北京天津秦皇島-日記
2003
1月27日(月)
↑北京空港
10:55 成田→北京 14:10着(時差1時間あり)。機内食、まずくて食えず。
18:55 北京→昆明 22;55着(遅れる)。機内食、しょっぱくて食えず。
ホテルに入ったらもう零時。
すごい冷え込み。ももひきを買ってきて正解。以後、毎日手放せなくなる。

昆明 茶花賓館泊。
28日(火)
←茶花賓館

風邪で一日中ダウン。
午前11時。妻が来る。
食事を買ってきてもらうが食べられない。不調。

 夜。日本のテレビドラマをやっていた。「ダウンタウンのハマダとキムタクのやつ」。好きな人はこう言うだけでわかるだろう。わしゃしりましぇん。ハマダってのは中国人の下層労働階級者の顔をしているなと確認。こちらの空気に溶け込んでいる。最初、日本人だと気づかなかったほど。もちろんことばは吹き替え。

 こちらでそんなドラマを見たのは、武田鉄矢の「ぼくはしにましぇーん」とかいうヤツ以来。なんだっけ、百一匹わんちゃん大行進みたいなタイトル。

昆明 茶花賓館泊。
29日(水)  午前中に北京へのチケット購入。暮れのためか街中が渋滞。
13:10 昆明→北京 18:30着。出発2時間遅れ。
←今回持参した本。たいした量じゃないが、妻の荷物をもってやるために自分の荷物は極力軽装にしたから荷物のメイン。上部の日中辞書、黄色の語学教科書以外は、読み終り次第各地の旅社に寄附される(あえて捨てるとは言わない)予定。

 出発前の成田空港で雑誌を何冊か買ってきた。その中に『週刊プロレス』があった。木曜発売のものを月曜に買ったのだからずいぶんと遅い。いつもは木曜の明け方に買う。東京にいるときは水曜に買っていた。
 最近のプロレスに興味をなくし買う気などなかったのだ。それを遅ればせながら買ったのは、見出しも中身もぼくと同じくW-1に関して「これでいいのか!?」という批判的な切り口だったから。

 プロレス-W1

 そんなのあたりまえのようだがそうではない。日本のプロレスマスコミというのは、力道山時代から団体の味方だった。わるくいえば言いなりである。一蓮托生のタイコ持ちだった。提灯記事ばかりで批判など書かなかった。できなかった。なにしろ基本は力道山に飲み代をもらうことだった。今回もそんなものだろうと解釈してぼくは買わなかった。ところが『週プロ』はまっこうからぼくと同じ感覚で手厳しく批判していた。見出しは「プロレスラブをもういちど」である。見出しはやさしいが内容は実に辛辣だった。それで数日遅れながら買った。

 そうしてきょう、昆明のホテルに置き去りにされる雑誌第1号となった。妻の荷物や親友人への土産等荷物が増えて行くから、すこしでも荷物を減らすようにせねばならない。カップラーメンがひとつ、雑誌が一冊なくなるだけでスペースが出来る。これから『週刊文春』、『オール読物』と、使命を終える毎に切り離されるスペースシャトルのロケットのように、各地の旅社に置いて行かれる。プロレス週刊誌とはいえ、本を捨てるのは(旅社の引き出しに入れてきたが)あまり気分のいいものではない。

←北京市内

北京に着いた。これは寒い。真冬の北海道ぐらい。云南とは風からして違っている。耳が痛い。ちぎれそうだ。股引を用意してきて良かった。

 雪の残っている光景に、なぜかDylanのジャケット写真を思い出す。冬のニューヨーク。あんな感じ。なんだっけ、あれ。Free Wheelin  か。あれ、良い写真だよね。

 北京 原京翔賓館泊。
<
30日(木)
←領事館のある南銀大厦
=Beijin Silver Tower

 午前10:00。日本大使館へ。衛兵のいる獨特の雰囲気。いやなものだ。
 ここではないと言われ離れた領事館へ。写真は領事館のある南銀大厦。最新のリッパなビル。ここでもパスポートを見せないと入場できない。当然か。
 申請用書類を受け取る。提出時間は午後から。

 査証用写真を撮る。
 偶然見つけたマクドナルドへ。うまかった。たすかった。ありがたかった。地獄で佛。

 午後2時。査証申請。結果は2月11日。
 もうこれでやるだけのことはやった。査証がもらえるかどうかは運次第。もう中国でなにもやることはない。
 日本料理店へ。妻、刺身初体験。食えました。

 ひどい渋滞。極寒。
北京 原京翔賓館泊。
31日(金) ←北京駅

9:30 北京駅へ。天津へのチケット購入。
いさんでケンタッキー・フライド・チキンへ。これはダメ。まずい。
13:00 天津へ向けて出発。

天津で大失敗。それは別項で。

昼から深夜、明け方、夜が明けても、爆竹鳴りまくり(笑)。気が狂いそう。
天津 冬楼賓館泊。(冬は正しくはニンベン附き)。

 
2003年
1日(土)
 写真から爆竹の音と火薬の臭いがして来ますか? 機関銃の弾みたいに何重にも巻かれた爆竹を絨毯を道に敷くようにして3メートル、5メートルと並べて火を点けるのね。500連発、1000連発の世界です。すごいのなんのって。

 天津で迎えた正月。春節。
 間近で、遠くから、爆竹が鳴り響き続けるが、それぞれが家族で楽しむのが正月らしく人出はない。まあ日本も元旦は初詣以外は出歩かないし、おなじかな。
天津 冬楼賓館泊。(冬は正しくはニンベン附き)。
2日(日)
 『週刊文春』で小林延彦さん(いや信彦さん、高田の名が最初に出てしまうのは登録しているから)が「スチャラカ社員」について書いていた。なつかしい。放映は1961年(昭和36年)の四月二日からとか。
 関東では日曜の昼だった。当時ぼくは小学生だったが毎週楽しみに見ていた。同じスタッフによる「てなもんや三度笠」が始まるのはこの1年後からである。「てなもんや三度笠」のほうはヴィデオでも出ているらしく、若い人でも「あたりまえ田のクラッカー」を知っていたりするが、さすがに「スチャラカ社員」になると知らないだろう。

 こういうことは普通は、高校生の姉か、中学生の兄の影響でというのが常識的だが、我が家でこういう番組を見つけて家族に教えるのは末っ子のぼくの感覚だった。朝七時、昼十二時、夜七時と常にNHKニュースを見る父の目を盗むのがたいへんだった。といっても朝はどうでもいいし、昼の問題は日曜だけである。問題は夜だが、これはだいたいにおいて飲んで遅くなるから安心だった。スチャラカ社員は昼12:15分からで、ちょうどニュースの後で助かった。姉や兄は午後1時からの「ロッテ歌のアルバム」が目当てだった。橋幸夫や舟木和夫が新人の時代である。

 同世代の友人と話しても、それらの落語や漫才に関して(意図的に勉強したことのないものとしては)かなり詳しいほうのようだ。ぼくはぼくなりに演芸好きと言っていいのだろう。たしかにあの当時の落語番組、漫才番組はみな見ていた。横山やすしが天才少年として漫才デビューしたときも見ている。これなんか自慢できるだろう。ダウンタウンがライト兄弟として出て、横山やすしに「チンピラの立ち話」と言われたのなんてのは近年だが、もちろん見ている。ジャンルは違うが、まだアマチュアのキャロルが初めてテレビに出て、それを見たミッキー・カーチスがすぐにテレビ局にスカウトの電話を掛けたという番組も見ていた。土曜の夕方の生番組だった。けっこうテレビ好きだな(笑)。

 さてスチャラカ社員。出演者は、ミヤコ蝶々が女社長、中田ダイマル、ラケットがぐうたら社員、青年社員に藤田まこと、川上のぼる、美人社員に長谷百合、給仕に白木みのるは覚えている。あとは「ほおんとぉ、ちいっともしらんかったわあ」の全国的流行り言葉をヒットさせた人見きよしや「おえりゃあせんのう」の長門勇になるのだが、長門は横山エンタツの、人見は笑福亭松之助のそれぞれ二代目であったらしい。この辺はよく記憶していない。でも美人社員役が長谷百合から藤純子(まだ東映任侠もので人気者になる前の初々しい姿)に代わったのは覚えている。田舎の小学生だったぼくにエンタツや松之助の渋みは興味ある対象ではなかったのだろう。
 このコラムが心に遺ったのはそんな懐かしい思いからではない。シットコムを小林さんが論じていたから。シットコム、SITCOMは『広辞苑』には載っていない。最新版には載っているのかな、ぼくのはちょっと古い版だ。
 英語辞書に載っていた。

