ガソリンの値段、電気スクーターのこと
02/02 ●ガソリン価格の高騰──日本以上の値段

 前々から支那のガソリンは高かった。中国は石油輸入国である。その種の地下資源には恵まれていない。ここのところ益々高くなっている。そしてこの陸送しかない雲南奥地ではさらにまたとんでもないことになっていた。



 山奥の妻の実家の近くの店では1リッター10元である。日本円だと160円。民主党政権時のとんでもない円高の時でも120円ぐらいだから、日本と中国の収入差、物価差を考慮したら、いかにとんでもなく高いことか。この辺のひとたちの平均月収は2万円ぐらいである。町の旅社で働く女性(ベッドメーキングや掃除、受付等)の給料が13000円ぐらいだ。この給料と、うどん一杯が60円ぐらいだから、日本は600円とすると物価の差は10倍、となる。日本だって立ち食いのかけうどんなら300円で喰える。それでも5倍になる。単純に収入や物価のちがいから倍率を設定することは無意味だが、それでも平均して5倍から6倍ぐらいはあるだろう。

 ところが中には、日本と同じぐらいの値段のものがあり、さらには日本よりも高いものすらある。ガソリンはその典型例になる。日本の諸物価に換算すると、日本の田舎で、月収12万円ぐらいで暮らすひとが、ガソリン1リッター千円ということだから、いかにこの地でのガソリンの値段が狂乱価格であるかがわかる。



 ただしこの10元というのは、町から20キロ以上も山奥にはいった地の値段である。いやその前に、この「町」というのがもうとんでもない峻険な路を越えた山奥のとんでもない辺疆であるから、そこから20キロ奧というのはふつうの日本人からは想像を絶する世界なのだが。

 ガソリンスタンドではない。そんなものはない。雑貨屋がなんでもやっている。山また山のなにもない地で、近くに雑貨屋があるということからも、妻の居住地はこの辺の集落では恵まれた地?になる。さらに奥地に住むハニ族やワ族、ラフー族は、この雑貨屋まで何キロも走ってガソリンを買いに来るのである。
 ガソリンはコーラや水のペットボトルに詰めて売られている。それで1リットル10元。町のガソリンスタンドに行くと、平均で8元。一番安いところで7元の店があり、私はそこで10リットル入りのタンクにまとめ買いするようにしていた。7元だと110円ぐらいなる。たぶんこれでもシナの平均よりも高いのだろう。大都市ではいくらなのか。1リットル10元の世界にいるので7元は大安売りのように感じてまとめ買いしているのだが、諸物価と比べたら、これでもとんでもなく高い。

 ここで買うと10リットルで70元、ちかくで挿れたら100元。30元の差は大きい。町との20キロという道のりはかなりたいへんだ。数年前にやっと簡易舗装されたが、それまでは粘土質の泥道で雨季にはクルマは走れなくなっていた。しかも羊腸の山道。まともな20キロではない。バイクでどんなに急いでも40分かかる。その悪路を運んできたガソリンである。1リッター3元高はそれによる。ここのひとたちの基本は近辺の農作業だ。20数キロ離れた町まで出かけて3元安いガソリンを挿れるよりもちかくで挿れた方が、時間や手間隙を考えると安い、となる。
 それでもみな10日に1度ぐらいは町に出るから、私たちのようにタンク買いするひとは増えているようだ。



 妻の家はとんでもない山奥とはいえ、それでもまだ恵まれた地になる。ふつうの日本人なら腰を抜かすほどの辺疆だが、さらにもっともっとすごいところがある。恵まれている?妻の家のある地域で1リッター10元なら、さらにそこからより不便な山奥のミャンマーとの国境地帯はもっと高くなるだろう。出かけてみた。妻の家から40キロ奥地。道路も舗装されていず、いやはやひどい道だった。まあ3年前までは妻の家の周囲もそうだったのだが。

 100キロ以上走ったのでガソリンがなくなり、鄙びたちいさな雑貨屋で挿れたが、薄汚れたファンタのペットボトルに入った1リッターは14元だった。町の最安値の倍である。1リッター300円。しかし便利なバイクもガソリンが切れたらただの鉄の塊だから、こういうときはうれしい。誰もが高いと思いつつ、そこは割り切っているのだろう。

 繰り返すが、1リッター300円は、日本との経済格差を5倍と控え目に考慮しても、リッター1500円なのである。いかに中国奥地のガソリンが高いことか。だいたいが日本で1リッター300円だったら大騒ぎだろう。いま150円ぐらいか?



 この他にも「日本以上」と思える物価はいくつもある。
 たとえば昨日町の携帯電話屋に「新発売、特別価格2998元」というビラが大々的に貼りだしてあった。Samsunの最新型スマートフォンだ。3000元というと日本円で5万円強。日本でも充分に高い品だが、それがそのままこちらにも来ている。で、物価差を考えると、これはもう日本の感覚で言うなら30万円の品である。見わたして、この町に働くひとで月給3000元のひとがいったいどれほどいるだろう。

 いま妻の従兄の青年が深圳工業地帯(香港の隣)に出稼ぎに行っている。ナイキのようなブランド品を作る靴工場だ。日々こき使われ寮にもどると泥のように眠るだけだという。故郷の野菜の味が恋しいと電話をして来て泣いていた。給料はそれだけ働いて2000元(約35000円)だと言っていた。彼はこちらのバイク修理屋で働いていたとき月給500元だった。さすがは好景気に沸く深圳であり、この辺とはちがう。小学校卒の従兄の青年にとって月収2000元は大きい。しかしそれだけがんばっても買えない値段の携帯電話だ。
 でもそれが売れる。どうやって稼いでいる人々なのか。こんな山奥の地でも格差は激しく拡がっている。

