ブラッサリーの魅力・後篇


致命的缺陥

 バカテクのギタリスト、ブラッサリーのトックに、「星飛雄馬的致命的缺陥」があることに気づいたと書いたが、それにはまずこの用語を説明せねばならない。

 星飛雄馬がマンガ『巨人の星』の主人公であること、父・星一徹のスパルタ教育で鍛えられたこと、魔球「大リーグボール」、その他、花形満などの登場人物に関して、知識のある方は多いだろう。マンガは昭和四十年代の初めに『週刊少年マガジン』に連載されたものだが(ぼくでさえそのころ高校生だった)、一般的には後のテレビアニメで知ったという人の方が多いようだ。

 大リーグボール養成ギプスに代表されるスパルタ教育を一徹から受けた飛雄馬は、子供時代から、家の壁の穴に向かって投げたボールが、外の木にぶつかってまたもどってくるというほどのコントロールを誇っていた。神懸かり的な制球力。スパルタ教育によって生み出された驚異的なスピード。だがそれでは文句なしのスーパースターになってしまう。

 梶山劇画の基本は、才能はあるが、同時に致命的な缺陥を持った主人公が、艱難辛苦の道を歩む根性マンガなのだから、挫折すべき缺陥がないと盛り上がらない。例えば『タイガーマスク』なら体が小さいということだ。作品の中で、何度も主人公・伊達直人は「おれは馬場さん、猪木さんのように体が大きくないから」というセリフを言う。体力勝負のプロレスにおいて、体が小さいことは致命的缺陥になる。

 原作者・梶原一騎が、抜群の制球力とスピードを誇る飛雄馬に設定した致命的缺陥もまた、その小柄な体から来る「球質が軽い」ということだった。球が軽いと、当たったとき飛距離が出る。スピードがあることが逆に作用してしまう。努力では直せない缺陥だった。やがてその缺陥を逆手に取り、「大リーグボール一号」が生まれることになる。

 当時のことを書いた本を読むと、梶原さんの原作はかなり泥縄式であったと告白されている。消える魔球なども、魔球を登場させ、話題になり、謎解きの段になってから、懸命にその消える謎を考え始めたらしい。もちろんこれはケチをつけているのではない。後日談が新鮮なだけである。

 ぼくのいう「星飛雄馬的致命的缺陥」とは、「人より優れている人が持っている、努力ではどうしようもない一面」のような意味である。誤解されないようフォローしておくが、これは「人より優れている人だけに使える用語」である。人をおとしめる言葉ではない。どうしようもない人を否定するときに使う用語ではないことをご理解いただきたい。

 ここでこの言葉を使用するトックの場合も、彼が人並み以上の優れたギタリストであることは間違いないのだ。そのことを十分認めた上で、「なんか物足りない、それは何なのか、ぼくはこう思う」というのが本稿である。彼が「ブラッサリー」という、チェンマイのレストラン&ミュージック・ハウスの専属ギタリスト&経営者から、世界のミュージシャンになれないのは、何が足りないのかということに関する、ぼくの個人的意見である。

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黒くない
 もったいぶらずに話を進めよう。ぼくがチェンマイに行くたびに通い詰め、やがてそのことに気づき、通わなくなり、彼が日本公演をする頃にはもう関わらなくなっていた彼の「星飛雄馬的致命的缺陥」とは、「黒くない」ということだった。そう、彼は「黒くない」のだ。

 彼はジミヘンに代表される黒人のナンバーが好きである。アコースティックの時にはライ・クーダーやニール・ヤングを好んだりする。自分もそういう色のミュージシャンだと思っているのだろう。それはぼくの好みと一緒だった。ぼくが彼を好きになったのは、好きな音楽の好みが似ていたということが第一である。そんな大好きな彼に、「黒くない」とケチをつけるのは心苦しいのだが、それはこよなくブラック・ミュージックを愛するぼくが、最初からそうしようとしていたのではなく、彼のテクニックに魅せられて通う内に、次第次第に気づいてきたことだから、これはやはり言わざるを得ない。

