日記02秋

2002/Oct

1日(火)

 チェンマイから景洪へ。国慶節の賑わい。どこもかしこも特別値段。
 そういうことを避けるようにして生きてきたので、とんでもない時期に来てしまったと痛感する。まいった。
2日(水)
 パソコンに入れてきた『新潮文庫の100冊』から、小林秀雄の「徒然草」を読む。辛辣だ。名文である。
 
 どこにでもこの徒然草と名をつけたがる奴はいる。「競馬つれづれ草」なんていう愚にもつかない競馬エッセイを、何十年も前からどれほど目にしてきたことだろう。ひとことで言って無神経である。無教養でもある。徒然草の凄みをすこしでも知っていれば出来ることではない。いや、やるなら、それだけの覚悟を持って肩を並べるぐらいの気概でせねばならない。結果、それが駄文であったとしてもそれはそれでいい。
 だがそうではない。彼らに共通しているのは、「思いつくままに日々のことを漫然と綴ること=徒然草」との解釈だった。いつもそれらを目にするたびに、同じ過ちはしまいと誓ってきた。
 書き手はみな団塊の世代である。学生運動をしていた彼らに小林秀雄は必須科目だったろう。彼らが読んでいないとは思えない。それでも安易に使うのは、とりあえず読んだことと心の中に定着することは別個だからか。

 とはいえ、どんな形であれ、草葉の蔭の兼好法師は、自分の随筆によりその言葉が今も生き続けていることを喜んでいるのではないかと思う。苦笑しつつだ。それは苦笑だけれど決して怒りではない。小林が言っているように、「つれづれ」という言葉は、当時の歌人が好むごくありふれた言葉であったが、それにここまでの息吹を与え、価値を高めたのはひとえに兼好法師の名文の力なのだ。乱立する現代の徒然草に、兼好法師は「そんなんじゃないよ」と苦笑しつつ、そんなに附けたいのかねと肯定していることだろう。
3日(木)  景洪からムンラーへ移動。
でこぼこ山道をオンボロバスで六時間。うるさい中国人。タバコの煙。気が狂いそうだ。特別値段でも景洪にいればよかったかと弱気の悔い。
4日(金) 「語源でわかるカタカナ英語」を読んでいる。install等のパソコン英語を語源から解説してあるのを立ち読みで知り、買ったのだが、どうももう一歩、言葉選びのセンスがぼくとは違う。教えて欲しいことが載っていない。どうでもいい語が載っている。外国暮らしの人のようだから、日本の現実感がないのだろうか。残念だ。
5日(土)  誕生日。ギターを買う。ケーキで祝う。詳しくは本文で。
6日(日)
ムンラでいちばんの高級ホテル(推測)。いくらぐらいだろう。
7日(月) 雲南でじかめ日記-「日記02秋」に「ああ、また中国……」を書く。
 怪我の功名に気づく。
 ムンラのインターネットカフェから自分の掲示板にローマ字で短文を書き込んだ。そこでぼくはインターネットの「サイト」を「SITE」と書いた。書いた後で、あれは「SIGHT」であろうと思った。だいたいが「SITE」なんて英語はあるのかと恥じた。ローマ字だから「シテ」と読んだ人は、なんだろうこれはと思っているのではないかと。

 部屋に帰り辞書を引く。まだSIGHTだと思っていた。サイトという日本語から思いつくスペルはそれしかない。恥ずかしい。SITEなんて英語はないに違いない。なんであんな綴りをしたのだろう。恥ずかしい。
 調べた。あった。「SITE インターネット用語。ホームページ」。あら? 正しかったの? むしろSIGHTと書いたら間違いだったのか。安心しつつ赤面した。
8日(火)  雲南デジカメ日記-「日記02秋」に「国慶節の不覚」を書く。
 帰りのバスもまた地獄だった。でもまあ今は、ムンラを初体験できてよかった気分。
 9月に暦を見たとき、かなり長い時間「10月14日はなんの祝日なのだろう」と考え込んだ。「13日が祝日で振り替え休日か」とも思った。結局わからなかった。
 後に持参した文春を読んでいたら「ハッピーマンデー」と載っていて、そこから「体育の日を第二月曜にしたのか」とやっと思い至った。この制度自体には大賛成で、いわゆる「飛び石連休」と呼ばれていた時代から、アメリカのようにこのシステムにすべきだと思っていた。なのに現実にそうなったら、そんなのとは無縁の人生なのでなんの関係もない(笑)。

「体育の日は10月10日」と思いこんで長いので切り替えにはまだ時間が掛かりそうだ。べつに切り替えなくてもいいんだけどさ、なんの関係もないんだから。これは東京オリンピックの開会日を記念したものだった。制定は66年か。オリンピックは64年だった。


「みどりの日」って意味不明なのも早く「昭和の日」にしろよ。「昭和という言葉からは戦争を思い出すからよくない」とサヨクは反対するが、そりゃいくらなんでもアータ、63年の昭和の歴史からそれしか思い浮かばないアンタラがビョーキなんだって。気違いとサヨクは度し難い。

