日記02冬
1/23(水)

 昨日の夕方、景洪着。雲南滞在一日目。正確には二日目だが。
 早速朝からホームページに取りかかる。
「イープン日記-旅の結果-02冬」を書き始める。「旅の準備-02冬」の結果篇である。日本で用意していった小物が旅先でどうなったかである。これはおもしろい。いくらでも書けるしね。

 ついで「清邁雑記帳-旅の必需品-壱」をアップする。これはだいぶ前に書いてあった文章だから、ホームページ作業も手慣れたこのごろなのでスイスイと完成。
 これをアップしたのは「旅の準備-02冬」がやたらリンクの多いペイジになったからだった。それは元々意図していたことだから、やっと自分らしい感覚になってきたとうれしいことなのだが、リンク先がほとんど工事中ではシャレにならない。せめて半分だけでも完成させようとリンク先の工事を始めた。帰国するまでには全部のリンクが可能になるはずだ。

 年賀状を書く。かなりズレているようだが、月遅れに雲南から書くのはここ数年の恒例である。
 ホテルのFAX番号が変っていたので、今から郵便局に行って日本にFAXし、出版社に知らせねばならない。「ホテルから出来るだろ、そのためのFAXだろ?」と思われるでしょうが、なんだかここのFAXは調子が悪く送るのは出来ないのである。受けるだけなのだ。前回それで間に合わなくなりひどい目にあった。

 それと、假に調子が良かったとしても、郵便局からの日本へのFAX代正規料金が16.5元(円安で一元はいま16円以上)であるのに対し三倍の値段を取るのである。その差30元は日本円では500円程度だが、昨夜のぼくら二人の食事、水餃子10個に丁丁炒麺(詳しくは『雲南でじかめ日記』で)、チンジャオロース、豆芽素炒(もやしいため)、ご飯、つけもの、大瓶ビール二本。地元の人がうらやましそうに見る豪華夕食がちょうど30元だから、これはバカにならない金額になる。

 ぼくにとってはどうでもいいことだが、こういうことにこだわるべきだと思うのである。郵便局まで片道10分ほど歩いて行き、そこからFAXを日本に送ると、ホテルからから送るより30元お金が浮く。それで美味しいものを食べる、うれしいなあ、得した気分だ、そんな感覚を捨ててしまうと、ほんとにもう旅は終りなのだ。まあぼくの場合はすでに終っているのだけど、それでもがんばってこれぐらいはまだこだわってみようと思うのである。せっかくここまで来ているのだから。

 「『お言葉ですが…』論考」「拉致の拉は引っ張るのラ」に、景洪で撮った「推」と「拉」の写真を追加。前々から入れようと計画していたがきょういいのを見つけた。おまけにかわいいぬいぐるみの「拉」まで写せた。こんなのは珍しい。中国が自由主義国家的サーヴィスに目覚めて来たということだろう。

 「清邁雑記帳」に「チェンマイの好き嫌い」をアップ。これもアップの理由は「旅の必需品」と同じ。『旅の準備』のリンクをすこしでも増やすため。

 夕方、週刊誌編集部と無事連絡が取れる。そのために泊まったこのホテルだが、これで安心して眠れる。すでに原稿はチェンマイから送ってあるので、後は明日の想定出馬で予想を送るだけだ。

 前々から時間があったらやろうと思っていた素材の整理を思い切ってきょうやってみた。サイトを開こうとしたら31メガになっていたからだ。このままではリミットの50メガになるのも時間の問題である。そして先日発見(?)したように、ぼくのこのサイトは、試行錯誤の素材も全部別名で保存してしまっているため、現在必要な素材だけにすれば、かなりスリムになるはずなのである。二時間かかったが、こまめに2kのgifや4kのLine、64kの写真を28k程度に圧縮して使用しているのに残ってしまっている64kの元の写真とかを削除していった。

 果たして結果はなんと16,5メガと半分近くに減ったのである。ぼくもこれぐらいのサイズのはずと思っていたから納得している。間違って消してしまった写真やgif、imageもあって、かなりのペイジがバグが出たようなひどい状態になっている。これらを修正するのは煩わしいが、それでもそれらを復活させても全体量は18メガぐらいだろう。今のぼくにはこのしちめんどくさい作業のわずらわしさよりも、31メガが18メガに目減りしたことのほうがうれしい。

 とはいえギリギリに減量しても16メガはあったわけだから、ニフティなどの貸与する10メガのリミットはとっくのむかしに超えていたことになる。月二千円程度のプロバイダーが利用者にくれるホームページ容量は10メガが標準で、中にはまだ5メガのところもある。大きなホームページを作っているつもりはないのだが、圧縮しているとはいえけっこう写真を使っているから、ぼくのホームページは、素人の作るものではけっこう大きなほうなのだろうか。
 ともあれ今を18メガとすれば、倍の36メガまではかなりのことが出来そうだ。この安心感は大きい。もしも整理して30メガあったならすでに6割を使ってしまったのだとやる気をなくすところだった。このあと修理に手を患わすことになるが、この安心感のほうをよしとしよう。
1/24(木)
 あちこちのペイジがボロボロになっている。写真やロゴが欠けている。でもそれは覚悟の上だし、なにしろ容量が半分になったのだから文句はない。昨日ときょうは送稿でバタバタするが、女房の家に行ってからはなにもすることがない。たっぷりとホームページ作りに時間を掛けられる。


 しかし、しかしだ! 毎度のことだが、移動に一日かかるのである。正確には二日だ。
 朝早く景洪を出、一日中悪路をバスに揺られ、最寄りの町に着くのが午後の七時。そこから妻の実家までは一時間だがもうバスがない。よってその町に泊まり、翌日の朝早く(なぜなら朝と夕にしかバスがないから)出発せねばならない。これだって二年前からバスが出来たからいいようなものの、以前は牛を運ぶトラックに乗せてもらってやっと行ったりした。牛のビチグソで服を汚したなんて毎度のことだ。牛のクソぐらいなんてことはないが、なんといってもこの丸一日オンボロバスに揺られるだけの時間がもったいなくてたまらない。そしてまた不思議なことに、バスに揺られるだけの一日でもそれなりに疲れるらしく、旅社に入ると、疲れで眠くなってしまうのだ。昼はもちろん夜もなにも出来ないことが多い。

