◎ お~いお茶

 最近日本でもこの頃こればかり飲んでいる。一日に何杯も。まるで学生時代のネスカフェゴールドブレンドのようだ。インスタントコーヒーのように溶かすだけで茶がらが出ないのがいい。味も満足している。

 コーヒーは飲まなくなった。若い頃は日に何杯も飲み飲んでいたのに。いま喫茶店に入ったらなにを頼むのだろう。ホットミルクか? かつて毎日、ときには日に何度も入っていた喫茶店もまったく行かなくなってしまった。最後に行ったのは何年前だろう。六本木ヒルズで先輩と待ちあわせたドトールが最後のような気がする。

 必需品なので買い溜めしてある。二袋もってくる予定だった。まちがってひと袋しか持ってこなかった。痛恨のミスである。ひと袋で50杯となっている。それは平均であり、あちらの奨める呑み方の場合だろう。お湯の量も少なく、「50杯」という数字はかなり多目に書いてある。家にいるとき、私は大相撲観戦土産(升席で観戦するとお茶屋がくれる)の大きな茶わんになみなみと注いで飲んでいる。これだと半分の25杯も保たないだろう。
 これも50杯は飲んでいないのだがもう数杯分しかなく困っている。代役に中国茶を買ったが私とはあわない。困った。どうしよう。



 ◎ 町で買った湯呑み

 毎日お茶を飲む。妻のところにはガラスコップしかなかった。客が来たときの酒も、そのガラスコップである。むかしビールを買うとついてきたようないかにも安物のガラスコップ。これではせっかくのお茶がまずい。お茶は目で楽しむものでもある。

 町に出たときに写真のような碗を買った。12元。200円ぐらい。物価差を考えると千円ぐらいしたことになる。それほどの品でもない。ふっかけられたか。
 それでもこれで飲むようになったらずっと味が良くなった。今回こちらで買った小物では唯一気に入ったものになる。(気に入ったので日本まで持ってきた。)



 古い写真にあった。妻の家で餅を食ったときの写真。こういうガラスコップではお茶はうまくない。白い陶器にすると一味ちがう。

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●器の話

 まだこちらでは「器を楽しむ」感覚はない。もしかしたらこれからもないかもしれない。「いま」ないのは単に庶民が貧乏だからだ。ただ、じゃあ「将来」もっと収入が増えたら器に凝るようになるかというと、そういうものでもないような気がする。中国という国は人民構成の三角形が平べったい。裾野が広い。これからもそうだろう。日本のような樽型の「一億総中流」にはならない。(もっともそうなった日本こそが唯一共産主義を実現したと言われる異様な国であり、いま格差社会なんて言われるが、ひとがひとである限り格差はあるのが自然である。)
 大昔から、器に凝るごく一部の支配階級と、そんなことにはこだわらない大勢の庶民とがいて、中国の庶民には器を楽しむ感覚そのものが、もともとないのではないかと思うのである。

 町の食堂でもひどい器が多い。たまに、うまいものに当たることもある。そんとなきいつも、「これで食器がもうすこしましだったら、もっとうまく感じるのに」と思う。ふちが缺けたり、金属性のあちこちへこんだ食器に不揃いの割り箸。どんなうまいものも価値が半減する。金属性の食器に、ポリ袋を被せて、その中に飯や麺を入れてくる。それだと食いおわったらポリ袋を捨てればいいから食器を洗わなくて済むのだ。効率的という発想。わびしくてとてもうまいものを食っている気にはなれない。

 みな欲はある。おおきな家に住みたいし自動車も欲しいと思っている。だが必死に働いて金を貯め百万円の自動車を買ったとしても、「まだ」千円の食器は買わないのではないか。いままでと同じ缺けた食器で食事をするだろう。彼らにとって飯は食うものであり、減った腹を満たすものであり、その入れ物など関係ないからだ。
 立派な家を建て、きんきらきんに飾りつけて、それでも金が餘って困るという状況になって初めて食器に手を出すように思う。しかしそれもまた装飾品としての器なのではないか。
 日本人なら、ひと間暮らしの貧乏でも、いや貧乏だからこそ、そっと食器に贅沢をしてみたりする。こちらのひとにその感覚はないようだ。

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補記──国民性の差

 たとえば日本人は鍋物をやるときでも、灰汁を取る器、小骨を入れる器のように、不要な捨てるものにすら器を用意する。こちらではそういう灰汁のようなものも、肉の骨、魚の小骨も、みな床に捨てる。不要なものはぜんぶ床に捨てる。あとでまとめて掃除する。合理的な考えである。同じ不要なもの、ゴミなのに、灰汁は灰汁用の器に、小骨はそれ用の器にと分けて捨てている日本人は、彼らから見るとなんと滑稽なことをしているのだとなる。その感覚の差はいかんともしがたい。私はもちろんそういう文化の中で育ったから日本人的感覚を支持し支那的感覚を否定する。それが島国根性ならおおいにけっこうなことだ。

 そういう性質からも、大金持ちがこれみよがしに何千万円もの壷を飾ったり鑑賞用の高価な食器を揃えたりすることはあるだろうが、つましい暮らしをしている一家が、日々の食事のためにちょっとだけ食器に贅沢をしてみるという、そういう発想はこの国ではないように思える。