 それでも今回の拉致問題で社民党は絶滅確定と思われ、その意味でも小泉訪朝の意義はあった。まさか辻元や巨泉の社民党からの復権はないだろう。あるの? 田嶋陽子ブスオババはどうなるんでしょ。社民党比例で受かって離党したが辞職はせず。比例で受かって辞職せずってありか? 社民党としては田嶋が辞職すれば田英夫(笑)が繰り上がり当選になるので辞めてほしいんでしょ。
 田嶋が離党したのはムンラーのインターネットで知った。便利だねえ。
9日(水)  国慶節が終り、ムンラーから景洪へ。相変わらずバスは最悪。中国人は煙くてうるさい。休日の間150元だった永盛賓館は60元の平常値段。快適。ひさしぶりのバスタブを堪能。いい湯だった。

雲南デジカメ日記-「日記02秋」に「ムンラーの休日」を書く。
10日(木) 「『お言葉ですが…』論考-縦書き横書き」やっと完成。
 後藤さんのところに書こうと思い、自分の「掲示板Mone's World」に書こうと思い、やっとここに書き始めたはいいが、そのまま放置して、やっと終った。いやはやずいぶんと時間を食った。

雲南デジカメ日記-「日記02秋」に「インターネットの至福」を書く。
11日(金) ・コーヒー
 中国滞在11日目にしてアストリアコーヒーが残り3本になってしまった。12本持ってきたから、11日に9本の割合。一日1杯は飲んでいないのだが……。後半の11日を3本ではきついのではないか。三日に一杯だ。
 いま日本にいるときにはほとんどホットコーヒーを飲まないのに、珍しくこんなに進んでしまったのは(我慢して一日一杯にしていた)、こちらの夜長が(日本ももう同じだろうが)ひんやりと涼しく、いかにもホットコーヒーの似合う風になっていたからだった。
 それでもコーヒーは、同じ味とはいかないまでも、インスタントコーヒーに砂糖、ミルク(はどうするんだろうなあ)を買って、らしき味は揃えられる。気前よく飲んでそちらにするか。
 むしろ問題は残り少なくなってきた緑茶のほうで、これは日本と同じ味のものは絶対に揃わないから、それこそ一日一杯に限定して大切に飲もう。

・牛乳
 書いていて思いついたので。
 タイも中国もおいしい牛乳がない。チェンマイでも、Meijiブランドの濃いのがあると言われて買ったが納得しかねる。毎度言う憎まれ口だが、どうも旅好きには味音痴が多い。でなきゃ異国で暮らせないのだろうが。

 雲南になるとさらにない。山国だからジャージー種のうまい牛乳なんてのがあってもおかしくないのになあ。この点、ヨーロッパはどこに行ってもうまい牛乳があってさすがだ。お国柄の違いか。べつに牛乳好きではないのだが、タイや中国にしばらくいると、かならず「うまい牛乳が飲みたいなあ」と思うことがある。今回も、うまい牛乳さえあれば、インスタントコーヒーでカフェオーレが作れて、それで満足できるのだが……。

・緑茶
「中国人の飲む茶のほとんどは(烏龍茶ではなく)緑茶です」のようなCMが日本で流れていた。飽和状態になったウーロン茶市場より、新市場のペットボトル入り緑茶を売るための戦略である。それはその通りであり、御茶屋で目に附くのも圧倒的に緑茶ではあるのだが日本とは味が違う。まったく違う。「もしも中国に住むようになったら」と假定した場合、「日本の緑茶」はなんとしても常備せねばならない必需品になると確認した。

 今回こちらで初めて「ペットボトル入り緑茶」を見かけた。飲んでみたら、元々日本とは味が違うのに、それだけじゃ売れないと思ったのかハッカ味のようなものが添加されていて一口飲んだだけで捨ててしまった。中国では水が高い。ビールの大瓶と500ml入り水が同じ値段だ。その分、お湯と茶葉はどんな安食堂でも飲み放題になっている。「ペットボトル入り緑茶」だけでは売れないから、なにか特別の味つけが必要だったのだろう。
 私は大のお茶好きだが「ペットボトル入り緑茶」はうまいとは思わない。日本でも飲まない。ああいう味で満足できる人なら中国でも日本茶はいらないだろう。

・ふりかけ、お茶漬け
 一方、不味い飯をごまかそうと思って用意したふりかけとお茶漬けは、カオニオ(餅米)と漬け物を手づかみで食うことによって、今のところ出番は不遇となっている。せっかくだから明日あたりはカオスワイ(普通の白米)を買ってきてお茶漬けをやってみるか。

・ウイスキー
 切れることをいちばん心配した酒だが、ぜんぜん進まない。いいことだ。飲みたいと思わない。ちょうど普段は飲まないのになぜかこちらで飲みたくなった珈琲の逆になる。さすがに11日経過しているのでワイルドターキーは半分を切っているが、我慢はしていない。まったく飢えていない。むしろ飲みたくもないのに、手持ちぶさたでストレートをキュッと呷り、減ってきたようなものだ。今のところ酒は、食事の時に飲むビール一本だけ。これが一日の酒量になる。新たにウイスキーを買うことはないだろう。