 携帯電話の話はまた書くとして、庶民の生活必需品として、いちばん狂っている値段はガソリンだろう。
●ガソリン価格の高騰→電気自動車の普及

 ガソリンがとんでもなく高いということは誰もが知っている。ならどうするか。
 ということでこの山奥の町では「電動バイク」「電動自動車」が異様な普及を遂げたのである。リクツとしては通っているが、日本でもまたたいして普及していないのだから、これにはおどろいた。



 初めてこの地に来たとき、タクシーは「自転車サムロー」が主だった。自転車で引く人力のリヤカー型である。まだ町中に信号もなかった時代だ。そのとき一応「バイク型サムロー」も数少ないがあり、初めてこの地に来たとき、私は妻の家まで、とんでもない悪路の中を100元で走ってもらった。当時の100元は大金だが、悪路で20キロ以上の距離だからすなおに感謝したものだった。

 本来ならタイのツゥクトゥクと同様に「自転車サムロー」の次はこれがメインになるはずである。なりかけていた。ところがガソリンの高騰と電動バイクの急速な開発(かどうか知らないけど)があり、流れは一気に電動になった。
 いまこの町のタクシーの中心は、バイク型サムローだが、そのバイクの駆動は充電型電動モーターである。町中はすっかり舗装されたし、モーター型はガソリンエンジンと比べると非力だが、充分に役立っているようだ。一度の充電でどれぐらい走るのだろう。基本料金は4元(60円)。行き先によって変るようだ。

 もうひとつのタクシーは、乗合オープン型だが、これも電動。日本だとイベント会場とかテーマパークで走っているタイプである。空港等での使用も多いアレだ。静かで排気ガスが出ない。こちらの基本料金は3元。狭い町中を巡回しているから手を上げて乗り、目的地で降りるという形式。これも一回充電でどれぐらい走れるのだろう。



 その他、バイク、スクーターも、おどろくほど「電動型」が普及している。さすがに私の住んでいる地域の人々は山奥なので、馬力や走行距離の問題から通常のガソリンエンジン型バイクが主だが、町中はもうほとんどと言っていいぐらい、バイクもスクーターも三輪車も充電モータータイプである。町中で、日常の使用、買い物等なら、一日20キロも走れば充分か。推測だが、持続距離はそれぐらいだろう。

 妻も義父も、これなら乗れそうだと、スクーター型を欲しがっている。バイクに乗るにはそれなりの上背と力が必要だが、スクーターは自転車と同じだ。買ってやりたいのだが、私の住まいは町中から22キロ離れている。おそらく往復出来るほど距離は保つまい。出来るなら裕福な近所の連中も買っているはずである。なにしろその22キロが平坦ではない。とんでもないアップダウンの連続なのだ。假りにカタログ数値で保つとなっていても保たないと思う。平坦道路なら40キロ以上に匹敵するのではないか。

 片道22キロの町までの往復は無理としても、妻や義父が、数キロ離れた田んぼや畑に野良仕事に出るときの乗物としては合格だろう。妻と義父のさらなる安全を願って、私は三輪型がいいと思っている。これなら野良仕事の道具も積めるし転ぶ心配がない。買ってやりたいと思っている。ガソリンエンジン型が最低でも4千元以上(8万円以上)するのに対し、こちらは3千元からあるらしい。まあ三輪型なら当然これも4千元以上になるし、その程度の出費は覚悟している。



 心配は「中国製」ということだ。果たしてこの充電型電動モーター、どれぐらい保つのだろうか。
 ガソリンエンジンの魅力は、時代に左右されないことだ。10年前のパソコンは使いものにならないが、自動車は整備が行きとどいていれば50年前のクルマでも問題なく動く。充分に走る。しかし「充電型モーター」は、充電できなくなったら終りだ。充電池交換でまた3千元なんてことになったらずいぶんと高い買い物になる。

 もうすこし町中の様子をうかがってからのほうがいいだろうか。そういうことに関しては支那人はシビアである。その彼らにここまで一気に普及しているのだから「充分使用に耐えうる」と彼らから御墨付きをもらったのではないか。
 と思うのだが、一方でまた彼らはとてもあきらめのいい人たちでもある。一日で切れるような乾電池でも、シナ製だし安いからしかたないと割り切っている。文句があるなら高くていい品を買えばいいのだと自分に言い聞かせている。だから充電式スクーターの充電池が1年で使えなくなっても不満を言わない可能性もある。う~む、判断がむずかしい。

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【追記】──走行距離のこと

 充電池と走行距離に関して問うてみたら、いちばん安い2000元の小型電動スクーターは、一晩充電で走行距離20キロ程度とのこと。3000元する三輪タイプは、同じく一晩充電でこちらは40キロ走れるとのことだった。この40キロタイプはごついので小柄な妻には無理。買ってやるとしたら20キロタイプになる。まあ3キロ程度離れた田んぼや畑に2往復以上出来るからこれで充分だと思うが、なにしろシナの製品であるから壊れるのが早に決まっている。どうなのだろう、この充電池の能力は。なにより「町中では普及しているが、近所の連中は誰も買っていない」が強烈な現実になる。ガソリンエンジンのバイクは4人を載せて走れる。それと比すと電気はいかにも非力である。まだまだ発展途上の品なので、もうすこし様子を見たほうがいいようだ。


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