勘違いの頃
▼蚊取り線香立てとガムテープ


 十年ほど前、生来の出不精でアジアへのひとり旅など考えたこともなかったのに、一通り西洋を知ったからだろうか、なぜか突然それをしてみようと思い立った。そう思うやいなや私は勤勉で几帳面な日本人(あるいは小心で転ぶことを怖がる日本人)の常として、可能な限りのガイドブックや旅のエッセイなどをかき集め、旅の事前勉強を始めた。

 その中に旅行作家・下川祐治さんの本があった。
「タイの安宿に泊まるとき、一番役に立つのは蚊取り線香立てである。タイの蚊取り線香にはそれが入っていない。一本の蚊取り線香立てがいかに役立つことか」
「万能に役立つのはガムテープ。タイの安宿には、バスタブはあっても栓がないことが多い。そんなときガムテープで塞ぐと便利である。二つに折って伸ばすと洗濯紐の変わりにもなる」
「いらないのは重いだけで何の役にも立たない××のようなガイドブック(伏せてはあるがすぐに『地球の歩き方』とわかるである」とある。
 おぉ、さすがは旅の達人。なんと役に立つ知識だろう。私は早速準備にかかる。

 東京の住まいには蚊がいないので蚊取り線香は必要なかった。思えば昭和四十六年に東京に出てきた時には、まだハエもいた蚊もいた。最初のアパートのトイレはまだ汲み取り式だった。ずいぶんと清潔な都市になったものてある。
 田舎の家にはまだ蚊はいるが、何年か前から蚊取り線香ではなく電気マット式になっていた。これは一日一枚である。私は一ヶ月以上交換不要の液体式を使っていた。長年蚊取り線香など使っていない。日本で使う予定もない無用の蚊取り線香を、私は旅先で使用するために、しかもあの線香立てを手に入れるためだけに二箱買ってきた。ひとつで十分だろうが二つ用意するのが私の周到さだ。ガムテープを買ってくる。中の芯を抜いて潰す。コンパクトにしてバッグに入れた。次々と、旅の本で学んだ小物を揃えて行く。

 バンコクでのバスの乗り方も学んだ。バンコクのバスは車輌番号が系統立っていないというので、主要な番号は手帳にメモした。下川さんの本にはバンコクの道路の横断方法も書いてあった。なるほどうなづきつつ頭の中に入れる。

 そうして準備している内に、私の中には、まだ行ったこともないタイの安宿での会話が浮かぶようになってきた。

 安宿の朝。旅慣れていない青年が嘆いている。「いやあゆうべはまいりましたよ。蚊がいて眠れませんでした。蚊取り線香は買ったんですけど、こっちの製品には線香立てがないんですよ。灰皿の上で燃やしてもすぐに消えちゃって。もう痒いのなんのって」
 私はそこでおもむろに日本から持参した線香立てを見せる。そして言う。「タイの蚊取り線香って線香立てが入ってないんだよね。だからこれを持参するのは旅の常識だね」
 青年は蚊に食われた痕をぼりぼりと掻きつつ、尊敬を込めた目で言う。「さすがだなあ、旅慣れている人は違いますね」
 むふふふふ。いい気分である。それでまた次の妄想も浮かんだ。また出会った青年が嘆いている。「日本人ですからねえ、たまには風呂に入りたいですよ。シャワーだけじゃ物足りなくって。そのためにバスタブのある部屋をとったのに、栓がなくてお湯がたまらないんですよ。まいったなあ。なんなんですか、タイのホテルって」
 私は持参したガムテープを分けてやる。「バスタブをよく拭いて、乾いたときにこれで栓をしなよ。するとお湯を溜められるから」
「ああ、こんな手があるんですか、さすがだなあ、旅の達人は」
 ぬははははは。いやあ達人じゃないんだけどさ。初めてなんだけどね、アジアの安宿は。こんなにみんなに誉められちゃうと初めてだなんて言えないよなあ。せっかくだからお褒めの言葉は素直に受け取っておこう。やはりね、事前勉強をきちんとしておくと役に立つわ。備えあれば憂いなしって奴だね。

