雲南道路事情 雨期篇
  






孟連(むんりえん)から思芽(すーまお)へ向かう。
 雨期。雨が降っている。激しい雨だ。
 旅社の窓から、ずっと空を見ていた。昨夜からずっと降り続く雨粒を観ていた。
 止みそうにない。雨の日の外出はつらい。南国の雨に傘など役に立たない。屋内にいるのがいい。
 私は日がな一日、雨を観ているのが好きだ。
 だが行かねばならなかった。思芽の民政局で再発行してもらわねばならない書類がある。タイムリミットが迫っている。



一週前、入国してすぐに一度出かけていた。今回雲南に来たのはそのことが主用だった。
 今年になってから思芽空港は改築に入ったとかで便が飛んでいない。昆明(くんみん)から思芽を飛び越して景洪(じんふぉん)に行き、そこから六時間ほどバスでもどり、やっとたどりついた役所だった。

 担当者が昆明に出張していて書類を作れないと言う。無駄足だった。
 たいした書類ではない。人員はあまっている。することもなく雑談をしている彼らの中の誰でもいい、規定の書類に私たちの名を記入し、民政局の印を押せばすむことだ。彼が帰ってくるまで出来ないという。これが役所仕事なのだろう。

 賄賂の世界だ。それは知っている。担当のものがいないというのは、それ専用の係長がいないようなものだから、その印をいじれる彼以上に袖の下を包めばすぐにやってくれる。だが今まで、それをせずにすませてきた。そのせいで進行は牛歩のごとくのろいものになったが、なんとかここまで来ている。もうすこしだ。妥協せず歩みたかった。
 私は担当者が出張から帰る日を確認し、引き返した。そして昨日、彼が帰っていて、書類を作ってくれる旨を電話で確認していた。

 帰国の日が迫っている。なんとしてもきょうと明日で済まさねばならない用件だった。




雲南での移動がつらいのは、どこもかしこも山ばかりで、異常に時間が掛かることだ。町は山と山の間にある。移動とはすなわち山越えである。

 百キロの距離でも四時間ぐらい掛かる。平均時速25キロということか。羊腸した山道を黒煙を吐きつつオンボロバスがひた走る。バスの新旧は関係ない。假に最新型のバスがあったとしてもとばせる道路ではない。右は切り立った絶壁、左は遙か下方に川の見える断崖である。ガードレールなどあるわけもない。下り道を50キロも出され車体をきしませつつ走られると生きた心地がしない。せめてタイヤをもうすこしスレッドのあるものにしてほしい。溝などない。つるつるのタイヤだ。
 おまけに喫煙率100パーセントの世界。満員の車内。運転手を筆頭に全員が烟草を喫う。雨期。窓は開けられない。
 うなりを上げて振動する車体。それに負けじと怒鳴り合うかのようにして交わす大声の会話。
 ただひたすら、耐えるだけの時間。

 時間に制限のない旅ならそれも楽しいかもしれない。私も初めてのときは、異国情緒と珍しい風習、見慣れぬ景色に飽きなかった。
 生きた鶏を荷物として乗り込んでくる乗客。人里離れた山中で手を挙げる民族服を着た娘達。道ばたで鹿や蛇をぶらさげて立っている青年。それをバスの運転手が値定めして買う。街では倍額で売れるという。それらのことを楽しんでいる私がいた。

 今それは雲南での日常となった。もう新鮮な光景ではない。
 時間に迫られているときの移動は焦る。移動することが一日仕事になる。そして、どんなに焦ろうと、お金を積もうと、それ以上の速い移動方法はないのだ。

 今回も一日かけて思芽に行き、泊まり、翌朝一番で書類を作り、そうして帰ってくるという丸二日がかりの行動だが、そのほとんどを占めているのがバスに乗っての移動時間だった。役所で過ごす時間など二時間程度に過ぎない。
 一日の大半を取られる移動とはいえ、読書したり、パソコンで仕事をしたり出来ればまだいい。それは無理としても、せめて音楽でも聴ければまだ気が和む。が、それすら出来ない。ヴォリュームを最大にしても、バスの騒音と振動でほとんどなにも聞こえてこない。ただひたすらおんぼろバスの中で時の過ぎるのを待つだけだ。
 移動せねばならない状況になるたび、私は憂鬱になった。そこに費やす時間がもったいなくてたまらないのだ。



十時になった。雨はまだ止まない。決断する。行かねばならない。
 荷物を持つ。旅社の前に立ち、タクシーを拾う。
 バスの発着所に着く。
 大粒の雨が降り続いている。
 タクシーを降りる。
 パソコンバッグを懐に隠すようにして走り出す。日本で念入りに防水スプレーをかけ、さらにインナーバッグにも入れてあるが、この大切なかわいい相棒を濡らすわけには行かない。
 タクシーを降りて構内に駆け込む。たったそれだけでびしょ濡れになった。雨粒ひとつひとつの大きさが日本とは違っている。



雲南は、山々を縫うようにしてバスが縦横に走っている。長距離の大型寝台バスから最も多いメインの20人乗り程度のミニバス。短距離はミニバンを改装した5人乗りになる。バスは雲南の人々の生活を支える交通の要だ。

