苗字はむずかしい


 カタカナのヴの話である。アルファベットのVの部分をブではなくヴで表記することについてだ。
 競馬業界で馬名の表記に「ヴ」が使われるようになったのは何年前からだったろう。それまでヴはだめでブに統一されていた。使ってもよいことになり、その年度からやたら目立つようになったのだ。れいによってその年度とか細かいことはどうでもいいのでさっさと話を進める。やはりいちばん目立ったのは「エアグルーヴ」だった。牝馬ながら天皇賞(秋)を勝った名馬である。Grooveか。
 私はこれの母親のダイナカールがきらいだったので(ダイナカール嫌いは〃天才少女〃ダスゲニーファンと決まっている)エアグルーヴにはいい思い出がない。昭和58年のオークスでダイナカールを蹴っ飛ばして負けた。娘が出てきた1番人気のオークスももちろん蹴っ飛ばした。親子二代でオークスを勝って名を高める。私は親子二代に蹴っ飛ばされた。やはり強い馬は強いのだと秋華賞では初めてエアグルーヴから大勝負したら生涯唯一の10着大敗をしやがった。ああ思い出したくない。ってここは競馬のコーナーじゃなかった。先を急ぐ。
 とにかく、アルファベットのVの表記を日本語のカタカナで書くとき、「うに点々」で「ヴ」にすることを競馬業界で有名にしたのはこの馬だろう。



 その使い分けは以前から気になっていたことではあった。特に音楽世界では人名に関わることだからかなり前々から徹底していた。私は適当だった。きちんと書く時もあれば、わかっていながらバで処理してしまうこともあった。ラジオ番組の構成でミュージシャン名を書く機会は多かったが、それは読み原稿である。目に見えない。ライナーノートのように気を遣う必要はなかった。

 徹底していなかった理由は二つ。まずこちら側の理由として、ブラインドタッチの私からすると、「うに濁点を打つ」というのはけっこうわずらわしいのである。やりなれていないし打ちにくい。かな入力だとローマ字入力では使わない最上段を使用することになる。これはかな入力の缺点と呼ばれるもので、使いづらいキー位置だからホームポジションから指が離れやすい。なまじ速いものだからそこで立ち止まるのがわずらわしかった。さらには「ヴ」に続くのは小文字である。ヴァイオリンヴェテラン、ヴェトナム、ヴォリューム等、ウに濁点を打ち、シフトキーを押しながら母音の小文字を打たねばならない。従来ならバ、ビ、ブ、ベ、ボと一文字ですむものが、ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォになる。一文字ですむのはヴだけだ。面倒だからバビブベボで済ましてきた。これが理由のひとつ。

 一応ローマ字入力のブラインドタッチも出来るので今、かな入力から切り替えてやってみた。これだとVAでう゛ぁが出るから上記のヴァ行の文字を打つのが楽であることを確認した。このことからもヴァ行は、かな入力に適していないことがわかる。



 もうひとつは相手側の対応。出版社は「ヴ」とやればそれで通してくれたし、正しくはヴをブと書いても直したり指摘したりはしなかった。またヴにすべきところをブと書いて掲載されても読者から抗議がくることもなかった。手抜きといえば手抜きになる。いい加減な時代だったのだ。今もそうだろう。ベトナムでもヴェトナムでもかまわない。それでも前記エアグルーヴ等は固有名詞だから間違いは許されなくなってきた。

 そして、これがいちばん大きな理由なのだが、私がそういうこだわりをかっこいいと思わなかったことである。かっこいいかかっこわるいかでの物事判断は私の生きる基本姿勢だから、かっこいいと思い、そうすべきと判断したなら、世間のことなど関係なくそうしてきたろう。だが実際問題として、バビブベボですむものをあえてヴァヴィヴヴェヴォで表記するのは、私には、なんか無意味なカッコつけのように思われた。キザとかイヤミに通じる。ラジオを巻き舌でレイディオと言うようなものだ。よって書かなかった。これがいちばん大きな理由になる。



 しかしそれは本来の私の感覚とは違っていた。私はドイツのクルマ、BMWをベーエムベーと言う。ドイツ語ではそう発音するからである。ドイツの製品なのだからそうすべきだ。クルマ狂の兄は二十代のサラリーマンの時に背伸びしてBMWを買い(息子がいま同じ事をしている。親子だなあと思う)、それをビーエムダブリューと言っていた。兄のかっこいいかっこわるいの感覚だと、知りもしないドイツ的発音をすることはかっこわるいことだったのだろう。これみよがしでわざとらしいとなる。当時はベーエムと呼ぶのが主流だった。いつしか時代はビーエムと呼ぶようになっていた。これなんかはなにもかもが英語になることに反発する身としてベーにこだわりたい。白人がトウキョウをトキオと発音するからといって日本人がそうする必要はないのと同じだ。
 そういう感覚からすると、兄はすべてをバビブベボ表記にする人だろう。きっと今もそうに違いない。ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォを嫌っているはずである。それは筋が通っている。逆にまた私は、原語を大事にしているのだから、もっともっと前からそれにこだわるべきだった。なんとなく半端なまま近年まで来てしまった。このことに関して矛盾しているのは私のほうである。

