ポムとは以下にあるように「髪の毛」のことである。「髪」の意味で日常的に使う。ところがこの語には、同音異義語がすくないタイ語には珍しく「わたし」というもうひとつの意味がある。
 単音節言語であるタイ語には、日本的にカタカナで書いたら同じになるコトバが山のようにある。カタカナ2文字、3文字のコトバが大多数なのだから当然ともいえる。だがすべて声調が違うので──聞き慣れないこちらには同じように聞こえても──綴りも発音も異なった別のコトバなのである。同じ綴り、発音で複数の意味をもっているものはとても珍しい。
 私がここで取り上げようとしているのは、ポムの後者の意味「わたし」についてになる。



  短いことばだが声調によって意味が違うという例として出される代表的なものに「マイ・マイ・マイ・マイ」というのがある。意味は順に「木・新しい・しない・燃える」となり、「新しい木は燃えません」という意味だ。カタカナで書くとみな同じになってしまう四つのマイは、それぞれ声調が異なる別のことばである。もちろん日常でこんなことばが連発しているわけではない。日本語とあまりに違うおもしろい例として、たぶん日本人(じゃなくても外国人)が作ったのだろう。なぜなら声調のある国の人は、そんなものは意識することなく育つので、この私たちからみたら不思議でしょうがない例文も、本人たちにとってはごく自然なものだからである。「タイ語の声調は難しいから外国人は苦労するに違いない。特にこのマイマイマイマイは」なんてことをタイ人が考えるはずがない。よってこれは間違いなく外国人の作文であろう。とはいえこの例文には「いかにタイ語が日本人にとって難しいか」が集約されている。


「『お言葉ですが…』論考」-「漢字を使うな!」
 そんなわけで、この「ポム」のようなカタカナ二文字で、綴りも発音もまったく同じことばというのは、タイ語では珍しい例になる。上記の「マイ」の例のように、「ポム・ポム」と使えば「髪・わたし」で「わたしの髪」となるわけだが、こんなのは聞いたことがない。でもその言い回しは日常的だ。どうなるかというと「××の髪」のところに一人称が入るわけである。それは圧倒的に個人名やチャン(=ぼく、おれ、あたい)が多い。一人称としての「ポム=わたし」はあまり使われない。
 「ポム」の「わたし」とは、あらたまった言いかたである。「おれ」でも「ぼく」でもなく、「わたし」なのである。このことがこれから始める話の基本になる。

 餘談ながら、最近タイ語の辞書などめったにひかないので、このページにコピーを張るため、久しぶりに富田先生(タイ語の権威)の辞書を開き懐かしい想いに打たれた。毎日熱心に勉強していたあのころを思い出す。



 金髪は「ポム・トン」ですか。トンは「金(きん)」のことですね。タイのおねーさんと恋愛関係になると真っ先にねだられるものです。
 かつらは「ポム・プロム」ですか。プロムは「にせもの」という意味です。「偽の髪」でカツラなのですね。
 前髪は「ポム・ナー」。ナーは前という意味です。前髪が乏しいので使ったことがありません(笑)。
 白髪の「ポム・ゴーク」はよく使っていました。ちょうどタイに通い始めるころから白髪が増え始めて気になっていました。外国語というのは自分に関係あることばは覚えるわけですね。まだかつらをかぶっていないのでポム・プロムは知りませんでした。

 しかしまあこうしてタイ文字を読める自分が他人のようです。私は何事も熱狂的(他人からみたらですね。本人は平常のつもりです)に集中してやり、通り過ぎるとまったく興味のなくなってしまうという極端なタイプです。もうタイ語の勉強をやめて何年にもなるのに、辞書を開くとすらすら読めます。学問てのは偉大ですね。ありがたいことです。勉強してよかったと思います。これからタイは私の中でますます遠くなっていくだろうけど、しみじみと愛しさを感じたりします。
 これらの話から、タイ語を知らない人でも気づかれるでしょうが、タイ語というのはラテン語のように形容詞が名詞の後ろに来ます。日本語の「赤い太陽」は英語だとレッド・サンで順序が同じ。フランス語だとソレイユ・ルージュと「赤い」が後ろに来ます。タイ語も「タワン・デン」でフランス語と同じ語順になります。チェンマイで出会うタイ語のうまい外人には、イギリス人やアメリカ人よりも、フランス人やスイス人が多いのですが、これって関係ありでしょうか。あるでしょうね、間違いなく。
 ということで本題。



 関西在住の女性がやっているタイ関係のホームページがある。98年頃、インターネットを始めたころに検索して見つけた。あのころはそういうことが楽しくて、およそタイ関係のホームページで登録されているものは、ほとんどぜんぶ「お気に入り」に集めた気がする。200ぐらいあったと思う。今はひとつもない。興味をなくした。あいかわらず極端である。そのかわりパソコン関係がそれぐらいある。

