快な澱(おり)でしかない。
 事後には、「まったくタイ人て奴は」という非難の心が芽生え、すぐにそれは「だったらおまえはなんでこんな国に来ているのだ」という自分への問いかけにまで進んでしまう。
 こういうとき、「狡いタイ人に抗議をして、やっつけてやった。いい気分だ。後々の日本人のためにもいいことをした」という方向に向く人を羨ましいと思う。それが私の言う「旅人気質」になる。私にはそれがない。


 なにしろ私の仕事とは、おっさんである現実の我が身から、恋を知り胸をときめかせている少女や、川面の夕陽を見て涙を流す多感な少年に〃変身〃することなのである。なりきって文章を書くのだ。それが心の中で(だって、ぜったいに二分三十秒だよな、おれ、時計見てたもん。それを五分はないだろ。この前もあの女にやられたな。なんであんな小狡いことをするのかなあ。まったくあのホテルは)なんてブツブツ言ってたらとても変身など出来やしない。する気にさえなれない。


 要は気分なのである。私のような単細胞人間をだますのは簡単だ。最初から1分120バーツという高い値段設定をしておいて、「3分で360バーツです。でも特別サーヴィスで300バーツでいいですよ」なんて微笑まれたなら喜んで払う。同じ300バーツという料金を取られても、なんか得した気分になって、にこにこしながら帰ってくるだろう。どうせなら、もっとうまくだましてもらいたい。


 この場合の、三分未満を五分だと言って徴収した差額の120バーツは、その係の女が着服する。彼女らにとってそれが一番の旨みであり、私のように文句を言わないおとなしい日本人は絶好のカモなのだろう。
 私はその心のさもしさが厭なのだ。タイ人の最も嫌いなところになる。ただしそれは、ごく一部の人である。「日記」でも書いたが、タイは上と下はいいのだ。高卒とか専門学校卒ぐらいの半端学歴が勤める中流のホテルなどという真ん中辺りに、こういうせこい奴らがいっぱいいる。


 以後私は、クレジットカードで掛けたり、国際電話のプリペイドカードで掛けたりするようになる。
 元々係の人間を通して掛ける面倒な国際電話というのが好きではなかった。カードで掛ける方法は快適だし廉価だが、電話機の場所が少ないのが缺点になる。それと、電話機がうるさい場所に設置されていることが多いのには閉口した。

 最近はホテルの部屋から掛けるようになってしまった。結局、ホテルの自室から掛けるという初心者に始まり、安く上げようと町に出たりして、あれこれ経験した後、また元にもどったことになる。過日、ターペープレイス・ホテルの電話料金を精算の際に確認したら、「一分175バーツ」だった。高い。でも自室から直接掛けられる。係の女にだまされるようなことがない。快適だ。快適は高くつく。





 それでもモントリーホテルの場合などは、行かないことによって縁を切れるからまだいいのかもしれない。避けようのないパターンもある。



 バンコク・チェンマイ間の航空券は、ここ数年1650バーツだった。
 ドンムアン空港のチケットオフィスでこれを買ったとき、2000に対し300の釣りを寄こして、しらんふりをされるという経験を数回した。始めての時は、思わず「えっ、釣りは350じゃないの」と思い、その女性を凝視してしまった。数秒後、こちらを厭な目つきでチラッと見た彼女は50バーツ札を投げ出してくる。私はたかが50バーツの釣りにこだわった自分を恥ずかしいと感じた。係の女性のふてくされた態度が、私を小銭にこだわるドケチと蔑んでいるように思えたのだ。これもヘンな話だが。
 が、何度かそれが続くと、さすがにやっと、それは50バーツという小遣い稼ぎのために、意図的にやっているセコいごまかしなのだと気づいた。

 この場合も抗議すべきである。でも私はしない。厭な顔をして50バーツ札を放り投げられるのが不愉快なので、その後は何も言わずだまされることにした。その代わり、その女性の顔をじっと見るようにしている。釣りの50バーツをごまかし(気づきませんように)と、そっぽを向いている女の顔。
顔は雄弁である。横顔なのに、(なんだよ、文句あるのかよ、釣りがすくないって気づいたんなら言いなよ、払うからさ)と語っている。私は、(セコいごまかしをする女とはこんな顔つきをしているんだ。確信で悪いことをしつつ、居直った女とは、こんな顔をするものなんだ。よく覚えておこう)と50バーツ分の勉強をさせてもらう。
 唯一の救いは、そういうネーチャンに私好みの顔はいないということだ。皆私の考える「典型的小狡そうな顔」をしている。それでなんとなく納得したりする。

