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 7/13 ●ショッピング雑居ビル──キャスターを買う

 泊まっている昆明の旅社から歩いて行ける距離に大きなショッピングモールがある。「ショッピングモール」なんてカタカナを使うと日本的なおしゃれなイメージをもたれてしまうので正確に書いておかねばならない。コンクリートの打ちっぱなしみたいな粗雑なビルに、雑貨屋みたいな店がこれでもかというぐらい寄せ集まった混沌とした5階建てビルの集合体である。写真があれば一発でわかるし、そうすべきなのだが、なにしろシナに興味がなく係わりあいたくないと思っているからついついそれらも不熱心になる。もうしわけない。エスカレーターはあるがほとんど停まっているし、店ではあるが、店頭で汁物の飯を食っていたり、いかにもそれはシナであり、報告する気にもなれない。



 なにもかもが雑ないかにもシナらしい寄せ集めビルだが、ひとつだけ評価するのは品物によって階数と場所がそれなりに分類されていることだ。たとえばバッグ系だと、旅行カバンのようなものからビニール袋、頭陀袋まで、いちおうバッグ系というか「運輸用」と言ったほうがいいのか、それらはそういう階のそういうコーナーに固まっている。これはこれで便利だ。以前ここで旅行バッグ、あのキャスター附きのコロコロを買っている。5000円ぐらいだったか、日本よりは安かった気がする。いい品とはいいがたいが。まあ贅沢を言える身分ではない。

 今回は自作パソコンのパーツを買っているので、それを運ぶキャスターを買いに来た。キャスターも「バッグ系」の場所にあり、うまく買えた。ついでに雨降りで濡れたら困るので、大きなビニール袋を買う。これでパソコンケースを始めパーツの入っているいくつかの段ボール箱をくるんでしまう。それを同じくここで買ったゴム紐(自転車用みたいなもの)でくくりつける。これでひと安心。あとはなんとか壊れずに孟連まで着いてくれと祈るだけ。置くのは大きな寝台バスの荷物入れだ。乱暴に扱われるのでハードディスクのような精妙繊細なものは自分で持つ。
●試着は出来ない──シナ製衣料品の憂鬱 

 それをうまく買えた後、衣料品のコーナーに紛れこんだ。シナの衣料品でいい思いをしたことがない。しかしとにかく日本からのバッグの中は食糧品最優先なので、最も省かれるのが衣類になる。よって最低限のものをこちらで買わねばならないのだが、そのたびにイヤな思いをしている。毎度書くが、日本にあるシナの衣料品、たとえば「ファッションのシマムラ」に代表されるものからそれを想像してはならない。あれは日本が責任を持って指導しているとてもすぐれたものだ。シナの庶民用の品はあいかわらずむかしからの「安かろう悪かろう」の最悪のものだ。いやそれが「安かろう悪かろう」ならまだ我慢できる。安くなく、日本より高く、それでいて悪いから腹が立つ。15年前からだのいちども満足したことがない。不愉快なことばかり。

 それでも今回も妻の家にいかに自分の衣類がないかは自覚しているから、そしてまたここにこうして書くことの基本なのだが、雲南の中でもさらに山奥のミャンマーにちかい孟連という町では、運搬の都合と思われるが、とにかくなんでも高い、ひどい品ばかりだから、こうして昆明のような場にいるときに、すこしでもいいものがあるのではと買い物することになる。それはそれで真実らしく、たとえば妻は、ハンドバッグのようなものは、百万都市である昆明が辺疆の田舎町である孟連より品揃えが豊富なのは当然として、値段も3割から4割は安いと言う。私はその昆明での衣類ですらイヤな思い出しかなく、買いたくはないのだが、孟連で買うよりはまだいいかと割り切るしかない。

