北京天津秦皇島-日記

            謝々 麦当蒡!  
    

 北京を飛び立つ航空機の出発が遅れ昆明に着いたのは深夜だった。北京昆明という国内移動でも距離的には成田北京より遠い。空港からタクシーに乗り、常宿の茶花賓館にチェック・インしたときはもう零時近かった。フロントが紺色の防寒着を着て受けつけをしていた。工事現場の雰囲気である(笑)。一年中春のような気候から〃春城〃と呼ばれる昆明のホテルには暖房施設がないのだ。それを備えても必要とする時期が一ヶ月ぐらいだからもったいないということなのだろう。さすがにこの時期は冷え込み、暖房が欲しい。
 部屋には全室暖房がない分、電気毛布がある。これは以前に経験済みだ。寒い夜に電気毛布の暖かさがなんともありがたかったものだ。

 昨日の朝、山奥の(笑)家を出た妻は、一日がかりで今朝思芽に着き、最新の結婚証書を発行してもらい、そのあと昆明行きの寝台バスに乗り、明日の朝昆明に着くはずである。つまり三日掛かり。たいへんである。明日の朝とはいえ、それは今から約5時間後でしかない。フロントに着いた妻が私の部屋を訪ね、迷うことなくノックできるように、まずはホテルの用紙に「熱烈歓迎××小姐」と妻の名を書いてドアに貼る。このときに役立つのが日本から持参したガムテープ。本当に万能だ。欠かせない。さて妻が着く明け方まですこし眠るか。


意外に冷え込む。息が白い。熱湯が出ることを確認して風呂に入ることにした。体の芯まで暖まる最高の風呂だった。
 思えばこれが悪かったのか。風呂上がりに階下で買ってきた青島ピールを一本のみ、体のためだからと惜しげもなく早くも初日から緊急用食料のカップ麺とカロリーメイトを食べた。きょうはまともなものを食っていない。先のことも大切だが今はもっと大切だ。


 ここまではよかった。その後、突如として襲ってきた悪寒と下痢である。普段病気をしたことがない分、たまにするとこの程度のことでもうろたえる。考えてみればこんなのは病気の内に入らないのだろうが、何度もベッドとトイレを往復し、電気毛布にくるまって震えていたら、本人的には「旅に病んで夢は枯れ野を駆けめぐる」の心境になってしまった。しかしこれ、後々考えてみると風邪をひいたのではなく中国東方航空の機内食にあたったのではないか。下痢を伴う風邪があることは知っているが、そうではなく単にお腹を壊して熱が出たと考えるほうが正しいように思う。とんでもなくしょっぱくまずいもので、半分も口をつけなかったが……。
 ともあれ初日の27日は、ほぼ徹夜で出かけ、ろくなものも食べずに昆明に入り、そこでお腹を壊して寝込むという最悪の展開となった。


 翌日の昼に妻が来て、外から食事を買ってきてくれたりしたが、吐き気がして食べる気になれず、絶食状態で一日寝ていた。でも壊れたお腹を治すにはそれがいちばんいいのだ。獣は体をこわしたらひたすら治るまで巣穴に籠もり何もしない。獣的に生きる私もそれが似合っている。24時間そうしていたら、すっかり治った。やはりこれは風邪じゃないな。食あたりだ。
 妻はやはり明け方の五時に着いたのだそうだ。バス停からタクシーで駆けつける。深夜のタクシーに女一人だからボラれたそうな。ところがホテルでそんなヤツ(私のこと)は泊まっていないといわれ、しかたなくまたバス停までもどり、そこの20元の安宿に泊まって朝まで過ごしたという。妻は私の送金が遅れ、ほとんど金を持っていない。心細かったことだろう。まったくこのホテルの対応には腹が立つ。
 昼に来たときもいないと言われたが、そんなはずはない、宿泊カードを見せてくれと言い、自力で発見したとか。茶花賓館にはもう何十泊もしていて大のお気に入りなのだが、この応対には白けてしまった。私は早朝に妻が来るはずだから私の部屋を教えてくれとフロントに言い、あちらも気持ちよく了承してくれたのだが……。

