北京天津秦皇島-日記
           同胞のありがたさ
              (航空券購入話)
       

         
                          (北京市内)


●ディスカウントの実態

 以下のような文章を『作業記録』に書いた。03年1月23日である。


《午後、旅行会社に電話して中国行きチケットを購入。出発は27日。
 それにしても、23日の午後に電話をして、あちらから詳細をFAXで送ってもらい、お金を銀行に振り込み、その振り込み証書をFAXであちらに送り、すると向こうから空港での交換証がFAXで送られてきて、夕方にはもう27日出発の海外への航空券が交渉成立である。なんとも便利な時代だ。最近FAXを使うことがほとんどないので、もういらないかと思っていたが、こういうやりとりをすると、まだまだ電子メイルではなく紙の信頼というものがあることを確認する。

 もちろんそれはチェンマイで中国査証を取得していたからである。それがないとこんなに素早くは出来ない。旅行会社も、チケットを売った相手が査証を持っていず入国できませんでしたでは目覚めが悪いのだろう、確認するからパスポートと査証のコピーを送ってくれと言う。旅行嫌いで、今までそんなこと(他国で取った査証で日本から入国)をしたことがなく、若干不安だったのも確か。これさいわいと送って確認してもらう。大丈夫のようだ。
 よって中国へは入れる。そこだけは確定した。

 成田と北京の往復航空券と、北京から昆明までの片道航空券がほぼ同じ値段なのには驚いた。気さくな社員(その訛りから中国人だろう)で、「チケット代は現地のものに三千円程度上乗せしたもの(=現地で買っても三千円安いだけ)」と内実を教えてくれる。中国での国内便はよく乗っていて、あちらで買うのはけっこうめんどうなのを知っていたから、その程度の上乗せで同日に移動できるのなら文句はないと購入。とにかく移動のためだけに北京に泊まりたくはない。北京空港から出たくない。そのことを考えると三千円は安いものだ。



 具体的な数字で書くと、成田・北京が往復38000円、北京・昆明が片道33000円だった。上記旅行会社社員の言葉を信じると、3000円上乗せして33000円なのだから、北京・昆明間の正規料金は片道30000円前後ということになる。かなり高くも感じるが正規料金で割引なしならこんなものだろう。
 それよりも日本で買った北京までの航空券が安いことに愕いた。中国東方航空である。昆明のようなマイナーな都市と比べて北京、上海は便数が多いからか、とんでもなく安いと感じた。その中でもいちばん安いのを選んだつもりだが、それにしても往復4万円以下は安い。それと比して中国国内線の料金はかなり高いが、それは国際線が安いからそう感じるのであり、社会主義国家中国の正規料金とはこんなものと納得すべきなのであろう。かな?

 中国の飛行機運賃は諸物価と比較して高い。むかしの日本と同じ感覚になる。金持ちは日常茶飯的に利用しており、庶民はただの一度も乗ったことがないという、そういう乗り物だ。たしかに、昔の日本において飛行機とはそういうものだった。乗ったことがない庶民だったから断言できる。今も庶民だが、飛行機のほうが庶民のものになった。

 云南省内の移動でも500元(8000円)ぐらいはすぐにかかる。特別な乗り物だからしかたない。こちらとしては便利で安いと思う。しかしそうして着いた町で、旅社で働く娘の月給が300元だったりするからすこし複雑な気分にもなる。
 それでも云南の場合は飛行機移動には抜群の価値がある。この「云南でじかめ日記」の何カ所かで書いているが、山だらけの云南では常軌を逸して移動に時間がかかる。羊腸した山道をだらだらと走り続ける以外移動手段がないからだ。その現実は、ちょっと知らない人には説明しがたいほどだ。一般に飛行機が縮める時間とは東京大阪クルマで6時間を1時間とかそんな感じだろう。平地では中国も同じだが、こと云南に関しては特別である。身近な例で言うと、今回妻が昆明までやって来るのに、(書類を作った大きな街の)思芽を出発したのが昼、昆明に着いたのが翌朝の5時である。バスで17時間かかっている。これが飛行機だと1時間だ。それだけ縮められる。云南は特別な場所になる。
←北京空港

 北京に午後二時に着いた。七時の昆明行きまで時間がある。これも日本で買うとき、三時ぐらいの便があったのだが、万が一遅れた場合乗れないからと、七時のを進められ、そりゃもっともだとこれにしたのだった。
 北京空港内で国内線のチケットを売っていた。私は昆明までの切符をすでに持っているが、カウンターに行き、持っていないふりをして値段を聞いた。さすがに一千万首都らしく商売熱心で、応対した若者がすぐに別室に案内して熱心に切符を売ろうとしてきた。値段を聞く。彼が下手な英語で応えた。「920元」。私は聞き直した。それじゃ安すぎる。15000円だ。おそらく1920元を920元と間違えて言っているのだろう。そう思った。再び彼は言う。920元。
 こんがらがった。あした買いに来るからと適当にごまかしてその部屋を出る。彼はそれでも熱心にテレフォンカードはいらないかと声をかけてきた。

 空港内の喫茶室に入る。高い。これには愕いた。もっとも一般的であるらしい飲み物類が56元。900円である。私はいちばん安いのを探して頼んだ。それでも36元。500円だ。即金方式。相席になった白人は、オレンジジュースにサンドイッチと中国茶で140元(2000円)を払っていた。中国の物価を考えたらとんでもない値段である。まるで東京、ニューヨーク並みだ。それが北京のプライドか。
 それにしてもこの目の前の、ちょいと知的な風貌の白人、五十代か、ドイツのインテリって感じの男、真冬の北京で半袖シャツである。白人が寒さに強いのは有名だが、すごすぎる。