 1500円のズボンを買うかと思う。80元一律みたいな売りだしをやっていた。粗雑な品である。買いたくない。それこそシマムラにもっと安くてもっといい品がある。なんでこの地で作っているものなのに、はるか海を越えての日本よりも高いのだろう。まして平均月収なんてのを考慮したら、いかにこの1500円が高いことか。しかしこれは旅行者の私用ではない。シナの庶民用だ。この国の物価はほんとにへんなのである。理解しがたい。

 どうにもその一律1500円のズボンが信じがたい。今までひどい履き心地で苦労してきた。買ってすぐに捨てたものも多い。しかし試着は出来ない。そんなシステムはない。いやもちろん毎度の意見だが、北京や上海の高級店にはあるにちがいない。しかしこの庶民クラスの店では、腹回りも裾も見た目で判断して購入する。かといって庶民が裾をきちんと合わせるような裁縫をしているとは思えないし、なんなのだろう、この国は。

 あきらめた。ここでエイヤっと購入してまた不快になるよりは、妻の家にある何本かのボロズボンで過ごしたほうがいい。継ぎ接ぎのあるひどいもので、妻は他人に貧乏に観られるとそれを嫌うが、私は気に入っている。この国で衣類は買いたくない。
 寝台バスに忘れた『将棋世界』

 とにかく将棋雑誌ほどコストパフォーマンスの高いものはない。何十年経っても価値が落ちない。いや高まったりする。何十回何百回と読める。読むたびに発見がある。ということで海外に持って行く雑誌でこれ以上のものはない。今回も7月3日発行の8月号を持ってきた。飛行機の中、乗りかえの待ち時間、旅社で眠る前、ずっと役立ってくれた。そして今回の寝台バスでの移動。バスの中での読書は乗物酔いするからさほどの需用はない。それでも停車も多いし、DSをやる気もないので、いきおいこれが主流になる。なにより将棋雑誌は詰将棋の構図を見て、頭の中で考えれば図面を見続ける必要もない。

 昆明を午後7時発で孟連に朝の6時に到着。以前はこれをふたりの運転手が交代でやり休憩なしだった。いまはワンマンになり、明け方に3時間ほど假眠をとっている。つまりぶっ通しなら午前3時に孟連に着けるのだ。しかしそれをしても地域行きのマイクロバスはまだ走っていないし旅社に泊まれと言われても乗客も困る。この時間調整は必要なのだろう。あるいは假眠は警察からの命令なのか。いずれにせよそれは「道が良くなったから」である。以前は休み無しに走っても12時間は掛かっていたのだ。いやもっとだ。



 孟連に着き、そこからの連絡で腊垒の家に着き、さらにしばらくしてから、『将棋世界』がないことに気づいた。バスの中に忘れたのだ。大事なものは必ずバッグにしまうようにしてきた。ThinkPadやDSなど。しかしついうっかりして『将棋世界』は寝具の中に置いていた。バスの備品である毛布の中に忘れたのだ。しまった。もったいない。悔やまれる。今回最大の悔いとなった。
●タクシー事情──基本料金は安くても地域が広い──朝青龍顔のタクシー運転手

 中国はタクシー代が高い。いやになる。とはいえもちろん基本料金は安い。いま120円ぐらいか。都市によってちがう。150円のところもある。これだけだと日本よりずっと安いが「なにしろ広い」。20キロ、30キロはすぐに行く。よって基本料金は安くても1200円ぐらいにはすぐになり、支那語と町中に通じていればバスという手もあろうが、私の場合はすべてタクシーで移動だから、それを3回やれば一日のタクシー代が5000円程度にはなり、かなりの負担になってくる。そのこともあって私は昆明が嫌いなのだ。ここで「だったら支那語を覚えろ、バスに通じろ」と言われそうだが、それがしたくないのである。嫌いなのだ、この国が。この国の人民が。なにもかも嫌いで係わりあいたくないのだ。だから、とにかくもうすこしでも早くこの通過儀式を突破したい、となる。

