漢数字の表記に関して悩んできた。以下の文章でもそれについて書いている。

 「縦書き横書き」

 「ひとつはひとつ」

 単純に言えば左の図にあるような算用数字の使いかたがきらいだということ。本当は下の図にあるような漢数字を使いたいのだが、どうやらそれは今の時代、出版社によっては受け入れられない時代であるらしいのだ。友人のドキュメント本が全編この表記になって集中できずまいった。

 毎日新聞は左のような使いかたで統一したらしい。それってもう二十年ぐらい前のことかと思っていたら、高島さんの本を読み返してみたら96年4月からというからあたらしい。この図には例題として載せられなかったが、三百年前を「300年前」と縦に表示するらしい。高島さんは最も大嫌いなものとしてあの意味不明な「○」をあげ、「三○○年と書かれるぐらいならよほど300年のほうがいい」と書いている。この「三○○年」や「昭和五○年」は私にとって問題外なのでこれは気にしない。自分も使うことはないしこんな表記をする人は軽蔑する。とはいえこういう表記が増えてきたから始まった悩みでもあるのだが。





 その中でもまた悩みは分岐していく。競馬文章で毎度毎度昭和五十八年、昭和五十九年と書くのは読むほうから見たら重苦しい。よってこれは「昭和58年」のように書くことにした。ワープロやテキストエディターが出始めのころ、これを出来るものは限られていて、『一太郎』や『WZエディター』はこの縦書き文章中の二桁数字を半角英数字で表すこと、通称「縦中横」が出来ることを売りにしたものだった。まだ自分の考えが固まってなく、どう表記すべきか悩んでいたころは、この「縦中横」をやって得意になっていたりもした。

 高島さんの薫陶を受け自分なりの姿勢は固まったが、そんな中でも迷っていることがあった。それは「十抜き」である。「しょうわごじゅうしちねん」の表記には、昭和五十七年、昭和57年、昭和57年の他にもうひとつある。「昭和五七年」である。これに対する答を私は知らなかった。知らない人間は迷う。無知のかなしさである。しょうわごじゅうしちねんは「昭和五十七年」が正しいはずである。だが世の中には「昭和五七年」も多く通用している。これはこれでいい。「昭和五七年」を昭和五年か七年のこととは誰も思わない。すなおに「ごじゅうしちねん」と解釈する。

 しかしこれら表記の多様化で困った問題が起きる。いわゆる「にさん」である。「にさんねんのうちに」はどう書く。「二三年の内に」か。でもこれを「にじゅうさんねんのうちに」と読む人もいる。「二三日待つ」が、「にさんにち待つ」と「にじゅうさんにち待つ」では意味が違ってくる。読者にそんな混乱を起こさないようにするにはどうしたらいいか。
 読点を入れればいいと思いつく。「にさんにち」を「二、三日」と書く。こうすれば「二十三日」とも「二三日」とも区別がつき、誰もこんがらがらないだろう。この感覚をワープロのIMEは支持してくれているかと思ったがまったく反応してくれなかった。よって私は「にさん=二、三」と辞書登録した。「にさん」だけでは済まない。「さんし=三、四」「しご=四、五」「ごろく=五、六」「ろくしち=六、七」「しちはち=七、八」「はちく=八、九」とみな登録した。これによって「ごろくじかんたてば」は「五、六時間経てば」と表記されるようになった。これなら「ごじゅうろくじかん」と間違われることはない。よしよしこれで問題なしと満足していた。

 高島さんがこのことについて書かれたものには、『お言葉ですが…』第一巻「一年三○○六一○五日」がある。次いで第四巻に「十六文キック」がある。上は「一年三百六十五日」を醜く表記する例としての揶揄、百や十をなくしてしまう傾向に対する怒りである。下はジャイアント馬場が亡くなったときどこもかしこも「16文キック」と書いていて、そんな中にひとつだけ十六文と産經が表していたのがうれしく……という話。

 餘談。『お言葉ですが…』の中で時折高島さんが「これはどういうことなのだろう、どなたか知っていたら教えてください」と書くことがある。私の知っていることなどあるはずもない。
 ところがこの十六文に関してだけは、なにしろ筋金入りのプロレスファンであるから知っていた。高島さんは「十六文は三十八・四センチ、ずいぶんと大きい」と書いたあと、「新聞にはじつは16インチの間違いから来ていて本当は16インチ=40センチだったそうだ」と附記してあった。高島さんに手紙を書こうかとむずむずしたが、同じ事を書く人が何人もいるだろうと遠慮した。高島さんは翌週もこのテーマを書き、「プロレス好きの学生さん」から「靴のサイズの16号の間違いと言われています」との手紙が来たとあった。これが正解である。「すると実際は33センチほど、十四文ぐらいか」と結ばれていた。この学生さん、高島先生に手紙が書けてうれしかったことだろう。
 もうひとつ。上記、第一巻、第四巻と巻数とタイトルまで書いた。無精な私には珍しい。というのは手抜きしていたらこういう続篇のような形で書くときにいちいち全巻を調べなければならず面倒だったのである。冒頭にある関連文書にこれが書いてあったらこんな苦労はなかった。よってこれからは手抜きせず大何巻のどこそこから、と書こうと思った次第。で、やっと本題。

