字の上手下手

高島さんのトラウマ


 高島さんに感謝の手紙を書いてみたいと思う気持ちがある。熱心な読者はみなやっているようだ。なにしろまともな内容なら筆まめな高島さんご本人から必ず返事がもらえるらしいから読者なら書きたくもなる。
 高島さんは日々の生活時間の半分を手紙書きに費やしているらしく、「まるで手紙を書くために生きているようだ」とトホホ気分で嘆かれていることがあった。なにしろ手書き、縦書き、旧かな遣いであるから時間がかかることであろう。私も一時たいそう筆まめで手紙に凝った時期があるのでそれがたいへんな作業であることはわかる。長文を清書して書いていたりしたらいくら時間があっても足りない。高島さんが毎日返事を書く手紙は三通とか五通程度であろうが、それで半日が消えてしまうことは容易に想像がつく。

 今では書き直し、修正、加筆、削除が簡単に出来るワープロができ、手書き時代と比べたらその作業の簡便さは雲泥の差となった。これはこれでまた私のようなのには「手直し地獄」とでも呼ぶべき堂々巡りが待っていた。次から次へと加筆を思い出し、それとともに削除もまた顔を出すから、いつまでたっても仕上がらない。むしろ手書きの頃は最初からの書き直しにもあとで附け足す欄外の註にも限界があるから、ある程度の手直しでもう踏み切るしかなかったのに対し、ワープロだと無制限にできるから際限がない。簡単に紙面を汚さず手直しできるとわかっているから一発で仕上げる覚悟に闕けることもまたそれに拍車を掛けている。

 この典型例が高村薫という作家だ。彼女は「ワープロがなかったら作家になっていなかった」と言い切るワープロ世代である。ブンガクも翻訳物しか読んでいなかったと言う。タイプライターに憧れたのであろう。彼女は単行本で出し賞までもらった作品も文庫化されるとき全面改定をする。まったく違った作品と言えるぐらい直してくる。これはこれでいい面もあるし、そのこだわりの原点も理解できる。果たして今までこんなことをした日本の作家がいたのかどうか知らない。確かなのは彼女のこの行動もワープロ(機種はなにを使っているのだろう、知りたいものだ)文化から生まれてきたものということだ。

 後日註・後に愛機はオアシスとわかる。予想通り(笑)。最初からそう確信していてた。オアシス的な人なのである。オアシスでないと書けないそうだ。

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 文豪の手紙の数に関して高島さんが書かれていた。新聞のコラムに「夏目漱石は生涯に二千通を超す手紙を書いた」とあったのだとか。高島さんは、「この人は自分が手紙を書かないから二千という数字を多いように書いているが、それは確認されている数であり、実際には五万通、いや十万通を書いたであろう」とし、「こんな人が書評をやっているのだからウンヌン」といつもの辛口で締める。
 高島さんはヴォルテールの書簡集には一万五千通が収められており生涯に十五万通は書いたであろうと推測している。手紙が最速の交流手段であり、文学的にも価値があるとされていた時代には、作家は手紙に今とは桁の違う数と時間を費やしたのであろう。高島さんご自身は自分の書いた手紙の数を「八万通ぐらいだろうか」と書かれている。

 手紙の敵は電話である。より速く便利な電話ができると手紙の数は一気に減る。私もまだアパートの呼び出し電話だった学生時代はよく手紙を書いていた。当時、音楽サークルの後輩Oがカナダに留学し、頻繁に手紙をよこした。しかもそれがこちらの知ったかぶりのツボをうまく刺激するものだから、こまめに分厚い返事を書いた。たとえば「こちらの音楽好きと知り合ったらブルーノートということばが頻繁に出てきます。これはどういう意味ですか」なんて書いてくる。まるで当時ブルースに夢中になっていた私に知識を披露しろといわんばかりである。書く。延々と書く。思いついたことを書き足す。欄外註の連発。毎回あの薄っぺらな航空用便箋で二十枚ぐらいあった。それら往復書簡の束を見たカナダの友人は「日本人とはそんなに手紙好きなのか」とおどろいていたという。

 自分個人の電話を持ってからはめったに書かなくなった。文章を書くことは大好きだが筆圧が強くすぐに指が痛くなってしまうので、書きたいけれど楽しい作業ではない。いや楽しいけれど痛くてつらい。
 しばらくの間をおき、ワープロを手にして復活した。いくらでも書ける。なんど書き直しても便箋が汚れない。長年憧れ続けてきた夢の機械の登場だった。
 雑誌原稿が多くなったころ、読者からもらったファンレターには、いつもそれ以上に長い返事を書いていた(笑)。奇妙なライターだ。見知らぬ人からファンレターをもらうということがうれしかったのだろう。
 近年のことでは、連絡に手紙しかなく、片道で一ヶ月かかった妻との往復書簡がある。これも電話を引いたら当然のごとくなくなってしまった。なにより妻が書かなくなってしまった。それはそれで今の時代、電話のない地域に住む娘とそういうやりとりができたというだけで稀有な体験をしたと喜ぶべきか。