《SITCOM 【変化】《複》sitcoms、【名】(連続)ホームコメディ、シットコム◆日常生活をsituationにしたコメディ》

 なんでも日本の劇作家がいま日本で初のシットコムを書いているらしく、その中で「日本初と言い切っていいものだろうか」と不安になった心境を述べていたそうな。「てなもんや三度笠」をDVDで観てちょっとびびったが、あれは道中物だからシットコムではないなと割り切ったという。
 それに対して小林さんは、日本初のシットコムは「スチャラカ社員」で既に昭和三十年代に存在している、なにをいまさら間抜けなことを(そんな言い回しはしていないけれど)と指摘しているわけである。
 ここで小林さんは劇作家の名を伏せていた。その無知と傲岸さに恥をかかせるような展開になるからそうしたのであろう。これ、誰だろう、三谷幸喜だろうか。誰であれ「スチャラカ社員」を知らずに「日本初」などとやるのがその職にあるものとして不勉強のそしりは免れまい。

←天津冬楼賓館

 『週刊文春』といえば、ここのところ高島さんの『お言葉ですが…』がおもしろくない。今回のもまったく心に響いてこなかった。以前のものが寒風の中で真剣を振る迫力に満ちていたとするなら、今のはぬるま湯の中での竹刀遊びである。ものたりない。これはなぜなのだろう。とはいえぼくなりに納得もしているのだが。

 元々高島さんは東大から東大大学院を出てまともなら教授への道を歩んだ人だ。主流派とそりがあわなかったのか、象牙の塔に残ることを辞め、地方の無名大学の臨時講師のようなことをやってきた。ありあまる実力がありながら異端の人だった。それが『お言葉ですが…』により文筆家として世に出てご自分の思うところを世に披露することが出来た。それ以前にも「杜甫と李白」等で刮目されていたが一般的な人気爆発が『週刊文春』の『お言葉ですが…』であることに異論はあるまい。これは東大で中国文学の教授になるより、世間一般に存在を誇示し自身の考えを世に流布するという点では遙かに効率的であったろう。今やこの種のものに興味のある人で高島さんの名を知らない人はいない。それどころかちょっとしたコトバに関するうんちくを垂れる時、「『お言葉ですが…』の高島さんじゃないけど」とマエフリする文章(もちろんプロのもの)をたびたび見かける。こういう風に言われるようになってこそ一流である。

 功成り名を遂げたから、などとは言いたくないが、人は皆体の中に溜めていた世間に対する不満鬱憤を吐き出してしまうと丸く成るものである。たとえば西村寿行の作品でも、初期の怨念とも執念とも言えるようなどろどろした前進力は、作を重ね彼が有名になり裕福になるに従って薄れて行き、後年ではユーモアさえ醸し出すようになっていった。いい例が「鯱シリーズ」だろう。初期のものはエスパーの迫力に満ちていたのに後期のものはおとぼけシリーズのようだ。

 初期の高島さんのおもしろさは、「『広辞苑』は間違っている。おれの言っていることのほうが正しい。なのになぜみんな『広辞苑』ばかり信用するんだ。あんなもの全然たいした辞書じゃないんだ。悔しいなあ。無名とはかなしいものだ」のような憤慨に満ちていたからだった。そしてまたそこで開陳される博学が遙かに『広辞苑』などより上質だった。

 今その高島さんの訴えは心ある人々に届き、辞書を神格化する人は激減した。辞書もまた人の作ったものであり、誤りや偏向のあるものだと理解されるようになった。体内の毒素を思いっきり吐き出し、それと引き替えに世間からの賞賛を手にした高島さんが、好々爺となり丸くなったのは自然の流れなのだろう。体から怒りが消え、日向で好きな碁の本を読む穏やかな姿が見えるようだ。これはこれで偉大な足跡をひとつ刻み終えたということなのだろう。寂しくはあるが納得してもいる。出会ったことのない心の恩師として尊敬していることにいささかの変わりもないが。
天津 冬楼賓館泊。(冬は正しくはニンベン附き)。
3日(月)
 セーターの静電気が凄い。日に何度もウッと声をあげることがある。冬はほとんど日本にいないし、いるときでもセーターを着ることは滅多にない。着なくても過ごせる。部屋を暖かくして薄着でいる味になれたら厚着は出来ない。
 異国の寒い冬というのはヨーロッパ以来だから毎日セーターを着ているのはひさしぶりだ。でもヨーロッパで静電気に苦労しただろうか? あまり記憶にない。

 どうやら私は木綿が好きで毛糸は好きではないらしい。そう、木綿好きには自信がある。しかしこういう厳冬の地にいると、いかに毛糸が暖かくありがたいものであるかを実感する。耳を覆う毛糸の暖かさよ。寒風を遮る手袋のありがたさよ。その暖かさに頬ずりして感謝したくなる。所詮木綿が好きだなんてのはそれだけで生きられる環境にいるヤツの戯言だと知る。
 今回CAMEDIAのUSBケーブルを忘れてきた。デジカメ写真はカードリーダーで読み込ませている。スマートメディアを何度もカメラから出してカードリーダーに差したりするので静電気で飛ばないか心配だ。もっともメイカは「スマートメディアにおける読み込み不良の原因は手脂によるものであり、静電気で記録が飛ぶことはない」と明言している。
 それは信じるけれど(信じたい)、こういうむき出しのメディアを頻繁に出し入れするのは気持ちのいいものではない。入れっぱなしがいい。専用ケーブルならそれが出来る。10月の中国・チェンマイ行でケーブルを忘れた。12月はそれに懲りてもっていった。それで安心したかまたも今回は忘れた。こまったもんだ。カードリーダーで読めるからなんとかなっているが、これがなかったらせっかくのデジカメも撮りっきりのカメラと同じになってしまう。

天津 冬楼賓館泊。(冬は正しくはニンベン附き)。
4日(火)
←天津駅

 秦皇島(ちんふぉんだお)に移動の予定。査証発行を待つだけの時間だから、おとなしく天津にいるのがいいとも思うのだが、失敗になろうとせっかく来ているのだからすこしぐらいは動いてみよう。本当は満洲に行きたい。金銭的時間的にそこまでの餘裕はない。

 最初から秦皇島に行くつもりだった。電車の時間の都合で天津でもいいかと思ってしまったのだが大外れ。ここは工業地帯だった。お間抜けさんである。かといって秦皇島に関する知識もまったくない。もういちど失敗するのか。ちと不安。
03北京天津」に「謝々 麦当蒡!」を書く。ほんと、あんなものにむさぼりつくことになろうとは(笑)。でもうまかったなあ。わすれられない。その後も三日連続で主食にした。ぜんぜん飽きなかった。田舎に移動して食べられなくなるのが残念だ。
 午後2:10分、天津発。5:45分、秦皇島着。
 電車の中で支那人の奇妙な習慣に気づいた。それは別項で書く。

 もう暗くなっていたので適当に駅前旅館に泊まる。このクラスの旅社にはシャワーしかあるまいと昼にたっぷりと湯を湛えて長風呂を楽しんできて正解。ただしどんな安宿でも暖房だけはしっかりしていて助かる。それが温かいことからおろそかになっている雲南との違いだ。

秦皇島 駅前旅館(名前失念)泊。
5日(水)
 ガイドブックなど一切なく、3元で買った地図からの推測なので間違っていたらお笑いぐさだが、どうやらこの秦皇島というのは風光明媚な「海水浴場」であるらしい。といって、今厳冬のこの地が夏場にどれほど暑くなるというのだろう。極めて疑問なのだが。

 写真はタクシーの中から撮ったのでわかりづらいが、凍結した川の上から、氷に穴を開けて魚釣りをする人たちである。日本だと諏訪湖のワカサギ釣りが有名だ。こんな大きな川が凍結するほど冷え込むところが、果たしてどれほど暑くなるのだろう。とはいえ極寒と炎暑は割合ペアになっていたりするから、夏は40度とかそんな可能性もなきにしもあらずだ。