 彼は「黒くない」のである。これはもうどうしようもない。礼儀として、それを〃缺陥〃とか〃缺点〃と呼んではいけないのだろうが、彼がそういう音楽を志す以上、そういう言いかたをせざるを得ない。これは小さな缺点ではあるが、致命的とも言えるだろう。

 彼は巧い。優れたギタリストには必須の手のデカさも(ピアニストもそうだけれど)、タイ人には珍しい長身に育つことによって授かった。早弾きの腕はアル・ディ・メオラばりである。アコースティック・ギターも巧い。歌もいい。声もいい。総合的に優れたギタリストでありミュージシャンだろう。特にチェンマイなんぞで会えるギタリストとしては特級品だ。だが黒くない。それもまた確かなのだ。

 と、ここまで書いて来て思い出した。日本でも渡辺香津美が、若い頃、そんな評価を受けて悩んでいたことがある。子供の頃からジャズ・ギターを志した彼は、早くも高校生にしてレコード・デビューし、抜群のテクニックを誇る日本有数のジャズギタリストとして刮目されていた。だが二十代半ばあたりから、最も根幹であるジャージーな感覚に缺けるのではないかと批判されるようになる。この場合の「ジャージーな感覚」もまた単純に言ってしまえば「黒くない」ということである。恵まれた家庭に育ち、マンションの一室でジャズのレコードを聞きまくることによってギターを身につけた彼の音楽には、そもそものジャズスピリットが缺けているのではないかという指摘だった。'

 70年代後半にクロスオーバーという用語が登場し、やがてフュージョンと名を替えて行く頃のことだ。ぼくも彼に関して、その優れたテクニックに憧れ、新宿の「ピット・イン」などでよく聞いていたけれど、いつも、なにか物足りないものを感じていた。特にぼくがその頃いちばんのめり込んでいたのは、ギットギトのデルタブルースだったから、自然に沸き上がったこの批判には、素直に同調するものがあった。ぼくだけでなく、当時のぼくの音楽仲間も含めてである。その種の批判からスランプに陥った渡辺香津美は、自分の音楽を模索し、やがて一回り大きく成長するから、それはそれでよいことだったと思うけれど。
 トックに感じた物足りなさは、渡辺香津美に対するものと同質だった。

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 まことにもって人の好き嫌いとはうまく行かないものである。チェンマイのトックは、アル・ディ・メオラのようなフュージョン系ギタリストを志したなら、突出した存在になれただろう。だが彼が心から愛し憧れたのは、彼とは本質的に異なっているジミヘンだったのである。

 「黒くない」とは何であろう。解っている人には説明不要だが、解らない人に説明しようとすると、とても難しい。とにかく、トックのジミヘンを聞いていると、テクニックは抜群なのに、わさびの入っていない寿司を食っているような不満が溜まって行くのである。アルコールの入っていないビールとでもいうのか。この辺、ナンシー関ならもっと的確に意地悪に表現出来るように思う(笑)。

 ぼくにはその種の才能がないので上手く言えないのだが、一言で言い切ってしまうなら、彼は「チェンマイのジミヘン」ではなく「チェンマイのリッチー・ブラックモア」を志せばよかったのである。そしたらもう、なにひとつ文句がない。速さといい、ドライヴ感といい、最高である。でも彼が好きなのはブラック・ミュージックだった。リッチー・ブラックモアではなくジミー・ヘンドリックスなのだ。難しいものである。ジミヘンは天才だ。天才がドラッグで命を縮めつつ挑んだのがあの音楽だ。あれは黒人でなければアプローチ出来まい。

 ジミヘンをテクニックだけのギタリストのように解釈している人がいるが(中にはもっとひどく、ギターを燃やすようなトリッキーなミュージシャンと捉えている人もいる)、彼の凄みはなんと言っても生まれ持ったブルース・フィーリングなのである。それはライブの「リトル・ウイング」でも聞けば一発で解ることだ。生ギターもすごい。日本人がブルースやフラメンコなどに挑んでも、どうしても何か足りないものがあるように(白人が着物を着ても、ぜんぜん様にならないように)、タイ人がブラック・ミュージックに挑むのにも、やはり無理があったのだろう。それがぼくの結論になる。

