日記02
秋
5


●いつものケンカ



二十日間一緒にいて一度もしなかった妻とのケンカを、いよいよ明後日はタイにもどるというぎりぎりのところまで来て、してしまった。原因はいつもと同じだ。私たちは互いのことではケンカをしたことがない。周囲の状況が絡みついてきていつも気まずくなる。今回の経緯はこうだ。

 妻が語っていた。要約すると「昨年、孟連で日本人男とタイ族女が結婚した。何ヶ月か一緒に住んでいた。男がちょっと日本にもどると言って帰った。以後なんの連絡もない。女は半狂乱になり日本まで探しに出かけた。すると日本で男は妻と子供三人と暮らしていた。女は泣き泣き帰ってきた。今年になって漢民族の男と一緒になり、今はしあわせに暮らしている。日本人の男は嘘つきだ。誰もがそう言っている。日本人の男は日本で結婚していても、中国人の女と結婚できるのだとみんなが言っている」。そんな話だった。

 で、私は言う。
「正規に結婚している男が、離婚しないままもういちど正規に結婚することは、中国でも日本でもタイでもフランスでもアメリカでも(つまりこれは妻の知っている世界中という意味になる)出来ない。法律で禁止されている。その日本人の男とタイ族の女は、結婚式を挙げただけで、おれとおまえのように、中国政府が認定する正規の結婚をしたのではない。日本に妻がいたのなら結婚は出来ないからだ。タイ族の女は今年になって漢民族の男と結婚したらしいが、それも日本人男と正式に結婚していなかったから出来たのだ。おれとおまえはあれだけ苦労して思芽の民政局で正規の結婚書類を作った。あのときおれは日本から『獨身証明書』を作って提出している。それがないと結婚証明書を作ってもらえない。だから、その男と女の場合と、おれとおまえの場合はまったく違うのだ。おれたちは本当に正規に結婚しているのだから、他人のそういう話を聞いて、噂に振り回されてはいけない」と。

 だが残念ながら無学な私の妻は、私の主張よりも周囲の風聞のほうを信用してしまう。そうして言う。「わたしはたとえあなたが日本に妻や子がいたとしてもかまわない。あなたがわたしを大事にしてくれればそれでいい」と。
 ここで心の広い人なら「なんてかわいい女なんだ」と思うだろう。すでに結婚していて、愛人が欲しいと思っている人なら、都合のいい女だ、しめしめと思うかも知れない。だが精神年齢が幼く心の狭い男である私は、「なんでおれの言っていることを理解できないのか、なぜおまえはおれよりもそんな噂のほうを信用するのか。おれは嘘なんか言ってないんだ」と怒ってしまうのである。くどいリクツだ。バカである。どうしようもない。でも私は何事に関してもそういう嘘をついて生きてきたことがないので、そう思われることが悔しくてならないのだ。
 書いていて赤面するほど恥ずかしい話だが、ほんとのことなので書いている。それほどの恥をなぜ隠さないのかと言えば、それは彼女が来日すれば私の正しさが証明されることだからである。つまり、時が過ぎれば笑い話に出来るのだ。その日を夢見て我が身の恥を書いている。


(花火があがっていた。もう国慶節は終っているのだが)

どんな場合もケンカとは、盛り上がって(?)行く内に、いつの間にか発端はどうでもよくなってしまうものである。仲裁していた人がいつしか殴り合いの主役になっていたりするように。
 私たちの場合も、発端はそんな私たちに関係ないことだったのに、いつしか彼女は涙を流し、「明日思芽に行って離婚しましょう。お互いのために別れたほうがいい」などと言っている。今から遅いバスで実家へ帰ると荷造りを始めている。私はそれを止められない。哀しいため息をついて、ドアの閉まる音を聞くだけだ。なんでこうなるのよ。
 幸いにも今回は、思い直した彼女がもどってきて、気まずい一夜を過ごした後、なんとか仲直りできたからいいようなものの、私はいつもこんなケンカをした後、「なんでこんな理由で」とその理不尽さに悩む。いつも原因は、当事者の二人とは関係ないことなのである。