 そのホームページは今も息長く続いているらしい。最近はぜんぜんいったことがないので知らないけれど。
 そこに関してすごいなと思うのは、制作者の若い女性が、プロフィールとして、自分の顔写真を公開してしまっていることだ。なかなかの美人である。なによりも顔に険がない。おだやかないい顔をしている。
 こういう大胆なことをしてしまうと、"アラシ"というのがやってきてろくでもないことを書き込まれたり写真を悪用されたりするのだが、このサイトは今も昔もそれとは無縁のようである。主催者の人徳であろうし、おだやかなホームページだから、アラシも暴れがいがないのだろう。

 私は当時も今も見知らぬホームページの掲示板に書き込んだりしたことがない。そんなに新しいともだちをほしいとも思っていないからだ。今の手持ちで十分だ。私のパソコンはコミュニケーション・ツールではないのである。それでもそのころは、毎晩そういうお気に入りに登録したホームページを巡回しては、インターネットという新しいメディアに親しんでいる自分にはしゃいでいた。

 折しもインターネットの黎明期である。パソコン通信をやっていた人たちが次々と自分のホームページを立ち上げ、同好の士と手をつなぎ始めていた。後藤さんのホームページのビジターだった人たちも、獨立して自分のホームページを持ちつつあった。
 私が〃お気に入り〃に入れたタイ関係のホームページや、新しくタイ関係のホームページを立ち上げた人たちが、次々と連結して「ともだちの輪」を広げてゆくのを見ているのは、顕微鏡を覗いて微生物の増殖を見ているような、不思議な感銘だった。

 自分のホームページを立ち上げた彼らは、さらに同好の士を求め、タイ関係のホームページを訪ね歩く。気に入ったところがあったら、そこの掲示板に書き込み、自分のホームページアドレスも書き込んで宣伝してくる。まあ、電柱におしっこをかける犬のマーキングのようなものであろうか。そういう彼らが訪ね歩く電柱の一本に、いやホームページのひとつに、その女性の主催するものがあった。

 二十代の女性、しかもなかなかの美人が主催しているサイトである。当然男たちは「はじめまして」と掲示板に書き込む。後藤さんのところで見かけた人や、自分がお気に入りに登録しているホームページの主催者たちが、次々とその女性の掲示板にやってきては書き込んでゆくのが、私には妙におかしかった。それに、短い書き込みではあっても、他の掲示板の時とは違う、女性に対するちょいとした男の気取りが見えたりするのが、なんとなくくすぐったかった。やはりどこにおいても美人は得である。そしてまた男は、なにをやっても男だった(笑)。

 彼女が顔写真を公開していなかったら、あれほど多くの男たちが挨拶に訪れたであろうか。そしてまた彼女が美人でなかったら、男達が妙に紳士ぶることもなかったろう。なぜなら、ま、こういってしまうと角が立つが、彼女のホームページは、よくいえば極めておだやかな、わるくいえば没個性の、毒にも薬にもならないサイトだったからである。すみません。でも本音。



 類は友を呼び、タイ好きのホームページ主催者たちが集って掲示板は盛り上がる。
 そんなある日、そこの掲示板で「タイ人は自分のことをなんというのですか」のような初心者の質問があった。タイに詳しいWebMaster(笑)が、そのウンチクを傾ける絶好の機会である。ここで博識を披露すると美人のホームページ主催者にも覚えめでたくなるだろう。

 ちっとばかし脱線するが、このWebMasterということばに「(笑)」をくっつけたのにはわけがある。やはり同じその頃のことだ。

 ネットで知り合ったタイ関係のホームページ主催者たちが、オフ会というのか、五人ほど集まって酒を飲んだらしい。そのときの感想として、そこの掲示板に「考えてみると五人全員がWebMasterである。これはすごいことだ」と、ちょっと自慢げに書いてあったのである。私はそれを読んだとき、思わず「たんに寂しい男が五人集まっただけじゃないの」と意地悪いひとりつっこみを入れてしまった。

 それ以来どうもこのWebMasterというリッパなことばを見ると気恥ずかしくなってしまう。だけどどう見ても私には、元の風来坊にもどりたいけど時節柄年齢のこともあり、踏ん切りのつかない今はカタギのサラリーマンが、タイ関係のホームページを作って寂しさを紛らわしているようにしか思えなかった。彼らの作っている「ビンボくさい無内容なホームページ」と比して、WebMasterというのはちょっとかっこよすぎるように思えたのだ。

 実はこの話をずっと前から書きたかった。ホームページというものに関して、けっこうこれはスルドイ意見なのではないかと思っている。「寂しがり屋の男たち」ね。かつてのバックパッカー、今はカタギのサラリーマン。会社じゃ周囲と趣味が合わず、けっこう浮いたりしている。かといって辞めるに辞められずネットで知り合った同好の士と、タイ料理屋だとかタイカラオケなんてのをやって慰め合ってる人たちである。
 でもこれってそこいら中にいる同様のWebMasterにケンカを売るようで書けなかった。いや、からかうことも、そのことで反発を買うことも平気なのだが、私にそれを受けて立つ場がないのはまずい。だから書かなかった。書けなかった。

