秋
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●ムンラーの休日



午前十一時に出発。午後五時半到着。長かった。道がいいと思ったのも最初だけ。やはり崖崩れの多いひどい道だった。ただし、どこでも工事をやっており、拡張と整備に余念がない。建設業界がどこをみても稼働中なのは、日本と違いこの国が今躍動していることを証明している。とにかくどこへ行っても建築ラッシュだ。シャッターの降りている店が目立つ日本やタイとは違う。

ムンラーの字は左のように書く。ムンの字がないのはしかたないとしても、ラーの字はATOKの漢字検索で 出すことは出来る。日本語読みは「セキ」である。『一太郎』は表示できる。しかしテキストエディターでもこの『ホームページビルダー』でも、それは「機種依存文字」となり「?」に化けてしまう。これはなぜなのだろう。どなたか詳しい人がいたら教えてください。なんとも「ムンラー」と書くと雰囲気が出ないので、この表記にしようとかなり努力したのだが諦めた。まあとにかくそんな字です。

 これは常識なのだけれど、このタイ族の源流、西双版納の至る所にある「ムンなんとか」という町名の「ムン」がタイ語の「ムアン=町」の語源になる。中国語化してしまったタイ語の原語と、現在のタイ語のつながりを探すのは興味深い。
 日本語の源流を探すことを研究テーマとする人は、ビルマ語の中に日本語との共通点を見つけたりすると飛び上がって喜んだりするらしいが、中国語の中のタイ原語を見たりしていると、なんとなくその気持ちがわかった気分になる。



地図的には左のようになる。国慶節を避けて行こうと思ったもうひとつの候補地であった打洛がミャンマーとの国境近くであるのに対し、ムンラーはラオスとの国境近くになる。右下の「老×」の字が「ラオス」の漢字表記だ。打洛の下の国境はミャンマー。ここに行ったときは、自由に行き来できる中国人とミャンマー人がうらやましかったものだ。

ムンラーに着いて思ったのは、ここはまだサムロー(自転車タクシー)の世界ということだった。いちばん頻繁に行く妻の故郷に近い町である孟連(むんりえん)はもうバイクタクシー(バイクがリヤカーを引っ張る)になっている。サムローはここ数年で消えてしまった。景洪はもう昆明等と同じく自動車タクシーの時代である。人力→オートバイ→自動車、という発展の流れはどこでも共通だ。



 ひとり2元、二人で4元だ。サムローが頑張ってくれたので、チップを含めて10元をあげようと思う。彼の喜ぶ顔が見えるようだとひとり合点していたら、あちらから10元くれと言ってきた(笑)。まだ中国で、こういうことに関して「うれしい誤算」は経験したことがない。いつでもあっちのほうが図々しい。タイでは楽しい思い出が数え切れないほどあるのだが。
 自動車のタクシーがあったなら何人乗ってもどんな大荷物があっても5元なのだから、4元はすこしも安くないし、10元がいかにふっかけた値段であることかおわかりいただけると思う。


チェック・インした山菜酒店の窓からの景色。静かな場所にある新築の旅社。なにより天井が高く閉塞感がないのが救われる。もしかしたらここも特別価格かと思ったが、50元とまともだった。(すこしはボラれているのかもしれない)。

 バスタブがないことは覚悟して宿泊したから文句はない。唯一トイレが臭いのが気になった。水洗式ではあるのだが、階下の便漕に集めるような簡易水洗のようなものなので、どことなくドブ臭いような感じが四六時中つきまとうのである。後は天井も高くひろびろとして、満点と言えるぐらいの部屋だけによけいにそれが気になった。国慶節が終るまでここで過ごす。



ところで、私の写真をなかなかうまいではないかと褒めてくれる人が多いので、豚もおだてりゃ木に登るで少しばかり木の上からのぼせたことを言わせてもらうと。
 ちょいとお気に入りの上記の写真なども、窓から外を写せばいいだけだから誰でも撮れるものだが、いい光加減になるのを待って、時間をズラし、かなりの枚数を撮っている。いきなりパチリと一枚撮って掲載しているわけではない。技術がない分、智慧は使っているつもりである。上記のものは珍しく小雨模様になり、光の具合、しっとり感が私好みになった。
 誰でもいいものが撮れる優れた機械の時代になったら、後は脳みそ勝負だろう。私の知っているプロカメラマンでもいい写真を撮っている人はみんな頭がいい。絵は天分だが写真は努力でなんとかなる面もある。と思っている。妄言多謝。