補記2──お茶のこと

 親戚の百姓のお茶について書いた項目がある。商売上手で、米以外の農作物副業が大成功している金持ちである。クルマはじいさんのセドリックから長男のセリカ、女房のワゴン車、農作業用の軽トラックまで、ひとり一台感覚で5台も持っている。私の感覚からすると恥ずかしくて正視に耐えないこれみよがしの御殿のような家を建てて住んでいる。もしものために常に家には2千万の現金を置いていると母に語ったそうだ。なんでも居間の地下にコンクリート製の空間を作り、そこに入れているので札束が湿っぽいとか(笑)。
 その家では別棟の寮を建て、住みこみの中国人青年を5人ほど使っている。そんなことが彼らに伝わり強盗に変じられたら惨殺されるのではないか。よくある話だ。支那人は見知らぬ人間ではなくよく知っている人間を襲う。そんなことを心配した。それはともかく。

 この金持ち百姓の家の茶葉は安物。最低の品。しかもすこしばかりの茶葉で四人も五人もに出す。何度も湯を注ぐ。ほとんど薄く黄色い色がついた湯である。薫りなどあるはずもない。こんなものはお茶ではない。最悪である。
 客用に安物を出し自分達はこっそり良いお茶を飲んでいるわけでもない。代代の百姓として味音痴であり、茶葉に金を掛ける習慣がないのだ。ケチではない。使うべきときには百万単位の金を惜しみなく使う。だが茶葉に千円も二千円も払うという感覚はない。假に他人に高級茶をもらったとしても味が分からないだろう。きっと言う。「高級品で高いのかも知れないけど、いつも飲んでいる茶の方がうまい」と。貧乏舌とはそんなものである。
 金持ちなのにと、この感覚が不可解だった。母と一緒に訪問するたび、あまりにまずい茶を嘆いた。我が家は平凡な公務員一家だったが茶葉には贅沢する方だった。

 母の同級生(男性)で、田舎の学校を出るとすぐに上京し、東京電力に務めていた人が餘生を過ごすために夫婦で帰郷してきた。年金暮らしの地味な暮らしなのに、いいお茶を飲んでいた。訪問してその美味しいお茶を御馳走になるたび、帰路母とさすが都会暮らしをしていた人は違うと話したものだ。あちらもひとくち口にするなり「おいしいお茶ですね」とこちらが言うものだから喜んでくれて話が弾んだ。それはその他の訪問者でお茶の味を誉めたひとがいないということである。

 中国庶民の食器について書いていてそのことを思い出した。あちらではまだまだとんでもない高級品の自家用車を購入し、それを利用してお金を稼ぎ、日本で言うと年収二千万クラスの生活をしているのに、缺けた茶碗で飲み食いしている人達がいる。それが不思議だったが、この親戚の茶葉のことを思い出したら納得がいった。おそらく同じ感覚だろう。



補記3──ふつうの緑茶を買ってきた



 お茶好きを公言しつつ粉末茶だけではちょっと恥ずかしいかと帰国後まともなお茶を買ってきた。100g千円のもの。今の私には高級すぎるぐらい。でもまずい。田舎で母の買う2千円のものを飲んでいたことを舌が覚えている。
 そうか、それで私はお茶を封印したのだった。高ければうまいというものではない。だが確実に値段により味には一線が引かれており、私にはそのラインなのだ。わからなければいいのだが、わかってしまうとつらい。わからないほうがいいこともある。コーヒーを、こり始めたら切りがないからとインスタントコーヒーで妥協したように、私はお茶を粉末茶にしたのだった。(サイフォンやパーコレーターを購入し、豆の種類も自分なりにブレンドしてコーヒーに凝ったことがある。でもすぐに厭きてしまった。私には「コーヒーに凝る才能」はないようである。)。

 千円の茶でもそれなりに味わいはあり、粉末茶とは雰囲気が違っている。でもこり出したら切りがない。どうしてももっといい茶を飲みたくなる。それをする餘裕はない。ここはひとつ妥協して、当面は粉末茶の生活で行こう。



 なお上掲「お茶と茶漉し」の写真は何年も前に中国に持っていったもの。以前はこういうものを持参して飲んでいた。中国好きの日本人でここまでしているひとを知らないから、やはり私は日本茶好きと言えるだろう。「おーい お茶」はいわばインスタントであり、こちらのほうが本格的だ。でもこの形で満足した憶えがない。急須もないし、おいしく淹れることが難しい。その点粉末茶は味が一定している。今回持参した「おーい、お茶」をヒットとする由である。

 中国の旅社はどんな安宿でも必ず写真のような形のポットとお茶が用意されている。シーツや枕カバーの交換、掃除など、だらしないところでもこれだけはしっかりしていて、お茶の本場であることを確認する。冷えこむ朝、旅社に飛びこみ、この熱いお湯にありついたときのうれしさは格別だ。

 あれこれと不満だらけの中国だが、寝台バスで到着した朝の5時にもチェックインできる。これはありがたい。春城と言われる常春の昆明も冬の朝方は冷えこむ。寒い朝、あたたかいベッドがいかにありがたいことか。チェックアウトは翌日の昼だ。一泊で30時間いられることになる。この辺はのんびりしていてすばらしい。ホテルシステムが確立している欧米では考えられないことだ。いやいちばんひどいのは日本の旅館か。午後3時以降チェックインで翌日9時には追いだされる。18時間しかいられない。
 アジアのこの大らかさはこれからも残って欲しい。



補記4──ついこのあいだまでコーヒーを……

 冒頭の文章を読むとコーヒーと縁を切ってからもう何十年も経つかのようである。実際本人はそんな気分で書いていた。

 しかしHDDの写真を閲覧していたら偶然こんなのを見つけ、自分の勘違いに気づいた。云南で撮った写真である。ほんの二、三年前まで私にとってコーヒーは旅の必需品であり、出発前私はこのBlendyやアストリア等のスティックコーヒーを買い漁っていたのだった。
 さらには下のような瓶入りのコーヒーの写真や煉乳まで持参していたことを思い出した。そうだ、云南でコーヒーを飲むことを私は楽しみにしていたのだ。なのに遙か前に縁切りしたかのようにを書いてしまった。なんちゅういいかげんな記憶。ひとり赤面する。