 切符を買う。
 半日を掛けた憂鬱な移動が始まる。
 満員にならないことを祈る。満員にならないと発車しないから詮無い願いでもある。


 これらのバスのほとんどは運転手個人の持ち込みである。会社所属だが個人営業でもある。乗車客数イコール儲けだから満員になるまで発車しないことが多い。それでも、三十分以上待っても満員にならないなと判断すると、渋々ながら発車することもある。ただしそれは定期便だ。合間の自由便(?)は、客が少ないと平然と運休になる。
もっとひどいのは客の引き渡しだ。
 たとえばAからCという町までの寝台バスの切符を買ったとする。ところがBという大きな街で乗客のほとんどが降り、Cまで行くのは五人しかないとなったとする。すると大型バスの寝台車はCまで行く気がなくなり、Cまで行くマイクロバスに乗り換えてくれと言うのである。このバスがすでにもう超満員だったり、なんとかすわるイスはあっても、荷物があふれるほどだったりする。それを今まで寝ていた寝台バスからまた荷物を下ろし、それをもって引っ越さねばならないのである。寝台バスのチケットを買ったのだから最後まで約束通り行けと怒鳴りたいが、そんなことをやっても現実にもう行かないと決めているのだから誰も逆らえない。仕方なくそちらに移動することになる。

 運転手がマイクロバスに話を決めてくるのはまだいいほうで、時には15元ほどの金を返してよこし、自分で勝手にバスを見つけてCまで行ってくれと言うときもある。ひどい話だ。こういう場合、AからCまでの切符代は150元だったりする。たしかにいちばん安い小さくて汚いマイクロバスでBからCまで行くのは15元かもしれないが(マイクロバスにも何種類かの値段差がある)、こちらは寝転がって行ける寝台バスだからと高い金を払っているのである。それは150元の内の30元ぐらいにはなっているはずなのだ。
 長い物には巻かれねばならない。それしか移動手段がないのである。逆らえない。それもまた雲南の日常だ。


ミネラルウォーターとビスケットを買う。
 こういう移動でいちばんこわいのはお腹を壊すことだ。大型バスでもトイレは附いていない。山中をのろのろと走る最中にそういう状況になったら、その度に運転手に告げ、バスを停めてもらい、山中の道ばたで用を足さねばならない。
 こういう場合、おとなしい言いかたでは彼らには通じない。それこそ恥も外聞もなく、いかに今が緊急事態であり、すぐにバスを停め自分を車外に出さなければたいへんなことになるぞと、わめき立てねばならない。
 お腹を壊したある知人はあまりに頻繁にそれをやっていたら運転手や乗客が怒ってしまい、途中の駅で降車させられたと言っていた。私は慎重に行動しているのでまだそういう事態になったことはないし、さいわいにも他者のそういう事態にも出くわしていない。
 物売りはどこの停車場にも大勢いる。焼きトウモロコシや果物など、口にしたいものも多いが移動の時は極力それらを避ける。とにかくお腹を壊したらたいへんだ。そうでないときに好きなだけ食べればいいと割り切る。




三時間ほど走り瀾滄(らんちょん)に着く。瀾滄側のほとりにある町。メコン川の上流だ。
 やっと半分の道のりになる。

 しばしのトイレ休憩があり、まもなく出発。
 やがてまた山道にさしかかる。険しい道をしばらく走った後。
 クルマが動かなくなった。詰まっている。事故か。
 マイクロバスを降りて前方に歩いてみる。





毎日雨が降り続く雨期。必ず事故がある。いや乾期にもあるから雨期とは限らない。とにかくこういうふうにクルマが詰まり、動かなくなることは毎度のことだ。
 私はカメラを手にバスを降りる。珍しい光景ではない。たいしたものがあるわけでもない。もう飽きている。なのにカメラを手にしたのは、かねてから懸案のホームページというものがある。そういうものを作ったなら、こういう写真は雲南の風景として役立つのではないか。そんな気持ちで降り、歩く。
 三十台ほどの車輌の先に事故現場があった。
 土砂崩れがあり、大木が地滑りで道の真ん中に落ちていた。クレーン車(正しくはクレーンを積んだトラック)がすでに出動して、持ち上げているところだった。毎度のことである。雨期の移動なら一日に数回。乾期でも一回は出くわす。ただし乾期の場合は落石の場合が多い。



私たちが着いたとき、すでに作業は終盤にさしかかっていた。ラッキーである。落ちてきた石や木に目の前でとおせんぼをされ、誰かの携帯電話で連絡をし、それからクレーン車の到着を待つのとでは待ち時間が全然違う。そして、この木に直接クルマに追突されることを考えれば……。

 私たちが待っていたのは一時間もなかった。極めてラッキーである。これをラッキーと思える程度には私もこの地に同化している。同じようなことをこれまでにもう何度経験したろう。飛行機の時間に間に合わなくなると焦ったことも一度や二度ではない。慣れてしまえば、こういうことがあるのを計算して行動するようになる。今では飛行機に乗る町には確実に前日に着くように計算して動く。
 誰もいらついたりはしない。かといって彼らが大陸的大人(たいじん)というわけでもない。いらつくというのは不慮の事態に対してである。これは日常なのだ。いらつきようがない。


撤去が住んだ。乗客がそれぞれのバスやトラックにもどる。私もほっとした思いでまた狭苦しい席にもどる。
 先頭の車輌から動き出す。一台ずつ、金縛りから解かれたように車輪が動き出す。人々の顔には笑顔がある。共通の障害が取り除かれた安堵の表情がある。やっと私たちのバスの順番が来る。バスがゆっくりと動き出す。このままなにごともなく着いてくれよと祈る。せめてラッキーと思える気分のままで。
 何事もなかったかのようにバスは走り出し、運転手は烟草をすいつつアクセルをふかし、漢人は大声でわめき立てるようにしゃべりだし、乗り物酔いをして吐き疲れた山岳民族のおばちゃんはぐったりとうなだれる。
 雲南の移動はいつもこんなものである。
(写真素材01/7月。文章01/12/1)

(「ゆずりなさい!」に続く)


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