 黒さに憧れたトックの黒くない部分について語っていると、ちょっと切なくなってきたので、この話はもうここまでとする。代わりに、タイ人のちょっといい話を書いておこう。


モーラムの妖しさ




 八年ほど前、お茶の水の会館で、モーラムの催しがあった。ぼくはモーラム狂いのトモキに誘われて(彼と出会ったのはジュライ前の屋台だった)出かけていった。

 彼はその頃、「モーラムはブルースである」と異常にモーラムに入れ込んでいて、収集したモーラムのテープから自分流の90分ベスト版を作り、手書きの解説書と共にぼくに送りつけてきては、ぼくの関わっているFM局で、モーラム特集をしてくれないかと要請したりしていた。

 ぼくもモーラムのテープは可能な限り買い集めていた。研究課題としてけっこう気に入っていたけど、彼ほどは入れ込んでいなかったし、残念ながらぼくには、バイリンガルのネーチャンが日本語と英語をごちゃまぜにした薄気味悪いしゃべり方をし、ニューヨークの天気予報を英語でやることを売り物にしているFM局(つまり白人下僕路線ですね)で、タイのモーラムの特集をやるほどの力はもっていなかった。。

 入場料は三千円だったか。ゲストに大学でラオス語を教えている先生(星野さんだっけ?)と前川健一さんが来ていた。メインは本場タイからやってきたモーラムの演奏だ。来場していたのは、三千円を出してモーラムを聴きに来たのだから、タイ狂いの中でもかなりディープな連中であったろう。八百人ほどの入り。ほぼ満員だった。

 ゲストの講演が終り、モーラムの演奏と唄が始まる。さすが本場からやってきただけに、影絵もちゃんとついていた。演奏が始まると同時に、演壇の真ん前に駆けつけ、あるいは自分の席で、踊り出す連中が続出した。よれよれのジーンズを履いた、薄汚いバックパッカーみたいなニーチャンネーチャンが、体をくねくねさせて自己流の踊りを始めたわけである。ぼくは会場の真ん中より後ろぐらいの席に座り、それを見ていた。

 すると、全体の中に、明らかにひと味違う数人がいることに気づいた。女性だ。ジーパンにTシャツ、ロングヘアー。後ろ姿はその他の女性と同じなのだが、モーラムに合わせて踊る体の、腰つきから指先に至るまで、発する色香が、その他大勢とはまったく違っていた。照明を落とした会場の中で、それは背筋がゾクゾクするような妖しさに満ちていた。本物のタイ人である。イサーン(タイの東北地方=田舎)出身だろう。何十人もの日本人がモーラムに合わせ、自己流に踊っている中で、ポツンポツンと離れて存在しているのに、その数人のタイ人女性の輝きは、誰が見ても際だっていた。別格の存在だった。なんと蠱惑的な光景だったことだろう。まるで月夜の妖精のようだった。ぼくはその妖しい腰つきに、しがみつきたくなるような衝動を覚えていた。これを見ただけで、ここに来た価値があると思った。

 彼女らが日本で何をしているのかは知らない。エリートの留学生なのか。売春婦なのか。どこで聞きつけてこの会場にやってきたのだろう。いずれにせよ、モーラムに溶け込んでいるのだから、イサーン出身であることは間違いあるまい。モーラムという音楽がタイ人のものであることを確認した瞬間だった。

 会場を後にするとき、ぼくはその数人の一人であろうタイ人女性とすれ違った。Tシャツに見覚えがある。色の黒い、小柄な、平凡な容姿の女性だった。とてもあの月夜の妖精のような色香を放っていた人とは思えない。ぜんぜんしがみつきたくはならなかった(笑)。
 血に溶け込んだ音楽がある。あの夜、モーラムの価値を知った。