 そういうだらしなさに対して怒鳴り込んで行くような気力はこの気弱オヤジにもあるのだが、やらなかったのは、まず間違いなく私たちがここに泊まることはもうないだろうという予感からだった。まだ日本から雲南省への直行便は昆明しかないから、これからもまだ何回かは泊まることはあるだろう。それでも今までのように常宿として連続何泊も世話になることはもうあるまいと思ったら、抗議する気がなくなってしまった。
 三日目。丸一日絶食の後、朝の八時に食事に出る。白い息を吐きつつ、勤めに出る男女が足早に歩いて行く。早朝の食堂の窓からはしゅーしゅーと白い湯気が噴き出している。元気な朝の風景だ。街の食堂は賑わっている。そんな一軒に入った。妻はラー油ぎとぎとの真っ赤なスープの麺。私は炒麺(やきそば)を頼んだ。相変わらず支那人は無愛想で態度が悪く、早くもうんざりして出たくなるが、丸二日ほとんど食っていないのだからと我慢して飯が来るのを待つ。妻のが先に来た。味見する。まずいがなんとか食える。私のも来た。これはひどかった。見た目はうまそうなやきそばなのだが、口をつけてみると塩の固まりを食っているよう。これが人間の食い物なのかと腹が立ち、二口食っただけで出てくる。妻が食い終るまで店の外で待つ。熱くなった頭を冷やすのに冷えた空気がちょうどいい。
 なんとか半分ぐらいは食べたようだ。彼女も私につきあい、昨日ほとんど食べていないので食べてもらわないと困る。やはり不味かったといっている。まずい中国の飯も、なんとかがまんして食べるようにしているのだが、これはちょっとひどかった。
 その日の午後、北京に飛んだ。航空券を手に入れるまでのいきさつは別項で書く。

「同胞のありがたさ」

 中国海南航空。これってちょっと奇妙な感じがした。なんで海南島が本拠地の海南航空なんだろう。日本で喩えるなら、沖縄から東京に飛ぶのに、四国航空(そんなのないけど)に乗るような感覚だ。

 ここの機内食もまずくて食えなかった。同じく異常にしょっぱいのである。思えば今まで云南に行くのはいつもバンコクやチェンマイ経由だった。TGやバンコクエアウェイである。近距離だったので食事といってもサンドウィッチぐらいだった。まともな中国機の機内食を食うのは今回が初めての経験になる。成田から北京、北京昆明往復、三度食ったがあまりにまずい。

 北京に着く。さてどこに泊まろうとなる。北京空港から街中まではタクシーだと高速代を含めて130元ほどかかるとガイドブックには書いてある。(註)。2000円だ。
 成田よりは遙かに近いが、それでも20キロは離れているから高速を飛ばすことになる。
 もったいないので16元のリムジンバスに乗る。これに乗るには行く先のホテルの名を告げねばならない。適当な有名ホテルの名を言って乗り、街中で降りた。ここからホテル探しだ。

 『地球の歩き方』の北京の項目の所だけ破って持ってきた。その中のいちばんの安宿に向かってもらう。安宿といっても200元だからそれなりだ。こちらの労働原価を考えたら決して安くはない。『地球の歩き方』は読者からの抗議を考慮してあまり安宿は載せない。一見バックパッカー向きの本のようでいて、実はそれなりの金を持っている連中のものでもある。まあ日本のバックパッカーは裕福だけど。

 掲載されていたいちばん安いそこまではるばるタクシーで行ったら潰れていた。廃墟(笑)。これは初めての経験になる。まいった。

 四角い北京の街を、右上角から左下角まで移動した。チェンマイだと同じ事をしても5キロぐらいだが、ここでは30キロだ。もっとか? あっと言う間に100元オーヴァー。中国は広い。この後も広い北京でのタクシー代では苦労することになる。

 タクシーの運転手に安宿の紹介をお願いし、なんとか170元のホテルにたどり着く。西双版納なら30元もしないようなひどいところだった。もちろんバスタブなどない。これが首都の物価の高さなのだろう。それでもさすがに全室暖房になっていた。でなきゃ凍え死ぬ。ヨーロッパでおなじみの循環するパイプの湯で温めるあの形式である。これはじんわりと暖かく気持ちがいい。エアコンのように空気が乾かないので鼻や喉にもいい。
 凍結した道路を、転ばないようにそろそろと歩きつつ、近所の食堂に行く。空腹だ。朝から、いや昨日からなにも食っていない。
 いきなりバサっと目の前にメニューが投げられた。支那人はこれをやる。ホテルでもフロントがキーを投げて寄越す。どこでもなんでも客に対してものを投げる。それを失礼とは思っていない。日本人は、食堂で目の前にメニューを投げ出されたら、なんと無礼な店員だろうと思ってしまう。しかしそれを感じていない相手に腹立ってもしょうがない。それを無視しないとこの国では暮らせない。

