北京天津秦皇島-日記

                  中国TAXI事情
       




 私の場合の中国とは雲南省のことなので、すべてそこからの感覚で語ることになる。{中国TAXI事情}と言うにはちょっと口幅ったいのだが。厚顔にも居直って。

 中国のタクシーといえば上記写真のようなものになる。昆明や景洪で日に数回乗っていた。中国製のクルマは安普請でペラベラの造りである。
チェンマイ日記-2002暮」にHさんのシビックのドアを親の敵のように叩きつけて閉めるSってのが出てくるが、あいつが中国のクルマのドアを閉めたら間違いなくドアは吹っ飛んでしまうだろう。ベラペラのトタン板で出来たようなドアである。私も安物の軽自動車を愛好しているのでこの辺は詳しい。1500ccのドアはバンとなる。2000ccはボンとなる。3000ccになるとボムとなりさすがだなと思う。で、中国のタクシーはペンである。自信を持って言い切れる。私の軽自動車より確実に安っぽい。なんだか「超人ハルク」になった気分でドアを引きちぎれそうだ。
 といってそれをケーベツしたとかではない。私は昔のトラックが「ファーストでは坂が上がれずバックで上がった時代」を知っているものである。蛇足ながらファーストよりバックのほうがギア比が低いのね。むかしのすばる360とかミニカっておもしろかった。だから安っぽい中国のクルマが愛しくてたまらない。好意的である。といって欲しくはない(笑)。私が今ほしいのは日本のエコカーだ。
 バンコクもそうだが私は中国でもどこに行くのもタクシー利用なので未だにバスの乗り方を知らない。
 バンコクでは60バーツ以上はすべて100バーツ札で釣りはいらないとやるものだから一日に500から700はタクシー代が掛かり、それがバンコク嫌いに輪を掛けた。チェンマイなら一日100バーツで借りたバイクで好きなときに好きなところに行ける。自由に動けないバンコクは嫌いだ。

 といって昆明や景洪でも同じように頻繁にタクシーを利用し、チップをはずみ、同じような状況かというとそうでもない。なにしろここでは出て歩かない。バンコクだとスタイルのいいタイ娘を観に繁華街に出ようかともなるのだが、中国では極力不快になるのを避けるために部屋に籠もっている。どんなにスタイルのいい娘がいるとしても(スタイルそのものはいい)、手鼻をかみ痰を吐き、ガンをつけてくるよう目つきの悪い女を観ても楽しくない。部屋の外に出るのはごく近くに飯を食いに行くときだけで、それもまずい飯を食い終るやいなや逃げるように急いで部屋に帰ってくる。タクシー代がかかるのは町から町への移動日だけになる。タクシーで動く所用もその日にまとめて済ます。よって雲南ではタクシー代に悩んだことはない。まあそれ以前に中国にいるというそのことだけで気が狂いそうになっている。タクシー代どころの話ではない。
 そのタクシー事情がここ数年で抜群によくなってきた。別項でも書いたが、以前は景洪で「空港まで」と言うと30元とふっかけられ、適正な20元で行ってくれるクルマを見つけるのはたいへんだった。まだ主流が下写真のような人力三輪タクシー(サムロー)なので、六、七キロ離れた空港まで行くのにはタクシーしかなく、それがまだ数が少なかったから強気の商売をしていたのである。

 適正な競争は適価を産む。最近ではタクシーも過当競争となり、みな基本料金5元(北京では10元だった)の客を奪い合っている。街角に佇んでいると何台ものタクシーがクラクションを鳴らして呼びかけてくる。空港まで20元は上客になるわけだから、今更ふっかけてなど来ない。どのタクシーも二つ返事で行くようになった。よいことである。