「日本でいちばん海水浴場の多い都道府県はどこでしょう?」というクイズの答は北海道である。二番目の千葉県よりもずっと数は多い。北海道の連中の海水浴好きには笑ってしまう。しかしそれは私が名だたる海水浴場がすぐ近くにあり、行きたいときはいつでも行けるという恵まれた環境に育ったからで、道産子だったらきっとちょっとでも暑い日があったら喜び勇んで海に出かけただろう。ないものには敏感である。北欧の人たちが日光浴にこだわるのと同じ感覚だ。それを軽んじるのは、雪にうんざりしている連中が、はるばる雪と戯れるために出かけてくる連中に首を傾げることに通じる。人は誰でもないものねだりだ。

 この地が、夏場にうだるような暑い地域になるとは思えないのだが(なるのかなあ?)、夏にはみなはしゃいで海水浴をするのだろう。海岸には何カ所も「海水浴場(日本語と同じ)」とあり、泳ぐマークが附いている。
 内地である北京から多数の直行列車があることからも、ここは「首都から最短の海水浴場」なのか。私も秦皇島という名から、なんとなくそれを期待してやってきた。今のところ、駅前近辺をうろついている限りでは、なにもないつまらないところである。一度海岸(渤海)までは行かねばなるまい。さすがにここまできて名だたる景勝地を見逃したでは悔いが残る。
 天津から秦皇島に向かう列車の中で志水辰夫の短篇を読んだ。冬の北海道旭川を舞台にした寒々とした掌編だった。妙に窓外の景色と似合っていた。没頭してふと頭をもたげたとき、一瞬自分がどこにいるかわからなくなった。いやボケたんじゃなくて(笑)、日本にいるような気分になってしまったのだ。名作は時空を越える。

秦皇島の駅前旅館泊(名前失念)。
6日(木) ←秦皇島路上市場

 なんで支那人はあんなにうるさいのだろう。もうさんざん書いてきて今更また書きたくないのだけど、どうにもあきれ果て書かずにはいられない。
 昨日このホテルに入ったとき、隣室の家族連れがうるさくてたまらなかった。部屋を替えてくれと申し出る。すると昼にチェック・アウトするからとなだめられた。たしかに昨日はそれで静かにはなった。

 今朝方、とんでもない騒音で起き出す。何ごとかと時計を見ると午前四時半。こんな時間に客が着たのか。この時間に着く電車があったのか。とにかく家族連れが隣室にチェック・インしてきた。これまたうるさくてたまらない。といって騒いでいるのでもないのだ。ごく普通に女房が亭主や子供にあれこれと指図し、それに亭主が意見を言ったり子供達が反発したりというありふれた日常の出来事なのだが、それがこちらには何十人もの人間が殺されるもんかと怒鳴り合いをしているような阿鼻叫喚断末魔のせめぎ合いに聞こえるのである。なんであんなに声が大きく、立て続けに喚き散らすのだろう。他の客の迷惑になるとは考えないのか(この答は解っている。考えないのである)。それが「大陸的」というものなのか。それが嫌いな私は「島国根性」なのか。とても耐えられない。

 もうひとつの理由を発見した。なんとなく昨日から気になっていたのだが、このホテル、張りぼての安普請なのである。一見しっかりした白のコンクリート壁のようだが、叩いてみるとカポカポである。ベニヤ板の張りぼてなのだ。いくら支那人の声が大きくても響きすぎると思っていた。コンクリートでしっかり作ってあるのは、5室分に相当するぐらいの大きな区切りであり、そこを一室分ずつ小さな空間に区切っているのは合板の張りぼてなのである。これじゃうるさいはずだ。

←こういうつまらない景色の場所

 テレビをつける。音消しのための音だ。夜明け前の試験電波でClassic音楽を流していた。またも「エリーゼのために」だったりしてものすごくセンスが悪いのだが(笑)、支那人の怒鳴り合いよりはましだ。それを大音量にして隣室のでかい声の会話が聞こえないようにする。これはこれでやっていて惨めである。
 起きだしてThinkPadに向かう。五時。そのまま九時まで仕事をした。夜明けは七時過ぎだったか。隣室はいつしか寝たようだ。さすがに支那人も寝ているときはおとなしい。
 それもつかの間、起きだしたのか十時過ぎからまたうるさくなった。とてもこんなのが隣室にいたのではくつろげない。

 階下に行き、部屋を替えてくれと頼む。もしダメならチェック・アウトするつもりだった。電車の中でも飛行機の中でもうるさくてたまらなかった。それでもそれは限定された時間だし、それがお国柄なのだからと必死に我慢してきた。だけどホテルでもうるさく午前中から騒がれたのではたまらない。(騒いじゃいないんだよね。あちらとしてはごく普通に生活しているだけなのに、それがこちらにはうるさくてたまらないんだから、より問題は深刻だ。)

 二階の日当たりのいい部屋にいた。唯一窓の大きいのが取り柄のホテルで、日中は明るく、陽射しが暖かくて居心地のいい部屋だった。客がすくないから、私たちをそこに、次の客を隣室に、というのは最高の待遇だったのだろう。静かな部屋を頼むと言ったら三階の北側に向いた薄暗い部屋に回された。それはかまわない。どんなにジメっとして薄暗くてもうるさい支那人よりはましだ。果たしてどうなるのか。ここは隣人がいないのか。またも同じ事が起きて部屋を替えてくれとならなければいいが。
 カビ臭い部屋でたまらなく不愉快になる。それでも支那人のうるさいのよりはましと我慢することにしよう。

「北京天津秦皇島-日記」に「中国TAXI事情」を書く。
 やはり雲南からだけで中国を論じちゃいけないね。北京のタクシーに乗ってそう思った。
「チェンマイ日記-2002暮-ドライヴ話」を書き始める。厳冬の秦皇島で暖かいチェンマイのことを書くのも奇妙な感じがする。らいぶさんとの楽しかったメーサイ・タチレク旅行も遙か遠い思い出のようだ。日本にいたなら、まだほのぼのとした思い出のままだったのだが、こんなにあわただしく出かけてくると過ぎ去る景色が早すぎる。のんびり生きたいやね。今年はともかく、来年からはなんとかなりそうだ。


 午後八時。打ち上げ花火が夜空を彩っていた。窓を開けて見上げた。突き刺すような寒風が吹き込んでくる。零下の厳冬である。「花火=夏」の思いこみがあるので、冬の花火は新鮮だった。春節はいつまでなのだろう。日本大使館がこの六日まで休みなのは知っているが。

秦皇島(名前失念)泊。
7日(金)  部屋は暗くてジメっとしていて、とても快適な部屋とは言い難いが、隣がうるさくないので不満はなかった。ただこの部屋は、時折トイレの臭いがして気持ち悪くなる。以前書いたことがあるが、安旅社の簡易式水洗だと臭気が逆流してくるのかドブ臭いような臭いが一日中してたまらない。その点ここは普通のきちんとした水洗トイレなのだが、なぜかイヤな臭いがするのである。毎度のことだが鼻が良すぎるのも善し悪しである。それをきっかけにして出ることにした。うまくここよりいい条件の所は見つかるといいが……。



←最近は中国でもこのマークが増えてきてありがたい
 とはいえまだまだ守られていない。禁煙の電車内でも平然と喫いだすヤツがいる。二十人にひとりぐらいか。みな鷹揚なようで注意しているのを見たことはない。私が眉をひそめ席を代わるぐらいだ。
 この看板は天津鉄道駅の待合室でのもの。ここでもやはり無視して喫っているのがいた。

 マクドルナルド等が好きなのは禁煙がきちんと守られているからでもある。たぶんそれは「そういう感覚の人たち」が集まる場所だからなのだろう。まだ喫煙して店の人に注意を受けているのを見たことはない。誰も喫っていない。どこでもここでもタバコを喫うのが中国人だが(エレヴェイターの中で銜え煙草にはまいった)、タバコを喫うのをかっこわるいと思う世代もまた確実に育っているはずなのである。




 ここ数年で愕いたことに「お茶から水へ」がある。それまでは誰もが瓶入りのお茶を携帯していた。想像がつかない人のために念のために書くと、昔の旅人が竹筒に水を入れて携帯したように、支那人はみなガラス瓶にお茶を淹れて持ち歩くのである。バスに乗るときはもちろんだが、ちょいと農作業に行くときもそうである。インスタントコーヒーの空瓶のようなものが多いが、プラスチックのそれ専用のものも売っている。いつでもどこでも支那人はお茶と共にあった。