 カフェオーレを飲みつつ考えた。これは高いだけあってなかなかうまかった。
 もしも彼の言う920元が間違いでないとしたら、私は日本の旅行会社にだまされたことになる。だまされたは大げさだけれど、33000円はないだろう。920元は15000円である。半額だ。3000円上乗せどころではない。「気さくな社員が」なんて信じていたら大間抜けになる。
 地図を広げる。東京・北京と北京・昆明の距離は同じぐらいだ。東京・北京が往復で38000円、北京・昆明が片道で33000円。往復ならともかく、これはやはり高い。ぼられたか……。

 中国にもディスカウントチケットがあると聞いていた。自由主義の激烈な競争時代に入り、今じゃ三割引、四割引はあたりまえだとも。
 国内便は今までにも雲南省で何度も乗っている。いつも航空会社のカウンターで正規料金で買っていた。あれも街中で探せば安売りチケットがあったのだろうか。500元程度(=1万円以下)の近距離が多かったからこだわらなかったけれど……。
 彼の言う920元が本当だとしたらそれはディスカウントチケットになる。しかも売っているのは空港のカウンターだ。インターネットで見た北京・昆明の正規チケット料金は1950元だった。1元が16円だから31000円ぐらいか。私が日本で買った手数料を上乗せしての33000円は妥当な値段だと思っていた。もしもそれが920元で買えるとしたら15000円だから一気に半額になる。33000円で買ってきた私は大バカである。

 だけど日本で買ったチケットの値段は安心料としてあきらめられる。あきらめている。いくら北京空港内でチケットが買えて、それが日本で買うのよりもずっと安かったとしても、それは結果論だ。もしも満席だったなら、ここから市内までタクシーで行って一泊せねばならない。単に乗り継ぎのためにだ。どんなに節約しても、それだけで500や800ぐらいは出てしまう。それに費やす時間と出費を考えたらこれは価値のある値段だ。なによりもチケットを持っているという「安心料」の価値は抜群だ。

 それよりも昆明・北京が本当に920元で買えるなら、妻と二人で昆明から北京まで二人分30000円で来られることになる。最低でも60000円の出費を覚悟していたから、ここで浮く30000円は後々のことを考えるとだいぶ助かる。明日は昆明で格安チケット探しをしよう。

 二階の喫茶店から見下ろす一階の待合室から、団体客が移動し椅子が空いた。どこでもここでも中国の椅子は木の硬座が多く長時間坐るのは辛いのだが、さすがに首都の空港だからクッション附きのソファである。今なら座れる。あれなら眠れる。徹夜で来たから疲れが出ていた。出発まで少し居眠りをしよう。私は喫茶室を出て一階に向かった。

●中国関係の冷たさ

 こちらに来る前、ネット嫌いの私としてはかなり熱心に下調べをした。あれだけ苦労してやっと手に入れた在留許可証である。最後の最後にケアレスミスで来日できなかったでは泣くに泣けない。なにしろ切符を購入しようとしていた前日に「雲南省在住者の査証申請は広東の領事館ではダメ。北京大使館でのみ」と気づいたぐらいだから、あちこちがそこはかとなく危うい。冷や汗が出たものだった。
 そのこともあり、出発までの数日間はくどいほど中国関係のホームページを閲覧して体験者の話を読んだ。それでもどうしても解らないのが「どうすれば中国国内で格安航空券が買えるか」だった。

 それで私は、何カ所かの中国関係のホームページや掲示板で「教えてください」をやった。「中国にも格安チケットはある」というのは確からしい。しかしどこを探してもネット上に具体的な記述はみつからない。だったら教えてもらうしかない。公開の質問である。今更こんなかっこわるいことはしたくなかったがなんとも不安だったから恥を忍んで諸先輩に情報を求めた。教えてもらうのだから礼を尽くさねばならない。「これこれこういう経緯でやっと妻が来日できることになりました。今回迎えに行き二人で日本に来ます。中国にも格安チケットがあると聞きました。それは正規よりどれぐらい安いものなのでしょうか。街中の旅行会社で買えるのでしょうか。経験したかたがいたら教えてください。どうかよろしくお願いします」とこちら側の事情を書き丁寧に質問した。
 その結果。反応は、いやはやひどいものだった。いちばん多かったのは「そんなことテメーで調べろ、ば~か」というパターン。これはまあインターネットの常でもある。覚悟していた。そのことには傷ついていない。不快なのはむしろ丁寧なイヤミだった。たとえば「異国人と結婚したあなたはこれからもたいへんな苦労をしてゆくわけです。なのにこんなことを人に頼ってどうしますか。どうか自分で調べてください」なんてのがあった。なんでしょ、これは。そんなことは説教されなくても解っている。たくさん苦労をしてゆく覚悟は出来ている。今までもたっぷりとしてきた。させられてきた。だけどジャングルを抜けるのに誰もが毎回鉈を振るい、自分だけの道を切り開く必要もない。先人の歩いた道があるなら教えて欲しいと思っただけだ。教えてもらったなら、それを私も後輩に教える。そうしてそこが切り開いた人の名前を取って「何々道」と呼ばれるようになればそれでいいではないか。それはもったいぶって隠すことなのだろうか。それを教えてくれと言うのは甘えなのだろうか。この辺の感覚がわからない。

 わけのわからない返事もあった。上記の質問に対し「郷にいれば郷に従えで私は切符購入等、常に中国人の妻に任せています。それが妻と仲良くやるための最善の方法です。参考になったでしょうか」。思わず「ぜんぜんなりませんでした」と応答しようかと思った(笑)。知らないなら知らないって言えよ。それでいい。求めてるのは具体的記述だ。あんたんちの夫婦訓を尋いてるんじゃない。
 もっともこの人は、業者の主催する中国人とのお見合いパーティに大枚を払って結婚した人だった。その結婚がよほどうれしかったらしく、それをテーマにホームページを開き、妻と子供を自慢し、熱心にもてない日本人男に中国人女との見合い結婚を勧めている(といっても業者のダミーでもないようだ)。だからといって彼の言行を軽視するつもりもないのだが、この禅問答のような返事はひどい。それは、言われるままに大金を払ったそんな人に、賄賂社会の中国で一切のそれを拒み、田圃の中を匍匐前進するようにしてここまで来た私が意見を求めたことのほうが間違いだったのだろう。しかしまあ「中国人との結婚に関することで困っている人は何でも私に尋きなさい」みたいな態度でやっている人だから、激しく失望したのも確かだった。(帰国後、ここを覗いてみると、私の質問と彼の答が削除されていた。さすがに本人もあまりに意味がない答と思ったのだろう。)