 今は書ける。だって私も今じゃWebMasterだからね(笑)。「ビンボくさい無内容なホームページとは何事だ。それこそおまえのホームページじゃないか。そのことばはそっくりおまえに返してやる!」と言われる資格を私も持ったのである。火の粉が自分にもかかってくる立場になったから書ける。風上から物陰に隠れて火の粉をまき散らすようなことはしない。これは他者にキツい意見を言う場合の基本である。安全な立場から言いたい放題はしない。

「『T-thai(定退)』騒動」や「流浪人を斬る!」に書いたが、それなりのなにかをしている人に、通り過がりの匿名で批判することこそがヒキョーなのである。最低限そこがわからないと話は始まらない。私は、自分がビンボくさい無内容なホームページを始めたので、他人のそれに対しても正直にそう言える資格を得たのだと思っている。五分五分の立場ってヤツね。あ、また脱線してしまった。本題にもどる。

『T-thai(定退)』騒動
流浪人を斬る!
 やっとこさ「ポム」の本題である。
 その美人の主催するホームページの掲示板で、前述の質問に対し、Joeと名乗る人が、「タイ人は自分のことを自分の名前で呼ぶ。男性が自分のことを呼ぶとき、わたしという意味のポムということばがあるが全然使わない。聞いたこともない」というようなことを初心者に教え諭す感覚で書き込んだのである。
 このJoeもタイ関係ホームページのWebMasterだ。私のその200ものタイ関係お気に入りにもしっかり入っていた。Joeはタイの南の島でお店をやっていたこともあるらしく、タイ全般、タイ語に関して、ちょっと自信があるようだった。ホームページにはタイ語に関するコーナーもある。

 ところで、面識のない人をいきなりJoeとファーストネイムで呼び捨てにするような非礼はおかしたくないのだが、どうやらJoeは、どこでも自分をJoeと呼んでいるらしいのである。Joeのホームページにおける文章でも、「Joeはこう思うのだ」のように一人称は常にJoeである。コーナーのタイトルも「Joeの××」のようになっている。だから私も親しみを込めて呼び捨てさせてもらうことにした。Joeは普段話すときでも、「Joeはね」とか「Joe、困っちゃう」とか常に自分をJoeと呼ぶのだろうか。だとするとちょっと問題があるんじゃないかJoe。いや、その名前からして白人(ハーフかな)だろうから、それがフツーなのだろうか。いや白人の一人称は自分の名前じゃないよな。とするとタイ人感覚か。

 そのまま初心者が「ああ、そうなんですか」と応えれば丸く収まったのだが、Joeの意見に対し、「んなことはない。ポムは日常的に使われている」と反論を書き込んだ人がいたので問題が起きる。その人のハンドルは「白蘭大酒店」だった。
 この掲示板のログはとってないし、いくら友人に気味悪がられるぐらい記憶力のいい私でも、他人のハンドルまでこまめに覚えているわけではない。なのになぜ覚えてるかというと、この「白蘭大酒店」というのは、バンコク中華街の「ホワイト・オーキッド・ホテル」の漢字名なのである。一時期私はこのホテルを定宿にしていたから、このハンドルが記憶に残ったのだった。この人も、間違いなくホワイト・オーキッド・ホテルから取った名前だろう。後に「Net Thai」の書き込みでもこの名前をも見かけたので、活躍しているかたなのかもしれない。
 十数年前、1500バーツの白蘭大酒店と80バーツの楽宮旅社の両方に部屋を取り、白蘭大酒店で風呂に入った後、楽宮に行って汚いベッドで寝るとか、わけのわからないことをやっていたものだった。

 というわけで私には印象深いハンドルである「白蘭大酒店」さんは、「ポムなんて言いかたはぜんぜん使われない」というJoeの意見を、「そんなことはありません。だれもが使ってます」と真っ向から否定したのである。

 それはそれでタイ関係のホームページじゃよくあることだったのだろうが、なにしろ美人WebMasterを巡ってのやりとりである。Joeの書き込みにも、初心者に教えてあげましょうというたぶんに高邁な面があったし、それを否定した白蘭大酒店の意見も、「物知りぶってるけど、こんなことも知らないの」というようなちょっとトゲのある物言いだったから、その後も舌戦が続き、掲示板は険悪な雰囲気になっていったのだった。

 自分を巡っての(べつに巡ってないけどさ)激しい争い(べつに激しくもないけど)に、ついに美人WebMastertが直々に掲示板に「ケンカはやめてください。みんなで仲良くやりましょう」と書き込む事態となった。

 私はこのとき、「ケンカをやめて。ふたりをとめて。わたし(=ポム)のことで、あらそわないで」という歌を思い出し、大笑いしてしまったのだった。
(ポム-その弐」に続く。)
(書き上げ01/10)

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