ゆずりなさい -雨期編
  「道路事情」


無事書類の提出が済んだ。ほっとする。
 この役所の担当者は、ぼくが中国に関わって、初めて「いい人だなあ」と思った漢民族だった。今回そう思ったのではなく、二年前に初めて会ったときからである。はるばると日本からやってきたぼくを、書類がひとつ足りないからもう一度来いと追い返すのは気の毒だと、特例でなんとかならんかとかけあってくれた人なのである。それは、ぼくのほうが悪いと解っていたので、無理だろうと思ったし、事実無理だった。それでも、そんなことをしてくれる漢人に初めてあったものだから、ぼくは涙ぐんでしまうほど感激したのだった。

 「雲南道路事情」に書いている、昆明に出張している役人とは彼のことである。見ず知らずの人しかいないなら、ぼくも袖の下をつかませてでもクリアしようとしたかもしれない。でも彼が信頼できる人なのを知っていたので、どうせならいちばんの難所のゴールインを、出張から帰ってきた彼の手でしてもらいたかった。
 願い通りになった。心底ほっとした顔をして、謝々をくりかえすぼくを見て、彼も我が事のように喜んでくれた。いつかまた、手みやげをもって訪れたい。そんな人が、ぼくにも中国に出来た。



用が済んだらすぐにでも景洪にもどってのんびりしたいと思っていた。この思芽というのは、なんの特徴もない平凡な町なのだ。一刻も早く出たい。
 昆明は冷えたビールのないつまらないところだ。でも百万都市だからそれなりにおもしろみもある。景洪は風光明媚なタイ族の町で、冷えたビールもある。地理的に真ん中のここは、食事的には冷えたビールもなく、景色がきれいなわけでもなくと、いいところの全然ない町なのである。間違っても来ようと思うところではない。これはぼくの偏見ではなく、チェンマイで雲南を語ると、行った人はみな同じようなことを言う。

 それでも、もうここにも来なくてもいいのかと思ったら、ぼくは前々から行こうとしながらまだ行っていない思芽港に、この際だからと行きたくなった。チャンスはきょうぐらいだろう。さいわいにもきょうは、雨期の中の珍しい晴れ間となっている。






上の写真はバスの発着所にあった地図(=看板)を撮ったもの。思芽港は思芽市からだいぶ離れたところから内側に折れて入ってゆくようになっている。写真だと小さくぶら下がっている。
 いつも那瀾という小さな町を通過するたびに、「思芽港まで15キロ」という看板を見て、いつか行きたいものだとあこがれていた。思い立ったが吉日だ。早速出かけることにした。出不精のぼくだから気の変わらないうちに動いたほうがいい。

(那瀾の「那」という字は、地図にあるように、正しくは「那」という漢字の左に口偏がついている。ATOKの漢字読み出しではこの漢字が表記できるのに、ホームページに貼りつけると?にバケてしまう。なぜなのだろう。今までにもなんどかあった。そもそも漢字が表記できないなら諦めもつくが、ATOKでは出来ているので、なんともこれには不満が残る。)


切符を買う。直通はない。思芽から瀾滄行きのバスに乗り、途中の那瀾で降りて、新たにバスを探さねばならないようだ。
 瀾滄はランチャンと読む。ちょうど地図では左端になって半分切れている。大河メコン川の源流である。中国とラオスではこの名で呼び、タイに入ってメコン川となる。
 これも西双版納(シーサンパンナー)と同じでタイ語である。「ラーン・チャン」=「百万の象」という意味だ。詳しくは「タイ語抄-西双版納」に書く。


タイ語抄「西双版納」




いま時刻は午前十一時。バスは昼前に発車する。
 遅く見積もっても午後一時半には思芽港に着けるだろう。ぼくの予定では、港の写真を撮り、一時間程度の滞在で那瀾に引き返し、それから景洪行きに乗り、暗くなる午後七時ぐらいには景洪に着けるだろうというものだった。やはり眠るのは景洪がいい。今夜の宿は景洪にしたかった。

