読書話

2005~2006

●「蝦夷地別件」船戸与一

船戸を知ったころ──「猛き箱船」のこと
 「蝦夷地別件」って、何年前に出たのだったか。出てすぐ買って、何度かチャレンジしたけど挫折した典型的な「積ん読」の一冊だった。やっと今回雲南で読破した。
 いつごろ出た本だったか。発行日をネットで調べる。本は雲南に置いてきたので手元にない。
 2000年ぐらいかと思っていたら1995年だって! 10年もほっておいたのか。恥ずかしい。でも船戸の本てのはとっつきにくいからしかたない。読破しただけでよしとしよう。



 船戸を初めて読んだのはタイだった。1991年になる。そのころ親しくなった競馬関係の友人が一ヶ月ほどタイに出かける私に餞別代わりに文庫本を持たせてくれた。それが「猛き箱船」だった。文庫本5冊組。それまで私の船戸与一に対する知識は「食えないころ、ゴルゴ13の原作を書いていた」だけである。(註・現在は上下2冊の分厚い文庫になっているようである。)

 食わず嫌いだったのには理由はある。私は翻訳物が嫌いだ。長じてからはほとんど読んでいない。カタカナの登場人物と地名、相関関係を覚えるのが面倒なのである。子供のころ世界名作文学全集を読破しておいて良かった。今から読めと言われてもその気にはなれない。やはり好き嫌いが確定しない内の詰め込み教育は有効である。そういえばチェンマイで知り合った笹井さん(故人)は翻訳物しか読まなかった。と、また脱線するからこの辺も別項としよう。

 外国が舞台でカタカナの地名、登場人物の多い船戸作品はほとんど翻訳物のようである。主人公が日本人だし、いま考えると「活字版ゴルゴ」そのままなのだが、とにかくそれまでの私には縁遠い作家だった。
 プレゼントしてくれた友人はこの種の「冒険活劇物」とでも言うのか、それの中毒者だった。私がまったく読まないのを知って無理矢理押しつけたようなものである。自分が心酔しているものに友人が興味を示さないとそうしたくなるものだ。私も礼を言ってもらった。嗜好の世界が拡がると思った。
 後々それはあらたな読書ジャンルを拓いてもらったということで心から感謝することになる。しかしそこまでが長かった。



 船戸作品は単行本かするに当たって連載時の原稿に書き足すことが多い。800枚のものに400枚足して1200枚とか。「猛き箱船」は、その船戸美学の典型的な作品だろう。2000枚の作品である。何枚書き足されたのだったか、いま手元にないので確認できないが。
 チンピラもどきだった主人公が外国での体験を経て修羅の復讐鬼と化す。そういうストーリィである。その主人公が雪山で警官隊によって射殺される壮絶な最後から始まる。これが附け加えられたプロローグになる。そこから物語はプレイバックしてゆく。船戸の愛読者なら、この附け加えられた部分はたまらなく美味だったことだろう。ところがこれが初めての船戸体験である私には、そこが読み切れない。プロローグを読んでいるうちに飽きてしまう。なんなのだろう、この作品は……と。
 映画「タイタニック」で、いきなりしわくちゃのバーさんが出てきて物語が始まるのと同じだ。映画はうとうとしていても美男美女の活躍する回想の時代に入ってゆく。うとうとした部分はあとで見直せばよい。だが小説は自力で世界を築いてゆかなければ1ページも進まない。私はタイでも日本でも何度かこのプロローグを途中まで読んでは投げていた。「読めない」ということが悔しい。自分にその能力がないようで。何度か挑むのだがどうしてもだめだ。それでも諦めなかった(笑)。



 バンコクの台北旅社で過ごしていたときだった。とうとう読む本がなくなってしまった。ウィークエンドバザーに買いに行くのも面倒だし、紀伊国屋に出かけてめちゃ高いバンコク値段で新刊を買うのもバカらしい。バッグの中に残っているモノがあった。日本から持参した「猛き箱船」文庫本5冊。持参したのは三度目だった。友人から貰った本であり、読書ジャンルを拡げるために読破せねばと思う。たっぷりと時間のある外国なら活字に飢えて読むに違いないと。なのにそんな情況でも途中で飽きてしまうのである。何度も空を飛びつつ未だに読まれてないかわいそうな本だった。