 それがマイクロバスの運転手(=高給取り。実入りのいい職業)が運転席にお茶ではなくペットボトル入りの水を置くようになったなと思ったなら、あっと言う間に若者や女が水を携帯するようになった。この普及の早さはちょっと信じがたいほどだった。もちろんその基本にあるのはお金である。家から茶葉と瓶をもってくれば、街の食堂から駅の待合室まで、どこでも無料で手に入るお湯(これは本当にすばらしい)でもっていつでもお茶を携帯できた。(安食堂でも茶葉はサーヴィスで置いているから茶葉すらいらないのか)。とにかく中国にいると、さすがにお茶の本場だと感じる。

 それと関係あるのか、中国人は歯が黒くて汚いなとも感じた。私は歯医者で歯垢を取ってもらうとき、もう煙草を止めて長いのになぜこんなにと質問したことがある。歯医者の言うには、お茶を何杯も飲む人は煙草呑みと同じぐらいシブが着くとのことだった。

 水の悪い中国では、お茶を携帯することは必須だった。誰もがお茶を淹れた筒を持っていた。始めてきた頃、それに憧れた私は市場で早速その筒を買ったものだった。
 最近では値が下がったようだが、初めてこちらに来た頃、500cc入りの水は3元していた。ビール大瓶と同じ値段である。ビールは640cc入りだからビールより高い。今は半額ぐらいになったようだがそれでも高いことに変わりはない。それを誰もが無料のお茶に代わって持ち歩けるようになったのは、すなわちそれだけみな裕福になったということである。最初に始めたのが運転手のような高給取りだったことからもわかるように。

 周囲の真似をしてお茶を携帯していた私は、やがてすぐにそれが煩わしくなり、すぐに元のペットボトルの水になってしまった。その頃はそれが目立ったが今は誰もがそうである。山岳民族のおばちゃんまで水を持っている。オシャレなのだろうか?
 先日、歯磨きをするとき旅社の水の味を確かめてみた。渋の強いまずい水だった。腹を下すのか逆に詰まるのか(あの味だと詰まりそうだ)。買い水しか飲んでいないのでわからないが。
 ベッドが固い。固いというよりもう板の上に薄縁(うすぺり)を敷いただけのものだから、ほぼ板の上に寝ているのと同じだ。スプリングなど最初からない。これはちょっとすごい。ここまで固いベッドは初体験だ。いやこれは西洋的なベッドじゃない。日本人が畳の上に薄い布団を敷いて寝るように、ベッドの形をした板組の上に、うすい敷物をしただけのものだ。ふかふかの西洋式スプリング附きベッドを期待しているこちらが間違いなのか。中国式の寝台と解釈すべきのようだ。

 ぼくは普段はマットレスの上に敷き布団を二枚敷いて寝ているのだが、腰のために時折わざと畳の上に寝たりする。腰痛を避ける健康法としてこれは有名な方法だ。そのための板も売り出されている。ただの合板の板なのだが。
 なのにこうして泊まったホテルがそういうとんでもなく固いベッドだと、「こりゃ腰のためにいいや」とは思わず、「なんてひどいベッドだ」と腹が立つのだからいいかげんなものだ。つまりは、固いベッドを嗜好として選ぶ気はあるが、押しつけられるのはごめんということになる。

 ここに限らず、北京も秦皇島駅前ホテルもひどかった。よかったのは昆明と天津のホテルになる。よかったところは外国人を意識したホテルであり、ひどかったところは純に支那人のための旅社だった。つまりこの固いベッドは支那人にとっては日常なのだろう。いやほんと、これは健康にはいいはずである。
 ということで文句を言うつもりはないのだが、パソコンで仕事をするための机がないので、膝の上にラップトップを乗せ、ベッドの背もたれにもたれる形(ぼくの言う〃ラッコ状態〃)で何時間も作業をしていると、さすがに腰と尻が痛くなってくる。これでは引っ越しせざるを得ない。


 このときは「これはこれで中国のやりかたなのだろう」とか「体にいい」とか解ったようなことを書いていたが、このあと秦皇島のホテルや北京の旅社で、ごく普通のスプリング附きのベッドで寝ていたら、いくらなんでもあれはひどかったなと腹立ってきた(笑)。
 中国でイヤだなと思うことに「木のイス」がある。ホテルでも食堂でもイスが木の椅子でクッションがないのだ。だから食事をしていても尻の据わりが悪くなってくる。せっかくビールを飲んでくつろごうと思っても、堅い木の椅子だとそうもいかないのだ。雲南のホテルで、部屋に入った時、机の前にある椅子がクッション附きだとうれしくなる。日に何時間もパソコンで仕事をする私にとって、木のイスとクッション附きのイスではまったく事情が異なってくるのだ。(室内にペアで用意されている肘掛け附きの椅子はほぼ確実にクッション附きである。利用者が多いからだろう。そのかわり机の前や鏡の前に用意されているサブ・チェアーは木のクッション無しであることが多い。)
 固いベッドのことを、上記では「中国の文化」のように好意的に書いたが、これは単にまだそこまで行っていないというだけなのではないか。汽車の安い席がそうであるように。それが正解だろう。いやしかしそれにしても、あれはひどかった。ちょっと思い出したくもない。
←中国の値段で600円したからけっこういい酒かな。
「百年喜慶」38度。

 これは日中合作の製品らしく、説明書には日本文がついていた。まあその辺を計算したような商品名でもある。輸入されているだろう。日本ではいくらするのか帰ったらたしかめてみよう。
 中国は酒は安い。水より安いぐらいだ。だからこれはそれなりの高級酒になる。でも匂いがきつい。甘ったるいような匂いもわざとつけたようで興醒めだ。高粱酒(コーリャンジュウ)はなかなかねえ……。

 持参した文芸誌のエッセイで、どなたかが「三ヶ月アメリカで過ごしてから中国に来た。両国が似ているのでおどろく」と書いていた。さもありなん。私が最初に痛感したのもそのことだった。中国はベッドのような生活習慣から語順まで、西洋に近い。「中国、韓国、日本の漢字文化圏」というのが日本人の都合のいい思いこみ(=勘違い、幻想)であることはもう賢明な識者が指摘している。

 大声でしゃべりすぎてうるさくてたまらないとぼくが思う彼らの習慣も、アメリカ人的な正当な自己主張であると思えば理解できなくもない。とにかく彼らは自分の意見を腹に収めることはない。大きな声で言いたいことを全部言う。日本人的に腹の中でぐちぐちしているよりはこのほうがいいのだろうと──自分が極めて悪いほうの日本人的なので──思う気持ちも芽生えつつある。

 でもすごいよね。アメリカ人的な自己主張は、多民族の中で、自分の立場と意見を明確に主張せねばならないという必然から生まれたものだ。その成形課程が理解できる。なぜに漢民族は同一民族なのにこれだけ自己主張をするのだろう。なにがどうなってこうなったのか。
 思うに、ごく一部の支配者階級とその他大勢の被支配者階級という国家の形態(=下級が努力して上級になるのは不可能なシステム)がこうさせたのだろう。いわば洗練とは無縁の国民なのだ。支那では字を読んだり書いたりする層と、そういうことには無縁の層は明確に線引きされてきた。それを交わらせることはなかった。日本のような「誰もが、誰もに」とか「努力すれば」とかの形態とはそもそもからして違っている。
 常に目の前に提供される餌箱は小さなものだったから、他人を押しのけてもそこにたどりつかないと食えないという弱肉強食の掟が強かった。人数分だけの横に広い餌箱が用意されることもなく、順番を待って餌にありつくという方法も指導されなかった。これはこれで支配の感覚としては正当だ。支配者が被支配者に与える餌箱は、常に我先にと突撃せねば満足に食えない小さなものだった。
 それは今の共産主義国家の指導云々とも無関係だろう。何千年も昔の食い物を買うときから今現在の航空券を買うときまで、この国の人たちは、常に他人を押しのけ、突き飛ばし、我先にと手を伸ばして、自分だけそれを手に入れようと行動してきたのだ。そうして勝者だけが生き残ってきた。民族にしみついたその個性が早急に変ることはあるまい。すくなくとも百年や二百年では。 

←真昼なのだが天気が悪いので写真が暗い。


 地図で繁華街と思われる場所までタクシーで行き、そこの宿にチェック・インした。ただの勘である。やってみるものだ。すぐ近くに路上市場もあり、麦当蒡や肯徳基もある。最高の場所だった。早くここに来れば良かった。