 自作PCのパーツ一式をキャスターに積んだので、日本からの私の旅行バッグ、ThinkPadをいれたパソコンバッグと、荷物が三つになってしまった。キャスターと旅行バッグはかなりの大きさだ。

 前回今回と妻の取ったホテルは長距離バス発着所のちかく。ホテルというか旅社というか半端だが、値段は120元だから2500円ぐらい。水洗トイレに温水シャワー、テレビ、エアコン附き。バスタブはない。
 空港までは遠いが、寝台バスに乗っての出発には便利だ。とはいえ空手ならともかく、これらのバッグをもって歩くのは無理。いきおいタクシーに頼らざるを得ない。

 なかなか停まってくれないが、なんとか妻が見つけた。しかしこちらの荷物を見て運転手は露骨にイヤな顔をした。私は最初からチップは覚悟していた。旅社前から長距離バス発着所までは1キロ程度だから基本料金だろう。8.5元ぐらい。それでふたりを載せて、トランクに大きな荷物をふたつ挿れるとなるとこいつらはイヤがる。20元ぐらい払わねばならないと覚悟していた。しかし朝青龍そっくりの運転手(チャイニーズではなかったのか?)は、こちらの荷物を見てイヤな顔はしたものの、トランクを開け、載せることは納得したようだ。私はそれが気に入ったので、乗りこむと、れいによって強盗に襲われないよう運転手の周囲は鉄の網で囲ってあるのだが、そこの隙間から彼に20元札2枚を渡した。彼はおどろき20元だけ受けとって20元を返そうとした。これも気に入った。とっておけと言って強引に40元を握らせる。それからは現金に態度が良くなり、ほんとに朝青龍そっくりの笑顔で、バス発着所でも荷物下ろしを手伝ってくれ、ニコニコしながら帰って行った。



 ところでこの「昆明の長距離バス発着所」でこのあと惨劇が起きる。何ものかの集団がここを襲い、無差別殺人を行った。死人が30人以上、怪我人は200人を越えたのだったか。犯人は政府に不満を持つウイグル系のテロリストと言われているが、私がわからないのは「なぜそれが雲南なのか!?」ということ。北京や上海ならともかく、少数民族の住まいである雲南省でそれをするのは方向違いと感ずる。
 すこし時期がずれていたら、私もその被害者となっていた。その後、路線を変えてここにはちかよっていない。
 いま中共は、日本の金額で年収1億円以上のひとが何百万人だかいて、1000万以上なら何千万人もいるのだそうな。と同時に年収20万円以下のひともまたいっぱいいて、その格差はとんでもないものであるらしい。私の関わっているここはその典型的な年収20万から50万程度のひとたちの地域だ。なのに物価はどうにも理解できないことが多い。そのことは他の項目で書くとして、ここではこういう収入の低いひとたちの間でもある格差について考えたい。



 近所に大きな雑貨屋がある。出来てまだ数年だ。以前はボロ家の農家だった。夫婦とこどもふたりが住んでいた。離婚した。基本タイ族は婿取りだから男が出て行く。離婚した女はタイに出稼ぎに行き、タイ人の男とくっついた。この辺がよくわからんのだが、その女は50前後である。ちっともきれいでないおばさんだ。でもなぜかタイの50代の男に惚れられた。その男は女房と死別していたらしい。こどもふたりはもう獨立している。そのタイ人の男が、そのおばさんの故郷──それが私の住んでいる近所なわけだが──にやってきて、家を新築し雑貨屋を始めたわけである。いわばシンデレラストーリィであり、評判のきれいな娘ならともかく、地味なおばさんがそれを成し遂げたものだから、我も我もとこの地域のおばさんたちはいきりたった。実際幼いこどもふたりを残してミャンマーの売春地帯とか呼ばれるところに出かけてしまった女もいる。離婚はしていない。亭主はうまく金持ちと関係が出来て家を建ててくれたら大儲けと気にしないでいる。この辺の連中の感覚は私には理解できない。


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