タイトル変更

 「字の上手下手──高島さんのトラウマ」に、Amazonから探してきた『お言葉ですが…』の写真を入れた。それで『お言葉ですが…』は単行本と文庫本ではタイトルが違うのだったと思い出した。第一巻はそのままである。なにもない。第二巻から始まったのだったか。

 左、単行本第三巻のタイトルは「せがれの凋落」である。

 これが文庫本だと、左、「明治タレント教授」になっている。
「せがれの凋落」は「せがれ」ということばが使われなくなった流れについて書いた一篇から来ている。読めば納得する高島さんらしい佳編なのだが、私も正直よいタイトルとは思わなかった。内容が推測できないし、そのタイトルから、「本屋で見かけて買ってしまった」という効果は期待できない。その点「明治タレント教授」だと、相変わらず中身の類推はむずかしいが(どんな内容だっけ?)、それでも「ん?」と目を引く効果はある。次の例はもっと顕著だ。

 これは『お言葉ですが…』単行本第四巻「猿も休暇の巻」である。このタイトルからはまったく内容が見えてこない。えーとなんだっけ、大ファンの私ですらこの章のことが思い出せないから困った。タイトルにするぐらいだから高島さんご本人は大のお気に入りのはずなのだが。高島さんは、自分がわかっているから読者もわかっていると解釈しているか、あるいは判じ物のようにわかりづらいタイトルだからこそ他者が興味を持っていいのだと思っているのだろう。だが出版社としては誰もがわかりやすく興味を持つタイトルで一冊でも多く売りたい。

 文庫本になったらこうなった。「広辞苑の神話」。大変身である。内容がわかる。タイトルを見ただけで一目瞭然だ。
『お言葉ですが…』も高島さんも知らなくても、このタイトルに興味をもって買う人がいるだろう。
 高島さんとしてはこんな広辞苑の知名度で勝負するようなあざといことは嫌ったと思われる。なにしろ文の中身は広辞苑なんてたいしたことない辞書がなぜこんなに「広辞苑にこう載っていたよ」と言われるほどの権威になったかの話なのだ。

 それでも類い希な良書であるこれらを一冊でも多く世に広めたいと願う担当者が、すこしでも売れるようにと改題したのだろう。しぶる高島さんを説得したのかも知れない。すくなくとも高島さんは、「せがれの凋落」も「猿も休暇」もお気に入りだったのだ。『お言葉ですが…』の読者はどんなタイトルでも買うが、そうではなく、本屋で見かけてファンではない人が思わず買いたくなるようなタイトルも必要だ。時代とすこしずれた感覚の高島さんを担当編集者が説得する様が目に浮かぶようでほほえましい。

 単行本第五巻は「キライなことば勢揃い」と、わかりやすいいいタイトルである。内容もそのままである。文庫本にするとき替える必要はないと思うが、ずっと変更してきているからこれもまた変るのだろうか。これ以上のタイトルはないように思う。だったら何になるのか。今から楽しみだ。

 私はすべて単行本をもっているが、文庫本は第一巻、第二巻しか持っていなかった。続きがもう出ていると考えたこともなかった。時期を考えると第三巻、第四巻がこうして文庫化されていて当然だった。早速買いに行こう。
『お言葉ですが…』の魅力は、週刊誌連載時を第一弾とするなら、それらの間違いを正したり、読者からの質問に答えたり、理不尽な意見に高島さんが激昂したりの単行本時が第二弾となり、さらに単行本に寄せられた意見や手直しを載せた文庫本が第三弾と、三回にわたって楽しめることにある。週刊誌の連載を読んだだけでは『お言葉ですが…』を楽しんだことにはならない。単行本が必要だ。さらには文庫本も必須となってくる。この文庫本二冊も単行本とは違った魅力がありそうだ。買いに行こう。楽しみである。
(03/12/2)





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