 というわけで、初めてのタイなのにリピーター達から一目置かれる自分を想像しつつ、こまごまとした小物をあれやこれやと揃え、私は機上の人となったのだった。(下川さんは不要と断言していたが、万が一のためにバッグの底に『地球の歩き方』を入れておいたのは言うまでもない。これで二重に完璧である。)


 さてそれらの品々は実際にどうだったかということだが。
 それは確実に役立ったのである。楽宮旅社や台北旅社に泊まったりしたときはだ。
 私はバンコクの中華街に行くと、早速薬局でタイ製の蚊取り線香を購入した。しかしタイ語はひとこともしゃべれない。いや、用意周到な人間だからサワディカップもコップンカップも覚えてきたが、蚊取り線香までは気が回らなかった。モスキート・コイルと言ったが通じない。あのゴミゴミしたヤワラーの小さな薬局である。中国人のオヤジだった。紙とボールペンを手渡された。漢字の書ける日本人と思われたのだろうか。「蚊」と書いたらすぐに通じた。記念すべき私の初めての筆談である。それまでにも白人国で多くの中国人と親しくなっていたが、みな私よりも英語の上手い人たちばかりだったから、筆談の機会はなかった。

 最初はだれでもそうらしいが、これには素直に感激した。言葉が通じないのに字で通じるのである。当人の日本人ですら感激するのだから、傍で見ていた白人にはまるで記述だろう。なにしろ彼らの持っている文字は表音文字である。コトバとは音なのだ。それが音がないのに意味が通じてしまうという表意文字に接したら、かなりの衝撃なのではないか。

 蚊取り線香の箱を開ける。たしかに下川さんが書いていたように線香立ては入ってなかった。よかった。これで入っていたらわざわざ揃えてきた意味がない。ああいう鉄製の小さな線香立てを入れるなんてのも日本人らしいアイディアだ。きっと最初はどこかのメイカーがやって受けたのだろう。それで他社も入れざるを得なくなったのだ。線香のパッケージにあのようなものを入れるというのも痒いところに手が届くきわめて日本的な感覚である。そんなことに気づくのも自国を外から見るからだ。まあ私の場合は下川さんの書物で知ったのだから威張れない。

 栓のないバスタブを求めて旅社を探す。安い旅社はみな水シャワーだ。高いホテルはきちんとしたバスタブ。もちろん栓がある。とりあえずバスタブらしきものがあって、しかも栓のないところを探すのだから、これはこれで難しい。やっとそんな旅社にたどりつく。バスタブはあるがたしかに栓がなかった。思わず「やったあ!」と叫ぶ。よかったよかった。そのためにわざわざ日本からガムテープを用意してきたのである。これで栓があったらがっかりする。って、発想が逆なんじゃないか。どっか間違ってないか、オレ。本来ならバスタブに栓がないと怒るべきところなのだが。 ガムテープで栓をして風呂に入ってみる。小汚いバスタブである。そんなものに入ってもしょうがない。お湯だってやっとぬるま湯という程度だ。

 なのにいい気分だった。それは、「ガムテープを持ってこなかったら、こうして風呂には入れなかったんだよなあ」という用意周到な自分への満足だったろう。正確に言うならそれは、書物で啓発されただけであって自分で発見したり準備してきたものではないから、自慢にも満足にもならないのだが。それに気づかないのが初心者だ。

 というわけで、下川さんの本で学んで持参した蚊取り線香立てもガムテープも見事に役立った。
 そしてまた、日本で勝手にふくらましていた妄想は現実になるのである。
 まだアジアの旅も本もブーム以前だったのだろうか、下川さんもまだ二冊ぐらいしか本を出していない時代である。インターネットの普及もあり、アジア旅関係の本なんてのはくさるほどある時代だ。今じゃ誰でも知っている知識なのだろうし、さらにはタイも中国も最近はもう電気式蚊取りマットの時代になっている。先日泊まった中国の安宿でも、バンコクの台北旅社でも、電気式蚊取りマットが用意されていた。日本は一ヶ月二ヶ月交換不要の液体式の時代である。