 いまもあの台北旅社のゴーンゴーンと唸るでっかいクーラーのしたで読みふけった時間を思い出す。
 堅いダブルベッド、抱き枕、タンツボ、便座の壊れたトイレ……。
 読む物がなくなってしかたなく手にした最後の本。プロローグを突破したらあとは一気だった。劇画的な内容の本だから一度ハマれば、あとは週刊誌連載のマンガを待ち焦がれるのと同じ感覚である。飯を食いに行く時間も惜しんで読みふけった。いま思えば、主人公の成長に同化し架空世界に遊ぶのに、バンコクの安宿という雰囲気も合っていたのだろう。
 私の船戸体験は1991年の台北旅社、「猛き箱船」から始まった。

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未読既読リスト
 帰国してから買い漁り読みふけった。二十代の頃、西村寿行にハマった時に似ている。
 いま「Wikipedia」で船戸作品のリストを調べたら(このフリーの百科事典はインターネット社会が産んだ大きな功績だろう)以下のようになっている。私個人の既読未読に分けてみた。

既読作品
蝦夷地別件(新潮社、1995年)
海燕ホテル・ブルー(角川書店、1998年;徳間文庫、2005年)
かくも短き眠り(毎日新聞社、1996年)
蟹喰い猿フーガ(徳間書店、1996年)
カルナヴァル戦記(講談社、1986年)
黄色い蜃気楼(双葉社、1992年
金門島流離譚(毎日新聞社、2004年)
降臨の群れ(集英社、2004年)
午後の行商人(講談社、1997年)
群狼の島(双葉社、1981年;角川文庫、1985年)
銃撃の宴(徳間文庫、1984年)
新宿・夏の死(文藝春秋、2001年)
神話の果て(双葉社、1985年;講談社、1988年)
砂のクロニクル(毎日新聞社、1991年)
祖国よ友よ(双葉社、1980年;角川書店、1986年)
猛き箱舟(集英社、1987年)
伝説なき地(講談社、1988年)
血と夢(双葉社、1982年;徳間書店、1988年)
蝶舞う館(講談社、2005年)
虹の谷の五月(集英社、2000年)
蛮賊ども(角川書店、1987年)
緋色の時代(小学館、2002年)
非合法員(講談社、1979年;徳間書店、1984年)
炎流れる彼方(集英社、1990年)
緑の底の底(中央公論社、1989年)
蝕みの果実(講談社、1996年)
山猫の夏(講談社、1984年)
夢は荒れ地を(文芸春秋、2003年)
夜のオデッセイア(徳間書店、1981年、1985年)
流沙の塔(朝日新聞社、1998年)
メビウスの時の刻(中央公論社、1989年)

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未読作品
龍神町龍神十三番地(徳間文庫、2002年)
満州国演義・霊南坂の人びと(週刊新潮にて連載中 2005年~)
河畔に標なく (集英社、2006年刊行予定)
国家と犯罪(小学館、1997年)
三都物語(新潮社、2003年)

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 こうしてみると、熱心な読者のつもりはないのだが、そこそこ読んでいるなと知る。毎度のことながらタイトルとおぼろげな内容しか覚えていない。完全に忘れているものもある(笑)。ともかく読んだことがあるのは事実だ。
 ベストスリーを選べと言われたらどうするだろう。困る。というか興味がない。私にとって船戸作品は『ゴルゴ13』に似ている。ゴルゴの全作を読んでいるがベストスリーなんて興味ない。あの分厚い「リーダーズチョイス13」だったか、あれも持っていて、だいたい自分の好みと同じだなと思ったりするが、かといって「おれのベストは」なんて気持ちはない。それと同じだ。

 未読作品は図書館で借りてぼちぼち読んでゆこう。え!? 買えよって? うん、そこんとこが私の「船戸論」になるんだけど……。
 それと船戸中毒者がいたら(そんな人がここを読んでいるとは思えないが)「国家と犯罪」を読めよ、と言うだろうな。あれを読まずして船戸を語るなかれと。図書館で一度手にしてすこし読んだのだが、あえて本棚にもどした。理由は……、ま、そういうことです。



「作家の値打ち」で福田和也は船戸をボロクソに書いた。低評価ではない。評価以前としたのだ。これほど失礼なことはない。もっともそれによって船戸は直木賞を受賞した。自分の著書の思いがけない効果に最も驚いたのは福田だったろう(笑)。
 私は思想的に福田に近いのだが文学的センスにおいては賛成しかねる。いや一面において、というかなんというか、私の中にほんのすこしある──ほんのすこしがなさけないが──智性的な面は彼の意見を支持する。しかしほとんどをしめる実体験的人生観においては、「そうじゃないよ、フクダ君」と否定している。
 彼は船戸や浅田次郎を否定する。対して絶賛する何人かがいる。たとえばそれは村上春樹でありタカハシゲンイチローだ。それはそれで理である。それはわかる。あのいかにもオタク的な面立ちの福田がどんな氏素性なのか知らない。同窓で齢も近いから一度ぐらいキャンパスですれ違っているか。学生時代のあのオタク顔を想像すると笑える。もてなかったろうな。今じゃ教授様だけど。文学部にあんなタイプはいた。たしかに。