 初日の駅前ホテルはしかたない。まったく土地勘のない町だ。二日目に、駅から2キロぐらい離れた工業団地(?)の中にあるようなヘンなホテルに入った。タクシーの案内だ。値段も条件も取り立てて不満はなかったが、とにかく周囲に何もないのにはまいった。なんとも殺風景な場所だった。二泊した。前述した「うるさい家族」が来たのと、部屋が臭いのでそれをきっかけに出た。出てよかった。ここなら文句なし。査証発行の日までここで過ごすことにしよう。
 三日ぶりのマクドナルド。うまかった(笑)。 「03北京天津」に「謝々 麦当蒡!」に附記を追加。金額のことを書き忘れていた。二人で50元、800円ぐらいのことが多い。日本的に考えても高いかなあと思ってしまうのだが、物価が控えめに見積もっても5倍はあることを考えると、マクドルナルドで4000円だからとんでもないことになる。いや8倍はあるだろう。とすると6000円……。
 アメリカに憧れる若者は多いのか、いつ行っても満員である。

←これは56度。かなり効きます(笑)。
臭くて不味い酒。
でも極寒だからね。これぐらいないと飲んだ気がしない。
 ぼくは若い頃、バーボンが臭くて飲めなかった。今は大好きである。タイ人にはウイスキー好きでも、バーボンは臭いと言って飲めない人が多い。同じように、いつしかぼくはこの中国の臭い高粱酒を、うまいと思えるようになるのだろうか。とにかく、臭くてまずい。



 路上のゆでトウモロコシを食う。2元。
 まずい。甘みがない。子供の頃食べたトウモロコシはこんな味だった。そこに改良されたハニーバンタムとかあんな種が入ってきておいしくなったのだった。初めてハニーバンタムを食べたとき、なんて甘くておいしいトウモロコシだと思ったものだった。

 路上のイカヤキを食ってみる。鉄板焼き。いい匂いがしていた。イカの新鮮度も鉄板での焼き具合も文句なしなのだが、塗りつけるタレの味が好みとは違う。むずかしいものである。2元。

 これらの品は今までにも何度も目にしていたのだが極力食べないようにしていた。食べたいときもあったが我慢した。なぜなら雲南での移動の時に出会うものだからである。山の中を走る長距離バスでお腹をこわしたらたいへんなことになる。いつもコーラとビスケットのような安全なものに限定して体調を管理していた。今回はここのホテルに三日間いるつもりなので安心して食べられた。今のところ大丈夫(笑)。


 同じく三日ぶりの風呂(笑)。
 ここ三日はシャワーだけだったので入らなかった。妻に怒られても面倒なので逃げていた。
 それで思ったが、やはりこんな寒いところにいたら無精になる。私の場合は暖かい部屋と温かいシャワーがあるわけだが、それでも面倒になる。寒いから靴下を履いたまま寝たりしていた。寒いので汗をかかず靴下は臭くならない。こんな状況でも普通の一般庶民よりは遙かに恵まれた暮らしだろう。だったらお湯を沸かして体を拭かねばならないような一般支那人が無精になるのは(それは決して無精じゃないわけで)しかたないのだと納得できる。エスキモーが風呂になど入らないように。
 三日ぶりのバスタブがうれしくて、とっておきの「道後温泉 緑のお湯」を入れた。でもおれ、道後温泉行ったことあるけど緑の湯はなかったよな(笑)。

 これから近くの「刀削面」を食べに行く。これは間違いなく麺はうまい。叩きつけて練った小麦粉の固まりを、でっかい菜切り包丁で、シュッシュッと削って麺にするのだ。何度も食べている。麺には問題ない。讃岐うどんに似ていてうまい。問題は味つけだ。先ほど見たら「中国五大麺のひとつ、刀削麺」と書いてあった。そんな書きかたをされるとあとの四つが気になってしまう。なんでしょう(笑)。

 讃岐うどんと言えば、前々から大好きだったのだが、いま大ブレーク中だ。藝人でも食い物でも支持してきたものが世に流行ることは気持ちのいいものである。
秦皇島 宴友賓館泊。
8日(土)
↑同じくこれもくら~い写真。でもこんな天気。寒いよ。耳がちぎれそう。
 昨夜の刀削麺は当たりだった。味つけも良く、ほぼ日本の「焼きうどん」と同じものだったので、ひさしぶりにばくばくと食えた。ありがたいことだ。いくらなんでもマクドルナルドばかりじゃ惨めである。すこしずつうまいものにも巡り会うようになったので、「中国口論-中国はまずい!?」を書き始めることにする。
ホームページの不具合について
 日本を出る前、何人かのかたから「ファイルが読めない」とか「欠落している写真がありますよ」と指摘されていた。
 原因はわかっている。
ここ何回かの旅行の時、時間があると「ホームページの整理」をしていたのだ。前々から不要なファイル(この場合はlogoとかgifとか言ったほうがいいのか)を削除したい、整理したいと思っていた。
 そう思いつつも一々ファイルのチェックをするのは面倒で手をつけなかった。そんなある日、気づいてみればあまりに初心者過ぎて言うのも恥ずかしいが、デジカメ用ソフトウェアでホームページの項目を開けば、そこにある視覚素材を一覧できると知った。これだと不要ファイルが一目瞭然である。それをしって思い切って手をつけることにした。

 そこには、整理されていない乱雑な素材、あるいは試行錯誤の残骸が実に醜く散乱していた。たとえば、である。「チェンマイの好き嫌い」というロゴを作る。うまく行かない。字体を変える。大きさを変える。何度も作り直す。そこにポインターが行ったとき赤に変化するものも作る。何度も作る。なんとか完成した。その試行錯誤の結果が、logo123,124,125のように、時を置いた場合は番号が飛んでlogo259,385のように、醜くあちこちに苦労しただけ、七つも八つも散乱しているのだった。
 それらを全部削除する。そして新たに作ったものには「logosukikirai」と、ポインターと共に変化する赤には「logosukikirai-aka」と分別しやすいように名前をつける。延々とその作業をしていた。これ、口で言うと簡単だが30メガあるホームページだから、かなりたいへんな作業だった。
 そんなことをずっとやっていた。十数時間。まずはホームページ内のファイルとしてはきちんと整理されたのだが、今までlogo126とかlogo385、BZ10003879なんて表示されていた部分はすべてファイル上では空白になってしまう。それをまた埋め立てて行くのはこれからの作業である。
 よって皆さんからの「ファイルが読めない」「写真が欠落している」の抗議となった。要するにこれは不慮の事態ではなく、本人としては渋滞が起きることを覚悟の上の道路工事のようなものだった。

 そんなわけで一昨日からこの工事をまた始めた。嫌いな人にとってはたまらなくイヤな作業だろう。なにしろそのことによって新たなものは生まれない。いわば部屋の大掃除、机の中の整理である。でもなぜか私はそういうことが好きなようで、昨日もぶっつづけで八時間(!)もやっていた。寝食を忘れるというやつである。ごちゃごちゃのファイルがきれいに分類されて行くのは気持ちよくて、いつまでやっても倦きない。

 とはいえまだ仕上がったのはハードディスク内の分類である。なんとかこちらにいる間に仕上げたいと思っている。
 しかしこれ、考えようによっては虚しいとも言える。多大な時間を費やして整理整頓したわけだが、読んでいる皆さんからするとなにも変りない。単に欠落していたファイルや写真が復活して元通りになっただけである。私のほうとしては大変革なのだが。世の中、こんなものか。こんなものなんだよね。
秦皇島 宴友賓館泊。
9日(日)  妻が朝風呂を作ってくれて、喜んで飛び込んだらかなり温い湯だった。午前中から熱い湯は出ないのだ。湯冷めして風邪をひきそうである。心配だ。今そんな目に遭っているわけにはゆかない。
 お昼のテレビニュースで天皇陛下が退院されたニュースを見る。お元気な姿と寄り添う皇后のお姿を拝見していたら涙が出そうになった。これは昨日のニュースなのだろうか。日本で見ても、心からお元気になってよかったと思っても涙ぐむところまでは行かないだろう。異国にいることによる感情の高まりである。
 ほんの数秒だが札幌の雪祭りのニュースも流していた。そんな季節か。

 アメリカとイランのニュースも毎日目をこらして観ているのでおおまかなところはつかんでいるとは思うのだが、どうにも隔靴掻痒の感を免れない。中国語では細かいニュアンスはわからないし、説明してくれるほど妻には政治的な知識がない。
 なんとかインターネットで日本の新聞を読みたい。こちらに来て二週間、いまだインターネットは見かけないままである。だいぶ心掛けて探してはいる。きょうこれからも探してみよう。