 それが往復である。来週原稿送受信の時にはまたこの大きな町までもどってこなければならない。そのときもまた丸々一日つぶれる。もったいない。ほんとにもったいない。ほくの文章にはよくこのことばが出てくる。せっかく12800円を払って買ったのに一度で飽きてしまい押入の奥にしまわれるソフトウェアなどに対してよく使う。でもそれは気分的な問題で実のところどうでもよかったりする。たかが金である。だけどこの「なにもせずオンボロバスに揺られているだけの一日」は心底もったいなくてたまらない。この世でいちばん大切な時間の無駄遣いなのだ。もちろんその間、ぼくの頭の中は高速回転(?)で動き続け、ロマンチックなものからエロネタ、コントまで原稿を書き続けるから、思考を停止しているわけではないのだが……。

 やはりなあ、どうにもこの往復二日の時間無駄遣いが納得しかねるのである。けっきょく旅とは時間の無駄遣いであり、だからぼくはそれが嫌いなのだろう。そして旅好きがそれに反論するなら、じゃあ日本でのあわただしい時間は充実しているのか、無駄遣いじゃないのか、となるのだろう。それはまあまったくもってその通りで、生きること自体がただの無駄遣いだなんてことも言えるわけで、そんな哲学的なことを言い争う気はないが、こういうなにもしない時間の無駄遣いは、日本で激務をこなした人が骨休みとして経験するなら、たとえようなもない優雅な時間になるのかも知れないが、ぼくのようなのには、もったいないもったいないと、ただそれだけなのである。
 まあ今年後半に妻が来日すれば、この田舎に来るのも何年にいっぺんになるだろう。しばしのがまんだ。

 トップペイジを簡単に作り直す。作業の効率上、トップペイジからすぐに各項目に飛べたほうが都合がいい。

 多少の問題はあったが仕事が無事に済んだ。チェンマイからメイルで送っておいた文章に手直しの部分を手書きFAX原稿送信になった。ともあれこれで一安心である。

1/25(金)  移動日である。憂鬱だ。
 いま朝の八時、起きだしてThinkPadを起動し、日記を附け、櫛の歯が抜け落ちるように写真やロゴが消え、缺陥だらけになったホームページを点検し修理する。この「櫛の歯が……。」なんてのは実感のない古い形容のようだが、中国のホテルにあるお客様お持ち帰り可能のプラスチック櫛を使っていると、おもしろいように、というか悲しくなるほどポロポロと歯が欠けて、十分すぎるほど実感のあることばなのである。

 まずは「人馬往来的中抄」と「競馬雑記帳」を修正。完成。ここは写真が一枚欠けただけだった。簡単。修理は面倒でも重複した写真やロゴで異常にふくれあがった31メガが正当な16メガに減ったのだから不快な作業ではない。
 このホテルに泊まってこのまま作業を続けたい。でもバスに乗り妻の実家まで行かねばならない。そういう〃顔見せ〃のような目的で来たのだから避けるわけには行かないのだ。いやはやなんともうんざりである。それでも、近所の連中に久しぶりに亭主を見せびらかせるとはしゃいでいる妻を見ればこんなことも言っていられない。蛇足ながら、見せびらかすほどの〃よかにせ〃じゃないのだが、心ない噂で傷ついたりした妻にとっては、久しぶりに実家にやってくる亭主は、近所に自慢したい最高のええおとこなのである。
 『お言葉ですが…』論考チェック完了。ここはミスがなかった。

「素材餘話」の修理。欠けた写真を入れ直し、ついでに行間を150%にし読みやすくする。そうしているうちに、今後ここで取り上げている目次ペイジなどを次々と作り直してゆくと、素材餘話が取り上げている素材自体がホームページ内になくなってゆく矛盾(?)に気づく。ホームページとしては、すでに存在しないペイジの説明になるから、訪問者には意味のないものになってしまうが、作っている当人にとっては、作業記録として思い出深いものとなるので、自己満足のペイジとして許してもらおう。

 「中国口論」手直し完成。「タイ語抄」缺陥なし。
 
重複している写真をどんどん削除し、その結果あなぼこだらけになったのは「チェンマイ日記1999夏」と「チェンマイ雑記帳」だった。すなわちそれは早い時期に作ったものであり、素材の重複使用に気づかなかった時期の産物なのである。これは時間が掛かるので妻の実家でやることにしよう。さて出発である。

1/26(土)
 昨日は午後十二時出発。到着は午後八時。八時間の移動。
 これは「雲南道路事情」のパート2とでも題して書こうと思う。いやはやたいへんだった。昨夜旅社に着いてから零時頃に眠るまで、それなりに時間的餘裕があったのになにも書いてないのは、とても書く気にならなかったからだ。

 たいへんだったこと、つらかったことを、すなおに振り返るのは心に餘裕が出来てからなのである。昨夜のぼくは、つらかった移動をつらかったと書くだけの精神的餘裕がなかった。ひからびた体にとっておきのチョコレートで甘さを与え、浅田さんの「プリズンホテル」を読んで心を旅情ゆたかな奥湯本の温泉に飛ばし、うろうろと現れた眠気を見つけるやいなや強引にたぐりよせて睡眠体制に入った。ボロボロのマイクロバスがガタンと揺れ、決しておおげさじゃなく50センチも飛び上がるような経験を、ほこりだらけのでこぼこ道で何百回も繰り返していたら、すべてのやる気を削がれる。土砂崩れの起きる雨期に備え、乾期には必死に道路工事をやるから、道路事情は実際に土砂崩れのある雨期よりももっと悪い。ひたすらThinkPadやデジカメに、「ごめんよ、こんなひどいところに連れてきて。こわれないでくれよ、おまえらに壊れられたら、おれは楽しみがなにもなくなってしまうんだ」と謝りつつ、胸の中に抱え護っていた。SONYのVAIO-C1は、すでに使命を終えたパソコンなのだが、ぼくはぜったいにあいつを捨てることはしない。人にもあげない。ずっと隣に置いておく。あいつほどぼくと一緒にこんな苦労をした〃友〃はいないからだ。