 彼がどんな高説をのたまおうと自由だが、彼は文学の最もブンガク的な一面を忘れている。それは庶民に与える勇気であり娯楽性だ。まあどうでもいいや。船戸や浅田を彼が否定するのは餘裕を持って迎えられる。一方で彼が船戸作品を「場所が違うだけでみんな同じじゃねえか!」とケチをつける気持ちもわかる(笑)。ゴルゴだもん。

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今回この「蝦夷地別件」の分厚い本上下を持っていったのは、バンコクでの「猛き箱船」体験があったからだろう。って自分のことを他人事風に言うなよ、おれ。追いつめられれば読むとわかっていたのだ。一度ハマればあとは早いと。
 この本を持っていったことでは自分を褒めてやりたい。だって一ヶ月食の合わない山の中で暮らすために、あらゆる無駄を省いてすこしでも食料を持ってゆこうと、そりゃもうたいへんな荷造りの苦労をしたのだ。パンツもシャツも靴下もひとつも持ってゆかなかった。それらを省いてまで日本食に当てたのだ。パンツ一枚分のスペースがあれば海苔やお茶漬けの素などをだいぶ入れられる。さすがに昆明に一泊して翌日寝台バスに乗るとき、穿きっぱなしの靴下が気持ち悪くて買ったけれど。
 ともかくそこまで厳選して選んだ荷物だった。チャーハンの素、ふりかけ、きざみ海苔などの割合、重さと比較したら、この分厚い本2冊は嵩張り、重く、とんでもない「お荷物」だった。それでも読破していないことが悔しくて私は持っていった。

 いやはや雲南は寒かった。いま二月の末、猛暑のソンクランに向けてぐんぐん気温は上がっている。毎日妻と話すたび、暑くてたいへんだと聞く。
 しかし12月末、世界的大寒波の中、私はズボンを穿きセーターを着たまま寝ていた。あちらにもこんな寒いことはなかったから布団がないのである。今となっては思い出だが……。
 着いてすぐ読み始め、妻子の寝た深夜、ベッドの中で読みふけった。毎日午後10時から午前4時ぐらいまで読んだ。何日で読破したのか。え~と、日記を見てみよう。12月25日に読み始めて30日に読了とある。毎日1センチぐらいずつ読んだのか。と読書量をセンチで言うのもな(笑)。

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「蝦夷地別件」のこと
 ここまで来てやっと本題。しかも内容は薄味(笑)。それでもなんとか私なりの感想にはなろう。
 まず、こんな景色のところで、
 
 こんな人たちと暮らしながら

 焚き火で暖を取ったりする生活の中で

 読んだのである。

 だから江戸時代、田沼意次から松平定信に変るころの北海道、蝦夷地のアイヌを主人公とした物語が、ものすごく身近に思えた。焚き火や、客が来ると白湯を勧める習慣等、まるでそこにいる感覚だった。(タイ族だから、男はお茶、女は水。)

 いい写真がないのが悔やまれる。日々接するラフー族やハニ族の民族衣装には、藍や刺繍等、アイヌの民族衣装に通じるものを感じた。深夜に読みふけっていると、自分がどこにいるかわからなくなるような感覚に陥った。物語世界に没頭すると、建物や周囲の空気、時折聞こえる獣の声などから当時の蝦夷にいるような気分になる。ふと本から目を離し、隣で眠る妻子を確認して、「ああ、おれは今、雲南の妻の家にいるのだ」と確認したのは一度や二度ではない。こんな経験は初めてである。

 私にとって「蝦夷地別件」の感想は、極めて個人的で特殊な、この「当時の蝦夷地にタイムスリップしたような感覚で読んだ」に尽きる。
「猛き箱船」も台北旅社とは離して考えられないほど密接なのだが、それは割合スッキリした思い出である。この「蝦夷地別件」でのタイムスリップ感覚の方が強烈だ。その意味では贅沢な読書体験をしたといえる。

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ハマり方、冷め方
 言っていることに矛盾があると採られそうなので解説。時が流れれば、もしかして熱心な船戸ファンが検索からここにたどり着き首を傾げるかも知れないので。

