物価話

●物価に関する基本考

 とにかく高い。なにもかもが異常に高い。日本のほうがずっと安い。そしてまたその高い品の品質がよくない。不愉快になるばかりである。

 しかし信じがたい。年収一億円を越す億万長者が何百万人もいて、1千万円程度の連中ならそこいら中にあふれている伸び盛りの国であることは知っているが、一方でまた年収10万円程度の低所得のひとびとも何億人もいる国なのである。いやそういう貧しいひとたちが8割9割の国のはずである。

 私がいるこの地は、雲南省の外れ、少数民族傣族、佤族、拉祜族の自治区である。もちろん要の役人はみな漢族が握っている。基本収入は農業であり、米やトウモロコシ、サトウキビ等である。ここ数年景気がいいらしく新築ラッシュだ。かつては水牛が主体だったが、いまはもう耕運機だし、トラックやピックアップをもっているひとも多い。家を新築したひとたちは20万元ほどと言っているから日本円で350万円ほど、またクルマは安いものでも6万元(100万円)ほどするから、この地でも年収300万円から500万円の農民達が増えているのだろう。
                 
●野菜──キャベツ、もやし ●カミソリ

 世界の工場であり、なんでもあるはずのシナなのだが、意外にそろわないものも多い。あの使い捨てカミソリもそのひとつになる。

 しかしまたここで譲歩だが、それは私の関わっているこの地の問題と思う。タイのチェンマイは、いくらなんでもありすぎというぐらいセブンイレブンを始めとするコンビニが出来ていたが、そこにはしっかりとあの「100円で3本組みの使い捨てカミソリ」が並べられていた。だからシナの大都市のコンビニは日本と同じ状況であることはまちがいない。しかしまた私の関わっているこの雲南省山奥では、それが入手出来ないのも確かなのである。

 そしてまたそこにあるのが、なんというか、むかしなつかしいアレなのだ。それがなんともレトロであり、しかしまた理解しがたいのも事実だ。
カッター  ●懐中電灯  ●サンダル  ●バスケットボール         
                   
                   
                   
                   
                   
                   
                   

●一日の日当から物価を考える──やはりヘンとしか思えない


 どう考えてもこの国の、というかこの地域の物価は、私には理解できない。どう考えてもへんだ。
 庶民の市場で食糧品を買う。ジャガイモやもやしのようなものもすべて1元単位で、すぐに50元になってしまう。日本円で千円弱だ。物価差、平均収入の差から単純に5倍するなら日本的には5000円の買い物、となる。しかしその感覚がない。どう考えても日本でも千円程度の買い物をした実感しかない。もやしで2元(38円)も取られる。日本でもスーパーで20円ぐらいで売っている。日本よりも高い。ほんとに5倍差があるなら、この雲南山奥では日本で20円のもやしが200円もすることになる。
 毎日夕方スーパーに買い物に出て、割引品を買ったりするつましい生活を送っているからよくわかるだが、今どきスーパーで野菜や惣菜、インスタント食品等を5000円も買ったらかなりのものである。レジ袋みっつぐらいになる。「スーパーで5000円の買い物」は感覚的によくわかっている。その実感がこの市場での買い物にはない。この雲南山奥の市場で50元(千円弱)の食糧品を買ったら、日本では5千円の買い物、になるはずなのだが、それはない。ぜったいにない。日本でも千円程度の買い物だ。物価差収入差を考えたらそれではおかしいのだが、ひととしての私の感覚が、そうではないと言っている。



 しかし日当を考えると、この5倍差はウソでもないようなのだ。だからよけいに悩む。
 妻の地域での農作業は「共同作業」になる。先日の田植えでは6人の女を頼み、ひとりの日当が50元、合計300元を払った。私の仕送りから妻の出費は、こういうものがいちばん多い。それだけの現金を持っていないとこの田植え作業はこなせないことになる。ないひとはどうするかといえば、自分の力でやるしかないし、親戚の女に頼んで手伝ってもらい、日当は「自分の躰で払う」という形にする。労働に労働で返すわけだ。妻もどこかの手伝いに呼ばれれば日当50元を稼げるわけである。こういう仕事をする女の中には、自分の田んぼはもっていない拉祜族もいたりして、彼女たちにはこの時期のこの作業は貴重な現金収入となる。あちこちから頼まれ、田植えの時期に連続して働けば、6日なら300元の収入になるわけである。