 そしてきょう。朝九時に起床。早速ThinkPadを開き、写真の欠けたホームページの修理を始める。楽しい。あたらしいものを作るのと比したらこんな修理がたのしいはずがないのだが、昨日の移動や、きょうもまたこれからせねばならない移動を考えたら夢のような楽しい時間である。

 今朝の移動は、悪路の断崖絶壁を走る耕運機にしがみつき、振り落とされないように踏ん張る一時間である。たった一時間だが、着いたときはくたくたになる。これはもう経験した人でなければ解らない。こういう言いかたがいちばん嫌いなのだけれど、そうとしか言えない。

 ここを乗り切ればしばらくは安寧の数日になる。特に今回はここにいたるまで苦労はしたものの、日本から自分の好きな食料を持ってきている。しかもチェンマイでバーボンとスコッチを買ってきている。つまみのチョコレートもまだ二箱手づかずにある。風呂桶に入れないこと以外はまずまず満足できることだろう。かんばろう、そろそろ出発の時間だ。

 そして今。到着。
 いやはやひどい目にあった。なんともはや。埃まみれ。振動の中、振り落とされないようにしているだけで精一杯。
 手と顔を洗い、髪をタオルで拭いて人心地。そのあと、ついに(笑)、日本から持参した餅を、キッコーマン醤油と浅草海苔で食する。初めてこれを食べるには身も心も参っていたから最高の舞台だったような気がする。これもまた写真入りで書こう。なにしろ食べる前に餅を焼く網がないとわかり、針金で作ったのだ。そうして食べた餅だったから通常の何倍もうまかった。きょうこの日記を書けているのは(=昨日のバスに揺られたこと、きょうの耕運機等)すべてこの餅によって元気が出たからである。持ってくるときはそういう自分に懐疑的だったのだが、今は堂々と言い切れる。もってきてよかった。

「チェンマイ日記-1999夏」を直す。ここがいちばん壊れていた。最初のほうに作ったので、それだけ間違いが多かったようだ。


 個人的な反省だがもういちどこのことをまとめておこう。普通の読者にはまったく関係ないことだが、ホームページを作ろうとしている人には他山の石として役立つこともあるはずだ。

 写真と文章のペイジを作ったとする。文章の合間に三枚の写真を入れるとする。それを「空港の写真1.2.3」とする。一発で決まる人は問題ない。ぼくはまずその1.2.3.と入れた後、「ここは空港よりも街中のほうがいいのではないか」と思い直し、写真を取っ替えたりするのである。「街中の写真4.5.6」になる。そうして作り上げ、客観的に閲覧した後、また「やはり空港のでよかったか」と写真1.2.3にもどしてやっと落ち着いたりする。結果として使った写真は「空港の1.2.3」の三枚である。ところがそのころのぼくの保存法だと、1.2.3の他に、ペケにした4.5.6も、さらには入れ直した1.2.3も、「空港の写真1-1,2-1,3-1」として新たに残ってしまったのだった。
 つまり実質三枚しか写真を使っていないのに、保存フォルダには9枚の写真が使用された素材として残っていたことになる。1ペイジでこうである。ぼくのホームページは何ペイジあるのだろう。100ペイジ、200ペイジとなったらたいへんな量になる。それが体感的なものと実際に表示される容量との差だった。体感的には10メガ程度のはずなのに容量は20メガを超していて、前々からどうも釈然としなかった。フォルダの中をひとつひとつチェックして重複を発見したのである。

 それでぼくは、上記の例でいうなら、使っていない写真4.5.6と、重複している写真、1-1.2-1.3-1を削除する作業を始めたわけである。そのことによっていくつかのペイジは、1-1.2-1,3-1のところが「該当する写真がない」と空白になってしまった。そこにあらためて写真1,2,3を入れ直したのがぼくの言う「修理」である。

 写真ほどの容量ではなかったがロゴも同じになる。たとえば「チェンマイ日記」のロゴは一個しか使ってなくても、そこに落ち着くまでには十数個を作っている。その実験作も全部素材として登録されていた。それらをひとつずつ削除しつつ、現在使っているひとつだけを残す。作業中、思わず「ああ、こんなのを作ってこともあったっけ」とこのホームページを本格的に作り始めた昨年十月の頃を懐かしく思い出したりした。いま使われているロゴは120個ぐらいと思うが、千個以上も登録されていたのだから、そりゃちりも積もれば山となる。

 そんなわけでふくらみすぎた31メガが正規には16メガであるとわかり、ぼくは最初の目論見通り、今が三分の一だから、全部完成してもその三倍で48メガで、リミットの50メガ以内に収まると確認できていい気分なのである。

 ぼくのような間抜けもそうはいまいが、ホームページ容量でお悩みの方は、いらないペイジも消すよりもまず、そういう重複しているものの削除にも一考してほしいと思い、敢えて恥をさらした次第である。



 午後七時ぐらいから零時までずっとホームページを制作していた。今までにも何度もこまめに修理してきたので、「チェンマイ日記 2k秋外伝」なんて去年の夏にチェンマイで作った面影を残していない。自画自賛ながらずいぶんと上達したものである。

「トップペイジ」と「チェンマイ日記のトップペイジ」を作り直した。
 あれこれといじってつごう三日ぐらいかかっているからけっこう時間を取られた。これを作り直すように決意したきっかけはまたあらためて書こう。

 今は土曜の深夜、1時間時差のある日本だとちょうど新日の中継が始まる頃だ。さて、本を読みつつ、そろそろ横になるか。きょうもずいぶんとホームページはいじった。
1/27(日)
 昨夜寝たのが二時過ぎだったからか今朝は九時まで寝ていた。とはいえ明るくなるのが八時近くだから、たいした寝過ごしでもない。