●誕生日のギター

中国滞在時に自分の誕生日を迎えるのは初めてだった。私はこの種の祝い事が嫌いである。キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝う人が理解できない。だってあれは一宗教の開祖の誕生日である。麻原の誕生日をオウムに関係ない人間が祝うようなものだ。キリスト教徒でもないのになんでクリスマスを祝えるのか理解できない。

 まあ戦後の貧しかった時代、西洋からクリスマスの習慣が入ってきて、メリークリスマスだのクリスマスイブだのサンタクロースだのが流行ったことは、その時代をとりあえず知っているものとしてわからないではない。アメリカは、明るく豊かな時代への憧れの象徴だった。
 私の両親が世の流行りに流されず、間違ってもクリスマスプレゼントなんてことをしてくれなかったこと、そのことによって、サンタクロースはほんとはお父さんなのではないかなんてことに悩まずに生きてこられたことには心から感謝している。思えば日本人として筋の通った親だった。これ自虐ネタではない。素直な心情吐露である。父が日本酒党であったことも今は素直にうれしい。

 キリスト教徒でもないのにキリストの誕生日を祝ういい加減さが、今の日本、戦後の復興につながったことは理解している。節操のなさは日本人の特性だ。それにしても、予約する若者でクリスマスイブにホテルが満杯になったり、「君のいないひとりぼっちのクリスマスイブ」なんてのが、さびしいこと、かっこわるいことととして認識される日本はやはり異常である。すくなくとも、「キリスト教徒でもないのにこれほどクリスマスを祝う人間は、世界中探しても日本人だけである」とは断言できる。イスラム教徒もヒンズー教徒もキリストの誕生日をめでたいとは祝わないし、キリスト教徒もまたマホメットや釈迦の誕生日を祝いはしない。ほんとに日本人とは不思議な人たちである。

そういう意味では佛教徒であることに徹しているタイや、旧正月以外はしらんふりの中国は居心地がいい。もっともバンコクなどはもうクリスマスの騒ぎを始めている。いつの世も、どこの国でも、先鋭的大学生は異国のものをよしとする。バンコクでも、クリスマスを祝うのがかっこいい風潮が芽生えつつある。白人観光客の多いチェンマイも同様だ。それでも庶民の日常生活には無縁であることが心地いい。
 なぜ妻と結婚したのかと多くの人に問われ、説明が面倒になることがあるのだが、これらのことも確実に関係がある。私の妻は、私にクリスマスおめでとうと言い、おれはキリスト教徒じゃないからべつにめでたくないよと言われることもないだろうし、私にクリスマスプレゼントが欲しいとねだることもないだろう。それは私にとって大きな快感である。

 今の日本人としては、多数決を取ったら間違いなくひねくれ者に属するのであろう私も、誕生日は否定しない。これは宗教とは関係なく自分の生まれた日だからそれなりの思いはあるし祝ってもいいだろう。この点に関しては私の親は最低で、自分たちで子供の誕生日を祝ってこなかったくせに、齢を取った今になって、自分たちは祝われたがっている(笑)。

 よってメモリアルデイの嫌いな私ではあるが、誕生日に関してはつきあっていた女とプレゼントの交換のようなことをしてきたのである。こんな普通のことを書いていてものすごく恥ずかしいのはなぜだ(笑)。

今回どうするかだ。出発するときから妻と一緒にいるときに誕生日を迎えるなあとは思っていた。そりゃさすがに気づく。妻とつきあい始めて五年以上になるが、誕生日おめでとうのやりとりをした覚えがない。口では言っているはずだが。
 彼女は家庭においてそういうことをしてこなかったろうし、私はそういう祝い事の習慣を押しつけるつもりもない。おめでたいと思っていない相手におめでとうと言うのはヘンだし、おめでたいと思っていない相手に、おめでとうと言ってもらおうとするのも無理がある。

