アンテナ到着
 我が家にも待望のパラボラアンテナがやってきた。

 雲南の山の中をバスで走っていて、ありえない場所に設置されているこれを見たとき、ふしぎな感動を覚え、もうひとつの自分の人生を描いたものだった。
 羊腸する山路を行くバスからその写真が撮れなかったのが残念である。デジカメを用意する間がなかったのだ。まにあっとしてもあれほど揺れていてはぶれてしまって絵にならなかったろう。

 左の写真のような山の中を走っている。風景に似合う杣小屋が建っている。一見電気もガスも水道もないと思われるのだが、なぜかその隣に銀色に輝く直径1メートル半ぐらいのパラボラアンテナがあるのだ。ガスも水道もないが電気はあるとわかる。

 子供のときから今に至るまで仙人指向の強い私は、そういう風景を見るとすぐに夢見てしまう。人嫌いで山奥にひっそりとひとりで住む仙人である。ここまでは本物と同じだ。雲南は最適の地になる。しかしこの仙人、十分に俗化しているので世間の情報も知りたかったりする(笑)。パラボラアンテナで世界中のテレビを見ること、インターネットで情報を得ること、ホームページとして発信すること、そんなことに興味のある生臭仙人だ。

 妻子がいるのだからそんなことをしてはいられないのだが、もしもすべての情況が許すなら、妻子と暮らす家とは別に、そんな感じの山奥に一間の山小屋を建て、それを自分の勉強べや(© 高島俊男さん)にしたいと思っている。高島さんの場合は私と違ってテレビもインターネットもいらない。本があれば十分だ。私のような生臭ではない。
 でも高島さんは「診察券の数なら負けない」というぐらい病弱のようだからこんな山奥の暮らしは無理だろう。(高島先生、ヘビースモーカーらしい。長生きして欲しいのでやめてもらいたい。先生の長命はもうファンすべての願いなのだ。)



 と、相変わらず脱線モードになってしまった。とにかく何が映るのかすら知らないが、雲南でそれを見かけてから、私には直径1メートル半のパラボラアンテナに対する異常とも言えるほどの憧憬が芽生えてしまったのである。
 実際にそこからの映像を見たのはチェンマイ郊外のプラオに住む元外交官Hさんだけである。退職して若いタイ人の嫁をもらったHさんは、大型パラボラアンテナを設置し、衛星放送NHKの大相撲を見ていた。孫のような子を溺愛していた。これもひとつの理想として記憶した。
 今ではチェンマイで衛星放送を見るのはふつうになり、『サクラ』でも一日中NHKが流れている。そのころまだ『サクラ』にも『宇宙堂』にもそれはなく、先進的な暮らしだった。私の場合は妻との関係からそれがタイではなく雲南になったが……。(←この辺、いまでもタイに未練があるのがよく出ている。まったく、タイ人との国際結婚をたいへんだなあと傍目から見ていた自分が、その何倍もたいへんな中国籍泰族の娘と結婚することになるとは夢にも思わなかった。私がいま頭を抱えているいくつかの問題は、妻がタイ人だったらなんの問題もないことである。)←このごろかつて使ったことのない「頭を抱える」という表現を使うようになってしまったが、これは誰かの影響なのだろうか!?

 「チェンライへ走るD──プラオ義太夫」

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 今回我が家にも写真のようなパラボラアンテナが到着した。初めて見かけて夢想してから、ここまで来るのは長かった。
 着いたのは12月26日である。妻から日本の放送が見られると聞いたので、それまでまったく当てにしていなかった有馬記念がもしかしたらNHKで見られるかもと私の鼻息は荒くなった。
 日本のHDDレコーダに録画予約してきてあるし、それは帰国してから見ればいいと思っていたのだが、リアルタイムで見られるとなると見たくなる。
 設置には24日に来た。しめた25日の有馬記念が見られると期待は高まる。なのに部品が足りないとかわけのわからんことを言って帰ってしまう。でも明日25日の午前中にもういちど来ると言うから有馬記念には間に合うだろう。ところが来ない。アンテナを庭に放り出したまま。何で来ないのかと妻に激しく言い寄ったら「雨が降っているから」だと。激しく脱力する。たしかにしょぼしょぼ雨が降っていたが、パラボラアンテナの設置を雨が降っているから中止ってのも……。