 人は誰も、血が覚えている音楽と関わるとき、妖しい光を放つ。だけどぼくら日本人は今、それを持っているだろうか。異国人に「さすが!」と言われるだけの音楽は、ぼくらの体に流れているだろうか。そのことを考えさせられる出来事だった。

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ブラッサリーの魅力
 本題にもどって。
 というわけで、残念ながらチェンマイのバカテクギタリストのトックは、ぼくにとってそれほど魅力的な存在ではなくなってしまった。かといって「ブラッサリー」という店の魅力そのものが消えてしまったわけではない。実はぼくがこの店に関わっていちばん昂奮したのは、ちがうところにあった。
 それは「白人おっちゃんの飛び入り」である。ぼくがブラッサリーに通い詰めていちばん楽しかった出来事はそれになる。

 飛び入りには大きく分けて二つのパターンがある。ひとつはトックがブルース好きだということから、ブルースハープを手にした若者の飛び入りである。

(注釈しておくと、ブルースハープというのは、ホーナー社の発売している単音十穴のハーモニカの商品名である。ロックやブルースで使われるハーモニカとしてベストセラーであることから、いつしかこの種の音楽で使うハーモニカをそう呼ぶことが通例となった。ヘッドフォンステレオをウォークマンと言うようなものだ。
 このハーモニカはキー毎に製品が揃っている。吹くキーに合わせて替えねばならない。つまり、総ゆるキーに対応して演奏に参加しようと思ったら、常に十二本を携帯していなければならないわけだ。ぼくも昔は十二本をケースに入れて持ち歩いていた。ブルースでこのハーモニカを吹く場合は、通常サブドミナントのキーを使う。つまりCの曲ならならFのハーモニカを吹く。理由はブルーノート(キーがCなら、E♭とB♭になる)が出しやすいからだ。


 持参したブルースハープ片手の若者が飛び入りし、トック達に指定したキーのブルースコードのバック演奏をしてもらって吹きまくるのだが、案外これはつまらない。自分が出来るからかも知れないけど、通常ブルースハープというのは、ある程度吹けるようになると、それほどびっくりするようなことは出来ないから、一曲聞けばお腹いっぱいという感じになる。長髪にジーンズの、いかにも白人の若者といったタイプが、このブルースハープ飛び入りには多い。

 すごいのは、もうひとつの方である。おっちゃんの飛び入りだ。ぼくはあの時の驚きを今でも覚えている。それはアメリカ人にしては小柄な人だった。170センチもなかったろう。頭はハゲていた。そんなに年は取っていない。小太りだった。お腹が出ている。ポチャポチャしたタイプ。青一色の趣味の悪いTシャツを着ていた。下はルーズフィットのジーンズ。人のよさそうな顔。肌は白い。おでこがお酒ですこしピンクになっている。要するに、普段は目立たない地味な人である。

 この人がトックに伴奏をリクエストして、いきなりプレスリーの「ジェル・ハウス・ロック」を歌い出したのだ。巧い。その巧さは、トックが黒くないのと対照的に、アメリカ人だからこそ歌えるプレスリーだった。ほろ酔い機嫌のおとぼけオヤジの登場に、なんの期待もしてなかった客は、このオヤジが内股になり、眉根にしわをよせて、セクシーに、プレスリーに成りきって歌い始めたとき、大声援を送った。ぼくもその一人である。嬌声を上げた。店中もう大騒ぎである。彼は気持ちよくジェイルハウスロックを歌いきり、拍手と歓声の中を退場した。

 あれは楽しかった。本当に楽しかった。その後、またトックの黒くないバカテク・ジミヘンナンバーにもどったのだけれど、それはもう気の抜けたビールのようだった。これまた「血の中に流れている音楽」こそが成せる業である。

 チェンマイに行ったら、ぜひとも「ブラッサリー」に一度は行って欲しい。生演奏が聴ける店としては、チェンマイでいちばん充実している。あなたが古いロックの名曲が好きな人なら、シーバスを片手に、十分にいい気持ちになれるはずだ。そしてもしもついていたなら、本場のプレスリー(笑)が聴けるかも知れない。(00/07/28)


              

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