 いちばん親切だった情報が「日本で買う正規料金よりすこし安かったと思います」なのだから話にならない。日系航空会社の正規料金が16万円だか18万だかとは確認していた。それを買いたくないからの質問だ。なにしろ日本の格安チケットなら38000円で買えるのである。同じものに16万円は払いたくない。
 思うような情報を得られず、私は最悪16万円程度の出費を覚悟して中国に向かった。なんとも気が重かった。日本人は筋を通したがる。私はその典型的な日本人である。誰もがどこでも16万なら納得する。だがまったく同じ飛行機で、同じ待遇なのに、日本で買えば38000円のものに16万円は払いたくない。それもまたそういう道行きを自分で選んだのだと言えばそれまでなのだが……。
 ところで、見知らぬ他人に智慧を借りようと頼ったのは私の甘えだが、そうしたのには理由がある。私が今までネット上で関わった「教えてください」はタイ関係だけだった。こういうことに関してタイ関係のホームページ、およびそこに出入りする人たちは皆やさしかったのである。
 タイ関係の人たちは全員親切すぎるほど親切だった。質問したら、すぐに誰かが「それはこうすればいいんです」と書き込んでやる。すぐに「こんな方法もありますよ」と情報が続き、さらには「私もそれをやったことがありますが、でもこれがいちばんだと思います」と新たにまた情報が寄せられる。その親切心は過剰とも言えるほどだった。
 私にとってネット上の質問と答はそういうものだった。礼儀正しく質問すれば、それに応じて教えてもらえる。的確な情報が寄せられる。タイ関係のホームページからそう学んだ。私もまた質問されたことには、かゆいところに手が届くように応える方だった。インターネットにおける善意を、それまでに経験したこと、自分のやってきたことから、私はそういうものと信じていた。

 甘かった。このことでもタイと中国は違うと知った。タイに惚れ込んでいる人たちは、タイがゆるやかで心優しいように、いい人たちが多いのだ。一方、あの中国が好きだなんて日本人は、これはまたこれで、そういう感覚の人たちなのだ。タイ好きと中国好きでは人種が違う。不快な経験だったがそれを学んだだけでも価値があったといえる。

 などと言えるのもすべてが解決した今だからで、当時はぬかるみでもがいている他人に石をぶつけて笑うようなこの感覚に、なんとも言えないため息が出たものだった。その作家のファンの質の悪さから、作家の作品まで嫌いになるというパターンがあるそうだが、これも同じだ。中国ファンの意地の悪さから、私はあらためてまた中国が嫌いになった。中国関係のホームページを覗くことなど二度とないだろう。

●昆明で格安チケットを買う!

 昆明の常宿である茶花賓館に航空券売り場がある。獨立したオフィスだ。すぐに発券してくれる。昆明ではいつもそこでチケットを買っていた。
 料金表は下記のようになる。北京までの正規料金は一人片道1610元(約26000円)。風邪をひいて寝込んでいるとき、妻にいつものこのオフィスに行ってもらった。値段調べである。安いチケットがあるか訊いてこいと頼んだ。そこでは、表にあるように「1610元」のみと応え、安い券はないとのことだった。



 いつもならその値で買っていた。日本で調べた「日本で買える中国国内便の値段一覧」で1950元だった(後記・註)のは間違いない。なら1610元は300元も安い。買ってしまおうか。
 しかし今回は北京で「北京・昆明920元」という数字を聞いている。昆明でもそれに近いものが必ずあるはずである。なければおかしい。そう確信していた。だがそれはどこにあるのか。
 まずは聞き込んでみようと旅行会社探しを始めた。茶花賓館から歩ける範囲を、かなり歩いたが見つからない。たしか昆明鉄道駅近辺で見かけた記憶がある。タクシーで駅前方面に向かった。

 とりあえず駅前方面にタクシーを走らせる。記憶通りそれらしき店を見かけたのでそこでタクシーを停めた。見渡すだけで何軒かがある。こっち方面に来たのは正解だった。初めての街でないことが珍しく役だった。茶花賓館にたどり着くまで、よくこの駅前近辺に泊まっていたのだ。これらの店の中でいちばん安いところで買おう。

 最初の店。間口二間ほどの小さな店だ。女係員が数人、旧式のパソコンがあるのも茶花賓館内のオフィスと同じである。正規料金表が貼ってある。期待は出来ないか。
 北京までいくらだと尋ねたら1610元と正規料金を言う。安い会社のはないのかと問うと全社同じ値段だと応える。相変わらずの無愛想。とりつく島もない。けっこうきれいな顔立ちをしている。これで笑顔があったらそれなりなのに。もったいない。
 今までならそれで買った。そういう国でありそういうシステムなのだと思っていた。でも今回は情報がある。北京で920元と聞いてきている。1000元以下の安いチケットがあるはずなのだ。かといってそれがどこにあるのか、どうしたら買えるのかわからない。惑った。諦めてこの値段で買おうかと思った。二人分で52000円ぐらいか。この程度の出費は覚悟してきている。