フィリピンにはジャピーノと呼ばれる日本人男が現地の女に産ませた父なし子が多数いるそうだ。この場合も、男は獨身と偽ってそういうことをするらしく、タイの女と話していても(私はフィリピンに行ったことはないので)、「日本人は結婚していても獨身と言いたがる」と聞くから、そういうものなのだろう。結婚している日本人男が、フィリピンで重婚できるのかどうか私は知らない。たぶん、現地の教会で結婚式を挙げ、現地の書類を提出することぐらいは(その書類がどこまで法的に有効かどうかはべつにして)出来るのだろう。この種の問題でいちばんフィリピン関係が多いのは、そういうことのはずである。また〃東南アジアのラテン系〃と呼ばれる情熱的な女は、心の思うまま出産に走るのだろう。子供を産ませてから日本人男はいなくなり、連絡のしようもなく、母と子は途方に暮れる例が多いらしい。日本まで行って男を見つけたが、認知もせず面会を拒まれたなんて話が、週刊誌の特集記事にもあった。私の感覚だと、日本に女房子供がいるのに、よくもまあ異国の娘をだませるものだと思う。それでもまだそんな記事を読んでいるときは対岸の火事だったわけだが、雲南省孟連の田舎でもそういうことをする日本人男が現れ、現実の私にも火の粉が掛かってきたわけである。

今後もこの種の問題は続発するだろう。こういう地域にも「日本人は金持ちだ。日本人と一緒になれば一家全員が金持ちになって万々歳」という勘違いは存在している。その種のいい加減な男が暗躍するのに楽な場所ではある。中国人側がもっと智慧を附け、「正規の結婚書類を作るまでは信用しない」と態度を徹底してもらいたい。自分の経験からして、人口抑制政策を執っている中国では、結婚は25歳以上になってから、子供は一人まで、二人以上は罰金と、結婚は奨励されていない。するのはたいへんなのである。審査が厳しい。指定病院に於ける淋病、梅毒、エイズのチェックから、身体の痣の場所まで、丹念に検査され、すべてに合格した書類を持っていってやっと結婚できる。日本から揃えてゆく書類も複雑だ。中国人側さえしっかりしてくれれば、とても既婚の日本人男がちょいと中国女をだましてやろうかのような甘い気持ちで出来ることではないのである。

 早く、妻とのケンカを「昔の笑い話」にしたいものだ。
(10/25 チェンマイ ヴィラチャイコートにて)



 帰国後、アップする前にちと考えてみたのだが、やはり「タイ族の女が日本に行った」は不自然だと思い至った。両国で正規の結婚をしている私(これは国技館で結婚式を挙げたという意味ではない)が妻を日本に呼ぶのにこんなに苦労しているのに、いくら旅行とはいえ、今の多発する中国人犯罪とヴィザ制限から判断して、いくらなんでもちょちょいのちょいとタイ族の娘が日本に来て、男の家に行き、妻と子供を見た、という話には無理がある。北京上海在住の漢族の大金持ちならいざしらず、貧しい田舎町の金持ちはほとんどいないタイ族の娘なのである。日本の中年男だから若くてかわいいのに手を出したのだろう。その娘がいきなり日本へ行くのには無理がある。男がいなくなり、なにかの方法で消息を知ったこと、妻と子供がいたのは本当だろうが。
 なにしろこの種の話は針小棒大にふくれあがり、おもしろおかしくありもしないエピソードが附加されて行く。本気になって「附記」を書くほどのことではないのだが、やはりちょっと不自然な話なので念のために書いてみた。(11/7 日本)


 その後、妻に確認させ──というか妻が勝手に調べて──これはやはりその娘のホラ話とわかった。考えてみりゃあたりまえである。いつでもどこにでも悪意のホラはあふれている。(03年春)
 


●ああ、タイの愛しさよ!