 いつものよう、四品ほどの料理とビールを頼んだ。これで毎回35元とかそんな感じ。日本円で500円ほどの食事になる。中国では十分に贅沢だ。といって満足できる店はそうはなく、行きなれた昆明や景洪ではやっと見つけた気持ちよく食べられる店数店に日参している。それでも不満だらけだ。

 ひどい店だった。水餃子がしょっぱくて食えない。同じくまた凝りもせずに頼んだやきそばがしょっぱくて食えない。共に見た目はうまそうであり、盛りも満点なのだが、なぜにこんな濃い味つけなのか。結局水餃子を二個、やきそばをひとくち、チンジャオロースをひとくち食っただけで出てきた。あまりのまずさに空腹感がおどろいてひっこんでしまった。妻のためにとった魚の火鍋を、それなりに妻が気に入ったようなので安心した。

 まだ開いていた路上の果物屋で、リンゴや蜜柑を買ってくる。部屋でそれを食べ、塩せんべいに緑茶で飢えを凌いだ。とはいえ、三日間でほぼ何も食っていないのにそれほどの空腹感はない。もしも本当にせっぱ詰まっていたなら、どんなにしょっぱくても、食い物ではあるのだから食ったはずなのである。食ってはいないが私の体力はまだ持つ段階にあるのだろうと解釈して眠りについた。

 後日わかったことだが、気の毒だったのは私につきあった妻で、空腹で眠れない彼女は、私が眠った後、ウイスキーのつまみ用にと日本から持参した菓子類(グリコのポッキー等)を、深夜にむさぼり食ったらしい(笑)。数日後に私が菓子類が減っていると気づき問うたら白状した。大切な菓子類を食われてしまったと腹立つよりも、深夜に空腹で眠れず、それをむさぼり食う彼女のみっともない姿(寝ている私が目を覚まさないようそっとだったはすだ)を想像し、なんとも申し訳ない気分になった。普段の彼女は朝早く起きて一日三食食って働く百姓娘である。私は昼夜が逆転していて一日二食、ひどいときには一食だけの変則人間だ。私につきあったら彼女が体調を崩してしまう。だから私にかまわず飯を食いに出ろと言っているのだが、彼女はひとりでは出かけない。かといって私が彼女につきあってきちんと三食食うのもそれはそれで難儀なのである。むずかしい。

←領事部のある南銀大厦。リッパですわ

 翌日、北京大使館に出かけた。メモしてきた場所にタクシーで出かけたのだが、そこは純粋な大使館であり、査証等を受けつける領事部は別にあった。そこからまたタクシーで移動することになる。旅行経験的にはかなり間抜けなことをやっている。これが本人認めるところの「旅の資質がない」なのである。一応これぐらい旅行経験があったら、まともな人ならこんな初歩的ミスはしないと思う(笑)。と「(笑)」でごまかす。

 それにしてもこの「北京の大使館街」というのは異様な雰囲気だった。地図で調べると、北京語では「外国使館区」と言うらしい。スパイ天国と呼ばれる日本のそれは腑抜けなものだが、ここにはピンと張りつめた緊張感があった。
 警備兵は軍からの派遣なのだろうか。いわゆる街のガードマンとは服装は似ていても顔の険しさが違う。軍服(のようなもの)を着て、小銃も持っている。私は近づいただけで誰何され、パスポートの提出を求められた。人通りはまったくない。いい気持ちのものではない。
 瀋陽の日本領事館に亡命で飛び込んだ北朝鮮人のシーンを思い出した。必死にそれを阻止する支那人の衛兵と、しばらくしてから出てきて、のんびりとその帽子を拾ってやる領事館員の姿を。

 領事部に行かねばならないのに大使館に行ってしまったのは失敗である。私のメモミスになる。が、この失敗は成功だったと後で知る。ここの衛兵から領事部の地図をもらい、タクシーでそこに向かって用事を済ませることが出来た。
 かなり遠かった。最初からそこに向かっていれば手早く済んだのだが、後に調べたら私の持参した数年前の『地球の歩き方』に載っている領事部は引っ越していたのである。古い情報だった。気をつけなければならない。果たして元領事部のあったビルに行ったら、そこには引っ越し先を明示した案内図はあったのであろうか。常識的にあったとは思うが、いずれにせよ二度手間は避けられなかった。気持ち悪い大使館街を見られただけでよしとしよう。さすがに写真は撮れなかった。百聞は一見に如かずで写真が一枚あればそれだけで雪に覆われた大使館の、雪とは無関係の冷たさが伝わるのだが……。