 妻の家で飼い始めた猫がまだ六ヶ月程度の若猫で、おまけに雌なのでけっこう癇性がきつく(猫は雌のほうがきかない)、夜中や朝方に鳴いて跳ね回っていたから、ぐっすり眠ったとは言い難い。目も開かない内に捨てられていて、排尿排便までも母代わりとなって教え育てたぼくの愛猫(すなわち彼にとってもぼくは母になる)のあまりのすばらしさと比べるのは酷なのだが、まあなんつうか、その辺の猫以上の愛情はわかなかった。日本からはるばるキャットフードを抱えてきたのだが、どうやらあまりお口には合わないらしい(笑)。器量よしではある。臆病さが顔に出ていて、実際臆病なのだが、そりゃあこの辺には猫いじめのアクタレもいるだろうから当然だ。

 ホームページの修理&改修&制作はきわめて順調。きょうも朝から飯も食わずにかかりっきりである。なにも食ってはいないが「クノールのポタージュスープ」と「アストリアコーヒー」を飲んだ。うまいのなんのって。普段はこんなもの飲まないんだけど。

 いやあ、いい趣味をもった、とあらためて思う。なにもない雲南の山奥でやるのに、ホームページ作りは最高の趣味である。これ以前にもいつもパソコンは一緒だったから、欧米でもタイでも中国でも、毎日熱心に日記をつけたり、エッセイもどきを書いてみたりしていたが、それとはまったく違う。文章と写真、図柄等を組み合わせて作って行くものだから、カラフルだしデザインにも凝れるし、なんともこれは楽しい趣味である。いわばそれまで毎日欠かさずつけていた日記が、物書きというランナーの毎日欠かせないランニングだとするなら、これはローラースケートのようなものだ。果たしてランナーがローラースケートで遊ぶことがトレイニングになるのかどうかはともかく、同じ道を走っていても、ランニングとローラースケートでは、全然楽しみが違うのである。まあ例えるならそんな感じである。

 と、ここまでの楽しみ方は、普通のWebMaster(笑)と同じだろうが、ぼくにはみんなと違ったもうひとつの特徴がある。それは「アップしなくても平気」だってことだ。一般にホームページを作っている人はアップしてみんなに見てもらい、そこからの反応で満足を得るのだろう。だよねえ、それが普通だ。でもぼくの場合、作っているだけでいいのである。読者は自分だけで十分なのだ。究極のオナニーか。最高である。

 朝昼食を兼ねて今、餅を磯部巻きにして4個食べる。はあぁ、極楽極楽。さあて食後の日本茶でも飲みまっか。
 
「素材餘話」に「効果絶大!?」をアップ。

「イープン日記」のトップペイジを作り直す

 夜九時、国際電話で日本のプロバイダーに繋ぐ実験。もちろんこれは趣味のホームページのためではなく仕事のため。もしもこれが可能なら原稿を妻の家から日本に電子メイルで送れるのである。国際電話賃がどんなに高かろうと、前記のような長時間苦痛の移動をせずに済むのなら万金の価値がある。二回ほどゴチャゴチャしたが成功。しっかりメイルチェックが出来た。これはうれしい。もっとも山崩れなどでたびたび普通になり復旧に何ヶ月もかかる地域なのでまだ手放しでは喜べないのだが、それでもこれはやはり偉大なことだ。うれしいよ、ほんと!!! と、びっくりマークを三個つける。

 ついでに自分のホームページと掲示板を見る。六日ぶりか。値段が値段だし来月妻がとんでもない国際電話料の請求に腰を抜かしたら困るので早々に切るが、らいぶさんとMatzさんの書き込みがあることをしっかり確認。ありがとう。返事は後で。
 来週、先日、景洪で見かけた郵便局運営のインターネットカフェから書き込みの実験をしてみたい。
1/28(月)  昨夜、零時頃までホームページの手直しをして、それから「プリズンホテル4」を読み始め、読破してから眠った。午前三時ぐらいか。今回持参した唯一の小説を読み終ってしまった。勉強のための本はまだ何冊も残っているが小説はもうない。そう思うとさびしい。パソコンの中には「新潮文庫の100冊」があるけれど。

『お言葉ですが…』論考」に「こだわるにこだわる」をアップ。そこにも書いたが、「旅の必需品」を書くと「こだわる」ことばが連発するので、その前にこのことをまとめておきたかった。

 トップペイジの手直し。切りがない。「イープン日記」の手直し。表紙に写真を入れ、小見出しに色違いのロールオーバーを附け、関連画像の変化を挿入する。同じく「チェンマイ日記」の小見出しのロールオーバー効果。いやはや細々(本人はコマゴマのつもりで書いたが、ホソボソと読まれるか)とほんとに切りがない。やるたびによくなってゆくのでうれしくもあるが。

「イープン日記」に「丸ごと文春一冊」を書き始める。そのための素材写真を、庭で文春を持ち出して撮る。戸外は春うららのいい天気。室内はヒヤっとしてすこし肌寒い。

 午後6時。相変わらずホームページ作業中。空腹至極。食の細いぼくには珍しい。「のりたま」と「そばめしふりかけ」で熱々のどんぶり飯を食う。うまかった。のりたまなんて中学の時以来だが持ってきて大正解。そういえばチェンマイで話題のドケチに、『サクラ』にきて白米だけ頼み、ポケットから出したふりかけでどんぶり飯を食うってのがいたっけ。さすがにみんなに嫌われて今じゃ来なくなった。

 午後十一時。一区切りついたところで終りにしよう。切りがない。
1/29(火)  朝九時から動き出す。早速ThinkPadの電源を入れたらバッテリーモードになっている。停電だ。これが頻繁にあり、しかも復旧の目処が立たない。これは田舎の最大缺点である。ぼくの命綱は電気だ。