 数の限られた貴重品なので一日一杯限定。一日に二杯飲んでしまったときは次の日は我慢、とか滞在日数と個数を計算して大切に飲んでいた。重要なのは甘いことだ。ブラックなんてとんでもない。甘さが旅の疲れを癒してくれる。疲れたときには甘い物が欲しくなるという真理を私は旅で知った。それまでは甘ったるいコーヒーなんて大嫌いだった。
 つい数年前までそうだったくせに、いつしかもう縁を切って何十年も経つような書きかたをしてしまった。あらためて記憶のいいかげんさを思い知る。反省しよう。それはコーヒーのことなんかどうでもいいが、もっと大切なことに関して、こんな思い違いをしないようにだ。



補記5──ひさしぶりにコーヒー、紅茶を

 帰国後の話。こういう文章を書くことのいちばんの効用は、上記のような勘違いを正す(正せる)ことにある。こういうことを書かなければ、私は「学生のころはよくコーヒーを飲んだんですけどね」とコーヒーから遠ざかって何十年と思い込んだまま人と話していたろう。

 そうじゃないことを確認すると急にまた興味が湧いてくる。そんなわけでここのところ自己流のカフェラッテを作って飲んだりしていた。まあカフェラッテというよりコーヒー牛乳だけれど(笑)。でも本場のイタリアでは割合安易にこれらをカフェラッテと言うから間違いでもない。

 一昨日ひさしぶりに紅茶を買ってきた。云南で東野圭吾の「白夜行」を読み、それがおもしろかったので、帰国してすぐその続篇と言われる「幻夜」を読んだ。ここの女主人公がホテルでロイヤルミルクティを飲む。そういうキャラ設定らしく彼女は喫茶店では必ずそれを飲む。読んでいたら猛烈に飲みたくなった。

 これはいつ以来だろう。一年ぶりぐらいか。以前飲んでいたのが貰い物のフォートナム&メイソンのロイヤルブレンドだった。いい茶葉である。私がスーパーで買ってきたのはダージリンのいちばん安いヤツという微妙な線。好きなダージリンが飲みたい。だが良いものは高い。だったらブレンド茶の高いのを買った方がまだいいのだが妙にダージリンにこだわる。半端な買い物になった。もっとも、高い茶葉は庶民的なスーパーには置いてなかったが。

 私のロイヤルミルクティはインドのチャイに近い淹れかただから茶葉は安くてもかまわない。むしろダージリンはチャイには不向きだ。薫りを楽しむストレートはやらないし。ストレート派には邪道と言われる砂糖もたっぷり入れる。だってチャイだから。
 でもそういう私でも高級なフォートナム&メイソンのうまさはしっかりとわかった。しかしこれまた残念ながら紅茶に凝る餘裕はない。クズ葉で淹れてもうまいチャイで満足しよう。

 云南で日本から持参した緑茶ばかり飲んでいたので、その反動かいまコーヒーと紅茶を飲んでいる。しかし云南帰りよりも強い真の理由は季節だろう。晩秋になると温かいそれらがいとしくなるのだ。四季のある歓びである。

△ 云南の緑茶ブーム

 十二年ほど前に初めてここに来てから世俗の移りかわりを見ている。七八年前、最初にペットボトル入りの水を持ちだしたのはバスの運転手達だった。こちらのバスは自分の車を持ちこんで営業するシステムだ。自家用のバスを持ちこむぐらいだから小金持ちであり、町から町へ渡りあるいているから最新世相に強い。「いまは水を持って歩くのが流行りなのだ」と彼らは知り実行に移した。それまでの彼らは専用ボトルに入れた自家製のお茶を持参していた。専用ボトルに茶葉を入れ湯を注ぐ。バスの立ちよる休憩所にはどこでもお茶を淹れるためのお湯が用意されていた。大きな寸胴から蛇口をひねると湯が出るようになっていたのだから本格的だ。そういえばどこでも売っていたあの「お茶専用ガラス製容器」もすっかり見なくなってしまった。私はあれが欲しくてわざわざ土産に買ってきたものだった。いまも自宅で茶葉にお湯を注ぎ自家製のお茶ポットを仕事先に持参するのは山奥の農夫ぐらいだろう。ちなみに妻の父は今もお茶派である。




 いまや運転手はもちろん流行に敏い若者はみなペットボトル入りの水を手にしているようになった。テレビの影響も大きいだろう。ドラマの中でもそんなシーンを見る。
 初めてこちらに来たときから私はすでに水を持ち歩く習慣に染まっていた。というか旅行者なので当然水になる。それしかない。むしろお茶ポットにあこがれた。水が高いのに驚いた。北京や上海ではもう水ブームだったはずだが、こんな山奥ではたいして売れない商品だったのだろう。近年の流行のお蔭で500ccで3元とビールの倍の値段がした水も半額に値下がりした。いま500cc入りで1.5元。23円ぐらい。日本では110円だから、ここからの比較だと物価は5倍と考えられる。600cc入りのコーラが3元。45円。ここからでも5倍か。