 それでも、もう何軒か当たってみようと思い直す。何ごとも投げやりな私にしては珍しい根性だった。というのは間もなく中国は春節(旧正月)に入る。北京の大使館も休みになる。査証申請は休み明けになるだろう。それまで昆明にあと一週間ぐらいは滞在せねばならない。時間はたっぷりとある。焦ることはない。
「高いなあ、もっと安いのはないの。ああ、ないの。じゃあいいや、ほかを探すよ」と言って店を出ようとした。可能な限り歩き回って探そうと思っていた。結論はそれからでいい。近辺に旅行会社は数軒見えている。まずはすべての店で尋ねてみよう。
 そう思って出ようとすると引き留められた。「わかったわかった、ちょっと待て」と女社員が呼び止めている。大きめの電卓を叩き数字を掲示してくる。975元。いきなり安くなった。4割引の値だ。しかも航空会社は同じ。今まで1610元だったものがいきなり975元になった。

 なんともたまらない気持ちになった。つまり、中国に於ける格安チケットとは、どこか秘密の店にあるのではなく、目の前の、普通のチケット屋のいたるところにあったのである。言い値で買うヤツには正規値段の1610元で売り、高いな、よそで買うぞという客には、わかったわかったと値引く、それが彼らの商法だった。今までもそれをやればもっと安く買えていたのだろう。正に「正直者は馬鹿を見る」の世界だった。

 上掲した航空券の値段表は、街中でくれるカードである。キャッチセールスよろしく私のような異国人を見かけると青年やおばちゃんがやってきて航空券はどうかとこれを渡して迫ってくるのだ。いくらかと問えば正規値段を言う。だったらどこで買っても同じと、しつこくつきまとう彼らを振りきり、いつもの茶花賓館のオフィスで買ってきた。彼らの場合も、安かったら買うゾ、いくらなのだ、値引きしろヨと交渉すれば同じように値段を下げたのだろう。

 時間が前後するが、航空券を買ってからそれを試してみた。当たっていた。彼らはこちらが本当に買う気があると知ると、携帯電話でオフィスに電話を入れ、確認を取って、同じく4割引の値段を掲示してきたのである。さらなる値引きも可能だったろう。どこも975元だったが北京と同じく920ぐらいまでは下げられたはずだ。すでに航空券を持っていたのでそこで交渉を打ち切ったが、路上を100メートル以上も食い下がってきた。だったら最初から「値引きするからどうだ」と言っていれば、今までにも何度も買っていたのにと思う。それをしないことによって彼らは人のいい客を逃してきた。これもお国柄の差だ。

 知ってしまえばあまりに簡単な手品の種を見たような拍子抜けとか、今までさんざん無駄金を捨ててきた悔しさとか、無知なヤツからは遠慮なくむしり取るあざとさへの感嘆とか、そんなことにすら気づかなかった自分への怒りとか、いくつもの感情が渦巻いたが、図抜けて強かったのは「これで目処が立った」という喜びだった。国内線チケットを4割引で買えた。なら国際線もなんとかなるだろう。その安心感がいちばん大きかった。
 北京までのんびりと汽車の旅をしようかとも思っていた。いくら軟座の寝台車が高いといっても(『地球の歩き方』によると航空券と同じ値段)北京まで二人で60000円はかからないだろう。正規航空運賃を嫌ってそれにしようかとも思っていた。そんな気持ちはふっとんでいた。4割引で買えたうれしさから、私は希望を胸に、一週間いるはずだった茶半賓館をさっさと引き払い、その日の内に意気揚々と北京へと飛んだのだった。


●チケット屋が見つからない!


↑北京繁華街

 二週間後。
 天津、秦皇島での日々を過ごし、無事北京の日本大使館領事部で査証を受け取った。
 いよいよ残すは日本へのチケット購入のみである。昆明での体験から自信満々だった。北京街中のチケットを取り扱っている旅行会社に行き、掲示される正規料金を値切ればいいのである。簡単に出来ると思っていた。

 朝、10時。タクシーに乗り、どこでもいいから街中の旅行会社に行ってくれと言う。タクシー運転手は考え込む。妻が通訳して説明する。しかしこれが難しい。なにしろ妻の頭には、正規料金とか格安チケットとかの概念はない。タクシー運転手にもないだろう。二人の会話に不安になる。妻はたくさんの言葉を話し、運転手もそれ以上に多くの言葉を返している。雄弁な会話だ。だが不毛な気もする(笑)。二人は知らないことを話し合っているのだ。
 私は、とにかく大きな店構えの旅行会社に行ってくれと頼んだ。妻と話し合っていた運ちゃんは、やがて、わかった、まかしておけと自信満々に走り出した。

 かなり走る。ほんとにもう北京は広く、タクシーの基本料金は10元(160円)と日本よりもずっと安いのだけれど、すぐに30元、50元となり、それでいてどこを走っているのか、どこまで走るのかわからないのだから、かなり不安になってくる。
 結局この日、チケットを探し求めてタクシーに9回乗った。目的地と思われるところまで行き、当てが外れ、またタクシーに乗る。予定した目的地に着く。しかしそれがまた外れてすぐにタクシーに、ということの繰り返しにはかなり疲れ、苛立った。それでも費用は総額5000円程度だから、日本ですこし長い距離を一回乗ったぐらいなのだが、小心者が一日に9回もタクシーに乗って空回りするのは精神衛生上ヒジョーによくない。地方には月給5000円の雑用係の娘はいっぱいいるわけで、日本円的には一日にタクシー代を5万円使ったぐらいの感覚になる。

 タクシー運ちゃんが自信満々に連れて行ってくれ、妻もここだここだと納得し、料金を払ったタクシーが走り去ってから、そこを見上げた私は、すぐに「ここじゃないだろうよ」と妻に文句を言うことになる。そこは「民航集票所」だったか、そんな名前の今までにも他の街で何度も出入りしていた場所だった。要するに正規運賃の、日本で言うなら航空会社のオフィスなのである。いくらなんでもここでは格安チケットは買えないだろう。
 それでもせっかくタクシーで乗りつけたのだから正規運賃を聞いておくだけでも悪くはないかととりあえず入ってみる。今回私の利用している中国東方航空のカウンターがあった。妻には私と同じ航空会社の同じ便に乗ってもらわないと困る。