 先日、高島さんの本を読み返していた。「本が好き、悪口言うのはもっと好き」である。ヘンなタイトルだ。ご自身もコピーライター的センスはないとおっしゃっている。
 この本が1994年に講談社エッセイ賞を受賞し、翌95年から『お言葉ですが…』の連載が始まる。ごく一部の粋人だけが知っていた高島さんが一気に世に出ることになったいわば出世作である。私も高島さんの本の中でも大好きな一冊になる。
 この『お言葉ですが…』以前の本に、私の悩みに関する答がしっかりと書かれていた。ここをきちんと理解していれば無駄な悩みや単語登録をすることもなかったのだった。

 タイトルは「年は二八か二九ならず」。
 連載原稿を送ったら初稿ゲラで三ページの短篇が二十八カ所直されてきた。高島さんは激昂して原稿を返してもらう。その手直しされた箇所というのが数字なのである。「十日」が「一○日」になり、「六十歳」が「六○歳」になり、「明治三十四年」が「明治三四年」になっていたとある。「十の排除」と高島さんは憤慨している。
 私は前記二つの文の引用で、高島さんの「十日」が「一○日」に、「六十歳」が「六○歳」になることへの怒りは理解していた。だがすでにこの時点で「明治三十四年」が「明治三四年」になることへも高島さんはご自分の考えを明確に出していたのである。これをしっかりと頭に入れておけば、「二三年」が「にじゅうさんねん」と読まれるのではないかとよけいな心配をして、「にさん」を「二、三」と辞書登録する愚かなことをする必要はなかった。師と仰ぐ人が答を示してくれているのに気づかなかったのだからかなり恥ずかしいことになる。

 「明治三十四年」を「明治三四年」のような表記が普及していったら、「東山三十六峰」は「東山三六峰」になるのか、「四十七士」は「四七士」に、「東海道五十三次」は「東海道五三次」に、「夏も近づく八十八夜」は「夏も近づく八八夜」になるのかと畳みかけ、逆にまた「十」が「一○」なら、「十返舎一九」は「じっぺんしゃじゅうく」になるのか、漱石の「三四郎」は「サンジュウヨンロウ」になるのかと追い打ちをかける。
 この部分の後半に私の探していた答があった。

《隣接する二つの数を並べて概数をあらわすのもごくふつうのことである。二三人はニサンニン、三四年はサンヨネン、五六本はゴロッポンに決まっていた。二三人をニジュウサンニンにとられてしまうと、ニサンニンはどうなるのか。二、三人? ばかな。読点はフレーズの切れ目を示す記号だ。「二」でいったん切れてそれから「三人」なんて、そんな言いかたがあるものか。》

 これでやっと「二三人」と安心して書ける。あとは仕事先が「二三人」で「ニジュウサンニン」と読ませると規定していないことを願うだけである。まあそんなところとは仕事をしないことにしよう。なんとかそれでも生きられるはずである。
(04/5/7)





 一ヶ月ほど前に書いた文章がなぜか突然消えてしまい、同じ事を書き直すのにしばらく安静が必要だった。なんとかきょう書けた。頼むから消えないでくれよ。まったくもってデジタルは怖い。数時間の努力も1秒で消える。


 さらに数日前、船戸与一を読み返していたら、彼の作品にもそれが目立つことに気づいた。船戸も「ニサンカイ」を「二、三回」と書いているのである。それが正しいと思っていたときには気にかけないことも、視点を変えると気になるようになる。
 そしてまた船戸は外国を舞台にしたやたら外国の地名や人名が出てくる小説なのに(だからこそか)、アラビア数字を使わず重苦しいぐらい漢数字を使っていることに気づいた。MR16のような外国製の武器等以外は、しっかりと「八十回」「二百五十人」のように高島さんと同じ漢数字なのである。「ニジュウサンカイ」はしっかりと「二十三回」と書くから、「二、三回」と書く必要はない。彼の書いた「二三回」を読者は正しく「ニサンカイ」と読むだろう。これは彼なりのより読者が読みやすいようにとのサーヴィスなのだと思われる。

 読者の読みやすさというサーヴィスが、唯一高島さんの文に缺けているものになる。




inserted by FC2 system