 何年か前まで、外国に出るとき、ぼくは田舎の三台のヴィデオデッキに録画予約をし、さらにどうしても見逃せない番組があるときは東京に出て、東京の住まいの三台のヴィデオデッキにも同じものを予約していた。いくら一ヶ月以上日本を留守にするとはいえ、合計六台のヴィデオデッキで録らねばならないほどテレビオタクではない。田舎の三台でもあまるぐらいだった。
 なのになぜそんなことをしたかという、田舎は停電するのである。といってもむかしのようにいきなりではないらしい。「×月×日の午後×時より×時まで停電します」と回覧板(笑)があらかじめ回り、その数日後にあるらしい。「らしい」というのはぼくはその現場にいたことがないからだ。未だに立ち会ったことがない。今でも確実に月に一度ぐらいはあるようだ。

 どんなに短時間の停電であれ、それでヴィデオ予約はぜんぶ飛んでしまう。これで失望したことは多い。競馬の大レースの季節には日本にいるようにしているし、これは二重予約をしてゆくから失敗はないのだが、たとえば夏期のたいしたことのないレースで、誌上予想が高配当を当てたりすると、インターネットで結果だけを知っていたそれを見るのを楽しみに帰国したりする。部屋に入る。するとヴィデオデッキの時間表示が全部ゼロになって点滅している。あちゃーと思う。急いでテープを巻きもどす。すると予想が外れた週までしっかり録画してあり、的中する週の直前で停電になっていたりするのだった。よってそんなことのないように、停電のない東京まで出て、まったく同じ番組を録画予約するなんてことをしていた。
 ところで停電といえば「ニューヨーク大停電」である。これを書かずにパスはできない。その十ヶ月後、生まれる赤ちゃんがやたら多かったってのは笑える。

 最近では予約録画にまったくこだわらなくなった。とりあえず出かける前に田舎の一台に競馬番組と将棋番組の予約をしてくるぐらいだ。帰国すると、相変わらずまず間違いなく飛んでいる。八週予約していったのに二週目でもう飛んでいるなんてこともある。半分録れれば運のいいほうだ。いつ停電になるかは運の善し悪しと思うしかない。
 日本のテレビ番組(たとえば「電波少年」的な番組)に興味がなくなったのは、日本を留守にする旅人(?)としては進歩だろうが、マスコミで生きる人間としてはちょっとばかりマズいとも思う。一応アンテナ(本義は触覚ですな)はあちこちに立てておかねばならない。隠遁生活が出来るような餘裕のある暮らしではないのだから。

 てなわけで思わずエッセイもどきを書いてしまいました。きょうの雲南奥地は停電です。残り少ないバッテリーをここで使い果たすわけにはゆきません。よって停電が復旧するまで電源を落とします。



 通電したら判るように裸電球のスイッチを入れておいた。午後五時頃、そのランプが点いた。これはうれしかった。それまで読書したり、今回初めて戸外を散歩してコーヒー園の写真を撮ったりしていた。もうすっかりこの田舎にも慣れ親しんでしまい、さんざん写真も撮ったので、今更あらためて撮るべき風景もない。それでもいくらか収穫はあった。昨年夏の雨期に、洪水で荒れ果てたたんぼが、乾期の今、のんびりと実りの季節を迎えている風景だ。これなどは繰り返し来ていないと撮れない

 朝の九時から夕方五時までの計画的な停電だったようだ。妻が言うには、最近は以前のように一晩中停電でロウソクを点けるようなことはめったにないらしい。
 もしもいつものよう通電していたとしてもぼくがずっとThinkPadに触りっぱなしだったわけではない。ところがぼくは--親しい人や、このホームページを隅から隅まで読んだ人はおわかりだろうが--ないというそのことが気になってしまう性格なのである。これはひじょうに問題の多い性格である。

 今回チェンマイでバーボンとスコッチを買い中国に持参した。そのことでなにがよかったかというと、なんと「酒を飲まない」のである。これには我ながら驚いた。元々ぼくは毎日飲まないといられないタイプではない。大酒のみではあるが、それは親からもらった体質が酒に強かったらである。仲間とならいくらでも飲むし、ひとりでも、うまい刺身でも手に入ったなら、最高級の日本酒を用意してグビリとやるし、深夜にウイスキーグラスを傾けることもある。といってべつに酒に振り回されているわけではない。それどころか、酒がないといられないような人生こそぼくが最も毛嫌いするものになる。そういう感覚を理由に、一日三箱喫っていた煙草をいきなり辞めたほどだ。

 それはまた逆に、ないと気になってならないということでもある。飲まなくてもいいが、ないとイヤなのである。中国でもさんざん「お気に入りの酒」を探し回った。まずいのを飲んでは宿酔いになったりした。さすがに吐いてはいないが、中国の酒のまずさにはかなりうんざりしている。宿酔いだろうが吐こうが、お気に入りの酒が見つかればいい。でも何を飲もうとぼくは中国の酒が合わなかった。米焼酎、芋焼酎からヒエ、粟で作った酒まで、それなりに中国の人と飲み交わし(酒飲みに国境はない!)楽しい思いもしたのだけれど、ぼくの中には不満がくすぶっていた。どうしても中国の酒をうまいとは思えないのだ。まだ飲んだ酒は三十種類程度だろうが、もういい。結論である。中国の酒はぼくには合わない。そうしてとうとう今回持ち込むことになったわけである。さすがに日本から一升瓶は持ち込めなかったが。

 すでにバーボンは半分ほど空いているが、スコッチはまだ手をつけていない。残り一週間だし、今までの飲酒量からすると、十分すぎるほどだ。このぶんでゆくと餘ることになるだろう。気に入っている酒が身近にある。その気になればいつでも酔える。そう思えれば、べつに飲まなくても平気なのである。

 とまた脱線してしまったが、ともあれ日本へ今夜、国際電話電子メイルで原稿を送ろうと思っていたので、電気が来て安心した。

 夜九時。日本時間十時。国際電話で日本のプロバイダーに繋ぎ、電子メイルで原稿送信。コンピュータはオーケーを出しているが、無事届いたのかどうか、明日連絡を受け取るまで若干不安だ。

 今はちょうど零時。
 明日はまた大嫌いな「移動日」である。丸一日悪路をオンボロバスに揺れるだけの日だ。朝は早い。FourRosesBlackを飲んで、眠るとするか。
 きょうもコマゴマといじりはしたが、新たなアップ原稿はなし。
1/30(水)