 《『お言葉ですが…』論考》「日中漢字差集」に「面」と「麺」、「新聞」と「報」について書き足す。
 ここ数日でおよそ30時間ぐらい掛けて「チェンマイ日記トップページ」と「チェンマイ雑記帳トップページ」を手直しした。本人的には大満足の大改築作業だったのだが、よそさまからはなにも感じてもらえないわけで、ほんとにたいへんな作業だっただけにちょっと悔しい(笑)。お時間があったらあちこち覗いてね、きれいになってますから。
 それに懲りず、きょうは「雲南でじかめ日記トップページ」の手直しをしていた。今のところ三時間ぐらいしかやっていないがだいぶよくなった。
 きょうの午後、寒風の中を必死に探し回り(ちょっと日本的には想像できない寒風である。顔が痛い)インターネットカフェを二軒見つけた。両方ともゲーム屋である。
 ネットに接続しても日本語を書くどころか日本語を読むことすら出来ない。OSは98だった。Viewとして日本語を読めるようにしようとしたらダウンロードが「不可」と出てしまう。よけいなことをさせないようにしてあるのだろう。それはそれでわかる。店として防衛せねばならない。係員を呼び、説明したら解ってくれたのだが、彼もダウンロードを可能にする設定変更が出来ない。二軒ともそうだった。あきらめた。
 なんとか北京から、せめて掲示板にひとこと書き込みたいと願っている。


 インターネットカフェ探しの時に見つけた朝鮮料理の店に行く。ハングル文字が目立っていた。売りは大きな看板の「新鮮狗肉」である(笑)。
 入ってすぐ「真露はあるか」と尋ねた。なかった。朝鮮語が通じるのでついはしゃぎすぎ、焼肉やらユッケやら石焼きビビンバやらで90元。回りの支那人が、なんだろ、こいつらはみたいな目で見ていた。注文しすぎ。半分も食えず。うまくない。「狗肉火鍋」が一品料理としては抜群の高値である50元だったことが印象的だった。これは別項にまとめよう。

 半端な物は食わないほうがいいというのが持論だ。本物の餃子を食いたくなるからチェンマイでは餃子もどきを食わないようにしている。この店でそんなことを考えたわけではなかったが、どんぶりにもられてきた「石焼きビビンバもどき」を食ったら、強烈にソウルの名店で食べた最高の石焼きビビンバが食いたくてたまらなくなった。芸術品のような美しい盛り合わせ、石鍋にじゅうじゅうと音を立てているできたての香り、それをぐっちゅぐちゅにかき回して食べるあのうまさ、たまらん。ソウルに行きたくてたまらなくなった。やはり半端物は食わないほうがいい。
秦皇島 宴友賓館泊。
10日(月)  八時に起き出してThinkPadに向かう。昨夜寝たのは本を読んでいて二時近かったからけっこう勤勉な感じ(?)だ。
 マクドナルドに妻が朝飯を買いに行ってくれる。そのあと珈琲を飲んだ。30袋用意してきたスティックタイプのこれも好き放題に飲んでいたら残り少なくなり、明日からは厳しい状況になりそうだ。なんとか北京で同じものを買えるといいが。

 きょう、秦皇島から北京にもどる。明日の朝、北京の日本大使館で査証を受け取る。それがうまく出来たら、あとは日本への航空券を買うだけとなり、そこで持ち金の計算も出来るからだいぶもやもやがスッキリする。へたしたら航空券が想像以上に高く、クレジットカードを使える代理店を探すはめになるかもしれない。ともあれ、明日にはすべての行程が明らかになる。ここにいたる経緯を友人処刑(おいおい、友人を処刑してどうする)諸兄と、リアルタイム進行で歩みたかったが、結局帰国してからまとめ読みしてもらうしかないようだ。残念である。

 もしもそれを実行しようとしたなら、私の実力では、毎晩100ドル以上のホテルに泊まり、そこから通信するしかなかったろう。街中からするにはこちらの事情に詳しい友人が必要だった。北京には友人がいないし仕方がない。


 さてそろそろ出発の時間だ。またあのあまりに大きくて戸惑う北京に行く。今夜はどこに泊まるのだろう。せっかく安くて環境のいいホテルを見つけただけに、ここを出て行くのには未練がある。いつの日か、妻と共に真夏の秦皇島に来ることがあるだろうか。私なりに、忘れられない地となった。



「素材日記」に「凝りすぎた表紙」をアップ。「雲南でじかめ日記-日記」の表紙を作り直したので記念に書いておく。こういうのって今は書く必要ないと思うほど覚えていても、しばらく経つときれいに忘れている。と、ここを作るとき古いペエジを読んでいて思った。メモ的に作ることにはそれなりの価値があるようだ。
 五時に北京駅に着いてから八時に宿にはいるまでの苦労話はまたあらためて書くこともあるだろう。ともあれ大変な苦労をしたが、なんとか数日間落ち着ける(落ち着かねばならない)安くていい宿を確保できた。いよいよ明日は査証受け取りである。

北京泊
11日(火)建国記念日

 午前十時半。無事査証を受け取る。これを受け取るまでに五年も苦労したのかと、妻としみじみとパスポートに貼られた査証を見続けた。記念すべき日になった。なんといってもきょうは紀元節だ。忘れることはない。

 引換証を出し、費用の200元(3200円)を払い、係員が奥に妻のパスポートを取りに行っても、まだ安心できなかった。なんらかの理由であんたらには出せなくなったと言われるのではと緊張していた。以前、昆明のタイ領事館で妻の査証を申請したとき、すべてをクリアしていながら、最後の最後に「工作人証明書(就業証明書)がない」と言って断られたことがあったのだ。田舎の百姓にどうしてそんなものがあるのだと腹立った。かくいうぼくもうん十年前、韓国に行くのに同じようなものと、堅い会社に勤続十年以上の人の保証書とか言われて行くのを断念したことがある。

 受け取るとあわただしく査証のペエジを見た。あった。たしかにあった。我が国の査証は中国のものよりも豪華な紙質できらきらと輝いているようだった。

 妻の日本への航空券を買うために走り回る。この苦労話も別項とする。銀行で偶然出会った日本人娘に日本語の通じるチケット屋を紹介してもらう。ありがたかった。
 なんとか無事これも入手。というか契約が済んだ。あとは帰国まで数日を過ごすだけとなった。万里の長城の観光にでも行くか。その気もないけど。
 すべてをクリアしたその日の夜の酒はうまく、飯も最高だった。と書きたいところだがまったくそんなことはなく、中国の酒は最悪でまずくて臭くて飲めず、飯もしょっぱくて食えず、おまけに店員も周囲も気が狂うほどうるさくてマナーが悪い。大嫌いだ、中国。自信を持って言えます。明日は一日中部屋に籠もっていようと思った。でも気分は日本晴れ。
12日(水)  昨日、logoの名前を変えている内に、「ものぐさのくせに潔癖性」という悪い癖が鎌首をもたげ、酒を飲んでもいなかったのに「こうなったらこんがらがっている物は全部新しくきれいに作り直すか」と、なんの脈絡もなくただ番号だけがついているみっともないlogoを片っ端から削除した。これは気持ちがいい。ここまでは、だ。