 さてどうしよう。しらんふりして過ごせばいいのか。頭の中では「きょうはオレの誕生日だなあ」と考えつつ、一日が過ぎゆくのを待てばいいのか。それもちょっと寂しい気もするが、結果としてまあそうなるものと思っていた。

ところが当日、妻のほうからきょうはあなたの誕生日だからケーキを買ってきて祝おうと言ったのである。そりゃあ肌身離さず結婚証明手帳を持っているのだから(多くの場所で、正規に結婚していない愛人だろうと言われるのが悔しくて、妻はいつもそれを携帯し、なにかあったらどんなもんだと突きつけている)いやでも私の誕生日は記憶しているだろうが、祝う習慣のない育ちをしているのだから、そんな発想が出てくるとは思わなかった。言われて悪い気はしない。いや正直、うれしかった。(この書きかたをすると思わず健介の「正直、すまんかった」を思い出してしまうなあ。)

町を歩いていて、ギターが目についた。何でも屋のような店先に吊されていた。値段は150元。2500円ぐらいか。シングルカッタウェイでなかなかかっこいい。買うことにした。自分から自分への誕生祝いである。タイでは5000円程度の使えないギターを十数台買っているが(親しくなったアンチャン、ネーチャンに帰国するときあげてきた)中国では初めてである。ひどい音だがフレット音痴ではないことが救いだ。


町のケーキ屋で妻がケーキを買った。ローソクも買っている。本数は適当。
 そんなわけで二人だけの誕生日祝い。ギターでハッピーバースディを弾いたら妻が喜んでいた(笑)。思うに、そういうのをテレビで見たことがあり、一度ぐらいはやってみたかったのだろう。

 昆明でも思ったが、中国のケーキはまだまだである。(酒飲みのくせにうまそうなケーキがあると食ったりしている。)生クリームがまずいのは値段的にもしかたないにせよ、パウンドケーキの部分をもう少ししっかりして欲しい。食の国が泣くぞ。
 これはこれで忘れられない誕生日になった。





この後、そうでなくても二人とも両手荷物だったから、景洪への移動に、段ボール箱に入れたギターの運搬に苦労することになる。その荷造りに、旅の万能便利品として持参している布ガムテープが役立ってくれた。
 妻の実家に運ばれ(既に両手荷物があるのに、それに加えてこのギターをひとりで運ぶことになった妻は今から憂鬱になっている)、中学中退の甥(長兄の子)にプレゼントすることになるだろうが、果たしてこの甥、ギターに興味を持つような奴なのかどうか疑問である。なにしろ貧しい家計の中からせっかく町の中学に行かせてもらったのに(もしも学費が苦しいなら私が援助しようと思っていた)勉強は嫌いだと帰ってきてしまったような怠け者なのである。私の妻は、ちょうど中学進学のときに母が大病をし、家計がいちばん苦しい時期になったため進学できなかった。兄は出ている。その悔しさもあり、私からの仕送りを融通しても甥を町の中学に行かせてやろうと思っていたから、この怠け心には心底がっかりしていた。



 この甥っ子、勉強は嫌いでも一人前にもう色気づき、酒とタバコ、女には興味があるようだが、とんと文化的なものには無関心なのだ。たとえ安物のギターであれ音楽に関わってきたものとして楽器はないがしろには出来ない。チェンマイで知り合った連中に思いつきであげてきた十数台の針金ギターも、私なりにギターが大好きでぜひやってみたいけど買えない貧しい青少年を選んで渡してきたつもりでいる。甥の反応次第では、触らせることもせず、妻の部屋に封印しようと思っている。

 嵩張ろうとも、初めて中国で買ったギターだから日本まで持って帰ってもいいのだが、まず間違いなく楽器以前のこういうシロモノは、私は弾かない。それはいくら飢えても女なら誰でもいいとはならないのと同じだ。弾かれない楽器はかなしい。収集癖はない。はてさてこのギターの運命やいかに。



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