 上記のなんてことない南銀大厦(=Beijin Silver Tower)の写真も入り口附近で撮ろうとしたらガードマンが飛んできて止められた。これは後日に道路越しに撮ったものである。
 午前中に申請書類をもらい午後から提出である。それまでに写真を撮ったり戸籍簿をコピーしたりして準備をする。空腹だ。タクシーの中からマクドナルドやケンタッキー・フライド・チキン(以下KFC)を見かけていたので、なんとかして行きたいと思っていた。しかし北京は広い。わざわざタクシーに乗ってアメリカのジャンクフードを食いに行くというのもバカの見本である。迷う。

 彼女の証明書用の写真を撮る。日本側は「背景は白にすること」と細かく規定しているのだが、中国でこの種の写真を撮るとまず背景はカラーである。私たちの結婚証書用の写真なんて背景は赤だ。赤はめでたいからだろう。皆そうである。結婚証明書用の写真をと言ったら赤バックが用意されたのだ。

 写真屋にあった証明写真の見本も背景は明るいブルーになっている。中国一般がこれならこれで問題はないと思うのだが、インターネットで確認しThinkPadに入れてきた大使館のファイルには「背景は白にすること」としつこいほどに書いてあるのだ。そんなことで撥ねられたくはないのでカメラマンにそれを主張する。妻の上着が白っぽく背景と共にトんでしまうので、黒い服をとか言われ、私の黒っぽいセーターを脱いで妻に着せるとか、いくつもドタバタがあった。料金も5元上乗せの特別になった。

 ほっとして店を出ると、そこにマクドナルドがあった。なんという幸甚であろう。行きたくはあるがタクシーに乗って行くのもちょっとと逡巡していただけにちょうどいい。
 わくわくしつつ、スキップしながら入っていった。
 食の本場と言われる中国で、舌の貧しいアメリカ人の、しかもジャンクフードであるハンバーガーなんぞを楽しみに食べに行ったとなったら──しかも値段は高いのだ──その人の見識と舌の感覚を疑われるであろう。私はハンバーガーなど好きではない。マクドナルドに入ったのは、この十年で三回ぐらいか。それも人に誘われたり、待ち合わせ場所に窮したりした非常の時だ。近年では私の田舎町にまで進出してきたが入ったことはない。

 それでもこの時のマクドナルドは、私には地獄に佛と思えたものだった。中国のしょっぱくて食えないまずい料理に辟易していたから、日本と同じ味のあのフィレオ・フィッシュが食えるのかと想像しただけで口の中は生唾でいっぱいになった。単に芋を揚げただけのフライドポテトも極上の最高級料理に思えた。三日間ほぼ絶食だった胃が急速に動き出した。腹が鳴った。耐えきれないほどの空腹感がオクラホマ・スタンビートとなって押し寄せてきた。心はもう子牛の焼き印押しである。

 店内には一切の英語がなかった。すべて漢字表示だ。私はフィレオ・フィッシュ・セットが2番にあることを素早く確認した。店内にはいい匂いが満ちている。腹がぐうとなる。
 無愛想な支那人ネーチャンが私の前に来る。あのうるさいほどいらないものまで勧めるマクドナルド流サーヴィスも中国では中国流になる。笑顔はない。いらっしゃいませもない。ありがとうございましたもまたのおこしをもない。無愛想な、テメー、なにしに来やがったという眼(ガン)をつけてくる目つきの悪さだ。

「フィレオ・フィッシュ・セット、プリーズ」と言った。眼をつけてきていたふてくされ支那人ネーチャンが、びくっとして、引いた。急に気弱な顔になり隣のネーチャンを突っつく。あんた、いきなさいよと言っている。私は同じ事をもう一度言った。通じない。四人のネーチャン達は硬直し、あんたいきなさいよ、あたしやだよ、あんたいきなよと、横一列に並んだまま、肘打ち攻撃を繰り返している。それはそれで微笑ましい。でも今はそんなときではない。私はもう一度大きな声で、「フィレオ・フィッシュ・セット、プリーズ」と言った。何事か異常事態が発生していると判断したのか、男の店長が飛んできた。大声で私にわめき立てる。早口の中国語で何を言っているかわからない。まるで「きさま、おれの店でなんてことしやがるんだ!」と怒鳴っているようである。相変わらずフィレオ・フィッシュとかセット・ナンバーツゥー、プリーズとか言っていた私は、彼の剣幕に釣られて思わず「二番だ、二番、あれをくれ!」と壁のメニューを指さしつつ日本語で叫んでいた。これで通じた。なんだかなあ(笑)。