 移動日。
 朝八時出発。町に九時半着。そこでバス乗り換え。十時十分発。途中駅に十二時十五分着。そこでバス乗り換え。十二時五十分発。目的の町に十九時着。計十一時間。悪路。山のように詰め込まれる荷物。身動きできないほどの満席。くたくたになる。乾期ゆえホコリだらけ。これがいちばんつらい。髪も口の中も粉塵でゴワゴワになる。理解できないことなのだが、中国人は窓を閉めないのである。前の席の窓からもうもうとした粉塵が飛び込んでくる。こちらが手を伸ばして閉めても、その内またそいつが開けてしまう。気が狂いそうなほどの状況なのに、その粉塵だらけの中で寝ているのだからたいしたものだ。バッグも真っ白になる。コンピュータバッグをひざに抱きしめ、我が身以上に気を遣う。パソコンはホコリに弱い。インナーバッグにも入れて二重に保護してあるが。

 やっとホテルに着く。朝からなにも食べていなかった。途中でミカンやリンゴを食べた程度。空腹で身動きできないほど。すぐにでもいつもの食堂にゆきたかった。妻もそう言うが、それ以上に風呂に入りたかった。五日ぶりに入る風呂桶のなんと快適だったことだろう。(毎日体は温水で拭いてはいたが)。
 この日のためにとっておいた「炭酸ガスのバブ」を入れ、たっぷりとしたお湯に浸かる。ホコリだらけの頭を洗う。生き返る気分だ。砂漠のオアシスである。

 風呂上がりにFourRosesを飲む。ThinkPadの電源を入れ、日記をつける。食事にゆく。冷たいビールを飲む。

 ホームページどころの騒ぎではない。あとはただぶったおれて寝るだけだ。
 この移動の苦痛をあと何度味わわねばならないのだろう。考えただけでうんざりする。それでも今回はこれが最後。これから五日間、西双版納で気持ちよく過ごし、タイにもどれる。
 なんとも、思い出すのもイヤになる一日だった。

 部屋に帰ってまたバーボンを少し飲む。空いた。一週間で一本だから、ぼくとしては信じがたい少量なのである。体のためにはいいだろうな。
1/31(木)
 十時起床。たっぷり寝た。
 両替。散歩と買い物。市場の色鮮やかな野菜と果物を写真に撮る。妻に服や靴を買ってやる。懸命に固辞する。それだとむきになる日本人。無理矢理押しつけるようにして買ってやる。それでいて部屋にもどると、うれしそうに早速着てみては鏡に映している。かわいい性格である。だから惚れた。のろけの壱。ぼくの妻の家は、「やたら両親が病気になって入院費が必要になったり、兄が警察に捕まったので保証金が必要になったりしない」ので助かる。タイの女性の家族は、どうして両親があんなに頻繁に病気をしたり兄や弟か警察に捕まったりバイクで事故を起こしたりするのだろう(笑)。それと、病弱のはずなのに、会ってみると両親はどうしてあんなに元気なのだろう(笑)。ってもうやめようね、このパターンは。ちなみにぼくはそんなものの被害にあったことはありましぇん。そこまでウブじゃないもん。

 きょうからはタイにもどるまではのんびりできる。もう移動日はない。うれしい。
「清邁日記」のトップペイジをロールオーヴァーを何種類も入れたりとかいじりまわし、きょうふと容量を見たら450kにもなっていた。それなりに凝ったものを作るには、ある程度の重さは覚悟せねばならないし、以前のように無知故に無意味に重くしていることはない。それでもこれは遅い人に失礼かと(かくいうぼくがいちばん遅い)写真を削ったり、ロールオーヴァーをいくつか解除したりして250kまで落とした。目次ペイジがこんなに重いのは問題なのだろうが、これ以上落としようがない。それにこの「チェンマイ日記」には、原稿用紙にして千枚を越える量が入っているのだから(完成したら入るのだから)、その目次がこれぐらいの重さがあっても仕方がないだろう。そう思うことにする。

 日本と無事連絡が取れて原稿送信完了。気分がいい。
 中国の公衆電話事情はタイよりもずっといい。街中の公衆電話のどこからでも国際電話がかけられる。電話機もテレフォンカードも国内国際共通なのだ。これは便利である。雲南の山奥から電子メイルとファクスで原稿が遅れるのだからありがたい時代である。

 たっぷり持ってきたつもりの「アストリアコーヒー」だったが、こちらに来てからついつい毎日二杯ずつ飲んでいたら、あと三袋しかなくなってしまった。出発まできょうを含めて後六日ある。きょうからは二日に一杯である。貴重品になった。酒は、たいしてうまいものではないが、スコッチがまだ一本あるのでなんとかなるだろう。バブは妻の実家で使えなかったからこれから毎日使える。スープ類もちょうどいいぐらい。チョコレートは「一日二粒」と支給品のような感じだ。まあ、全体的に計画通りといえる。

2/1(金)  朝六時半から起きだして動く。一気に「雲南でじかめ日記」に「もどかしい」を書き上げる。この「田中外相更迭」のニュースを雲南で知ったことが印象的だったので書き留めておこうと思った。こういう時節的なことを残すのはホームページの価値として意外にいいのではないか。時が過ぎれば鮮度も衝撃度も落ちてしまうが、落ちてしまうからこそ、とどめておくことに意味があるような……。と書いていて思った。

 きょうこの「もどかしい」を書けたのは、昨日「雲南日記」のトップページを作り直しておいたからだ。トップページのデザインは大きい。ここがつまらないと、そこに属する項目を書きたくなくなってしまうのだ。よって次々と、ホームページのトップページはもちろん、「チェンマイ日記」やら「チェンマイ雑記帳」やらの各項目のトップページも作り直されてきた。作り始めた当初から残っているものはひとつもない。
 「素材餘話」のなくなってしまったページに関しひとこと附け加える。

