あこがれの思芽港へ
 

「ゆずりなさい」


というわけで、やっと「ゆずりなさい」の渋滞から解放されて那瀾に着く。ここは町なのであろうか。地図にある地名としてはそうなるのだが……。
 実際には「バスの発着所の周囲に商店や人家が集まった集落」という感じでしかない。すくなくとも多種多様な人々が暮らす町ではない。
 左の写真は昆明から来た寝台バスである。なんどか書いているが、二昼夜を走る寝台バスとはいえトイレがないので、お腹を壊したり、珈琲やビールを飲んでトイレが近くなったりすると問題である。よって極力飲食をしないようにして乗るので、ぼくにはすこしも楽しくない。まして寝台はとても狭く、小さめの畳一畳に二人であるから、烟草好きのオヤジなんてのと一緒になったら最悪である。寝台バスだろうが何だろうが中国人はどこでも烟草を喫う。狭くて煙くて臭いから惨めで惨めで泣きたくなる。
 バスの周囲に見えるおばちゃんたちは、ご飯や果物などの物売りである。ゆで卵やトウモロコシはおいしいのだが、お腹を壊す危険を考えると食べられない。




地図にあるように、那瀾から思芽港へは横道を15キロほど入る。これは道路地図なので載っていないが、瀾滄川(メコン川)が縦に流れていて、思芽港はそのほとりにある。
 バスを乗り換える。ここからの乗り物は、日本的に言うと「軽自動車のバンを改装して六人乗りの乗り物にしたもの」であった。今まで中国で乗った乗合自動車では最小のものになる。
 ともあれ積年のあこがれだった思芽港がいよいよ目前に迫ってきた。期待はふくらみ、胸わくわくである。

道も、なんとなく今までのものとは違い、ゆっくりと川辺へと向かう細道という感じだ。
 途中何カ所も土砂崩れがあった。雨期であるから日常茶飯事なのであろう。さいわいにも運行に支障はきたさない程度であった。ここでまたそんなのに出会うと大幅に予定が狂う。すでにきょうの予定はもう三時間も「ゆずりなさい」に取られたのでめちゃくちゃである。果たして景洪までもどれるのか。




さて、これからの文章をどうまとめたらいいのであろうか。ぼく自身、困っている。
 小さな乗り合い軽自動車は無事「思芽港」に着いた。肌をじりじりと焦がす陽射しは真夏のものだった。空は青く高く晴れ上がり、凡庸でつまらない思芽市とは景色も一変していた。それはむしろ景洪のものだった。

思芽港への期待はふくらむ。
 まずは近くの食堂というか喫茶店というか、そんな感じの店に入り、ひといき着く。
 左の写真は飲み物のメニュー。いちばん上に「西米露系列」とある。スペイン、アメリカ、ロシアの系列だ。日本はないのか。というのはつまらん冗談ですが。
 これらの店々は、一見観光地のようだった。しかし客はいない。そう、未だにぼくはよくわかっていない。思芽港とはなんとも不思議な場所だったのである。




なにが不思議といって、そこにはこちらが期待したような港はなかったのだ。ジュースを飲みつつぼくは港はどこからと訪ねる。「あっちのほうだ」と指さされた方角に向かい、ぼくは歩き出す。しかし歩けども歩けども、ぼくの考えるような港は出現しなかった。それどころか、思うように川すら観られなかったのである。
 左の写真は、鉄条網越しに見えた瀾滄川。どこにも港らしきものはない。
 結論とはまだ言えないのだが、どうやらここの港とは、タイに出荷するリンゴなどを積み込む、まだ出来上がっていない桟橋がある程度で、ぼくが頭の中で描いている「港」ではないようなのだ。

というわけで、ぼくは苦労の果てにたどり着いた思芽港で、肝腎の港も船も観られなかったのである。帰りの乗合自動車から遙か彼方を走る船を観ただけで……。




 最初に書くべきことを今頃書くが、そもそもぼくがなぜ思芽港に憧れたかである。
 それはタイのチェンライと行き来しているからなのだ。メコン川と瀾滄川で、タイとつながっている中国なのである。チェンマイにあるリンゴなども、思芽港から出荷され、船に乗ってやってきたものが多い。この船に乗ってチェンライから中国に行けるという話も聞いた。十年以上前のことである。

いつしかぼくの中で、チェンライから船に乗り、メコン川をさかのぼり、タイ人の源流である西双版納へ行くという幻想が出来上がっていた。それは旅好きではないぼくには珍しい、「あこがれの航路」になっていた。
 その後ぼくは、船ではなく一気に飛行機でこの地に降り立ち、そこはやがて何度も繰り返し訪ねるお馴染みの場となる。中国という国の現実を知り、幻滅しつつも、「チェンライから船に乗り、メコン川をさかのぼって思芽港へ」というあこがれは、あこがれのまま保たれていたのだった。
 思芽港が、ぼくがかってに夢見たような詩情あふれる港ではなかったという失望は大きい。でもまだ未練を残している。ぼくが見聞したのはなにかの間違いで、きっとすばらしいあこがれ通りの思芽港がべつにあるのではと、未だに思っている。

上の写真は実は反則技。中国のようでいて、これ、チェンライなのである。チェンライの港チェンセンだ。中国から帰った後、チェンセンにドライヴ旅行した。するとちょうど船が思芽港から着き、停泊していた。人夫がリンゴ箱をかついで荷役している。ぼくは水夫たちに中国語で話しかけた。彼らも日本人だという男が中国語で、つい先日まで思芽にいたんだと話しかけてきたものだから、愛想良く応じてくれた。彼らと、どれぐらい時間がかかるんだ、いつ帰るの、次はいつ来るのと話しつつ、ぼくは、大嫌いな中国をけっこう懐かしく、愛おしく、感じていた。ま、旅なんてこんなものだろう。


チェンマイ日記01夏「チェンコンへ」


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