 今回最寄りの大きな市に出たとき(最寄りの町まで耕運機で2時間、そこからバスで5時間)、写真のような緑茶を持って歩く若者を多数見掛けた。まだちかくの田舎町では流行っていない。最新の流行らしい。いかにも西洋風のおしゃれをしている若者がみな手にしていた。インターネット屋で対戦型の通信ゲームをしている連中(小金持ちの子弟か)が全員ずらりとこれを手元に置き、人殺しゲームに熱中している様は異様だった。どこでも同じだが、この種の若者には乾いた不気味さがある。見たくない顔である。

 最寄りの大きな市とはいえ、それもまた云南の田舎町でしかない。北京上海での「緑茶」流行はもっと前からなのだろう。
 この流行はまちがいなく日本から来ている。私からすると熱いお茶を飲まない日本の若者が、ペットボトルに入った冷たい緑茶を好むのは不思議なのだが。まあこれは人後に落ちない緑茶好きの素朴な疑問として。

 中国に「緑茶」はない。日本のブームを見て中国の会社が仕掛けた。いやもしかしたら仕掛け人は日本の企業かも知れない。それともテレビや映画等を通じて中国の若者は「いまは水よりも緑色のお茶がおしゃれ」と知ったのか。いっせいにそちらに走る。とにかくそのインターネットのゲーム屋にたむろする若者はではみな写真の緑茶を飲んでいた。

 インターネットで調べ物をやっていた私の前にけたたましい女三人組がやってきた。おまけにタバコを喫って煙い。喫煙率の高い中国ではインターネット屋もみな喫煙席である。そのうちのひとりが私の隣に来た。やっていることをなにげなく覗くと、自分の姿をディスプレイに映して(一台ごとにカメラがついている)素速く応答をしている。見知らぬ人間とのチャットのようだった。中国の田舎町もそんな時代になっている。このゲーム屋のPCにはみなカメラが着いていた。客はゲームとチャットの2種類のようだ。



 さて肝腎の話。というかこれが書きたいことの要。お茶の味である。人後に落ちない緑茶好きであり、別項に書いたように粉末茶を日本でも旅先でも一日に何杯も愛飲している。いまはそれだけど以前はもちろん茶葉にも凝っていた。こどものころから私は母が呆れるぐらいの緑茶好きだった。しかも味にうるさい。まだまだ日本が貧しかった時代、急須に入れて五杯ぐらいは飲むつもりの茶葉を二杯ぐらいでもうまずくなったと私が捨ててしまうのでよく母に叱られた。贅沢だったのである。こどものころからこんなことをしていれば味が分かるようになる。金持ちなのに安いお茶を飲んでいる家、裕福ではないがお茶には贅沢している家、よく覚えている。私の家は父が教師の典型的な中流家庭だったが母がお茶好きだったので身分以上のものを飲んでいた。

 中学生のときにはコーラを好んだり、学生のころはコーヒーばかり飲んでいたが、それはその世代で「なにがかっこいいか」であり世に流されていたに過ぎない。
 私は一貫して緑茶が好きだった。大学生のころはそれをかっこわるいこととして遠ざけていた。吉田拓郎が自分のヒット曲「青春の詩」を自分でパロディにした「老人の詩」で、「喫茶店に彼女とはいってコーヒーを飲むこと。ああそれが青春」を「喫茶店にばあちゃんとはいって渋茶を飲むこと。ああそれが老人」と歌って笑いを取っていた時代だ。あのころ世の流れに関係なく「おれ、珈琲とか受けつけないんです。日本茶しか」と主張して貫く若者だったら私は違う人間になっていた。成れていた。でも現実の私は世の流行りに流される典型的な軽薄な若者だった。あのころ緑茶しか飲まない友人がいたらじじくさいとバカにしたろう。自分の真の好みを抑えて。
 世の傾向とは関係なく自分の考えが定まってくれば好きなものに落ちつく。今の私の緑茶好きは年を取ったからではない。

 異国の果てでノンアルコール系の冷たいものとしては水ばかり飲んでいるところにこういうものを見掛けたら、そりゃあ飲みたくなる。ちなみに私はこの種のペットボトルに入った冷たいお茶は好きではなく日本でもあまり飲まない。出先では水を買うことが多い。冷たい緑茶をうまいとは思わない。お茶は暑い日の熱い風呂のように、真夏でも熱いのを飲むのがおいしい。それでも異国で「緑茶」を見掛けたら猛烈に飲みたくなる。早速買った。

 しかしこれはとんでもない期待外れだった。緑茶なのは見た目だけである。じっさいの香りは茉莉花茶(ジャスミンティー)だった。しかも甘い。見ると砂糖が添加してある。日本茶好きの私には飲めたものではなかった。羊頭狗肉である。換骨奪胎だ。といったら失礼か。こういうことに対する製品開発、アンケート調査はそれなりにやるものと思う。この国でも。日本で流行っている「緑茶」という文字、そして緑色、そして肝腎の味は中国人に合うように作られたのだろう。
 長距離バスに乗る前にわくわくしつつこれを買った私は、ひどく落胆し、次の休憩所で急いで水を買い口を漱ぐことになった。茉莉花茶の香りは好きなのだが、どうにも砂糖の甘さになじめなかった。もしもこれが「ほんのり甘い茉莉花茶」として日本で売られていたとしたら何の抵抗もない。味も悪くない。しかしいかんせん私はそのとき、「日本の緑茶」を期待していた。

 今までにも何度も日本の茶葉を持参している。一般にタイ族は女は茶を飲まないので、味は義父に確認してもらうしかない。こちらの茶葉にお湯を注ぎ、専用ポット(むかしは竹筒だったろう)に入れて山や畑に持ち歩く。その間にたっぷり出つくすから、義父の飲む茶はもう黒に近い茶色のまさに「渋茶」である。私の淹れた緑茶を、義父は「あまい」と言って遠ざけた。彼からすると味の薄い気の抜けた味に思えたことだろう。