 私は「猛き箱船」で船戸にハマり、ほぼ全作と呼べるほどの作品を読んだ。多くの船戸ファンの讚歌は「次の1ページが待ちきれない」である。私もこれだけの作品を読んでいるのだから同じはずだ。なのに「蝦夷地別件」を十年もほっておき、この文の冒頭には「船戸の本てのはとっつきにくいからしかたない。読破しただけでよしとしよう」なんて書いてある。これは矛盾である。すくなくとも現在進行形で船戸にハマっていて、次作が待ちきれない人には理解しがたい感覚であろう。それの弁明。



 私にはそれが正直な感想になる。その辺を書いてみる。
 まず、「猛き箱船」に何度もチャレンジしながら入り込めなかった。おそらくそれがすべてなのだろう。私は体質的に船戸信者ではないのだ。
 食事で言うと「肉」である。もうとにかく肉が好きな人がいる。食事とは肉なのだ。だいたいにおいてデブはそうだ。私は好き嫌いは一切ないが、理窟的には菜食主義者になりたいぐらいなのであまり好まない。魚が好きだからヴェジタリアンは無理だけど。
 そんな私でも猛烈に肉が食いたくなるときがある。体が求めているのだろう。素直に従う。むさぼるように焼き肉をたっぷり食う。数日間、肉ばかり食っていたりする。するとあの猛烈に悔いたくなった気持ちが嘘のように消え、それからまた長いあいだまったく興味がなくなる。私の船戸作品との関わりはこれに似ている。

 たしかにバンコクで読んだ「猛き箱船」でハマり、帰国後狂ったように貪り読んだ。80年代の作品である。その後、90年代の新刊も買って読み、それが95年ぐらいまで続いたのか。「蝦夷地」が95年の新刊であり、これを買ったのに10年も読んでいなかったのだから、そのときにはもうお腹一杯になっていたのが解る。肉に興味をなくしたのだ。

「蝦夷地」以降の作品は買っていない。図書館で借りて読んでいる。「海燕ホテル・ブルー(角川書店、1998年」「新宿・夏の死(文藝春秋、2001年)」が珍しい日本篇。「 金門島流離譚(毎日新聞社、2004年) 」が台湾。直木賞を受賞した「虹の谷の五月(集英社、2000年)」がフィリピン。「夢は荒れ地を(文芸春秋、2003年) 」がカンボジア。この辺はすんなり読めている。「たまに食いたくなる肉」である。図書館で借りて読むのがほどよかった。
 そういう中、なぜだか知らないが「蝦夷地」だけが読めないまま残ったのだった。



 肝腎の内容であり感想だが、この程度のファンである私が敢えて語る必要はあるまい。文庫本3冊の写真を使わせてもらったのは、この帯にあるリードでほぼ内容がわかるからである。だから大きな写真のままにした。

「上・フランス革命と同時期、北の果てでアイヌ民族は蜂起した」のである。
 なるほど、田沼意次の時代はフランス革命と同時期なのかと思いを馳せる。脱線するが、「賄賂政治家」として名を馳せる田沼だが、現在は田沼を評価する傾向が強く、私も私なりに勉強して、学生のころ教えられたような彼を悪徳政治家と思う感覚はない。

「中・民族の誇りをかけ、立ち上がった蝦夷。ロシアからの鉄砲は彼らの手に届くのか?」
 もしも新式の鉄砲が百丁届いていたら、火縄銃でアイヌ征伐と出張ってきた松前藩を返り討ちにして歴史は変っていた。
 いつだって勝敗を決するのは武器の優劣である。戦争で人類は進化してきた。戦争がなかったら人類は未だに鉄器すら手にしていまい、は常識である。
 この小説でもこの「ポーランド人が持ってくるはずの新式鉄砲百丁」が伏線として全体を引っ張る。ただ、歴史に則ったものだから結末は見えている。そこがかなしい。
「下・世界が動く。その時代の波間に飲まれ、消えゆく人々」
 このリードは凡庸だな。ピンと来ない。



 忘れないうちに書いておこう。最近すぐ忘れるので(笑)。
 私は競馬取材の副産物としてアイヌの本拠地である北海道日高地方に詳しかった。純粋なアイヌ人とも多数知り会っている。競馬業界は、調教師、騎手、厩務員等アイヌ人が多い。同時にまた日高の和人(シャモ)にはアイヌ差別をする人が多く、話していて対立することも多かった。このこともこの作品に対する特別な思いと関連している。作中にアイヌの老人や凛々しい若者、美女が登場すると、頭の中で人物像を描いたものだった。