 妻のところに預けてあったズボンの腹がきつくなっていた。不摂生で腹が出てきたとは自覚していたが、物品は正直である。履いていると苦しい。酒と飯を控えて(飯は意識して控えなくてもあまり進まないが)せめてこのズボンが苦しくないぐらいにはダイエットしよう。ダイエットではなくシェイプアップか。
雲南デジカメ日記-「日記02秋」に「誕生日のギター」を書く。
12日(土) 雲南デジカメ日記-「日記02秋」に「誇大広告の不思議」を書く。これってほんと不思議だ。この国はこんな大々的にテレビで流すインチキ広告を取り締まらないのだろうか。
 現在宿泊している永盛賓館は、色々な意味でお薦めできる満点の旅社なのだが、困ったことに昨日きょうと、深夜に突然停電した。数分で恢復する問題のないものではあるし、だいたいがまともな人間はみな熟睡している時間だから迷惑を受ける人はほとんどいないだろう。だが私は仕事中だった。気分良くのっていた。いきなり真っ暗になる停電に、ノートからバッテリーを外して作業していたのでパソコンがシャットダウンしてしまった。さいわいにもこまめにセーブする習慣が付いているので文章的な被害はなかったが。

 これは頻繁に充電放電を繰り返すとバッテリーの寿命が短くなるので最近になって始めたことだった。どうやらここではつけっぱなしにせざるを得ないようだ。

 この夜もあった。これはこの旅社において毎晩午前二時ぐらい必ずあるようなので、すくなくともこの時間はバッテリーを外せないようだ。
雲南デジカメ日記-「日記02秋」に「ムンラーの食生活」を書く。

 つられて(?)、写真を貼りつけただけで文章を書いてなかった「雲南デジカメ日記-「日記02冬」-「磯辺捲きでい!」を書く。
13(日)(日) 「中国口論-英語」に「附記」を追加。

「中国口論」に大陸的島国根性」を書き始める。仕上がるのは先になりそうなので、まだリンクを張るのはやめよう。

 9日の夕方に景洪にやってきてだから、実に五日目にしてやっとインターネット屋を発見。二時間4元。競馬の結果を知る。ほっとした。いや競馬の結果を知ったからではなくインターネット屋がみつかってね。

夜、雲南デジカメ日記-「日記02秋」に「景洪のインターネット」を書く。
14日(月)体育の日  日中、暑いので、外出するときは長袖を着ている。陽射しが痛いのだ。かといって湿気はない。チリチリと肌を焦がすようにいたい。だから長袖がいい。このことを初めて知ったのは4月のプーケットだった。あまりに暑いと痛いと知ったのは新鮮だった。

 夜、昨日知ったインターネットに行く。周囲はシューティングゲームをするガキばっか。なかなか自分の行きたいサイトに繋がらない間、見るともなしに見ていて思ったが、あれは「殺し合いのゲーム」なんだよね。ぼくらのやっていた初期のゲームは、いわゆる爆撃ものとか、宇宙怪物相手のシューティングだったが、今のはかなりリアルに、敵の基地に攻め込んで、銃を携帯して、物陰の敵を殺しつつ進軍するものである。武器を切り替え、弾倉を補填しつつ進軍する隣の中国人の子供を見ていたら、なんか暗い気持ちになった。

 インターネットはまたもありがたいんだかありがたくないんだかの結果。いきなりまた東京ドームの結果が出ていた。午後三時開始だから、こちらの十時、日本の午後十一時なら速報は合って当然なのか。これはありがたいんだろうな。お蔭で明日は来なくて済みそうだ。プロレス関係のサイトを覗いたら、みな「サップと中西戦」を褒めていた。
 藤田が永田に負けていた。藤田もサップも総合に専念すべきと思う。両立はぜったいに無理だし、よいことはなにもない。サップがプロレスに汚れてしまうことを(始まりはプロレスなのだが)懸念していたのだが、同じような意見の若者もいることを知った。
 バリ島のテロは、なぜバリ島なのか、こちらでの情報では詳細がわからない。あそこはイスラム教のインドネシアでもヒンズー教徒の多い特殊な地域で、イスラムのように酒、女に厳しくないから日本人にも人気があった。アメリカはアルカイダの関与したテロだと非難しているようだが、なぜアルカイダがバリで外国人を殺さねばならなかったのか。アメリカでは出来なかったのか。外国人を殺すためならどこでも良かったのか。だがインドネシアは今もビンラディンが潜んでいると言われるぐらいイスラムに好意的な世界最大のイスラム国家だし、イスラムがここでテロをやることに意味はあるのか。わからない。インターネットで十分に情報を集められるはずなのだが、なにしろ使いづらく、日本の讀賣、産經とスポーツ紙を読むのが精一杯なので隔靴掻痒の感は免れがたい。
15日(火)  新聞が読みたい。日本を離れて二十日が過ぎた。
 情報はインターネットで得ていて、ことさら必要ではないのだが、飯を食いながら、ビールを飲みながら新聞を読む日常的な行為が恋しい。チェンマイでは讀賣を買ってそれが出来ていただけに、出来ない雲南では尚更恋しい。なるほどなあ、こういうものか。となると「異国で暮らすのも、インターネットがあるから安心だ」とも言えないわけで。

