雲南2005──生活のあれこれ
●おお、ハイビスカスだったのか!

 私の宝物に12年育てている鉢植えのハイビスカスがある。猫を失ってから一緒に生きているものとしては最古の友人となった。一年中咲き誇って目を楽しませてくれている。

 昨年の田舎からの引っ越しの際もVIP待遇だった。大事に大事に持ってきた。
 旅に出る際の面倒は、母に頼んだり、母とケンカしているときは「自動給水装置?」を考案してみたり、あれこれ苦労してきた。その辺は「日々の雑記帳──田舎」に書いた。

 今回雲南に行く際も、H子さんに週に一度の水やりを頼んだ。御徒町からわざわざそのために来てくれるH子さんには迷惑を掛けるが、ためらうことなく頼んでいた。ためらわないほど大事なものになる。
 出かけるとき最後に挨拶したのも、帰国して最初に挨拶したのもこのハイビスカスである。
 H子さんのお蔭で元気でいてくれた。
 写真は茨城の田舎時代のもの。

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 なのに私は妻の家の庭にあるこの木がハイビスカスであることに今回まで気づかなかった。なんとも間抜けである。
 いま枕と、私のために搗いてくれた餅が干してある。こんなふうに生活にも役立っている木だ。

 ハイビスカスと言えば南国である。ハワイの州花であり日本だと沖縄が有名だ。沖縄ではこの写真のような太さで垣根になっているぐらい有り触れた丈夫な木なのだが、ついつい花に対する感覚が自分の鉢植えになっていた。
 田舎時代の園芸センターはもちろん、今の住まいの周囲の花屋でも鉢植えをかなり見ていたし、ハイビスカスをそういう花として捉えていた。
 ハイビスカスは霜にさえ気をつけて屋内で飼えば、育てるのが簡単で華やかな花を咲かせてくれるから街の花屋でも人気商品である。

 思えば、高地とはいえ雲南は温暖だしハイビスカスに適した地だ。今年の冬の冷え込みはすごかったが、霜は降りないから枯れずに済むのだろう。
 それと、上記の咲き誇っている私のハイビスカスと比べると地味なのである。今回「えっ!? これってもしかしたらハイビスカス!?」と気づいたのは、写真の向こう側にちいさな赤い花が一輪、咲いていたからだった。それは花木としての花ではなく、垣根にひっそりと咲いた「えっ、この木って花も咲くんだ」と思うような控えめなものだった。それは地味であったが、まごうことなくハイビスカスの花だった。

 私の驚きを見て、妻は「だからウチにもあるって言ったでしょ」と笑っている。たしかに妻はそう言った。日本にいるとき、私の溺愛するハイビスカスを見ながら雲南の自分の家にもある、あんたも何度も見ている、と言っていた。でも私にはこの木と自分のハイビスカスが繋がらなかった。

 ともあれ、うれしい出来事だった。このあと、なんとカーネーションを見るのだが、なぜ雲南でカーネーションが野生で咲いているのかその謎が解けない。すこし調べてからまた書こう。(06/3/2)



我田引水修理日
 家の前でこんなことをしている。何をしているのだろうと興味深く眺めていた。
 どうやらこの川を跨いでいる管は水道のホースであるらしい。向こう側の畑に水をやるのにホースを引いているのだ。

 やっとこの辺も政府によって水道が普及しつつある。といっても日本的な上下水道の話ではない。モーターで水を汲み上げる水道を、国が部落単位で設置しつつあるのだ。それによって山の上までバケツで水を運んでいた民族も、近場で蛇口をひねると水が飲めるようになった。
 この辺はタイ族、ハニ族、ワ族の自治州である。川に近いいいところはタイ族がとっている。数が多く主流だからだ。不便な山の方にラフー族やハニ族、ワ族が住んでいる。もちろん要所はすべて漢族だ。13億の人口の95%を占める漢民族絶対有利なのだが、虐げられている少数民族にもまた階級があるのが、なんとも人間的である。妻も自分が漢族に虐げられている少数民族のタイ族なのに、その他の少数民族に対しては排他的、侮蔑的なことを言うことがある。私がそれを注意して気まずくなったりする。まこと差別は人間の本質だ。

 便利になって楽が出来ると、人はますます楽をしようとする。
 写真でやっていることは、川からバケツで水を汲んで畑に撒く作業を、蛇口ひとつでやろうとしていることである。目の前の川に無尽蔵にある水を人力で汲まず、飲用水の水道蛇口から引いて楽をしようとしている。
 これまた人の本質であろう。モーターによる水道というものを知らなかったら、決して生まれなかった発想である。(06/3/2)

動物のいる生活 残飯を撒く
 鶏が放し飼いになっている環境が楽しくてたまらない。子供のころ10羽ほどを飼っていたが小屋に入れてだった。放し飼いの経験はない。あれはたぶん母の作っていた草花をニワトリが食いちらかしてしまうからだったろう。我が家は、家の中は乱雑でも庭だけはきれいだった(笑)。

