苗字はむずかしい




 旧暦のことを書いた本の間違いに関して手厳しい意見を言った高島さんのこと(「旧暦のすすめ」)を書いていたら、『お言葉ですが…』の初期の頃に読んで感激した話を思い出した。そのこともきょうは頑張って書いてみよう。
(後日のためのメモ。いま目の具合が悪くて長時間文章が書けないのである。「頑張って」とはそういう意味になる。)

「初期の頃に感激した」には二つの意味がある。まずは最初の感激。
 それは「立ち上げる」という言葉に対する高島さんの意見だった。『お言葉ですが…』に何度も登場するテーマ「嫌いなことば集」のひとつになる。「立ち上げる」という近年多用されるようになった新語が、「生産ラインを立ち上げる」のような物理的な言いかたから、「新たな教育理念を立ち上げる」のような観念的なものにまで進出してきた時期だった。私個人は「OSを(Windowsを)立ち上げる」のように新語感覚で使っていたので、それほど違和感はもっていなかったように思う。主に「起動する」と使っていたが、友人にはそう使う人もいたし、その種のものに反感の強い私がそれほど反発していなかったのは、これをルール違反の日本語というよりカタカナ新語ぐらいにとらえていたからだろう。

 高島さんはそうではなかった。「立ち上がる」ならともかく、「立ち上げる」はおかしいといい、やたら連発されるこの言葉に立ち向かって行く。その恰好の標的となったのが「立ち上げる教育を」とのタイトルで出された一冊だった。著者は四国の教師である。自分が今までに書きためたもの、新聞等に掲載されたものを集めた一冊らしい。いかにも日教組らしい視点で教育に関する小話が続く。そうして臆面もなく教え子が自分を賛美するシーンを書く。そこに何度も登場するのが「立ち上げる教育」だった。

 ここでの基本は、「立ち上げる」というひとつの言葉に対するものではなく、この教師の教育指針に対する同じ教師としての高島さんの反感だったと思う。私が高島さんの文章に快哉を叫んだのも、「立ち上げる」というひとつの言葉のことよりも、悪臭芬々たる極めて気分の悪くなるこのサヨク教師の自己礼賛、自意識過剰をぶった切ってくれたからだった。いわば私側からの勧善懲悪の世界になる。
 それがひとつめの感激になる。これは『お言葉ですが…』全体に初期から感じている根源的なものだ。私が高島さんをかってに師と崇めているのは博覧強記以前に氏の思想に共鳴できる点が多く尊んでいるからである。この話題は初期の『お言葉ですが…』だから相当に前のことになる。

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 二つ目の感激はかなり新しい。対象は同じである。上記のテーマであり、その本についてだ。何年もの時が過ぎてから、ふとこの「立ち上げる」という新語について考える機会があり、「まったくあそこまで気分良くぶった切ってくれると快感だよねえ」とひとりごちていた。そのときふと、高島さんとその教師の「立場の違い」に気づいたのである。

 それまでにも高島さんが感覚の違う相手を真っ向からぶった切った例はいくつもあった。初期の大傑作である「肌色問題」もそうだ。これは「アフリカのほうに教師研修で出かけた日本の女教師が、肌色のクレヨンを出せと言ったら子供達(黒人)が戸惑い、そのことからその女教師がこの言いかたは差別であると気づき、帰国後日本のクレヨン会社に肌色という名を辞めるよう進言する」というとても正気とは思えない話である。この勘違いバカ女とこれに賛同する連中のくだらなさを、高島さんが真っ向唐竹割りでぶったぎった快作だった。高島さんは「差別はクレヨン会社にあるのではなく、肌色という命名にあるのでもなく、その女の中にある」と指摘する。この大傑作もぜひ一読してください。
 元ネタは朝日新聞の記事だったか。全国紙に載ってどっかの大学教授あたりも賛同のコメントを寄せていたものだから、高島さんの相手として不足はない。

