不自由な感じ


↑左端の字は歓の字の簡体字ですね。右端は遊です。


 高島さんに漢字のことを教えてもらうと、それをテーマにしてこのコーナーに書きたいとたびたび思う。思いつつもJISにない漢字を読み出したり、画像で作ったりする煩雑さと、思うように表示できないいらだちのためにいつも断念してしまう。

『お言葉ですが…』E「イチレツランパン破裂して」収録「表外字の字体」項で、高島さんは持論の国語審議会の制定した当用漢字がいかに日本の漢字をめちゃくちゃにしてしまったかを指摘している。当用漢字を教えられ、それをそのまま暗記してきた世代として、そもそもの生い立ちから教えてもらうと、いかにそれが筋を通さないくるったものであるかがわかる。



 が例に挙がっている。音で読むとバツとハツである。音でそう読むことはわかる。しかしなぜそう読むのかはわかっていない。単なる丸暗記だ。「テヘンに友でバツ」である。「髪は長いトモダチ」なんてのもあった。音を探せる部品は「友」であり、これは「ユウ」である。なぜそれがバツとハツになるのか。
 本来の字を知れば氷解する。元の字で「友」の部分にあったのは?であった。と見事に文字化けしてしまった。出ないのか。だからいやなんだ。画像で作る。
 である。バツだ。抜も髪も、右や下にあったのはではなくこれだった。これなら伐採の字にもあるし、(いかだ)なんて字も、竹を切って作るのかとわかりやすい。これが漢字のおもしろさでありすばらしさだ。
 抜くも、テヘンにバツなら音のバツもわかるし、意味も想像できる。テヘンにトモでは、なんでそれがヌクになるのかわからない。

 そういうふうに意味のあるものを、トモダチの友と形が似ているからと根拠のない思いつきで替えてしまったのが戦後に国語審議委員会が作った当用漢字なのである。まったくもっていいかげんである。雑だ。意味のある漢字を意味のないようにしている。見た目はほんのすこしいじっただけのようだが、根本的なものを壊してしまっている。
 なにしろ高島さんによれば、当時は漢字を全面的に無くそうとしていたらしく、いきなり無くすのもなんだから、順次次第に、ということで、とりあえず「当面用いる漢字」が当用漢字だったというから、そりゃあ取り決めもいい加減になるだろう。数年後に取り壊すと決まっている家をせっせと磨き抜くのは難しい。なんでこんなことになったのか。

 こういうのもすべては戦争に負けたから始まったことである。所詮基礎体力の違いからして勝てない戦争だったが、勝っているときに上手に講和条約を結んでいたら、今の文化はどうなっていたろう。そう思いを馳せずにはいられない。



 それにしても「跳梁跋扈-ちょうりょうばっこ」とか出るのに(四文字熟語だからだろうけど)JIS規格では出せない漢字が多くて困る。このJISがどうしようもないことも高島さんの本には何度も登場する。
 JIS-日本工業規格を、私のような世代は、子供の頃からしっかりした製品の保証印と好意的にとらえてきたが、漢字のことになると、機械屋が文化的なものをめちゃくちゃにしてしまった悪の一派(?)なのだと恨み辛みの対象となる。でも理科系崩れとして、能率だけを考える機械屋がそうしてしまった発想はわかる。だって漢字に対する知識がないのだからしかたがない。いわば暴走なのだけど、責められるべきは暴走した機関車と運転手ではなく、それを命じた人だろう。それが日本の政治的文化的貧しさだ。





 現代中国の簡体字のに似た字である。上の美容院の看板にある。左上に点が二つある。これも同じく意味のある漢字をめちゃくちゃにしてしまった例だが、それでも音の「ハツ」は保たれていることになる。

 このを形が似ているから一緒にしてしまおうというのは、日本の漢字を知らない(=漢字のことなどどうでもいい)連中の発想なのだろう。むちゃくちゃな略字の共産党中国とどっちが悪質か。どっちもどっちだけど。
 なにしろ中国の簡体字も、は上の部分のだし、は中の部分のである。これまたどうにも支持しがたい。