 カウンターには紺の制服を着た中国娘が二人おり、各種カードのマークもあった。ダイナースもあったのでいざとなったら高くてもこれで買って帰るかと安心する。
 英語が全く通じない。いやはやなんとも。国際便のチケットを扱う航空会社の出先機関なのにまったく通じないのである。ほんとになあ、週刊誌の「北京・上海は今、たいへんな英語ブーム」って嘘ばっかだ。妻がいなかったらどうなっていただろう。

 ここで、片道2900元(約47000円)、往復4900元(約79000円)と聞く。カードで買えるし、8万円なら許容できる額である。面倒なのでもう買ってしまおうかと思う。出発前にインターネットで応えてくれた人(「正規料金は日本より安かったように思います」等)はこれを買ってきたのだろう。ほぼ買う気でいたのだが、ここでまたむくむくと「でも日本で往復4万円以下で買ってきたのだ。こちらにも同じ値段のがあるのでは」というスケベ心が湧き上がり、ここを出る。それでも「いざとなったらこれを買えばいい」と思えたのは収穫だった。あ、いま思い出した。ここの女に「もっと安いのをよそで探す」と言ったら、「どこに行っても安いチケットはないよ」と捨てぜりふを言われたのだった。捨てぜりふという解釈も安いのを買えた今だから振り返られることで、このときは「中国には格安チケットはないのか!?」と不安になった。

 さてそれからがたいへんだった。まずはその近辺を一時間以上歩き回ったが、旅行会社等は何も見つからないのである。身を切るように風が冷たい。耳などちぎれそうである。
 それらしき情報を得てタクシーに乗ったが、いっこうに思うような目的地に着けない。

 そういう店があるだろうと目星をつけ、繁華街に行き歩き回っても見つからない。いやほんと、足が棒というぐらい歩き回った。なにしろ北京は広い。

 北京にはJTBのオフィスがあるはずだから、もう最後の手段、高いのは承知で(それでも正規よりは安いと期待した)そこに行こうかと思いつめたがタクシー運ちゃんに通じない。ほとほと困り果てた。

 自分の勘を頼りに、それらしき目立つ雑居オフィスビルに目を附け、「××国際旅行」とか「××旅遊公司」なんてテナントの看板を見つけては入って行くのだが、そういうところは中国人の金持ち団体旅行を仕切る会社のようで個人に格安チケットなど売ってはくれないようだった。埒があかない。それでも親切にコンピュータで値段を調べてくれたりする人に出会ったりして、支那人の親切に触れたから、決して悪いことばかりではなかったのだが……。

←このKFCの新メニューはそのとき撮ったのだった。

 一軒だけ見つけた旅行社で往復4200元と言われた。これだけでも先ほどの提示値段より一気に700元(1万円)下がったから、ここでもう買ってしまおうかと思う。たった半日の探索なのだが、根性無しはもうほとほと疲れていた。

 棒になった足をもどすため、ケンタッキー・フライド・チキンで休む。飯を食いつつ、そこで買うことを決断する。カードは通用しない。中国銀行まで両替に行かねばならない。

 4200元だから67000円ぐらい。こまごまと諸経費がかかって7万というところか。1万円安くなったのだから御の字だ。この1万円は日本的には5万円に匹敵する。日本の値段と比べたらまだ倍近いけど、この辺で妥協すべきだろう。

 中国銀行に行く。私はこれ用にとっておいた10万円を財布から引き出して窓口に並んだ。なんとか10万円以内で買いたいと目論んでいた。それ以上するならカードに頼るしかない。7万円で買えたから余った3万円を遊興費に回せる。これを友人への土産代にしよう。もういちどこれで御の字だとつぶやく。

●同胞のありがたさ

 繁華街にあるかなり大きな中国銀行だった。

 あ、ここで雑知識。中国ではいまのところ中国銀行という名の「中国銀行」でしか両替は出来ない。店構えは立派な中国工商銀行とか中国農業銀行とかいっぱいあるのだが、外国人の金を替えてくれるのはここだけである。そしてまた旅の常識である「空港での両替」が、田舎空港だと平然と閉まっていて出来ないことが多い。それでいてすべてに人民元しか通用しないから、土曜の夕方に景洪のような地方空港に着いたりすると途方に暮れることになる。

 中国のお金は、基本的に国外へ持ち出し禁止であり、国外では買えないお金でもある。よって中国に行く場合は、最低限のものを事前に用意するようにせねばならない。たとえば昆明や景洪に夕方着き、両替所が閉まっていたら(自由諸国のように両替カウンターがあるわけではない。国営のが一カ所あるだけである)タクシーにすら乗れないことになる。私は必ず次回のために、前回の金を残すようにしている。

 と書いていて、自分の言っている矛盾に気づく。私は、まったく中国元が無いときには両替所が開いていて、両替が出来た。閉まっていたときには、前回の金をいくらか持っていてタクシーに乗れた。そのあとに街中で両替が出来た。まったく持っていなくて困ったときには、持っている妻が迎えに来てくれていた。つまり、中国元を全く持っていなくて、さてどうしたかという真の苦労はしていないことになる。したくないけどさ。そんなときにはどうすればいいんでしょう。今はゼッタイに100元程度の金を次回のために残すようにしているので、経験しようもない。その意味じゃ役立たずサイトだね、ここは。すみません。

 いちおうの知識として、国外でもかなり率は悪いけど、中国元を買って行くことは出来る。中国に行く人は、100元(1600円)ぐらいの小銭を用意して行った方がよい。チェンマイですら人民元を買える店はあるのだから、たぶんどこでも買えるのだろう。意外に日本が買えなかったりするのかもしれない。

 コトバは必要に応じて覚えるものである。まずはその国の金が無くては動けない。前回に残しておいた小銭で、とりあえず街中まで行けたら、次は中国銀行で当座の金を両替せねばならない。「中国銀行はどこですか?=チュンゴーインハン、ツァイ、ナーリー?」というのは、私にとってかなり早く覚えた必然の中国語だった。