 マクドナルドやケンタッキーフライドチキンの味がお国柄によってちがうように、残念ながらこの「中国の緑茶」も、こちらの期待とはまったくちがっていた。ただ前記したように味が悪いわけではない。甘いジャスミンティなのだ。日本の緑茶から期待すると気落ちすると、それだけである。



 帰国してからmomoさんにこの話をしていたら興味深いことを教えてくれた。テレビのなにかで、日本の緑茶メーカーの活動を流していたという。それは「中国の人に本当の緑茶のおいしさを知ってもらおうキャンペーン」のようなものだったらしい。つまり、上記の「砂糖入りジャスミンティ」を日本の緑茶と思われては困るという活動だったようだ。

 ということは、私の推測のひとつである「日本の緑茶メーカーが、中国人に合う緑茶はこんなものだろうと売りだした商品」は間違いになる。「中国の飲食メーカーが、名前だけ日本の緑茶を名乗り、味は中国人向けのインチキ商品を売りだした」が正解になる。

 まあインチキと言っては失礼だ。前記したように「砂糖入りジャスミンティ」としては悪いものではない。でも看板に偽りありなのはたしか。一度経験したのでもうだまされない。


◎ レトルトカレー、そしてカレールウ

 今回の旅行バッグは重かった。そのあまりの重さに、部屋を出る前から、あちらに着くまでに持病のぎっくり腰が出るのではないかと脅えた。なんとかあちらまでたどり着き、いよいよ最後の行程、耕運機に乗るとき、バッグを積んでくれようとした筋骨逞しい農家の青年がバッグを抱え、「うっ、これは重い!」と唸ったほどだった。ぎっくり腰に関する絶対的真実だが、重いものに対して警戒しているとそれは出ない。重いものを運び終り、ほっとしたとき、ちょっと腰を捻ったようなときに出る。さんざん経験しているので、重いバッグを運び終えた後も、そうならないよう気を張っていた。

 1センチの隙間もないほどびっしりと荷物が詰めこまれている。重さの中心は本とこのカレーだった。カレーはすこしでも軽くするため外箱を捨てた。本とカレーのあいだにほんのすこし隙間が出来る。その隙間には小袋に入った削り節が緩衝材のように詰めこまれる。とにかくもう1センチの隙間もないパンパンに張った荷作りだった。

 旅先にこれを持って行くのは一般的なのかも知れない。私は初めてだった。
 世界中あちこち行ったけれど、まずくてどうしようもないイギリスのような国でも中華料理を食っていればなんとかなった。ましてチェンマイなどは日本料理屋まである天国だ。うまいものに餓えると騒いでいたのがチェンマイだったのだから私の飢餓感は甘かった。
 五、六年前、云南からの帰途、チェンマイの『サクラ』で私が三日続けてカレーを食べているのを見て知りあいが笑っていた。私はべつにカレー好きではないけれど、云南に一ヵ月滞在したそのときは有山パパがシーちゃんに仕込んだ日本式のカレーライスがうまくてたまらなかった。



 云南に通うようになって十二年経つが、その中身はいいかげんである。取り敢えず最初に妻の家に挨拶に行く。二日といずに町に出た。景洪のようなそこそこの町で妻とふたりホテル住まいだった。当時は雑誌の連載を持っていたからファクス通信の出来る町にいる必要があったのだけれど、山奥の妻の家では暮らせないと逃げていたのもたしかである。だから私が本格的な云南の田舎暮らしを経験したのは二年前の前回が初めてと言っていい。じっくりと、なにもない云南の田舎に40日閉じ込められた。そして、日本の食い物に餓えた。それがいかに辛いものかも知った。よって今回の私の荷物は日本食ばかりになった。

 以前から被服類はあちらで用立てられるから持たずに行き、持参する荷物は生活の「うるおい」を中心に構成していた。うるおいとはすなわちコーヒーやお茶のようなもの、飴、チョコレート類である。嗜好品だ。町のホテル暮らしのときはそれでよかった。不満だらけではあるが、レストランや食堂でそこそこのものを食ってきて、部屋で日本のコーヒーを飲み、飴をなめればなんとか満足できた。しかし前回の本格的な田舎暮らしで「うるおい」以前のもの、つまり主食が合わないという決定的な事実を知った。うるおいどころの話ではない。飯を食って腹いっぱいになった後にコーヒーやお茶がある。それを自分好みに凝ったわけだが、あくまでもそれは満腹前提の嗜好品の世界だ。腹いっぱいになれず、すきっ腹にそんなものを飲んでも満足とは程遠い。困窮した。

 同時にそのときまた抜け道も見つけていた。主食の米や野菜は同じなのだ。食える。問題は味つけだ。そこをなんとかすればやってゆける。前回大活躍したのが「チャーハンの素」と「お茶づけ海苔」だった。今回もこれらを用意したのは言うまでもない。

 そしてもうひとつ、日本だと金銭的に追い詰められたときの苦しまぎれの自炊アイテムでしかなく、決して好んで食したいものではないが、このレトルトカレーも云南の山奥でなら充分に御馳走になるのではないかと思いついた。目を閉じると、気に入った食い物がなく、持参したインスタントラーメンを食い、それでは満腹にならずふてくされている自分が、喜色満面でわしわしとカレーを食っている絵が浮かんできた。持参すべし。すぐにスーパーに走りレトルトカレーを買いこんだ。20コほど買いこみ、バッグの都合で結局12コほど持っていった。重かった。しかし餓えたとき、カレーが食えるという安心感は大きかった。