景洪タクシー事情
 午後三時二十分発のバンコクエアウェイに乗る。一時間前に空港に着く。市内から空港へ向かうタクシーは20元だった。
 これもホテルと同じで、数が増えることによって適正値段になった。現在市内は一律5元で走っている。五年前は7元取っていた。まだサムロー(自転車タクシー)が走っており、自動車タクシーはちょいとした贅沢で、あちらもまた強気だったのである。今は町中にタクシーが溢れており、ウェストバッグを附けた一見して旅行者とわかる私が街角に佇んでいると、そっと近寄ってきて様子を窺ったり、あちらのほうからクラクションを鳴らして誘ってきたりする。値段も下がった。

 昨年ぐらいまで、ほとんどのタクシーが空港へは30元だと言い、20元で行くタクシーを探すのは至難だった。些少な額の差だが、文句あるなら他を探しなとの高飛車な態度が気に入らず、すこしむきになって探したことがある。10台もやりすごしている内にもうどうでもいいやとなってしまい結局30元を払った。30元は500円弱だが日本的には3000円以上だろう。街外れにある空港までほんの五、六キロだ。空港に行くのは金持ちと決めつけての値段である。まあ実際空港に行くのはそれなりに金のある人であることは間違いないが。
 現在は過当競争に入っているのでそんなふっかけはほとんどない。きょうも一台目のタクシーがもう20元と言った。やはり何ごとにおいても正当な競争社会は、消費者にとって正しい方向に進むようだ。

 中国のタクシーは、運転席と客席の間に金網や、分厚いプラスチックの仕切があり、座席下の隙間から金のやりとりをするようになっている。それだけタクシー強盗が多いのだろう。それが時の流れと共にだいぶ緩やかになってきている。もちろんまだ全車に仕切はあるのだが、強盗をやる気なら(笑)出来る程度のものになってきている。いい形に動いているようだ。

 見送りの妻と別れて待合室に入る。私は妻の査証はもう取れたつもりでいる。もしかしたらまたダメで法務局前で抗議の焼身自殺をするようになるかも知れないが、妻には、絶対に取れるから許可が出たら広東まで行ってヴィザをもらってこいと言っている。もしもまたダメだったらおれが孟連に住むから安心しろと言ってあるので空港での別れに涙はない。




またも爆竹百連発か!?

 イミグレに団体がいた。みな手に手に西双版納の土産物を持っている。いかにも初めての海外旅行ですの趣だ。また支那人の団体と一緒なのかとうんざりする。といっても、この飛行機に乗るしかない。この便がなくて昆明に行くしかなかったときは、泊まりたくもない昆明に一泊して翌日の国内便に乗り継がねばならなかった。それが面倒で、あの地獄の寝台バスに乗ったりもした。一気に景洪に来られるようになって楽になった。贅沢を言ったら罰が当たる。たった一時間半の我慢だ。チラっと覗くとパスポートはタイ人のものだ。タイ人なら中国人ほどうるさくないはずと、ほんのすこし希望が湧くが、でも顔つきはどうみても支那人である。となると、バンコクの在タイ華僑の団体旅行か。タイに住んでようと支那人は支那人だ。また今回も彼らに囲まれて豚小屋ニワトリ小屋に爆竹百連発になるのかと思うと急速に落ち込んだ。