 中国やタイのマクドナルドでは客は自分で片づけない。食いっぱなしである。よって片づけ専門の店員がいる。日本の習慣で自分で片づけていたら、こういう女店員がとんできて、謝々と言われた。







 先日読んだ週刊誌に、「2008年の北京オリンピックに向け、今や北京や上海ではたいへんな英語ブームとなり、ノバのような大手英会話学校も進出した、タクシーに乗っていると運ちゃんが英語で話しかけてくる、その間もずっと英会話テープを流して勉強していた、すごい英語熱である」なんて載っていたが、ほんまかいな、である。北京の街中でハンバーガーひとつ食えやしない。

 そうして! なんと中国のフィレオ・フィッシュは日本とまったく同じ味だったのである。ああ、なんとうまかったことだろう、この世にこんなうまいものがあったのか、と思った。揚げたてのフライドポテトのうまさ。ケチャップとのコラボレーションの絶妙さよ。三日間死んでいた私の胃は、活き活きと活動を始め、私はものを食う楽しみと生きている喜びをしみじみと味わったのだった。ありがとうマクドナルド、謝々、麦当蒡。フィレオフィッシュを二つ、フライドポテトを残さず平らげました。妻に食後のアイスクリームをプレゼント。

 この時の、私の英語(といってもフィレオ・フィッシュ・セット、プリーズだけだが)にびびった支那人ネーチャンの様子は、よほど妻にはおもしろかったようで、その後もその種の店に行くと、英語で話しかけてみろとしきりにけしかけてくるのだった(笑)。



 チェンマイの『サクラ』のパパは、初めてチェンマイに行ったとき、日本食はないし、タイ料理はまずくて食えないしでほとほと困ったという。ナイトバザーにモスバーガーを見つけ、しばらくの間それで飢えを凌いでいたそうな。まだマクドナルドは出店していなかった。パパはタイ料理は一切ダメである。日本食堂『サクラ』とは、すなわちパパ自身のための出店でもあった。

 私はこの話を聞いたとき、「おいしいタイ料理があるのになぜ?」と思ったものだった。拙文を読んで同じ事を思う人もいるだろう。「おいしい中国料理があるのになぜ?」と。私としては「中国料理はまずい」と、それしか言えない。よって私にはタイ料理を不味いというパパを責める資格はないことになる。

 このことに関しては譲らねばならないことも自覚している。まずいのではなく単に私に「合わない」のだと。
 なぜなら私が一口口にしただけで吐き出した塩の固まりのような海南航空のまずい機内食も、あっと言う間にきれいに平らげお代わりをしていた支那人がいっぱいいたからである。そのことでも支那人のエネルギーを見直した。
 機内食をお代わりする人というのは何度か目にしたことがあるが、あれほど多くの人間が一斉にお代わりし、スチュワーデスがあわただしく配って歩き、それをまた瞬く間に平らげるという光景は初めてだった。三十食ぐらいはあったろう。隣のおばちゃんなど、お代わりの分まで舐めるようにきれいに平らげていた。だからまずいのではない。味つけが私に合わないのだ。それだけである。でもあまりに濃いあの味つけをうまいと思う日本人がいるのであろうか。私には信じられない。



 マクドナルドで味をしめ、この後発見したKFCにもスキップしつつ行ったのだが、これは外れ。味がタイと同じになっていた。コロモが厚く肉に辛みがついているのである。日本のとは味が違う。あれはなんなのだろう、どうしてあんなことをするのだろう、初めてタイのKFCに出かけたとき、ひどくがっかりしたものだった。中国も同じ。タイと同じ味つけだった。KFCは国によって味を変えるようである。


 私はマックは好きではないがKFCはそれなりに気に入っていて、たまに無性に食べたくなるときがある。同じく食事がまずくて困るイギリスで出会ったときは、今回のマックと同じ感激を味わった。ロンドンのKFCは日本と同じ味だった。おもしろかったのはフライドチキンは同じ味つけでもコールスローは違っていたことで、ずいぶんと酸っぱかった。イギリス人にはこんな味が受けるのかと思ったものだった。

