ミズゴクン話



 水五訓のこと

草思社のサイトで連載が始まった「新・お言葉ですが」。相変わらずおもしろい。今回は「水五訓」の話。
 意に添わず『週刊文春』を去った高島さんを救ったのが、アナログ人間の高島さんとは最も縁遠いネット世界だったのには想うことが多い。高島さんはネット的なデジタル世界がきらいだったはずだから、今回のことですこしばかり見直してくれたのではないか。ネット的な世界に関わっている側としてはなんとなくうれしい。

 今回の「水五訓」の話は、私にとって正体不明の妖怪のように伝わっているそのこと自体より、それを木っ端微塵にしてしまう高島さんの智性が心地よかった。智力の強さである。

 高島さんご自身はこの得体のしれない「水五訓」に興味を持ち、次回もこのことをお書きになるらしい。私はそのことにはあまり興味がないので自分の感想のみを書く。(高島さんもこれそのものに興味があるのではないだろう。基本は私の興味と同じく「なんでこんなものが長年言い伝えられてきたのか!?」だと思う。)

 まずはあらすじ。
 河川協会という水関係の会社で講演した高島さんは、そこのエラい人から「ミズゴクン」について尋ねられる。高島さんは何のことかわからないので知らないと言う。すると向こうは「ご冗談を」と応える。このエラい人の「ご冗談を」も本気である。彼にとっては長年の常識なのだ。それは漢学から来ている可能性が高い。専門家の高島さんが知らないはずがないと思いこんでいる。だが高島さんは本当に知らない。いったいそれは何なのだろうと思う。
 後日、資料を送ってもらい、「ミズゴクン」が「水五訓」であると知る。
 水関係の業界関係者には常識の「水五訓」というのがあるらしい。

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水五則
〈1.自ら活動して他を働かしむるは水なり

〈1.常に己の進路を求めて止まざるは水なり
〈1.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
〈1.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり
〈1.洋々として大洋を充し発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霞と化し凝っては玲瓏たる鏡となり而も基性を失はざるは水なり〉



 関係者なら誰もが知っている。長年伝わっている。だがこれの出所がわからない。黒田如水、王陽明説が根強くあり、むかしから侃々諤々の論争が続いている。高島さんはこれの正体探しを頼まれる。
 一読して高島さんは、「障害」という言葉遣いや文語体のいいかげんさ、論旨の幼稚さ、俗的な内容から、これがそんな古いものではなく、それどころか昭和のもの、それも戦後であろうと看破する。漢語の王陽明が無関係なのは言うまでもない。

 近代の用語がいくつも出てくる。たとえば「蒸気」。これは江戸後期の蘭学者が翻訳用に作った語だが、一般にもちいられるのは明治以後である。
 それよりなにより、水が空にのぼって雲になったり、霞になったり、というのが、小学校の理科で教わる知識だ。むかしの人は、空にうかぶ雲を見て、あれは地上の水が姿を変えたものだ、などと思いはしない。これだけでも黒田官兵衛なんぞと縁がないのは自明である。


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 なんとも小気味よい。調べてゆくと、黒田如水の作と決めつけ、この水五訓を色紙に印刷して売っていたりもするとか。黒田説の根拠は名前の「水の如く」だという。こじつけである(笑)。もしも「如水」と号する人が本気でこんな俗的なことを言っていたら滑稽であろう。ベタすぎる。
 この俗流人生訓に振り回されている人が多い。黒田如水、王陽明という権威つけの効果だ。高島さんはそれを「むなしい」「気の毒だ」と言う。
 無心でこの「水五訓」を読めば、これが便所のカレンダーに書いてあるようないかにもクサい俗流人生訓とわかる。アイダミツヲとかと同レヴェルのものである。
 そう意見を言うのは簡単だ。だが信奉者からこれは王陽明(=黒田如水)先生の古文から来ている歴史あるものなのだと色をなして主張されたら生半可な応対はできない。水関係にはこれを長年の人生訓としている人も多いに違いない。これの否定は自分自身の否定へと繋がる。意見を言うには根性がいる。論拠を問われて「なんとなく」では話にならない。私はこのレヴェル。一発でこの「水五訓」なるものの嘘っぽさは見抜けるが根拠を論じるだけの教養はない。そういうバカが居直ってもしょうがないが、これ、あまりに俗すぎる。こんなものを金科玉条にする人はセンスがわるい。

 水関係の仕事をしている人なら誰もが知っていること。出所に関して信憑性のありそうなものが長年流布され繰り返されていること。でも一般にはまったく知られていないこと。
 無学な俗物のあいだを飛び交ってきた魑魅魍魎が真の教養人の前に姿を現した瞬間、バッサリと切り捨てられる。
 教養を身につけたいと底意から思う。くだらんものに振り回されるのは無学だからだ。
 インテリはかっこいい。

http://web.soshisha.com/archives/word/2007_0419.php


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【附記】インテリはかっこいいと結んでしまったのでフォロー。かっこいいのは真のインテリ。エセは最悪。このごろ雑学博士のようなのがインテリと勘違いされる傾向にある。ああいうのは私の考えるインテリとはむしろ対極にある。あれでいいなら私だってその端っこにすわれる。真の教養人はそういうものではない。


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 「水五訓」第二回が発表された。印象的なのは以下の部分。下線部分は田舎でそういうものを見てきた私が心から同意する部分。「水五訓」に心酔すると人と眉に唾をつける人の差は大きい。
 いまこの箇所を書いていたら「下線部分」が「河川部分」に、「心酔」が「浸水」にまず変換された。ATOKも水関係の文章と気を遣ってくれたのだろうか。

 水五訓のことを調べ出した時から人に頼んでいたことが二つある。
 一つは、どんな層の人が水五訓を信奉しているのかということ、一つは、なるべく古いものがほしい、それもできれば活字印刷ではなく墨書したものがほしい、ということである。
 信奉者はだいたいつぎのような人たちのなかに多いらしい。
一、 水道業者、河川関係者。
 これは水をあつかう商売だからわかる。
二、 小学校長、地方自治体の議員、中小企業の社長、各種団体の幹部等。

 これが校長室や講堂や事務室などに麗々しく水五訓をかかげているのである。社会的にはわりあい地位が高い人たちで、そのなかの、むかしの文章を見たことのない、知的レベルの高くない人たちに信奉者が多いらしいとわかった。こういう人たちが、黒田如水だ、いや王陽明だと言っている。国会図書館に質問状を出す。しかし、
自分の部屋にかかげてあるものが、いったい戦国時代の用語・文章であり得るか否か、考えてみるほどの知力はないらしいのである。






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