 レトルトカレーは予想通りの活躍をしてくれた。あちらの飯が食えず行き止まったとき、救いの光になってくれた。しかしそれは予想通りであり以下でも以上でもない。予想以上に輝いた存在があったためにかすんでしまったのだ。すなわちカレールーである。

  スーパーでレトルトカレーを買っているとき、あちらでカレーを作れないかと気づいた。ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、豚肉は揃っている。あちらでカレーが作れるなら重いレトルトカレーを持参する必要はない。ルーだけですむ。今回は不確定なので両方持って行くけれど。
 妻の家の煤だらけの薪のカマドで作れるかどうか心配だが、今回は云南でもブームのIH調理器を買うつもりでいる。それでなんとかなるだろう。煤だらけの薪のカマドを私は嫌いではなく、そこでカレーぐらいは問題なく作れるのだが、排気が悪いのである。煙くていられない。

 妻は日本に一年いたがほとんど料理をしていない。それは田舎の家の台所を支配しているのが母であり、確執を避けるようにしたからだ。カレーすら作ってはいない。でも能力があるのは知っていたから心配はしていなかった。
 町の市場で肉や野菜を買いもとめ、耕運機に揺られて家にもどる。一緒に皮を剥き、刻み、妻と一緒に作ったカレーはうまかった。レトルトカレーとは比べものにならない。救世主のはずのレトルトカレーの存在がかすんでしまった。これ一個で10皿分である。重さはレトルトカレー一個と同じぐらい。次回からはこれにする。大正解だった。



 両隣の家がなにか作ったとき、妻の家にもおすそ分けをしてくれるとか。妻は今回そのお礼にとカレーを配った。ドンブリ一杯ずつ。
 残念ながら両隣から賞讃の声は聞こえてこなかった(笑)。初めてカレーに接した彼らは、色といい香といい、その強烈さに、これはなんだろうと首を捻ったことだろう。初めてカレーに接して、「いやあ、これはうまそうだ」と思い、ひとくち食って「うまい。最高だ!」と受けいれるひともそうはいないように思う。初めて見たときは色は不気味だし匂いは強烈だ。慣れない内はあれは珍味であろう。それでも妻も私も、内心では賞讃する声を期待していたから(というのは、カレー味は初めてでも、彼らになじみのある豚肉も野菜も、うまく炒められ、おいしく煮こめていたから)、まったく反応がないことには正直気落ちした。もしかしたら両隣は気味が悪くて箸をつけなかったかも知れない。いやほんと、そんな可能性も高いのだ。

 ま、それはともかく、カレールーは大正解だった。この成功は大きい。次回から私はこれを必ず数個持参する。一二ヵ月いるとして、週に一度はカレーが食えると思うとだいぶ救われる。その価値はレトルトカレーの比ではない。
 妻が私に指示を請いつつ一所懸命作り、うまいと誉められたものだから自信を持った。次回からはカレールーを渡してカレーが食べたいと言うだけで作ってくれる。なによりもそれがうれしい。


◎ ラーメンスープとしてのインスタント味噌汁

 前回、妻の実家で過ごし、しみじみ思ったのは味つけの差だった。妻の家のことではない。国の差だ。日本から持参したインスタントラーメンは6コ程度だった。大事に食べたがすぐになくなった。中国製を買ってきた。そこでしみじみ知った。味つけの違いを。思いっ切りこってりの牛肉味のスープ。ヴェジタリアンになりたいと思っている私には牛臭くて喰えない。豆板醤のような辛い味つけ。辛いものは好きだが、その辛さの感覚が私とは違う。漢族の味なのだ。

 それはタイ族にも合わない。云南に住む中国籍タイ族が好むラーメンはタイのインスタントラーメンである。当然輸入品(!)だから高い。それでも彼らはそれを買う。チェンマイに家を持つらいぶさんの隣に、タイで大人気のインスタントラーメン会社の御曹子が住んでいるそうだが、その会社の売りあげで「中国への輸出」はそれなりのパーセンテージになっていると思う。云南にはタイのインスタントラーメンが溢れている。タイ族はみなそれを買って食っている。
 これは「民族の味」を考えるとき、まことに興味深い。云南の源流タイ族と現在のタイ王国のタイ族は離れている。だいぶことばも違っている。直接の接触はない。なのに今まで連綿と伝えられてきた味として、それは共通なのだ。中国に住むタイ族は、漢族が作った現地のインスタントラーメンの味よりタイ王国のタイ族が作った味を好む。なんと血とは深いものなのだろう。



 私も中国のインスタントラーメンよりはタイ製の方がまだ合う。しかしやはりそれは異国の味だ。私が食べたいのは日本の味なのである。
 何年かまえ、偶然タイフリークスのブログを読んだら、「バンコクのホテルで『うどんどん兵衛』を食う。これがたまらない」と書いてあった。限られた荷物の中にカップ麺を入れて行くと嵩張る。でも彼はそれでもそれが楽しみなのだ。ここで重要なのは、彼はタイの食事が合わない人ではないということだ。旅の初心者でもない。タイにもう何十回も通っているヴェテランだ。ふだんはタイ飯を食べている。それでもある程度の日数が経ったとき、宝物のようにして食べる日本から持参したカップ麺、それがいかにうまいかと書いているのである。親しんだ味とはそういうものなのだろう。

 私はタイに日本食を持っていったことがないのでこの感覚はわからなかった。私の場合、タイ=チェンマイであるし、チェンマイの『サクラ』は日本製のだしを使っている。定期的にチェンマイに通ってくる何人かの馴染みに日本からもってきてもらい買い取っている。お土産として喜ばれるのも日本製のだしや海苔だ。日本獨自のかつを風味に餓えることはない。だからこの「うどんどん兵衛」の感激はわからなかった。