 でもまだその頃は違った。日本から線香立てを持参した私は、何人もの貧乏旅人に「さすが!」とか「なるほどなあ、それは便利ですね」と誉められたのである。まあきっかけがきっかけなので、それは嬉しいでも誇らしいでもなく、カンニングでとった満点のように、かなり気恥ずかしいものだったが……。

▼旅の勘違い


 そうして私は、知識を授けてくれた下川さんに感謝し、用意周到準備万端な自分に酔っていたのだが、すぐにそのことの無意味さに気づくことになる。気づかなきゃバカだわね。
 だって、よ~く考えてみると、まず私はそんな安宿に無理に泊まる必要はないのだった。そのことが私にとって最も大きな「旅の勘違い」になる。
 下川さんの作品に代表されるバックパッカーの貧乏旅行本ばかり読んでいる内に、いつの間にか私はアジアのひとり旅とは、貧乏旅行をしなければならないと思いこんでいた。事実、初めてのタイで、日本から予約していった一泊目の中級ホテルを除けば、バンコクでもチェンマイでも、私は一生懸命に(?)安宿に泊まっていた。しかしその必要はあったかの。ないのである。
 そうなのだ、お金はあるし、節約する必要もなければ、汚いホテルが好きなわけでもない。学生や会社を辞めてきたひとのように「一日でも長く外国にいたい」というわけでもない。帰国日は決まっている。やらねばならない仕事が待っている。なのに貧乏旅行することがルールなのだと思いこんでいた。とんでもない勘違いである。
 セオリーに従い初めての二週間の旅を終える。何度かそれを繰り返せば、さすがに自分なりの旅の流儀が出来てくる。

 私は金のない若者ではない(かといって金持ちでもないが)。持参した金で一日でも長く世界を放浪したいとも思っていない(うん、これは間違いない)。日本に仕事を持っているおっさんのする、異国体験という一ヶ月程度の旅なのである。三十万円程度の金は使える。となると、無理して五百円ぐらいの安宿に泊まり、オンボロバスで移動する必要はないのである。

 そのことに気づいてから、そんな無理は止めた。若いときだったらそういう旅もまたファッションとして楽しかったろう。でも私はもうそんな齢ではなかったし、そこから学ぶものもなかった。といってそれを否定するものではない。汚いところに泊まり、そのことに粋がることはよく解るのだ。私が学生時代、飯場に住み込んで土方をしていたことも、そういう仕事をして社会を学ばねばならないのだという思いこみがあった。チャラチャラしたコギレイなアルバイトをしている連中に対して、私は心のどこかで優越感を持っていた。自分は本物の仕事をしていると。
 今もそんな感覚の若者はいるだろう。「現地の人と同じ暮らしをして接したいんです」なんてヤツだ。それはいい。そういう人生の季節がある。

 しかしその季節を通り過ぎたのに、未だにこだわっているオヤジがいたら、それはただのバカである。人には人生の季節に合わせて学ぶべきものがある。今の私が経験すべきなのは、安宿ではなくむしろ世界の一流ホテルなのだ。

 というわけで、初期の思いこみ中毒が完治し、まともな精神状態にもどった私は、自分の懐事情、精神事情に似合った蚊のいないホテル、バスタブの栓のあるホテルに泊まるようになった。移動はバスではなくタクシーでするようになった。洗濯物はホテルに出すようになった。するとせっかく下川さんの本などで覚えた「旅の必需品の」の知識は無用の長物になってしまったのである。以後、蚊取り線香立てもガムテープも持参していない。
 でも教えてもらったそれらが必要でなくなった代わりに、旅に慣れるに従い、私には私なりの旅の必需品が出てきたのだった。
(99/12/8)
雲南でじかめ日記-景洪クーラー事情
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