 高島さんはテレビを部屋から追い出し、電話は極力使わないようにしているらしい。FAXはお気に入りのようだ。紙と文字でやりとりするこれは現代の最速の手紙だからちょうど具合がいいのだろう。それにしても元々手紙を書く機会が多かったことに加え、『お言葉ですが…』連載により、全国の多くの読者との交流が増えたのだから手紙書きはたいへんであろう。筆圧が強くすこし字を書くとすぐにペンだこが痛くなってしまう私は、毎日手紙を書き続ける高島さんの様を想像しただけで頭が下がる。先日読み返した『お言葉ですが…』第六巻に、腕の具合が悪く入院したこと、その間にも鍼を打ちつつ連載をこなしたことが書かれてあった。腕の痛みに毎日の手紙書きも無縁ではないだろう。ご自愛願いたい。





 なんだか内容が手紙話になっているので本来のテーマである「字の上手下手」にもどる。
 そんなわけで、人見知りの私も高島さんに手紙を書いてみたいなあと漠然と憧れていた。まあ結局は書かないのだけど、こんなふうに思うだけで私には珍しいことになる。
 もしも書くとしたら、高島さんはワープロ手紙を嫌っていることを明言しているのだから、自筆で書かねばならない。もちろん縦書きだ。
 萬年筆で縦書き便箋に字を書く自分を想像しただけで憂鬱になる。私は字が下手だ。字の上手下手はより縦書きで顕著になる。女子高生たちが生み出した「まる文字」の意義が解る。あれは字を記号化し、みんなで同じようなものを書くことにより、個人の字のうまいヘタの概念を無意味にした革命である。私が高校生だったならへたな楷書から逃げて真っ先にまる文字に走っただろう。

 高島さんに自筆の手紙を書いたなら、私は間違いなく「乱筆乱文」なんて形式的なものではなく、「字が下手なので読みづらくてすみません」のような直截的なものいいで自分の字のへたさを詫びたろう。手紙を書くはずもないのだが、そんなことを假定してはぼんやりと考えていた。

 すこし脱線してなぜ字が下手であるかを考える。私はそれなりに努力家であるのだが、努力する方向が限定されている。自分がへたであるのはいい。じょうずになろうと努力する気はある。だがその前提として誰もがまずへたでなければならない。同一線上からのスタートであり、最終的な結果が努力で決まるなら、私はいくらでも艱難辛苦に耐え日々切磋琢磨するだろう。

 ところがこの種のものは最初に結論が出ている。才能だ。うまい人は最初からうまく、へたなひとは努力してうまくなっても、それはやはり「へたが努力してがんばった結果」というレヴェルでしかないのだ。才能でうまい人とは比ぶべくもない。よって私はこの種の分野で努力をする気になれないのである。この辺のことは私のコンプレックス論になり本質的なことなのでまたあらためて書くことになる。

 私には字を上手に書く才能がない。それは他人の才能が見えるからこそ確認できる。「字が下手なもので」と、謙遜ではなく最初に自分の恥を告げてしまうのは私には日常的な行為だった。高島さんに手紙を書いたなら、まず間違いなく私はそう書いた。それは形式的なものではなく、心から自分の無能な部分、それによって相手を不快にしてしまった比例を詫びる気持ちだった。

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「自分は字がへたでなどと言ってくる者にろくなものはいない」といきなり過激な高島節が炸裂する章を読んでたまげた。まるで自分のことを言われたようで頭を垂れる。
 高島さんは、字なんてのは読めて意味が伝わればいいもので、今までの人生を通じても、字が下手でなどと言うヤツにろくなものはいなかったと憤慨している。激昂は高島さんの持ち味だし、そのことは不思議でもなんでもない。元来高島さんは難しい漢字を多用するのは愚かなことであり知的コンプレクスの発露だと切り捨てていたぐらいだから、同様の視点からそれを愚かなこだわりと断じたのだと解釈した。が、その後に続く文章を読んでゆくと、今までの高島さんとはすこし違った面が見えてきた。それが興味深く、この項を書いた理由になる。

 高島さんのお母さんが字が下手だったのだという。いやヘタではないのだ。じょうずな亭主(高島さんのお父さん)からへただと決めつけられ、自分を卑下し落ち込んでいたらしい。お父さんは客観的に見てもうまかったという。何か字を書く用件があると、わたしは字が下手だからお父さんに書いてもらわねばとお母さんはいい、お父さんはまったくおまえはへただからおれが書かねばダメだと得意満面で書いたらしい。物心ついてきた高島さんは、字は意味が通じればいいし、お母さんはちっともヘタじゃないと主張したらしいが、お母さんは生涯「あたしは字が下手だから」という劣等感から抜けられなかった由。