 云南に頻繁に行くようになっても、肝腎要の大豆醤油は共通だし、町の食堂、妻の家でも、味つけにそれほど不満を感じたことはなかった。いや、本当は不満だらけなのだが、厳選に厳選を重ねて撰びぬいた食事をしているのだから不満は表に出て来るほどにはならなかった。
 ところが意外なところでつまづいた。インスタントラーメンである。これが喰えない。どうにも喰えない。味つけというかもうスープの臭いを嗅いだだけで受けつけない。いかにもこってりした牛肉のにおいなのである。好きな人にはたまらないだろうが。
 段ボール箱に入った30コ入りを買ってきたのだが食わずにほうり投げておいた。しかし日々ラーメンを食いたいという欲求はつのる。タイ族自治州であるから、町に出てもラーメンは食えない。みなクイッテオなのである。米麺だ。タイ人はほんとにこれが好きである。でも私の好きなのは小麦粉の麺だ。タイでもバーミーばかり食べている。餘談ながら、中国でクイッテオが食えるというのはかなり珍しい。基本は小麦麺の国である。いかに云南が特殊な地域であることか。妻によると、数年前まではなかったクイッテオが省都の昆明でも食べられるようになってきたとか。つまりタイ族の味が漢族にも受けいれられつつあるということになる。

 目の前にインスタントラーメンはたっぷりある。でも味が合わずに喰えない。そのとき考えた。「麺そのものは同じようなものだ。食える。スープの素が合わない。なら日本からスープを持ってくればいいのではないか」と。前回は日本から持参した「だしの素」と、同じく持参したキッコーマン醤油でスープを作った。これがいけた。難関をひとつ突破したことになる。この方法でならインスタントラーメン食い放題だった。

 あとは味噌味である。私は醤油味より味噌味が好きなのだ。しかし味噌は重い。さてどうしようと思ったとき「インスタントみそ汁」を見掛けた。パックになって生味噌が付いている。乾燥わかめのような具はラーメンにも合いそうだ。永谷園の「あさげ」と「ゆうげ」を10食ずつ持っていった。これがヒットだった。
 インスタントラーメンの乾麺は同じようなものだが、中国のはすこし臭いがあるような気がする。味噌は臭味を消すには最適だ。

 
 これと別に「乾燥ワカメ」をひと袋持っていった。それと海苔も。新鮮な野菜はあちらにたっぷりある。これらのお蔭で私は日本と同じ味のインスタントラーメンを、たっぷりと具を入れて食うことが出来た。その効果は計り知れない。自分の矮小さを告白するようで気が引けるが、食が満たされないとひとは苛つくものだと知った。とりあえずうまくないものを食って腹いっぱいになっても、味覚が満足していないというもの足りなさはストレスとなって一日中つきまとうのである。今回、カレーとインスタントラーメン、チャーハン、それらのお蔭で一切不満がなかった。
 クイッテオパットのうまい店を見つけたことも大きい。一ヵ月ほど町の旅社で暮らしたので、市場の中の店をしらみつぶしに食いまくり、自分に合う店を見つけた。すると感覚の違う日本人と漢族とはいえ互いに情が生まれる。あまたある食堂の中から自分の店に毎日通ってくるのだ。笑顔で迎えてくれるようになり、注文しなくてもすわるだけでそれが出て来るようになった。こういうのはどこでもうれしいものである。
 これらを持参し、気に入った何軒かの食堂に通えば、海魚への渇望を抑えつつ、なんとか数ヵ月ぐらいならいられそうである。

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餘談──思わぬ展開

 帰国後、うれしい誤算があった。妻がスープを作るとき、私が残してきた「ゆうげ」の味噌を使ったらしい。妻は一年以上日本にいたが、私は毎日みそ汁を飲む習慣がないし、まあたとえ毎日飲んで妻に勧めたとしても受けつけなかったように思う。味噌は味も風合いもかなり獨特のものだ。白人にも受けつけないひとは多い。こういうのは無理強いは出来ない。

 妻は野菜スープを作ろうとして、みそ汁の素に気づき、なんとなくやってみたらしい。そして味噌というものがうまく、万能の調味料であることを知った。
 私がそれを知るのは帰国して、写真やその他の小物を航空便で送ろうとしていたときのことだった。今から送ると電話をして切ったら、折りかえし電話があり、ちょっと焦った感じで「味噌は入れてくれたか?」と問われたのだ。意味が解らず問いかえすと、毎日みそ汁スープを作って飲んでいたので、もうみそ汁の素がないのだという。今では大のお気に入りとなり、ぜひとも味噌を送って欲しいという。妻は遠慮して、時間のかかる船便でいいと言った。調べてみると船便だと一ヵ月、それで2千円。航空便のEMSだと倍の4千円かかるが1週間で着く。私は妻が味噌を気に入ったことがうれしく航空便で送ることにした。1キロ500円の味噌を4千円かけて送るのも一興である。自力で覚え、妻がいま夢中になっている将棋の入門書と一緒に送った。

 味噌を気に入ったことがうれしかった。日本将棋に夢中になっているのがかわいく、買ったばかりの大切なアイテムなのだがNintendo-DSを置いてきた。異国人がこちらの文化を好んでくれることはうれしいものである。それが恋女房なのだからなおさらだ。次回は六枚落ちぐらいで妻と将棋が指せそうだ。