 これはタチの悪い問題である。なにしろ普段の生活の場と違って避けようがない。でもまあ私的に考えるなら、三ヶ月に一度訪れるタイで、四、五回に一度ぐらいだから、年に一回程度だろうか、たった50バーツで〃せこいごまかしをするときの人間の顔〃を勉強できるのだから、安いものだと思うことにしている。

 この料金は、今年春から1900バーツに値上げになった。タイ航空は収益が増えるが、係のネーチャンたちは、バカな外人から小銭をごまかせた1650という半端な値段の方がよかったと思っていることだろう。





 ところで、私と同じぐらい、あるいは私以上に空港でチケットを買ったりしているが、ただの一度もそんな思いをしたことはないという人もたくさんいると思う。
 それはあなたが、私のような間抜けな顔をしていないということだから自慢していい。
 私は旅先で泥棒にも強盗にも詐欺の被害にも一度も遭ったことはない。気をつけるべき箇所では人並み以上にしっかりしているほうだと自負している。
 でもなぜか、タイの空港や中級ホテルなどで、女性から(!)この種の小さな釣り銭ごまかしのようなことをよくされる。彼女たちの顔は、私から見ると「典型的小狡そうな顔」なのだが、彼女たちから見た私の顔は「典型的だましやすい間抜け顔」なのだろう。
 それはまあそういう顔なのだろうから仕方がないとしても、「2000-1650=350」という計算が瞬時に出来ない男に思われたとするならちょっと悔しい。白人は引き算が苦手なので、身なりは立派でも計算の遅い人はいる。でも日本人でそれはいまい。


 避けられないものは仕方がないが、こちらの心がけ次第、選択次第で、かなりの部分の不愉快は回避できる。
 不快にならないことを第一義にして生活しようとする私の行動範囲は、最近益々固定化し狭くなりつつある。完全な点から点へのピンポイント移動である。
 朝食のカオマンカイの店、ガソリンスタンド、洗濯屋、カセットやCDを買う店、セブンイレブン、銀行、サクラ、マッサージの店、タイスキの店、オープンバーと、すべてお馴染みのところばかりを巡回している。それは選び抜くことによって(いや、消去法かな?)やっと完成した私流の「チェンマイ快適な暮らし」なのだが、単調であると言われればそのとおりだ。


 釣り銭を間違われたときには怒らなければならない、後から続く同胞のためにも怒りを忘れてもらっては困るというお叱りがあることだろう。ごもっともだ。
 でも私の場合は元々「旅人ではない」と宣言しているのだから見逃していただきたい。トラベルはトラブルだなどと言うほど私には元気も餘裕もない。なにしろ私のチェンマイ暮らしは、軽井沢に別荘を持てない貧乏ものかきの代償行為のようなものなのだから。






 とはいえこの行動範囲の固定化とワンパターンというのは、私だけのことではないだろう。たとえば「バンコクが好きで年に何度も通い詰めている」なんて人も、客観的に自分を観てみれば、ホテルといい遊び場所といい、かなり限定されたいくつかを巡回し、同じようなことをしているだけと気づくはずだ。


 更には、世界中を旅行したと自慢する人も、実はインド、ネパール、タイ、ヴェトナム、ロス、メキシコ、ブラジルと、日本人のたまり場を、ガイドブック片手にピンポイント移動しただけと気づくはずである。
 私がバックパッカーを嫌いだというのは、彼らにはそのことにすら気づいていない自己陶酔型が多いからだ。


 過日、タイ人の新しい知り合いとバイクで街を走った。するともうあるわあるわ、こんなにもまだ見知らぬゲストハウスだの食堂があるのかと(タイ人用のカラオケの店なども含め)、いやはやあらためてチェンマイの奥の深さを知った。


 今まで関わったことのない路地のゲストハウスで、あくの強そうな亭主と会話し、悪戯盛りの子供と遊び、その隣にある水商売のオネーサン達ばかりが住んでいる、なんとなく色っぽく気怠い雰囲気のアパートを観察したりしていると、今までとは全く違ったチェンマイ生活というのが、いくらでもあるように思えてくる。いや、いくらでもあるのだ。


 私の場合、まずは日本で仕事をきっちりと片づけ、チェンマイまで持ち込まないようにすることが必須となるが、たとえ今のままでも、新しい生活は可能であるようにも思える。

 なにも見知らぬ残り八百ポイントの中から新たにお気に入りを捜さなくても、手の内の百二十の中にも、友人の定宿で、以前から一度は泊まろうと思いながらまだ泊まっていない見知ったホテルや、七、八年前には何度か通った食堂など、まだまだ使えるカードはあるのだ。いつもの生活とは全く逆方向のそのホテルに逗留し、日常の食堂、酒場などを違えるだけで、今まで知らなかったチェンマイ生活がいくらでも広がるように思えるのだけれど……。
(00/5/2 雲南にて)
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