日本語練習帳のこと

 私が大野晋の『日本語練習帳』を読んだのは二年前のチェンマイの夏だったと思う。ちがうかな。春か。ソンクラン? この場合、読んだ時期はどうでもいい。チェンマイで読もうと買っていったのは確かだ。そのときすでにベストセラーだった。

 この種の日本語ウンヌン本は前々から大好きで出ると同時に買う。すでにベストセラーになっているこれをなぜそれまで買わなかったかというと、私はどうも大野先生の本が好きではないようなのである。今までにも『文藝春秋』等の雑誌に載った日本語に関する論文や対談をそれなりに読んでいるがどうにも好きになれない。それは氏の文章と言うより人柄なのかもしれない。文章から読みとる人柄か。その辺は長く生きていればわかってくるものだ。ともあれ読んでおかなければと買って持っていった。


 外国に持って行く本は数量が限定されるから私の場合二種類に分類される。高島さんの本のように何回も繰り返し読める大好きなものと、読まねばならないと思いつつおもしろくなさそうなので読んでいないものである。活字に飢えたとき「空腹にまずいものなし」で無理矢理読ませてしまおうと謀るのだ。『日本語練習帳』が後者であったのは言うまでもない。

 で、チェンマイでもこの本、結局三分の一ぐらい読んだだけでつまらないので放り投げてしまった。恥ずかしいので今までカミングアウトできなかったが。まあこの本に限らず、日本語ウンヌンの本はほとんど途中で投げ出している。『文章読本』も数多く読んでいるが心に染みいったものはない。

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 昨日、本屋でこの本に真っ向から対決しているものを見つけた。タイトルは『日本語の掟』。副題に〈脱『日本語練習帳』宣言〉とある。ぶんか社。

 著者の大隈秀夫さんは、長年塾で(カルチャーセンターだったかな)日本語を教えてきて、どうしてもこの大ベストセラーの『日本語練習帳』に納得行かない箇所が多いのでこの本を書くに至ったと述べている。
 あの本、百万部以上売れたんだって。世の中、まだまだ『いっぱいのかけそば』はあるんだねえ。信じられない。ものすごくつまらない本なんだけど。いやそれを言えば、『いっぱいのかけそば』なんて、ぷぷぷって本だったけど。

 私はこの大隈秀夫さんを物書きではなく麻雀名人として知っている。三十年ほど前の昭和40年代、阿佐田哲也率いる麻雀新撰組の絶頂期であった。大橋巨泉の「11PM」にも頻繁に彼らが登場していた頃である。麻雀新撰組のおもしろさはメンバーが野から出てきた人たちだったことにある。古川さんも小島さんも街の打ち手だった。阿佐田さんは言うまでもない。本名の色川武広で直木賞を取るのはずっと後だが誰もに愛され尊敬されるすばらしい人だった。

 ちょうどこのころ日本初の麻雀専門誌『近代麻雀』が創刊されている。欠かさず買ったものだった。十年分ぐらいは本棚に溜めたか。後に捨てたが惜しいことをした。阿佐田哲也追悼号だけは取ってある。発刊は竹書房。後にヘアヌードで一発当てる竹書房はその名からもわかるように当初は麻雀誌のために作られた会社だった。このころいちばん売れていた将棋雑誌が『近代将棋』だった。『近代××』なんて誌名からも時代が解る。
(まさか『近代将棋』が不調になり、あの頃は将棋連盟が形式的に出しているだけの『将棋世界』が今こんな立派な形の獨走本になるとは想像もつかなかった。)

実は私、新卒の時この竹書房に入ろうと思ったことがある。あのまま入ってれば、今頃ハゲかけた頭とヒゲ面で「ヘアヌードの仕掛け人」なんてテレビでにやけた顔をさらしていたのか。当時の趣味も今と変わらず、音楽、麻雀、将棋、競馬、相撲、プロレスだった。その他の趣味の分野に就職しようとは思わなかったのに──たとえば競馬専門誌『日刊競馬』の社員募集要綱が大学の掲示板に張り出されていたが何の興味もなかった──なぜか麻雀雑誌にだけ入社しようと思ったのが不思議だ。当時の竹書房はけっ飛ばしたらひっくり返りそうな木造のひどい会社だった。もちろん思ったことがあるだけで試験は受けていない。

 大隈さんという人は当時から新聞社を辞めたフリーランスの人だった。東大卒を鼻に掛けた物言いをする、多感な若者であった私らからすると最も嫌いなタイプの大人であった。
 当時人気ナンバーワンの小島武夫さんと『近代麻雀』で対談する企画があった。「三面待ちが必ずしもカンチャン待ちより有利ではない」と主張するとき、必ず「これね、小島さんも知らないかもしれないけど、ぼくの友人に東大のコンピューターで調べてもらったんですよ」のような言いかたをするひとだった。東大とコンピュータの威厳で相手を押さえつけようとするのだ。イヤミなやっちゃなあと思ったものである。小島さんは高校にも行っていない。腕と度胸と美男だけで麻雀と女の渡世を生き抜いてきた人である。私たちが断然小島さんを支持したのは言うまでもない。でもたしか、当時唯一のタイトルであった麻雀名人戦で、小島さんは名人になれずこの人はなれたのだったか。.たしかそうだった。

 ついでに言うと、私はこの人の顔も嫌いだった。週刊ファイト元編集長の井上さんみたいな顔である。ああいうタイプの顔は一芸に秀でていて物知りで尊敬に値する面もあるが総じて頑固で融通が利かなく友達にはなりたくないタイプの人が多い。顔は雄弁だ。顔は大きい。