 チェンマイでも、『サクラ』で讀賣を読む行為は必要ではなかった。単に新聞を読むだけなら『サクラ』に行けばバックナンバーまで読めるわけだがそれには興味がない。『サクラ』で無料で読めるのに、ぼくはよく自分で買っていた。それは、部屋で寝転がってひとりで読む行為がしたかったからだ。時折たまらなくしたくなり、実行したのは、新聞を買って、ひとりになれる店、たとえばステーキの「バンライ」などに行って、食事と酒と新聞を楽しむことだった。うまいものを食い、酒を飲みつつ一時間ほどじっくり新聞を読むのは、たまらなく楽しい時間だった。

 新聞を読んで情報を得ることと、「新聞を読む楽しみ」は別の形で存在しているらしい。もちろんこの場合、うまい食事と酒が必要なのであって、静かな場所で新聞さえ読めればいいというものでもない。三位一体の法則(?)なのである。ぜいたくなことだ。やはり外国には住めない。いや、チェンマイはともかく雲南はダメだ。ぼくの場合、「外国に住む」ということで論じる対象は、もう雲南しかないのだが。

 これは前々から確認していたことだが電波はぜんぜん恋しくならない。チェンマイでは、『サクラ』や『宇宙堂』はもちろん、今じゃ日本食堂はどこでもNHKを入れるのは客サーヴィスの常識となったが、NHKなんて見たこともない。見たくもない。

 映像はたまに話題のハリウッド映画を観に行く程度でいい。これはこちらでも出来るようだ。
 左は街で見かけたポスター。英会話に中国語字幕なのか、ならいいが中国語吹き替えになってしまっていると苦しいな。チェンマイでも英語にタイ語字幕だと問題はなかったが、タイ語吹き替えになるとついてゆけなかった。語学の問題でもあるのだが、ぼくは吹き替えものが好きではない。日本でレンタルヴィデオを観る際も吹き替え版は借りない。中国の映画は果たしてどうなのか一度確認に行かねばならない。でもロバは嫌いなので、なるべくこれとは違う映画を観たい。
(【後日記】──中国の映画はすべて吹き替えもの。これは字幕を読めない文盲が多いことからも当然だった)



 昆明や景洪に届く洋画を見ていて思ったのは、こちらの人は怪奇もの、恐怖ものが好きなようだ。そんなのばかりが目立つ。ぼくは大嫌いなので、ここの選択はむずかしい。主立った洋画の名作と呼ばれているものはほとんど見ているはずだが、怪奇もの、スプラッター類は一切知らない。後はガキもの、動物ものね。動物ものはけっこう見たが、今は反則だと思っているので見ない。
16日(水)
←中国の電話カード。
日本だと「千円で50円フリー」だが、こちらだと「29元で1元フリー」である。この感覚の差がおもしろい。





 父の誕生日。おめでとうの電話を入れる。
 中国は街角のいたるところに「電話屋」がある。日本で言うならキオスク(正しい登記名はキヨスク)が料金制の公衆電話になっているのだ。係員がいて、申し込んで電話を掛け、後から料金を支払うシステムである。まだまだ田舎町ではそれが全盛だが、景洪のような大きな街ではプリペイドカード式の公衆電話が普及し、携帯電話を手にした人も増えて、次第にこれが減りつつある。ぼくとしてはこの電話屋から一通話料金で日本に掛けてみたいと思っていたがどうもうまく行かない。いつものよう公衆電話にした。これは電話機、カード共に国内、国際共用の、日本よりもタイよりもすぐれたシステムである。

 日本では、イラン人が偽造テレカを乱発したために、あのグレ電でも「国内専用」にされてしまったものが多く、公衆電話から国際電話を掛けるのに苦労する。今は後藤さんに教えてもらったプリペイドカードを使っているので、緑電話からも使えて楽になった。これは料金も安く、本当に便利である。後藤さんによると、在日のタイ人なども、今では皆この方式だとか。

 チェンマイも国際電話はけっこう面倒だ。カード式は機械が少ないし、人間で申し込むのはわずらわしい。中国が、田舎でも、この国際電話兼用の公衆電話がどこにでもあり、とても便利なのは、数少ない「意外なこと」になる。

 中国は広大な地域をカヴァーするために(電話線の敷設がたいへんだから)無線電話の普及が急速に進んでいる。最大の市場として欧米やNTTが入札競争を繰り広げたことは記憶に新しい。