 ただこれをぜんぶ復活させるとなると大変なことになる。削除したlogoは500程度でも、それが使われている箇所は2000カ所ぐらいある。そこが全部虫食い状態になる。htmlの全ファイルを見直す必要が生じた。500のロゴを新たに作り、さらに虫食い状態になっている部分にそれらをひとつひとつ埋めて行くのである。いくつかのファイルを見る。ひどい状態だ。タイトルから写真からすべて消えてしまっている。これを全部埋めるにはどれほどの時間がかかるだろう。あらためてとんでもないことをしてしまったと蒼ざめる。
 昨日で用事が済んだこともあり、きょうは部屋から出ず、買い溜めてあった果物やカップ麺を食ったりしつつ、一日中それをやっていた。妻にKFCに行ってもらいテイクアウトして昼食にする。疲れる。きりがない。くだらんことを始めてしまったと思うが、出来上がるとスッキリするはずなのだ。
 私の仕事が基本的に一日中部屋にこもってするものであることは今までのつきあいで彼女は解っている。とはいえ基本的には農民だからして付き合いきれないようでもある。困ってしまうのは勉強に倦きるとすぐに寝ることだ(笑)。ハッキリ言ってしまえば百姓ってのは体を使って働いて飯を食って後は寝るだけである。よけいなことは考えない。読書の習慣もなく、私に言われ、自分も自覚して、一所懸命に日本語の勉強をしているのだが、私の隣で五時間六時間と一緒に出来るだけの経験と習慣はもっていない。一時間もすると厭きてしまい、ふとみるとベッドにもぐりこんでいる。彼女らの一族を見ていると、農繁期には日の出から日没まで頑張って働くが、農閑期はなにもせず食っちゃ寝ばかりである。体を使わず勉強するという行為は、彼女にとって農閑期の感覚なのだろう。部屋に籠もって何時間も学習することはかなり苦痛のようだ。彼女の勉強具合は、日本人である凝り性の私からすると物足りない。どうしても自分のタイ語勉強の時を基本に考えてしまう。でも一歩距離をおき、彼女の学歴や今までの学習習慣を考慮したら、涙ぐましいほどの努力をしているのも確かだ。ここはひとつ長い目で見てやらないと。

 写真は天津で買った日本語教科書。VCDが6枚ついて85元(1200円ぐらい)。早速ThinkPadで再生してみたがすばらしい出来である。まるで個人教授だ。いいものを買った。日本だとまちがいなく3万円はするもの(それじゃ買えないかな?)がこの値段である。嵩張るが買って持って行くことにした。
 さて今から、「謝々、麦当蒡!」にKFCの項を書き足そう。
 夜、食事に出る。まずい。もう絶対に「中国はまずい」と言い切れる。でも愛想のいいタクシー運ちゃんでそこはよかった。でも道はぜんぜん知らなかった(笑)。ともあれ中国に対して、嫌いな部分と認める部分が明確に線引きされつつある。いっぱしに中国になじんできたのか!?
13日(木)  午前11時。チケットが届いた。お金を払う。現物を手にした。これで安心。すべて解決。あとは日本に行くだけである。心配してくれている皆さんにこの気持ちを報告したいが相変わらずインターネットとは無縁のまま。断念。

 昨日の夕方、呼び出し電話があった。部屋まで来てくれた旅社の係員は私たちではないのかと言うのだが(安旅社なので各部屋に電話はない)、その名は私でも妻でもない。間違い電話と判断したがもしかしたらチケット屋で問題があり、そこから来たのではと気になっていた。というのはチケット屋のお姉さんがかなり頼りないのだ(笑)。これは別項に笑い話としてまとめる。
 そんなこともあり、今朝9時半に電話をして、昨日の電話のこと、きょう確実に来られるかを確認した。日本語で日本人相手に商売しているだけあって(といっても届けに来た青年は日本語はまったくだめだったが)愛想が良く、支那人を見直した。やはり商売に長けているから、相手次第でなんとでも応対できるようである。これに慣れたら普通の支那人とは取引できないなと感じた。彼らは彼らの賢さで、「日本人というのは時間を守り、笑顔で挨拶すると喜ぶ」とか割り切っているのだろう。その通りなんだけど(笑)。
 ともあれ査証取得に続いてチケットも手に入った。これであとは17日に日本に向かうだけである。

 昨夜近くにCarrefourがあることを知った。ほんのすこしだけ覗いた。フランス資本の大型量販店である。日本にも出店している。話題になった。まだ行ってない。行くこともないような気がする。でもチェンマイ店は行っている。フランスと日本で行ってないのにタイと中国で行っている。これも奇妙なものである。

 この種の大型店の出店には様々な問題もあろうが、旅行者の異国人としては輸入物が何でも揃っていて助かる。昨日からきょうに掛けて、一日一杯に限ってちびちび飲んでいたスティックコーヒーを贅沢に好きなだけ飲んだ。カフーで買えるだろうと判断したのだ。このスティックコーヒーというのは一杯分の湯量が150ccとかそんな感じだから、べつにコーヒー中毒じゃないがその気になれば何杯でも飲めてしまう。
 うまい酒が飲めそうだ。きっと揃っているだろう。うれしい。
 書きたいこと、ネタは山ほどあるのに『作業記録』以外新しい項目がアップされていないのは朝から晩までlogo直しをしているからである。毎日10時間ぐらいThinkPadに向かっている。いやはやとんでもないことを始めてしまった。それでもきょう、それなりの成果が上がってきて気持ちがいいなと感じた。

 このホームページには2800ほどの画像ファイルがある。それらがすべて脈絡なく写真だとPa489029とかlogoだとlogo12896とかの数字になり2800ズラリと並んでいるのである。それはそれでいいのだが、さてブラッサリーの写真を他所で使おうかと考えたとき、探すのが面倒なのだった。logoも同じく2800の中の500ほどあるLogoのところに行き、そこから番号だけを頼りに探し出さねばならない。なによりも整理できていないことが気になる。乱雑は醜い。みっともないのだ。それはホームページを作り始めたときに気づくべき事だった。そのときから正しい処理を積み重ねてきていれば今ここでの苦労はない。でも初心者だったからそこまで気が回らない。それなりの容量のものを作り上げてから気づいた。その時にはもう乱雑になっていた。

 それらを「写真-ブラッサリーその壱」なら今までのPa489029を「P-brasserie1」に、ロゴはlogo12896を「logo-bra1」のように直していったのである。それを500個以上やったのだからたいへんだ。その後の修理はまだ十分の一も終ってないし、それを成し遂げてもその成果は誰にもわかってもらえないのだが、作る側からすると足の踏み場もなかったような乱雑な工場(こうば)の中がきちんと整理整頓されつつあるのだから極めて気分がいい。大掃除を嫌いな人でもきれいになった部屋を嫌いな人はいまい。あと三日ほどいる北京では新しいものを書いている暇がなく、このlogo整理に忙殺されるかも知れない。それでもこれは後々まで役立つことだから滅入らずに頑張ることにしよう。でもたいへんだ。いやはやなんとも。
14日(金)  近所にCarrefourがあると知ったものだから、きょうは午前中から出撃である。妻に「安いものでいいから、おまえの思うものを私の両親への土産にしろ」と言ってあった。妻は思案投げ首である。ここは妻にまかせ、最低限、私の意見を言えばいい。12時から2時までCarrefour探索。楽しかった。ただし万引き予防が予想以上に厳しく、「客を見たら泥棒と思え」路線だったので日本人としてはムっとする場面もあった。まあそれだけ万引きが多いのだろう。


 夕方、テレビを見ていた。毎日頻繁に新聞(テレビニュース)を見ているのでどうでもいいことに気づく。メインキャスターのことを「主持人」というようだ。そうテロップが出る。「主に受け持つ人」ということだろう。たぶんこういうのは、たぶんというか間違いなく、メインキャスターを訳することによって生まれた新語のように思う。日本語なら「デモクラシー……。民が主で民主じゃあ!」の類か。
 いやまあそれは、千年以上も前からそういう言葉は中国にあったのだと言われるとそうですかと言うしかないけどね。それは古い革袋に新しい酒を盛った言葉であり、結局は新しい革袋と解釈すべきであろう。
 中国語の「主持人」は、秦の始皇帝、いやいや春秋戦国時代以前からあったコトバかもしれないが、明確な意味をもった現代語としては、つい近年であり、メインキャスターの訳語という解釈でいいのだと思っている。
 深夜に「謝々、家楽福!」を作っていて、夕方に撮った写真を入れたくなる。それが左のGINの写真。あ、家楽福とはCarrefourのことね。

 話が前後するが、昨日Carrefourで真露を買ってきた。韓国からの輸入物で29元。小瓶。うまかった。ひさしぶりにまともな酒を飲んだ。え~と、1/27に来て、昨日は2/13だから、18日ぶりに酒をうまいと思ったって事だ。何日か前に行った秦皇島の朝鮮料理屋も、実はそこに行けば真露が飲めるかも、というのが大きな期待だった。行ってすぐに「真露はあるか!?」と尋ねた。なかった。中国の高粱酒は臭くてまずくてとても飲む気になれない。かといって飲まずにもいられず(寒いから強い酒をキュッとやりたくなる)毎度口にしてはそのまずさに悔やむことになる。




 昨夜は真露の小瓶を空けて、気持ちよく眠れた。妻はその程度で私を大酒のみと怒っていた。あんなもん、飲んだうちに入らん。
 初めて韓国に行ったとき、きもちよく真露を飲めた。だから初めての中国でもそういうものを期待していた。この国では期待外ればかりである。