 この一日の日当50元は日本円にして千円である。朝から夕方まで丸一日の肉体労働の対価なのだ。ここは5倍して5千円は妥当だろう。悪路だった道は、ここ数年で砕石鋪道となりだいぶ走りやすくなった。この舗装には地元民が起用され、一日100元(1900円)の日当だったのでみな張りきったとか。これも男の肉体労働だから5倍して日当1万円と考えるのは妥当だ。

 このことから考えると、やはり50元(千円)は「日本円にして5000円の価値」となる。
 だが私には、市場での単純な食糧品買い物50元が、日本的に5000円とは思えないのだ。一日田植えをしてもらう日当が、あの程度の食品にしかならないのはあんまりだ。でもリクツではそうなる。



 数年前に出来た町にひとつあるスーパーでの買い物になるとよけいにわからない。あらゆるものが高く、買い物カゴを手にした妻と、野菜や豚肉、天ぷら油、こどものお菓子なんてのを思うままに手にしていたら、レジではすぐに150元ぐらいになる。日本円で3000円弱だが、5倍差なら15000円だし、大の男が一日の肉体労働で稼ぐ金よりもずっと大きい。しかしこれまた15000円も買い物をしたという感覚はまったくない。それこそシナの金額そのまま、日本円で3千円程度の買い物をした感覚だ。
      ●中国元に関する基本的な疑問

 こういう生活を送ってきて、私もやっと前々から現在の中華人民共和国に関して言われていることを実感し始めた。

 前々から言われていること、つまりそれはシナの経済は二重構造だということである。

 そこいら中、ニセ札だらけ。町中の買い物で100元札、50元札を出したら、相手は必ずそれを天にかざし、本物か偽物か確認する。無智な私は単純にシナという国のそういう現実を嘆き、そしてまた単純に銀行ATMを信用していた。
 ところがそうじゃないという。銀行ATMからもニセ札が続々発見されているいう。それほどニセ札の精度が高いのだ。いったい誰が、どこで、なんのために、と考えられたとき、当然のように「中共そのものが作っているのではないか」と言われるようになった。シナの造幣局が作っているニセ札なのだから精度が高いのは当然である。ATMでもチェックできないほどに。

 上記したように、いまのシナでは1角という単位がありながら、町中での通用は100%1元単位である。いまの日本円で18円だからかなり高い。しかもそれが年収10万円、20万円のひとがあふれている国なのだ。どう考えてもおかしい。

 最も庶民的な市場でも、まずしいはずの彼らが、日常の食糧を、タマネギ5元、カボチャ4元、卵6元のように買い物している。衣類を買ったりすると、合計額はすぐに60元、70元になる。それは日本円で2500円から3000円であり、日本の月収30万円の家庭の主婦が夕方スーパーで買い物する額としては妥当だが、ここは庶民の平均月収が日本の五分の一と言われる国なのである。金持ちの多い大都市部ならともかく、いま周囲にいるのは、あきらかに月収3万円から5万円ぐらいのひとたちである。そのひとたちの買い物としてはあまりに金額が大きいし、そしてそのおおきさを誰も気にしていないのだ。もっともっと安いように感じる。

 そこで二重経済を感じる。円安の日本から来て、そういう為替相場を単純に信じているから、「1元18円もするのに、貧乏なひとたちが、それをへらへらと使っていることの不思議」と思うのだが、もしかしてこの国では、真実は「1元5円ぐらいなのではないか!?」と思えてくる。そう解釈すると、私の妻が安っぽいタイからの輸入サンダルを600円も
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