 マイカーの自転車に乗りながらケイタイで話す娘を三年前、昆明で見たが、今年は景洪でも普通の光景になっていた。

 チェンマイのケイタイ娘は、数年前は高給取りのマッサージパーラー嬢クラスのみだったが、昨年はミャンマーら来た置屋の娘もみな持っているようになり、今年は『サクラ』のウェイトレス(月収3000バーツ)も全員もっていた。
「イープン日記-『究極のウォークマン』」を書く。
 これを書いたのは「北陸ドライヴ旅行反省記」や、現在の旅先での音楽事情を書こうとするとき、先に書いてなければならないこれがないことが引っかかるからだった。四時間もかかってしまったが書いたことは無駄にはならないだろう。当初は「チェンマイ雑記帳」に書く予定だったが「イープン日記」にして正解のように思う。チェンマイだけの狭義の問題じゃないんだからそうすべきだろう。
17日(木)  「北陸ドライヴ旅行反省記」を書き上げる。出発前に田舎の家で書き上げる予定が、こんなに遅れて景洪で仕上がることになった。ともあれ仕上がってめでたい。
 インターネットで新聞を読んでいたら、北朝鮮から一時帰国した五人に対し、テレ朝の小宮悦子が「なんだかニコニコして、長い海外旅行から帰った来たみたいですね」と言い、鳥越俊太郎は「私には彼らが拉致被害者とは思えないんですよ」と発言したとか。なんちゅう感覚だろう。こいつらの神経は針金で出来ているのか。とんでもない話だ。こういうことがあっていいのだろうか、テレ朝は狂っている。さすがにこの発言には非難が巻き起こっているようだが。

 私がこういうものに接していつも思うのは、それは彼女本来の資質なのであろうか、ということである。小宮は都立大出身で、あそこは民青の巣窟であるから、そうであった可能性は高い。私は今まで都立大出身者と十数人知り合っているが、全員民青なのにはあきれてしまった。病巣は深い。本多勝一を崇拝している競馬記者とかね(笑)。小宮はどうなんだ。当時はノンポリで、テレ朝に入社してから染まったのか。それとも実は今でも染まってなどいなくて、タレント久米と同じように、ただの商売上の姿勢なのか。

 こちらでニッカンスポーツを読んでいると、やはりスポーツ紙の社会面でも、明確に政治姿勢が出ていることがわかり、さすがは朝日系と思う。そこはかとなく中国や朝鮮を賛美し、久米的に小泉さんとか自民党的なものには必ず言わずもがなのイヤミをひとこと附け足す。巨泉や辻元には同情的だ。なんか嗤える。

 産經新聞のWebでは、「全国紙の社説」として、産經と共に、讀賣、朝日、毎日、日経の社説を毎日載せている。これは大胆な試みだ。よほど自信がないと出来ない。読み比べてみると、いかに朝日が都合の悪いことには触れない獨自路線を行っているかがわかる。毎日これを読んで洗脳されている人が800万人もいるのかと思うと気が重くなる。私の場合は、姉一家になる。姉の二人の娘も家庭を持った。あいつらも新婚家庭で朝日を読んでいるのだろうか。考えるだけで憂鬱になる。
「景洪インターネット事情」に「附記」を追加。
18日(金) 「チェンマイ雑記帳-昆明ブーム」を書く。「チェンマイ雑記帳」にネタを書いたのも久しぶりである。
 この辺のことは、書きたくて書いたと言うより、「北陸ドライヴ旅行反省記」を書くのに「究極のウォークマン」を書かねばならなかったように、「中国口論-大陸的島国的」のために、この当時のことを書いておかねばならないと思っている。ともあれどんな雑文であれ、物書きは書かないよりは書いたほうがいい。アスリートのジョギングと同じだ。
雲南デジカメ日記-「日記02秋」に「日々の音楽」を書く。
「究極のウォークマン」に書き足し。これは今後もしばらく続きそうだ。
 ワイルドターキーがなくなった。食事時のビールを別にすれば、18日間で一本だからぜんぜん飲んでいないことになる。欲しいとも思わなかった。後半は、なんとかそれなりに飲める牛乳を見つけたので、「バーボン・ミルク」で飲んでいた。
 そのことを考えてみると、日本でもぼくの場合、ひとりで飲む酒とは、「うまい食い物」があり「おもしろい雑誌」とか、そういう組み合わせの上にあった。「うまい刺身があったので、ついつい日本酒がすすんでしまった」とか、「きょうは『紙のプロレス』を読みつつ一杯やるか」のようにだ。

 酒だけをがばがば飲むことはない。ビールでもウイスキーでもだ。
 ついでにいうと、ぼくはやけ酒を、若いときの女と別れたときの数度以外はやったことがない。それはまだ酒の飲み方も知らなかったガキの時だからノーカウントだ。おとなになってからはしていない。なぜしないかは、酒に失礼だからだ。そういう意味では酒を畏怖する親友だと思っている。彼の前でだらしない恰好はしたくない。これは考えようによっては、親友なんだから甘えてもいいのではないかとなりそうだ。親友には二種類ある。だらしなさを見せてもいい親友と、絶対にそれをしてはならない親友だ。酒の前では、いつもかっこいい男でいたいとぼくは思っている。

 もう二年前の二月になるのか、名古屋のサトシとカズヤの店に行き、ぼくは生ビールのジョッキをがばがば空けた。おかげで店長のサトシは隣室でダウンするようなことになってしまったのだが、あれなどもサトシやカズヤの経営している名古屋の居酒屋に行き、特別待遇で二階の個室で飲ませてもらったうれしさから来ているもので、ぼくは大酒飲みじゃない。
 いま学生時代からの友人の高笑いが聞こえたので、本気で弁解するが、ぼくは好きな人と飲むのが楽しくて飲んでいるのであり、父からもらった体質が強いのであり、決して酒好きではない。絶対に自分は酒で身を持ち崩すタイプではないと思っていたし、それだけは当たっているだろう。それが自慢になるかどうかは別にして。いや、間違いなく恥ではないよな。