←香港の有名な高層ビル中国銀行。手前の建物。

 十個ほどもある窓口には数人ずつが並んでいる。イギリス式の──最近日本でも主流となった──待ち人が一団となり、空いた窓口に流れて行くキュー方式ではなく、それぞれが列になって順番を待つ形式だ。これだと運不運が出る。
 私は以前、緊急事態となって駆け込んだ新宿駅のトイレで、三つのドアに三人ずつ並んでいた真ん中を選んだら、両脇が順調に進んでいく中で自分の所だけがとんでもない長糞のヤツがいて遅々として進まず、しみじみと我が身の勘の悪さを呪ったことがある。三択ですらこのざまなのだから、馬券など当たるはずがないと、身もだえし脂汗を浮かべつつ思ったものだった。
 なことと比べたら、今回は時間もあるし、差し迫った状況ではない。気楽なものだ。

 ざっと全体を見渡した私は、ジーンズ姿の抜群に後ろ姿の美しい娘を見つけ、素早くサッとその後ろに並んだ。すけべおやじの鉄則である。どうせ列に並んで待つのなら、立ったままでも貧乏揺すりをしているような脂ぎった支那人おやじの後ろに並ぶより、険しい顔立ちに惹かれるものはないにせよ、若くて美しい娘の後ろがいいに決まっている。その娘は、背が165ぐらいある伸びやかな姿態をしていた。ハーフコートをまといジーンズ姿が決まっている。ふりかえったときちらっと顔が見えた。美人である。でもいかにも中国娘らしい眉を細くしたきつい面立ちだった。まあ顔も性格もどうでもいい。こちらは自分の番が来るまできれいな後ろ姿を見ているだけである。
 
 その娘の番になった。何ごとなのかけっこう時間が掛かっている。他の列より遅れ気味だ。隣の列が空き、誰もいなくなった。私はひょいと隣に移る。するとその向こうの列から、やはり空いたその列に移ろうとした娘がいて、タッチの差で私に遅れた。移り遅れて、また元の列にもどる。こんな時は誰でもかっこわるい。それをごまかすように彼女が言った。「ああん、また私だけ遅れちゃった。××ちゃんなんかもうずっと前に終っているのにぃ」
 日本語だった。

 私は窓口に10万円とパスポートを差し出す。先ほどまで私の前にいたスタイルのいい娘が、隣の窓口から嘆いている彼女に応える。「気にしない、気にしない。焦ることないよ」
 彼女らは日本人だったのだ。その地にいればすべて染まって行くのだろうか。ファッションも化粧も動作も姿態も、彼女らはどう見ても支那人だった。日本人なら、きつい顔立ちの抜群にスタイルのいい娘になる。
 もっとも彼女らにしても「日本人てこういうときノロいんだよねえ」などと、周囲に日本語が解るはずがないと思いこんで言いたい放題しているから、素早く隣の列に移った私を支那人おやじと判断していたようだった。私の出したパスポートと日本円を見て、ちょっとおどろいたような顔をしている。
 両替が終った。
 隣の窓口にいたスタイルのいい娘ももう用が済み、少し離れた場所で私との列取り争いに敗れて遅くなった娘を待っている。彼女らが日本人と知った後も、私は彼女たちを短期の旅行者だと解釈していた。自分と同類で何も知らないだろうと。だがそのいかにもこちらふうのファッションや化粧を見ている内、もしかしたらこちらに住んでいる留学生かも知れないと思い始めていた。なら力になってもらえるかも知れない。

 私はしばしの逡巡の後、先ほどのスタイルのいい娘の方に近寄って行き、思い切って声を掛けた。こんなこと普通の人には当然の行為なのだろうが、他者と接することが苦手な私にはこれでも大冒険なのである。
「すみません、あの、こちらにお住まいですか」
「はい、そうです」
「あの、実は格安チケットが買えなくて困っているんですが、どこかご存じじゃないでしょうか」
「あ、知ってますよ、いいとこあります。ええとね、『赤とんぼ』ってとこがあるんですよ」
 きつめの顔立ちとは違って、彼女はほがらかに応えてくれた。地獄で佛を見つけた。

 ここでもうひとりの娘も用事が済んだらしく、気さくに話に加わってきた。
「赤とんぼ? あたし電話番号知ってるよ」
 携帯電話を取りだして、番号を教えてくれる。手帳にメモした。
 彼女は手にしていた情報誌を、たしかここにもあったと思うんだけどと探してくれる。見つからなかったようだ。それでも電話番号があれば十分だ。
 場所を訊く。電話をすればチケットを届けてくれるとかで、行ったことはないと言う。それは慣れている人の場合だ。初めての私はオフィスまで行ってみようと思った。

「もう、いきなり『はい、赤とんぼです』って、日本語ですから。簡単で便利ですよ」
 ありがとう、たすかりましたと礼を言った後、簡単にこちらの事情を話し、あらためてまた本当に助かりました、ありがとうございますと私はもういちど頭を下げた。それは心からの感謝により、いわゆる最敬礼になった。若い娘二人に深々と頭を下げているおやじに、いったい何事かと支那人がけげんな顔をしつつ通り過ぎていく。
 ありがたかった。インターネットで力になってもらえなかった分、北京で出会った親切がうれしかった。

 スタイルのいい娘の後ろに並ぶというすけべ心がとんでもない幸運を招いてくれた。しかも空いた列に素早く移るという支那人的セコさが彼女らの日本語を引き出した。そのことによって運が開けた。
 たいしたことじゃない。それでも旅の資質のない私には、いくつもの偶然が重なって起きた忘れられない出来事となった。

●格安チケット、ゲット!