 すこし古い記事になるが、「中国ではタクシー運転手の給料は大学教授の二倍から三倍にもなり、みな成りたがっている」と読んだ。事実であろう。が、それはまだタクシーが珍奇だった時代だ。タクシーはタクシーらしく街に溢れ、運転免許さえあれば誰でも出来る職業となり、大学教授のほうが給料が高くならなければならない。それが正常な社会ってえもんだ。いま中国がそうなりつつあるのはまことに正しい進展のあり方である。よろこばしい。べつに大学教授がタクシー運転手よりエラいとは思わないが、職業に対する努力のあり方から判断して、大学教授の給料がタクシー運転手の給料より高いほうがまともな世の中だと思う。

 上の写真は孟連。運転手は女である。こうして写真には撮ったがまだ女運転手のサムローに乗ったことはない。今後もないだろう。ちょっと私には辛い。インドやヴェトナムのリキシャに関してよく言われる。「年寄りだからかわいそうと思って乗らないと、稼ぎにならず、より彼らはかわいそうなことになる」と。わかっているけどね、でも自分よりも年上でがりがりに痩せている年寄りの人力車に乗るのはつらいですよ。私は乗らない。
 ぜんぜん話は違うが、先日らいぶさんと行ったタパーンヒン(ピチット県)で見たサムローのオヤジは凄かった。ガリガリにやせて色真っ黒、それでもタバコすぱすぱで駅前でサムローの仕事をしていた。酒臭かった。エイズが発症すると「カボス肉腫」というカボス(辞書で引くとユズの一種となっている)に似た腫れ物が出来る病気になるらしいけど、ほんと胸にカボスがいくつも成ってるんだもの(笑)。ありゃ圧巻だった。どんなに言語センスのない医者でも、ああいう患者を見たら「カボス肉腫」って命名すると思う。すごかった。胸に果実がたわわに実っている。わらいごとじゃないけどさ。でもあそこまで発症してサムローを漕げるんだろうか。わたしらはらいぶさんのクルマがあったので無関係だったけど。

←天気のいい日はオープンカー

 そんなわけでタクシーの数も増えてきて、昆明や景洪のタクシーも、やっとメイタで走るのがフツーになってきたのだった。
 それで印象的だったのは──このことがこの原稿のテーマなのだが──タクシー台数が増え一般化すると共に、タクシー運転手の日本人から見たら異様としか思えない堅牢な運転席の防御がゆるまってきたことだった。いや、そのことのまえに客席と隔てられた運転席の話をせねばならないか。

 このことはチェンマイの日本人に言っても信じない人がいたほどの話なのだが(未だに信じていない友人もいる)、中国のタクシーは、運転席と後部座席との間に堅固なアクリル板(あるいは金網)が張られていて、タクシー強盗に襲われないよう警戒しているのである。

 私はこういうことに関して驚くということがない。ごく素直に頷ける。タクシー運転手は現金を扱う職業だし、前述したように稼ぎがいいらしいから、たとえば日本円的に、5万円の強盗をしようと思い立ったとき、深夜にその辺の雑貨屋に忍び込むより、客を装ってクルマに乗り、ひとけのない郊外に走らせてタクシー運転手を襲うというのは極めて効率的な方法であろう。私が強盗をする場合でもそうする。私としては、この話をしたとき、「なんでなんでなんで、ええ~、信じられない」と言った日本人のほうが不思議だった。
 その運転席と客席を隔てるアクリル板(金網)が、今回確実に減っているのである。取っ払ったタクシーが多いのだ。そういう良い時代になってきたのかと、私には印象的だったのである。
 左は孟連に近頃増えてきたバイクサムロー。人力三輪車からこれになり、より発展してクルマになるわけである。
 バンコクはトゥクトゥクからメータタクシーが主流になった。私は料金交渉をせねばならないトゥクトゥクやメータのないタクシーが嫌いだったので、メータ制になってくれてほんとに楽になった。
 チェンマイはまだトゥクトゥクが主流だが、最近一流ホテル前にはタクシーが停まっている。でもチェンマイはタクシーで走るには小さすぎる町だ。これからどうなるのだろう。バイク派の私には無関係なことだが。

 妻の家に行くには、このバイクタクシーでは非力で困る。なにしろ雲が真下に見える地域だ。歩くより遅くなり、エンジンストップしたりする。それでいて100元くれなんて言ってくる。いきおい耕運機(笑)で1時間半揺られることになる。それなら礼金は10元だ。クルマがあれば30分なのだが。