 そんなわけで、おいしいものも雑誌もない雲南では酒のすすみようがなかった。それに、ぼくのことを何でも許してくれる(ノロケ)やさしい妻が、唯一怒るのがぼくの酒なのである。といって飲んで暴れたなんてことはもちろんない。彼女の父も兄も弱いのだ。彼らと比べるとぼくは大酒のみに映るらしく、ぼくの体を心配してくれているのである。まあたしかに中国の45度ぐらいある質の悪い焼酎(まずいんだわ、これが)をストレートで空けて、みんなが二三杯でへたっていても、平気なぼくは強く映るのだろう。いや実際強いのだけど。でも、ぼくは酒で肝臓を壊したりはしないだろうなあ。ほんと、その気になれば量を飲めるけど、決して酒中毒ではない。

 とはいえ今回、我ながら心配するほどあまりに飲む気にならないのもたしかで、すこし不思議な気もする。
 医者に行かないぼくは、獣の感覚を大事にしている。いま酒がうまくないのは、体がそう思っていることだから、素直に飲まないのがいい。そういう体からのシグナルを耳を澄ませて聞いてきたので大病とは無縁で来られた。定期健康診断を実行している(させられている?)会社に勤める友人は、ぼくにも人間ドックとやらで検査しろと言うが、その気はない。

 ぼくは長命の一族の一員として自分もまた長命であるに違いないと思いこんで好き勝手に生きているオバカサンだが、世の中そんなに甘いものではないとはわかっている。現に長命であり、体も脳みそも健康で(この脳みそが健康というのはとんでもなく凄いことなのだ。考えてみてください、五十の物書きが八十九の父に漢字を教えてもらうのである)、周囲の誰からも尊敬されている素直に自慢できるぼくの父だが、その規則正しい生活習慣、粗食、労働、勉強姿勢、どれもがぼくとは正反対である。その勤勉さと規則正しさもまた、誰もに自慢できるほどすばらしい。放蕩三昧をしてきて血統で長生きしているのではない。いや血統も長生きなのだが。
 父のような暮らしをしているならぼくも長命の一族だと、父と同じ齢まで生きると言えるだろうが、もう絶対に違う。完璧に違う。ぼくは自由業の不健康を絵に描いたような生活を送っている。

 ぼくの場合、長命とか健康にいいことをなにかしているかと問われたら、たった二つしかない。それは「タバコを喫わない」ことと、「ストレスをためない生き方をしている」という精神的な面でのことだけである。タバコはともかく、ぼくはこの「ストレスをためない生き方」を維持するためには全力を尽くしてきた。もしも人生においてなにか自慢するものがあるかと「乞食の自慢大会」になったら、ぼくにはこのネタしかない。
 そんなことを書いていたら「チェンマイ雑記帳」のネタとして「旅と酒」を思いついたのでそのうち書くことにしよう。

 日本茶も、基本的にお茶請けが欲しいほうなのだが、さすがにこれは「満腹した食事の後」には反射的に飲みたくなるので、おいしい御煎餅がなくても毎日飲んでいる。妻に、帰国まで量を図ってくれと頼んだ。この場合、「計る」ではなく「図る」だろう。計算なのだけれど、妻に裁量を任せたのだから。足りなくなりそうだったら減配(?)してくれと言った。さいわいにも毎日飲んでも足りるそうだ。100グラムしかもってこなかったが、一日一杯なら22日間は保つらしい。もったいないのは、茶筅で淹れているし、妻は飲まないので、一回一杯であることだ。でも、よく「二杯目がいちばんおいしい」などと言うけれど、こちらでの経験上は、圧倒的に一杯目がおいしく、二杯目はかなり落ちる。次の機会には急須を買ってみよう。


 ラーメンとアストリアコーヒーはとうのむかしに切れている。ラーメンはいつも行く三鮮餃子館の「刀削麺」がうまいので必要ない。コーヒーは、ネスカフェのインスタントと砂糖を買い、牛乳を入れるとなんとか飲めると確認したので、我慢せずアストリアを飲みきってしまった。まあ元々がアストリアでいい人レヴェルなので、文句はない。らしきものがありさえすればいい。日本茶のうるささと比べるとずいぶんとコーヒーはいい加減だ。これは日本酒と比べるとワインなんてなんでもいいのと似ている。安物日本酒はどうしようもないが、ワインは、安物輸入品でもけっこう飲めるのがある。これはぼくがワインに詳しくないから(=ワインの味がわからないから)ではなく、ワインのほうが最低品質が、市場の大きさから、日本酒よりも上なのだろう。スペインなどにいても、水代わりに飲む安物ワインには、けっこううまいものがある。日本で日中に安物ワインを飲んでいると、シェスタ気分になって楽しいものだ。
19日(土)  Gypsy Kingsのアルバム「Passion」を聴いていたら、Eaglesの「Unplugged」にある「Hotel California」とそっくりのイントロが流れてきた。まさかと思ったが正にそれだった。ぼくは今までGypsy Kingsが彼ら流の「Hotel Carifollnia」をやっているのを知らなかった。その全体の音は愕くほど「Unplaged」に似ていたが、この解釈は逆で、アコースティックギターを使ったEaglesのあのアレンジがスパニッシュに近くなり、Gypsy Kings的な音になっていったと解釈すべきなのだろう。
 どっちが先なのだろう。Gypsy Kingsが彼ら流のHotel Carifollniaをやったのと、EaglesがUnplagedをやったのはどっちが先なのだ。帰国したら調べてみよう。いいもんを聞いた。
 夜更け、川端康成の『雪国』を読んだ。スキイ、メエトル、スカアト、プラットフォウム等、音引きを使用しない表現が目についた。やはり戦後文部省の音引き濫用はよくないよね。
 解説と年譜も読んで二時間半。ちょうどThinkPadのバッテリが切れた。これでだいぶへたってきてはいるがまだ二時間半はもつと確認。まあたいしたものである。近々予備バッテリを買うつもりだ。これは品質が向上しているからもっと長持ちするはずだ。ほんとに四時間保つなら飛行機の中での読書や音楽鑑賞も出来るようになるのだが。