 インターネットカフェに出かけてみる。郵便局経営で、景洪では初のものである(とぼくの知識では思っている)。学生が何人かやっていた。値段を聞いてぼくもやろうとしたのだが、プリペイドカード式で、そのカードを売る係がいまいないので30分ほど待てと言われる。バカらしいので帰ってきた。

 高島さんの「水滸伝」解説書を読む。勉強になるなあ。帰ったら買って読まねばならない本が何冊もあるので忘れないようメモする。
 午後十一時に寝たが零時半に目覚めたので起きだしてThinkPadに向かう。

「雲南でじかめ日記」-「甘さに飢える」を半分ほど書く。
「中国口論」-「マナー」を仕上げる。

 最初に書き出した「甘さに飢える」が半分で飽きてしまったのに「マナー」を仕上げられたのは、文章の長さがぜんぜん違うから比べるのは無意味なのだが、「甘さ」が解決された問題であるのに対し、「マナー」はいま直面していて毎日不愉快になっている現実の事件だからだろう。中国人のマナーは最低である。この国とは合わない。一歩部屋を出るたびに心がざらざらになる。なるべく出ないようにする。
 いま午前二時半。二時間ほど作業していたことになる。日本は三時半。「水滸伝」を読みつつ寝ることにする。
2/2(土) きょうは2002年2月2日。こういう2並びの日もそうはない。こりゃ記念日だな。次にあるのは2222年か。いや2112年があるか。

「雲南でじかめ日記」に「雲南撮影事情」をアップ。書き下ろし。
 こういうずっと前から頭の中では書き上がっていたものを書き下ろしと言っていいのかどうか。現実に文章となったのは初めてなのだから書き下ろしだよねえ。よくわからん。自分の中では古い文章だったりする。
 日本ではぜんぜん進まず悩みの種だった「雲南日記」や「中国口論」が雲南にいるといちばん進む。やはり環境の問題なんだね。

 午後。「雲南でじかめ日記」のトップペイジを、小見出しのロゴやロールオーヴァーなどを細かに作り直す。あっという間に二時間。ロゴのフォントやポイントが同じものに統一され、ロールオーヴァーで変化する色も同系に揃ってゆく。やればやるほど整理整頓され統一感が出てくる。楽しい作業だ。よりよくなるたびに、思わずニンマリしてしまう。うれしくてならない。だけどだけどだけど! もう何十回も書いていることだが、今までがんばって生きてきたぼくが、年金生活のかたわらこれをやっているならなにも問題はないのだが、今この時、ぼくはこんなことをやっていていいんだろうか。どうにもその焦燥感から逃れられない。これは、たとえどんなにくだらないものと他人様に嘲笑されるようなものでも、自分なりに創作をしているときには感じないものだ。とすると、ホームページって創作ではないのか。きちんとサラリーマンをしている人なら、餘暇を利用した創作活動となり、充実の時間となるのだろうが……。この問題、いったいいつ割り切れるのか。

 昨日に続き、郵便局のインターネットに行く。プリペイドカード式。「外国に繋がらなくても文句を言わないか。なら売ってやる」と言われる。妻は「そんなこと気にしない。さあ買いましょう」と言う。そんな、あーた、自分のホームページに繋ぐのが目的なのに、繋がらなくてどうするんですか。無愛想な局員(女)は、「外国人は外国に繋がらないといってすぐに怒るから困る」と言っている。そりゃ怒るでしょうね、フツーは。やらずに帰ってきた。30元捨てるつもりでやってもいいんだけどねえ。もともとネット嫌いだから。

「人馬往来的中抄」に「贔屓-朝日杯3歳ステークス99」をアップ。
 これは名古屋からサトシがやってきた、ちょいとした思い出のレースだ。ぼくとしては馬券がなんともイタい。これをアップしたとなると、まだ半端な「ゾロ目の日」を急いで書き上げねばならない。

「雲南日記」に「日記02冬」を書き始める。小ネタをひとつにまとめてしまおうと思ったのだが、小ネタゆえ文章は少なくても写真はひとつのネタにつき三枚ぐらいは使う。となると重いページになってしまう可能性があり、結局は分割するのかも知れない。まずはやってみよう。
「なにもそこまで」と「磯部巻きでい!」を書く。
2/3(日)
 あちこち手直し。「雲南でじかめ日記」がどんどんよくなってゆくのでうれしい。「撮影事情」をすこし直す。

「イープン日記-旅の立場」を書き始める。こういう弁明じみた文章は嫌いなのだけど(思いっきり波風立てまくりの戦闘的文章ばかりのほうがおもしろい)、こういうのも必要と思い、タイや中国の外国コーナーではなく、日本の日記として書くことにした。

「中国口論-ゲロ」と「中国口論-英語」を書き始める。
 中国口論絶好調である。前々から、このホームページは、「タイ」と「雲南」は二本柱なのだから、同じぐらいの量がないと困ると思っていた。未だにタイ関係のほうが遙かに多い量だが、この調子で行くと、順調に雲南関係の文章も追いついてゆくだろう。好々(ハオハオ)である。

 夜の十一時ぐらいから始まり、午前一時過ぎに「雲南でじかめ日記-甘さに飢える」の後半を書く。完成。
2/4(月) 「旅の結果-02冬」に入れるために身近の「小物撮影」をする。ぼくは写真撮りはあまり好きではないのだが、みょうにこういうことには燃える(笑)。まるでパンフレット作りのスタッフになった気分で、パソコンやFDDなどを入れる濃紺のスポンジ製インナーケースを撮影台にし、それの上にお茶とかコップとかを乗せ、のりのりで撮影していた。

 それをケーブルでパソコンに取り込み、整形して素材にする。すぐに二時間、三時間と経って行く。こんなことをしている暇があったらもうすこししか一緒にいられない妻にサーヴィスすべきと思う。これは日本でも出来ることなのだから。こういう性分なのでしょうがない。そう言って謝ったら、嫁さんは、わたしは一緒にいられるだけで楽しいから、あんたはやりたいことをやってくれと言ってくれた。ほんとによくできた娘さんだこと。
 さて今から、もういちど「郵便局のインターネット」に挑戦してこよう。