 飼っていたと言ってももちろん私が飼っていたわけではない。親だ。当時は子供に卵を食べさせてやろうと田舎ではどこでも飼っていた。それでも餌をやるのはこどもの係だったから、それなりに親しんだ。
 餌当番の私は大きなキャベツや白菜を丸ごと刻んで糠と混ぜ合わせて与えていた。野菜の高い今を思うとけっこう贅沢な餌だったようにも思う。

 今も思い出すのはニワトリがザリガニに驚喜したことだ。当時は農薬も普及していないし、繁殖力が旺盛なこともあって、そこいら中にアメリカザリガニがいた。庭にあった池でもおもしろいように釣れた。庭の中に菖蒲の咲きみだれる5メートル四方ほどの池があり、そこにカエルやらザリガニやらがいた。

 それを生のまま、生きている状態で餌箱に入れても奪うように食べるのだが、廃用になった鍋や一斗缶を探してきて、たき火で茹でたものを与えたときの驚喜ぶりは圧巻だった。まさに狂騒状態である。たかが鶏がそこまで味がわかるのかとふしぎだった。



 父母が晩年になってから矮鶏(チャボ)を飼った。つがいである。これは放し飼いだ。ここで感激したのはたかが矮鶏なのに、慣れてくると父母の手から餌をもらうほどに人間に同化することだった。老父母にとってすっかりもう気分はペットである。何日かに一個生む卵が父母にはちょうどよかった。老父母が縁側でくつろぐ前を、矮鶏が散歩している。声をかけると寄ってきて手から餌をもらう。なかなかにいい風景だった。

 ところがこれが鼬(イタチ)にやられる。
 前記の子供時代はまだ「来客があったら鶏をつぶして歓待する」という習慣のころである。まずしくも、日本人がまだ古き良き日本人であった時代だ。後に私はこれをチェンマイで経験する。それは「チェンマイ雑記帳」に書こう。いま雲南はそれである。客人が来ると飼っているニワトリを潰して歓待する。とこれは後述するとして。

 これでまた驚いたのは私の田舎にいまでもイタチがいることだった。のどかな田舎ではあるが宅地開発は進み、ありふれた景色の農村地帯である。まして関東平野の真ん真ん中であるから山はない。筑波山の640メートルが最高峰だ。いったいこの程度の自然の中で、イタチや野ウサギがどうやって生きているのかふしぎでならなかった。

 つがいの矮鶏を入れた父手作りの鶏舎が深夜に襲われる。開発が進み、餌がなくて飢えているだろうに、これまたイタチの習性も徹底していた。首筋に噛みつき血を吸うだけなのである。つがいの死骸が残されていた。イタチは土を掘って鶏舎に進入する。父は鶏舎の周囲に瓦を埋めたりして強化したが、深夜の寝静まった時間に無抵抗の鶏を襲うイタチにそんなものは通じなかった。これは近所の家も同じだった。役だったのは犬を飼っていた家のみである。まこと、家畜というものを意識したとき、犬は人の友になったのだと実感した。

 イタチに二度襲われ、つがいのチャボ二組、合計四羽を失ったとき、父母は落胆し、飼う気力を失ってしまった。人間の自然開発により餌が激減し、人里の家畜を襲わざるを得ないイタチにも同情の餘地はあるのだが、老父母とチャボの関係がほのぼのとしていただけに、なんとも残念で悔しい出来事だった。私が父に協力し、もっと頑丈な鶏舎を造ったとしても、素人仕事では無理だったろう。アルミ製の高価なフレームでもなければ本気になった肉食獣からは守れなかった。
(と、ここまで書いて、これ以前も書いたなと思い出した。調べたら2003年の「田舎暮らし」にまったく同じ事を書いていた。「イタチにも同情の餘地はあろうが」なんてとこまで同じなので恥ずかしくなる。それだけ老父母の落胆が身にしみていたからだが。)

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 さて雲南の話。
 庭には雄鳥一羽と雌鳥四五羽、ひよこ20匹程度が歩き回っている。この母鳥のあとをくっついて歩くひよこの姿は童謡「ひよこのかくれんぼ」にもあるように、なんともあいらしいものだ。
 私がいま最も興味を持っているのは、彼らの餌に対する反応である。これが楽しい(笑)。
 


テレビからきろろ(1/1)
 父母と妻がテレビを見ている。私はベッドで浅田次郎の「プリズンホテル」を読んでいた。何年か前に来たとき置いたままになっていた本の何度目かの読み直しである。

 正月である。テレビでいい歌をやっている。中国語だ。居間に顔を出す。
「新春歌謡ショー」のような番組だった。中国は旧正月を祝う。泰族であるこの辺は四月のソンクランが正月だ。
 西洋式の暦の上の正月は、こちらでは新年ではないがそれでも世界に合わせてそれらしきことはやっている。キンキラキンのドレスを来た娘が、若い男のバックダンサーを従えて歌っていた。

 しばらく聞いていて、それがきろろの「長い間」だと気づいた。これは日本の歌で、それを中国語で歌っているのだと言った。父母も妻も不可解な顔をした。まあしょうがない。これ以上言うのはやめよう。よくあることだ。こんなことで気まずくなってもしょうがない。

(以下随時更新)
●テレビの特撮
 大蛇 「少年ケニア」ダーナを思い出す
●1/8
 しまを想って泣く。
●犬、喰うか?
●1/10 しま六周忌

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