 続いて芥川の『芋粥』を読む。たった一カ所、唐突に登場する唯一のカタカナである「ナイイヴ」が新鮮だった。「ナイーブ」よりも美しいしより原語に近い。ただしこの場合のナイイヴもよい意味に使われていて、この言葉の誤用と普及は芥川あたりが元祖なのだろうか。(後日註・そうなんですね。納得しました。)

 二つの作品はぼくの中で繋がった。「芭蕉繋がり」である。
 「雪国」に天の河(この河になっている)を見上げるシーンがあり、「旅の芭蕉が荒海の上に見たのは」とサラっとそれだけ触れられている。「荒波や 佐渡に横たふ 天の川」のことだ。突然大ファンの芭蕉に想いは飛び、しばし茫然とする。すごいよねえ、海も佐渡島も宇宙さえも手の平に乗せて自分の世界に十七文字でまとめてしまうんだもの。「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」の透徹した世界を想い、「旅に病んで 夢は枯れ野を 駆けめぐる」から芥川の「枯れ野抄」を思い出した。「芭蕉雑記」「続芭蕉雑記」をぼくは読んでいない。帰国したらすこし芭蕉関係の本を読みあさろう。ぼくは芭蕉が間諜だった説を信じている。
「『お言葉ですが…』論考-縦書き横書き」に「縦書きと漢数字」を附け足す。
 これはこういうものを書こうと思ったときから重要な構成要素のひとつだった。なのに本来は内容に関係ない縦書きエディターの話などを延々として、このことを書かないでまとめてしまっている。自分のホームページであり、いくらでも加筆削除が出来るとはいえ、ここまでの間抜けぶりにはちょっと寒気すら覚える。

 ぼくは子供の頃から記憶力が抜群だった。それが今、物忘れが激しくなりボケ始めている。まあ脳みそは二十歳を過ぎたら劣化してゆくのだから当然の成り行きではある。今でもまだ並よりはいいぐらいかも知れないが、本人としては図抜けていたときの記憶から抜け出せないから落胆ぶりは激しい。
 記憶力のよくない人は、よくないからと意識して、メモを取ったり日記を附けたりして慎重に生きて来たろう。その点、記憶力がいいと自他共に認めている人間は、知らず知らずの内に驕っている。ぼくは今まで対談やインタビューの構成などでテレコに頼ったことがない。もちろん実証のために使ってはいるが、あまりに内容を全て明確に覚えているので聞く必要がなかった。一応念のため確認のために聞いても、それは自分の記憶力のすばらしさにうっとりするための小道具でしかなかった。これからはどこでどう勘違いするかわからないので慎重に行動しようと思う。
 自身の能力の低下を確認するのは哀しいものである。男の老いは、俗に「ハ・メ・マラ」と申しますが、これはまた別の機会に(笑)。
20日(日) 『お言葉ですが…』日中漢字差集」に「小心」を追加。
 これは「漢字の差」じゃなくて「意味の差」だ。こんな例は山ほどあり、書き出したらきりがなくなってしまうが「小心」には小心者として感じることが多かったので取り上げてみた。ついでに「湯」のことを書いている。こちらは正しく「意味差」である。
 夕方インターネット屋に行き、菊花賞の結果を知る。大荒れだった。武が落馬したとか。怪我はなかっただろうか。心配だ。速報は結果だけを知らせ、その辺のことには触れてないから、翌日詳報を読むまで精神衛生上甚だよろしくないのである。
 夏に新発売になった新馬券馬単・3連複の凄みを世に知らせ、一般的話題にするため、秋のGTで大万馬券を出すだろうとの裏読みが早くから流布していた。それがこれだったことになる。まあたしかに出やすい(出しやすい?)レースではあった。しかしこんなつまらないことばかりやっていたら、手本としたイギリスのセントレジャーが今じゃ誰も見向きもしないつまらないレースになってしまったように、菊花賞の価値を落とすばかりだと思うのだけどね。
 私は前々からもうヨーロッパと同じように「皐月賞、ダービー、天皇賞秋」で三冠馬の時代が来ると言っている。タニノギムレットなんてそれが出来た馬なのに、四位の不可解な乗り方で皐月賞を負けてしまい、その後の無理がたたって引退してしまった。でもその「四位の不可解な乗り方」も考えてみれば武の怪我から来ているわけだから、すべては武を中心に回っていることになるか。先日の勉強で「怪我」は日本人が作った漢字と知ったので、しばらく遠ざけていたのだがこれからは使うことにしよう。