 ここから感じられるのは、高島さんというお母さん大好きな田舎の長男が、父親の傲慢さに反発し母を庇う姿勢である。中学生のころ、何度も母親にそんな劣等感は無意味だと言い聞かせるのだがどうしても通じなかったという。そのことから高島さんは字が上手だと自慢する人、へただと卑下する人を嫌うようになる。これはトラウマと言って差し支えないだろう。高島さんの感覚は、学者として教師として生きるうちに形成されてきたものと理解しているが、ことこの件に関しては、「字は相手に意味が通じればいい。うまいへたなどどうでもいいことだ」がどんなに正論であれ、それは学問的な発想から出てきたというよりも、どうしても「幼いころの父母のやりとり」を引きずっているように思える。それは自分にも当てはまる。私の場合は父(婿養子)が好きで母(大地主のわがまま娘)が嫌いだった。幼いころ、母が父に言った心ないひとことを今でも覚えていて、それがトラウマとなり、物事の発想法、あるいは人生のねじれにつながっている。

 字が下手であることに劣等感を持つ私は、そんなくだらんことにこだわるなと敬愛する高島さんに一喝されたようで、恥じるとともに心強く思ったのだが、同時にこの一件では、雲の上の博識者の妙に人間くさい部分を見たようで、より親近感を覚えたのだった。





補記──もうひとつのトラウマ
 
この字のへたうまに関する章が出てくるのはどこだろうと探していたら、目的のそれがみつからないうちに、もうひとつの高島さんのトラウマとでもいえるものを見つけた。

《わかいころから「どこのお生まれですか」ときかれるのがきらいである。きかれれば大阪ですと答えざるを得ない。すると「やあ大阪のかたでしたか」とひとりぎめをされる。おあいにくさま、こちらは全然大阪のかたではない。》

 ひさしぶりに原文を写した。あいかわらずひらがなの多い文である(笑)。
 これまた私は「どこの生まれですか(ルーツは何県人)」と尋くのが大好きなのでドキっとした。
 高島さんの御父君は若い頃に大工をしていて全国を転々としたそうだ。それから設計関係の学校に入り直し資格を取り結婚するが、結婚後も建築技師の仕事で全国を転々とすることが多かったという。高島さんはどこで生まれたか不確かなのだそうな。戸籍に載っている大阪の地名はいいかげんであるらしい。

 高島さんの故郷というと読者としてはすぐに兵庫県相生市を思い浮かべるが、それは父の仕事先を家族でかなりの箇所転々とした結果、こどもの数も増えたので、相生以降は御父君が単身赴任をすることになって、家族はここに落ち着いたのだとか。幼年期を過ごした思い入れのある地ではあるが、いわゆる血縁の深いルーツではない。
 それらのことから「わかいときからどちらのお生まれですかときかれることがきらいだった」と書いているのだから、これもやはりトラウマのひとつだろう。

 この章には《生まれた土地が育った土地と決めつけるのは江戸時代の論法だ。むかしは知らず、近代の人間は転々と動くんだ……と、教師をしていたころ、何かのついでにフンマンをもらしたら》とあり、同じ体験をしてきた教え子(郵便局の娘)が同意し意気投合したと書いてある。そこでの憤懣は「どうして生まれた土地がいつまでもついてまわるんだ」である。どれほどこの教え子と意気投合したかは、何十年も経ったのにいまだにその娘の姓名を覚えているほどだと書いていて、なんかみょうにかわいい(笑)。同病相憐れむか。失礼。

 なるほど。私のように生まれた土地が育った土地であり、しかも先祖代々の墓があり一族郎党が集っていると、こんな感覚は芽生えない。それは感覚の鈍化につながり、平然と他者の出生地を尋ね、その土地の人と決めつける無神経さを生む。私は知り合うとすぐに「どこの生まれですか」「そのお名字はどこのものなんですか」と尋いてしまう。そのことで大概の場合は盛り上がるのだが、中にはこんなふうに尋かれることすら嫌っている人がいる。そのことに気づかない。
 むかし大阪の風俗店で気のあった娘がいて、楽しく会話も弾み、そのついでにそういうことを訊いたら、急に口ごもり、それに気づかずしつこく訊いたら「言いたくないの」と言われて一気に場が沈んだことがあった。今はその意味がわかる。だけど当時はわからなかった……。

 そういう自身の無神経に対する反省とともに今回感じたのは私の終生のテーマである「コンプレックスと成功」についてだった。私がかってに高島さんのトラウマと決めつけた二つのことがある。

「字のうまいへたにこだわるようなのはろくなもんじゃない」
「生まれた地を尋かれるのは嫌いだ」

 これってやはり高島さんという、ヘンクツで博学でおもしろ随筆家という個性を作り上げるのに大きな影響を及ぼしているのではないか。そんな気がしてならない。







 書き上げる前に調べた。手紙の話が書かれているのは『お言葉ですが…』第五巻「嫌いなことば勢揃い」の中の一章「手紙時代の終り」。なおこの「おわり=終り」は高島さんのこだわりで当用漢字の「終り」ではなく送りがなは「終り」である。同様の使用法に「変る」ではなく「変る」がある。
 字のへたうまに関して書いた章はまだ見つからない。見つかったら追記する。(03/11/20)




 だいぶ前に書いておいたこれをUPし、Amazonから本の写真をもらってきたら、前々から知っていたことではあるが、単行本と文庫本のタイトルの違いに気づいた。それらの写真を並べ、附記として書いていたらけっこうな長さになってきたので別項として獨立させた。思わぬ拾いもの(?)か。
(03/12/3)




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