そんな嫌いな人の書いたものだからもちろん立ち読みである。買う気はない。それでも東大卒の頭脳(笑)で『日本語練習帳』の細かな矛盾をほじくりかえした力作のようだ。大野さんは文中で「こうなのである」と自分で言っておきながら、一冊の本の中であれこれと矛盾を露呈しているらしい。
 立ち読みで覚えているのは、「私はワタクシなのにワタシで使っている」「良いはヨイでありイイではないのに混同使用している」「りっぱを立派と書き、全くはまったくと書いているが、なぜりっぱ、全くではだめなのか」のようなのがあった。なるほどね。大野先生も大きなことを言っているのだから矛盾しちゃいけない。

 毎度のことながらヘビとナメクジとカエルのケンカなので何がどうでもわたしゃ関係ない。ただあの種の本としては大ベストセラーであり信奉者の多い大野教授の本に真っ向からかみついた本として(一般的には便乗商法と取られるだろう)評価する。巻末の著者略歴を見たら麻雀名人になったこと等は一切触れられていなかった。隠したい過去なのか。でもこんなふうに細かく覚えている奴もいるぞ。




 高島さんの『お言葉ですが…』文庫本解説で、目黒孝二さんはその凄みを「奇蹟的な結合」と書いている。だったよなあと今、調べてみた。間違いは書きたくない。たしかにそうだった。「私たちは今、奇蹟的な結合の実例を見せられている」と書いている。おお、おれの記憶力もまだまだ捨てたもんじゃないな。

 だいたいが日本語がどうのこうのなんて本がおもしろいわけがないのである。中心は「大昔はこう言っていたが、江戸中期から今のような言いかたをするようになった、しかし出自は漢語のこれであるから、どちらかといえばこう言うのが正しいだろう」のような話である。こんなものがおもしろいはずがない。これは勉強である。学問の徒でなければおもしろくなくてあたりまえなのだ。

 目黒さんの言う「奇蹟的な結合」とは、東大の大学院卒の中国語学者で、『広辞苑』の間違いや『天声人語』の誤用を即座に指摘できる博覧強記と、それをおもしろおかしく読ませる筆力の両立である。解説の中で目黒さんが例としてあげているのは「化学がバケガクなら科学はシナガクと呼んだらどうだろう」という話だった。正規のタイトルはなんだっけ、忘れた。やっぱりおれボケている。調べる。《「シナ」学 入門》だった。導入部から展開、結びまで、ほれぼれするような名エッセイである。

僭越ながら、単に興味ある事象から読者を引っ張り込み、えっと思わせてハラハラドキドキさせ、最後にほっと一安心させるようなエッセイなら、私にだって書けるのである。ただしそれは街中での俗事であって、人並みの筆力と視点を持っていれば誰でも書けるものだ。売文家としては、その一作の出来よりもそれが毎日書けるのか週に一度なのか月に一度なのか、そのレヴェルは何年持続できるのか、一作で終りなのか十年保つのかのほうが大事になってくる。いずれにせよそこに視点の斬新さとか小気味よい切れ味とか褒められるいくつかの要素が假にあったとしても、私の場合「教養」はありえない。だって著者に元々そんなものがないのだから。

高島さんの作品は、そういう見事な展開でありながら、とんでもなく深い教養がぎゅうぎゅうに詰まっているのだった。読み終った後、ふうっと深いため息をつき、「おれ、ひとつ賢くなったな」と思えるような、である。なんか痛くないよとお医者さんにだまされて注射されてしまったような気分になる。
「なんで科学がシナガクなんだ」と思いつつ読み進めて行くと、長野県が信濃であることも、信濃の意味──科(シナ)ってのは階段を表し、シナノってのは階段の多い地(=山国)ってことなんだってさ。だから旧表記は「科野(シナノ)」──知識として蓄えられ、科学をシナガクと呼びたくなっているのである。この小難しい話をわくわくさせながら読み進めさせてしまう絶妙な展開は正に「奇蹟的な結合」としか言いようがない。悶え苦しむ活字中毒者の目黒さんが言っているのだから間違いない。
 そういえばこれは後に知ったんだけど、文庫本の解説に高島さんが目黒さんをお願いした(面識はない)んだって。現代文学を一切読まないという高島さん(東大でほぼ同期の大江の本を一冊も読んでいないってのは痛快だった)にそう思われるほど書評家、評論家の目黒さんは高名だったんだねえ。



と書くとおもしろくない日本語ウンヌンの中で高島さんの連載は最初から「奇蹟的な結合」だったみたいだけど、私なんかそれすら気づかず何年も敬遠していた。『週刊文春』を買っても読まなかった。チラっとタイトルと最初の数行を見て読む気を失くす。傑作の誉れ高い上記の作品だって、「化学には科学と混同しないようバケガクの呼び方がある。科学にもそれふうの言いかたがあっていいはずである。シナガクはどうだろう」の導入部にに食いつく人は、かなりのインテリであろう。うすらバカの私はそんなことなどどうでもいいので長年読まず嫌いでほっといたのである。奇蹟的な結合とまで称えられる高島さんの作品でさえこうなのだから、他の人の日本語ウンヌン本がおもしろくないのは言うまでもない。あのつまらない『日本語練習帳』がベストセラーになったのが理解できない。居直って言えば、私のように途中で放り投げた人も多いと思う。だってほんとにおもしろくないんだもの。つまらん本ですわ。

 世の高邁な大ベストセラーを平然とおもしろくないと言い切れるとは、私は確実に賢者への道を歩んでいるようである(笑)。もうすぐうすらバカ脱出かな。いや単に元のバカにもどりつつあるのか。
(02/12/2)

 高島さんの「科(シナ──階段)野」説には反対論者も多いらしい。今度勉強してここにまとめよう。(09/12/2)




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