高島さんの皇室観

心から敬愛している高島先生だけれど、納得できないこともすこしはある。皇室問題がそれだ。
先生は皇室廃止論者である。
アメリカ軍は日本に駐留したとき、なぜ皇室を廃止してくれなかったのか、とさえ言っている。
保守派には、このことだけで高島嫌いもいることだろう。


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『お言葉ですが…6──イチレツランパン破裂して』の「舩坂山と杉坂と」「桜の幹の十字の詩」に以下の話が紹介されている。

 まずは「舩坂山と杉坂と」から。

《明治の二十年代に、歴史研究がめっぽうおもしろい一時期があった。日本の歴史を学問的に見なおそうという気運がおこったのである。それまでの日本では、歴史とオハナシとの区別がちゃんとついていなかった。オハナシに教訓がくっついたようなのが歴史であって、水戸の『大日本史』も頼山陽の『日本外史』も例外ではなかった。新機軸をリードしたのは久米邦武と重野安繹、ともに帝国大学国史科の教授である。この両人、確実な資料にもとづいて有名なオハナシに検討をくわえ、つぎつぎに「史実にあらず」と断案するものだから、「抹殺博士」の異名をたてまつられた。》

 痛快な話である。それまで庶民は「太平記」のようなものをみな史実と思っていた。それをみな「作り話ですよ」と言いきったのだ。

 ついで「桜の幹の十字の詩」からこの続き。これは中身の共通性から連続して収められているが、実際の『お言葉ですが…』での連載時期は飛んでいるようだ。通じる話なので単行本に収めるときに並べたものであろう。『お言葉ですが…』ではよくあること。

《たのしくも活潑だった日本歴史見なおし機運は冷水をぶっかけられて終熄した。きっかけは久米博士の論文「神道は祭典の古俗」である。神道は皇室とのかかわりの深いものであるから久米もずいぶんと気をつかって、いたるところで皇室の尊厳を強調しながら、神道は地球上どこにでも見られる原始民族の天を崇拝する習俗であることを説いたのがこの論文であったが、たちまち皇室を冒瀆するものなりと糾弾されて、久米も重野も帝国大学をやめねばならなくなる。以後、いささかでも天皇や皇室にかかわるおそれのある事柄については、学者が自己の研究の成果や見解を正直に発表することができなくなり、自由な歴史研究は息の根をとめられた。》

 ここからは学者としての高島さんの、自由な研究が皇室崇拝からできなくなったことへの怒りが伝わってくる。高島さんの皇室嫌いの基本は、戦中の軍国少年体験と敗戦であろうが、後々の学者となってからのこのような体験も影響しているように感じられる。

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