 私はコールスローが好きである。というかフライドチキンを食べるときにだけ必ずペアで食べたくなる。中国のマックメニュにコールスローはあったが注文すると品切れだと言われた。何店かで同じ事を言われた。どうやら売れないから廃止したようなのだ。かわりにおいてあるらしいもっと何種類もの野菜が入った煮物(?)のようなものを勧められた。物は試しと食べてみる。私には合わず、うまくはなかったが、コールスローよりは食品としてはるかに凝った一品だったのは間違いない。単にキャベツの酢漬けであるコールスローなど、中国人は金を出してまで食わないのだろう。

 いまマックと書いて思い出した。大阪はたしかマクドと言うんだよね(笑)。で、マックと呼ぶ関東をかっこつけてると嫌うらしい。こっちからするとマクドの感覚のほうがすごいと思うんだけど。
 なおマクドナルドの当て字、麦当蒡は、妻が普通に読むと「まいたんらお」に、KFCの肯徳基は「くんとーちー」だそうである。智慧を絞って読む人にはそれぞれ英語っぽくマクドナルド、ケンタッキーと読めるのだろう。この辺、日本の暴走族の当て字とたいしてかわらない。コカコーラが「可口可楽」であるように。
(03/2/4 天津にて)






 これを書いたのは天津である。天津といえば天津甘栗だってんで、上記の「Back」も甘栗坊やにしてみたんだけど、案に相違して天津に甘栗はないのだった。知ってたけどね(笑)。

 近年バンコクの街角で、あの大鍋で石と一緒に炒っている薫りのいい天津甘栗を見かけることが多い。特に中華街ではそこいら中に進出している。あの味はタイでも受けるんだろうか。正直それほどの美味とも思わないのだが……。
 そしてついにチェンマイにも進出してきた。チェンマイ・ナイトバザーのアヌサーン・マーケット(白人観光客用スポット)の天津甘栗には、エラそーにあの石焼き大鍋の前に「撮影禁止」と書いてあった。誰がそんなもの撮るかいと思ったものだった。

 肝腎の金額を書き忘れたので簡単に。
 普通のハンバーガーが4.5元(80円)、私の好きなフィレオフィッシュは9.5元(160円)でした。どう控えめに見積もっても物価的に5倍は差があるので(10倍と書きたいところですが)これは800円はしていることになります。
 マクドルナルドでの支払いは妻と二人分で38元とか45元ぐらいでした。50元を超すこともあります。これは街中の庶民的食堂で食べるいつもの夕食が、四品から五品を取りビール大瓶二本を飲んで35元程度であることから考えても、かなり高いものと言えるでしょう。「お金がないからマックで我慢しよう」ではなく、「給料が入ったからマックにでも行くか」の感覚ですね。(03/2/7)

 マクドルナルドのメニューにフライドチキンがある。日本でもあるのかな? 私は知らない。ただこちらの場合は、よく並んで出店しているし、客の取り合いがたいへんだろうなとは思っていた。当然ライバルの商品も並べることになるわけだ。

 マックのフライドチキンの味がKFCと同じなのは確認していた。何度か食べている。そこで思った。「ではKFCにもハンバーガーがあるのか?」と。この時の感覚は「まさかね」だった。
 あまり好きではないこちらのKFCだがそれを確認するために、昨日入ってみた。マックはもう10回以上行っているがKFCは二度目である。詳しくない。

←北京ダックを使用したこういうオリジナルメニューを考え出してしまうのが支那人のすばらしさですね。これはこれでアイディアだけれど、北京ダックの店は街中にあふれているんだから、なにもKFCがここまでしなくてもいいと思う。いや違うか。それだけ北京ダック的な味に対する需要があるのだから、それらの客もとっちまえと考えるのか。
 それはそれでいいけどさ。ごくフツーのいつもと同じ味のケンタッキーフライドチキンを食べたい身には苦労の連続です。