 そのインターネットに『鬼平犯科帳』の話があった。主演が萬屋錦之介のものらしい。長年テレビドラマを見たことがないので他に誰が主演したものがあるのか知らない。原作と劇画(さいとうプロ)は通読しているので主立った話の筋は記憶している。原作では平蔵に帯同して京に行き、女と関わるのは木村忠吾(愛称うさぎ)である。ドラマでそんな脚色がされているとは思わなかった。原作派の私には、やっていいこととは思えないが、役者の持ち味を活かすためには、あって当然の脚色とも思う。

 テレビドラマの時代劇を見たのは東野英次郎の『水戸黄門』あたりが最後だった。佐野浅夫って黄門様を何年やったの? 一度も見ていない。時代劇に限らずテレビドラマをここ二十年ぐらい熱心に見た記憶がない。「水戸黄門は東千代の介だ」と古がるつもりもない。

 ところで『鬼平犯科帳』のドラマ化に関してひとつだけ興味がある。情に厚く剣に秀でた万能の長谷川平蔵が唯一苦手としたことに謡いがある。鬼平は音痴なのだ。それでいて音痴が常にそうであるように、下手の横好きで、他人様の祝言では高砂等を謡いたがった。みなその音痴ぶりに笑いをこらえるのがたいへんだったという箇所が原作にはある。このことに触れたテレビドラマはあるのだろうか。
21日(月)  宮本輝の『錦繍』を読む。昭和五十七年の発刊。以前読んだのはそれ。今回読んだのは文庫本で六十年の発刊。黒井千次の解説が附いている。新刊で読んだ話題本なのに内容をすっかり失念していた。恥ずかしいことなので隠したいが、「北陸ドライヴ旅行」に「能登を舞台にしたのは『錦繍』だったか」と寝ぼけたことを書いているのだから隠しようがない。手紙形式の傑作小説であることすら忘れていた。よって今回の読み直しもほとんど筋を忘れていたので、まるで新作を読むような楽しさ(笑)。一気に読破した。忘れることも悪くはない。しかしなあ、この小説を読んだとき、けっこう感動して感想文を日記のようなものに書いた覚えがあるのだが……。

 前記、テレ朝の小宮と同じ東京都立大出身の民コロ(笑)──差別用語なので使わないようにしましょう──出身の競馬記者が宮本輝(創価学会熱烈信者)を毛嫌いしていたことを思い出した。民コロであるからして共産党であり無宗教である。共産党と公明党が仲が悪いように、彼も創価学会が大嫌いなようだった。わたしゃどっちもきらいなんでどうでもいいですけど。ま、ヘビとナメクジのけなしあいみたいでけっこう笑えたけどね。
 その彼が宮本文学を創価学会の宗教そのものだとボロクソに言っていた。たしかに宮本文学には彼の死生観(=宗教観)が色濃く漂っている。今回これを読み直してみて、その中でもその色が強い作品だと感じた。それはそれで人それぞれだし、この作品で提示されている「生きることと死ぬことは同じ事」とか「生まれ変わり」の思想は好きなので、私は抵抗は覚えない。作中で語られる「戦争で四人の息子を失った母がいる。四人とも戦死と伝えられていたが、実はそのうちのひとりは自殺だった。三人は人に生まれ変ってくる。だからそのうち会える。だけど自殺した息子は人間には生まれ変ってこられない。現世で再会することが出来ない。だからよけいに愛しい」という発想は大好きである。でも嫌いな人には鼻についてたまらんものなのかも知れない。だったら読まなきゃいいんだろうけどね。

 民コロ競馬記者の彼が崇拝していた本多勝一なんてのはもう私は死んでも読まないぐらい大嫌いなので、彼が宮本を嫌う気持ちはわかる。対立概念だ。比較してみると、私は、創価学会のほうがまだ共産党よりは好きらしい(笑)。なんつうか、接しない限り、学会は日常的な不快感をこちらには与えてはこない。今まで学会員と旅先で何人か知り合った。気まずくなった瞬間は、私が露骨に学会批判をしたときだけだった。もちろんそれは彼がそうだと知らなかったからしてしまったわけで、非は私にある。人の好きなものをあからさまに非難するのは失礼である。こちらがそれさえしなければ学会員とは仲良くつきあえる。
 その点、共産党員は今回の拉致問題でもそうだが、今や愚かとしか言いようのない死滅したテーゼを頑迷に主張している世界でも珍しい存在だ。「日本共産党」の名前を変えたらどうだという意見が出ているらしい。どうなのだろう。どうでもいいけど(笑)。
チェンマイ日記2002秋-後半へ




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