 妻の両親は私が中国まで来ていながら自分たちの所にあまり来ないことを(二度に一度か)、自分たちを嫌いなのだろうかと案じているそうな。きょう妻から聞いた。そんなことはない。いい人たちである。妻に会えたことはもちろんだが、妻の両親が彼らのようないい人であって本当によかった。だいたい発展途上国の娘と恋愛して別れる原因のほとんどは家族問題なのだ。私はついていた。だけどどうにも牛と一緒に(引かれて善光寺参りってのはあるが)耕運機ってのはもういっぽ割り切れない。なにやってんだろう、おれ、って思ってしまう。


 ということでやっと本題まで来た。今回(03/2)昆明に来たら、だいぶタクシーの金網の量が減っていたのである。金網なしのクルマが増えていた、と言ったほうがいいのか。料金適正化と同じようにタクシー強盗も減り、よい時代になりつつあると思った。
 ところが、である。言いたい事というのはつまりこの「ところが」になる。


 上写真は天津のもの。昆明や景洪のタクシーもこんな感じだった。こういう形の防御壁が雲南ではなくなりつつあるから中国もよい時代になってきたなというのが今までの話。ところが上写真のように天津ではまだまだ防御壁があったし、北京に来たら、なんとあ~た、それどころじゃない。それが下の写真。完全三方徹底囲い金城鉄壁。(笑)。上の写真の防御ならまだ隙間からピストルで脅せるが、下のようにここまで完全に区分けされてしまうとこりゃもう無理だ。

 中国語のへたな私と中国語は話せるが田舎者の妻の二人連れは、紙に書いた行く先で移動することが多い。うちのおくさんの中国語なんて、北京から見たらとんでもないずーずー弁なんだろうね。いや地理的に言うなら沖縄弁とかそんな感じか。南だから。よく「どこからきたの」と尋かれていた(笑)。だってこの広さだもの。北京語と広東語ではまったく違う。上海語も異なっている。とりあえず北京語を普通話という標準語にしているが、ラジオテレビの普及以前はたいへんだったことだろう。

 ここまで完全防御されると、そういう行き先を書いた紙片の受け渡しから料金のやりとりすらたいへんである。隙間からちょこちょことやる。北京のタクシーは全部この形だったから、こりゃ犯罪率はかなりのものなのだろう。世界中どこでも大都市ほど極悪犯罪は多いものだ。全タクシーの堅牢な防御壁を見て、北京に対して身を引き締めた。これはこれでよいことだろう。

 ひとつだけ、北京のタクシーでさすがに首都だなと感じたのは、すべてのタクシーでレシートが、カタカタと感熱紙の自動印字で出てくるようになっていて、領収書をもらうのには苦労しないことだった。って私は領収書いらないんだけどね。記念にもらってきたけど。

 ま、そんなわけで、この項で書きたかったのは、雲南では緩やかになりつつあるタクシー運転手の自己防御だが、北京ではまだまだ現役で、それどころかかつて見たことのないほど堅牢だった、ということである。全中国のタクシーから、この防御壁がなくなったと書けるのはいつになるだろうか。犯罪天国の上海はどうなのかな?
(03/2/6 秦皇島にて)




冬のサムロー二題

 完全防御態勢の真冬のサムロー。
 秦皇島にて。








 上記秦皇島のビニールカバー附きサムローは見ただけ。こちらは北京で体験した同じくカヴァー附きのサムロー。これには乗った。まっくらになる。
 タクシーに乗って宿を紹介してもらうと異国人であることから(どうしてひとこともしゃべっていないのに見抜かれるのだろう。私は自他共に認める中国顔なのだが)それなりに高級なところに行ってしまうのである。安いところに泊まるには、まずそれらしき場所までタクシーで行き、そこからまたこういうのに乗り換えて探すのがいい。二重手間になりタクシー代もばかにならないのだが。


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