 有名なところでは、戦中に大本営すら知らない極秘事項を全て知っていた未来から来たスーパー少年(笑)が主人公のとんでも本「少年H」に対する批判がある。これは百万部を突破したベストセラーだったし、「間違いだらけの少年H」という正当な批判本を引用しつつだから、これまた相手にとって不足無しである。
 その他、褒めるときは無名のちいさな相手も多いが、おおむね高島さんが真っ向からケンカを売るのは、朝日新聞、NHK、広辞苑等、巨大な存在が主だった。しかしこの「立ち上げる教育」はすこしばかりちがっていた。

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 『週刊文春』はどの程度発行されているのか。とりあえず30万部としよう。歴史のある全国誌である。文藝春秋という知名度、格式もある。それに対してその本はどうだったか。書いたのはまったく無名の田舎教師である。地元じゃ(たしか高知だったか)多少は有名な文化人(笑) かも知れないが、全国的にはまったく無名である。またその本も有名出版社から出たものではない。しかも地元紙あたりに載った小文を寄せ集めたのだから、ほとんど教職何十年かを記念した自費出版に近いもののように思われる。部数も数千部であろう。地元の田舎本屋に並び、その教師は世話になった友人知人にせっせと署名しては寄贈したという類ではなかったか。

 それが服も靴も十年以上買ったことがなくてみんなもらいもの、収入のほとんどすべてを本代に充てるという本の虫に、なにがどこで間違ったのか入手され、あまつさえ30万部の発行数を誇る全国誌でやり玉に挙げられることになったのである。果たしてそれが著者にとって名誉か屈辱かは知らないが、そのことで田舎のごく一部の人しか知らなかったこの超マイナーな本が全国的書名になったのは間違いない。週刊誌で取り上げられた本を読んでみたいという物好きによって売上げも伸びたことだろう。文春的感覚では嫌悪をもよおす一冊でも朝日的感覚なら好感度大のものだったのだから。

 もしも高島さんがフツーの人だったら、この辛辣な批判はまず出来なかったろう。なぜならそれは象が全力疾走して、空中大回転ジャンプで毛虫を踏みつぶすようなことだからである。それぞれの持つメディアの大きさ、立場を認識したなら、一般には「おとなげない」と言われる行為になる。
 それをまったくためらうことなくやってしまうのが高島さんの学者的なピュアな部分なのだろう。高島さんには自分や自分の上がっているリングが象であるなんて意識はない。相手を毛虫のようにちいさいとも思っていない。高島さんの中では、あくまでも同じ大きさの象と毛虫のタイマン勝負だったのだ。

 それらの状況を考慮すると、この話を書いた後、高島さんは気のおけない仲である周囲のフツー感覚の友人から意見されたのではないか。「おまえなあ、ちょっとあれはおとなげないぞ。おまえの書いているのは天下の文春だ。30万部だぞ。相手は誰も知らない田舎教師だろうよ。あの本なんて自費出版みたいなもんだろ。それをおまえは」と。
 それに対して高島さんは、きっとこう応えたろう。
「リングは闘いの場だ。一度リングにあがり、闘うとなったら、親兄弟であろうと容赦はしない」
 高島さんからすると、相手が部数の出ていない貧相な本であること、自分の関わっているメディアが巨大なものであること、そのことを考慮して手加減することほど相手に対して失礼なことはないと思っていたはずだからである。

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 私は高島さんの手加減なしのガチンコ勝負を凄いと思う。ライオンはうさぎを狩るときにも全力を尽くすと言うが、毛虫を踏みつぶすのにこれほど本気になる象もそうはいない。
 感激とはすなわち己への反省である。私なんか同じ毛虫のつぶし合いでも、「おれのほうが年長だからな、おとなにならないと」「おれのほうが一回り大きいから手加減してやらないと」とよけいなことを考えてしまう。すなわち小人である。これではアルティメット・ファイトは勝ち抜けない。

 この高知の田舎教師は、誰かから「あんたの本のことが週刊誌に載ってるよ」と言われたときはおどろいたろう。5000部刷ったうち3000部を自分で買い取って友人知人に配り、実際に売れたのは500部もなくて、古女房から「廊下に積み上げてある本、じゃまなんだけど」なんて言われていたのに、いきなりそれが全国誌の『週刊文春』に取り上げられたのである。青天の霹靂だったろう。しかし中身はメタメタに叩かれていた。一読して、悔しくて腹が立ったけど、だけどなんか妙に浮き立っても来て、女房に「どんなもんだ」なんて自慢したりする。なにがどんなもんだかわからないが、とりあえずもう一度言ってみる。「どんなもんだ、わかる人はわかるんだ」。すこし違うと思うが。