 ここからもまたこの『赤とんぼ』に、何度も電話で住所や目印を訊き、タクシーを乗り換えては近づくのだが、なかなかたどり着けないというけっこうおもしろいドタバタ(と言えるのも今だからなのだが)があるのだが、話をはしょって先を急ぐ。

 結果だけ言えば、これは左写真のような高層マンションの一室で、日本語を学んだ若者達がやっているヴェンチャービジネスだった。このマンションに行くのに苦労した。

 看板など出ていない。日本語を話せる娘達が室内で電話応対をし、日本語の話せない青年がバイクに乗ってチケットを宅配しているのである。窓口を設けないからこそ安くできるのだろう。こちらとしては大通りに看板を掲げている「旅行会社 赤とんぼ」を探しているのだから、見つけるのに苦労したのは当然だった。やたら厳しいマンションのガードマンを突破し、看板もない25階の一室にたどり着いたときにはもうへとへとになっていた。それでも笑顔の娘たちに、支那人とは思えないやさしい笑顔で、たいへんだったですね、寒かったでしょう、まずは熱いお茶でもと言われたら疲れが吹き飛んだ。

 私の欲する中国東方航空のチケットは3380元だった。先ほどの旅行社よりさらに800元安くなった。最初にここで買ってしまおうかと思ったところよりは1500元安くなっている。苦労は報われた。日本円に直すと54000円ほどになる。文句はない。
 5000円のタクシー代をかけて、24000円安のチケットにたどり着いたことになる。これはもう十万円以上の価値がある。要は値段ではない。こういう店の存在を知ったことである。次回からのことを思えば、また友人にこのことを教えられることを思えば、これは小さいけれど大きな進歩だった。

 四、五人の日本語を話せる女性スタッフが鳴り続ける電話を慌ただしく処理していた。ほとんどが日本語だ。たまに韓国語も混じる。英語はほとんど聞こえない。基本的に電話で契約し、男性スタッフがバイクで客の所まで行って商談をまとめるという形式なので、オフィスまで来る客はまずいないらしい。接客用の場所もない。だから看板も出ていなかった。これはこれで珍しい見学をしたと思うことにしよう。有名な店らしいから、北京在住の人で『赤とんぼ』でチケットを買った人は多いだろうが、オフィスに行った人はそうはいないはずである。

 スタッフとすこし世間話をした。何年もの苦労の末、やっと妻に査証が降りたのだというと、よかったですねえと心からの笑顔で祝ってくれて、柄にもなくじんとしてしまった。日本語ペラペラの彼女たち(きっと高学歴の金持ちの娘なのだろう)ですら、日本に行ってみたいけどヴィザが取れないと悩んでいた。そのことによってまた、妻が日本に行ける幸運、それを実現させた私への感謝を確認してくれたこともうれしかった。

 ひとつだけ冷や汗もの(お笑いものか?)の経験をしたのでメモしておこう。こちらではなくあちらのミスである。
 私たちの担当になったのは韓国語も話せる娘だった。私たちの応対中に電話がかかってきてわかったことだ。日本語以外に韓国語も話せるんですか、たいしたもんですねと褒めたら照れていた。上手な日本語を話せる彼女らの経歴はなんなのだろう。私にとっていちばん興味深いのはそのことになる。北京大学日本語学科のようなのが常識的な推測だが、そこまでもいっていないようだ。というのは、日本語は話せても英語はまったくダメだったりして、いくらなんでもそれは北京大学ではないと思うのである。これから話す失敗もそれに類する。

 契約はつつがなく終了し、翌々日に男性スタッフがホテルまでチケットを届けてくれるということになった。料金はそのときに払う。こちらを知ることが出来て幸運でしたと礼を言って辞すとき、最後に念のために契約書類、というかチケット発注のためのメモ書きのようなものを見せてもらった。これもおおざっぱな私には珍しい。私はそれじゃよろしくと言ってチェックせずに帰ってしまうタイプだ。面倒が起きてから確認しておけばよかったと悔やむ。今思う。このへんいくつもの偶然がいい形で出ている。

 航空会社の名前、出発日、便名、ひとつひとつ確認して行く。間違いない。Beijin Singleというヴィザの発行所と種類が書いてある。妻のヴィザは北京発行のシングルヴィザだ。それで妻の名前は……、あれ? ない。どういうことだろう。
 担当女性にそれを言う。すると彼女は「Beijin Single」の項を指さす。「これが奥さんの名前ですね」って、あ~た、そんな名前の人がおりまっかいな。あの、妻の名前はこれなんですけどとパスポートを開く。「すみません、英語は苦手なもので、わたし、なにか間違えましたか?」。たいへんなことを間違えてますよ、あなたは(笑)。

 彼女はパスポートから必要事項を書き写すとき、ヴィザの種類を妻の名前と間違えて書いたのだ。姓はBeijin、名はSingleである(笑)。北京がBeijinであることも知らなかったのだから、やはり北京大学じゃあないだろう。言うまでもなく航空券はパスポートの名前とチケットの名前が一致しないと搭乗できない。こんなチケットを発券されたらまた一悶着あるところだった。とはいえいくらなんでも中国東方航空も「Beijin Single」という名前の航空券は発券しなかったと思う。するか? もしも発券されたなら、その翌々日にホテルまで届けられたとき、これは違うとなり、再発行までまた時間を要するところだった。時間的餘裕をもって早め早めにやっているのでたいしたことにはならなかったろうが、時間のないときだったら致命的事件になったかも知れない。ま、今は笑い話だ。

 このオフィスにあったのが左の無料日本語情報誌『北京トコトコ』である。ここには『赤とんぼ』を始め、いくつかの格安チケット店の情報が載っていた。いちばん安いところでは日本までの往復で3300元というのがあった。どんどん自信の安売り数字を掲載しているから、正に自由主義経済である。JTBも広告を掲載していた。それらが3300で売る隣に同じものを5000以上の正規料金で並べていたが、それを買う人はいるのだろうか。

 最初にこの情報誌を手に入れていれば今回の苦労はなかった。と今になれば解るのだが、その時はそこまで智慧が回らなかった。掲載されていた日本語の地図もありがたかった。この地図でカルフールの位置を確認し、自分たちが今北京のどこにいるか、やっとわかったのだった。