 小説舞台は「シャクシャインの蜂起」から百年後だ。静内の山頂にあるアイヌの英雄であるシャクシャイン像はよく知っている。舞台となる斜里から根室、別海、標津、厚岸の辺りは学生のころから詳しい。もっとも最重要舞台は国後であり、これは知らない。知りようがない。
 歴史物であること、舞台に土地勘があったこと、私がこの小説を10年も「積ん読」にしたのは、その辺が原因なのだろう。(という感覚を不思議に思う人も多いことだろう。)
 この作品は「猛き箱船」のように読み始めたが投げた、ではなく、最初から手を出さなかった。

 そうして雲南の山奥で、寒さに震えつつやっと読破した。それで大感激したかというと、そういうこともない。
 読み終えて心に残ったものは取り立ててない。10年間の積ん読を解消したという安心感だけだった。
 相変わらずの「煙い小説」ではあった。チェーンスモーカーの船戸は登場人物すべてに自分と同じそれを押しつける。よってどの作品も煙草臭くてイヤになる。この作品もそう。当時のアイヌがどれほど喫煙していたのか知らないが、とにかく皆タバコばかり吸っている。
 結末もいつもと同じく充分に予測のついたもの。船戸のけじめのつけかたなのだろう、殺戮を侵したものは、きっちり自分の命も落とすことになっている。

 感激が薄いのは舞台に対してそこそこ土地勘があることがマイナスに作用しているからとも思う。
 たとえば「課長 島耕作」のフィリピン篇を楽しく読める。フィリピンを知らないからだ。ところが「タイ篇」は楽しめない。粗が目立ってしまう。弘兼憲史よりタイを知っているからだ。船戸の作品でも知らない南米を舞台にしたものの方が楽しめ、日本物はだめだ。むずかしいものである。

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Amazonより転載
 私なんかよりもっと熱心な読者の感想文の方がためになる。以下はAmazonより無断転載。


レビュー

内容(「BOOK」データベースより)
時は18世紀末、老中・松平定信のころ。蝦夷地では、和人の横暴に対する先住民の憤怒の炎が燃えあがろうとしていた。この地の直轄を狙い謀略をめぐらす幕府と、松前藩の争い。ロシアを通じ、蝦夷に鉄砲の調達を約束するポーランド貴族―。歴史の転換点で様々な思惑が渦巻いた蝦夷地最大の蜂起「国後・目梨の乱」を未曾有のスケールで描く、超弩級大作。日本冒険小説協会大賞受賞。


読者レヴュウ
おもろい, May 28, 2004
レビュアー:   さふぃ-
おもろい! の一言につきます。
船戸与一は「猛き箱舟」が最高だと思っていたが、それ以上におもしろい。
(上)のプロローグ、そして本文を読んだ後、 エピローグ(下巻に掲載)、イイ。
物語の最後は作者のいつもどおりの終り方で、それはいまひとつだが、でもおもしろい。

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船戸、恐るべし。, December 13, 2001
レビュアー:   木村 光人
実はまだ下巻を読んでいる最中ですが、この本はもう圧巻です。今年は、船戸氏の本を一気に15冊ぐらい読んでますが、「猛き箱船」を頂点にやや食傷気味になっていました。ところが、この本は当たりでしたね。たまたま私は、10歳まで北海道を転々とし、最後にいたのが釧路。遠足で厚岸へ行き、厚岸湾を高台から見下ろしたこともあるので、200年以上前にあの場所で、こんなすごいことが起きていたのか、と思うと感慨もひとしおです。
船戸さんの文章もドライブ感があり、あっという間に読めます。北方謙三さんといい、ハードボイルド系の人は、時代物も上手いですね。下巻の残りを読むのが楽しみです。

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最終章はいただけない, 2001/07/23

レビュアー:  
上巻を読むのに一週間かかった。しかし中を読むのに二日、下に至ってては半日しかからなかった。理由は簡単だ。この小説は面白い。しかし途中から言いたいことはほぼ予想がつくようになった。だから飛ばし読みをする段落が増えたからである。後三分の一ぐらいは削るべきであったろう。

最終章はいただけない。作者の気持ちは良く分かる。(後略)

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今回の読書数
 一ヶ月弱の滞在で20冊ほど読んでいる。その中でこれがいちばんの大部。印象深い。
 あと、「落語名人会──夢の勢揃い」か。ラーメンを食いながら読める本はこれしかなかった。
 以前もっていってあちらに置いてあるのを何冊か手にしたが、村上春樹の「スプートニクの恋人」をつまらなくて途中で投げた。これもメモしておこう。

 後悔は総合誌を買ってゆかなかったことである。『文藝春秋』、『諸君』、『正論』のような本は、こういう長逗留のとき役に立つ。ラーメンを食ったり、晩酌をしながら読む本として。
 次回は忘れないようにしよう。(2/26 日本)

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