 いつものよう通路側の席を申し込んだが、ない。ご覧のように満席ですのでと、団体客を見渡し、タイ語を話す係員の女(タイ人?)に気の毒そうに言われた。もしかして、いやもしかしなくても、フリーの客は私だけなのか。後は全員支那人か。となると往路を凌ぐ爆竹二百連発の可能性がある。心が真っ暗になる。
 やっと自分の番が来た。ディパーチャーカードがどうのこうのと言っている。あ、支那人の団体に茫然として書くのを忘れていた。列を離れ、所定のコーナーに行って書き込む。書き終ると支那人の女係員が手招きし、列の一番前に入れてくれた。割り込みになる。怪訝な顔をする団体客に、この人はさっき前の番にいた人だからと説明してくれている。もういちど最後尾に並ばねばならないと覚悟していたので、思いがけない親切に感謝した。このごろ中国でもたま〜にいいことがあるようになり、支那人だっていい奴はいい奴じゃないかという感情が芽生えつつある。よいことである。

 待合室の中はざわめいていた。うるさい。これはもう爆竹二百連発は間違いないようだ。屠殺場に向かう牛の心境になる。頭の中を「ドナドナ」が流れる。年配の白人夫婦がいた。私以外の唯一の個人旅行者のようだ。ざわめきの中で心細そうにしていた。直線的な中国パワーの前に、白人が肩を寄せ合い縮こまっている。
 一時間半我慢をすればチェンマイなのだ。贅沢は言うまい。いざとなったらThinkPadにヘッドフォンを差し込み、Gypsy Kingsの『Bamboleo』でも聞いて「がんばんべーや、がんばんべーや」(by 志村けん)と自分を励まして乗り切ろう。そう覚悟を決める。搭乗が始まった。待合室の半分ほどが移動を始める。暗い気持ちでタラップに向かう。さあ爆竹百連発の始まりだ。


うれしい誤算!

 ところが!
 彼らはタイ人の紳士淑女だった。支那人ではなかったのである。飛行機の中は、低いトーンのやさしい響きのタイ語会話が交わされる以外は、英字新聞『Nation』を読んだり、ノベルスを読んだりしている人ばかりで、来るときの騒々しさとはまるで違い、実に優雅なひっそりとしたフライトになった。なんという違いだろう。待合室でのうるささは残り半分の支那人団体のものであり、タイ人とはこんなにも静かで気品のある人たちだったのだ。うれしいねえ、最高だねえ。

 ただ私の推測にそれほどの間違いはなく、全員バンコクからの団体旅行者だったので(この便は景洪→チェンマイ→バンコクと飛ぶ)半分ぐらいは在タイ華僑のはずである。どうみても容姿がそうである人が多かった。チェンマイで降りたのは私と白人夫婦だけだった。
 たとえ支那人であれ、タイに生まれ、タイで育てば、物静かでシャイなタイのアイデンティティを身につけるのであろうか。在タイ支那人と言えば台北旅社の半ズボンランニングシャツ長ホクロ毛ジジイしか知らないので、支那人はどこで生まれ育とうと全員うるさく狡猾で身勝手で仲間だけで結束してと思いこんでいた。

 往路では、搭乗した瞬間に「ああ、ここはもう中国だ」と暗い気持ちになったが、復路は逆に、乗った瞬間に、「ああ、ここはもうタイだ、もうすぐタイにもどれる」と明るい気持ちになれた。「わたしはタイ人が大好きだあ!!」と大声で叫びたいような気持ちだった。

 何度か書いたことがあるけれど、タイに慣れ親しみすぎて不満の溜まっている人は、ぜひとも中国に行くといい。「離れてみてわかる親の恩」のように、あらゆる面において、しみじみと「タイってのはいい国なんだなあ」と思うはずである。なにしろタイ族の自治州であり中国の中でも別天地と言われる過ごしやすい西双版納にいてさえそう思うのだ。バリバリの漢民族の地域に行って彼我の差を感じたなら、より強く思うはずである。タイが大好きなのに、このごろちょっとマンネリ気味の人は、ぜひ中国に行くといい。
 チェンマイにもどってきた。うれしい。ほんと〜〜に、うれしい!
(02/10/24 チェンマイ ビラチャイコートにて)

「雲南でじかめ日記-02秋」完



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