 同テーマとして、に関しても高島さんは触れている。やその他、表示できないけどいくつものハツの音を持つ字の本家であるが意味不明の略字であるになってしまったことによる混乱が書かれている。
 しかしそれらの指摘をなるほどと頷きつつ、学校でと習った身は、ただひたすら縮こまるしかなかった。

 敗戦した国に生まれる不幸を感じる。
 大きな意味で言うなら、南米とかアフリカの諸国も同じだ。白人に侵略させることにより、それまで何百年何千年と続いてきた部族の風習を壊されてしまった。キリスト教は世界中の神々を壊しまくった。やはり戦いは勝たなあかんのか。

 なんともかなしいのは、今後そういう問題が、きちんと筋を通すようになることはもう不可能だろうと高島さんも投げてしまっていることだ。ここまでいじってしまい、普及してしまうと復興はもう無理らしい。のツクリがになり、なぜ音でバツと発するのか筋が通ることはもうないのだ。心ある人が、「あれはほんとはね」と語り続けるだけで。

 本家中国では、台湾との商取引や香港も絡めて、簡体字が繁体字にもどると言われている。日本にそれはない。
 時代を考えるとき、改悪はしかたがなかったと同情も出来るが、の部首を、似て非なるからにしてしまった人の罪は、ちいさいようで大きい。



 こういうテーマを始め、高島さんに教えてもらったことで書いてみたいことは山ほどある。しかしシフトJISでは思うように漢字を書けない。いまそのことを解決しようとユニコードや「文字鏡」の導入を勉強しているところなのだが、これもぼくのほうで書ける(表示できる)ようになっても、読む人のほうでそれが表示できなければ意味がない。パソコンがアメリカ人の作った英米語用の道具であることを痛感する。
 Windowsなら、すべてのOSが2k以降になれば解決するようだ。でもまだまだ98は根強く普及している。

 そしてまた、このことも恥を承知でかいておかねばならない。
 これらの旧字を表記できないのは単にぼくの技術不足でしかないことは明白である。なぜならすべてを旧字表記にしているサイトをいくつも見かけているからだ。特に右翼系に多い。読めない旧字が多くて苦労する(恥笑)。
 それをぼくのパソコンはすべて見ることが出来る。Win2kやXPはユニコードを内蔵しているので出来るらしい。98やマックでは文字化けしてしまうのだろうか。その現場を見てみたい気がする。

 ではぼくもそれらを使用できるようになったら徹底できるかということである。恥とはそのことだ。技術不足ではない。

 もしもそうなったら、まずうれしいのは、ここに書いたような高島さんに教えてもらった旧字の話、当用漢字、常用漢字がいかにひどいものであるかの批判等は、すいすい書けるようになる。このよろこびはおおきい。そうなるよう、無知の不器用が日々苦心惨憺している。

 だが旧字に徹底するわけにも行くまい。
 現在中国では「簡体字文盲」が問題になっている。繁体字で学問した年配の世代が現在の簡体字について行けなくなってしまっているのだ。きちんと字を学んだのに、今の字が読めないという不幸が現出している。
 これを日本で言うなら、戦後の教育を受けた私や私以降の人たちの「当用漢字文盲」に通じるだろう。抜は「テヘンに友」と教えられ、覚え込んでしまっている。多々あるそれらを、逐一強制的に記憶し直すことは困難であろう。
 私個人はやる気でいる。学び直さねばならない。習得する自信もある。といってそれを他者には強要できないし、される人も不愉快であろう。なにより文章とは、読みやすさ、意を伝えることが第一義である。当用漢字ですなおに通じる部分を、旧字を使って一々立ち止まらせるのも問題だ。

 それらのことを考えると、シフトJIS使用の漢字でホームページを作り、納得できないいくつかを、このような形で取り上げる程度が、無知蒙昧で軟弱な私にはお似合いだとふてくされたくもなってくる。
 あれやこれやむずかしい。変らないのは、こういう考える機会を与えてくれた高島さんへの感謝である。
(03/5/12)






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