◎ その他の小物

 その他、御茶漬けやチャーハンの素、削り節、ドレッシング等、あれやこれやを持参した。
 ドレッシングは今回初めて持っていった。私はコールスロー(Coleslaw)が好きだ。ケンタッキーフライドチキンを食べるときも必ず頼む。云南の新鮮なキャベツに日本製のコールスロードレッシングをかけて食いたかった。これも思った通り正解だった。キャベツに差はない。刻みキャベツにコールスロードレッシングをかけて冷蔵庫に冷やしておけば大好きなコールスローにありつくことが出来た。


 飴はこの「味覚糖特濃ミルク8.2」を二袋持っていった。同じようなものがあったけれど、やはりこっちの方がうまい。満腹した後、これを舐めつつPCに向かい、音楽を聴いたり落語を聞いたりするのは充実の時間だった。
 以前は森永の「ハイソフト」を好んでいたのだが、momoさんにこれを教えてもらってからこれ一辺倒になった。momoさんに教えてもらったのは2004年だから早いものでもう4年か。いまネットで検索したら「同盟があるほどファンが多い」のだとか。いろんな同盟があるものだ(笑)。これからもこれは持って行くけれど、飴とチョコレートはあちらでも大きなショッピングセンターが出来て充実したので心配は要らないようだ。


 これも毎回の必須アイテム。云南のとうがらしはうまい。一味としては文句なし。妻の家も近所も生産している。本場である。
 でも味噌ラーメンにいれるトウガラシはこれでないとダメ。ほんとは重さ対策のため袋入りにすべきなのだが、このビンからシャッシャッと振るのもトウガラシの楽しみ。よって中身の何杯も重い瓶入りを持って行く。
 ねりワサビ、ねりカラシももっていったがあまり出番はなかった。その点この七味は毎日出番があり、すぐになくなってしまった。次回からはビンをあちらに置いてきたので詰替用を持って行こう。



× 続・なんとなくヴェジタリアン

「なんとなくヴェジタリアン」


 今回は前回の訪問時、毎朝耳にした「隣家から聞こえる豚が屠殺されるときの悲鳴」が聞こえてこず、それだけは助かった。売りあげ不振なので屠殺をやめているとか。



 写真は芒信(むんしん)の町中。こんなふうに豚の足をぶったぎったものが並べて売られている。こういうのを見ると、動物を殺して食わないと生きて行けない人間の業、罪深さを感じる。スーパーできれいにパックされた肉片を見るのとはまたちがった感覚だ。



 他項でも書いているが、とにかく私は他人様の写真を撮るのが苦手である。それでもすこしはないとまずいかと、路上に肉を並べて売っているおばさんを撮ったらもろに睨みつけられてしまった。だいぶ離れたところから望遠で撮ったのだけれど。

 菜食主義者になるためにはスープの中の肉片も拒まねばならない。今回もほとんど肉は食わなかったが、その辺を徹底していない、というか町で食事をするときそこまで徹底することは不可能なので、今回もまた私は「ヴェジタリアンもどき」だった。それでももう日本で焼き肉屋に行くようなことはないように思う。
 
 つらかったのは、この地において豚肉はごちそうであるから、私から金が渡った妻は、私においしいものを食べてもらおうとふだんは食べられない御馳走である豚肉を毎食のように買いこんできて調理することだった。私は食べたくないのである。むずかしいところだ。でもそれは妻も義父母もふだんは食べられない御馳走であり、私にふるまうと同時に自分達もよろこんでいたのだから、それはそれでよしと割り切った。

 豚肉牛肉は食わなかったが、毎日のように皮蛋(ピータン=アヒルの卵)をパクチーでまぶして食っていた。卵を食うヤツがヴェジタリアンの話なんかしたら本物に笑われる。あいかわらずニセモノである。
 


 帰国してからもスーパーで肉は買っていない。中国でまともにぶったぎられた豚の頭とかを見てきたので、いくら原形を留めないこぎれいなスーパーのパッケージを見てもそれが浮かんできて食欲が出ない。

 それでも先日友人と飲んだとき、ヤキトリを食ってしまったからヴェジタリアンへの道は遠い。いや成りたいと思っているのではない。成ってしまった方が楽じゃないかと考えているだけ。でも実はつまらんこだわりを捨てて「肉、大好き!」になるのがいちばん楽。

 私は好き嫌いが一切ないし、肉は肉で食物として好きなのだ。だけどどうにもそれはもう無理のような気がする。他の動物を殺して肉を食う人間の罪深さ?が厭になってきている。ライオンだってシマウマを食うじゃないかと言われそうだが、食物連鎖と人間の食慾はちがう。先日テレビでトンソク特集をやっていて、タレントがみなうまく煮こんだトンソクを見て「わあ、うまそう」と言ったりする。そうなのか? 私は見事に豚の足の形をしたトンソクを見て、うまそうとは思えない。これでまた肉を食わないと生きて行けないのなら深刻なのだがそうでもないようだ。しばらくはこのままの態勢で行こう。

 煙草を喫う人と肉好きとは感覚が合わない。もしも肉好きを狩猟民族、菜食を農耕民族とするなら、私は明らかに農耕民族である。





 畑からカボチャや瓜を収穫して帰ってくる妻。傾度45度はあるのではないかと思うぐらいの急斜面の畑。私はあぶなくて歩けない。へたに参加して怪我でもしたら迷惑を掛けるのでおとなしく傍観者になるのが正解。



 とうもろこし畑。写真の真ん中にあるのがバナナの木。もちろん野性ではなく植えたもの。



 収穫したばかりの青バナナ。一週間ほど篭をかぶせ暗所で醗酵させるとお馴染みの黄色いバナナになる。味は美味。日本で食べるバナナと変らない。

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