 いまこのホームページに書かれている文章は、こだわることなく書いてしまった初期のものも多いから、ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォの徹底率は八割ぐらいだろうか。それでも比較的それにこだわっているほうではあろう。今後も目につき次第直してゆくつもりでいる。
 今でも楽だし速いからVietnamベトナムと書きたくなるが意識してヴェトナムと書くようにしている。その理由は、ドイツ語でベーエムなのだからビーエムではなくベーエムと言うべき、というリクツとはすこし違っている。ひじょうに個人的で頭の悪いみっともない理由からなのだ。それが本稿のテーマである。



 私がヴにこだわる理由、それはそれを利用して忘れかけている英語、原語表記を記憶し直そうと思っているなのからである。それに尽きる。お恥ずかしい。

 たとえばバランスと書く。一瞬これはヴァなのかと思う。辞書を引く。balanceとわかる。よってバで書く。バーボンは? これはフランスのブルボン王朝の英語読みだからバだろうなとわかる。bourbonだ。バイオグラフィもバか。辞書を引く。biographyパリケードはどうなんだとわからなくなる。barricadeか。バだな。
 リバイバル、サバイバルは、revival、survivalだから、リヴァイヴァル、サヴァイヴァルか。かなり面倒だがこう書く癖をつけよう、心がける。表記にこだわることによって英語も覚えられる。

 音楽方面のライナーノートはむかしからしっかりしている。先日も映画ラバンバのCD(サントラ盤がヒットしたのでそれに乗じて出した企画もの)を聴いていて感じたので《日々の雑記帳》に以下のような文を書いた。

ライナー・ノートを読んでいたら、音楽関係のレビュはVの表示がしっかりしていると気づいた。COVERはカヴァー、リッチー・バレンスのValensはヴァレンスと書いている。Bambaは「バンバ」だ。と、これらのことを書くたびに記入するのもあれだから、「『お言葉ですが…』論考──ヴのこだわり」を書くことにしよう。
 そうしてこれをも書き始めた。

 COVERぐらいは私でもスペルがわかるが、ラバンバがどうなのかはわからない。La Bambaと知り、バなのだと確認する。上の文でひレビュとしているがレヴュが正しい。reviewだから。最近極力音引きをしないようにしている。一般的にはレビューか。伸ばすなら、これはレヴューよりもレヴュウだろう。しかしそこまでゆくとわずらわしい。これはまた別項のテーマか。

「夏の音楽はボサノバ。中でもいちばん好きなのはスタン・ゲッツ」と書いて、ボサノバはボかヴォかと思う。そういうふうに考えるようになったことが私にとって「ヴの効果」になる。ポルトガル語の「あたらしい音楽」、英語のニューミュージックの意とは知っている。調べる。Bossa Nova。なるほど、ボサノバのボはボでよかったが、ノバがノヴァだった。ボサノヴァか。勉強になるなあ。

 というようなのが、私が「ヴにこだわる」ことの理由である。
 高島俊男さんが「老若男女」を「ろうにゃくなんにょは呉音、漢音だとろうじゃくだんじょ、たいした差はない」と言い切ってしまうのと同様に、わかっている人にはブでもヴでもどうでもいいことである。でも呉音漢音なんてことを知らない人がロウジャクダンジョと読んだら誤読とされるように、英語のスペリングを書けない者としては、マスターするまでこだわらねばならない。自分の使用する英単語(人名等では英語と限定も出来ないが)をすべて記憶し、「そんなのブでもヴでもどうでもいいんだよ」とスッキリ言えるようになりたいものだ。当面は(たぶん永久に)、ブかヴで悩んで辞書を引くことになるだろう。

 さてこの文章、なにか一枚イメイジ画像を入れたいのだがなにがいいだろう。イメイジは石原慎太郎さんの書きかた。イメージってのは避けたい。イメイジのほうが音として近いように思うがImageの綴りをカタカナで書く表記法として一貫するならイメイジなのかな。画像、なんにしよう。
(03/7/24)



《日々の雑記帳──慎太郎流カタカナ》





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