 今回の私のお粗末な体験は、北京に商社マンの友人でもいればなんの不安もなく解決していたことである。いやそれ以前に、そんな友人がいればそもそも生じていない問題だった。いなくても、旅慣れている人なら、このような日本語情報誌の価値を熟知しているから、まずは日本食堂等からこれの入手を図ったろう。旅のスキルがない私は右往左往するだけだった。




 上は『北京トコトコ』に載っていた『赤とんぼ』の広告。日本語が通じるし、実に便利な店である。機会があったら利用してやってください。とにかくまあ結論としては、「日本語情報誌を手に入れること」ですね。これさえ手に入ればなんとでもなります。同胞のありがたさ、です。

 私は英語圏の国で、あるいはタイ語の国のタイで、なんの苦労もしてこなかったから、こういう「日本語のありがたさ」を知らなかった。今回のことから考えてみると、たとえばチェンマイの「日本語が通じるチケット屋」なんてのも、タイ語はもちろん英語も苦手な人には価値のあるものなのだろう。
 また浦野さんのやっている「ビアン・チェンマイ」や、そこに載っているチェンマイの地図なども、目をつぶってでもどこへでも行ける私は見ることもないが、初めての人には貴重なものなのだろう。そういうことに気づいただけでもいい経験をした。(と思うことにしよう)。

●ありがたさとくやしさと

 さてこの拙文で言いたかったのは、中国銀行で出会い、『赤とんぼ』の電話番号を教えてくれた美しい日本人の娘さん二人への感謝と、便利で役だってくれた無料情報誌『北京トコトコ』への感謝である。同胞の存在と心遣いへの御礼を書きたくてペンを執った。そして、ほんのすこしの情報ではあるが、自分の失敗談をベースに、同じ事をする人たちにこれらのことを伝えたいと思った。

 それを表のテーマとするなら、同じぐらいの重さの裏テーマとして、「中国関係ホームページの連中の冷たさ」がある。くやしさだ。今も思う。もしも誰かが「無料情報誌の『北京トコトコ』を手に入れるといいですよ。日本食堂などにおいてあります」とでも教えてくれればなんの苦労もなかったのである。そこまでいかなくても、「街のチケット屋で値切ればなんとかなります」でもよかった。だが返ってきたのは、前記のようなものばかりだったのである。

 ただ、今現在の私は、苦労は苦労でよかったと思っている。時が過ぎた日本で振り返れば、どんな苦労も微苦笑と共に旅のよき思い出だ。でもだからといって誰もにそれを押しつけたいとは断じて思わない。あれは無用な苦労だった。それは間違いない。

 もしも私と同じような環境の人が、「中国にも格安チケットはあるのですか。それはどうしたら買えるのですか」と質問してきたなら、私はここに書いたような自分の知っていることはすべて教えてあげたい。「テメーで調べな、ボケ」とはやらないし、それ以上に「自分で苦労してこそ」などと説教したりはしない。そう自分に言い聞かせることをこの項の結論としよう。(03/3/12 東京)


日本で調べた「日本で買える中国国内便の値段一覧」で1950元だった(註)
について。

 出発前にインターネットで調べた中国行き格安チケット、および中国国内便チケットを売る、ある旅行社が、ホームページに「中国国内線値段一覧」を掲げていた。前掲のカードと同じように一覧になっているそこには、北京・昆明が1950元とあり、「現在の中国元は1元16円程度です」となっていた。それで計算すると31200円になる。ここの旅行社の方針は「それに手数料として2000円上乗せして払ってもらう」ということである。

 これを読んで私は「北京・昆明の正規料金は1950元」と記憶した。よって自分の購入した「手数料をプラスしての33000円」に不満がなかったわけである。
 ただこのときもすこしだけ疑問に思ったことはあった。それはこの「中国国内便料金一覧表」がなぜか「2000年4月」のものだったのである。その料金表は「あくまでも参考値段」であり、それで確定しているわけではない。購入したいと願うお客様がだいたいの値段をご自分で確認してくださいという参考のための資料なのだ。そのために値段一覧と現在のレートが書いてある。でもなあ、なんとなく不自然ではある。「刻々と変る値段なんだからそんなに手抜きせず、せめて2002年4月の資料にしたらどうなんだ」とは思った。だってたしかに今の人民元は16円だけど、2000年当時は13円ぐらいだった。お金換算レートは最新のものなのだから、航空運賃表も最新のものにすべきだろう。なぜしないのだろう。2000年から値段は変っていないということか……。細かなことはどうでもいいズボラな私だけど、たしかにこの料金表の古さには、そのときなにかを感じたのである。

 今はこのセコい仕掛けがわかる。わざと高いときの値段表を出しているんだね。中国の航空会社は国営一社が民営六社に別れて競争激化した。値下げ競争になった。航空券の値段は下がっている。1950元から1610元まで下がっていることを知らせないよう、わざと古い値段表を載せているのである。高い料金を取りやすいようにだ。せこいわ(笑)。
 そうしてそこに私のような無知が電話をかけて来る。日本であらかじめ中国国内線のチケットを買ってゆこうとするようなヤツだから、中国語も話せないし、あちらの事情にも詳しくないからだましやすい。「だいたい今のレートで31200円です。これに手数料2000円で33200円、それに消費税で……」と言って売るわけだ。うまい。こちらとしては手数料2000円取るだけの良心的な商売だと思ってしまう。でも実際はこの値段で17000円ぐらい儲けているわけだ。安いのをまとめて買っているはずだからね。うまいやりかただ。うまいけど、やっぱりセコイ(笑)。

 これらの値段に対し、「不慣れな中国で、すでにチケットを持っている安心感は大きい。その安心料なのだから高いとは思わない」というのは私の本音である。それは今も変わらない。でも、わざと高い料金の時の古い一覧を載せているようなセコさは、ちょっとね。(03/3/21)



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