 それできょうはGINを買ってきた。イギリスのGILBEY'Sである。GINといえばイギリスかオランダだ。私たちの飲み慣れたGINはイギリスになる。58元。千円弱。日本で今これがいくらするのか知らない。中国では酒は安いからそれなりの値段になる。
 GINに凝ったのは学生の頃だ。さすがに強い酒で酔ってしまうから、長時間酔わずに騒ぎたい身には不釣り合いだった。そういえば私は「酒でも飲まなきゃやってられない」とか「酒でも飲んで寝てしまおう」のような飲み方はしたことがない。それは酒という友人に対して失礼な接し方だと思っている。

 あと三日ここにいるから、この一本でちょうどいいのではないかと読んだ。それを三分の一飲んだのが今。割ったのは果汁100パーセントのオレンジジュース。うまいです。ききます。安物のジンだとかウォッカとかでおやじが酔っているなんてフツーの光景のようだけど、このフツーのことが難しいんですよ。それがあ~た、中国ってえもんです。

 『ENCALTA』で調べてみると、GINは安酒の代名詞で、とある。安くて酔っぱらえるから普及した当時イギリスでは泥酔者続出が社会問題にまで成ったという。だろうねえ。日本で言うと悪い意味での焼酎でしょう。酔えればいいという。
 ところが中国にいると、これでさえありがたくて涙が出る。あの臭くてまずい高粱酒と比べたら天国である。このGINをオレンジジュースで割って飲んでいると、ほんと、ありがたくて涙が出ます。ありがとう、カフー。ということで、そんなファイルを作ることにした(笑)。マクドナルドに続く第二弾「謝々、家楽福!」。

 GINを飲みつつ、Logo整理。深夜二時まで。うまい酒という友がいれば単純で苦痛な作業も楽しい。
15日(土)  未だにlogo整理は終っていない。それでも「チェンマイ日記」「雲南日記」がなんとかなった。素材餘話ももうすぐなんとかなる。先は長い。

 さすがにLogo整理だけではつまらないので「謝々、家楽福!」とかを作り出した。作業場の整理と違ってこれは楽しい。
 午後二時、完成。「雲南でじかめ日記-謝々、家楽福!

 新しいトップページにした。気分転換である。そのことを「素材餘話-トップページの手直し」としてアップ。下のトップページの写真も過去のものとなって行く。


 北京であれこれしていると、私が外国人であること、妻がかなり訛っているとんでもない田舎者ということから、「ボってやれ」という悪意をしみじみと感じる。決してこれ、被害妄想ではない。またそういう彼らを怨んでいるわけでもない。貧乏人にはいつもの安いものを売る。よく事情を知らない金のありそうな異国人が来たら、店の奥で売れ残っている高いものを売りつけようとする。それは商人としての正しい商売感覚であろう。それがあまりに露骨なため、日本人としては鼻白んでしまうというだけだ。



 先日の「昆明・北京航空券」も、昆明の何軒もの店で彼らは一覧表にある正規の1610元で売ろうとした。そういうものだと思っていたから今までなら買ったろう。しかし今回は安くなることを北京で確認していたから、英語の通じないのを承知でディスカウントしてくれとやっていたら、簡単に970元になったのである。いきなり四割引だ。他店に行くふりをしたらもっと下げられたろう。普通の支那人は安売りのその値段で買っている。でもそれを知らない外国人には正規の値段で売ろうとする。しらんふりして高く売ればより儲かる。バレたら安くすればいい、それだけのことである。商売の鉄則だ。

 まあこの種のことは私の智慧(?)で対処できるが、オレンジを買ってきてくれと頼んだ妻が、ぶかぶかでスカスカの中身のないのをたっぷりと買わされてきたのに接すると、なんともなさけなくなる。売れ残りをうまく押しつけられたのだろう。買うほうも間抜けだが、こんなのを押しつける商人もひどい。
 もどって替えてこいと強く言う。出来るなら返品してこいと。内気な妻はその店にもどってそう言うのがかなりつらかったのだろう、涙ぐみ、唇を噛んで出て行った。日本ではつらい目にはあわさない。だけどここは中国だ。彼女は中国語を話せるのだからそれぐらいは覚えてもらわないと困る。結局全部の商品がそうなのだと、いくらかぶかぶかがましなのと交換してもどってきた。まずくて食えなかった。残ったのは気まずさだけだ。
 午後、ひとりで街を散歩する。なんでひとりかは言うまでもない。
 逆方向に歩いていったらすぐ近くに麦当蒡(マクドナルド)があった。先日夜、タクシーで探しまくった(「謝々、麦当蒡!」)のが嘘のようである。こんなものだ。土曜だからか若者で超満員。空腹だったがおやじひとりで入るのもなんなので入らず。デートスポットなのか手を握り合い、見つめ合ったままのカップルがいたりして恥ずかしい。でもそれに限って美男美女じゃないので微笑ましい(笑)。
「謝々、麦当蒡!」

 日本語情報誌を読んでいたら、Carrefourを日本では「カルフール」と発音していることに気づき、「謝々、家楽福!」を手直しする。こににもなんどか「カフー」と出てくるが、ありゃタイ語である。タイボケ、チェンマイボケだ。なにしろCarrefourというフランス資本の店を知ったのはチェンマイだったのだから仕方がない。いや、私のフランス体験を考えると、元々ああいう店でのショッピングは好きでよく入っていたから経験済みだったと思う。名前を覚えていなかったのだ。リスボンのF1観戦の時に入ったのも間違いなくあれはカフー、いやカルフールだろう。


 正月である。朝から爆竹と花火がやかましい。と、二週間前のことを書いているのではない。15日間続いた春節もきょうで終り。よって最後の仕上げとばかり、きょうは朝からもう大変である。この正月の騒ぎ方に関しては、心底うるさくて呆れたけど割合好意的。正月だもの、思いっきり騒ぐのがいいや。もしも次回があるなら私も500連発の爆竹を買い込んで鳴らしたい。あれはあれで気分がいいだろうと思う。
 今は夜の九時半。おそらく正月が終る零時までは続くだろう。こちらは夜更かし型なので思いっきり好きなだけやってくれいと構えている。やはり零時を過ぎたらひピタっと止むのだろうか。それがちょっと興味がある。
 ピタっと止みました(笑)。中国の正月も終ったようです。
16日(日)  昼。Logo整理が「いいぷん日記」まで終った。あとひといき。

『お言葉ですが…』論考「日中漢字差集」
に「房と室」を加筆。これは昨夜、左にある房の写真をとれたから。なかなかいいでしょ、この写真。ちょっと幻想的で。そちらにも書いたけど、いい写真が撮れると文章も捗る。この相乗効果は大きい。

 ここで「名残が残る」と書いてしまい直した。名残はその字からも「残る」の意を含んでいるから、名残をとどめる、名残を惜しむ、名残が尽きない等で「残る」は被さりになってしまう。とはいえ今の日本語ではこの誤用パターンは多く「いちばん最初」も本来はおかしかったのだが今じゃ普通になった。

 ネット用語では「ハンドルネーム」がおかしい。「ハンドル」とはもともとニックネームとかあだ名の意味だからハンドルだけでいいのである。外国人はそう使う。何十万語も網羅した最新の英語日常語辞典にも載っていないからこれは完全な和製英語なのだろう。私は極力ハンドルと使うようにしているが通じないなと判断したらネームをくっつてけいる。長い物には巻かれたほうがいいのかもしれない。
 こういうのは日本人の気働きでもある。ハンドルというと日本人には自動車のハンドルになってしまうから、あえて誤解のないようにとネームをくっつけるようになったのだろう。基本にあるのは親切心だ。安易に批判しているわけではない。
『作業記録』を全点検した。そこいらじゅう虫食いだらけでとんでもないことになっている。これはこれでほっておくことにした。元々が『作業記録』ということからここは材料をいじくる作業場なのである。そこから正規のファイルとしてアップするものがあったら、そのときにきちんと作り直そう。ずいぶんと下書きとして書いたまま放り投げてあるものを目にした。これらも整理しないと。

 『タイ語抄』の整理は間に合わなかった。とりあえずLinkを切り、日本に帰って手直ししてからまた繋ぐことにしよう。
 明日の今頃は日本である。妻は無事入官を通れるのだろうか。




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