 すると、なんとKFCでもメインメニューという感じでハンバーガーを売っていたのである。マックのフライドチキンも隠しメニューなどではなく5種類のハンバーガーの後にメイン商品として売り出されている。同じくKFCの場合はカウンター上部の大きな看板に6種類のお薦めセットメニューがあるのだが、そのうちの三つがハンバーガー絡みだった。これじゃ何屋だかわかりしゃしない。つまり両店はほとんど同じ店だった(笑)。確かな違いはマックがコカコーラでKFCがペプシだったことぐらいだ。(べつにコーラおたくじゃいないけど、この点はきっちり確認してきた。)

 KFCでフライドチキンを食べたとき、タイと同じ味つけでまずいと思った。マックでも食べてみたが同じ味だった。ハンバーガーは、私の好きなフィレオフィッシュはさすがにKFCにはない。何種類もハンバーガーはおいてあるが、いまのところこれに関してはマックのほうがうまいと私は判断した。いずれにせよ両店のメニューも味も値段もほとんど同じであり、中国においては両店には差がないと言える。
 どっちが先にライバルのメニューに手を出したのだろう。この経営形態は便利なのかごちゃまぜなのか。でも同じ味なら一店で済むというのは、旅行者としては楽である。(03/2/12)




KFCのことね

 その後、通えば通うほどに両店のあまりの類似に気づき、「これはほんとに同じ店ではないのか」と思うようになった。コカコーラとペプシ以外は、おどろくほど味も同じなのだ。マックのフライドチキンなんてKFCから仕込んできて売っているのではないかと思うほどだ。
 どなたか事情通がいて、「ああ、中国のあれは資本も材料もおなじですよ。同じところで作ってます」と教えてくれるとすべて丸く収まるのだが……。

 前記、マクドナルドの店員に「あのマニュアル通りのワンパターン押し売りがない」と書いたが、私の勘違いでちゃんとあるようだ。
 欲しいものを注文し、金を払おうと思ったら、メガネを掛けた貧相な男店員がなんかくどくどと言っている。合計金額を出してこないからいくらかもわからない。どうしたのだ、注文した品物がないのか、私の中国語に問題があり通じていないのか、くどくどと彼の繰り返していることに耳を傾けた。すると彼はそう仕込まれたのであろうマニュアル通りに、他の品物を勧めていたのだった。中国にもあったのである。

 ただしそこがお国柄で、日本のマクドナルドの娘がキャンキャン声でワンパターンに繰り返すのを聞くと壊れたテープレコーダー(のようなバカの一つ覚え)を思い出すが、中国だと男店員でも女店員でも、口調の激しさと目つきの悪さで、なんか因縁をつけてきたように感じるのである。こちらの落ち度を非難しているみたいなのだ。私は彼らに接しているとき、この国の事情を知らず無知な自分が致命的なミスをおかしてしまったのではないかと(たかがファーストフード店で致命的なミスもないものだが)焦ったものだった。なんのことはない、彼らは他の品はいらないかとしつこく勧めていたのである。

 たとえ壊れたリカちゃん人形みたいに同じ事を繰り返す日本のマクドナルドのバカっぽい娘でも、因縁つけられ恐喝されているみたいな中国男女よりはいいなあと思った。
 中国にいるといろんなものが見えてくる。倦怠期の夫婦なんてのも中国に行ってタンツバ吐きまくる眼つけ女を見ていれば、我が妻のおしとやかな魅力を見直すのではないか。
(註)北京空港から街中まではタクシーだと高速代を含めて130元ほどかかるとガイドブックには書いてある。について。
 
帰国日、タクシーで空港に向かった。ガイドブックにあったように「100元以上」を覚悟していた。とにかく北京は広いし、田舎者だと見くびられて引っ張り回されるから、タクシー代は高いことを覚悟していた。

 が高速代がプラス10元に、メーターは44元だった。合計で54元である。これならバス代二人分32元とたいしてかわらない。旅社の真ん前から6個の荷物を持った私たちにはむしろ割安である。その意外さがうれしくて思わず運転手に「つりはいらないよ」をやってしまった。60元で6元のチップ。

 私たちの泊まっていたのは、四角い市街地の右角にあり、その上方にある空港へは、市街地から一番近い一角だった。四角の左下のような離れた場所からだったら軽く100元は超すだろうし、ガイドブックの情報は間違いというわけでもないのだが、念のために実体験を附記しておく。

 一般にガイドブックは、購入者から苦情が来た時を考慮して、値段は全般的に高めに書いているようだ。誰でも思っていたより高かったら不快になるが、覚悟していたよりも安かったらうれしくなる。そう考えてのことだろう。
(03/2/19 日本にて)

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