 結局25日の有馬記念には間に合わず落胆した。もともと見られないと思っていたからどうでもいいのだが、見られるかもと期待が芽生えたからつらかった。翌26日は晴天。しっかりやってきて設置していった。しかしその画面に日本の放送はなかった。そうとわかっていたら期待に鼻息を荒くすることもなかったのにとどうもその辺が釈然としない。

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 さてこのパラボラアンテナ。まことにすさまじい。チューナーで選べる局は140局。そのうち半分ぐらいしか映らないのだが、サハラ、リビア、オマーンとかの放送が映るのである(笑)。画面はアラビア文字。中東のアラブ国家とアフリカでも上の方の国はみんな映るのではないか。なんともはやすごい。インドも映っていたから、きっとパキスタンあたりも映るのだろう。
 最初はアラビア文字が流れる画面のコーランを興味深く見ていたがすぐに飽きた。教養のないバカがこういうものに興味を持ち続けるのは難しい。妻や父母、十七になる甥も、結局は見慣れた中国語の局ばかり見ている。結果としてこのアンテナはなんなのだ、となってしまった。

 今後どうなるかわからないのだが、衛星NHK放送は見られないのだろうか。
 日々のニュースと大相撲が見られたら、ここでの暮らしはそれだけでも充実度合いが違う。特に相撲中継は楽しみだ。

 パラボラアンテナを契約したから日本の放送が見られると、日本を発つ前から妻に聴いていた。それでいつしか、私はもう紅白歌合戦なんて四十年ぐらい見ていないのだが、異国で見るそれもけっこう楽しいかも、なんて思ってしまった。ブラジルの日系移民は紅白歌合戦を楽しみにしているらしいが、雲南でなら意外に私も楽しめるかも、なんて想像もしてしまった。

 
 今まで妻の家で見られる中国の放送は二局だけだった。日本的に言うならNHKと地方民放一局って感じか。それがこのアンテナとチューナーを設置すると60局ぐらい見られると聞いた妻が、私に日本語放送を見せてやろうと契約してくれたのである。


 アンテナのある風景。右手はちょっとわかりにくいが水牛である。田んぼや畑の耕作に大活躍しているし、成牛は10万円ぐらいで売買される。日本的に言うなら100万円だから大きな財産だ。動産かな?

 手前にあるのは木材。毎日これをノコギリで引き、ナタで割ってかまどにくべる。ニワトリが放し飼いになっている。これもたまに精をつけるために適当なのを選んでつぶす。
 義父母とも日常として淡々とこなす。私もそういう時代の日本に育っているのだが、今は無を背けてしまう。なさけない。軟弱だ。

 言いたいのは、そんな暮らしとパラポラアンテナという対比である。おもしろいよね、かまどで火吹き竹を使って火をおこし、煮炊きをしている。放し飼いにしているニワトリを潰してタンパクシツを補給する原始的な暮らし。
 でも居間にはカラーテレビもDVDプレイヤーもある。その横で私はノートパソコンをいじっている。
 昭和三十年代の日本に似ているが、同時に「今」があるから、あきらかに違ってもいる。


 結局何年も待ち続けたパラボラアンテナからは期待したものは得られなかった。まあ妻と義父母がよろこんでくれたからそれでいい。
 なぜ日本の衛星放送が受信できないかは未だ謎のままだ。アンテナの角度か?
 そういえばアラブとアフリカ方面ばかりでタイやミャンマーもなかった。こういうときその種の知識のないのが悔やまれる。
 次回は60日ビザをとって行くつもりだから、なんとかこの問題を解決したいのだが。

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