 きょうも郵便局のインターネット、パソコン五台はしっかりと満席だった。若者ばかりである。小金持ちの子弟なのだろう。事情を知らない妻は電話と同じものだと考えているようで、すこし待てば空くから待とうと言うが、そういうものではないことは知っている当方は待つ気分になれない。白人観光客がメイルチェックしているわけではないのだ。

 受けつけのオネーサンに景洪のインターネット状況を質問してみる。どうやら他にも民間のネットカフェはいくつもあるらしい。ここがいちばん安いので人気があると言っていた。

 日本から連絡が来る日なのであまり長居も出来ない。ホテルにもどる。
 歩きながら、全般的に中級ホテルの値段が安くなり、どこも値下げして熱心に客を集めようとしているのがわかる。そういえば今回白人を見ることが多い。景洪にももう十回以上来ているが、こんなに頻繁に白人を目にすることはかつてなかった。今までもタイ航空のバンコク・ジンフォン便はあった。昨秋からバンコクエアウェイが、バンコク・チェンマイ・西双版納に、週三便就航し、チェンマイからも来られるようになった。そのせいなのだろうか。バンコクエアウェイの飛行機自体は小さいものだし、それがどれほどの効果があったのか疑問なのだが、とにかく白人を見る機会が増えた。それが今回いちばん印象的なことだった。この町も昆明のようになってしまうのだろうかと不安になる。
 街中を歩く白人を写真に撮りたかったが、どうにも出来ない。チェンマイのようにたくさんいると、風景を撮るふりをしてさりげなく、という方法も採れるが、まだまだここでは珍しいからそうもゆかない。もっともあちらは、こちらを黄色い猿ぐらいにしか思っていないだろうから、カメラを向けてもかまわないのかもしれない。要はこちらの問題だ。「西双版納を歩く白人の写真」の姿はホームページ的にはぜひほしいのだが……。

 無事に電話とFAXを受信。一週間ぶりに編集者Mさんの日本語を聞く。
 もういちど郵便局に行くが、やはり満員。昨日見かけた新しい複合ビルに行ってみる。派手なオープニングセレモニーをやっていた。そこで何度か「電脳」という字を見かけたのでインターネットカフェがあるかもと思ったのだ。
 インターネットカフェはなかったが、パソコンは売っていて、中国製のPen4の2ギガとかに触りおもしろかった。写真を少し撮ったので、これは「景洪インターネット事情」とでも題して書こう。
2/5(火)  昼。初めて中国のインターネットをやった。半分だけ成功。インターネットに接続し、苦労の果てに自分のホームページを閲覧することは出来たのだが、肝腎要の原稿送信は、中国のパソコンがぼくのフロッピーディスクを認識できず出来なかったのだ。このへんのことは「景洪インターネット事情」に書く。

 この日は雲南からチェンマイへの移動日。「旅の準備02冬」に書いたように、今回は居直って、かつてないほどこまかな日用品を用意周到に準備していったので、まったくストレスがたまらなかった。
 ぼくは中国を去るときの気持ちとして、いつもこんな書きかたをする。
「最愛の彼女と別れる悲しみよりも中国から出る喜びのほうが大きいのだから困ったものだ」と。

 実際そうなのである。彼女は毎回めそめそしているが、ぼくはその悲しみよりも、「おおおお、ついに、やっと中国から出られる。いがったあ、さっさと出てえぞ、こんな国。もうすぐチェンマイだあ、タイだあ!!」という気持ちのほうが強いから、彼女の涙に対しても実にクールな対応をしているのである。知らない人が見たら、ぼくは固ゆでゆで卵男に見えたかもしれない(笑)。ま、それぐらい嫌いなんですわ、中国って国が。
 とおこおろがあ、今回はストレスがたまらなかった分、精神が正常なわけである。よって今回は「最愛の彼女と別れる悲しみ」をじゃまするものがなにもない。わりあい数日前からおしめり状態であった。



 インターネットカフェでぐじぐじしていたために空港に行くのが遅れ、着いたのは出発40分前であった。結果としてそれは十分に餘裕はあったのだが、一応は国際便である。ぼくがいちばん遅く、早くしろと怒られせかされた。なにしろ空港税のチケット売り場のオネーサンなど、もう仕事は済んだとすでに店を畳んでいた。空港に着くやいなやあわただしくチェック・インを強要された。彼女ともあっさりとしたあいさつで空港内に駆け込む。これはよかったね、ほんと。これがなかったら、ぼくはドン・ムアンなんかでよく見かける、「日本のオヤジとタイのオネーサンの涙の別れ」を西双版納でやっていたかもしれない。不幸も時には幸福の内である。

 心配がひとつあった。ぼくはまだきょう締め切りの原稿を日本に送れていなかったのだ。チェンマイから送ると国際電話で伝えてあった。これ、とんでもなく危ないことである。きょうが締め切りなのだ。週刊誌だから月刊誌のようないつわりはない。ほんとにぎりぎりだ。日本の夜八時がリミットということはタイだと午後六時である。飛行機がチェンマイに着くのは午後四時半。原稿自体は書いてありフロッピーディスクにも落としてあるのだが、万が一飛行機が悪天候で遅れたり、なんらかの事故があったりしたらアウトである。

 飛行機は時間通りにチェンマイに到着し、そこからインターネットカフェに直行して、日本時間午後七時頃に送稿できた。結果的にはオーライだったが、これはぜったいにやるべきではない。こんなことをしてはならない。雲南から前日に手書き原稿をFAXすべきなのだ。だらしないことをやった自分を恥じている。今頃になって冷や汗が出る。反省。深く深く反省。
 チェンマイに帰ってきたでえ!!
 『サクラ』に行く。パパを始めみんなに「おっ、おかえり!」と言われる。ありがたいものである。「いらっしゃい」じゃない、「おかえり」なのだ。

 早速Tさんを誘い林さんの店で飲む。その後、サンチャから××、さらには××と深夜まで遊びほうける。タイはええなあ。
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