 この思芽から瀾滄の道は近年整備が進んでいる。最新のものだ。アスファルト道路であることがわかるだろうか。砕石舗装とは乗り心地がぜんぜん違う。この辺の道路としてはかなり良い。
 たまに雨がパラつくものの、乾期のホコリよりは、しめっていたほうがずっといい。
 バスは順調に走り、よどみなく那瀾まで行くかと思われた。


停まる。崖崩れか。予定が狂い悔しいが、雲南では仕方のないことだ。だがどうもそうではないようだ。バスを降り、運転者や乗客と一緒に状況を見に行く。
 左の写真から「雲南道路事情-乾期篇」との事態の差を見比べて欲しい。あのときはぼくらのバスの前に延々と何十台もクルマが停まっていた。今回は、ぼくのバスから崖崩れの現場と、そこに並んでいる二台のクルマが見えるように、なんらかの事故は起きたばかり。ぼくらは真っ先に到着した後続車だった。ということは事故は今起きたばかりであり、解決までに時間がかかるということでる。

たしかに土砂崩れがあった。それは写真にも写っている。しかしこれ、明らかに人間的な事故である。土砂崩れのあった道路で、マイクロバスとトラックがすれ違う。土砂が崩れた分、道は狭くなっている。譲り合えばなにも問題はなかったろうに、共に譲ることなく突っ込んだ。そして車体が接触した。そういうことなのである。
 どちらが悪いかといえば、右側通行の中国で、右側の土砂が崩れたのだから、バスが待つべきだった。なのに突っ込んだのだ。





で、ここからが煩わしくもうんざりすることなのだが、この接触そのものはたいしたことはない。アップの写真でわかるように、そのままバックするにせよ、通り抜けるにせよ、かすり傷程度のものだ。すぐにでも解決できる。補償の問題でどうなるかは知らないが、車輌を寄せてくれれば後続のぼくたちが迷惑を受けることはない。すぐにでも通行できるようになる。なのにそのまま動かないのである。困った。

どうやら「現場保存の原則」のようだ。この国の保証とか保険がどうなっているのかは知らないが、警察が来て、どちらが悪いか判断を下し、書類を作るまで現場を保持するらしい。すぐにでも動けるのにこの車輌は、このままでいなければならないらしいのだ。当人同士はいいが、後続の車輌はいい迷惑である。道を譲らなかったバスの運転手ひとりの身勝手さで、警察が来るまで全員がこの場で待たねばならないのだ。




トラックの外側は、左の写真のような、遙か下方に、雨期で増水した濁流が渦巻いている。これはかなり怖い景色だ。中国のこういう景色を見ていると、古代より荒れ狂う川を龍に見立てた感覚が解る。遠くから、うねり、暴れる激流を見ると、正に巨大な龍がのたうち咆吼しているように見えるのだ。
 断崖と絶壁に囲まれた山あいの道。危険きわまりない。だったらねえ、ゆずりなさいよ。ほんの十秒もかからんでしょう、待ってあげて、ゆずってやって、プップッと感謝のクラクションを鳴らしあって、それでいいでしょう。なんでこんなくだらん事故を起こすのだろう。

結局この事故で、警察が来て現場検証をし、車輌が動き出すまで三時間待たされた。なんともたまらない時間のロスである。それでも短気単細胞のぼくが、それほどイライラせずに過ごせたのは、運良くこのバスが空いていたのである。だから後部座席のほうで横になっていた。昨夜、寝ていなかったから、いい午睡になった。いよいよ動き出すというので起き出すと、クルマは延々と何百メートルもつながっていた。
 このことで思芽港に行く予定は大幅に狂い、この日の泊まるところさえ変更になる……。



(01/7/28写真&原文。アップ02/2/15)

(「憧れの思芽港へ」に続く)



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