これっきりという愛しさ

    (イープン日記トップの写真)

 ホームページを作ったら「イープン日記」というコーナーを作ろうとは最初から考えていた。まあ身辺雑記である。「掲示板MonesWorld」に書いていた短文の再掲だ。ご存じないかたもいるだろうから念のために書いておくと、「イープン」とはタイ語で「日本」のことである。ぼくのネットにおける文章デビューは、後藤茂さんの「チェンマイのさくらと宇宙堂」における「チェンマイ日記」というものだった。それを文字って「イープン日記」である。なんだかよくわからんタイトルだけど、始めてしまったのでいまさら変更する気にもなれない。とりあえず日本での身辺雑記はここにまとめることにした。

 ホームページのコンセプトは、最初「Mone's World別館 プレハブ」から始まった。いま現在と同じく、プレハブ小屋に雑然と資材がちらばっているというものである。表紙写真に使うプレハブ建築を探している内に「亀造建説」という発想に思い至る。「建説」はもちろん「建設」からとった。
 この中の一コーナーとして「イープン日記」を作る。そのイメージとしてなぜか当初から「工事現場」があった。そんなわけで出来たのが「イープン日記」のトップページになる。
 ここに使われているありふれた標識は佐賀県で見かけたものだ。こういうものを使うのはあまり好きではない。自分で作ったもののほうがいい。なのになぜこれを使ったかというと、佐賀県への想いからだった。



 今年(01)の春、仕事で佐賀県に行った。初めてだった。そしてなぜか「この地にくるのは、これが最初で最後だろう」と感じた。

 不思議な感情である。異国に行っても、たとえばポルトガルの西の外れ、「ここに地終り、海始まる」の碑に行っても、そんなことは思わなかった。今も間違いなくあそこにはまた行くだろうと、当面の予定もないのに思いこんでいる。
 なのに国内だというのに、佐賀県はこれが最初で最後だろうと感じたのだった。同じ国内でも、ぼくは稚内でも沖縄でもそんなことを思っていない。なぜなのだろう。初めて行った佐賀県で、それを強く感じたのだった。


 佐賀県には、ぼくの生まれ育った関東とも、若いときからよく行っている北海道や東北とも、ぼくが日本でいちばん異国を感じる大阪とも違った、獨特の空気があった。
 九州で比較的よく知っているのは福岡になる。それともまた微妙に違う。ちいさくてかわいらしく、なんとも愛しさを感じる街だった。時間さえあれば一週間ぐらいいてみたい気がする。

 
 でも実際は一泊二日の滞在で切り上げねばならなかった。しかも仕事で丸一日佐賀競馬場の取材である。とはいえ昼間から馬券を買い、競馬場内の食堂でビールを飲んでいるのだから、仕事と言うにはおこがましいが。

 この風景も工事の看板も、グリーングラスという名馬の墓参りをした後の帰りに撮ったものだ。渓谷にさくらが咲いていた。もう終りに近かった。
 この渓谷というのが、なんとなくまたこぢんまりとしていてかわいい。雄大でもなく荘厳でもない。中国の景色に慣れたこちらには箱庭のようにかわいく見える。日本的でそれがまた愛しい。


 競馬場の帰り、吉野ヶ里遺跡に寄る。そうして撮ったのがこのプレハブの写真。
 そのうち作ろうと思っているホームページの表紙にしようと思っていた。まともな遺跡の写真を撮らず、工事現場のプレハブ小屋ばかり撮っていた。夕暮れで人はいなかったが、もしもいたなら、相当に奇妙な男と思われたことだろう。
 いくつもの方向からこの小屋の写真を撮り、なにしろ吉野ヶ里遺跡のプレハブであるから、なんとしてもこれを表紙にしようと工夫したが、けっきょく違うものとなる。それが今のトップページの写真。


 夕方、大阪に飛ぶ。出来て一年ほどの佐賀空港も、ちいさくてかわいらしかった。九州は各県が空港を持っている。果たしてそれほどの意味があるかどうかは疑わしい。でも他県がぜんぶもっているのに自分のところだけないという悔しさはわかる。意地で作ったのかな(笑)。

 ぼくがもう佐賀県に行くことはないだろう。最初で最後の佐賀県を、自分のホームページの中に残しておきたいと思った。
 そんなわけで、なんの変哲もない工事現場の標識は、ぼくにはけっこう思い出深いものなのである。
(01/12/22)



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