 友人知人からもどんどん電話が掛かって来る。それらに「許さないよ、訴えてやる!」なんて声高に言いながら、どこかで高島さんに礼状を書こうかと思っている自分もいたりして、ふとなんかこれがきっかけでベストセラーになる自分の本を夢見たりして、むふふと笑ったりする。それをじっと見ている女房と目があって咳払いしたりして。
 なんだかそのときの田舎教師の姿を想像すると、じんわりと笑みが浮かんでくる。私もせめて、毛虫同志、ウジ虫同志のケンカの時は、情け容赦なくたたきつぶすぐらいの刃を持とう。
(03/8/28 本屋の駐車場で)





 上文をThinkPadで書き、翌日手直しをしていたらすこし考えが変った。比喩についてである。
 私は『週刊文春』(=高島さん)と、ろくに売れてもいないマイナーな単行本(=の著者)を比較して、至極単純に「象と毛虫」とその形態の大小をたとえたのだが、これは皮相的な見方であり誤りだと気づいた。

 というのは、高島さんが直接叩いたその教師の本は一匹の毛虫かも知れないが、それは日教組的感覚の人々、御本家日教組、朝日的サヨクと、芋蔓式にたどって行けば、とてつもなく巨大で根の深い日本をダメにした病んだ闇世界に繋がるからである。いわばこの本は超巨大な氷山の一角だ。一匹だけの大きさで比べたら象と毛虫だが、その毛虫は日本全国に百万匹もいるのだ。一匹の象よりも百万匹の毛虫のほうが遙かに強い。つぶしてもつぶしても湧いて出てくる。救いは、象のほうも決して孤立無援ではないことだ。

 そう考えると、高島さんは、たった一匹の毛虫を本気でつぶしに行ったおとなげない象ではなく、むしろ、百万匹の毛虫の群れに突入していった向こう見ずな象と解釈すべきだろう。むろん私が支持することに変わりはない。私も象のあとにくっついて毛虫の群れに突入する向こう見ずなニワトリぐらいにはならねばと、そんな覚悟でいる。(03/8/29)

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 例として引いているマイナー単行本について書いた部分があやふやである。主題に揺れはないのだから細部はどうでもいいと思ったが一応調べることにした。「高知県の田舎教員が地元で出したマイナーな本」だと記憶しているのだが、もしもそれがメジャーなところから出ている新書版だったりしたら、あとで訂正すればいいとはいえちょっとかっこわるい。

 それで本棚の『お言葉ですが…』を調べ始めた。なかなかその章が見つからない。タイトルに「立ち上げるうんぬん」はなかったような気がする。よってそれらしきタイトルの文章を流し読みしつつチェックすることになる。けっこう時間がかかる。ない。困った。ちょっと焦る。どうでもいいことなのだがここまでくると意地にもなる。

 手元にはいま六冊の『お言葉ですが…』がある。これ以後の最新刊は出ているのだろうか。今夜ネットで調べよう。それの三巻、四巻、五巻あたりを調べる。ない。あるはずないと思いつつ私の持っている最新刊である六巻を調べる。やはりない。困った困ったと第一巻を手にしたら、そこにあった。しかもタイトルも「立ち上げる」とそのままである。そうか、これって第一巻での話だったのかとしばし感慨にひたる。「初期の話」と書いておきながら第三巻ぐらいだと思っていた。95年10月の話である。ほんとのこの第一巻は傑作が目白押しだ。

 記憶に間違いはなかった。本のタイトルは「『立ち上げる』教育を」。出版社も高知市のちいさな(推測)ところ。書いている内容は間違いなくサヨク教師。印刷部数の数や高島さんに取り上げられておどろいたろうという推測は当たっているはずだ。
 「肌色の話」と書いたのもこの第一巻にある。正しいタイトルは「はだ色は差別色?」。
 このころの高島さん、尖っていてかっこよかったなあ。(03/8/29)

「旧暦のすすめ」



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